2010年1月18日月曜日

諸田玲子『巣立ち お鳥見女房』

 このところ気ぜわしく、そして気分の悪いことばかり続いている。人の日常とはそんなもので、「辛抱しなきゃ」と思いつつ、今朝はモーツアルトを聞きながらパッと掃除をした。まだ自分の中で納得できていないことがたくさんあるので、一つ一つきちんと再開していこう。手始めは、音楽理論だろう。

 ベッドの中では、諸田玲子『巣立ち お鳥見女房』(2008年 新潮社)を一気に読んだ。これはこのシリーズの五作目で、代々幕府のお鳥見役を務める矢島家の顛末を独特の楽天性で切り抜けていく主婦「珠世」の姿を通して描き出したもので、これまでにも第一作目から読んでいて、この作品では矢島家のそれぞれの息子たちが嫁を貰ったり、養子に出したりしていく姿が描かれているし、彼女の父親が最後を迎える姿が温かい文体で描き出されている。

 彼女の長男「久太郎」は、老中であった水野家の鷹匠の娘で「鷹姫さま」と呼ばれた気の強い娘と結婚するし、次男「久之助」は、他家の養子となってその水野越前守に怨みを抱く娘と結婚する。母の「珠世」は、まず、この二人の嫁の間にあるわだかまりを解消しようとする。

 「珠世」は、子を失う悲しみを知って悔い改め子どもを守る神になったという鬼子母神に二人を呼び出して引き合わせて言う。

 「恵以どの(長男の嫁になる鷹姫さま)は久太郎と夫婦になるためにご実家の名を捨てました。綾(次男の嫁になる)どのは久之助と二人、夫婦養子として永坂家に入ります。どちらも勇気がいることです。久太郎と久之助にかわって、まずは心よりお礼を申します。」(20ページ)
 そして、鬼子母神のいわれを話した後で、
「さようです。どんな子供も母にとっては命にも代えがたい宝物です。永坂の姓になっても久之助はわたくしの息子ですし、恵以どの綾どのはわたくしの大切な娘たちです。今日をかぎりにつまらぬわだかまりを棄てて、身内として助け合っていってほしいのです」(21ページ)と語る。

 これが子どもを守る神とあがめられた鬼子母神社で語られるところがいい。だが、気の強い嫁の恵以と祖父になる頑固者の「久右衛門」との頑固者同士の衝突も起こる。しかし、どちらも自分の思いをまっすぐに向けることによって収拾をつけていく。どちらも、「人の真意を見極める聡明さ」があるのである。

 人間の「聡明さ」というのは、知識が豊富なことでも、知恵がまわることでも、また、能力が高いことでもない。人間の聡明さとは、「人の真意が見極められること」にほかならない。それは愛の温かさに基づく。愛は聡明なのである。登場人物たちは、そうした「聡明な人々」なのである。

 そして、主人公の「珠世」は、誰一人として人を否定しない。美しいえくぼを作って温かく受け入れていくのであり、こういう主婦を中心にしたそれぞれの夫や父親、子どもたちやその嫁たち、また矢島家に出入りする人々は、それがまるで当然のことのようにして思いやりと温かい気持ちをもち合わせていく。他家の養子となっていく次男は、ひとりひとりにそれぞれにそれとなく挨拶を送るし、家族のだれもがその次男のために特別の時間を作る。家事になれず、近所のお鳥見役から鷹匠の娘として疎まれる恵以のために心を砕くし、恵以も自然に謙遜さを身に着けていく。素晴らしい人たちなのだ。

 「久太郎がひと足先に寝所へ引き上げたあと、珠世は茶の間を見まわした。
 飾りらしい飾りは何もない。昔ながらのせせこましい座敷である。ここに集う者たちも、怒ったり笑ったり泣いたり・・・・欠点だらけの家族だった。
 けれど、ひとつだけ、ここには自慢できるものがある。だれもが自分より先に、家族の気持ちを思いやろうとすることだ。恵以もそう。家事など下手でもよい。他人を思いやる心さえあれば、まぎれもない、矢島家の一員である。
 珠世は行灯を消した。
 灯りを消してもなお、夏の闇はうっすらと明るさを残している」(132ページ)

 こうしたかけがえのないほのぼのとした家族にも、一つの大きな事件が起こった。それは将軍家の御鷹狩の前夜、獲物となる鶴が何者かによって毒殺され、その世話をしなければならないお鳥見役の責任が問われてしまうという事件である。この危急を受けて「珠世」の父久右衛門は夜を徹して走り、何とか鶴の手配のために奔走する。お役を受けている孫の久太郎の危機を救うためである。だが、老体に鞭打った久右衛門は、何とかその手配が完了した後で疲労のために息を引き取ることになる。家族のすべての者が駆けつけて見守る中で、久右衛門は静かに息を引き取っていくのである。

 「涙は止めどもなくあふれていたが、珠世はとびっきりのえくぼを浮かべた。剛の者の娘である。それが、父への、精一杯の餞(はなむけ)だった。」(241ページ)

 この作品の中には、「第五話 蛹(さなぎ)のままで」のように、かつては矢島家に仇どうしとして同居し夫婦となった源太夫と多津の間に子どもが生まれることになり、源太夫の連れ子の「秋」が複雑な心境を抱いていく姿や、珠世自身が、子どもが巣立ったことによる寂しさや「女」であることの華やぎを抱いていく姿が描かれている。

 この作品を読んで改めて思うのだが、諸田玲子の作品には二つの傾向があって、ひとつはこのシリーズや『悪じゃれ瓢六』などのように文体が平易でリズム感があり、一気に、そしてそれだけに清涼感や感動をもって読めるのと、やや文体が重くて濃く、ある意味で生々しく描かれるものとの二つである。それぞれに取り扱われているテーマは、たとえ文体が平易でも決して軽いものではなく、内容も深いものがあるが、この両方の作風があるように感じられるのである。

 いずれも秀作だと思うが、いまの私の個人的な気分からすれば、どちらかといえば平易だが爽快な読後感を与えてくれる作品の方が好みではある。決して人を否定もしないし非難もしない素朴で素直な矢島家の人々の姿はさらに書き続けられてほしいものである。人が豊かに生きる上で極めて大事なことなのだから。

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