2011年2月10日木曜日

米村圭伍『おたから蜜姫』

 昨日あたりから再び寒さが戻ってきて、夜は雪になるという予報も出ている。三寒四温というにはあまりにも寒さが厳しい気もするが、そこはかと春の近さを感じないわけではない。

 三日間ほどかけて米村圭伍『おたから蜜姫』(2007年 新潮社)を読んでいた。これは『おんみつ蜜姫』に続く「蜜姫」シリーズとでも言うべきものの2作目に当たる作品だが、米村圭伍らしい、かなりしっかりした歴史考証に基づきながらも、そこから自由奔放に「噺」として面白おかしく展開して、ある場合には風刺を効かし、ある場合には奇想天外な発想をして冒険譚のようにして語っていく作品で、本書では「かぐや姫」として名高い『竹取物語』の解釈が重要な要素となっている。

 主人公は九州豊後の小藩である温水藩(ぬくみずはん-作者が創作したもので、温水藩は作者がこれまで描いてきた風見藩と海を隔てて隣接しているという設定になっており、蜜姫は風見藩主の後妻になるという設定になっている)の「蜜姫」で、女ながらに剣士の格好をして剣を振るい、冒険好きのおてんば姫である。この姫の母親の「甲府御前」がまた一風変わっていて、甲斐の武田家の血筋を引き、学識豊かで頭脳明晰でありつつ、自由奔放で、蜜姫を使って難問を解決していくという母娘の名コンビを作っていく魅力的な女性である。

 第一作の『おんみつ蜜姫』では、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗(1684-1751年)の時に吉宗の御落胤を語った「天一坊事件」を解決し、甲府御前が武田家の家宝である「大鎧(おおよろい)」を発見した展開になっているらしい。この武田家家宝の大鎧は、実際に甲府市の菅田天神社の所蔵として現存する。

 本作では、その甲府御前の知恵と蜜姫が、仙台の伊達家から蜜姫の婚約者である風見藩主に申し出られた結婚話に絡んで、『竹取物語』に記されたかぐや姫の求婚者への要求であった五つの宝、「仏の石の鉢」、「蓬莱の玉の枝」、「火鼠の皮衣」、「龍の顎の五色に光る玉」、「燕の子安貝」の謎を探っていき、ついには武田家の隠し金や、江戸幕府の初期に幕府の財政体制を確立し金本位制を敷く功績を挙げ、勘定奉行や老中にまでなりながらも、死後に家康によって断罪された大久保長安(1545-1613年)の隠し遺金の探索にまでたどり着く壮大な歴史ドラマを演じていくのである。

 甲府御前は、数々の古典を探り、『竹取物語』が、大陸渡来の金属製錬技術をもった独立を重んじる迦具夜(かぐや)一族と、それを支配して金属製錬技術を手に入れようとした大和朝廷との闘いを描いたものであり、その迦具夜一族が自分たちに手を出すとひどい目にあうという警告の意味をこめて語った物語であるという解釈にたどり着くというのである。

 それは一見、荒唐無稽の解釈のように見えるが、古事記や国造り物語などに秘されていた地方豪族と大和朝廷との間の争いや、日本書紀の解釈などでもかなりの地方豪族や渡来人の反抗があったことが伺い知れるので、作者はその延長に『竹取物語』を置いて、こうした話を展開しているのであり、もちろん、「お噺」としての『竹取物語』にこうした歴史的解釈を持ち込むことは無理なことだが、それを承知の上でこうした展開をしていくのである。

 そして、徳川幕府の財務体制を築き、栄華を誇った大久保長安が、流浪の民であった猿楽師の出身であったことから、金山や銀山などを見つけて掘り出すために諸国を流浪する金山衆の頭で、金山衆は迦具夜一族の子孫であり、伊達政宗と結託して徳川幕府の転覆を企み、察知された家康から死後に断罪されて、反逆の芽を摘み取られたのではないかという結論にいたるのである。これも、日本には実際にどこの支配にも入らない「山の民」というのがあったのだから、無謀なこじつけとは言えないところもあるのであるし、実際に長安には幕府転覆の謀反の疑いもあったので、決してこじつけとは言えないところがある。

 実際、大久保長安という人は謎の多い人物だったらしい。彼は武田家の家臣として金山管理や税務などを担当し、武田家滅亡以後に家康に仕え、甲府の治水や新田開発、金山の採掘などに功を収め、やがては家康から佐渡金山などの全国の金銀山の統括や交通網の整備などを任され、里程(尺貫法)を整え、一時は家康の直轄領の実質的な支配を任されるほどだった。彼は病死したが、死後、不正蓄財をしたという理由で彼の7人の男児は処刑され、大久保家は改易されて、家康は、埋葬されて腐敗しかけていた遺体を掘り起こして安倍川のほとりで斬首し、晒し首にしている。この家康の長安に対する激変ぶりの理由には諸説があり、今も謎とされている。彼の墓の所在も不明である。

 こうした歴史を背景に、蜜姫と甲府御前は、『竹取物語』の謎を解いて大久保長安の遺金を探し当てるのだが、遺金探しを企んでいた伊達吉村や徳川吉宗の思惑とは異なり、大久保長安が秘匿していたものは武田家の家宝である御旗であったというオチになっている。

 物語の展開の中で、『古事記』や『日本書紀』はもちろん、『今昔物語』や『源氏物語』は出てくるわ、『宇津保物語』は出てくるわ、道教や除福伝説、埋蔵金秘話まで飛び出し、日本の金山史や江戸幕府の書庫であった紅葉山文庫の言及まで、実に多彩な話が織り込まれ、盛りだくさんで、その中を、蜜姫を巡る人々の姿が滑稽に描かれ、それらが複走しているので、人ごとながら執筆にはかなりの時間を要しただろうと思ったりもする。

 それにしても、『竹取物語』は考えてみれば不思議な物語ではある。本書の『竹取物語』の解釈は、もちろん作者特有の荒唐無稽なものではあるが、なかなか妙味のあるものであった。

2 件のコメント:

  1. 書き手の技量や知識もさることながら、読み手の能力も問われそうな本ですね。中世史をおさえておかないと、作者に煙に撒かれそうですね。

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  2. そのとおりですね。わたしはあまり知識はないのですが、どうも作者は読者を煙にまくことに快感を感じているのではないかと思ったりもします。「もっともらしく嘘を語る」という戯作の妙味を展開しているのは、とても面白い作風だと思っています。

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