2009年12月21日月曜日

藤原緋沙子『桜雨 渡り用人 片桐弦一郎控え(二)』

 よく晴れて入るが、今日も寒い朝になった。朝から掃除や洗濯などの家事を2時間ほどかけてして、一息入れ、少し仕事をして、プリンターインクがなくなって印刷ができなくなったので、今日は、近くの家電店まで歩いて出かけようかと思ったりしている。

 昨夜、少々疲れを覚えていたが、テレビで「JIN-仁」の最終回を見て、これが終わってしまうのを残念に感じながら、主演の綾瀬はるかの演技力に感心していた。テレビといえば、18日(金)と19日(土)に連続して二ノ宮知子原作の『のだめカンタービレ』が放映されて、あまりのおもしろさと着想の良さに抱腹絶倒して見入っていた。原作は漫画で、そちらは読んだことはないが、ドラマは傑作だった。とくに「のだめ」を演じた上野樹里がすばらしくいい。使われる音楽も本当にいいし、場面と音楽がぴったり合って、演出の素晴らしさを感じた。だから、金・土・日と久しぶりで3日間もテレビで嬉しさを与えられた。

 「JIN-仁」の放映の後で、コーヒーを飲みながら、藤原緋沙子『桜雨 渡り用人 片桐弦一郎控(二)』(2007年 光文社文庫)を読んだ。この作者の作品は、以前、『見届け人秋月伊織事件帖』のシリーズを読んでおり、これも文庫書き下ろしのシリーズとなっているが、主人公の片桐弦一郎は、安芸津藩(現:広島県)の江戸留守居見習いであったが、藩の世継ぎ継承問題で主家がとりつぶされ、そのときに国元にいた妻もその事件の道連れで失い、江戸で古本屋の筆耕をしながら暮らしている浪人である。

 しかし、剣の腕も立つし、頭脳も明晰で、爽やかな人柄も買われて、時折、「渡り用人」(臨時雇いの秘書官)として用いられて、雇い主が抱えている問題を解決していくという筋立てになっている。

 この作品でも、ふとしたことで関わりをもった信濃(現:長野県)の飯坂藩という藩の世継ぎ問題と絡んだ政権争いによって困窮に陥っている紙漉き百姓や町人、貧苦にあえぐ下級武士たちを「渡り用人」となって助けていくという話で、勧善懲悪の娯楽時代小説としてけっこう面白く読んだ。

 この作品の構成が「第一話 鳴鳥狩(ないとがり)」、「第二話 蕗の盃」、「第三話 桜雨」の三部構成で物語が展開されているのだが、なかなか趣向が凝らしてあり、第一話が「梅」にまつわり、第二話が「桃」にまつわり、第三話が「桜」にまつわる話となって、たとえば、「第一話」の書き出しが、「片桐弦一郎は、手酌で酒を飲みながら、時折部屋に忍びこんでくる梅の香に気づいていた」(7ページ)となっており、「第二話」の書き出しが、「日毎に春を感じてはいたが、昨日終日降った雨が、一本の桃の木の花を一気に咲かせてしまうとは・・・その神秘な自然の力に弦一郎は驚いていた」(101ページ)となっている。そして、「第三話」の表題「桜雨」は、桜の花びらが雨のように降り注いでいる様を指す。

 第一話の表題として使われている「鳴鳥狩(ナイト狩り)」とは、前日の夕方、鳥が鳴いている場所を覚えていて、翌朝早くその鳥を、鷹を放って狩りをすることで、前々から目をつけられていて悪事の道具として使われた人々を示すものらしい(90ページ)。主人公は、その「鳴鳥狩」として政争の道具に使われた人物への仕打ちに憤りを感じて、この事件に関わっていくのである。

 彼が関わった飯坂藩は「紙漉きによる元結」の産地として成り立っており、作者の藤原緋沙子は、その「紙漉き」の過程も詳しく調べて書いているし、藩の悪家老と悪徳商人によってその制作者が困窮に陥っている状態や、人々が爆発して一揆になっていく過程も盛り込んで、なかなか味のある作品に仕上げている。

 ただ、主人公の片桐弦一郎が、あまりにも格好良すぎるきらいがある。この作品の第一作目を読んでいないので確かなことは言えないが、すこぶる格好いい。浪人でありながら、臆することも卑屈になることもなく、また、屈託もなく、颯爽と事件を解決していく。そして、藩政にからむような大きな事件を解決したからといって。それに執着することなく元の生活に戻る。彼は、極めて優しく、困窮にあえぐものを助けていく。まさに、拍手喝采の主人公なのである。

 だから、読み物としてはとても面白い。が、少し物足りなさを感じるような気もする。出来たら、この作品の一作目を読んでみたい。

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