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2013年4月12日金曜日

宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(3)


 なかなか暖かくならない日々が続いているが、そのせいか少し体調を壊しがちになっている。まあ、それでも向こう2週間分の仕事を今日のうちに片づけておこうとは思っている。

 さて、『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2010年 文藝春秋社)の第四話「春に候」は、龍之進の揺れる心を中心に物語が展開される。

 龍之進が通った手習所の師匠の息子である笠戸松太郎は、龍之進と同じ歳の友人だった。松太郎は頭の良い男で、やがて湯島学問所に入り、学問吟味も首席で合格し、ある大名家のお抱え儒者として、藩主や藩士に講義をする毎日を過ごしていたが、労咳(結核)を患い、実家に戻ってきていた。その藩の用人の娘を妻に迎える予定だったが、回復の見込みはないという。

 龍之進は松太郎を見舞いに行く。松太郎は、自分と婚約した娘が、いつも仏頂面をしているために縁談がなかった娘で、自分が死ねば娘がどうなるか気がかりだという。娘は何度も見舞いに来たが、松太郎の母親が会わせずに追い返した。なんとかその娘に会いたいと龍之進に訴えるのである。

 一方、茜は、道場主に新年の挨拶が遅れたとからかわれたことに腹をてて、「所詮、肝っ玉の小さい男なのだ。あれで道場主だというのだから笑ってしまう。ああ、気がくさくさして敵わぬ」と言いながら歩いているとき、伊三次の息子の伊与太と出会う。伊与太は正月休みで絵師の弟子入り先から帰ってきていたのである。伊与太は、なかなか一人前の絵師になれないことで悩んでいたし、自分の中途半端さで悩んでいた。それは、茜も同じだった。伊与太も茜も幼い頃からお互いをよく知っていた。

 そのとき、伊与太は不審な人物がいるのに気がついて、その似顔絵をさっと描いて、それを伊三次か龍之進に届けて欲しいと茜に渡す。伊与太は実家に帰って、母親のお文のありがたみがよくわかっているが、それをうまく言い表せないもどかしさも感じていたし、これからの行く末もなかなか見いだせないままに絵師のところに戻っていく。

 他方、龍之進は、昨年の秋から起こっている寺での盗難事件の探索に精を出しながらも、友人の松太郎の婚約者の娘と松太郎が会うことができるようにしていく。娘は、松太郎が病を得て婚約が破棄されたが、自分は納得がいかないと語る。龍之進はその娘に松太郎ときちんと話をつけて別れを言うように頼む。

 だが、娘が帰ったあと、松太郎は、娘がこれから誰のところにも嫁ぐ気はないと言ったと語り、自分が死んだ後に、その娘を嫁にもらってくれないかと龍之進に言い出すのである。「おぬしがうんと言ってくれたら、それがしは、もはやこの世に思い残すことはないだ」(210ページ)と言う。龍之進は、松太郎の病状を慮って、「しかと覚えておく」と返事をしてしまう。

 伊三次は寺の寺男から怪しげな人物がうろついているので力になって欲しいと相談され、一連の寺での強盗事件の関連から、友之進や龍之進らの同心と共に、狙われている寺を見張り、強盗団を一網打尽に捕縛する。その中には、伊与太が茜に渡した似顔絵の男も含まれていた。茜は、その似顔絵を龍之進には渡さずにいた。男の顔が誰であれ、それを描いたのが伊与太で、それを自分に宛てられた手紙として保存していたのである。茜は、普段はぶっきらぼうに男勝りの振る舞いをするが、そういう細やかなところもある娘だった。

 龍之進は松太郎から頼むと言われたことがひどく気になっていた。松太郎は少し落ち着いたようだし、許嫁だった娘も見舞いに通っている。だが、彼はその娘のことがひどく気になりだしていたのだった。

 第五話「てけてけ」は、龍之進の母親の「いなみ」の下で教育を受けていた「おゆう」も店の手代と祝言を挙げるという話から始まる。「いなみ」は龍之進の嫁のことを心配しているし、龍之進も三十近くにもなった男が独り身であるのは世間体が悪いということを気にしている。そんな中で、同心見習いの中で何かと問題を起こしている笹岡小平太という十三歳の少年を預かって面倒見てくれと頼まれる。龍之進が面倒を見なければ、小平太は奉行所の役人にふさわしくないということなって、見習いの取り消しになるかもしれないと言われてしまう。小平太の父の笹岡清十郎は五十五歳であり、しかも小平太は養子で、笹岡家が不幸になるのは目に見えているから、龍之進は小平太の家の事情を調べることを引き受けるようになる。小平太の実父は鳶職で、三年前の火事で屋根の下敷きになって死んでいた。

 龍之進は小平太の家に赴き、そこで、しっかりものだが天真爛漫な姉の「徳江」に会う。小平太が養子にもらわれる時に、姉と離れるのは嫌だと言うので、姉弟共々に笹岡家に引き取られたのだという。小平太の父親が死んでから、母親も女房持ちの男と駆け落ちし、姉弟は親戚中をたらい回しにされ、ようやく笹岡家に落ち着いたのだと「徳江」は言い、だから「どうぞ、小平太を放り出さないでくれ」と龍之進に頼む。「徳江」は十六歳になる娘で、龍之進はどこかで「徳江」の眼を見たような気がする。彼はこのまましばらく小平太の様子を見ることにしましょう、と言う。そこへ、小平太が剣術の稽古から戻り、姉の「徳江」のことを「てけてけ」と呼ぶ。「徳江」の元の名は「たけ」で、かけっこが得意で、みんなが「たけ、たけ」と呼ぶのを幼かった小平太が「てけてけ」と呼ぶようになり、それからずっと姉のことを「てけてけ」と呼んでいるのである。「てけ」は、また「てんけ(天気)」の転じた言葉で、呪文のように「てけてけ」と唱えるのは邪気祓いだそうである。龍之進はそれを教えられたりする。そして、小平太に、同じように町人から吟味方の同心になった友人の古川喜六の話をし、彼に、武士になる心構えを聞いてみよ、と勧める。

 そうしているうちに、労咳を患っていた友人の笠戸松太郎が死ぬ。松太郎が言い残したことが遂に現実のものとなってくるが、龍之進は迷い、茜に相談してみたりする。茜はきっぱりと「わたくしでしたら、亡くなった方とご縁のある人などはまっぴらです」と言い切るが、龍之進は迷い、かつては松太郎と幼馴染で初恋の相手であり、今は同僚の古川喜六の妻になっている芳江に相談する。芳江と松太郎は互いに魅かれながらも一緒になることができず、芳江に喜六との縁談が持ち上がると、芳江は松太郎と分かれて喜六と祝言を挙げ、今は三人の子の母となり倖せに暮らしている。喜六は芳江と松太郎のこともよく知っており、松太郎を慕っていた頃の芳江を否定するつもりもないし、二人で松太郎の弔問に訪れていた。芳江と喜六は仲の良い夫婦である。芳江は、龍之進の話を聞いて、自分も茜と同じように反対だと言う。そして、相手の女性に会って、その気持ちを聞いてみると言い、龍之進はその話を芳江に任せることにする。

 その帰り道、日本橋近辺で小火でもあったのか、龍之進は火事を知らせる半鐘の音を聞く。その側を小平太が走り抜け、それを徳江が追っている姿が目に飛び込んでくる。小平太は火事場での町火消の段取りの悪さに業を煮やして、何かを言い、それが燗に障った徳江から叱られていた。その兄弟喧嘩を見ていて、龍之進は少し鬱屈した気分が晴れるようで、「小平太も徳江さんが傍にいれば曲がることもないだろう」と言う。龍之進は、徳江の笑顔を見ていると心が温かくなるようなものを感じていくのだった。

 第六話「我らが胸の鼓動」は、「おゆう」の婚儀に「いなみ」が呼ばれるところから始まる。「いなみ」は「おゆう」を龍之進の妻にしたいと望んだが、「おゆう」の婚儀は豪商の大和屋らしく、贅を尽くしたものであり、その暮らしぶりは同心の暮らしとは比べ物にならないもので、「おゆう」は龍之進に想いを持っていたが、そのこともよく知っていて、大和屋のあと取り娘としての婚儀を選択したのである。「いなみ」にはそのことがよくわかった。「いなみ」は大和屋に「おゆう」の結婚の祝いの品を届けた帰り道、龍之進を待っている一人の娘を見つけ、誰だろうと思う。龍之進がそこへやってきて、娘はいかにも嬉しそうに龍之進に話しかけている。「いなみ」はなぜかその娘のことがひどく気になった。

 龍之進は、古川喜六から松太郎の婚約者だった娘が龍之進との結婚をきっぱりと断り、藩の家臣と結婚するという話を聞き、若干の意気消沈を覚える。

 他方、伊三次は、伊三次の家の女中をしている「おふさ」が、どうも不破家の中間の松助に気があるらしく、二人がうまくいくように取り計らってくれないかということを「いなみ」に頼みに来る。「いなみ」もまた、昨日見かけた徳江という天真爛漫な娘のことが気になっていると伊三次に告げて、伊三次はその娘の素性を調べてみるということになる。

 そのころ、八丁堀の町医者が瀬戸物屋の番頭に首を斬られるという事件が起こった。もともとその町医者と番頭は親しくつきあっており、その夜も将棋を指したりして変わった様子はなかったのに、突然の凶行が行われてしまったのである。書状が残されており、番頭が町医者に頼まれて店の金を用立てて、町医者がそれをなかなか返してくれないために、無理心中を図ったことがしたためられていた。龍之進はその事件の取り調べ中に、野次馬の中に徳江を見かけるが、その時、徳江の義母が徳江を「この、恥晒し」とひどく叱って、頬に平手打ちをする場面を見る。徳江は謝るが、義母は容赦しなかった。

 町医者の事件は心中を企てた番頭も三日後に死に、一件落着するのだが、徳江は行儀が悪いからと養家を追い出されていた。彼女は鳶職をしている伯父さんの家に追われていたのである。伯父さんの家は裏店で寝るところもなく、台所仕事や縫い物をしているが、そのうち女中奉公に出されるのではないかと、弟の小平太は言う。

 龍之進は徳江のことが気になり、様子を見に行く。徳江に最初に会った時に、以前どこかであったような、ひどく懐かしい気持ちがしていたのを思い起こす。徳江は龍之進が好きだったが、それも彼女が追い出された理由になっていた。

 行ってみると、徳江は裏店で洗濯をしていた。「小平太のこと、くれぐれもよろしくお願い致します。短い間でしたけど、不破様のお顔を朝晩見られて、あたしは・・・倖せでした」(303)と言う。そのとき、龍之進の中の何かがはじけて、「徳江さんは火消し人足に嫁入りしたいですか、それとも八丁堀の同心と一緒になりたいですか」と言う。年が離れているが、徳江を妻にすることを真剣に望んでいると言い出すのである。徳江はそれを聞くと鼻を啜って泣き、身の回りの品をまとめて、龍之進と共にその場から八丁堀へ向かうことにしたのである。龍之進は、心配するなという。徳江は、「不破様があたしの亭主になる人だと、最初からわかっていた」と言ったりする。家族の反応がどうなるかと案じながらも、二人は八丁堀への道を急ぐ。

 他方、伊三次がもちこんだ女中の「おふさ」と不破家の中間の松助との間もうまくいく。二人は小料理屋で初めて話をする。「いなみ」やお文の計らいがあったのである。不破家に龍之進が徳江を連れて行った夜である。不破家は大騒動で、徳江と同じ歳の妹の茜はその話を聞くと驚いて自分の部屋に入ってしまい、友之進はおたおたしていたが、「いなみ」はこうなることを予測していたようだったと、松助は料理屋で「おふさ」に話したりしていた。二人は自分のことをぼちぼち話し出し、やがて、曖昧宿へ行く。松助は「俺たちは時間がねえのよ」といい、「おふさ」は、松助が「俺たち」と言ってくれたことに安堵するのである。

 この物語はここで終わるが、不破家に当然のようにして入ってきた徳江が、おそらく、いくつかの問題を乗り越えながら生きていく姿や、茜と伊与太の成長、お吉の成長などがこのあとも展開されていくのだろう。何かを決断する前には当然悩みや不安が起こるし、決断すれば壁もできる。その壁から逃げ出す人間もいれば、何とかして壁を乗り越えようとする。だが、いつも大事なことは、自分の気持ちに真っ直ぐにあることだ。この作品の主人公たちは、そういう姿を示していくのである。

 『髪結い伊三次捕物余話』のシリーズも、本当に円熟味のある作品になってきたと、本書を読みながらつくづく思った。構成も展開も、文章も素晴らしいし、何より作品全体の独特の温かさがいい。宇江佐真理の作品は、どれもいい作品だと思っている。

2013年4月10日水曜日

宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2)


 「花冷え」というのがふさわしいような肌寒い日になっている。このところいくつかの事柄を含めた整理を始めているが、これがなかなか進まないし時間がかかる。まあ、ぼちぼちするしかないなあ。

 さて、宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2010年 文藝春秋社)の第二話「秋雨の余韻」は、二十七歳にもなってまだ嫁のきてがない龍之進の焦る心や彼の同僚の橋口譲之進の母親が亡くなる場面から始まる。彼らも、もうそろそろ親を亡くす歳になってきたのである。

 その龍之進が、急に降ってきた雨で雨宿りをした「千成屋」という酒屋の軒先で、不思議な娘と出会う。その娘「おゆう」は理由があって千成屋が預かっていた娘で、千成屋は龍之進の父親のことを知っていた。そして、龍之進は橋口譲之進の母親の仮通夜の帰り道に、同輩で例繰方同心をしている西尾左内からその事情を聞くことになる。

 「おゆう」は、日本橋の廻船問屋の大店である大和屋の娘で、縁談も決まって結納を交わすばかりになっていたが、突然、相手から家風に合わないと断られたという。大和屋の娘の「おゆう」は、あまりに物知らずで、数の勘定もできず、お内儀の器ではないと判断されたらしい。それで、大和屋では世間体をはばかって知り合いの千成屋に娘をあずげたいうのである。

 伊三次の妻のお文は、仕事の関係で大和屋も千成屋も知っており、その関係で「おゆう」に礼儀作法を教えてくれと頼まれていた。道でばったり彼女にあった龍之進は、そのお文から、自分よりも龍之進の母親の「いなみ」の方が「おゆう」の教育には適しているので、頼んでくれないかと相談される。通夜の夜に帰宅した龍之進は母親の「いなみ」にその話をする。

 そのとき、「いなみ」は、「似たような話があるのですよ」と言って、「縁談を断られた娘がいて、父親がそれを不服として相手方へ談判に行き、ついに刃傷沙汰を起こしてしまった」と話し始める(111ページ)。その挙句に、仰せつかっていた剣術指南役も下ろされ、父親は抗議の意味で自害し、その娘も父親の後を追って自害した、と語る。その自害した父親と娘は「いなみ」の父親と姉だった。こうして、「いなみ」の家は一家離散となり、「いなり」は吉原に身を沈めたのである。「いなみ」は言う。「わたくしはあなたのお父上に助けられました。そうでなければ、今頃は命を縮める生業のために、とっくにこの世にいなかったことでしょう」と言う(112ページ)。

 その話を聞いて、龍之進は、ぽろりと涙をこぼす。彼は、人の痛みがわかる人間になったのである。「いなみ」は、そう話し終えてから、「おゆう」にいろいろなことを教えると言う。こうして「おゆう」は不破家に礼儀作法を始めいろいろなことを学ぶために出入りするようになる。

 その夜、日本橋の裏店で火事が起こり、幼い子どもたちが焼け死ぬという悲惨な出来事が起こる。両親が、幼い子どもたちを家に残したまま気晴らしに二人で酒を飲みに出た間に出火しての出来事だった。

 こういう事件を物語の間に挟むのは、作者が現代の社会の中で起こっている子どもを犠牲にした事件を痛ましく思っているからだろうと思う。子どもは保護を必要とする存在であるだけにいつでも親の犠牲になりやすい。子どもと老人を大切にしない社会はろくでもない社会だという思いがわたしにもある。

 ともあれ、礼儀知らずと言われた「おゆう」は、「いなみ」のもとで様々なことを学び始めるが、「いなみ」は娘の茜の教育も兼ねて、「お吉」も誘っていろいろなことを無理なく自然に学べるように配慮していく。「いなみ」は「おゆう」が気に入って、龍之進の妻にならないかと願ったりするし、「いなみ」も龍之進に想いを抱き始める。だが、「おゆう」は、知識はなくても思いのほか賢く、自分が同心の妻には向かないこともしている。そのあたりは、また後に展開されていくが、第二話「秋雨の余韻」は、「いなみ」が「おゆう」の教育を引き受けるところで終わる。

 第三話「過去という名のみぞれ雪」は、「おゆう」が意外と和歌に堪能であることがわかるし、いろいろなことで自身をなくし始めていた茜の剣術稽古の姿を「お嬢さん、乙にすてきだ」と感嘆し、それぞれがそれぞれに「いなみ」の下で自分を認められていくという姿から始まっていく。いなみ、おゆう、茜、お吉が醸し出す空気は温かい。

 そんなおり、伊三次は自分が髪結いに使う鋏(はさみ)が刃こぼれして歪んでいることに気がついて、その修理のために刃物商である「阿波屋」を訪れる。阿波屋には看板娘の「お鉄」という娘があり、彼女が目をかけ、阿波屋が刃物師の弟子にしたいと思っている青物売りの若者が出入りしていた。しかし、その若者は入れ墨者で、たとえ入れ墨者でも阿波屋の家族がやり直す機会を与えることを伊三次は嬉しく思うと同時に、その若者に何かしら訝しいものを感じた。

 他方、臨時町廻りをしている不破友之進は、子どもを道連れに母子心中しようとした事件に関わっていく。母親はまだ24歳と若く、子どもの首を斬って自分も死のうとしたところを隣家のおかみさんに気づかれ、未遂に終わったのである。父親は、かつては幕府の役人だったが、上司の公金横領に連座させられて失職し、内職をしながらなんとか暮らしていたが、失踪していた。そして、最近では食べるものにも事欠いたようで、切羽詰って事に及んだというのである。息子が、もうお腹が空いたとは申しませぬゆえ、どうぞお許し下さいと泣き叫んでいる声を隣家のおかみさんが聞いたという。子どもの健気さに胸が詰まる思いがする。

 友之進は、このままだとまた母親が息子を道連れに心中を図るかもしれないと案じ、大家と町名主と相談して子どもの預かり先を捜す。母親は息子をどうするも私の勝手と言い張るが、友之進は母親と息子を一晩離し、善後策を検討する。だが、母親は子どもを置いてそのまま疾走してしまうのである。幸い、子どもは商人の家の養子先が見つかるが、世情はそんな親が増えているのである。これもまた、現代の社会の世情を反映したものである。

 そん中で、「いなみ」が教育している「おゆう」は、文字も上手に書けるようになっていくが、「いなみ」は「おゆう」が龍之進の嫁になってくれないかと心中ひそかに思っていくようになるし、娘の茜も「おゆう」の気持ちに気がついて、龍之進の嫁に勧めたりする。だが、「おゆう」は、龍之進のことを慕っているが、どんなに恋してもそれが成就しないことを明確に自覚していたのである。

 伊三次は、刃物商の阿波屋が弟子にしたいと思っている青物売りの若者に両国橋で出会う。彼は、昔は手がつけられないくらいの悪餓鬼で、木場の材木をかっぱらったって捕まえられたいうふうに自分の悪事を手柄話のようにして語る。罪を悔やんでいる様子はなく、都合の悪いことには口を閉ざすようなずる賢さを伊三次は彼に感じていく。そして、それから十日後、木場の材木盗難事件が起こる。かなり大規模な盗難事件で、伊三次はその事件のことを聞いたときに、その若者のことを思い出す。案の定、その若者も強盗団のひとりだった。阿波屋は、目をかけた若者がそんな人間だったことにがっかりしたし、伊三次は、その若者をうまく導いてやれなかったことを後悔したりする。

 みぞれのように、雨か雪かはっきりしないような中途半端はよくない。不破友之進は、そんな思いを抱きながら、みぞれが降る中を歩いていくのである。だが、そんな中途半端な状態に置かれているのが龍之進の嫁取り問題である。その顛末が以下の話で展開されていく。人はみな、中途半端にしか生きられないのも厳しい現実である。

2013年4月8日月曜日

宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(1)


 土・日曜日と春の嵐が荒れ狂ったが、今日は一転して穏やかな春の陽射しがさし、暖かく過ごしやすい日になっている。朝から窓を開け放ち、寝具を干して変えたり、掃除や洗濯をしたりしていた。現代社会は日常を保つだけでもかなりの能力と根気がいる、などと大げさなことを考えて、ふとおかしくなったりした。古いパソコンに保存しているファイルが、早く整理してくれと言っているような気もする。

それはともかく、週末にかけて、宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2010年 文藝春秋社)を、やはりこの人の作品はいいと、つくづく思いながら読んだ。『髪結い伊三次捕物余話』は長いシリーズになっていて、これは、その九作品目で、ますます、作者が醸し出す温かさや柔らかさが全体を包むようになって、円熟味が増しているように思う。

 このシリーズは、廻り髪結いをしながら奉行所同心の手先として働く伊三次と、気が強くてきっぷのよいしゃきしゃきの深川芸者であるお文の恋から始まり、障がいを乗り越えながら夫婦となり、今度はその子どもたちの成長物語となっていくが、彼を使う奉行所同心である不破友之進の家族や子どもたちの成長物語も描きつつ、青年期から家族を持つようになり、やがて世代がその子どもたちに移っていく姿も描く一大叙事詩ともなっている。そして、一話一話も味わい深い。

 本書の巻末に、これまでのこのシリーズの短い紹介があり、書名だけでも抜き出してみると、伊三次が奉行所同心の手先となる過程やお文との出会いとその恋を描いた第一作となる『幻の声』から始まり、美貌のお文に囲い者にならないかと申し出る商人の出現で人生と恋の狭間で悩むお文と伊三次のすれ違いを描いた『紫紺のつばめ』、お文に執着する商人が嫉妬に狂ってお文の家に火をつけるという顛末になる『さらば深川』、伊三次と夫婦になり仕事を辞めるが、伊三次の髪結いの弟子ができたり、近所との折り合いがわるくなったりしていく『さんだらぼっち』、二人の間にやっと子どもができるが、廻り髪結いだけの生活が苦しくて再び芸者としての働きに出るが、お腹の子が逆子とわかって心配する『黒く塗れ』、奉行所同心の不破友之進の息子の龍之進が元服して同心見習いとして出仕し始め、仲間たちとの交流を深めていくが難題を抱え続ける『君を乗せる舟』、幾分気弱な人間に育った伊三次とお文の息子の伊与太を親として案じる姿や伊与太の成長、見習い同心としての不破龍之進たちの活躍、龍之進の妹の茜のきかん気ぶりを描く『雨を見たか』、見習い同心から晴れて番方若同心になり、一人前になっていく不破龍之進の人間的な成長を描いた『我、言擧げず』となっている。それぞれが、それぞれの事件に絡めて展開されているのだが、何よりも作者の人間を見る目が温かいのがいい。

 そして、本書では、不破龍之進は父親と同じ定町廻り同心になっており、不破友之進は臨時廻り同心となり、伊三次の弟子も一人前である。伊三次の息子の伊与太は絵師に弟子入りしているし、娘の「お吉」も成長して九歳となり、賢い少女となっている。龍之進の妹の茜は、その性格通りに剣術の修行に明け暮れくれるはっきりと物を言う女性となり、兄の不破龍之進は二十七歳で、本書はその彼の嫁取りの話である。奉行所の仲間内で、なぜか彼だけがまだ妻帯していなかった。本人の焦りと周囲の思惑、そんなものが交差していくのである。

 第一話「今日を刻む時計」は、伊三次とお文の娘で、賢い少女になっている「お吉」の話から始まる。「お吉」は、父親や母親の状況をよくわかる子だが、母親のお文が芸者をしているために少し寂しい思いをしている。「お吉」の家にはお文が気に入っている女中の「おふさ」が台所仕事をしており、「お吉」は、その「おふさ」からもいろいろなことを学びながら育っている。

 「おふさ」は、葛飾村の農家の出身で、十六の時に同じ農家に嫁いだが、亭主に女がいて、その女が子を産んだために婚家を追い出されて、実家で畑仕事などを手伝っていたところを八丁堀で女中奉公をしないかと誘われて、その奉公先がお文の家だったのである。「おふさ」もお文に似て、はっきりと物を言う女性で、「お吉」が悪さをしたら本気で叱ったりもする。お文は、そこのところも気に入っているのである。この「おふさ」の恋の物語が後に展開される。

 「お吉」の成長ぶりが語られたあと、物語は不破龍之進の現況へと展開する。不破龍之進は、芸者のお文ができりしている芸妓屋に入り浸って、幾分ふしだらな生活をするようになっていた。二十七歳になっても、持ち上がる縁談がことごとく断られ、いくぶん自棄になっていたのである。縁談が断られる理由が、母親がかつて吉原の遊女をしていたからだという。

 お文はそれを聞いて、龍之進の頬を張り倒して、「情けなくって涙が出ますよ」(23ページ)と言い放つ。そして父親の友之進が妻を迎えたときの顛末を次のように啖呵を切って言う。

 「不破の旦那は男でござんすよ。奥様をずっとお慕いしていて、奥様が吉原にいると聞くと矢も楯もたまらず駆けつけたそうだ。若旦那のお祖父様も偉かった。何も言わず奥様の身請け料を工面なすったんだ。奥様は旦那とお舅お姑さんの恩に報いるために、一生懸命、同心の妻になろうと努められた。これまで、若旦那は奥様に僅かでも吉原の匂いを嗅いだことがありましたか?奥様は武家の娘の気質を失っていなかったんだ。わっちはとても奥様の真似なんてできない。それなのに、若旦那は奥様のせいで縁談を断られたと恨んでいるご様子。若旦那がこれほど了見の狭い男だとは思いませんでしたよ」(24ページ)。

 ここでのお文と龍之進のやりとりを読んでいると、しゃきしゃきのきっぱりした女性として、まるでお文が生きてそこでしゃべっているようなリアリティがある。しかし、龍之進はなかなか煮え切らないのである。

 他方、龍之進の妹の十五歳になる茜は、家事も裁縫もだめで、下男の三保蔵を連れて剣術の修行に明け暮れている。

 三保蔵は十年前から不破家で奉公をしている男で、元は盗人である。三保蔵は人足寄場に送られてこともあり、そこから戻った時に、この先真人間になるなら自分が面倒見ようと言って不破友之進が引き取ったのである。その時、三保蔵は四十も半ばになり、若い頃の酒の飲み過ぎで身体を壊しており、身寄りもなかったからである。

 ところが、体調が回復すると、盗人根性が頭をもたげ、不破家から金を盗んで逃げようとしたのである。そこを不破友之進の妻の「いなみ」に見つかってしまう。三保蔵は開き直って、隠し持っていた匕首で「いなみ」を脅した。しかし、「いなみ」は小太刀の使い手だった。「いなみ」は三保蔵を本気で成敗するつもりであった。そこに中間の松助が帰ってきて、間一髪で三保蔵は助かったのである。

 不破友之進は、三保蔵をもう家には置けないといったが、意外にも「いなみ」が、自分は本気で三保蔵を成敗するつもりであったが、運良く助かった。それを神仏の加護と捉え、三保蔵は必ず改心すると、執り成したのである。三保蔵はその一件以来、不破家の下男として働く決心をして、不破家に奉公しているのである。

 その三保蔵を連れて、茜はせっせと剣術の稽古に励むが、自分の力量に限界も感じていた。茜は伊三次とお文の子である伊与太のことも気になるし、「お吉」も妹のようにして可愛がっていた。そして、兄の自堕落ぶりに腹を立てていた。

 伊三次と友之進のそれぞれの子どもたち、伊与太、お吉、龍之進、茜といった構成や展開は、どこか平岩弓枝『御宿かわせみ』を思わせるものがあるのだが、本書の中で、伊三次とお文が住んでいる家の持ち主でもある箸屋の隠居である翁屋八兵衛がもつ櫓時計の話が出てくる。洋式の時計である櫓時計は高価なものだったが、このころ大名や商人たちも持つようになっていた。その時計が暮れ六つの時を刻んだとき、八兵衛が「これのお蔭で時刻をわすれることはなくなったが、・・・何だか寿命が残り少ないよと言われているような気がする」(38ページ)と伊三次に言うのである。つまり、未来を持つ若い者たちと老いていく者たち、そういう組み合わせで物語が進んでいくのである。こういうところが、この作品の温かみを醸し出していくように思われ、そこにこの作品の良さもあるような気がするのである。

 ともあれ、芸者の置屋で自堕落な生活をしていた不破龍之進だったが、日頃の鬱憤が溜まっていた料理屋の板前見習いが、その鬱憤を爆発させて日本橋で無差別に人を刺し、人質を取る事件が勃発し、他の役人たちが手を出せないでいたところに駆けつけてきて、あっという間にその板前見習いを取り押さえて人質を助けるという出来事が起こる。それで奉行所に出所し、芸者の置屋から自宅に帰るきっかけをもつことができて自宅に帰るようになる。

 龍之進はその犯人の取り調べに立ち合い、そこで犯人が、自分があのようなことをしでかしたのは「おっかさんのせいだ」というのを聞く。板前の修行が辛いから、辞めさせてくれといっても聞かず、邪険にされ、店では兄貴分から責められ、切羽詰って凶行に及んだというのである。龍之進は、自分の不幸を母親のせいにし、世の中のせいにする犯人を見るのである。犯人は自分が犯した犯罪を悔いてもいなかった。そして、その姿は、まるで自分と同じだと気づいていくのである。

 その夕、龍之進は、芸者の置屋で自堕落な生活をしていた時に、ねんごろになった「小勘」という女に妻にしろと迫られ、脅される。「小勘」は、「若旦那のおっかさんは吉原の小見世にいた人じゃないですか。立場上もへったくれもありませんよ。どうして吉原の女郎がよくて芸者が駄目なのかしらね。おかしな話じゃないの」と言われてしまう。「女郎を女郎と言って、何が悪いのよ」とまで「小勘」は悪態をつく。龍之進は、「母上を貶めたお前は許せん」と「小勘」の申し出を断る。「小勘」は龍之進を奉行所に訴えるとまで言い出す。

 そこに、伊三次の妻で「小勘」の姐さんでもあるお文が行きあわせてその話を聞き、「小勘」をいさめて、龍之進に「おなごを甘く見ると火傷をしますよ。小勘のことはいい薬になったと思って、これからは気持ちを入れ換えてお勤めに精進してくださいましな」と言い、自分や伊三次が人生を誤ったことがあることを話して、「人はね、変わるんですよ。手前ぇが間違ったことをしたと思ったら、二度としないと肝に銘じ、以後、まっとうに生きて行けば、昔のことなんてチャラになりますよ。また、そう思わなければ生きては行けない」と言う(71ページ)。

 その話を聞いて、龍之進は事件を早急に解決したことで奉行所からもらった祝儀を母親の「いなみ」の手に渡し、「これは母上に差し上げます。お好きなものをお買いなさい」と言い、「いなみ」はその祝儀袋を両手で受けて、その上にぽろぽろ涙をこぼすのである。龍之進は、「お許し下さい。わたしは悪い息子でした」と謝りたかったが、面と向かって言えないので「母上、腹が減りました」と言うのである(7374ページ)。

 伊与太は絵師になる修行をしている。だが、雑用ばかりの毎日だった。早く一人前になって父親の伊三次に楽をさせてやりたいと思っているが、なかなかそうはいかない。伊与太は、明日も明後日も父親は仕事をする。そしてそれは息のやむまで続くのだ、と思って、初めて父親に哀れなものを感じていくのである。

 人は、成長し、老いていく。時計はその時を刻んでいく。第一話「今日を刻む時計」は、過ちや後悔や失敗や喜怒哀楽を刻んで進んでいく時の中での人の姿を描いたものであり、伊三次と友之進の子どもたちが乗り越えなければならない課題をなんとか乗り越えていく姿を醸し出すのである。

2012年5月30日水曜日

宇江佐真理『寂しい写楽』


 この2~3日、突然に夕方から夜にかけてにわかに曇り、風が吹いて、集中的な雨が降るという不順な天候が続き、一昨日は図書館に行く途中で土砂降りとなり、駅の構内で破れた屋根から雨がじゃあじゃともるという事態になって、駅の構内にあるコーヒーショップでしばらく雨宿りをしたり、昨日は会議に出かけた帰りに大粒の雨が降り出すという事態に遭遇したりした。今日は雲が空を覆っている。

 その図書館で、宇江佐真理『寂しい写楽』(2009年 小学館)を見つけ、さっそく読み出した。これは謎の多い浮世絵師であった東洲斎写楽という人を巡る当時の出版元であった蔦屋重三郎や山東京伝、葛飾北斎、十返舎一九、滝沢馬琴、そして狂歌師として名をなした太田南畝などの人々の姿を描き出したもので、特に写楽という人の絵を売り出し、また失敗していくことを中心に据えてこの時代の文化人たちの姿が描かれると同時に、写楽が残した絵を「寂しい」という独特のニュアンスのある観点から見ようとした意欲作でもある。

 ここに名を記した人々は、今日では極めて優れた才能を開花させた人々として著名であり、現代では写楽の役者絵も高い評価を得ているが、それぞれに生活の苦労をしながら戯作や絵画芸術に打ち込んでいく姿が人間臭く描かれている。彼らを動かしやのは、それぞれの矜持や誇り、そして情熱であっただろう。芸術は情熱なしには生み出すことができないものである。

 これらの人々が活躍し、一気に江戸文化を花開かせた天明(17811788年)の終わり頃から寛政(17891800年)、享和(18011803年)、文化(18041817年)文政(18181829年)にかけてのおよそ40年間というのは、実に不思議な時代という気がする。この期間の将軍はずっと、後に「オットセイ将軍」の異名をとった徳川家斉で、家斉は将軍在位になるとすぐに前時代に自由経済を目論んで「賄賂政治」とまで言われた田沼意次を失脚させ、白河藩主で名君の誉れが高かった松平定信を老中首座にすえ、松平定信は、逼迫した幕府財政の立て直しのために「寛政の改革」を断行した。

 この「寛政の改革」は、あまりにも厳格すぎて、かえって江戸経済を混乱させると同時に、あらゆる奢侈な生活や贅沢を禁止し、芝居や出版、文化や芸術に弾圧をかけた。それらは精神と生活の弾圧として機能したに過ぎなかった。そのために、松平定信の「寛政の改革」は、寛政5年(1793年)に松平定信の失脚によって失敗に終わり、徳川家斉自身は側近政治を行い、再び奢侈な生活を送ったり、賄賂を推奨したりしたし、幕府財政はますます逼迫するようになっていった。加えて、近代化を進めていた西洋諸国からの外国船の渡来などがあり、社会状況は極めて不安定だったのである。幕府の幕藩体制は崩壊し始めている。

 この寛政の文化弾圧の時代と社会危機が増大した時代に、しかし、先に挙げた人々が天才的ともいえる活躍をしていくのである。これらの人々は、ある意味では時代が生んだ寵児でもあるが、熟覧した江戸の文化を最も優れて表した人々と言えるであろう。あるいは、江戸という独特の暮らしが成り立つ社会の中で、貧乏長屋に住みながらも誇りだけは失わなかった町人文化が生み出したものであるとも言えるだろう。

 これらの人々の要として文化の一時代を築いたのが出版元であった蔦屋重三郎(17501797年)である。蔦屋重三郎は1750年(寛延3年)に江戸の遊郭であった吉原に生まれ、引手茶屋(遊女との待ち合わせに用いられた)である喜多川家に養子として引き取られて、やがて吉原大門の前に吉原の案内書である吉原細見を販売し、「耕書堂」と称して出版業に関わっていくようになったのである。黄表紙本、洒落本、狂歌集などを次々と出版し、1783年(天明3年)に日本橋に出店するほどになった。

 絵師である歌麿を見出して、大々的に世に送り出し、「喜多川」という自分の養家の名前を与えるほど大事にしていたが、やがて関係がうまくいかなくなり、歌麿は蔦屋を出てしまう。加えて、寛政の改革によって1791年(寛政3年)に山東京伝の黄表紙本と洒落本が摘発されて、蔦屋重三郎は財産の半分を没取され、山東京伝は手鎖50日という罰を受ける。

 本書は、その処罰の後で、起死回生を願って1794年(寛政6年)に写楽の役者絵を出版する状況が展開されて、写楽を、一応の定説通りの能役者であった斎藤十郎兵衛として、写楽の最初の大判絵に蔦屋の願いを入れて山東京伝や葛飾北斎、後の十返舎一九などが関わり、写楽の画質が低下していったことをこれらの人たちが手を引いていったとして描きだしていく。そこに自分のもとを去った歌麿に対する蔦屋重三郎の意地があったと見るのである。写楽の絵はあまり売れずに蔦屋は困窮に陥っていくが、写楽が10ヶ月あまりで忽然と浮世絵の世界から身を消したことを、作者はそう見ているのである。

 やがて、葛飾北斎が自分の画風を見出し、曲亭馬琴が読本の道を見出し、十返舎一九が独特の洒落の効いた読本を書いていくようになる姿もよく描かれている。そして、改めて、写楽が描いた作品を見ていると、なるほど「寂しい」という思いがしてくるし、後の葛飾北斎が冨嶽三十六景で見せたような大胆な構図の摂り方と写楽の大首絵(上半身や胸像を描いたもの)の大胆な構図、デフォルメなどいくつかの共通点もあるような気がする。絵としては葛飾北斎の方が格段にうまいし、同じ役者絵でも喜多川歌麿の方が繊細で感性が豊かである。だが、写楽には独特の味があるのも事実で、それを「生きることの寂しさ」に求めたところに作者の感性が光っていると思ったりする。本書は、そういう意味では玄人好みの作品だろうとは思う。

 写楽は「寂しい」。そして、人とは寂しい生き物である。ホントにそう思う。そして、その「寂しさ」を知る者だけが何事かを生み出していく。

2011年10月27日木曜日

宇江佐真理『夕映え』

 昨日まで晩秋の気配が漂いはじめた仙台にいた。こちらに帰宅しても木枯らし1号が吹いて、急な寒さに思わず身震いしたが、今日は爽やかな秋空が広がっている。季節はこうして巡っていくのだろうなと、思いながら、また、山積みしている仕事を横に見て、ゆっくり時を過ごそうと考えたりしている。

 往復の新幹線やホテルで、いくつかの感動的な小説を読んだが、宇江佐真理『夕映え』(2007年 角川春樹事務所)もそのひとつだった。巻末の書註によれば、これは2005年12月から2007年5月にかけて連載された新聞小説をまとめたもので、激動していく幕末の動乱から明治の初めにかけての江戸庶民の姿を、作者らしい温かい筆致で描き出したものである。

 社会と歴史の表舞台で活躍した人物に焦点を当てる歴史時代小説はたくさんあり、特に幕末期に生きた人物が傑出した人物であると描かれることは多いが、歴史の表舞台にはならなかった江戸で、しかも歴史と社会に翻弄されながら生きる小さな一膳飯屋の夫婦とその家族の姿を、彼らが営む一膳飯屋を舞台にして描き出すところに、作者の凛とした姿勢があり、拍手喝采を贈りたいような作品だった。

 蝦夷松前藩の栂野尾右衛門(とがのお こうえもん)は、商人とつるんで私腹を肥やしていた家老のことを藩主に告げるために江戸に出てきたが、家老の先手によって謀反者の汚名を着せられ、脱藩者とされ、意気消沈して、通っていた一膳飯屋「福助」の出戻り娘と結婚し、侍を捨てて名を弘蔵と改め、一男一女をもうけて、奉行所の同心から手札をもらって岡っ引きをしている。

 弘蔵の妻で、一膳飯屋の「福助」を切り盛りしている「おあき」は、一度、深川の船宿に嫁いだが、引き出しから一両の金がなくなる事件で、よく仕えていた姑や小姑に盗っ人呼ばわりされ、その金が仏壇の後ろから出てきた時も、「昨日、今日嫁に来たお前が生意気な口を利くんじゃない」と言われ、夫も「ここは堪えてくれ」と言うだけだったことから、婚家を飛び出し、両親が営んでいた一膳飯屋の福助に出戻っていたのである。「二度と嫁になど行くものか」と思っていたが、福助に通っていた弘蔵に惚れられ、両親も弘蔵の真正直なところが気に入って、弘蔵が福助に転がり込む形で夫婦になったのである。

 二人に間に出来た長男の良介は、13歳の時から商家に奉公に出たりしたが、尻が落ち着かずに、あちらこちらを転々としながら、ときおり金を無心に帰って来ていた。娘の「おてい」は、母親を手伝って一膳飯屋で働いている。

 「福助」には、近所の者や仕事を終えた職人たちが集まって酒を飲みながら世間話に興じているが、激動していく社会の流れと歴史が、その「福助」での世間話として物語られていく。嘉永6年(1853年)のペリーの来航(黒船騒動)から安政の大地震(安政2年-1855年)、安政7年(1860年)の桜田門外の変から尊皇攘夷の気運の高まり、討幕運動、そうした時代の変遷が「福助」での庶民の世間話として織り込まれていくのである。

 考えてみるまでもなく、出来事の詳細を知ることのなかった江戸の庶民にとって、困窮してきた生活の実感と瓦版、あるいは一膳飯屋などでの世間話が情報源であったに違いなく、世相の動きに無関心ではいられなくなっていたのだから、話題はいつもそうした世の中の流れに対する不安だっただろう。彼らは彼らなりに社会について論じざるを得ないし、そうした会話の展開で時代背景が織りなされていくというのは、庶民の立場に立った当然の光景だっただろう。この作品は、そういう構成を取っていることで、いわば、庶民の幕末史にもなっている。

 しかし、人々にとっては時代と社会の流れに翻弄されながらも、個人の日々の営みもあり、歴史もある。弘蔵と「おあき」の娘「おてい」は、青物問屋の息子に惚れているが、息子には親が決めた許嫁があった。両親が死んでひとりぼっちになった娘を友人の青物問屋の主が引き取って育て、やがて息子の嫁にするつもりだという。だが、青物問屋の息子は、その娘の気持ちも考えずに、「おてい」と所帯を持ちたいと言い出す。弘蔵も「おあき」も、そんな青物問屋の息子が気に入らず、「おてい」も「人を悲しませたくない」といって諦める。弘蔵と「おあき」の家族は、そんなふうに人の「情」を大事にする家族なのである。

 だが、青物問屋の息子の許嫁は祝言が間近に迫って入水自殺してしまう。様々な思惑が「おてい」を苦しめるが、後で、許嫁が妻子ある店の番頭に惚れてその子どもを身ごもっていたことがわかり、青物問屋は改めて「おてい」に結婚を申し込むのである。そして、見切りをつけていたとはいえ、どうしても息子に惚れていた「おてい」は、その息子と所帯を持つことになるのである。

 他方、長男の良介は、浮き草のような生活をしながらも脳天気な性格で、伊勢への抜け参りに行ったりして親に心配をかけどうしだ。だが、弘蔵と「おあき」はそんな息子を大切に思っている。江戸では、薩摩藩士による横暴が繰り返されたりして、尊皇攘夷の名を借りた強盗や押し込みが続き、状勢はますます不安になっていく。やがて、大政奉還(1967年)が起こり、江戸幕府が崩壊し、1986年の正月に鳥羽伏見の闘いが起こり、徳川慶喜が江戸に逃げ帰り、春に江戸城の明け渡しが行われ、江戸は騒然とした空気に包まれていく。そんな中で、息子の良介は、自分は侍の子であるということで、彰義隊に入る。そして、上野戦争で敗北し、親友の首をもって逃げ帰ってくる。

 弘蔵と「おあき」は親として気が気ではない。「福助」にも、敗残兵狩りで薩摩藩士が襲ってきたりする。良介は弘蔵の配慮で松前に逃げることにするが、良介が惚れていた娘が薩摩藩士に手籠めにされたことで、薩長連合と闘うことを決心し、榎本武揚の軍艦に下働きとして乗り込み、函館に向かう。松前藩は弘蔵の故郷でもあった。だが、祖父母を訪ねようとしたときに、松前藩士に襲われて殺されてしまう。弘蔵と「おあき」は、嘆きと悲しみのどん底に陥れられる。

 時代は明治となり、江戸は東京となって、版籍奉還が行われたりして目まぐるしく変わっていく。世相は一段と変わっていく。だが、暮らしは変わらず、娘の「おてい」にも子どもができたりする。そんな中で松前の弘蔵の父が危篤であるという知らせが届き、良介の墓参もかねて弘蔵と「おあき」の夫婦は松前まで行くことにする。

 松前で、弘蔵の父親や家の者から、「おあき」が一膳飯屋をしていることでなじられたり、弘蔵に松前での役職の話なども起こったりするが、二人は夫婦として江戸で変わらずに暮らしていくことの決心を改めてしていくのである。やがて、孫も大きくなり、弘蔵は奉行所の勧めもあって、1971年(明治4年)に警察制度が出来たときに邏卒(らそつ-巡査)になるが、勤めの最中に倒れ引退し、二人は、相変わらず「福助」に来る客と世相に一喜一憂しながら過ごしていく日々を送るのである。

 時代と社会に翻弄されながらも、ささやかな日々の暮らしの中で生命を静かに全うしていく姿が松前の夕映えの景色のように描かれ、情感のあふれる作品だとつくづく思う。この中で、主人公のひとりである「おあき」が、おでんの種を銅壺にたしながら、「何があっても自分はこうして毎日毎日、商売の仕込みをして、時分になれば暖簾を出して店を開けるだろう。子どものため、亭主のために飯の仕度をし、洗濯や掃除をするだろ。その他に自分ができることはない。世の中の流れに身を置くしかないのだ。落ち着いた世の中にして欲しいと誰に訴えたらよいのだろう」(94ページ)と思う言葉があるが、それがこの作品の神髄で、そういう人間の姿を描き出すことは極めて大きな意味がある。翻弄されるが、したたかに、しかも愛情を持って温かく生きる、これまで宇江佐真理が描いてきたそういう人間の姿がこの作品には、たくさん盛り込まれているのである。

 個人的に、歴史や物事を考えるときに、わたしはこういう視点は欠いてはいけないと思っている。幕末史がこういう日常の形で描き出されたとことには、極めて大きな意味がある。しかも、情のある小説として人間が描き出されるのだから、この作品には拍手を贈りたい。

2011年10月7日金曜日

宇江佐真理『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』

 よく晴れた爽やかな秋晴れの日になった。風がそよぎ、戸外に小さなテーブルと椅子をもちだしてコーヒーを飲みながら本を読むには最適だろう。だが、このところ依頼されている本の編集作業や雑誌の原稿の締め切りがあって、ひたすらパソコンの前でタバコとコーヒーに囲まれての作業で時間が過ぎている。ちょっと空しい作業で、なかなか興が乗らないでいる。

 閑話休題。宇江佐真理『なでしこ御用帖』に続いて、彼女の作品である『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』(2010年 講談社)を面白く読んでいたので、これを記しておくことにした。これは、死んだ人を見るとその人が果たせなかった様々なことを思い、命をはかなんで、人目もはばからず大泣きしてしまう江戸の岡っ引き「泣きの銀次」を取り扱った作品の三作品目である。

 一作目の『泣きの銀次』(1997年 講談社)と二作目の『晩鐘 続・泣きの銀次』(2007年 講談社)に続く三作目で、銀次の子どもたち、特に適うことがなかった次女の「お次」の恋の顛末が事件がらみで描かれている。

 『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』は、銀次の長女「おいち」の嫁入り話から始まる。

 「おいち」が嫁ぐのは、八丁堀の裏茅場町にある薬種屋「武蔵屋」の長男である清兵衛であるが、「武蔵屋」の主であった父が早くになくなり、母親と番頭や手代の助けで店を営んでいた。だが、その手代が金で誘惑されて裏切り、五年前に「武蔵屋」に押し込み強盗が入り、命は取られなかったものの三百両もの大金を奪われ、まだ十六歳だった清兵衛は、その事件で知り合った銀次を頼りにし、「坂本屋」という老舗の小間物屋も営む銀次の家に出入りするようになっていたのである。

 そして、互いに助けあって暮らしていた銀次の家の温かさに触れ、貧乏を明るく辛抱してきた「おいち」と恋仲になり、晴れて結婚に至ったのである。

 ようやく長女を嫁がせた銀次だが、次は次女の「お次」のことが気にかかる。「お次」は、やはり銀次の家に出入りするようになった絵師の天野和平に想いを寄せている。

 天野和平は、津軽藩のお抱え絵師で、藩名によって江戸に出てきて絵の修行に励んでいたが、左足が壊疽になり膝から下を切断し、義足と杖の生活をしている。天野和平と銀次との出会いは、『晩鐘 続・泣きの銀次』で語られているが、左足を失って生きる気力がなくなった和平を支えたのが「お次」であった。和平は月に一度、銀次の家にやってきて夕食を食べて帰るようになっていた。

 和平と「お次」はお互いに想いを寄せていたが、和平は自分の左足がなく苦労をさせることがわかっていたので、「お次」との結婚になかなか踏み切れないでいたのである。そして、「おれは一生、独り身を通す覚悟でいる」と言ってしまう。「お次」は、それに対して何も言わない。そういう仲が続いていくのである。そんな二人に、銀次は「お前ェ達には、一緒になって乗り越えようとする覚悟がねェ」と言い放つ。そして、煮え切らない和平に家への出入り禁止を言い渡すのである。

 そうしているうちに、人形屋の子どもが庭の池で溺れ死ぬという事件が起こり、銀次はその探索に乗り出していくが、その朝、上空で怪しげに光る物体が飛んでいるのを目撃する。今で言えばUFOである。人形屋の事件の方は、銀次が検死にあたった医者に真相を聞き出して、亭主の短気に脅えて暮らしていた若女将が、前妻の子のあまりの我が儘にかっとなって起こした事故が元での事件だとわかったが、UFOの方は市中でも評判となり、「空の唐舟」とか「虚ろ舟」とか呼ばれて、瓦版に出たりして、奉行所から探索を命じられることになる。

 銀次は、瓦版を出している読売屋を訪ねて詳細を聞いているうちに、その読売屋が大店を勘当された息子ばかりが集まって営まれていることを知り、それぞれの勘当を解いてもらい親元で店を継いでいくことができるようにと奔走する。だが、その内の一人が自害するという事件が起こってしまう。そこには、勘当者どうしの軋轢があり、どうしようもない男の金の使い込みがあったのである。その事件が片づいて、銀次は読売屋をしていた忠吉が勘当を解かれて元に戻ることができるようにしていく。

 その事件に関わっている間に、取り返しのつかないことが起こってしまう。絵師の天野和平が津軽藩主に先代の追善供養のために釈迦涅槃図を描くように命じられ、その絵を描くが、銀次に家への出入り禁止を言い渡されて鬱々とした状態を過ごしていた和平が描いたのがすべて「お次」の顔をした女性であったことで、藩主の逆鱗に触れ、和平は藩邸を飛び出して行くへ不明となってしまうのである。

 銀次は和平の行くへを探すが、市中で片足の男が若い娘の後をつけたり、ついには傷つけたりする事件が起こり、和平が描いた、恐怖を感じたときの表情をした女の絵や気味の悪い絵が市中に出回るようになる。銀次は、常道を逸した和平がそれらの犯人ではないかと疑うようになる。和平は無実を主張し、和平の兄などの計らいで津軽の国元に送り返すことにする。別れの挨拶にやってきた和平は、しかし、気が立って、「お次」や銀次の家族にいらだった暴言を吐いたりする。和平は常道を逸しており、銀次は和平を信じることができなくなって、和平は再び出奔する。そして、ついに和平は疑いが晴れないままで自死する。

 和平に想いを寄せていた「お次」は、尼寺へ行くと言い出す。銀次夫婦は止めようとするが、和平のことが忘れられないという「お次」の決心は固い。

 和平が逃げ込んでいた貧乏裏店から腐乱した死体も出てくる。だが、和平がそういうひどいことをする人間だとは思えなかったことや和平が自分は犯人ではないという遺書を残していたことから、再探索を開始し、和平の裏店の近くに住んでいた俄按摩が犯人だとわかっていく。だが、「お次」は、和平の魂の平安を祈りつつ尼僧としての道を歩んでいくのである。

 これは、本当によく考え抜かれた物語構成をもつ作品だと思う。宇江佐真理の文体や会話で織りなされる温かみは言うまでもないが、細かな要素まできちんと描かれているし、銀次の親としての心情もよく表されている。

 それにしても、宇江佐真理が描く岡っ引きの姿は、やはり独特の愛情を持つ人間ばかりである。気っぷのいい深川芸者に惚れ、ひたすら真面目に生きようとする髪結い伊三次、愛する者を守るために切り刻まれて命をかける斬られ権佐、そして、死人を見るたびに大泣きしてしまう感動屋で涙もろい泣きの銀次、いずれも、生活に苦労しながらもひたむきに愛する者のために生きようとする人間である。そして、人生がそう簡単にはうまくいかないことを肌で知っている人間たちである。だから、それぞれの家庭は、問題を抱えていても温かいし、乗り越える力も湧いてくる。読んでいると、愛が苦難を乗り越える力であることがよくわかる作品である。

2011年10月5日水曜日

宇江佐真理『なでしこ御用帖』

 朝から冷たい雨が降って寒い。気象庁によると11月下旬の気温だそうで、暖房が恋しくさえある。片づけなければならない仕事が溜まってきているのだが、気力が今ひとつで、自分に甘いわたしとしてはすぐに安易な方に流されがちになる。

 昨夜、宇江佐真理『なでしこ御用帖』(2009年 集英社)を、やはり、疲れた時などはこの人の作品は格別にいい、などと思いながら読んでいた。読み始めてすぐに、これが『斬られ権佐』(2002年 集英社)の主人公「権佐」の孫に当たる人たちの物語であることを知って、「斬られ権佐」の身を捨てて愛する者を守っていく姿が彷彿とし、妙に嬉しくなった。

 父親である「斬られ権佐」の命と引き替えに助けられた娘の「お蘭」は、父親が小者(探索のための手先)として働いていた同心の家に養子となった麦倉洞雄と結婚し、三人の子どもを設けている。洞雄は、「お蘭」の母親で「権佐」がこの上もなく愛した女医の後を受けて町医者をしている。物語は、その三人の子どもたちを中心にして、特に「権佐」の孫娘であり、人々から「なでしこちゃん」と呼ばれて慕われている「お紺」の活躍を描いたものである。

 長男の助一郎は、祖母や父親と同じく医者の道を進み、小石川養生所で見習いとして働いている。次男の流吉は、自分が医者に向かないことを知って手先が器用だったこともあり、祖父の「権佐」と同じように仕立屋の道を進んでいる。母親の「お蘭」がかなり腕のいい仕立屋をしていることもあり、母親から着物の仕立て方を習ったのである。十七歳の娘の「お紺」は、父親の医業の手伝いをしながら、祖父の「権佐」が抜群の探索方であった血筋を受けて、好奇心旺盛に捕り物などの事件に関心をもっている。「お紺」は、表向きはおとなしく楚々とした風情があって器量よしで、「なでしこちゃん」と呼ばれて親しまれているが、気丈で、酒がめっぽう好きな気っぷのいい娘である。麦倉家は、この「お紺」の気丈さや、気っぷの良さ、爽やかな明るさで救われているところがあり、それが作品の随所でよく表されている。お紺は「なにいってんだい」とか「なにやってんだい」というのが口癖である。

 物語は、次男の流吉が借りている家の大家である老婆が殺されるところから始まり、流吉に嫌疑がかけられて番屋に引っ張られるところから始まる。流吉は第一発見者で、疑われて大番屋にまでしょっ引かれる。それを知った「お紺」が、流吉を助けるために、「お紺」を娘のように可愛がっている岡っ引き(目明かし)の金蔵とともに、事件現場に行き、殺された老婆の指に紺色の染料が付着していることを発見して、犯人が、商売が傾いたために老婆に与えていた家作(家と土地)を奪い取ろうとした染物屋の若主人であることをつきとめていくのである。この事件で、流吉は勤めていた呉服屋を首になり、麦倉家に戻ってきて、母親と一緒に仕立物をして暮らしていく道を歩むことになる(第一話「八丁堀のなでしこ」)。

 取り扱われている事件の概要を記していくと、第二話「養生所の桜草」は、長男の助一郎が勤める小石川養生所で自死事件が相次ぎ、女看護人が暴行を受けるという事件が発生したことを受けて、「お紺」が女看護人として養生所に潜り込み、事件の真相を暴いて、養生所を覆っていた不穏な空気を一掃させていく話である。

 養生所の看護人の立場を笠にしての横暴さに頭を痛めていた助一郎の話を聞き、「お紺」が探索してみると、看護人の立場を利用して病人に無理な借金をさせたり、女を暴行したり、非道な振る舞いをしていた男がいて、「お紺」は奉行所の同心の手を借りてこの男の悪事を暴いていくのである。

 第三話「路地のあじさい」は、麦倉医院の患者で死病を患っている居酒屋の女将にまつわる殺人事件が起き、小料理屋の女将にかけられた嫌疑を事件現場の丹念な捜索から「お紺」が晴らしていく話である。そして、第四話「吾亦紅さみし」は、麦倉医院の患者としてやってきた南町奉行所の書物同心で絵を内職にしていた男が、町奉行から頼まれた祝いの絵を妻から切り刻まれて、お役を退いて突然疾走した出来事の顛末を「お紺」が探っていくというものである。

 第五話「寒夜のつわぶき」は、猫を利用して盗みを働いていた盗賊の話である。麦倉家の勝手口に大きな猫がやってくるようになり、その背後には猫を目当ての家に行かせて、その猫を可愛がる振りをしながら家の内情を探り、盗みを働いていた男がいることを知り、麦倉家が狙われるのである。「お紺」はその男を見かけ不審に思うが、夜、薬の仕分けをしているときに、ついに強盗が麦倉家に入ってきて、麦倉家の一同でその男を取り押さえるのである。この事件で、麦倉家で医者見習いをしていた要之助が刺されて、それをきっかけに「お紺」が自分の結婚相手を決めるのである。そのことについては後述する。

 第六話「花咲き小町」は、長男の助一郎が勤める小石川養生所から、助一郎が結婚したいと思っている女性と養生所で下男として働いている男を連れてきて、しばらく麦倉家で過ごすことになり、口がきけない下男の隠された過去を探し出して、元の旗本家に送り出していくという話と、「お紺」の結婚の話である。

 これらの事件そのものは、特別に深い謎があるわけではなく、複雑なものでは決してないが、「お紺」を中心にした麦倉家の温かさがあり、特に後半で「お紺」が自分の結婚相手にだれを選ぶのかということで、人間の値というものがしみじみと語られているのが、作者らしい人間観だと思った。

 第二話の小石川養生所の事件から登場した定町廻り同心の有賀勝興は、「お紺」に惚れ、南町奉行所吟味方与力をしている「お紺」の叔父を介して結婚を申し出る。「お紺」は、この叔父を頼りにしているところもあったし、叔父は有賀勝興の人となりを承知していたから「お紺」の伴侶としてよいと思ったのである。有賀勝興は自信にあふれた男であるが、その分、自尊心が強い。「お紺」は、昔、幼馴染みで医者となった男に想いを寄せていたが、彼は長崎に修行に行き、そこで結婚しているし、この縁談を断れば、もう後がないかも知れないという不安もあって、気持ちが揺れる。

 他方、麦倉家で医者の見習いをしている要之助は、みんなから「ぼんくら」と言われ、頼りがいがなく、どこの医者も弟子として取ることを嫌ったのを父親の縁で麦倉家で引き受けているような男であったが、「お紺」に密かに想いを寄せ、ついに「お紺」に思いを打ち明けるが、「しっかりしなさいよ」といわれて落胆している。要之助は、「お紺」が一緒にいれば、自分は医者としてやっていけそうだと言って、「お紺」に、そんなに情けないことでどうすると言われたのだった。要之助はとことん優しい性格をしていて、「お紺」を心底想っている。

 「お紺」は迷い続けるが、有賀勝興の厳しい人柄に触れ、「二六時中、あんなふうに叱られたんじゃ、身がもたないよ。あたしは、もっと優しくされたい」(218ページ)ということに気がついていくのである。そして、第五話で、襲ってきた強盗に立ち向かったが呆気なく刺されてしまった要之助を見て、祖母が祖父の「斬られ権佐」と結婚したときのように、要之助と結婚する決心をするのである。

 自尊心を傷つけられた有賀勝興は、「お紺」を手籠めにしたりしようと暴挙を働いたりするが、要之助はひたすら「お紺」の身を案じていく。こういう二人の男が描かれ、人が何によって幸せになるのかがさりげなく語られていくのである。

 押し出しも立派で、生活もまあ安定し、奥様として生きることができる男と、見習いで先行きが不安定で、頼りないが、心底「お紺」を大切にしようとする男、この二人の対比はなかなか味のある書き方になている。こうして、麦倉家は、医者の父親と仕立物をする母親、養生所で見習い意志をする長男の助一郎とその許嫁、母親と仕立物をする次男の流吉、「お紺」と要之助のすべてが、互いに思いやりをもち、深い愛情で繋がって、温かく明るい人たちで満たされている。これを幸いと言わずして、何を幸いと言うだろう。

 この作品は、そういう人の幸いを描いた作品であると思う。愛する者のために命さえ捨てる「斬られ権佐」の血が流れている家庭なのである。彼らには、人を除け者にしたり、非難したり、人を陥れたりする所はみじんもない。ただ、よさを受け入れていく人々なのである。

2011年9月8日木曜日

宇江佐真理『富子すきすき』

 ようやく昨日から晴れ間が見えるようになり、日中の陽射しはまだ夏の名残が強く残っているが、朝晩には秋の気配さえ感じられるようになり、夜は虫の声が聞こえている。深夜ともなれば、月が冴えてますます秋を感じるようになった。考えてみれば、あと2週間もすれば秋分なのだから、これが普通かもしれない。

 前回の宇江佐真理『通りゃんせ』に続いて、『富子すきすき』(2009年 講談社)を読んだ。これは、「藤太の帯」、「堀留の家」、「富子すきすき」、「おいらの姉さん」、「面影ほろり」、「びんしけん」のそれぞれが独立した六編からなる短編集で、この中では、2003年に『しぐれ舟-時代小説招待席』(廣済堂出版)に収録されている「堀留の家」が、最もわたしの琴線に触れる作品だった。

 一作目の「藤太の帯」は、平安期に近江の三上山の大百足退治の伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷-ふじわらのひでさと)の意匠をあしらった珍しい帯が、その帯を手にする娘たちにそれぞれに生きる勇気と力を与えてくれるというもので、因縁話めいた要素を用いながら、商家や武家の娘たちの恋愛や家族、親子の関係などでの葛藤や生き方を柔らかく描いたものである。

 子どもの頃から病がちで病弱だった煙草屋の娘「おゆみ」は、気晴らしの散歩の途中で古着屋に飾られていた俵藤太の百足退治の意匠を凝らした帯が目にとまり、それが俵藤太の子孫に当たる自分を守ってくれるような気がして、買い求める。「おゆみ」は、その後、病を得てなくなってしまうが、まるで死の不安を取り除かれたように安らかに息を引き取るのである。やがて、彼女の手跡指南所で仲良しだった友人たちが形見分けとしてつぎつぎとその帯を手にすることとなる。

 次に帯を手にしたのは、小普請組の貧しい旗本の娘「おふく」だった。「おふく」は思いを寄せている医者の息子が長崎に遊学するということで、自分の思いをあきらめていた。「おふく」の家も俵藤太に繋がる家系だった。父親は「おふく」を妾奉公に出せば小普請組から出でお役が与えられるという出世話をきっぱり断り、「おふく」の幸せだけを願うような潔い男だった。弟は、そういう父親を誇りに思い、ますます精進していくと聞かされる。「おふく」は意を決して、俵藤太の帯を締め、医者の息子の所に行き、二人の結婚が急にまとまっていくことになるのである。

 三度目に藤太の帯を手にしたのは、牢屋同心を父に持つ「おたよ」だった。「おたよ」の家もまた俵藤太の係累に当たる家筋だった。「おたよ」は四人兄妹の末っ子だったが、彼女の父親は彼女の母親が不義を働いて「おたよ」を身ごもったとずっと疑っており、「おたよ」にはつらく当たっていた。三番目の兄の養子先が決まった祝いの夜に、「おたよ」は俵藤太の帯を締めて出たが、それが父親の逆鱗に触れて、父親がずっと疑ってきたことが爆発してしまう。「おたよ」は、締めた帯に手を触れて勇気を出し、この家を出て行くと言いだし、母親も疑われたままではたまらないから自分も出ると言いだし、兄嫁もそんな義父の世話をしたくないから出るといいだし、結局、家族全員が疑いを濃くもった父親の元を出ると言い出す。こうしてすべての膿が出てしまい、家族が再びまとまっていくのである。

 四番目に帯を手にすることになったのは、飾り物屋の娘「おくみ」で、「おくみ」の父親が囲っていた女が身ごもって男の子を産んだために、後目などを巡って両親が離婚するという。そのことでやけになって意欲を失っていたところに、「おたよ」が帯をもってきて、勇気づけ、結局は、両親は離婚するが、その状況を乗り越えていく力となっていくのである。「おくみ」の家も俵藤太に繋がる家系だった。

 五番目の瀬戸物屋の娘「おさと」だけは何事も起こらなかった。「おさと」の家は俵藤太と無関係だったからである。そして、最初に古着屋にその帯を売ったのが、彼女たちを結びつけていた手跡指南所の師匠だったのである。

 人は、それぞれの置かれた状況でそれぞれに生きていくしかないのだが、ふとしたことで生きる勇気を与えられることがある。この作品はそういう姿を描いたもので、「藤太の帯」という勇気の源を得て、死を迎え、愛し、辛さを乗り越えようとする人間の姿を描いたものである。

 次の「堀留の家」という作品が、わたしにとっては一番琴線に触れる作品だった。これは、両親に捨てられたり、早くに両親を亡くしたりして苦労する子どもたちを預かって育てていた堀留にある元岡っ引きの夫婦に育てられた男の子と女の子の話である。

 煙管職人をしていた父親が火の不始末で火事を出してしまい、働き場を失って酒に溺れる日々を送り、そのことに愛想を尽かした母親が妹を連れて逃げ、酒代を稼ぐためにしじみ売りなどをさせられていた弥助は、ついに空腹と身体の不調で路上で倒れてしまうが、元岡っ引きの鎮五郎に助けられる。

 そのときの描写がまことに優れていて、
 「そのまま静かに死んでしまえるならどれほどいいだろうと思った。人の足が目の前を通り過ぎて行くのを弥助はぼんやり眺めていた。
 ふわりと身体が宙に浮いた、と思ったのは錯覚で、弥助は鎮五郎に軽々と抱き上げられていた」(83ページ)
 と表され、こういう登場人物の視点や感覚で綴られるところが、小さな子どもの悲しい状況を良く伝えるものとなっている、とわたしは思う。

 弥助が助けられた鎮五郎の家に幼い女の子がいた。「おかな」という子で、父親が女を作って逃げ、居酒屋勤めをしていた母親も新しい男を作ったが、それがひどい男で、なにかをしでかしていなくなり、母親はその男を追って弟と「おかな」を捨てて出て行き、捨てられた「おかな」と弟が鎮五郎に引き取られて育てられていたのである。

 鎮五郎の家にはほかにも何人かの子どもたちが引き取られて育てられていた。それぞれに「親」への思いなどが錯綜していくが、父親が自分を捨てて逃げ去ったことを知った弥助は、一念を発起させて手習いに励み、やがて干鰯問屋に奉公して一人前になっていく。その干鰯問屋に「おかな」も雇われ、「おかな」は明るい働き者で気に入られていた。

 「おかな」は弥助に思いを寄せ、やがて二人の縁談話も起こるが、弥助は「おかな」の想いを知りつつも、妹のようにして育てられてきたし、両親のある家に嫁いで幸せになってもらいと願って、その縁談を断る。

 その日から「おかな」の態度が一変し、「おかな」はやがて金持ちの老人の後添えとなって干鰯問屋に砂をかけるようにして出て行き、やがて、その老人の家の手代といい仲になって、小さな子どもを残して出て行き、行くへがわからなくなるのである。「おかな」は、自分を捨てた母親と同じような道を歩んでいくのである。

 弥助は、苦労を舐めてきた岡場所の遊女を身請けして嫁にし、またその遊女が気立てが良く、夫婦仲は円満で、鎮五郎がなくなった葬儀の時に「おかな」が子どもを捨てて逃げたことを知り、その子どもを引き取って育てていくことにするのである。弥助は、自分を育ててくれた鎮五郎と同じような道を歩んでいくのである。

 この物語には、愛情を得る者と愛情を失う者が交差するし、「おかな」のようにある時から急に人間が変わっていくようになる姿や、「当たり前」だと思っている者はそれを失い、「有り難いことだ」と感謝していく者はそれを得ていく姿が描かれる。読みながら「涙をもって蒔く者は、喜びを持って刈り取る」という言葉を思い出したりした。これは、そういう作品だった。

 三作目で表題ともなっている「富子すきすき」は、表題の軽妙さとは全く異なり、元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士によって討ち殺された吉良上野介の妻「富子」の視点で、その事件が回想されていくというものである。討ち入った赤穂浪士たちは、ひとり大石内蔵助の命で国元に向かわせられた者を除いて、四十六人が本懐を遂げて切腹させられたが、吉良家は改易となり、後継者であった富子の孫は信州に流罪となって、そこで若干二十一歳で亡くなっている。

 吉良上野介の妻「富子」は、米沢藩の上杉家に養子に出した綱憲に引き取られて、そこで暮らすことになるが、綱憲も心労が重なって四十二歳で亡くなり、富子もその後を追うようにしてなくなっている。

 この作品では、吉良上野介が閨の中で「富子すきすき」といっていた言葉を胸に、事件後の富子の退場からの赤穂浪士討ち入り事件が語られていくのである。浅野内匠頭がなぜ殿中で吉良上野介に斬りかかったのかの真相は、現在でもまだ謎のままだが、浅野内匠頭の逆上や、将軍であった徳川綱吉の逆上など、すべてが「逆上」のなせる業だという作者の視点は、わたしもそうだと思っている。そして、寂静によって起こる事件ではだれ一人いいことはない、とわたしも思う。

 「おいらの姉さん」は、吉原で産み落とされて引き手茶の手代をしている男と花魁の淡い恋物語で、花魁は逆上した侍によって斬り殺されてしまうが、子どもの頃からお互いをかばい合ってつらい境遇を生きてきた男女が最後に血の海の中で見せるせる愛の美しい姿として昇華されていく物語である。

 「面影ほろり」は、木場で育った材木問屋の息子が、母親の病のために父親の妾の所に預けられ、父親の妾であった深川芸者の気っぷの良さと、まだ八歳に過ぎないが、息子が天性にもつ木場の男の男気が巧みに描かれている作品である。

 最後の「びんしけん」は、学問に長じていたが妾腹の子であったために父親の死と共に追い出されて、裏店で手習所をしている侍のところに、大泥棒の娘が預けられいく話で、吉村小左衛門は、旗本であった父親と女中との間にできた子で、学問は優秀であったが、父親の死と共に母親と一緒に追い出されて、手習所をしながら細々と暮らしていた。真面目で人柄も良いが、人相風体がよくなく、嫁の来てはなかった。貧しいが穏やかな暮らしの中で、母親もなくなった。そこに大泥棒で捕縛された父親をもつ二十歳の娘を、教育をきちんと受けさせるために預かって欲しいという依頼を受ける。

 吉村小左衛門は、自分は男のひとり暮らしだから無理だと断るが、ある時、突然娘が訪ねて来て、やむを得ず引き取ることにする。娘は一所懸命に学んだり、近所と親しもうとするが、気性がまっすぐで、そのために諍いが起こったりする。そして、同じ長屋の意地の悪い女房が、娘が泥棒の子だと聞きつけてきて騒動を起こす。吉村小左衛門は、そのとき、娘をかばうことができなかった。娘が吉村小左衛門の嫁になってもいいと思っていたことを後で知り、慚愧の想いを抱いていくのである。

 これらの短編は、表題の「富子すきすき」が歴史的事件の別の面を示す意欲的な作品であったり、「藤太の帯」のような因縁話を題材にしたものであったり、「おいらの姉さん」のような吉原の恋物語であったり、「面影ほろり」のような気っぷのいい江戸っ子気質を描いたり、それぞれの試みも主題も異なっているのだが、宇江佐真理がこれまで書いてきた作品群の一面をそれぞれによく表しているようにも思う。

 何と言ってもこの作者の文体と持っている雰囲気、描き出す世界が、わたしは好きで、読むと嬉しくなるような作品だと思っている。

2011年9月5日月曜日

宇江佐真理『通りゃんせ』

 紀伊半島を集中豪雨で襲った台風の影響で、午前中は雨模様の天気だったのだが、長い間留守がちだったこともあって、半日ほど家の掃除をしていた。

 昨日の夕方から夜にかけて、図書館で借りてきていた宇江佐真理『通りゃんせ』(2010年 角川書店)を、作者が持つ優れた柔らかな世界を味わいつつ読んだ。これは、江戸時代にタイムスリップした青年を通して時代と人々を描くという、作者にしては珍しい趣向が凝らされているが、作風が成熟してきた感さえある作品だった。

 考えてみれば、歴史時代小説というものは、タイムスリップして歴史上の時代に降り立つようなもので、もし作者がそのような視点で物語を織りなし、歴史と人間を描くことができれば、文学作品として大成功なわけだから、こういう試みは極めて有効だろうと思う。ただ、そのためには、歴史とその時代の人々の暮らしについてのかなりしっかりした知識が必要だし、現代という時代の把握も不可欠となる。その点では、この作品は作者の人間に対する温かな視点が巧みに織り交ぜられて申し分のない出来になっている気がする。

 物語は、北海道から東京に転勤になった大森連という青年が、趣味のマウンテンバイクで甲州街道を北上し、小仏峠の付近で道に迷い、タイムスリップして天明6年(1786年)、まさに天明の大飢饉の最中にある農村に行くというものである。

 タイムスリップした大森連は、武蔵国中郡青畑村の百姓をしている時次郎とさなの兄妹に助けられる。ちなみに、武蔵国(現:府中、多摩、埼玉)には那珂郡(なかごうり)があったが中郡はないので青畑村は、飢饉にあえぐ典型的な農村として作者が創作したものだろう。

 助けられた大森連は、次第に江戸時代の農民の暮らしに馴染んでいくが、洪水の危機に見舞われたり、本格的な飢饉の到来に見舞われたりして、この時代の農民の暮らしのひどさや辛さをつぶさに味わっていくことになる。食べることができなくなって、娘を売る親、売られていく娘、したたかに生きようとする農民など、彼の周囲には様々な生活の姿がある。彼を助けた時次郎は青畑村を領地としていた旗本の中間だったのだが、一揆が起こるのを防ぐために青畑村に遣わされ、農村の五人組の組頭となって農民の暮らしを守ろうとしている人物だった。大森連も、時次郎を助け、励ましながら洪水を防ごうとしたり、飢饉から生きのびる努力をしたりしていく。

 そして、年貢の軽減のために江戸に出てきて、領主である旗本の下で働いたりするが、飢饉は確実に村を襲い、その間、彼に思いを寄せ始めていたさなが夜這いにあって手籠めにされ、大森連が青畑村に帰ってきた時に自死してしまう。江戸時代の厳しい農村で健気で懸命に生きたさなと、現代という時代の中で、まさに現代女性として生きている大森連の元恋人の姿の両方の女性の生き方が描き出されたりする。大森連は、さなの思いを知りつつも、自分が現代に戻ることばかりに性急になり、さなの自死を止めることができなかったのである。

 だが、タイムスリップで歪んだ時は、自然に修復されていく。嵐の中で、大森連は再び現代に戻り、ふとした偶然で、自死させてしまったさなと瓜二つの女性と出会うことになるのである。そして、自分が江戸時代の飢饉で苦しむ人々の中に行ったのは、ただ、この女性と出会うためであったことを知っていくところで物語が終わる。

 天明6年は、老中田沼意次が失脚し、やがて松平定信が寛政の改革をはじめようとする時であり、徳川将軍も家治から家斉に変わっていく政変の時代である。また、天明3年(1783年)に浅間山が噴火し大被害をもたらしたりして人々の窮乏が続いた時代であるが、他方では江戸で狂歌が流行し、田沼時代の爛熟した文化が盛んだった頃でもある。こうした時代の背景も巧みに盛り込まれている。一言で「農民の暮らしは過酷を極めた」と言われるところが丹念に物語として描き出されているので、とても妙味のある作品だと思っている。また、すべての出来事がひとりの女性に出会うためであるという結末も、わたしの好みだ。人の幸せは,愛する者に出会う以外にないと思うし、すべての過去が現在の愛に昇華される時、過去はそれが良かれ悪しかれはじめて意味をもつと思っているからである。

 宇江佐真理の作品は,どの作品を読んでも、その独特の柔らかで温かな世界で満ちていると思う。作者の人間性と視点がこれほど文体に現れる作家も少ないだろう。『富子すきすき』という作品も借りてきているので,次はこの作品を読むことにする。

2011年7月13日水曜日

宇江佐真理『彼岸花』

 今日も朝から暑い陽射しがかっと照りつけている。空気中に熱気が渦巻いているようで、日傘を差して行き交う人が陽炎のように見える。

 昨日、必要があって昔書いたある組織についての論文をパソコンのフォルダ内で探していたら、その論文を展開した第二部が書きかけのままに放置されていたことに気がついた。第一部で組織の基礎となる事柄や思想についての考察をした後で、社会学的な分析をし、「希望の形態」として提示する第一部は終えて発表していたのだが、それを現実的な形態の中で展開したいと思っていた第二部が書きかけのままだった。それから、西洋思想史を基にした小説も100ページあまりを書いて書きかけで終わっていたし、他にもいくつか構想だけで書きかけの論文が見つかった。

 それから周りを見回すと、文字も習字をきちんと習わなかったので、自分が書いた文字が均整のとれない不格好な字で、油絵も「ピエタ像」が描きかけで、フルートも音程の移行がスムーズに進まないまま終わっているし、仕事も納得がいかないままで進めてきたきらいがあったりして、何もかもが中途半端なままで終わっていることに愕然とさせられた。

 決して完全主義者ではないし、人が未完のままに自分の人生を終了しなければならないことは十分に承知しているが、なんだか中途半端なままで終わるような気がして、スピノザがレンズを磨き続けたような姿からはあまりにも遠いことを内省してしまった。

 昨日はそんな気分で一日を過ごしていたのだが、夕方から宇江佐真理『彼岸花』(2008年 光文社)を読み始め、この人のもつ独特の柔らかさと楽天性に大いに慰めを覚えた。宇江佐真理は、現実の苦労を背負いながらも人情の機微をもって生きている人の姿を柔らかく描き出すし、無理もてらいもなく、素朴で、作品としてのまとまりもすっきりしているので、何とも言えない読後感を味わうことができる作家のひとりである。

 『彼岸花』は、「つうさんの家」、「おいらのツケ」、「あんがと」、「彼岸花」、「野紺菊」、「振り向かないで」の6編の短編が収録された短編集である。いずれも、奥付によれば、2007年から2008年にかけて「小説宝石」(光文社)で発表されたものである。

 「つうさんの家」は、深川で材木屋を営む店の商売がうまくいかなくなり、店をたたむことになって、本店のある大阪に行く両親と離れて、奥多摩の山の中にある「つうさん」という老婆に引き取られることになった十五歳の「おたえ」という少女が、それまでの暮らしぶりとは全く異なった山の中の質素な生活の中で、自分を引き取ってくれた「つうさん」との暮らしに馴染んでいく姿を描いたもので、最後に、「つうさん」が亡くなった後で、つうさんの生涯と自分が「つうさん」の本当の孫であったことが知らされるというものである。

 この作品の中で、「つうさん」との素朴で質素な生活を通して、自分が人生の中で何を大切にしなければならないかを「おたえ」が学んでいく姿が、その日常生活を通して記されていくのだが、筆運びが細やかで柔らかいので、「つうさん」の愛情がしみじみと伝わる作品になっている。

 「おいらのツケ」は、深川の貧乏長屋で、隣家の夫婦に自分の子どものようにして育てられて大工の見習いとなった三吉が、嫁をもらって一人前になっていく姿を描いたもので、三吉は幼い頃から父親が病で倒れたために隣家に預けられて育った。隣家の梅次・おかつの夫婦は自分たちの息子が板前の修業で大阪に行っていることもあって、三吉を自分の子どものように可愛がり、三吉も「爺、婆」と呼んで、母親が働き先の居酒屋で知り合った男を家に引っ張り込むようになったことからも、ますます梅次・おかつの家で暮らすようになった。梅次は人としての道を丁寧に三吉に教え込んだりした。

 十五歳の時、木場の大工の棟梁の徒弟となり、三吉は棟梁の所に梅次の家から通うようになって、そこで大工の修行を重ねていく。その棟梁の家の近くの一膳飯屋に、小太りで決して美人とは言えないが愛嬌のある「おかよ」という娘がいて、三吉に思いを寄せている。三吉は棟梁の美貌の娘に思いを寄せていたために鼻も引っかけないでいたが、兄弟子たちへの義理で飯を奢って金がなくなり、それをツケにしてもらったこともあって、「おかよ」を連れて深川八幡いったりする。「おかよ」の両親も三吉のことが気に入っている。

 そして、母親がいよいよ通ってきていた子持ちの男と所帯を持つと言いだし、彼を可愛がって育ててくれた梅次も病をえて死んでしまう。梅次の息子は、結婚して残された「おかつ」の面倒を見たいから三吉に梅次の家から出るようにと頼む。新しい男と所帯を持った母親も、彼を家に入れようともしない。三吉はどこにもいく場所がなくなってしまったのである。

 思いあまって「おかよ」の家を訪ねるが、「おかよ」の父親から「おかよの亭主は店を継ぐ者にしたい」と言われる。だが、「おかよ」の母親が「三ちゃんがここから親方の所に通ったっていいじゃないか」と言って、話がまとまり、三吉は「おかよ」と夫婦になる。三吉はその一膳飯屋から大工の仕事に出て、仕事が休みの時や店が忙しい時には店を手伝い、「おかよ」もいい女房になっていく。

 そうしてある時、懐かしい思いでもと住んでいた貧乏長屋を訪ねてみると、梅次の息子には子どもができ、「おかつ」も嬉しそうな笑い声を立てていたために、ついに梅次の家を訪ねることができなかった。三吉は寂しい思いをするが、「おいらにはおいらのツケがある。そのツケを返すために、これからもあくせく稼ぐのだ」と思い返して帰っていくのである。

 人には、自分の居場所がどこにもないという寂しさがつきまとう。その寂しさをこういう単純だがすっきりした形で作品にして、一つの人生と生活の光景として描き出した作品である。

 「あんがと」は、本所の東側の貧乏尼寺で、代々捨てられた子どもを育てている尼僧たちの姿を描いたもので、結婚に失敗して尼僧となった安念は、寺に捨てられた子どもをやむを得ずに引き取って育て、その子が育って恵真と名づけられ、寺の後を継ぎ、恵真も、両親が強盗に殺された娘であった妙円と両親を病で失った牢人の娘であった浄空を引き取り、貧乏尼寺でかつかつの生活をしながらも育ててきた。

 そこにまた、言葉もうまくしゃべれないようにして育てられてきた女の子が捨てられた。女の子は妙円になつき、彼女たちに守られて元気になってきたが、親戚が見つかって引き取られることになった。それからしばらくして、引き取られた先で可愛がられている姿で彼女たちの尼寺を訪ね、その帰り際に、たどたどしい口調で「あんがと(ありがとう)」と言うのである。

 「あんがと」は、互いに思いやりと情けをもって静かに暮らしている美しい話である。描かれる女性たちの姿や状況は甘くて理想的過ぎるかもしれないが、こういう話を読むのは、決して悪くはないし、むしろ、いいものである。

 表題作となっている「彼岸花」は、気の強い母親の世話をしながら小梅村で農家の切り盛りをしている「おえい」の家族に対する思いを描いたものである。「おえい」は、気が強くて吝嗇気味の母親「おとく」と婿養子にきた夫の三保蔵、そして、十七歳の嘉助と十五歳の清助という二人の息子との五人暮らしをしている農家の主婦である。家は、かつては庄屋を務めるほどだったが、今はそれほど裕福ではなく、夫の三保蔵は農閑期には瓦職人として働いている。「おえい」は、自分が気に入らないことは一切受けつけない実母の「おとく」とそりが合わないで、若い頃思いを寄せていた儒学者の息子とも仲を裂かれたりした。

 この「おえい」に「おたか」という妹がいる。「おたか」はある旗本の家臣の家に嫁に行ったが、彼女の夫の偏屈さから夫が職を失って以来、頻繁に「おとく」に金を借りにきたり、農家で撮れる野菜を山ほど抱えてもらって帰ったりするようになった。武家に嫁いだ「おたか」は自尊心ばかりが強くなって、娘を武家の娘として育てるために、もらって帰って野菜などを路上に並べて売ったりして暮らしを立てているのだった。「おたか」の夫は殴る蹴るの暴行を働き、家の中では罵り声が絶えないという。「おたか」は、ただただ自尊心だけで生きている女になっていた。

 だが、その「おたか」が下血して死んでしまった。「おたか」の亭主は下血で家が汚れたことだけを言い、喪主は仏の側に座っているだけだと言って弔いも出そうともしないし、「おたか」が無理して習い事をさせていた娘は「これから御膳の仕度は誰がするの?お洗濯は?」と言うだけだった。「おえい」はやり切れなさを感じていく。

 苦労して、夫にも娘にも、その心さえ報われなかった「おたか」の家族の姿は誇張されてはいるが、しかし、それが現実だろう。人生はやりきれないことに満ちていて、特に心優しい人は、そのやり切れなさを深く感じざるを得ない。ほんの少しの温もりさえあれば、人は生きていけるが、そのほんの少しの温もりさえない時がある。彼岸花に託された人のやり切れなさが、この作品の妙味であろう。

 「野紺菊」は、夫が亡くなり、残された老いて惚け(認知症)が進んだ母親と養子として取っていた息子を抱え、その母親の介護で明け暮れるひとりの女性の姿を描いたもので、義姉とふたりで母親の面倒を見ているが、日々の暮らしの中で疲れも覚える。徘徊するために一日さがし歩いたりもする。だが、惚けた義母の不安を和らげるためにお漏らしをし始めた義母と一緒寝たりして、義母の面倒を見ていくのである。

 そして、義母が亡くなり、彼女は寂しさを感じていく。ふと、庭の片隅に野紺菊が花をつけていた。義母が俳諧の途中で見つけてきたものを植えたのが花を咲かせていたのである。その野紺菊を見ながら、彼女は「この花が好き・・・」とつぶやく。

 「振り向かないで」は、仲のよかった友人の亭主を寝取った女性が、自分の行いを悔いて、生活を改めていく話で、「そして胸の中で『もう、振り向かないで』と、自分で自分に言い聞かせていた.雨はなかなか止まなかった」(248ページ)という締めくくりの一文が光る作品だった。

 読み終えて、他の作品でもそうだが、宇江佐真理の作品はどうしてこう柔らかく染みわたるような作品になっているのだろうと思い続けた。作者の人柄というものがこれほど文章ににじみ出るような作家も少ないだろう。歴史考証や言葉遣いの曖昧さも全く気にならないほど、人が生き生きと描かれているので、一つの境地と言えば境地に違いない。観察力と感性が優れた作家だとつくづく思う。