2011年2月12日土曜日

山本一力『はぐれ牡丹』

 昨日は朝から横なぐりの雪が降り、夜にはうっすらと積もっていたし、今日も重い空が広がっているが、1936年(昭和11年)の「2.26事件」の時は大雪だったのだから、今の季節には不思議なことでも何でもないだろう。ただ、「如月の風は冷たき」で、寒いのは身体的にも精神的にもこたえる。

 このところ、ある組織の100年に及ぶ歴史を検証して考察をするという作業を夜中にしていて、いささか疲れを覚えたが、衛星放送が昨日は無料だと聞いて、藤田まこと主演で池波正太郎原作の『剣客商売』を見たりしていた。講談社から出されている『完本池波正太郎大成 全30巻』はずいぶん前に読んでいて、『剣客商売』も面白い作品だったので、放映されたもののストーリーはわかっていたのだが、映像はまた別の妙味があった。特に、藤田まことが演じた主人公の老剣客である秋山小兵衛が孫のような少女と夫婦になって隠棲する家が、人里離れた藁葺きの農家として設定されており、何とも言えない味わいで、やがては隠棲したいと思っている今のわたしにとっては、ひとつの「憧れ」を感じさせるものであった。静かに朽ちていきたいと思い続けているからだろう。

 閑話休題。その放送を見ながら、山本一力『はぐれ牡丹』(2002年 角川春樹事務所)を読んだ。これは両替商のひとり娘として育った「一乃」が、惚れた男と所帯を持つために家を飛び出し、裏店に住み、野菜の担ぎ売りをしながら、寺子屋の師匠をしている夫の「鉄幹」と四歳になるひとり息子の「幹太郎」と共に、持ち前の明るさと機転、直感力の鋭さや気っぷの良さを発揮して、ふとしたことで関わってしまった江戸幕府の貨幣改鋳に絡む大詐欺事件で詐欺を計画した人間に捕らわれてしまった娘たちを助け出していくという、ある種の冒険譚である。

 「一乃」は、苦労を苦労とも思わずに明るく裏店の生活に馴染みながら、直感力も鋭いし頭脳も明晰なのだが、何事でも結論から先に言ってしまい、突っ走っていくところがあり、夫の「鉄幹」は、非力であるだけに冷静に、そんな「一乃」を補助していき、四歳の息子「幹太郎」は「おいらが付いていないと、かあちゃんはないをするか分からない」(120ページ)というような子どもで、一味も二味もあるような家族になっている。

 その「一乃」が野菜の仕入れ先である農家の竹藪で一分金を拾う。両替商の娘であった「一乃」は、それが贋金ではないかと疑い、結婚によって勘当されて疎遠になっていた父親に、あえて調べてもらうと、やはり贋金だったことから、贋金事件に関わることになるのである。そして、その贋金には大がかりな詐欺事件が絡んでいたのである。

 江戸幕府は、特に第11代将軍の徳川家斉の時代(在位1787-1837年)に、財政逼迫の救済策として貨幣の改鋳を行い、金・銀貨の質を落とし続けていた。その貨幣改鋳の際に、新貨幣があまり市中に出回っていないことを機に金の含有量を少なくした贋金を作って利ざやを稼ごうとする企みが起こる。松前藩の御用商人がロシアの船団と結託してその企てをするが、贋金を作ってもあまり儲けに繋がらないことが分かり、次にそれを利用して五万両にも及ぶ詐欺を画策するのである。
 
 松前藩の御用商人は、その話を江戸の賭場の親分の所に持ち込み、巧妙に話を作って五万両を集め、それを持ち逃げしようとするのである。また、ロシアの船団との取引のために女性たちを拐かしてロシア人にあてがおうとするのである。「一乃」が住んでいる裏店の少女がその拐かしにあう。

 「一乃」は松前藩の御用商人の企みを見抜き、だまされた賭場の親分と持ち前の度胸で渡り合って、真相を告げ、拐かされた少女を、夫の「鉄幹」や花火職人、川船の船頭、野菜の仕入れ先の農家などの人たちと協力し、知恵を働かせて助け出していくのである。

 こうした物語が、ほぼ一直線に進んで行くので、冒険譚としての面白さがあるが、欲を言えば、もう少し「ふくらみ」が欲しい気がした。いくつかの設定の妙味が急転していく物語の展開の中で解消されてしまっていて、たとえば、料理屋の息子であったが、親も妻も何かの毒に当たって死んでしまったために料理屋をやめて寺子屋の師匠をしている夫の「鉄幹」と「一乃」の夫婦のこと、後半に出てくる花火職人と「一乃」が住む裏店で産婆をしている女性とのこと、そうしたことに「ふくらみ」が欲しい気がしたのである。

 表題の「はぐれ牡丹」というのは、その花火職人が拐かされた少女を救い出すために、彼がかつて愛した産婆を通しての「一乃」の依頼を受けて、自分の職と人生を賭けて打ち上げる花火のことであり、その産婆が遠くから打ち上げられた花火を眺める場面が事件の結末の場面として描かれるだけに、そこにもう少し「ふくらみ」があって、二人の姿がさらに深く描き出されればいいのに、と思うのである。

 ともあれ、作品の主人公と同じように、作品も一直線で突っ走り、明快に終わる。作者の作品の中では特異な作品でもあるだろう。それにしても、今日は底冷えのする日になった。

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