2009年12月1日火曜日

佐藤雅美『啓順地獄旅』(2)

 ころころと天気が変わっていく。昨日のどんよりした雲が晴れて、今朝は快晴である。昨日、たぶん大学の卒論か何かに使われるのだろうが、キルケゴールの哲学に関する質問がメールで寄せられていたので、それに少し答えたりしたが、佐藤雅美『啓順地獄旅』を昨夜読み終わったので、これを書くことにした。

 『啓順地獄旅』の主人公で、医師であり渡世人でもある啓順は、日本最古の医学書である『医心方』の探索のために船旅で京へ向かうが、書類上のミスのため、浦賀の船改番所で船を降りなければならなくなり、陸路を鎌倉経由で向かうことにし、途中の沼津で、昔、医学館で机を並べた友人と出会い、その友人の頼みで、城代家老の娘で郡奉行の奥方である女性の病気と、その奥方の突然死に関わったことから、城代家老と郡奉行との争いに巻き込まれ、それを丸く収めるために濡れ衣を着せられて投獄される。そして、それが彼の追手の知るところとなり、策略をめぐらされた罠にはまるのである。

 彼は、どこまでも「ついていない」歩みを続けなければならない。ところが、それが彼に京都行きを命じた奥医師の大八木安庵の知るところとなり、無罪放免され、郡奉行の奥方の突然死の真相が明らかになっていく。しかし、その時、啓順がもっていた金が召し上げられたまま帰って来ず、彼は、それを取り戻そうと城代家老を襲い、浜松の水野家(水野越前守-老中)と沼津の水野家の争いを利用して身の安全と金を取り戻そうとする。金は四分の一ほど戻ってきたが、彼は沼津を出なければならなくなり、富士川をさかのぼって甲州へ出て、そこから信州、中山道を通って京に向かうことにする。

 ところが、甲府へ向かう途中の岩淵で幼い姉弟を助けたことから甲州鰍沢へ船人足として向かうことになり、鰍沢で竹居の安五郎(吃安)と津向の文吉との渡世人の抗争に巻き込まれたりしながら甲府へと向かう。そして、そこで、沼津での出来事を水野筑後守へ訴えてくれと書き送った師の大八木長庵から呆れられて、とうとう絶縁されてしまう。甲府で、追手にも追われ、金もなく、進退極まった彼は、按摩として潜み暮らすようになる。按摩としての評判が上がるにつれ、本物の盲目の按摩から自分たちの生計を脅かしていると聞かされ、自分が人を脅かす人間になっていることに衝撃を受け、按摩を廃業して旅立とうとするところに、贔屓にされていた呉服屋から息子のごたごたの解決を依頼されたりする。

 やがて、甲府から鰍沢を経て岩淵に戻ろうとする船の中で、身延詣でに来ていて急に産気づいた婦人のお産に立ち会い、婦人を助けるために子どもを水子としてしまう。そのために立ち寄った身延で、胎児を殺してしまったことの罪意識もあって、できるだけ多くの人を医術によって助けようと決心し、診立(みたて)を依頼されたことからそこに居着くようになる。

 しかし、そこでも追手との諍いを避けたい津向の文吉から身延を出るように言われて、そこを出ることになってしまい、最初の目的通り京へ向かう。彼は、そこまで、五年の歳月を要してしまったのである。

 啓順は、ようやく京に辿りついて、どこかの医者の内弟子になろうとするが、京の医学界では、体制が固められていて入り込むことができない。それで、やむなく大八車に荷物を載せて配達する力仕事をして生計を立てていきながら、『医心方』の探索を始めるが、疲労も重なり、啓順は医者であると同時に渡世人でもあるのだから、賭場の用心棒にでもなろうと思って賭場を訪ねるが、そこで人探しを依頼されて丹波篠山に向かうことになる。

 丹波篠山で、依頼された仕事を解決したが、そこで豪農・豪商の奥方の病気を治すことになり、それが縁で、その付近で医者をすることになる。ようやく落ち着いた暮らしができるようになったが、しかし、そこに江戸からの追手が迫り、そのことで豪農・豪商からそこを出るようにと言われ、彼の旅がまだまだ続くところで、この作品は終わっている。

 啓順は、いわば、流浪の旅を続ける人として描かれている。彼は、どこに行っても、最初は歓待され、重宝がられ、ようやくそこで落ち着くことができるかと思うと、疎まれて、その場所を去らなければならなくなる。「辿りついたら、いつもどしゃ降り」の人生を歩んでいく人である。彼にとって、この世は、いつも「生き難い」場所である。

 作者は、そうした生き方を強いられる「心やさしい」、そして「男儀のある」人間の姿を歴史の中に投げ入れ、状況の中でやむをえずに巻き込まれていく姿を、卓越した才能をもつ医者でありながら渡世人でもある主人公を通して描いていく。この主人公のこうした設定は、自分自身と照らし合わせても納得できるものが多いことを、わたしは感じている。

 今、この続編である『啓順純情旅』(2004年 講談社)を読んでいるので、その後、主人公がどのようになっていくか、楽しみである。この作者の『物書き同心居眠り紋蔵』のシリーズを読みたいのだが、なかなか、図書館で借り出し中のことが多くて、借り出すことができないでいる。「運」のようなものだろう。そして、いつもわたしには「運」がない。

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