2011年2月7日月曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き まいまいつむろ』

 昨日は曇って、夕方から小雨も降り出す寒い日だったが、今日はよく晴れて、日中は初春の気配が漂う日になっている。窓を開け放って、植物に水をやり、溜まっている事務処理に精を出していた。

 昨夜、休む前にぼんやりテレビを見ながら(「トランスポーター2」が放映されていた)、坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き まいまいつむろ』(2010年 徳間文庫)を読んだ。『うぽっぽ同心十手綴り』に続く、「十手裁き」のシリーズの2作目ではないかと思うが、読んでいて、ところどころに文章が荒れて表現が粗雑になっている箇所があり、「?」と思うところもあった。しかし、表題作にもなっている第三話「まいまいつむろ」の結末部分は、なかなか妙味のある圧巻だった。

 出世や、袖の下を取って金を稼ぐことにも全く関心がなく、ただのんびり浮かれ歩いているように見えるところから「うぽっぽ」と綽名されている南町奉行所臨時廻り同心の長尾勘兵衛は、情けをかけていた掏摸の名人が殺された事件から、眺望がよいことで高値を見込まれた旗本拝領地の権利書を巡る争いがあることを知り、献上品などを安く買い取ってそれを他の大名や旗本に売る「献残屋」が裏で画策していたことを知っていく(第一話「冥土の鳥」)。

 また、見込みのある若い同心が、手柄を焦るあまりに、魚問屋の金蔵に強盗が入ったというでっちあげ事件を仕組んだ魚問屋とその魚問屋を金蔓にしていた上役の与力に利用されているのを、犯人とされた男の人柄をかっていた長尾勘兵衛が、その事件の真相を丹念に探り出して、厳しく、そして温かく見守っていくのが第二話「夜鰹」である。

 そして、第三話「まいまいつむろ」は、上役の密貿易の収賄事件に連座して改易され、息子を養子に出さざるを得ずに幇間となり、人柄のよさと「まいまいつむろ(蝸牛)」の格好をするのがうまくて慕われていた男が、養子に出した息子が養子先の藩内で手ひどいいじめにあうのを知り、息子を助けるためにいじめていた藩士たちを密かに殺していく事件を綴ったもので、長尾勘兵衛は、丹念な捜査からその事件の真相を知っていくのである。殺された藩士たちは素行もひどく、殺されても当然の人間たちだったように思われる。

 だが、息子を手ひどくいじめていた藩士たちを殺していた幇間は、長尾勘兵衛の人柄に打たれて、彼に事件の手がかりを残していき、二人のそうした呼吸の中で、最後には捕縛されることを望んでいたふしがあるので、勘兵衛は、その望どおりに彼を捕縛する。

 元は御船手の武士であった幇間は、市中引き回しの磔の裁きを受け、市中を引き回されていくが、途中の泪橋で、父親の思いを知った息子が正座してこれを見送っていく。そこには子を思う父親の姿と、それを知った息子の姿が、幇間の人柄をしたっていた人たちの潮来節の流れる中で描き出されている。その場面は圧巻と言える気がする。場所が、刑場に向かう者が最後の別れをする「泪橋」というのもいい。

 作者は、その場面を描くために、通常では、ある藩の藩士が事件を起こした場合には、藩の体面から事件が公になることはないが、あえて、こうした展開にしたのではないかと思う。

 全体的に、物語の展開は変わらずに丁寧なのだが、少し描写に粗雑さを感じながら読み進めていたところ、最後の第三話「まいまいつむろ」で、主人公の「うぽっぽ同心」の情け深い生き方と、子を思って殺人を犯す「まいまいつむろのおっちゃん」との間の目に見えない心情の交流があって、それが描かれ、そして、最後の市中引き回しの場面があり、人情時代小説の妙味を感じることができた。

 ちなみに、「うぽっぽの旦那」である長尾勘兵衛には孫娘ができて、雛人形を買いにいったりするが、そのとき、雛人形屋の主人が「可愛いお孫さんのためならば、ここはひとつ、最上級のお品を割安にてご提供いたしましょう」と言ったとき、「気もちはありがてえが、値引いた雛を買ったところで御利益はねえ。人には身の丈ってもんがある。三十俵二人扶持で買える品を選んで欲しい」と言うくだりなど(21ページ)、この主人公を素晴らしく明瞭に描き出していて、それがこの主人公を魅力的な人物にしているように思われた。

 自分の身の丈にあったものを買う。それは自分に厳しい生き方からしか生まれてこない姿勢であるに違いないので、これはこの主人公の生き方を明瞭に表していると言えるだろう。もっとも、そのあとに続けられる説明的な言葉は抜きにしてだが。

 今日は天気もいいので、予定を少しキャンセルして散策に出よう。陽の光を浴びることは素敵なことだと思っている。どこかの庭先で梅が開いているかも知れない。

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