2011年1月14日金曜日

澤田ふじ子『比丘尼茶碗 公事宿事件書留帳』

 北東の空に雲がたなびいている。晴れてはいるが寒い日々が続いて、昨年の夏がひときわ暑かっただけに寒さが厳しい。だが、身を律するのにちょうどいいのかも知れない。

 昨夜遅く、澤田ふじ子『比丘尼茶碗 公事宿事件書留帳』(2006年 幻冬舎)を読み終えた。これは前に読んだ『世間の辻』よりも2作前のシリーズ12作目の作品だが、あまり深刻にならずに気楽に読める一作だった。

 主人公の田村菊太郎は、京都東町奉行所同心組頭の長男として生まれたが、妾腹のために弟の銕蔵に家督を譲って、二条城近くの公事宿「鯉屋」に居候をしながら、公事宿に持ち込まれる事件を解決したりしている。本書に、この公事宿の先代の宗琳(元の名を武市)が菊太郎の父親の田村次右衛門の手下であり、その才能を見込んで次右衛門が公事宿を買い与えたという経緯が短く記されており、居候の身ながら、なるほど公事宿でのんびり世渡りができる境遇にあることがわかった(101ページ)。もちろんそれは、菊太郎の人柄や才能に負うところが大きい世渡りではあるが。

 公事宿は主に民事訴訟を取り扱うから、本書に収録されている「お婆の斧」、「吉凶の餅」、「比丘尼茶碗」、「馬盗人」、「大黒さまが飛んだ」、「鬼婆」の六編は、いずれも大きな事件というよりは、人の心情や欲に絡んだ市井の出来事を記したもので、この中の「比丘尼茶碗」だけがある藩の跡継ぎを巡る内紛に絡んだ事件で、ここで中心になって描かれるのが菊太郎の父親の次右衛門と「鯉屋」の先代「宗琳」となっている。

 だが、人の嫉妬や妬み、欲に絡んだ事件とはいえ、事件の複雑さはないし、その解決もきれいすぎるほどあっさりしている。そうした事件の顛末よりも、むしろ、主人公の田村菊太郎と公事宿「鯉屋」の奉公人たちの京風ののんびりした上方漫才のような掛け合いの面白さがあり、そうした雰囲気が全編の軽妙さになっているところが特質となっているように思われる。

 作者は多作で、歴史的考証はいうまでもなく、構成もしっかりした作品であるが、あえて、2点ほど気になることがあった。

 一つは、物語に登場する地名や古刹、社会風潮や仕組みについての歴史文書の検証がかなりたくさん出てきて、もちろん、「正しく知る」ということでは意味のあることだが、少し煩わしい気がしたことである。いわば、脚注の多い作品に仕上がっているように思われてならなかった。

 もう一つは、主人公の田村菊太郎は、若いにもかかわらず書画などにも目が肥えており、「宗鷗(そうおう)」と号して俳句を詠むが、その俳句が年輪を重ねなければ詠めない俳句のように思われることである。

 たとえば「あと幾度 桜見て去ぬ この世をば」(49ページ)や「送り火や 昨年見し夫の 盂蘭盆会」(193ページ)といった句は、人生の老年期にならなければ出てこないように思われ、どことなく主人公にそぐわないような気がするのである。作者が60歳の時の作品であるのでその句の心境が分かるような気もするが、主人公の田村菊太郎は「若旦那」と呼ばれる青年武士で、こうした心境には遠いところにいるのではないだろうか。

 ともあれ、あまり肩の凝らない作品であることは間違いない。人の描き方が柔らかい。

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