2011年2月17日木曜日

宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』

 14日の月曜日の夜、ちょうどある研究会のために小石川まで出かけていき、帰りに大きな牡丹雪がふわふわとひっきりなしに降ってきて、見る間に積もり、世界を白く変えていく光景の中にいた。しばらく舞い落ちる雪の空を眺めていると、頭から肩、腕と全身が雪に覆われ、その一種の荘厳な光景と寒さで身震いしながら帰ってきた。こちらの駅に着くと、あたりはもう真っ白で、冬景色特有の静けさが世界を覆っていた。

 火曜日・水曜日と日中は気温も上がったのだが、まだ物陰には風に吹き寄せられた雪が凍って残っており、夜の冷え込みの厳しさを物語っていた。だが、今日はそれも溶けてしまい、薄曇りの空が広がっている。

 日曜日から今日まで、比較的長い時間をかけて、上巻630ページ、下巻658ページの上下巻合わせて1288ページにわたる長編である宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー(上・下)』(2003年 角川書店)読んでいた。

 これは歴史時代小説ではないが、表現力が豊かで物語構成がしっかりしている作品を読みたいと思って、今のところ思い当たる作家としては宮部みゆきしか思い浮かばなかったので、かなりの長編だと思いつつも読み始めた次第である。そして、少年少女向けのような、極めて現代的なファンタジーではあるが、期待を裏切らない作品だった。

 これは、尊敬していた父親が他に好きな女性ができ、母親と自分を捨てて出ていくという泥沼のような不幸に見舞われた小学校五年生の少年が、自分の心を反映するテレビゲームさながらの「幻界(ヴィジョン)の世界」を旅し、その旅の途中で経験した葛藤の中で自分の生きる姿を見出していく物語で、宮部みゆきは、それを壮大なファンタジーとして展開しているのである。

 父親と女性との間には子どもまでできており、母親との間は泥沼化し、母親は絶望のあまりガス自殺まで試みてしまう。それまで平穏に暮らしていた小学校五年生の亘(ワタル)は、両親の不和によって自分の存在すら否定された思いになり、為す術もなく震えているだけだが、自分のそうした運命を変えたいと願って、偶然開いた「幻界(ヴィジョン)の世界」に飛び込み、そこを旅する「旅人」として自分の運命を変える道を示す宝玉を求めて旅をしていくのである。

 ここには、単に人間の心にある憎しみや復讐心、悲しみや辛さを嘆く心や、弱さがあるだけではなく、人種差別の問題や社会形成の問題、目的のために手段を選ばずに自分の力を発揮してしまう問題も盛り込まれ、その中で、友情や愛や思いやりを自分の生き方として選択していく姿が映し出され、ちょうどテレビゲームのように、ひとつひとつの場面をクリアーしていく度に主人公の亘(ワタル)が、すべてを受け入れて強くなっていくように、「幻界(ヴィジョン)の世界」の各地を旅していくのである。そして、運命を変えることが大切なのではなく、弱さに嘆くだけだった自分自身を変えることこそが大事なことだと気づいていくのである。

 描き出されるヴィジョンの世界は、作者が好きで没入するというテレビゲームそのものではあるが、そこに現代社会の深厚な多くの問題とその中を生き抜く人々の姿を盛り込んで壮大なファンタジーに仕上げるところは目を見張るものがある。細かな場面の設定やエピソード、表現は、本当に豊かで、もしこれをアニメなどの映像として描き出すなら、相当に面白い、また内容のあるものになるだろうと思わせるものがある。と思っていたら、既にアニメや漫画、ゲームなどが制作されているらしいが、その類のものにあまり縁がなくて知らなかった。

 こういう壮大なファンタジーは、日本ではなかなか生まれないと思っていたが、ミヒャエル・エンデの『モモ』や『はてしない物語(ネバー・エンディング・ストーリー)』に匹敵する内容と深みがある。もっともエンデの作品は、時間論やニヒリズムといった極めて哲学的な色彩が濃いものではあるが、この『ブレイブ・ストーリー』も哲学的に研究する価値が充分にあるような気がする。わたしが知らないだけで、もうすでにされているのかも知れないが。

 ともあれ、面白かったので、アニメになっているという作品を、今度、レンタルビデオ屋にでも行ったら借りてこようとは思う。

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