晴れているがすこぶる気温が低い。3日間ほど、この冬一番の冷え込みが予想されている。霧島の火山の噴火が伝えられ、鳥インフルエンザと共に九州南部はたいへんな事態だろうと察している。
昨日はエジプトでも政変を求める大きなデモがあり収拾がつかなくなっているという。1980年ごろから世界の構造が徐々に変化してアフリカ北部やアラブ諸国に至っているという気がする。この全世界的規模の構造変化の先行きに予測がつかないわけではなく、悲観的な思いも強くある。
閑話休題。千野隆司『主税助捕物暦 天狗斬り』(2005年 双葉文庫)を、仙台からの帰りの新幹線の中で読み始めて、帰宅した夜に読み終えていたので、記しておくことにした。文庫本のカバーの裏書によれば、これはこのシリーズの2作目ということで、1作目はまだ読んでいないが、本書で時折触れられる1作目の内容から推測して、1作目の方が主人公の北町奉行所定町廻り同心である楓山主税助(かえでやま ちからのすけ)の姿が丹念に描かれた力作ではないかと思ったりする。
だがそれは、この作品で作者が主人公の姿を描ききっていないというのでは決してない。作者は変わらずに丹念に物語を展開するし、表現の巧みさもあるし、構成力も優れている。ただ、主人公の楓山主税助は、惚れて結婚した妻の美里との間に七歳になる娘の由衣があるが、四年前に五歳の長男を病で亡くし、二年半ほど前に、妻の美里が身ごもったとき、小料理屋の女と浮気している。そのとき、妻の美里が雪の降りしきる夜に夫が浮気している小料理屋を外から眺め続けて流産している。それ以来、妻との関係はすきま風が吹いている。主人公はそれを背負っているのだが、そのあたりのことが1作目で描き出されているのではないかと思ったからである。
自分が犯した過ちとはいえ、重荷を背負った人間にはその重荷の分だけ重さがあり、その重さが人を深くするので、作者はそれを描き出しているだろうと思えるからである。
とは言え、本書で展開される事件の捜査の顛末も、実に丹念に描き出され、どんでん返しのような結末もあって、これはこれでよく構成された作品だと言えるだろう。
発端の事件は、島送りのために囚人を乗せた唐丸駕籠が何者かに襲われ、ひとりの罪人が逃げた他はすべて斬殺されるというものである。その罪人は、かつて、喧嘩騒ぎで大工職人を殺すつもりもなく殺してしまった蝋燭問屋の用心棒で、主人公の楓山主税助が取り調べたものだった。事件そのものは用心棒の島送りで決着がついたはずであったが、その用心棒が奪還される事件が起こり、楓山主税助は自分の取り調べに手抜かりがあったことを知らされ、逃げた用心棒を捕らえ、唐丸駕籠を襲った賊を捕らえることを命じられる。
唐丸駕籠を襲った賊は「天狗」と呼ばれる正体不明の凄腕の浪人である。手抜かりを自覚して重荷を負う楓山主税助は、最初の事件を一から調べ直すことから初め、そこに「天狗」を中心にした強盗団の匂いをかぎつけていく。だが、「天狗」は凄腕で、なかなかその正体がわからない。楓山主税助も若いころから剣術の修行を積み、鏡新明智流の達人であり、秘伝の剣を伝授されているほどだったが、「天狗」の腕はそれに勝るかも知れないと思われた。彼が習得した秘伝の剣「燕飛(えんび)の剣」は窮地に追いやられたときの最後の剣である。
同心としての楓山主税助は、試行錯誤を繰り返しながらも徐々に真相に迫っていく。その操作の過程が、ひとつひとつ皮をはがしていくように丹念に描かれる。そして、「天狗」は思いもよらなかった人物であり、楓山主税助は、最後にこの「天狗」と対峙し、究極の剣技である「燕飛の剣」を用いてかろうじて「天狗」との勝負に勝ち、逃げた罪人を捕らえる、というものである。
その合間に、会話のなくなった主人公の夫婦関係を巡ることや、娘の由衣をとおして何とか夫婦関係の修復を試みようとすることなどの個人的な問題が綴られていく。そのあたりの呼吸は絶妙である。
作者には、同心物として『南町同心早瀬惣十郎捕物控』というシリーズがあり、その主人公夫婦も溝のある夫婦として描かれているが、本作では、それが主人公の浮気によって胎児が流れてしまうというさらに重いものとなり、主人公も本作では剣の達人として、幾分剣豪小説のように設定されている。
個人的な好みからいえば、どちらも丹念に描かれているが、『南町同心早瀬惣十郎捕物控』の方が、妻が明快な楽天性を備えていることもあって、面白いのではないかと思っている。しかし、推理のどんでん返しもあって、この作者の構成力は最近の捕物帳的な時代小説の中では群を抜いているような気がする。
好きなシリーズの一つです。一巻から読まれることをお勧めします。夫婦の絆を取り戻す過程が、ゆっくり描かれていきます。捕物の面白さもありますが、人の絆や情を描くことが上手な作家さんだと思います。
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