2009年12月3日木曜日

佐藤雅美『啓順純情旅』(2)

 予報どおり雨になった。「しとしと」と降っている。雨の光景をぼんやりと窓から眺めるのは好きだが、ここは、窓を開けると車の騒音がやかましい。銀杏の落ち葉が貼りついて悲しみを誘う。

 昨日は晴れて比較的温かかったのだが、やはり、陽が落ちると急に冷えてきて師走の風が寒々と感じられた。昨夜、目いっぱいの一仕事を終えて、散策のついでに郵便局とクリーニング屋に寄り、夕食の支度にかかろうと思ったが、佐藤雅美『啓順純情旅』を読み終えていたので、パソコンを開いて昨日の続きを書くことにした。結局、夕食は10時過ぎになってしまった。

 伊勢で愛する女性の死の報に接した主人公の啓順は、伊勢で落ち着いたらどうかと誘われるのを断って、彼を庇護しようと言ってくれた竹居の安五郎のもとへ戻り、甲府で医者として開業することにした。比較的穏やかに三年が過ぎた。

 しかし、竹居の安五郎が伊豆の修善寺に保養に行くのについて修善寺から下田へと向かう。その道中で、竹居の安五郎と子分たちが、今や甲州一円の親分となったことに浮かれ、大名行列のまねごとをしてしまい、そのことで竹居の安五郎が代官所に捕縛され、ほうほうの態で甲府へと逃げ帰らなければならなくなった。その途中で、かつて岩淵で子どもの病気を治してやった母子を訪ねるが、母親はすでに死亡しており、幼い子どもだけが、啓順が迎えに来るといった約束を信じて待っていることが分かった。

 啓順は、その子を引き取って育てようとするが、江戸からの追手がその子どもを人質に取ったので、追手の手に落ちてしまう。しかし、追手の首領格の人間と、竹居の安五郎と津向の文吉の渡世人同士の出入り(大ゲンカ)の時に息が合うようになっていたので、話をつけて、追手を差し向けていた江戸の町火消しの親分と協力して戦おうということになる。

 こうして舞台は江戸に移る。啓順は岩淵の男の子を連れて、その子の今後を依頼するために絶縁されていた師である大八木長庵を訪ね、一方では、いよいよ彼を追っていた町火消しの親分との対決も始まっていく。そして、啓順は、知恵を働かせて、町火消しの親分と渡りあい、真相を納得させて、身を引かせる。かつて大八木長庵から依頼されていた医学書『医心方』も手に入れる。

 啓順は、ようやく江戸で落ち着き、医者としての看板も掲げられるようになり、彼を最初に罠にはめた旗本の娘と所帯をもつ。時は幕末で、彼の旅もそこで終わる。

 この物語全体は、医者でありながら渡世人であり、落ち着いたかと思ったらそこを出なければならなくなる不運を背負った主人公の変転を通して、「心やさしい」、そして筋の通った生き方をし、そのために苦労を重ねていく人間の姿を描いている。

 幕末近くの渡世人の姿も、またその頃の医学界の状況も綿密に盛り込まれているし、それぞれの物語の山場山場の構成も、また、それが伏線となって全体に流れていく展開も、まさに「うまい」としか言いようがないくらいに面白く構成されている。啓順という人物像もいい。啓順は、何度も修羅場をくくっているので、度胸も万点である。竹居の安五郎は、実際には、もっと欲の強い極悪な人間だったが、ここでは義理堅い人情家として描かれていたりする。3巻に及ぶ長編だが、読んでいて飽きがこない。

 長編の醍醐味は、その物語の展開にあるが、「飽きがこない」というのも重要な要素であるに違いない。これは2004年に出されているの、作者の佐藤雅美の63歳の作品であり、老成した、じっくりとした筆の運びを感じさせるものである。

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