2011年1月21日金曜日

内田康夫『悪魔の種子』

 昨日が大寒で、震えるような日々が続いている。雲が広がって、時折陽射しもあるが、空気と風が冷たい。洗濯物が凍えそうにあおられていく。

 昨夜遅く、内田康夫『悪魔の種子』(2005年 幻冬舎)をおもしろく読み終えた。もちろん歴史時代小説ではないし、テレビなどでたくさんドラマ化されている常番の「浅見光彦(探偵)シリーズ」の一冊で、この作品がこのシリーズの何作目になるのか数えていないけれど、ずいぶん以前に、まだテレビでのドラマ化などがされていないころに、比較的綿密な考察や古典文学や歴史が平明な文章で軟らかく表現されているのが好きで、この作者の作品をずいぶん読んだ。主人公の浅見光彦という人物の柔らかさも好きな探偵のひとりだった。

 たまたま、図書館で宇江佐真理の新作が入っていないかどうか書架を見ていて、「あっ、この作品はまだ読んでいなかったな」と目について借りてきた次第である。ランダムに読んでいるので、こういうことはよくある。

 本作は、日本の農業政策(特に米)とバイオテクノロジーに関連する米の品種改良、新品種の創造という、いわば現代社会の最先端技術を巡る問題に絡んで、人の欲と利潤を追求する企業が重なって生み出された巧妙な殺人事件を、警察庁刑事局長を兄にもつ厳格な浅見家の居候であり、ルポライターという世すぎで糊口を潤しながらも、持ち前の感性と観察力の鋭さで難事件を解決していくという浅見光彦が、通常では思いもよらない観察と推理、独自の人間観をもつ粘り強い捜査で明らかにしていくというものである。

 舞台は、今では日本有数の良質の米を産出するようになった東北地方である。日本三大盆踊りの一つで有名な秋田県の西馬音内(にしもない)で、その祭りの最中に祭りの格好をしたひとりの男が殺されるという事件が起こる。他方、新潟県長岡市の農業研究所の研究員の死体が茨城県の霞ヶ浦であがるという事件が発生する。二つの事件には全く関連性がなく、警察の捜査はそれぞれ独自で行われ、行き詰まりの様相を呈していた。

 浅見家のお手伝いの須美子の友人が長岡市の農業研究所に勤めており、その女性が密かに思いを寄せる研究員が殺された研究員の殺人容疑者として疑いをかけれら、須美子を通して浅見光彦に助けを求めたことから、光彦はこの事件と関わることになり、西馬音内で男が殺された事件を知り、その男もまた茨城の農業研究所の研究員であったことから、二つの事件には農業研究に関する関連性があるのではないかと疑い、そこに米の品種改良によって花粉症の抗体を作っていくという画期的な「花粉症緩和米」の存在を知っていく。

 花粉症緩和米は、まだ実験段階の品種であり、遺伝子操作への反発などから風評によって実験田そのものが市民の反発を招いたりして開発が頓挫していたが、もしこれが成功すれば莫大な利益を生むことから、業績が悪化していた製薬会社が秘密裏に開発の促進を図ろうとしてダミーの会社を作ってこれを行っていた。しかし、そこでダミーの会社の責任者が自殺に見せかけて殺されてしまうという第三の殺人事件が起こる。

 浅見光彦は、その事件の背後にある花粉症緩和米を巡る動きを丹念に追い、事件の関連性を指摘しながら事実を明らかにしていく。事件は冷静に追われていくが、その過程にあるのは人間に対する限りない優しさで、その情緒は至るところで発揮され、それが事件の真相に迫る方向にも結びついて、物語の味を醸し出している。そのあたりが、この探偵の大きな魅力になっている。

 事件そのものは、人間の欲と保身に絡んだ殺人事件なのだが、背景となっている農業問題と遺伝子組み換え操作による食と生物や環境問題などが絡み、特に「コシヒカリ」という画期的な米の品種の改良によって飢餓に苦しんだ東北地方が米所になっていくことと合わさって、花粉症緩和米という先端科学技術を用いた技術革新の姿が描かれて、物語に幅と深みができている。

 作者のこの「浅見光彦シリーズ」は、探偵役の浅見光彦の優しさも魅力的なのだが、単に事件の犯人を捜し出す推理探偵小説だけではなく、こうした社会問題が絡んだものが多く、それが作品のリアリティーを生み出している。遺伝子操作による食品の品種改良の問題は、今でも、もちろん大きな問題で、こうした問題に正面から、そして人間の内奥に潜む問題としても推理性をからめて展開する作者の手法は、松本清張が確立した流れの一つといえようが、松本清張のような固さがないのがいい。

 ただ、作者の他の作品でも同じ傾向があるように思われるが、かなり大きな熟考を要する社会問題が、どことなく我田引水的に「常識」の線に治まるようにして収められてしまう点に、幾ばくかの危惧を感じないわけではない。それは作者が靖国神社を巡る問題について書いた小説などでも言えるような気がする。そして、描かれる人物も「いい人」すぎる気がしないでもない。

 閑話休題。この作品が出されたのは2005年であるが、未だに花粉症漢和米なるものについては聞いたことがないが、日本の農業政策について改善されたこともない。しかし、本書で指摘されるように、日本の農業政策の現実はひどいもので、そこに政治が汚く絡んでいるのが現状だろう。作者の問題提起は、その意味では大きな意味があると思っている。

 ともあれ、久々に一気に読める推理小説を読んだ気がする。作者の作品の多くは、日本の各地の風俗と歴史、そこに生きる人々と社会、そして現代社会と人間が抱えている大きな問題などが絶妙に交差して物語が展開されるので、思想の深み云々は別にして、彼が時代のベストセラー作家のひとりであるのもうなずける。

0 件のコメント:

コメントを投稿