2010年1月2日土曜日

松井今朝子『そろそろ旅に』(1)

 新しい年が冷厳の風と共に始まった。日本海側と西日本は大雪の荒れた天気となったが、こちらはよく晴れて、そのぶんひどく寒くなっている。穏やかだが厳しい年明けである。社会全体もそんな気がする。

 個人的には、年末に娘たちが神戸から来てくれたり、大好きな『のだめカンタービレ』のアニメ版全話が大晦日から元旦にかけてBSフジテレビで放映されたり、片づけてしまわなければならない仕事に追われたりして、結構楽しんだが、心のどこかに社会と人々に対する「やりきれなさ」があって、「如何せん」と思い続けてはいる。昨日の午後は、年賀状をくださった方々のひとりひとりを思い浮かべながら、年賀状を出されなくなった人たちはどうされているのだろう、と思ったりしていた。

 大晦日から元旦にかけて、松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を読んでいる。
 松井今朝子という人の作品は初めて読むのだが、書物の奥付によれば、1953年京都府生まれで、歌舞伎の脚色や評論などをし、1997年に『東州しゃらくさし』で作家としてデビューし、2007年に『吉原手引草』で第137回直木賞を受賞した作家らしい。自身のブログもあって、それを読んでみると、三軒茶屋にあるレストランの名前がたくさん出てくるので、もしかしたらこの近くの三軒茶屋に住んでおられるような気もする。

 『そろそろ旅に』は、江戸時代後期に文筆活動を展開し、『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九(1765-1831年)を取り扱った作品で、十返舎一九は、本名重田貞一(しげた さだかつ)、幼名市丸、通称与七、幾五郎などがあり、本書では重田与七郎とされている。

 十返舎一九自身がけっこう波乱の生涯を送った人で、武士の子として生まれ、江戸や大坂で武家奉公したが、武士をやめて、大阪では義太夫語りの家に寄食したり、志野流の香道を学んだり、材木商に入り婿したりしているし(この材木商では離縁されている)、江戸では黄表紙本の出版元として著名な蔦屋重三郎の家に寄食したり、地本問屋(現:出版社)の会所(現:組合事務所のような所)に住んだりしている。二度目の結婚も放蕩のために離縁され、三度目の結婚で一女をもうけている。

 彼は、年に20部近くになる新作を発表するなど精力的な文筆活動を展開するが、46歳の時に眼病を患い、58歳で中風にかかり、67歳で貧苦のうちに死去している。彼の辞世の句が「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」(この世をば、どりゃあ おいとませんこうと ともについには はい、さようなら)というのは著名で、わたしも自分の論文でこの句を使ったりしたことがある。

 松井今朝子『そろそろ旅に』は、この十返舎一九が郷里の駿河(静岡県)から大阪に出て武家奉公するところから物語が始まり、やがて材木商と知り合って志野流の香道を学び、その材木商に入り婿していく姿が描かれていく。

 松井今朝子が描く武家としての十返舎一九は、結構「かっこいい」武士として描かれている。彼は、「無辺流槍術」(今は棒術として知られる)の名手であり、あまり身分なども気にせずに気さくで、困った者を見捨てることもできない人情ある人物で、材木商と知り合ったのもその娘の難儀を槍の立ち回りに寄って助けたことに寄るものであり、勤め先の武家でも、物事にこだわることなく振る舞う。

 こういう十返舎一九の姿は、「少しかっこう良すぎる」ような気もするが、作者は、すっきりと彼を面白く描きたいと思っているのかもしれない。松井今朝子の他の作品も読んでいないし、この作品もまだ途中だが、この作品の文体に艶はない。もちろん、時代や社会背景についてなどの歴史的考察はきちんとしているが、十返舎一九が優れた能力の持ち主すぎるような気がするのである。

 この作品の「エピローグ」に、
 「生涯に渡って少なくとも十七回以上の旅をした記録が残る一九は、どこに行ってもその土地にすんなり溶け込めたであろうことが想像に難くない。
 若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれと一緒に暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時が来れば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう」(477ページ)
 とあるので、執着心なく生き抜けた人物として描きたかったのだろうと思われる。

 しかし、まだ全体を読了していないので、何とも言えないが、段々と面白くなっていく作品ではある。

 それにしても、年明け早々にしなければならない仕事を4年の任期で引き受けてしまっているので、身動きが取れない。友人のT牧師から「温泉にでも行きませんか」と誘われたがどうにもならない。お正月は温泉に限る、とは思うが、雑煮でも作って食べることにしよう。

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