2011年1月27日木曜日

坂岡真『ぐずろ兵衛うにゃ桜 忘れ文』

 相変わらず寒い日々が続いているし、今週末は寒さが一段と厳しくなるという予報も出ている。以前から懸念されていた強毒性の鳥インフルエンザでたくさんの鳥たちが死んでいる。今のところ日本でこの鳥インフルエンザが直接人間に感染したという事例は聞かないが、既に世界では事例のあることである。ウィルスに対してはワクチンなどによって免疫力を高める方法が採られているが、ウィルスに対してだけでなく、何に対しても「免疫力」は必要で、つまるところは経験値を高めることかも知れないと思ったりもする。しなやかに揺れることができる木は強風にも倒れない。

 25-26日と仙台まで仕事で出かけていた。日陰には雪が残っていたが、心づもりもあったので思ったほど寒さを感じないですみ、往復の新幹線の中で、坂岡真『ぐずろ兵衛うにゃ桜 忘れ文』(2008年 幻冬舎文庫)を結構おもしろく読んだ。

 坂岡真の『うぽっぽ同心シリーズ』が主人公の温かみを中心にして構成された好シリーズだったので、表題から、そのシリーズの主人公以上に、出世や世間的評価とは無縁のところで生きている人間を主人公にした作品だろうと思って読み始めた次第で、思っていたとおりに、なかなか味のある主人公の姿が設定されていた。

 主人公の六兵衛は、親代々の十手持ちだが、祖父も父も、大酒飲みで、雪の降りしきる夜に酒を浴びるほど飲んで、桶屋の棺桶を湯船と勘違いして入ってしまい、そのまま凍死したといういわくつきで、浅草の仲見世大路の一画で流行らない海苔屋を営む祖母と暮らし、朝から晩まで寝てばかりで、近所の子どもたちからさえも「ぐずろ兵衛」と馬鹿にされるが、いっこうに気にする気配さえない人物である。背中に彫りかけの吹雪かない桜吹雪の刺青があることから「うにゃ桜」とも呼ばれている。

 彼の母親は六兵衛がまだ乳飲み子だったころ、若い男を作り逃げ出し、父親はその淋しさを酒で紛らわし、祖父と同じように桶屋の棺桶の中で凍死したのである。三代に渡っての阿呆というのであるが、それはただ、出世や手柄をあげたところであまり意味がないということを骨の髄から知っているというだけなのである。

 その「ぐずろ兵衛」である六兵衛に、浅草の門前小町といわれるほどの美女の家から婿養子の縁談話が舞い込む。相手は「七福」という損料屋(レンタル業)の「おこん」で、その父親の庄左衛門が祈祷師の験を担いで六兵衛に白羽の矢を立てたのだという。「おこん」と結婚した六兵衛は庄左衛門が営む裏店の木戸番小屋に住むことになる。しかし、結婚はしたものの契りは結ばせてもらえずに、六兵衛はていよく使われるだけで、どうも損料屋の庄左衛門には裏がありそうである。

 そのころ、蔵前の札差の大店で200両の金が盗まれるという事件が起こる。盗んだのは粋な盗みをし続けている「白狐」と呼ばれている一団らしい。しかし、「ぐずろ兵衛」である六兵衛にその事件の探索が依頼されるはずもないが、その盗まれた札差の若旦那が放蕩の果てに行方不明になっているから探すようにと彼に十手を預けている町廻り同心の浦島平内から依頼される。

 その浦島平内の言葉が振るっている。「世の中にゃ、おめえみてえなのも必要だ。ぐずだのろまだと言われても、平気な顔でのんべんだらりと暮らしていやがる。ことにな、江戸ってのは忙しねえところだ。せっかちな連中ばっかだし、火事だ喧嘩だとすぐに騒ぎたがる。男も女も年寄りも格好をつけたがり、何かにつけて粋だ野暮だときめつけたがる。春の野っ原で欠伸をしているようなやつを見掛けると、ほっとするぜ。それがな、おめえなのさ。おめえはよ、牛みてえな平和な面をさらしているだけで、充分他人様の役に立っている。おれにゃ、そうおもえて仕方ねえのさ」(22ぺーじ)と平然と言う。

 ここに、こういう主人公を設定する主旨がある。それは江戸ではなく、今の東京の姿であり、日本中が東京に真似てきているので日本中の姿でもあるが、作者は、「無為の存在の価値」をこの主人公を描くことで強調したいと思っているのだろうし、わたしもこうした考えには諸手を挙げて賛成したい。

 札差の放蕩息子の探索をはじめた六兵衛は、その札差を強請ろうとする男に拐かされていることをつきとめ、若旦那を救い出すが、そこにはさらに札差に大金を借りている旗本の計略があることを知り、土壇場で小知恵をひねりだして窮地を脱していく。この探索というのも、格別何かを探り出そうとするのではなく、ただのんびりとした顔を出すことで事態が変化していくだけである。しかし、それによって六兵衛は事件の真相に近づいていくのである。

 六兵衛に息子を助けられた札差も一筋縄ではいかない強突張りで、次にその放蕩息子を勘当し、大金を貸している旗本と姻戚関係を結び、旗本を出世させて旨い汁を吸おうと企むおである。しかし、旗本が邪険にした用人から殺されてしまい、札差の企みは水泡と帰す。

 そんなことがあった後で六兵衛の祝言が行われ、彼は持参金として、札差から白狐が盗み出したといわれる小判と同じ小判で200両を受け取ったりしながら、嫁の「おこん」とはなんだかんだと言い逃れられながら契りも結ぶことなく、通称「どろぼう長屋」と呼ばれる蛇骨長屋の木戸番をしながらのんべんだらりと生活している。

 しかし、どうもその蛇骨長屋に住む住人たちは、裏がありそうで、博打場の壺降りの亭主が残した20両もの大金を盗まれた菜売りの女性の事件や、白狐をかたって悪質な強盗殺人を企む人間と関わりながら(第二話「どろぼう長屋」)、あるいは、六兵衛の父親が温情をもって島送りにした男が御赦免になって江戸に戻ったことから強盗団の裏切りによる復讐事件などに関わり(第三話「舐め猫」)、なぜかしらいつも舅である庄左衛門や長屋の住人に助けられて事件の解決に導かれていくのである。庄左衛門には裏があり、六兵衛は、庄左衛門にていよく利用されていく。しかし、六兵衛は、庄左衛門と蛇骨長屋の住人たちが粋な強盗団である白狐であることに薄々気づいている。

 表題ともなっている第四話「忘れ文」は、ふとしたことで手に取った本の間から見つけた懸想文(恋文)を持ち主に返そうとして元の持ち主を探し始め、そこにその恋文をもらった若侍と、恋文を書いた女性との間に起こった悲恋を知っていくというもので、若侍は友人の仇討ちに助成して返り討ちにあって死に、恋文を書いた女性は、家の没落で身売りして場末の遊女となっているという境遇の中で、六兵衛の働きで、お互いの思いが届いたことを知って、それが生きる励ましになっていくという話である。そして、それによって契らないままで夫婦である「おこん」との距離も少し近づいたようになるところで終わる。

 物語の基本的な線が、愛情とかゆるしとか、人の温かみとか、あるいは生きる励ましとかにあって、ひとつひとつの場面が、自分が利用されていることを薄々知りつつも、それもよしとして、無用を平然と生きる主人公の姿を通して描き出されるので、なかなか味わい深くなっている。物語の展開に安っぽさが少し漂うのも、主人公のゆえにゆるされるとことがあるような気がするのである。

 それにしても、JR東日本が全席禁煙で、喫煙場所がホームに一カ所しかないから混雑していてよけいにひどく、わたしのような喫煙者には旅が苦行のようになってしまい、列車を用いることを敬遠したくなる。

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