このところ厳しい冬型の天気が続き、北日本と日本海側では大荒れの天気になっているが、こちらはずっと青空が見える天気になっている。少し出かけることが多くて、これを記すのも三日ぶりであるが、お正月の間にゆっくり休むことができなかったので、そろそろ疲れを覚え始めている。注意力も散漫になっているのだろう。昨日、里芋の煮つけを作ろうとして、里芋の皮をむく時に指の皮まで剥いてしまった。
松井今朝子『そろそろ旅に』を二日ほど前に読み終えた。この作品の後半は、十返舎一九が大坂の材木商の入婿に入り、武士にも商人にもなりきれずに放蕩のあげくに離縁され、江戸へ出てきて、江戸の出版元である蔦屋重三郎の家に寄宿しながら戯作者となっていき、やがて『東海道中膝栗毛』を書くに至るまでを描き出しているものである。
この部分が本書の核となる部分であろうが、十返舎一九は、既に戯作者として著名になっていた山東京伝の影響を受けて、彼を乗り越えようと苦闘する。その姿が、たとえば彼の二度目の妻となった者が山東京伝を敬って恋い慕う者として設定され、山東京伝への悋気(嫉妬)として描かれていたり、そのために十返舎一九が放蕩に奔っていったり、当時の滝沢馬琴や式亭三馬などとの交流や、松平定信(1759-1829年)の「寛政の改革」後の時代背景の中での当時の出版を取り巻く状況などと絡まされている。
この松井今朝子の作品には二つの特徴があるように思われる。
そのひとつは、十返舎一九を取り巻く人々の誰ひとりとして悪意を抱く者がいない、ということである。彼が武家奉公に嫌気がさす直接の引き金となった大坂町奉行(後に江戸町奉行)の小田切直年の家臣で謹厳な鉢屋新六という武士にしても、「鉢屋はまことに忠義者だ」「あれの話は少しも面白うない。されど、決して手放せぬ大事な家来だ」と主の小田切直年に言わしめ、十返舎一九もそのことを十分認めている(154ページ)し、最初の妻となった材木商の娘も、商人にもなれずに放蕩にふける十返舎一九を理解して自由にするために離縁し、彼が当てもないままに江戸に向かう姿を見送ったりしている。
江戸の蔦屋重三郎はもちろん十返舎一九のよき理解者であり、山東京伝も彼を認め、辛口の滝沢馬琴でさえ彼を認める人物として描かれ、二度目の妻となった女性も、彼を支える女性として描かれている。十返舎一九は、こうした理解者に囲まれながら、それでも自らの道を探して彷徨い続けるのであり、ようやく、『浮世道中膝栗毛』や『東海道中膝栗毛』の作風を見出していく姿が示されているのである。
作者の松井今朝子という人は、人間を肯定的にとらえようとする人なのかもしれない。十返舎一九自身が粋で洒落者(オシャレという意味では決してない)だったし、どこかさっぱりとした爽やかさをもった人だったと思われるが、晩年、貧しさで苦闘した姿が反映されていてもいいかもしれないと思った。
しかし、もう一つのこの作品の特徴として、常に彼の周りで、彼の本音をずばりと言ったり、励ましたりする「犬吉」という幻の従者が設定されていることである。「犬吉」は、十返舎一九が子どもの頃に海でおぼれかけた時に、彼を踏みつけることによって助かった幼友だちであり、その海で死んでしまった人間の「影」である。十返舎一九はこの影をずっと引きずっていく。それは、ひとりの人間が浮かび上がっていく時に踏み台にして犠牲にしている者の象徴でもある。
実際、人が生きていくということは、多くの犠牲の上に成り立っている。人の裏には多くの涙が流されている。十返舎一九がそのことをよく自覚している人物として描き出されるのは、作者のそうしたことへの深い自覚の反映であるように思われる。
この作品は、何とはなしに読める作品ではあるが、武士にも商人にもなれずに苦悶する十返舎一九の姿が妙に深く焼きつく作品のような気がする。読んでいる間、ずっと十返舎一九のあり方を考えたりしていた。
今日は「あざみ野」の山内図書館に本を返却しなければならない。『のだめカンタービレ 最終章』の映画も見に行きたいが、「年配者がひとりでその映画を見に行くのも寂しいものだ」と躊躇している。こういうときは「独り」は、本当に困る。結局、DVDになるのを待つしかないのかもしれない。
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