2011年1月18日火曜日

出久根達郎『波のり舟の』

 昨日も日本海側での雪の模様がニュースで伝えられていた。ここは乾燥した碧空が広がっている。だが、寒い。日中は陽の光に温かみを感じたりもするが、朝晩の冷え込みは激しい.冷え性もあるのか、足下にいつも冷たさを感じている。

 昨夕は先日発表した『彷徨える実存-F.カフカ-』の合評もあって、気の置けない友人たちと池袋で夕食を共にした。「キンキの開き」というのを美味しくいただいたりした。ただ、こういう食事は楽しいものだが、帰りに、あまりの寒さもあるのだろうが、頸椎を痛めていることもあって首から肩にかけて痛みを覚え、地下鉄のベンチに座ったり、途中で降りて休んだりして何台も電車を見送って、ようやく少し空いた電車に乗って帰ってきた。電車はたいてい満員である。だから、帰宅が深夜になってしまった。熱いシャワーを浴びると痛みも治まってきたのだが、冬の夜に出かけるのはなかなか気苦労がいる。

 それからしばらく、出久根達郎『波のり舟の-佃島渡波風秘帖』(1996年 文藝春秋社)を結構おもしろく読んだ。

 これは隅田川河口の佃島と対岸の舩松町(ふなまつちょう-現:中央区湊町)を結ぶ渡し舟の渡し守「正太」を巡る物語で、正直で気のいい正太が、彼が操る舟で出会う人々によって利用されたり、だまされたりするが、たいして気にも留めることなく日々を過ごしていく姿を、例によっておもしろく描き出したものである。

 佃島は現在の佃煮の発祥の地(大阪の佃島という説もある)でもあり、1646年に住吉神社が建立され、1790年に隣の石川島に長谷川平蔵が人足寄せ場(犯罪者の更生施設)を作ったりして、渡し舟の利用者は結構多く、葛飾北斎の「富嶽三十六景色」にも描かれている。現在の佃島は橋が架けられ高層マンションが樹立するところでもある。

 毎日同じところを渡し舟で往復するだけの正太の毎日には大きな変化はない。ある時は、住吉神社に験を担いで赤土を奉納して白砂を持ち帰る砂糖問屋の盗っ人事件に関係したり(第一話「徒恋初空音佃島-たにんのはじまりねっからうそをつくだじま」)、舟を利用する舩松町川の鯉を飼うという奇妙な性癖の女性と出会ったり(第二話)、石川島の人足寄せ場に入れられている囚人の脱走を女にだまされたり(第三話)、住吉神社に貼る千社札を利用した抜け荷(密貿易)に絡む出来事が起こったり(第四話)、葬式の時に蒔く紙銭を使って狂言を仕掛ける太鼓持ちが乗り合わせてきたり(第五話)、ゲテモノ食いの商家の娘が家出してきたり(第六話)、乗り合わせた蔭間(男娼)がいたり(第七話)するが、それらは一陣の風のように正太の生活に吹きつけるだけで、正太の日常に変わりはない。

 そして、彼は幼なじみで男のような口をきく口やかましい娘と結婚し、生活をはじめるところで作品が終わる。ここには、正直で小心ではあるが、多くを望まず、ただ淡々と自分の生活を営むひとりの男の姿がある。彼に吹きつける一陣の風は、奇想天外といえば奇想天外だが、滑稽な人間の姿であり、気のいい正太はそこでだまされたりもするが、だからといって彼がそれに拘泥するということもない。

 渡し場の渡し守として一生を送る江戸の庶民というのは、多くはそうだったのではないかと思わせるものが、ここにある。いろいろなことがあっても、気楽に生きるということはこういうことなのだろうと思ったりもする。そして、こういう「気楽さ」は、結構大事なことに違いないと思う。「Take it easy」は人生を喜んで生きていく秘訣なのだから。

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