2011年1月5日水曜日

杉本章子『銀河祭りのふたり 信太郎人情始末帖』

 碧空が広がっているが、気温が低く空気が冷たい。幕の内が開けて気ぜわしさが戻ってきた。たわいのない夢ばかり見て眠りが浅いのか、朝から気が抜けたようなどことない気怠さを感じている。バイオリズムが低くなっているのかも知れない。

 それでも、杉本章子『銀河祭りのふたり 信太郎人情始末帖』(2008年 文藝春秋社)を爽やかな読後感をもって読み終えた。このシリーズは、第1作目の『おすず』以外に、第2作目の『水雷屯』から第6作目の『その日』まで順に読んでおり、本作はその第7作目の作品で、太物問屋の大店の主人となった主人公の信太郎の商人としてのけじめをつけていく姿と、彼が惚れて一緒になった元吉原の引き手茶屋の女将であった「おぬい」が商家の新造(妻)として奥向きを切り盛りしていく姿を織り込みながら、亡くなった父親が残した妾腹の兄との関係を修復していく姿を人情味溢れる筆致で描き出したものである。

 「おぬい」を嫌い抜いて辛く当たっていた信太郎の母「おさだ」も、孫娘を間に挟みながら、「おぬい」の陰日向のない人柄で次第に「おぬい」を支えていく者となり、義姉で気の強い「おふじ」も彼女の家に奉公に出されていた「おぬい」の連れ子の「千代太」の奉公人として働く健気で真っ直ぐな人柄に触れることで「おぬい親子」に向けていた嫌悪を氷解していく。

 また、本書の表題ともなっている第三話「銀河祭りのふたり」では、信太郎の友人で徒目付となっている磯貝貞五郎と芸者である「小つな」の恋の顛末が、貞五郎に思いを寄せている義姉の「千恵」の心情とともに描き出されていく。

 御家人の次男であった磯貝貞五郎は兄が家督を継いだときに、家を出て、芝居小屋で笛を吹く囃子方をしていた時に芸者の「小つな」と恋仲になったが、兄が殺された後に磯貝家に戻り、徒目付として働いていた。「小つな」を妻に迎えたいと思っていたが、「小つな」が芸者であることから母親を初め周囲の反対にあっていたのである。義姉の「千恵」とは幼なじみであった。

 他方、義姉の「千恵」は、貞五郎とは幼なじみで恋心を抱いていたが、彼女の姉が貞五郎の兄との結婚を前にして亡くなったために、家どうしの話し合いで、貞五郎への思いを抱いたまま彼の兄の妻となっていた。その夫が死んだ後、貞五郎の母や周囲の勧めもあり、また自分の思いを通すために貞五郎に言い寄っていくのである。

 貞五郎は徒目付としての仕事に情熱を傾けて江戸城御金蔵破りの犯人の探索に精を傾けていたが、義姉の「千恵」の思いを知り、周囲を傷つけないように、「小つな」への愛を貫いて、役を引いて、侍を捨て、「小つな」の元へ行くのである。それが七夕の夜で、「銀河祭りの夜」であった。

 また、信太郎の家に恨みを抱いていた妾腹の子で太物問屋を乗っ取って近づいて来ていた兄の「玄太」との関係も二人が巻き込まれた事件をきっかけに回復されていく。

 商人としての義理を欠いたために筋を通す信太郎に見放されて借金を重ねて「玄太」に店を乗っ取られ、借金苦で自死した太物問屋の息子たちの逆恨みで、信太郎と玄太の両方とも監禁されて殺されかける事件が起こったのである。監禁され、二人はなんとかしてそこを脱出しようとするが、うまくいかない。そういう中で互いに思いを分かっていくのである。

 二人は、信太郎に恩を感じている奉行所の同心や幼なじみで岡っ引きの手下になっている「元吉」の手によって救い出されていく。「元吉」は、本書で、彼が前に傷ついたときに助けてくれた気立てのいい娘と夫婦になる約束ができ、彼を使っていた親分の後を継いで、晴れて岡っ引きになっていく。

 こうしてすべが柔らかな温かみに包まれて終わる。すべての恋はそれぞれに自分の正直な思いを貫くことで一応の形をなしていく。描かれる人物たちが理想的すぎるところがないわけではないが、商人としてのけじめをつけて生きる姿は、昨今には見られない人間としてのけじめのつけ方でもあり、武家の矜持、商人の矜持、友情や愛情の矜持ということを考えさせるものではある。何にしろ、自分の心底の思いに正直になることこそが、人の幸せの第一歩であることに違いはないのだから。

 今日はあざみ野の山内図書館によって、暮れに借りてきた本を返却して新しい本を借り、それから都内の会議に出る予定である。数冊の本を抱えて電車に揺られるのは面倒な気もするが、気乗りはしないが責任のある会議が予定されているのだし、本の返却日でもあるのだから致し方ないだろう。昨日、図書館に行けばよかったのだが、それをしなかった罰のようなものだろう。しなければならない仕事も次第に山積みしてきたなあ、と思ったりもする。まあ、すべて世はこともなしで、いいか。

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