二十四節季で言えば、今は「小寒」と呼ばれる季節だが、大寒を思わせるような凍てつく寒さの日々が続いていた。今日は、気温は低いが、風もなく、陽の光が有り難く感じられる。しかし、北の方はまた大雪だそうだ。以前札幌に住んでいた時、移り住んだ最初の年は降り続く雪のあまりの美しさに感動して一晩中降り積もっていく雪を眺めていたが、2年、3年と経つうちに「また雪か」と、その後の雪かきの大変さを思ってうんざりしたことを思い起こす。それから寒さには何とも言えないようなやりきれなさを感じるようになった。もっとも、札幌から転居してからも冬は毎年スキーに行っていた。この十年ほどは、それとも無縁になってきてはいるが。
3日連続で抜けられない会議が都内であって、早朝の満員電車に揺られながら、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り』(2005年 徳間文庫)を面白く読んだ。これは前に読んだシリーズの2作品が、文庫書下しではあるが、比較的丁寧に構成され、主人公を初めとする登場人物にも味わい深いものがあったので、できるなら読んでいこうと思っていたら、たまたま図書館にこのシリーズの1作目があったので、電車内で読むにはいいだろうと思って借りてきた次第である。
やはり、さすがにシリーズの第1作目だけあって人物描写も情景描写も丁寧で、主人公の視点と視線に合わせて展開される物語の展開にも面白味があり、味わい深いものになっていると感じた。
このシリーズの第2弾の『十手裁き』の方では、「うぽっぽ(役立たずの暢気者)」と綽名されている南町奉行所臨時廻り同心の長尾勘兵衛は56歳という年齢だが、このシリーズの第1作目である本書では52歳と設定されている。
彼は歩くことしか能がない「うぽっぽ」と同僚からは馬鹿にされているが、出世や金にも欲はなく、情に厚く、罪を犯した者でも情にほだされれば救っていき、彼に救われた者からは親しみと敬愛をこめて「うぽっぽの旦那」と呼ばれている。その彼の姿が、本書ではいかんなく描き出されている。「わかる者しかわからない。それでいい」という姿勢が一貫して貫かれているところが、何とも言えない味わいのあるものになっている。
「路傍に咲く薊のように、つつましく密やかに、それでいてしっかり大地に根を張った生き方がしたい、そんなふうに、勘兵衛はいつも望んでいた。
『夕餉が楽しみだな』
西の空を仰げば筋雲が茜に染まっている」(12ページ)
という短い一文は、情景の描写がそんな主人公の姿をよく表すものになっているように思われる。
人の思いを大切にし、救われた者にしか彼の良さが理解できないという主人公を理解し、支える者としての岡っ引きの銀次、「薊の隠居」として正体を隠して登場する南町奉行の根岸肥前守とその内与力(奉行所に所属するのではなく、奉行の家臣として奉行の意を受けて与力として働く者)で吟味方与力の門倉角左衛門、そして、ひとり娘の綾乃、主人公の家の一部を借りて金瘡医(外科医)をしている豪放磊落な井上仁徳、若い定町廻り同心の末吉鯉四郎、主人公が思いを寄せている料理屋の女将である「おふう」などが物語の彩をなしていく。それぞれの登場人物もしっかり特徴的に登場するし、主人公との兼ね合いも物語の重要な要素となっている。
本作品には、「いれぼくろ」、「ゆうかげ草」、「霧しぐれ」、「かごぬけ鳥」の四話が収められているが、それぞれに丁寧に物語が展開されている。
第一話「いれぼくろ」は、勘定奉行の息子が犯した暴行事件を隠蔽するために、その事件に関係する者たちが次々と殺されていくという事件が起こり、町方の同心が手を出すことができない勘定奉行に対して主人公の長尾勘兵衛が知力を尽くして事件の真相を暴いていく過程とともに、暴行を受け、両親を失い、遊女として苦界に沈まなければならなかった女性の幸せを守っていく姿が描き出されている。
第二話「ゆうかげ草」は、かつて掏摸で、長尾勘兵衛に助けられた香具師の元締めのひとり娘がある藩の藩士の争いに巻き込まれて無礼打ちに合い斬り殺される事件が起こった事を発端とする物語で、娘を斬り殺した藩士の藩の圧力で奉行所の探索は止められたが、長尾勘兵衛が上役の圧力の中で犯人の探索を続けていく顛末を描いたものである。ひとり娘を失って絶望し仇討ちを行おうとする香具師の元締めに、上役からの圧力をどこ吹く風と受け流して、勘兵衛は救いの手をさしのべる。
第三話「霧しぐれ」は、神田上水の関口にある胸突坂(むなつきざか)で男が変死を遂げ、続いて同僚の臨時廻り同心が殺された事件から、老いて恋をし楽隠居を計った同僚の心情を忍びつつも、事件の黒幕である強盗団を暴いていく話である。ここでは、普段は「うぽっぽ」の腰抜けと思われていた勘兵衛が、彼を侮る強盗団に見事な武術で立ち向かう姿が描かれ、長尾勘兵衛の隠されていたすごさが表れると同時に、強盗団の首領の妻として生きてきた女への憐れみが、静かに自死を選ぶ女性を見守る姿で描かれる。
第四話「かごぬけ鳥」は、男にだまされて京都の島原(遊郭)から足抜け(逃げ出すこと)してきた少女を追っ手から守っていく姿が描かれ、少女の健気さと勘兵衛の温かさが全編を貫いている。地回りと結託して少女を捕らえようとする京都からの追っ手と勘兵衛との駆け引き、「堪忍袋の緒が切れそうだぜ」と言って横柄な地回りの強欲を断ち切る凄みを見せる勘兵衛の姿、そこに何が何でも少女を守ろうとする思いが表れているし、その健気な少女「おこま」が自分を助けてくれた片目片腕の墓守である雁次郎と所帯を持っていけるように気働きをする姿など、「うぽっぽ同心」の真骨頂を表す物語となっている。
情景描写も、江戸市中を歩きまわる町奉行所臨時廻りという仕事柄で、主人公の移動に合わせて情景が描写されるので、その動きがよく分かるように描かれている。そういう描き方は、江戸古地図が頭に入っていないとできないのだから、しっかり描き出されて、意外の綿密さが伺われる。
どこか疲れを覚えた時ややり切れなさを抱えた時に読むと、いっそう爽快になるような作品だと思った。
「うぽっぽ」というタイトルとカバー絵に惹かれて手にした本でしたが、主人公の生き方に、期待を裏切らない温かみ、さわやかさのあるシリーズでした。出奔した妻のことがサイドストーリーとして描かれていきますが、サスペンスタッチでこれも惹きつけられました。
返信削除これは多く出されている書き下ろし時代小説の中でも、構成も展開もしっかりした作品だと思っています。主人公は、本当にいいですね。金も出世も縁がないように振る舞う姿はなかなかのものだと思います。悪銭は人助けのために使い切りますし。
返信削除失踪した妻が帰って来てからの第2弾『十手裁き』も新しいのが書かれたようですから、機会があれば読んで見ようと思っていまます。