天気が目まぐるしく変わりながら、秋が進んでいく。時が、しなければならないことを山積みしたまま過ぎていくが、今しばし秋を楽しもうかと思っている。
比較的長く、葉室麟『散り椿』(2012年 角川書店)について記してきているが、家老の石田玄蕃は、榊原采女が瓜生新兵衛の妻であった「篠」と密会をしていたという噂を流させ、新兵衛によって采女を殺させようと企む。その噂を流すために采女の母親を利用する。采女の母親はまんまとその計略に乗り噂を広めていく。「篠」が采女に想いを残していたと思っていた新兵衛は、その噂で傷ついていく。新兵衛のような人間でも噂に傷つくのであるが、事態は切迫し、いよいよ扇野藩の藩主である親家が継子である政家を伴って国入りしてきたのである。
国入りした病身の藩主親家は、国入りしても床に伏したままで、もっぱら世子の政家がさっそく新しい活動を開始する。政家は懸案だった水路造りをする予定の村々に視察に出かけようとする。だが、そこには後継者争いを起こそうとしている石田玄蕃の手の者によって視察の途中で暗殺される危険があったのである。
そこで坂下藤吾と瓜生新兵衛が政家の身を守るための囮として使われることになる。瓜生新兵衛はそれを承知の上で、政家の暗殺を阻止するために藤吾と共に出かけていく。案の定、二人は石田玄蕃の手の者に襲われ、かろうじてこれを撃退するが、政家は鉄砲で撃たれる。
しかし実は、撃たれたのは政家ではなく身代わりとなっていた篠原三右衛門だった。三右衛門は政家が命を狙われていることを知って、自ら身代わりを申し出ていたのである。撃たれた三右衛門はこと切れる寸前に、榊原采女の父親を斬ったのが自分であることを告白する。抜刀して切りつけてきた父親の刀をかわすはずみで、采女は父親の小手を斬るが、逆上した父親が采女を殺そうとした瞬間に三右衛門が飛び込んで首筋を斬ってしまったと語るのである。そして、自分が「蜻蛉組」の組頭であったことも告白する。藩主に政家の命を守るように命じられたからであり、采女の父親を斬ったのも「蜻蛉組」の仕事であったと語り、藤吾を「蜻蛉組」に入れたのは、藤吾を守るためだったと言う。彼は「蜻蛉組」の組頭となってから采女を陰ながら助けてきたので、石田玄蕃に憎まれ、玄蕃は「蜻蛉組」を潰そうとするだろうと語り、藤吾に娘の「美鈴」を頼む、と言い残して息を引き取る。
政家の身代わりとなった篠原三右衛門が襲われた頃、榊原采女は政家を伴って紙問屋の田中屋を訪れ、これまでの金の流れを断ち切り、水路造りの事業のために金を用いる話をつける。政家はそのために江戸で行部家成の息子である旗本とも話をつけたと語る。そして、政家は、田中屋の承諾を得られた後で、一息ついて茶を口にする。ところが石田玄蕃の手は田中屋の中にも伸びていて、その茶の中に毒が入れてあり、采女はそれを見過ごしてしまった。服毒した政家は重体に陥り、采女に自宅謹慎の処分が下る。
采女は、父親と争った夜、篠原三右衛門から、三右衛門が「蜻蛉組」であり、采女の父親が行部家成と石田玄蕃に利用されたことを語り、その二人を倒すことを目的としてきた。だが、最後の土壇場で、石田玄蕃は藩主の継子である政家の毒殺という手段に出て、事態は逆転してしまった。
石田玄蕃は、坂下藤吾の父親の源之進が自害したのが、使途不明金の罪を咎められるためでなく、采女の父親が殺された時にいたのが采女であることを知っていて、その秘密を守るために自害したと思っている。そして、篠原三右衛門を政家の身代わりに立てたのは、采女が自分の秘密を守るために死なせるためだったと邪推する。玄蕃は采女が父親を殺したと思い込んでおり、重職たちに榊原采女が恐ろしい男であることを告げて、藩主に、行部家成の孫を養子とし、「蜻蛉組」を解散するよう進言する。政家は既に石田玄蕃の手の中に置かれていた。こうして全ては石田玄蕃の思うままになったのである。
「蜻蛉組」が解散させられれば、組頭であった篠原家もただでは済まない。事実、三右衛門の葬儀も出せず、罪人のよう扱われていた。だが、藤吾は「美鈴」に何があろうとも必ず守ると約束する。それは、石田玄蕃の手の中にある藩全体を敵にまわすことでもあった。
その五日後、石田玄蕃が榊原采女を直接訪ねてくるということが起こる。玄蕃は、采女が父親を殺し、坂下源之進がその秘密を守るために自害したことを告げ、万座の中で玄蕃に詫びを入れよと語る。そうしなければ、世子の警護に手抜かりがあった咎で切腹を命じると告げるのである。
翌日、新兵衛が榊原采女を訪ねる。妻の「篠」との約束を果たすため椿を見に来たと言う。だが、「篠」が死の間際に望んだもう一つは、采女を助けることだったと語る。「わしは、篠に一日としていい目を見させてやることができなかった。篠は、辛く苦しい思いの中で生き、この世を去った。だから篠の頼みなら、おのれにとってどんなに苦しいことであろうとも聞こうと心に決めたのだ」「願いを果たしたら褒めてくれるか、と訊いたら篠は褒めると言ってくれたぞ。お主には事を成し遂げた時、褒めてくれる人はおるまい」(289-290ページ)と、胸の内を采女に語るのである。
そして、采女に向かって刀を抜き、彼と斬り合うことによって、采女が父親を殺したのではないことと、篠原三右衛門が最後に告白したことを伝えるのである。采女は三右衛門が「蜻蛉組」であったから世子の身代わりとなり、自分もまた「蜻蛉組」の一人であることを新兵衛に告白する。だが、それも、無に帰してしまった。すべては石田玄蕃の思うままになったのである。
それを聞いて、新兵衛は「お主はおのれを殺して生きようとする。それが他の者の生きる道を閉ざしてしまうこともあるのだ」と語り、自分の妻の「篠」もまた、どんな邪魔があろうとも「お主がしっかりと受けとめることができていたならば、篠は別の行き方ができたはずだ。わしと夫婦になったばかりに、寂しく世を去らねばならなかったではないか」と言う(294ページ)。
だが、采女は「篠」の想いは違うと言い出し、篠が最後によこした手紙に書かれてあった和歌「くもりの日影としなれる我なれば 日にこそ見えね身をばはなれず」を持ち出してきて、これは采女への想いを綴ったのではなく、自分は決して新兵衛の側を離れることはないから、采女の気持ちは受け入れられないという意味であることに気づいたことを伝えるのである。「篠」の心は、あの頃すでに新兵衛に寄り添っていたのであり、「篠」は新兵衛を死なせたくないばかりに、采女のことを話して彼が郷里で生きるように願ったのだと告げるのである。
ここで初めて「面影」と題する章で「篠」の真実の思いが述べられていく。
「篠」は、「暮らしが貧しくても新兵衛とともに過ごしていく日々の清々しさは何物にも代え難いと思っていた。それだけに新兵衛がこのまま朽ちるのではないかと案じられた」(299ページ)。新兵衛の友の榊原采女は順調に出世しつつあると伝え聞く。新兵衛をこのまま朽ちさせてはならないと思う。
確かに、若い頃は采女に対してほのかな想いを抱いたこともあった。だが、采女との縁談が持ち上がり、それが破談になり、すぐに新兵衛との縁組が決められ、「篠」は戸惑った。新兵衛は、朴訥で愚直であったが、それだけに細やかな心使いをする優しさがあり、新兵衛との縁組の話が持ち上がった時に、新兵衛が坂下家を訪ね、「決して無理に話を進められませんように」と「篠」の父親に申し入れたことがあった。その時、「篠」の父親が「娘がお気に召さないのだろうか」と尋ね、漢詩の素養があまりない新兵衛は大声で『詩経』の一節を吟じたのである。それは「篠」を「君子の好逑(こうきゅう)・・よい連れ合い」と歌ったものだった。そして、「篠」は新兵衛の人柄に惚れきっている自分に気がついたのである。彼女は、新兵衛に影のように添って生きる決心をし、新兵衛が国を追われた時も、彼についていったのである。彼女は、生活が苦しくても新兵衛と心がふれあって過ごしていけるだけで満ち足りていたのである。
だが、自分の寿命が尽きることが迫った時、新兵衛は無欲な上に自分とともに生きることを心の支えにしているように見受けられ、自分が死んだら、生きる張りを失って死を選ぶかもしれないと恐れ、新兵衛を死なせたくないと願った。新兵衛に生きて欲しい、生きて、生きて、生き抜いて欲しい。ただそれだけのために「願い事」を語ったのである。
采女は「新兵衛、散る椿はな、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるのだ。篠殿が、お主に椿の花を見て欲しいと願ったのは、花の傍らで再び会えると信じたゆえだろう」と新兵衛に語る(307ページ)。新兵衛と采女は「篠」の真実の想いに深く心を至らせるのである。
そうしているところに、篠原三右衛門の遺族に討手が差し向けられるという知らせが藤吾のところに「蜻蛉組」の小頭から伝えられ、藤吾は「美鈴」を助けるために篠原家に向かったという知らせを藤吾の母の美里が伝えに来る。
知らせを受けたとき、藤吾は、「父上亡き後、わたしはひたすら出世を望んで参りました。何としても家禄をもとに戻し、重職の座に連なるほど立身するのが、父上の無念を晴らすことになる、と思ってきたのです。されど・・・今は違います。あの瓜生新兵衛殿のような、馬鹿げた生き方は決してするまい、と胸に誓っていました。しかし、このように美鈴殿に危難が迫っていると聞くと、じっとしていることはできません。・・・石田ご家老の討手を妨げれば、わが家は取りつぶされ、藩にもいられなくなりましょう。癪にさわりますが、新兵衛殿と同じ道を歩むことになるのです。・・・しかし、それでもわたしは、たいせつなひとを守り通したいのです。母上、申し訳ございません」(308-309ページ)と語って、太刀を取って行ったという。
新兵衛は藤吾の後を追い、采女は石田玄蕃の要請に応じて登城する。篠原家に藤吾が駆けつけたとき、討手が迫り、藤吾は「美鈴」をかばって奮闘するが脚を斬られてしまう。藩の剣術指南役まで討手に加わっていた。水路造りを進めていた庄屋を殺した上役もいた。藤吾は、逃げろという「美鈴」に、「わたしは、あなたをお守りすると心に誓ったのです。自分の心を裏切るわけには参りません」と言い、懸命に奮闘する。だが、討手に斬られようとする。そのとき、新兵衛がつむじ風のように飛び込んで討手を退ける。新兵衛は藤吾に「藤吾、大丈夫か。よう、がんばった。どうやら武士らしゅうなったではないか」と声をかける。すると藤吾は「わたしは、別に武士らしくなりたいと思ってはおりません。まして瓜生殿のようになるのだけは、ご免こうむりたい」と答える。
「そうか、だが、お主のやっておることは、わしがしたことと同じようなものだ」
「それゆえ、一生の不覚だと思っております」
破顔して新兵衛は言った。
「しかし、わしにお主のような息子がいたなら誇りに思うぞ」(319-320ページ)
ここにあるのは、お互いを認め合った信頼である。そういう姿をこういうふうに描き出すことができるところに作者の力がある。
他方、榊原家に残り、采女の母親の人として悲しい姿に触れながら、ふと庭の椿に目をやった里美は、そこに「篠」が立っている幻を見たような気になり、新兵衛と「篠」のことを思い出す。新兵衛は、非番の日になると釣りに行っては、釣果があると坂下家を訪ねてきた。朴訥な新兵衛は気づかなかったが、「篠」は新兵衛が訪ねる頃を見計らって庭に出ていた。新兵衛は時候の挨拶をするだけだが、「篠」は嬉しそうに微笑んで新兵衛を見つめていた。そして、今もなお、「篠」は椿の傍らで新兵衛が来るのを待っているのだと思った。「たとえ、この世を去ろうとも、人の想いはこれほど深く生き続けるものなのか」(326ページ)と、里美は思う。
登城した榊原采女に、行部家成の孫が世子の政家の養子となり、毒を盛られた政家の後を継ぐことが告げられ、衆目の前で石田玄蕃に詫びを入れることが命じられる。采女は、かつて新兵衛が不正に立ち向かった時に自分も立つべきだったと語る。それができなかったばかりに、いたずらに藩に混乱を招いたことを詫びると語る。玄蕃は采女に命乞いをするように迫る。
だが、その時、榊原采女は脇差を抜いて石田玄蕃に斬りつける。そして、それは藩主の意にかなった上意であると明言する。なぜなら、藩主以外の者が「蜻蛉組」の解散を命じた場合、それは「蜻蛉組」に対して命じた者を討てという上意が藩主から下ったことを意味するからである。だが、采女も取り囲まれた藩士たちから一斉に斬られ、その場でこと切れてしまうのである。「蜻蛉組」のこうした仕掛けは、どんでん返しとしてうならせるものがある。
そこに、毒を盛られたが回復し始めた世子の政家が登場するが、采女の死には間に合わなかったものの、石田玄蕃を討ったことが上意であることを明言する。采女はわざと石田玄蕃に止めを刺さなかったので、石田玄蕃は一命を取り留めるが、御役御免の処置がくだされる。藩主の親家は石田玄蕃に「蜻蛉組」の解散を命じさせ、それによって上意討ちを仕向けたのである。そのことを知る者は「蜻蛉組」の小頭以上の者であり、唯一石田玄蕃を討つことができた采女がその役を負ったのである。
だが、すべてを画策した行部家成は健在だった。この禍根を断たない限り、再び藩内に争いが起こる。榊原采女の死も無駄になる。坂下藤吾は「蜻蛉組」によって行部家成に断固たる処置を取るよう進言し、その役を瓜生新兵衛が負うのである。瓜生新兵衛は、坂下源之進、篠原三右衛門、榊原采女といった非業の死を遂げなければならなかった友のために立ち上がり、行部家成に、二度とこのようなことはしないと誓わせるのである。
やがて、政家が回復し、藩主の家督を継ぎ、篠原家は嫡男が家督を継いで、坂下家は元の百八十石に戻され、藤吾は「美鈴」と夫婦になった。そして、藤吾と「美鈴」は榊原家の夫婦養子となり、榊原家四百五十石を継ぎ、坂下家はその子が受け継ぐことになるとの処置が下され、里美と新兵衛も榊原家に移り、元の椿の家に住むことになるのである。
平穏な時が流れ、瓜生新兵衛にも剣術指南役が申し出され、里美と共に瓜生家を再興する機会が与えられ、里美もまた新兵衛をしたっていることを告げるが、新兵衛は里美が「篠」に似ており、自分もまた里見への想いを持つがゆえに、扇野藩を出ていくのである。
「また椿の花を見たいという思いにはなられませぬか」
里美が懸命に言うと、新兵衛は歩みを止め、
「いずれ、そのような日が来るやもしれぬな」
と背を向けたままつぶやいた。
「この屋敷でその日が来るのをお待ちいたしております」
新兵衛は何も答えず、裏木戸から出ていった。里美は後を追えず、袖で顔をおおって立ち尽くした。しばらく後、はっとした里美が裏木戸から出て新兵衛の姿を捜すが、どこにも人影は見当たらない。
秋の日に照らされた、目に鮮やかな紅葉が、道に影を落とすばかりであった。(355ページ)
で、本書は閉じられる。結末の余韻が強く残る閉じ方で、この本を閉じて、しばらく瞑目していた。小説が与えてくれる感動が、この静かな結末にある。
葉室麟は、朴訥で不器用であるが真っ直ぐに生きようとする人間を描き続けている。わたしはその姿勢に喝采したい。魂に生きる人間の姿がここにある。読んでよかった。つくづくそう思う。