2010年1月22日金曜日

松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』(2)

 予報どおり少し寒い日になった。西高東低の冬型の気圧配置に戻り、寒気団が南下してきているようだ。朝は薄雲りだったが、午後からは晴れてきた。少し詰まっていた仕事を朝から初めて、一段落ついたところでこれを記している。

 昨夜、モーツアルトの「小夜曲」や「ピアノソナタ」を聴きながら松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』を読んだ。モーツアルトの曲は、一つ一つが完全にまとまっていて、仰々しくなく、軽いピアノの音が安らぎを与えてくれるとつくづく思う。

 『二枚目 並木拍子郞種取帳』の第二話「二枚目」は、芝居の「二枚目」、つまり芝居小屋の右から二枚目の看板にかけられる役者のことで、「二枚目が専ら演じるのは女にもてる色男だが、自身はあくまでも主役ではなく女形の相手役に過ぎない」(73ページ)役者で、その二枚目の役者があまり売れない「三枚目(道化役)」の友人二人にたかられ、強請られ、あげくの果てに人殺しの芝居まで演じられて人を殺したと思いこみ、それを種にまた強請られるという出来事を、事情を調べた並木拍子郞から聞いた五瓶が見事に解決していくという話である。

 第三話「見出人(みだしにん)」は、拍子郞と共に五瓶の家に出入りするちゃきちゃきの江戸っ子の料理茶屋の娘のかつて婿養子にするのではないかと言われていた料理人が、女房を殺したかどで捕縛され、その男への思いも少し残っていた娘から真相の究明を依頼された並木拍子郞が五瓶の助言もあってその事件と関わり、料理人が恩人としていた料理茶屋のどら息子がその女房にちょっかいを出し、女房と関係を持ち、女房が関係の冷えた亭主と別れようとすると、今度は邪魔に感じて殺人にまで発展して行ったことを突きとめていく話である。

 並木拍子郞は複雑な思いでその事件を解明していくし、料理茶屋の娘の複雑な思いもあるし、外から見れば浮気性のどうしようもない料理人の女房と料理人の思いも単純には割り切れない。そういう割り切れなさが人の思いにはいつもつきまとうが、その姿が事件の解明の過程で明らかに示されていく。

 第四話「宴のあと始末」は、芝居小屋で見合いをした米屋の娘が忽然と姿を消した事件に並木拍子郞が関わり、実は見合いの相手であった炭屋の息子と恋仲であった女中の兄が妹を思って、「神隠し」を装って起こした事件であったことを解明していく話で、真相を知っても拍子郞は関わりのあった人々のことを思ってそれを暴露しない。こうした姿で、主人公の並木拍子郞の姿が描き出されていく作品である。

 第五話「恋じまい」は、これまで名推量を見せていた狂言作家の並木五瓶自身が、昔溺れこんだ妓楼の女と再会し、再び彼女と逢瀬を重ねていたが、その女が「心中」を装って殺され、その事件に江戸の両替商の悪辣な為替操作が関係していることを拍子郞がつきとめていく話で、五瓶と彼の気さくな女房との関係も壊れかけ、拍子郞はその女房のためにも真相をはっきりさせようとする。

 五瓶は、女房も、その殺された女も共に本気で惚れてしもうた、と言う。「どっちの気持ちも真実で、嘘はない。ええ歳をして、愚かな真似をと思うであろうが、老い先短いこの歳になると、他人を好きになるのがだんだんむずかしうなる。そやからこそまた、惚れるという気持ちがわかいときよりもなお大切になる」(271ページ)と言う。女房はそんな亭主を殺したいと思うほど惚れている。そして、関係はぎくしゃくする。

 しかし、これは作者が女性だから言わせる言葉ではないかと思う。老いれば、人を好きになるのが難しくなるのは男も女も変わらないにしても。

 ともあれ、師走の煤払いの日、五瓶は女から来た手紙を焼き、五瓶の女房も立ち直り、すべての「煤」を払う。そして、すべてを包み込むように綿雪が降り積もっていく。

 これらの作品の話の展開のどこにも無理がなく、そして生身の人間の姿が描かれている。文章の切れの良さではなく、構成のうまさが光るし、描かれている人物も生き生きとしている。なかなか読ませる時代推理小説だと思う。小説は、人間が描かれなければ意味がない。深い人間への洞察が具体的な姿として現れる人物像を形成するのは難しい。

 しかし、江戸時代の歌舞伎・狂言作者と、武家の出であるがその弟子となる風変りな主人公として探偵役が設定されているこの作品には、人間の情も細やかで、事件の背後にある人の暗さも、共に丁寧に、しかも重くなく描かれているので、真に「うまい」作品なのである。

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