2009年12月4日金曜日

北原亞以子『風よ聞け 雲の巻』(1)

 天気が一転して、よく晴れた空が広がっている。だが、明日からはまた天気が崩れるという。早朝から起き出して洗濯をしたりした。先日、「あざみ野」の「大正堂」という家具屋さんで注文していたテーブル式のコタツが届くというので、これまで使っていた大きな座卓を処分するために、座卓の上においていた碁盤やらノートパソコンやら、本やらを片づけた。少し気分が変わるだろう。

 また、たいていは夕方から夜にかけて買い物を兼ねて散策に出たりしていたが、友人の勧めもあって陽の光を浴びるようにして出かけることにした。今日は晴れているのでちょうどよい。
 
 昨夜から北原亞以子『風よ聞け 雲の巻』(1996年 講談社文庫)を読んでいる。

 相変わらず、「瀬戸物のこわれる音がした。くぐり戸のあたりからだった」(7ページ)という書き出しが素晴らしい。物語を構成している作者の視点が一気にわかるような、そして、その後の展開を予測させるような意味の深い、また、無理のない書き出しである。

 この作品は、幕末に幕府側の遊撃隊の隊長をして散って行った伊庭八郎(1844-1869年)を描いた作品で、彼を巡る三人の女性の姿を通して、彼を描き出したもので、物語は、慶応4年(1868年)の「大政奉還」後の「鳥羽伏見の戦い」の後から始まり、伊庭八郎が暮らしていた江戸の下谷和泉通りにあった「伊庭道場」の向かいに住む貧乏御徒士の娘の姿を描き出すところから始まっていく。彼女と彼女の家族の姿を通して、明治維新の大変動に振り回されていく人々の姿を克明に描き出すのである。

 彼女の兄は御徒士として遊撃隊に加わり、薩長に対して徹底抗戦をしようとし、父は、田舎に土地を借りて移り住もうと考え、家族がばらばらになっていく。このくだりは、政治と社会状況に翻弄されなければならない姿を描くことで、人間の姿を浮かび上がらせる文学の力が見事に見られる。そういう中で、親の決めた許嫁がいる娘は、幼い頃から自分をかわいがってくれていた伊庭八郎に思いを寄せていく姿が描かれるのである。

 彼女は、許嫁との結婚が迫って行く時に、自分が抱いていた伊庭八郎への思いをはっきりと自覚して、一時帰宅した伊庭八郎に会いに行く。その心理描写が次のような光景で描かれている。

 「茶をいれてくれるというつもりか、八郎(伊庭八郎)はもっていた湯呑を差し上げて見せて、千遠(彼を慕う娘)に背を向けた。
 『兄様・・・・』
 声をふりしぼった筈だった。が、唇の外へ出てきたそれは、痰がからんだようにかすれていた。
 『私は、八郎兄様を待っていてもようございますか』
 長火鉢に向かっていた八郎の足がとまった。
 返事が聞こえるまでに、少し間があった。そのわずかの間が、千遠にはきのとおくなるほど長い時間のように思えた」(53-54ページ)

 こういうくだりが、この娘の人柄と思いを切々と伝えるものになっている。情景の描写と、それに伴う句読点の使い方が素晴らしい。句読点一つで、行間の情景がにじみ出る。

 伊庭八郎の生き方を伝える言葉として、作者は次のように記す。

 「俺は、勝さん(勝海舟)ほど人間の出来がよくねえのよ」(52ページ)
 「なにもかも幕府側が正しかったとは言わねえが、俺は、俺達の持っていた刀や鉄砲の前に錦旗をつきつけて、これでお前達は朝嫡だ、科人だというようなやりくちにゃ我慢ならねえ。一寸の虫にも五分の魂だ、勝さんは今のうちだけ頭を下げているというが、どうしても『はい』とは言えねえのよ」(53ページ)
 「あいすみませんでしたと頭を下げれば、奥詰になったことも、道場や講武所で剣を磨いていたことも、すべて間違いであったと認めることになるのじゃねえか。俺は俺の名誉のために戦うとつい言っちまってね。徳川家の恩を忘れたのかと、袋叩きにあったよ」(53ページ)

 伊庭八郎は、自分でも勝てる見込みなどないとわかっていながら、箱根での薩長との戦いに加わって、左腕の肘から下を斬り落とされ、それでも、会津若松の戦いに参戦し、やがて函館の榎本武揚の戦いに加わり、函館で艦砲砲撃を受けて戦死している。

 彼は、いわば、人間としての「筋目」を通した人であり、作者は、そういう姿を上のような言葉で表しているのである。

 伊庭八郎を取り扱った文学作品として優れていると思えるのは、池波正太郎の『その男』や『幕末遊撃隊』があり、わたしは、以前、池波正太郎のそれらの作品を深い感動をもって読んだことがある。伊庭八郎は、幕末の人間たちの中でも、わたしが好きな人間のひとりなのだ。伊庭八郎は、報われることの少ない人生を歩んだ人だが、飄々として、「いい男」なのである。

 だから、北原亞以子が『風よ聞け』で彼を三人の女性の姿を通して描き出すことに、大きな喜びを感じながら、これを読んでいる。

 二人目の女性は吉原の妓楼の娼婦である。彼女は、伊庭八郎の「さわやかさ」と「思いやり」にとことんまいって、娼婦として生きなければならない中で、伊庭八郎を思い続ける人である。

 このことについては、また、明日書くことにする。それにしても、こういう人間を大勢殺して成立した近代日本とは、一体何だったのかと、改めて思ったりする。大久保利通などの功利的な人間が創った近代日本とは何だったのかと思ってしまう。日本を含む世界の19世紀からの歩みは、どこか間違って来ているのではないかと思えてならない。ひとりの小さな人間の幸せや生きることの喜びを踏みにじってはならないのだから。

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