甚だしく寒い。毎年、大学の共通一次試験のころは本当に天気が荒れる。一昨日は北海道で零下28度以下にまで下がったところがあるとニュースで伝えられていた。冷え切った状態が続いている。
だが、山本一力『いかだ満月』(2008年 角川春樹事務所)を読み終えて、初めは作者得意の深川木場ものの「男気」を単純に描いたものかと思っていたが、読み進むうちに、これはなかなか味のある作品だという思いをもつことができた。
物語は、読み本や歌舞伎などで義賊として伝説のある鼠小僧次郎吉(1797-1832年)が1832年に捕縛され、市中引き回しの獄門として処刑された後、次郎吉が隠れ蓑として使っていた材木商と彼の妻と子を引き受けた友人の祥吉が、材木商としての大商いをやり遂げていく話で、次郎吉の妻「おきち」の姿やその子「太次郎」の成長、深川の木場の川並(木場の材木を扱う職人)の「男だて」ときっぷのよさ、商人としての見切りの良さなどが盛り込まれており、江戸から紀州の新宮(和歌山県新宮市)までの船旅や船に同席した水戸藩士たちの侍としての矜持なども描き出され、物語の幅を広げるものとなっている。
歴史的には、天保3年(1832年)に大泥棒として処刑された鼠小僧次郎吉の姿には不明なところが多く、その家族についての詳細などは不明だが、作者は、残された友人や家族を、商才も思い切りもよい人間や思いやりの深い女性、きちんとしつけられた機転の利く健気な子どもとして描き出している。
それを、次郎吉の友人であった祥吉が、材木商として6000両ほどにもなる大商いをやり遂げるために紀州の新宮まで大量の杉材を買いつけに行くまでの顛末や船旅、新宮での買いつけの顛末と、それに同行することになった深川木場の川並の若い頭の男気やきちんとけじめをつけていく姿を通して描くのである。
ただ、思うに、物語の中心は一人の材木商が大商いをやり遂げていく姿と、木場の川並の男気を描き出すところにあり、材木商と「おきち」や子どもの「太次郎」が背負う影として、ことさら鼠小僧を持ち出す必然性が薄いような気がした。また、同じように材木の買いつけを命じられて江戸から新宮まで一緒に行くことになった水戸藩士たちが、選りすぐりの人物たちであったとは言え、「出来すぎている」気がしないでもない。侍たちの立ち居振る舞いには達人の趣さえある。
作者の作品には成功物語が多く、もちろんそれはそれでいいし、成功には物事を切り開く才覚と知恵が必要だし、時には大胆さも必要だが、そこで描かれる人間が男としても女としても、周囲から受け入れられる理想的な姿として、あまりにも理想的すぎる傾向があるような気がするのである。作者の作品を読む度にそれを少し感じたりする。
とはいえ、物語としては大変おもしろく、状況の設定も明快で、文章もそういうリズムをもっているから、一気に読み進む魅力もある。成功物語としての独自の空気をもった作家の作品だと思う。
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