2009年12月24日木曜日

佐藤雅美『白い息 物書同心居眠り紋蔵』(2)

 It’s Christmas Eve.
 朝方かかっていた薄雲が晴れて、蒼碧の空が広がっているが、気温が低いので空気に刺すような冷たさを感じる。

 このところ『のだめカンタービレ』にはまっていて、昨夜は、そのアニメ版を見たりしていた。一途な思いは、やはり人を動かす力がある。作品の中で使われているJ.ブラームス(1833-1897年)の「交響曲第1番」を聴いて見ようかと思ったりする。ブラームスはなかなか自分の気持ちを素直に伝えることが苦手で表面に出ることを嫌って、おそらくシューマンの妻クララへの恋心もあっただろうが、質素な生活を好み、自然を愛した人だとも言われている。

 わたしは音楽に関してはほとんど無知だが、「無駄なものは何もない」という彼の哲学は、晩年の「クラリネット三重奏」や「クラリネット五重奏」などを聴いているとわかるような気もする。

 さて、佐藤雅美『白い息 物書同心居眠り紋蔵』の続きだが、第四話は旗本と町火消しとの争いにからむ事件に絡む話で、紋蔵のゆっくりとした、しかし確実な真実の追求の姿が描かれ、「何事もなかったことにする」結末がこの作品らしくて優れている。第五話は、贋金作りに関わる事件で、紋蔵の手下が播州龍野の脇坂家の家来を誤って捕えたことにより事柄が公となって紋蔵の左遷の噂が流れるが、贋金作りの犯人を捕えることによってなんとか沙汰止み(左遷の中止)となっていく展開になっている。

 作品中に登場する脇坂中務大輔は、脇坂安宅(わきさか やすおり 1809-1874年)のことで、安政4年(1857年)に幕府の老中となるが、井伊直弼の桜田門外の変後の文久2年(1861年)4月に隠居し、再び5月に老中として勤めた人である。寺社奉行時代(弘化2年 1845年~)に風紀の乱れを起こしていた僧侶の取り締まりを厳しく行ったことで有名で、その後、自分の妾のことで罷免されたが、再び寺社奉行として登用された経緯がある。

 佐藤雅美は、その脇坂安宅の寺社奉行復帰と紋蔵の失敗とを絡めて、双方が丸く収まる出来事としてこの作品を仕立てている。こういうところが作者の歴史通を思わせる。

 主人公の紋蔵は、突如眠りに陥る奇病をもちながらも頭脳明晰で人情厚い人物であるが、奉行所の下役人であり、勤め人のつらさを背負っている人物である。彼の生活は、その小さなバランスの上に成り立っているのだから、定廻り同心として少し生活が楽になったが、左遷されるとたちまち家計に響いてくる。そういう危うさの中で、紋蔵は苦慮していく。

 何とか左遷は免れたが、しかし、また吹上上聴(将軍の前での各奉行の公開裁判のようなもの)が行われることになり、判例に詳しい紋蔵は、再び例繰方の仕事を手伝うようになる。そして、一見、明白に見えるような事件の裏に隠されている事実を上げて、例繰方としての優秀な働きを示してしまう。そのことによって、収入の多い定廻りから再び例繰方へと戻されるのではないかと戦々恐々とする日々を過ごす。そして、彼の予測通り、彼は再び例繰方に戻されてしまう。彼は再び物書同心に戻るのである。

 紋蔵はいつも「損」をする人である。優秀であればあるほど、彼は「損」をする。そういう役割を演じながら、紋蔵はその中を飄々と生きていく。「紋蔵はこの日の朝も弁当を片手に、白い息を吐きながら、背中を丸めて役所に向かった」(309ページ)という言葉で、この作品は終わる。下役人としての勤め人のつらさがにじみ出ている。紋蔵は諦念を抱いて生きる。

 しかし、彼は自分の置かれた状況の中で、あくまでも自分のスタイルを貫いていく。こういう主人公の姿がこのシリーズを豊かなものにしている。それはおそらく作者の人生観とも重なっているのだろう。そうして見ると、これはやはりなかなかの作品だと思う。

 クリスマスの夜は、いつも独りで静かに過ごしたい。更けゆく夜の中で、「さやかに星はきらめき」の讃美歌を聴き、しみじみと自分の小ささを感じたい。今夜もそうして過ごすだろう。「It’s Christmas Eve」なのだ。

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