2011年1月24日月曜日

米村圭伍『錦絵双花伝』

 冬型の気圧配置で寒い日々が続いている。長く寒い日々が続いている気がするのは、こちらの体調管理がうまくいっていないからだろう。宮崎県で41万羽もの養鶏が鳥インフルエンザのために殺処分されたというニュースも伝わる。強毒性をもつウィルスと人間の医学的・生物学的対処は「いたちごっこ」のようなところがある。ウィルスだけでなく豪州や南米の洪水もそうで、まるでパニック映画のようなことが現実となり、人はいつも、何事にも、その時々にその時々に合わせて対応するしかできないものだと、痛感したりもする。個人的には、良寛さんよろしく「災難に遭うときは災難に遭うがよく候」と思ってはいるが。

 閑話休題。米村圭伍『錦絵双花伝』(2001年 新潮社)を、歴史の虚実を絶妙にないまぜた作品だと感心しながら面白く読んだ。これは前に読んだ『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)、『退屈姫君伝』(2000年 新潮社)に続く3作目の作品で、前作で登場した幕府お庭番倉知政之助の手先として働く女忍者の「お仙」が、成長して美女となり、明和(1764-1772年)の三美人のひとりとして名高かった「笠森お仙」として評判を得、特に、自分の出生の秘密と合わせて、田沼意次の息子の意知と対決していくという奇想天外な物語である。

 「笠森お仙」は、錦絵(多色刷りの浮世絵)で有名な鈴木春信(1725頃-1770年)がモデルとして描いた実在の人物で(1751-1827年)、浅草の楊枝屋「柳屋」の看板娘柳屋お藤(やなぎや おふじ)と人気を二分し、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘蔦屋およし(つたやおよし)とともに江戸の三美人(明和三美人)のひとりとして一世を風靡した女性である。

 彼女は、人気絶頂となった1770年に突然に谷中の笠森の水茶屋「鍵屋」から姿を消したが、実際は、幕府お庭番の旗本で笠森稲荷の地主でもあった倉地甚左衛門の許に嫁いで、九人の子宝に恵まれ、長寿を全うしたと言われている。本作のどこか茫洋としたお庭番である倉知政之助は、この倉知甚左衛門である。

 前作の『退屈姫君伝』で、笠森の水茶屋「鍵屋」を起こしたのが倉知政之助の父親であることが記され、その手先の「お仙」が「鍵屋」の茶汲み娘として働くというのも、こうした歴史的下地のある仕掛けで、それが美女の「笠森お仙」となるというのも、虚実を混ぜた仕掛けなのである。

 また、本書で「お仙」の出生の重要な鍵となる者として描かれる浮世絵師の鈴木春信も、姓は穂積、通称次郎兵衛で、平賀源内とも親交があり、本書で「笠森お仙」を美女として売り出した者とされる大田直次郎も、後に幕府勘定所支配勘定にまで出世し、「四方赤良(よものあから)」や「寝惚先生(ねぼけせんせい)として随筆や狂歌、洒落本などを書いた大田南畝(1749-1823年)である。

 こうした歴史的下地の上で、本作では、鈴木春信が若いころ、穂積次郎兵衛として老中田沼意次の命を受けて和歌山県の小藩の取り潰しに関わり、その藩の安泰を保証していた家康拝領の「垢付丸(あかつきまる)」という刀を盗み出し、その盗み出しのために利用した女が身ごもって双子を産み、女は殺されるが、ひとりは三美人の一人である楊枝屋の看板娘「柳屋お藤」であり、もうひとりが「笠森お仙」となる「お仙」であるという物語に仕上げられている。「柳屋お藤」は、取り潰された小藩の家老の娘として育てられ、家康拝領刀の「垢付丸」を探し出してお家の再興を願う娘となり、「お仙」はお庭番の手先であった鍵屋の亭主で忍者の五兵衛に女忍者として育てられたという設定になっている。

 鈴木春信(穂積次郎兵衛)は、江戸で評判の美女となった「笠森お仙」と「柳屋お藤」を錦絵として描いて売り出すが、そこに昔自分が利用して捨てた女の面影を見て、罪科に苦しみ病んでいくし、「お仙」は自分の出生の真実を知って、そこに「因果の糸車」を覚えざるを得なくなっていく。

 また、評判の美女二人を自分のものにしようとした田沼意知は、秘匿してあった「垢付丸」を持ち出し、これを抜いて、「垢付丸」の妖力の虜となり、また、その場にいた「お仙」もその妖力を浴びてしまって、女から男になってしまう。田沼意知は、実際に旗本の佐野善左衛門から殿中で斬られて死に、これをきっかけにしたように権勢を誇った田沼家は没落していくが、それをないまぜて、「お仙」の働きとして記されていく。

 そして、「笠森お仙」として倉知政之助と結婚したのは瓜二つの双子の妹「柳屋お藤」であり、男となった「お仙」は、「大蜘蛛仙太郎」として二人を見守っていくようになるところで結末を迎えていく。それが全2作を含めた3部作の結末ともなっている。

 ここには、前作まであった軽妙さよりも、むしろシリアスな、たとえば己の罪科に苦しむ鈴木春信や出生の秘密を抱く「お仙」といった比較的重いテーマが綴られている。しかし、作者の洒落や遊び心は満載で、たとえば家康拝領で妖力をもつ刀が「垢付丸(あかつきまる-赤月丸)」と名づけられたり、鈴木春信は春画も著名なことから男女の交合の姿がユーモラスに描かれたり、大田南畝の洒落て飄々とした姿が描かれたりしている。

 あるいはまた、たとえば「月下に門を推したが、びくともしない。敲いて案内を請うわけにもいかない」(241ページ)といった「推敲(すいこう)」という言葉が由来する故事がさりげなく用いられたりしている。こうした遊び心は、読んでいてなかなか楽しいものである。

 しかし、作者が本書の中で大田直次郎(南畝)の思いを借りて、「直次郎は痛感した。世俗を洒落のめすことができるのは、おのれがその世俗からは遊離しているか、遊離している素振りでいてこその行為だ。直次郎は軽格の幕臣である。退屈な毎日に飽き、文才を利して江戸に名をなしつつある。文人としての直次郎は、京極左門配下の御徒士(幕臣)とは別人格だ。その意識が、世間を斜に見ることを楽にさせている。徒士としての目で世の中を見れば、文章は不平不満で溢れ、誰も読みたがらぬものになるだろう」(338ページ)と語る下りは、あるいは作者が虚実ないまぜの洒落のめした作品を書く本音に近いような気がする。

 そして、洒落のめした後で、その背後には生きることの重いテーマがあることを記そうとしたのが、この作品ではなかったかと思ったりする。とはいえ、作者の洒落と遊び心はこの先も続くだろう。

2 件のコメント:

  1. 米村さんの本を読むときは、「眉につばを付けて」と、いつも思います。歴史的事実と認められていることを踏まえて、おもいっきり作家の想像力を働かせ、パロディってるのが魅力です。思わずニヤリと笑いながら、「してやられた」と思ったりします。浮世絵の『笠森お仙』には気の毒な結末だったような気がします。

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  2. 歴史的事実が結構詳細に調べられて、その上で自由に物語が展開されていますので、その知識の広さと深さに驚きさえ感じますね。
    その「仕掛け」がすごいと思います。文章にもその知識の広さが見えますし。だから、どこでどういう仕掛けがあるのかを見るだけでも楽しくなりますね。

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