2011年2月3日木曜日

川田弥一郎『江戸の検屍官 闇女』

 節分になり、暦の上では明日から立春で、ようやくここでの日中の気温が10度前後にまで上がるようになってきたが、寒さを感じることには変わりはない。それでもやはり、二十四節気の通り、水仙がつぼみを膨らませて春の訪れの気配が漂い始めた。

 昨夜遅く、川田弥一郎『江戸の検屍官 闇女』(2000年 講談社 2008年 講談社文庫)を読み終えた。文庫版で580ページの長編で、物語の展開がゆっくり進められるので、読み終えるのに少し時間がかかった。

 この作者の作品は初めて読むが、文庫版に収められている細谷正充という人の解説によれば、作者は1948年生まれの現役の外科医で、医学ミステリーを執筆し、1992年に『白く長い廊下』で第38回江戸川乱歩賞を受賞され、1994年『赤い闇』から時代医学ミステリーの作品を発表されているらしい。

 本書は、「江戸の検屍官」というシリーズで、本書の前には『江戸の検屍官』(1997年 祥伝社)、『銀簪(ぎんかんざし)の翳り』(1997年 読売新聞社)の2作があるようで、本書の後にも『江戸の検屍官 女地獄』(2001年 角川春樹事務所)が出されているらしい。

 このシリーズの主人公は、検屍ということに特別にこだわりをもって事件の真相解明に当たる北町奉行所の定町廻り同心北沢彦太郎という人物で、中国の法医学書である『無冤録』を訳した検屍の教典ともいうべき『無冤録述』を手本にして、書名の通り、冤罪を出さないように十二分に死体を調べて真実を明らかにしていくことを心がけている人物である。冤罪を出さないことを、本書ではその「冤」という漢字から「兎に帽子をかぶせない」という表現で語られる。つまり、科学的・客観的捜査方法を可能な限り採っていくという江戸時代の同心の設定としては珍しい設定である。

 彼には、時に彼に重要な助言を与える妻の「お園」(本書では身重になっている)と娘の「お近」があり、娘の「お近」も父親の彦太郎が取り扱う事件に関心を持ったり、意見を言ったりする、そういう家庭である。そして、彼が検屍や事件解決のために頼りにしている医者の玄海と枕絵師の「お月」がいる。医者の玄海は、女好きで、すぐに女性に手を出す人物だが、医者としても検屍の能力は抜群で、そこから様々な推理を彦太郎に語ったりする。「お月」は、男を知らない生娘だが、男女交合の枕絵を描くことを生業として、性器や男女交合の姿態に関心が強く、彦太郎に惚れていて、その依頼で似顔絵などを描いて彦太郎を助けていく。「お月」はことあるごとに彦太郎に処女をささげようと誘いをかけている。

 こうした主要な人物設定の中で、北沢彦太郎が難事件に当たっていくのだが、彼は、毒殺死の可能性を調べるために銀の簪を遺体の口や肛門に差し入れて見ることから「銀簪の旦那」とも呼ばれている。その詳細な検屍方法が、外科医の作者らしく、詳しく何度も描かれている。

 本書で取り扱われる事件の発端は、自殺、他殺のどちらともとれる状態で水茶屋勤めの娘の死体が見つかった事件で、詳細な検屍や可能性をひとつひとつ推理していく中で、彦太郎は、初めはそれを自殺ではないかと思っていたが、その娘と関係を持っていた岡っ引きの鶴次郎が殺され、さらにその鶴次郎が関係を持っていた女性も殺され、彦太郎の捜査が伸びていく度に死人が出ていくという連続殺人事件へと発展していく。

 ふとしたことで彦太郎が助けた「おいね」の行方不明の姉の「お袖」も事件に関係しているように思われ、事件の謎が深まっていく。彦太郎はひとつひとつ地道な捜査を続けていくのである。そして、ようやく事件の真相に行き当たる。そこには、男と女のどろどろとした色欲が渦巻いていた。

 本書で取り扱われるのが、こうした男と女の色欲から出てきた連続殺人事件であるだけに、その展開を綴る表現に重いものがあり、真相に迫る捜査の仕方も地道なだけに、たとえば、せっかく銀簪という独特の検屍道具を使って毒殺を明白にしていくにしては、江戸時代に使われていた毒の種類には限りがあり、しかもなかなか手に入れることができなかったのだから、その毒の入手先を探っていくことで犯人に行き当たっていくというのが常道ではないかと思うが、本書ではその方法は採られずに、ひとりひとりの被疑者と思われる人物に細かく当たる方法が採られ、人間模様を色濃く描き出そうとしているなどがあって、しかもその人間模様が色欲を中心にして描かれるので、事件解明後でも重さが残ってしまうような気がしないでもない。

 ただ、好色だが優れた医学判断をしていく医者の玄海や、目の前で男女を交合させてそれを描いていく枕絵師の「お月」という女性などはなかなか魅力的で、真面目でひたむきに事件の捜査に当たる主人公の彦太郎といいコンビネーションがあって、作品に面白さを増している。それらの始まりを記すと思われる第1作『江戸の検屍官』を読んで見たいと思った。性に対する開放的な姿勢は、作者が医者であるだけに、その視点で描かれるのも悪くない。

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