日本海沿岸の西日本や北陸で大雪の天気をもたらしたが、関東地方は比較的穏やかなお正月になっている。毎年、年明け早々はかなり忙しくて、「めでたくもあり、めでたくもなし」と詠んだ一休和尚の言葉を思い起こしたりする。昨年は帰天者の方も多かったので、年賀の欠礼のご挨拶を多く受け取った。
大晦日にふとテレビをつけてみると、NHKのBSで『心霊探偵 八雲』というアニメ・ドラマを一挙に放映していたので、それを見ながら築山桂『寺子屋若草物語 てのひら一文』(2008年 徳間文庫)をゆっくり読んだ。
この作者の作品は初めて読むが、1969年に京都で生まれ、福井に在住されているらしく、NHK土曜時代劇『浪速の華-緒方洪庵事件帖-』の原作者であり、大阪大学の出身者らしく小説の舞台が大阪であるのも特徴的だと思ったし、以前から、寺子屋を取り扱ったと思われた題名が気になっていて、読んで見たいと思っていた作家のひとりであった。
『寺子屋若草物語』という書名は、アメリカの作家ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcot ・1832-1888年)の小説『若草物語』を意識してつけられたもので、『若草物語』の主人公たちは四姉妹であるが、こちらは大阪で寺子屋を営む三姉妹の物語である。
医者であった父と母を流行病で亡くした「お香」、「お涼」、「お美和」の三姉妹が「三春屋」という寺子屋を営んでいた叔母に引き取られて育てられ、叔母が亡くなった後を継いで、力を合わせて寺子屋を営んでいく姿が柔らかな筆致で描かれている。特に、貧しかったり親の手伝いや奉公のためであったりして昼間に寺子屋に通えない者などが手習い(文字や計算)を学ぶために、夜に「一文稽古」という、いわば夜学のようなものを開いていて、その維持のために苦労していく姿がきちんと描き出されていく。
「昼間の稽古と違って、事情も年齢もばらばらな者が集まるため、一文稽古は何かと苦労も多い。
入門時の束脩(入学金のようなもの)ばかりではなく、季節ごとの謝金も一文稽古では取らないことにしているから、「しんどいばっかりで儲かりもせんやり」とまわりに言われることもある。
だが、三姉妹は、一文稽古がなくなれば困る者がどれだけ多いか、知っている。
三人で力を合わせ、なんとかして続けたいと思っているのだ」(15ページ)
と初めの方で記されている。だが、本書は、そうした三姉妹の日常が描き出されるだけでなく、一文稽古に通う者が巻き込まれた事件の顛末が描かれるのだが、事件の裏にある陰謀の悪質さにもかかわらず、それが特に心優しい十六歳の末娘「お美和」の視点を中心に描かれ、それだけに、どこかしみじみした柔らかさがある。
三姉妹のそれぞれの人物像も明確で、それぞれに魅力的で、長女の「お香」は寺子屋である「三春屋」の全責任をしっかり負って、聡明だが控えめで、医学の修行のために江戸に行っている恋人がいるが、姉妹のことや寺子屋に通ってくる者たちへの深い心配りをする女性である。次女の「お涼」は、姉の「お香」とは全く違って、学問好きの天才肌の才女で、大阪随一の学問所である男ばかりの懐徳堂に男に混じって通うことをゆるされ、さばさばした性格で、身なりや格好もあまり気にしない。三女の「お美和」は、実は姉たちと血が繋がっていない娘で、子どもを育てることができなくなった親が置いていった子を姉たちの両親が姉妹として育てたものだが、姉たちの愛情をいっぱい受けて、明るく心優しい娘となり、「三春屋」の家事いっさいを引き受け、寺子屋を支えているしっかり者である。
こうした三姉妹の姿は類型的でわかりやすいだけに、会話にしろ様子にしろ、きっちり描き分けられていて、それぞれが魅力ある女性になっている。
物語は、大工の倅だが学者になることを夢見て、熱心に一文稽古に通っていた達次という若者が一文稽古に来なくなるところから始まる。彼は親に頼み込んで一年間という期限つきではあるが儒学者の内弟子となって学問の励むほどの熱心な若者だった。彼には「お若」という恋人がいたが、その「お若」の話によれば、彼が内弟子をしていた儒学者が江戸への遊学に達次を連れて行くと言っていたが、突然、話を翻らされて遊学には他の者を連れて行くことになり、達次は絶望して落ち込んでいるのだという。
その話の裏には、廻船問屋の大店の金に絡む話があった。達次の代わりに行く者はその廻船問屋のどら息子だという。廻船問屋の息子は、「お涼」が通う懐徳堂に懲罰的な躾のために入れられていた。だが、厳しい躾の期間が明けたとき、酒に酔って通りがかった「お若」を襲った。そして、料理屋を営んでいた「お若」の母親は、母親自体が性悪なところがあり、廻船問屋を強請る。強請られた廻船問屋は、それ以上調べられたら困るので、「お若」の母親を毒殺するのである。廻船問屋には調べられたら困る過去があったのである。
他方、千太という子どもが一文稽古に来るようになった。母親は、「お若」の母親が営む料理屋の近くで蕎麦屋を営み、殺された母親とも親しかったし、廻船問屋にも恨みがあった。廻船問屋は越前のある藩の大阪蔵屋敷の者と結託して抜け荷を行っていたのであり、それが暴露しそうになったときに蔵屋敷の藩士に罪を着せ死に追いやっていた。その犠牲となった藩士が千太の父親だったのである。
また、犠牲となった藩士の友人で真相を探るために浪人となった佐竹佐十郎という侍が寺子屋「三春屋」の裏店に越してくる。「三春屋」の「お美和」は、事情を知らないまでも、さばさばとした性格の佐竹佐十郎に淡い恋心を抱くが、佐十郎は真相究明のために千太の母親に近づいていく。千太の母親は廻船問屋の秘密のために危険にさらされていく。
そして、母親を殺された「お若」と恋人の達次が廻船問屋に捕らえられ、千太の母親も捕らえられていくのである。こうして事件は山場を迎えていく。
こうした展開の中で、挫折した達次の心境や「お若」との関係、学問一筋に生きる「お涼」と二枚目で女遊びが激しいが意外と「お涼」を案じて助ける幼なじみの合薬屋の跡取り息子との関係、佐竹佐十郎に淡い恋心をもつ恋する乙女である「お美和」の姿など、それぞれの姿と恋がじっくりと丹念に描かれ、それらが「一文稽古」という慈愛に満ちた設定の中に置かれている。
この作品は、予測していたとおりいい作品だった。歴史的にやがて事件を起こしてしまう大阪奉行所与力の大塩平八郎が正義感溢れる見習い与力として登場するのもおもしろい。歴史的考証もしっかりして構成されているし、描かれる人物像も、物語の構成もいいので、読後感も爽やかさがある。この作者の物語作者としての力は大きいものがあり、文章も、句読点の打ち方ひとつにしても、改行の仕方にしてもよく考えられた文章である。これはシリーズとして出されているらしいから、ぜひ他の作品も読んでみたいと思っている。
江戸物ではない面白みがあると思いました。特に大塩平八郎の登場は、わくわくしました。寺子屋に通う子供たちのことを思う三姉妹の優しさに、心温まりました。
返信削除コメント、ありがとうございました。
返信削除これは本当にいい作品だとつくづく思いました。設定そのものがとても素晴らしいですね。大阪の寺子屋は江戸の寺子屋や学問塾とはことなった趣があり、大阪商人の心意気のようなものも描かれていて、しみじみ考えさせられたりしました。