2010年1月12日火曜日

佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1)

 寒い朝になった。雨の予報が出ているがまだ降ってはいない。こういう天気の時の雨は、もし降れば絹のような細くて冷たい雨だろう。山沿いでは雪になるかもしれない。

 昨夜、これまで佐藤雅美のいくつかの作品を乱読してきていたので、この作家の良さをもう少し知りたいと思って、彼が1993年に直木賞を受賞した作品である『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を少し丁寧に読み始めた。

 この作品は馬喰町(ばくろうちょう)の通称「旅人宿」と呼ばれる公事宿(奉行所での訴訟のために宿泊する宿)の主人である恵比寿屋の喜兵衛を主人公として、江戸時代における訴訟事件を取り扱った作品で、決してきれい事では済まない生身の人間としての登場人物たちが描かれている秀作である。

 佐藤雅美は、これまでも見てきたように時代や社会に対する歴史考証がかなり厳密で、この作品では、それが物語に展開の中で見事に生かされており、人間に対する見方も、市井に生なましく生きる人間を重んじる視点をもっており、この作品は、さらに、文章の構成もかなり推敲が重ねられたと思われる箇所が随所にあって、物語の構造も、一つのことが全体に繋がっていくような構成の中で登場人物たちの姿が掘り下げられていく構造をもっている。

 まず、最初の書き出しからして、
 「障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。
 日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表に出なければならない頃あいだ。
喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた」(文庫版 9ページ)
 となっており、この書き出しによって、季節が秋で、喜兵衛という人物が夕暮れ時に客引きをしなければならない仕事をしていることが分かるし、鳥瞰的な視点ではなく、ひとりの人間の目を通しての視点で物語が進行していくことを伺わせるものとなっている。

 こういう書き出しは、物語の視点がきちんと定まっていないと出来ない書き出しであり、作者の力量が無理のない相当なものであることを伺わせるものである。

 こういうことを思いながら読んでいると、突然、Tさんの訃報の連絡が御主人から入った。まだ38歳の若さで、急性心不全ということだが、何とも痛ましい。人は限りある生命を生きている以上、その終わりも迎えなければならないし、それぞれの命には「時」があるのだが、人の生の終わりは、人知では計りしれないとつくづく思う。昨年のクリスマスに少し長く個人的な話を伺っていて、状態の回復を祈念していたが、突然の死の訪れに愕然とした。人はただ祈ることしかできない。地から取り去られたが、天に一人が加えられたのだ。祈ることができることを信じよう。

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