2011年1月31日月曜日

山本一力『牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)』

 よく晴れてはいるが、この冬一番の寒気団の襲来で空気が冷たく寒い。昨日は福岡の実家でも20㎝ほど雪が積もったそうだし、熊本からもとても寒いというメールをいただいたりした。日本海側は大雪で、霧島では火山の噴火が続いており、列島が震撼している気さえする。

 ただ、個人の生活というのは、いつでも、どこでも、どんなときも、日常の喜怒哀楽が主で、土曜日の深夜にサッカーのアジア杯の日本とホーストラリア戦のテレビ中継を見続け、素晴らしいボレーシュートに感嘆したりし、昨夜は、日中の疲れも覚えて早々にベッドに入り眠りを貪っていた。

 それでも、山本一力『牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)』(2006年 講談社)を一気に読んだ。この作者は、他の作品でもそうだが、文章と展開のリズムが絶妙で、内容も痛快だから、長編でも一気に読ませる力量があり、この作品もそのリズムに乗って読み進めることができた。

 これは、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人の若者の活躍を描いた『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)の2作目に当たるもので、本作では、この四人が土佐の銘酒と鰹の塩辛をいかに大阪や江戸で売りさばいていくかを工夫していく展開になっている。

 蔵秀の父親で山師の雄之助が杉の手配のために行った土佐で、旨い辛口の酒と鰹の塩辛に出会い、これに惚れ込んで、江戸にもって帰り、これを江戸で広めたいという。相談を受けた蔵秀は、紀伊国屋文左衛門を通して幕府老中の柳沢吉保に取り次ぎ、それによって柳沢吉保はこれまでの土佐藩に対する見識を改め、紀伊国屋文左衛門と共にその銘酒と塩辛の江戸での販売に手を貸すことになる。

 蔵秀たち四人は、紀伊国屋文左衛門の後ろ盾で土佐藩の命を受け、これを土佐から江戸まで運ぶ工夫を重ね、仕入れのために土佐に行くことになり、途中、「出女」を禁じた箱根の関所で雅乃が苦労したりするが、土佐の土地の人たちからも気に入られて仕入れに成功し、まず、大阪で見事な飾り提灯を作って売り出し、次いで、江戸でも大仕掛けの宣伝をして売り出しに成功していくのである。

 この土佐までの往復の旅で、蔵秀と雅乃の仲が縮まり、二人は夫婦になることになるし、飾り提灯職人の宗祐は、土佐で知り合った子持ちの女性に思いを寄せていくようになる。そうした恋の事情を挟みながら、蔵秀の判断力と人間力、雅乃の立ち居振る舞いや魅力、飾り提灯造りにかける宗佑の情熱などがいかんなく発揮されて、青春活劇を観るようにして物語が展開されていく。

 この作品の中で、作者は土佐の風土と人柄を高く持ち上げている。作者が土佐(高知県)出身であることを割り引いても、「意気に感じる」というような人間模様が確かにあったのかも知れないと思わせるものがここにはある。「意気に感じる」というのは、今日ではほとんど皆無に近いような人間関係のあり方ではあるが、貴重な生きる姿勢ではあるだろう。

 「意気に感じる」ためには、双方の呼吸が必要だが、その呼吸が損得の利害によって乱れているのが昨今であるだけに、「意気に感じて」動く人々を描いた作者の作品世界は、一つの理想となり得るのかも知れないと思ったりもする。

 本書の終章で、ようやく蔵秀と雅乃の結婚が決まり、宗佑は土佐に旅立つことになって、一応の四人の青春物語に結末がつけられた感じだが、この四人が、江戸の広目屋(広告屋)として商人を相手に活躍していく姿をさらに見てみたい気もする。

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