2009年12月9日水曜日

諸田玲子『其の一日』(1)

 予報どおり天気が崩れて、灰色の冬空が広がっている。早朝には、少し雨もあったかもしれない。配達されていた新聞が丁寧にビニールでくるまれていたから。昨日は、先日書きあげた「大江健三郎論」の校正刷りが届いていたので、それを読み返したりしていた。急いで書いたので荒削りなものになってしまったが、もう一度書き直す時も与えられるだろう。 

 そして、昨夜は、先日購入したコタツに足を入れて、九州から送られてきた「富有柿」を剥いて食べながら、諸田玲子『其の一日』(2002年 講談社)を読んでいた。

 人には、自分の人生が決定的に変わってしまうような経験をしなければならない「一日」というのがある。もちろん、その渦中にいる時は「それ」とは分からないのだが、後から顧みてみると「あの時の、あの出来事が人生を変えた」と思われるような出来事がある。それは、歴史を変えてしなうような大きな出来事ではなかったかもしれないが、ささやかではあるが自分の人生が変わってしまったと思える出来事を、人は経験しながら生きている。出会いや別れは、その最たるものかもしれない。また、これまで自分が築き上げてきたものが一気に崩れおちて、すべてを失ってしまうようなこともある。

 そう言えば、1945年8月14日の正午から15日の正午までの、日本が敗戦を受け入れて天皇の玉音放送が行われるまでを描いた半藤一利編『日本のいちばん長い日』(文藝春秋社)というのがあり、岡本喜八の監督で映画化されたものもあった。それは、近代日本にとっての「決定的な一日」であった。

 諸田玲子の、この作品は、「立つ鳥」、「蛙(かわず)」、「小の虫」、「釜中(ふちゅう)の魚(うお)」の、それぞれ独立した4話からなり、それぞれの人間の「一番長い日」となった決定的な出来事を描き出したものである。

 「立つ鳥」は、江戸初期の元禄文化華やかなりし頃の勘定奉行であった荻原重秀(1658-1713年)が新井白石らの弾劾を受けて罷免された1711年9月11日(日付は本文では記されていない・・・こういうことは誰にでも起こりうることだろうから)の出来事を中心にして、その日を迎える彼の心情を描いたものである。

 荻原重秀は、賄賂をとり私腹を肥やした悪奉行として名高いが、佐渡金山を復興させたり、貨幣経済の発達によって陥っていたデフレ政策のために貨幣の鋳造改革をおこなったりした。しかし、彼が改鋳させた貨幣は、金銀の含有量が少なく、そのため悪貨として、インフレーションを引き起こし、江戸庶民を苦しめたと言われている。そして、新井白石の数度に渡る弾劾を受けて、ついに、罷免されるのである。新井白石が、『折たく柴の記』などで「荻原は26万両の賄賂を受けていた」などと根拠のない悪宣伝を繰り返したために、一方的な悪評が定着した人である。

 諸田玲子は、この荻原重秀が、貧しい勘定下役の次男として生まれ、勉学に励み、ひたすら立身出世を求めてきて、努力に努力を重ねて、勘定奉行という地位と贅沢な暮しを手に入れてきた人間であると記し、その彼が落ちぶれる時には、今まですり寄って来ていた妾や家臣や商人たちが、手のひらを返したようにして去っていく姿を描き、それを諦念をもって見る荻原重秀の姿を描き出す。

 彼はその最後の日に、これまでの自分の人生を思い返して、かつて自分が出世のために捨てた女性の安否を訪ねて行ったり、どんな時でも彼に忠実だった下僕の将来に配慮したりしていく。そして、そういう中で、今まではあまり顧みることがなかった彼の妻だけが、どこまでも彼と共にあろうとすることを知っていくのである。

 彼は保身に走ることを止める。「そうやってあれこれ策を弄すること、それがおかしい。事あるたびに権政者に泣きついて保身を計る、幕吏という存在そのものがおかしい。これまでそのことに何の疑問も感じなかったばかりか、どっぷり浸かっていた自分がおかしい」(39ページ)と思う。そして、すべてを失うことによって、さばさばとした気持ちで、罷免の宣告を受けるために登城するのである。

 わたしは、以前、自分が「使い捨てカイロ」のようなものだと、自戒したことがある。役に立つ時は重宝されるが、中の化学変化が終了して冷たくなり、役に立たなくなると、「燃えるゴミ」か「燃えないゴミ」か、わからないようにして捨てられる。能力に寄ってきた人は、能力を失うと去る。それは、真に見事としか言いようがないくらいで、「手のひらを返す」とは言い得て妙である。

 諸田玲子は、この作品で、そういう事態に陥った人間の姿をよく表わしている。旧約聖書のヨブのように「人は裸で生まれたから、裸で土に帰る」とは、なかなかいかないものである。喪失の経験はつらいものである。もちろん今は、拘泥するものがあまりないので、淋しく思う以外に何の執着もないが。

 それにしても、その最後の日に、どこまでも自分を支えようとしてくれている妻と下僕のひとりを見出せたことは、荻原重秀の救いであり、諸田玲子は、それを描ききっている。だから、悪名高い荻原重秀が、すべてを失ったが自分の本当の救いを見出した「幸いな人」に映る。人は、失うことによって真実を見出せたなら、それで十分なのだから。ただ、実際の荻原重秀は、罷免後、55歳で、断食して自害したと伝えられている。

 第二話「蛙」は、心優しい夫のもとに嫁いで、男子二人、女子一人をもうけて幸せに暮らしていたと思っていた女性が、「その日」、夫がなじみの吉原の遊女を斬り殺し、自らも割腹して心中したという出来事が起こり、実は、夫の養母と夫が互いに思いを寄せあって、しかし、それをお互いに胸に秘めて歳月を過ごして来ていたことを知る、という話である。

 こういう類の話は、家計の維持のために「家」の存続を第一義に計ってきた武家社会では養子をとるのが普通であって、起こりうることではあるが、少なくともわたしにはその心情が分からないので、主人公の嫁と姑の関係を描いた場面が、ついにわからないままに読み終えるしかなかった。どうにもこういう愛憎劇は苦手である。愛憎劇よりも、昨日、お歳暮に「ハムの詰め合わせ」をいただいたので、明日はハムステーキでも作って食べようか、と思うぐらいが、わたしにはちょうどいい。

 第二話の後半の部分はベッドの中で読んでいたので、昨夜はそこまで読んで眠ってしまった。

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