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2013年8月9日金曜日

坂岡真『冬の蝉』

 朝からうだるような暑い日差しが射している。このところ眠りも浅くなっているが、幸いにして急ぎの仕事もなく、比較的のんびりとすることができるようになり、暑い夏はのんびりするに限る、と思ったりしている。もっとも、わたしの場合は年中のんびりしてはいるのだが。昨日は新宿伊勢丹の屋上ガーデンで「慰労会」と称して、E教授ご夫妻やT氏らとビールを飲んできた。

 その往復の電車の中で、坂岡真『冬の蝉』(2008年 徳間書店 2011年 徳間文庫)を読む。これは、これまでの文庫本書き下ろし作品とは異なって、作者の初の単行本として発表された『路傍に死す 冬の蝉』を文庫化し、その際に、改題と共に「流灌頂(ながれかんじょう)」という短編を加えて出されたものだが、これまで『うぽっぽ同心』のシリーズとか『照れ降れ長屋風聞帖』のシリーズとか、どちらかといえば包容力があって鷹揚でいながらも情のある人物を主人公にした作品を書いてきた作者が、一変して、シリアスで非常に重いテーマで書いた短編集である。

 ここには、「逆月」、「龍神」、「鬼(のぎ偏のない「おに」が使われているが、わたしの変換ソフトでは表示できなかった)」、「案山子」、「冬の蝉」、「流灌頂」の6編の短編が収められており、いずれも罪を犯した人間がその贖罪を求めて彷徨う姿が描かれている。

 第一話「逆月」は、武士の義と友情、そして愛の狭間で死んでいく人間の物語である。須坂藩士の潮田源兵衛と小柳新九郎は、共に直心影流の道場で龍虎と言われる腕前で、お互いを認め合っていた仲であり、道場主の娘の安芸乃に想いを寄せていたが、安芸乃は何事にも優れていた小柳新九郎に思いを傾け、新九郎と安芸乃は婚約をした。

 だが、藩の勢力争いの中で、二人に一方の勢力であった次席家老を斬る密命が下され、新九郎が手をかけ、その際に顔を見られて出奔する。それから7年の歳月が流れ、新九郎は苦労を重ね、源兵衛は安芸乃と結婚して幸せな家庭を築いていた。

 だが、7年前の事件は、次席家老を斬ることを命じた者の陰謀であり、今ではその男が次席家老になっており、源兵衛はそのことを知りながらも安芸乃との生活を壊したくないので口をつぐんでいた。彼は妻の安芸乃がまだ新九郎に想いを残していることも知っていた。そして、自分が口をつぐんで今の生活を行っていることに自責の念を抱いていた。

 そうして、新九郎が再び帰ってきて、陰謀を図った今の次席家老を惨殺し、逃走したのである。潮田源兵衛は小柳新九郎の捕縛を命じられ、彼と対決しなければならなくなった。

 安芸乃は、「どんな惨めな姿になっても、きっと、お戻りください」と懇願し、源兵衛は妻の安芸乃が新九郎ではなく自分のことを心底案じてくれていることを知るが、源兵衛と新九郎は斬り結んで、結局、二人共死を迎えるのである。

 源兵衛は、自分が一切の口をつぐんでいることで、友人の新九郎を裏切り、武士の義を裏切り、表面の安定だけを望んでいるのではないかと自責の念に駆られていくが、安芸乃の愛によってそれが氷解していくのを感じる。結局、罪は、それがどんな形のものであれ、愛によってしか贖われない。この物語はそんなことを考えさせる作品であった。

 第二話「龍神」は、因業、あるいは同じように繰り返される過ちということを感じさせるような作品だった。公儀御馬預役の組下に入れられた草壁求馬は、傲慢不遜な上司の新妻と不義を犯すようになり、不義の現場に上司に踏み込まれて斬殺されかけるところを偶然が幸いして、女性は上司に斬り殺されたが、反対に上司を殺して逃げた。

 だが、彼は追っ手の影に怯える者となり、逃げる途中で、旅の僧から北の果てにあらゆる罪を食ってくれる龍神がいる湖があると聞き、そこへと向かう。途中で路銀が尽き、空腹に苛まれながら農家を襲うが失敗し、ついに力尽きる。だが、大男に助けられ、そこにしばらく身を置くようになる。

 その大男のところには口の聞けない娘がいて、娘は求馬に自分を連れて逃げて欲しいと頼み、二人は交わる。大男もまた、かつて南部侍だった時に、自分の妻を上司から饗応に召し出せと言われ、彼は断るが、夫の立場を慮った妻が饗応先にいった時、彼はその場に駆け込んで相手の男と妻を刺殺して逃げていたのであった。

 また、娘の母親も、大男の妻同様に、嫁いだ先から饗応のために一夜の伽を命じられて、子までもうけてしまったことから、嫁ぎ先を追い出されて自ら命を断っていたのであった。そして、逃げていた大男に娘は拾われ、育てられ、やがて大男の妻とさせられていたのである。

 求馬は娘を連れて逃げたのは良かったのだろうと思うが、やがて龍神が住むという十和田湖にたどり着いた時に、追いかけてきた大男は、娘を殺して来て、その首を投げて求馬を殺すのである。

 同じような過ちが繰り返される。それは因業かもしれない。この物語に救いはない。だが、それが「罪のゆるし」を知らない人間の現実だろう。男と女が、それがささやかなものであっても、現状から逃れたいという思いで結ばれるとき、その関係は因業となり、出口のない底なし沼に引きずり込まれていくのかもしれないと思う。

 第三話「鬼(表字はのぎ偏がない)」は、日本橋の橋番として、ただ晒し刑の罪人を見続けてきた男が、自分の人生の中でただ一度の恋に命をかけ、そしてまた今度は自分が晒し刑の罪人として晒される話である。男の命がけの行動は報われないし、全ては無意味に見える。だが、彼は人を恋することによって命のきらめきを知った。本作の中ではこれが唯一救いのある話のような気がする。

 第四話「案山子」は、友人の依頼によって藩内の抗争に巻き込まれた男が、「武士の義」のために反乱に加担し、そのために愛する妻は自害をし、自分を巻き込んだ友人は裏切り、その絶望の中で斬り合いを繰り返して死んでいく話である。彼の絶望が克明に描かれていく。

 第五話「冬の蝉」は、かつて加賀騒動に加わって藩主の影武者を鉄砲で撃ち殺した男が、追っ手を逃れて山中で孤独な生活をし、贖罪のために一万体もの立木仏を彫り続けていたが、ついに追っ手が来て、お互いに鉄砲で対峙することとなる。だが、その時に雪崩が起きて、彼の追っ手も、彼が彫り続けていた立木仏も雪に流されてしまうという話である。そして、それから百年後、すべてが朽ち果てた中に、彼が彫った一万体の立木仏が人知れず立っているという話である。

 これは、短編として深い余韻が残る作品である。彼の贖罪は長い年月の中で沈黙のうちになされていくのである。

 第六は「流灌頂」は、文庫化にあたって書き下ろして加えられた作品であるが、三年前に役人を斬り、凶状持ちとなった男が、罪の意識に苦しめられながらも、女郎として売られた娘を助けていくのだが、それが禍してついに捕縛されて死罪を言い渡されていく話である。「流灌頂」というのは、お産で死んだ人の霊を弔うために、川辺に棚を作って布を張り、そこを通りかかった人に水をかけてもらうという風習だが、彼の贖罪は、身も知らぬ娘のために働いて、「ご恩は一生忘れません」と言われることで、成し遂げられていく。

 ここに収録されている作品は、それぞれの罪を背負った人間が、罪の意識に苛まれながらも贖罪の旅をして、やがて死を迎えるというもので、その死の迎え方がそれぞれに異なっている。そして、愛することによって贖罪が果たされていく姿を描いたもので、それぞれに含蓄のある作品になっている。

 物語の展開としては第一話「逆月」、短編としての作品の出来としては表題作である「冬の蝉」が優れていると思う。
 

2013年3月14日木曜日

坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎3 獅子身中の虫』


 昨夜から降っていた雨もあって、今日は曇天の寒い日になった。でも、この雨で空気中に飛散していた埃や汚染物質が洗われたかもしれない。九州から桜の便りが届いた。

 先に続いて、坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎3 獅子身中の虫』(2011年 角川文庫)を読む。これもT氏がくださったもので、本書では、一流の剣客となろうとする毬谷慎十郎を唯一負かした女剣士で、いつの間にか彼の大らかさや豪放磊落さに惹かれていく丹波咲が年来の思いであった父の仇を討つことを中心にして物語が展開されていく。

 主人公の毬谷慎十郎は、江戸の三大道場の一つであった男谷精一郎の門下の中でも白眉と称された島田虎之助との立ち合い(剣術試合)で引き分けとなり、丹波道場を出奔し、金もなく、再び空腹を抱えて大路で大の字になって寝込んでしまう。そして、そこでも貧しい母娘に助けられたり、大道相撲を取っていた青葉山との勝負に買って金を稼いだり、彼に関心を持つ元仙台藩士で男谷道場の門下生の奥井惣次の世話になったりして暮らしていくようになるのである。青葉山も奥井惣次も共に仙台藩と関わりがあるが、そのことがやがて仙台藩を中心にした抜け荷事件などと関わっていく伏線となっている。

 こうした日々の中で、毬谷慎十郎は、とうとう無宿人刈りで人足寄場に送り込まれるようになる。そして、その人足寄場で彼らを利用して私腹を肥やす不正を目の当たりにしていくのである。その不正には、火盗改めや寄場奉行なども関わっていた。

 他方、仙台藩の抜け荷を探っていた公儀隠密が薩摩示現流の使い手によって斬殺されるという事件が起こる。その手口は、十年前に丹波咲の父親を殺した手口と同じであることから、咲は父を殺した犯人の探索を始めていく。丹波咲の父親も、公儀大目付からの依頼を受けて仙台藩の探索を始めていて、そこで斬り殺されたのである。

 彼女は罠に嵌められたりするが、その犯人が仙台藩の剣術指南役となったことを知り、彼と戦うために仙台藩主の御前試合に出るために仙台に向かう。

 一方、人足寄場で集められた人足たちが悲惨な目にあったり殺されたりすることを目撃した毬谷慎十郎は、不正を働く者たちと戦い、彼らを解放していくが、悪の根源であった火盗改や寄場奉行にはお咎めなしであったし、そこに薩摩示現流の使い手がいて、彼が平然と人足の首をはねたりしているのを目撃していた。そして、彼は咲が仙台に向かったことを知り、その身を案じて仙台に向かう。

 そこには、仙台藩が藩ぐるみで抜け荷をしているのではないかという幕府大目付の依頼を受けた脇坂安薫(わきさか やすただ)による探索の依頼もあった。毬谷慎十郎は、咲の行くへを探しながら、仙台藩家老と商人が結託した抜け荷事件の真相を暴く。その事件の奥に幕府老中の一人も関与していたことがわかる。ただ、その時に一緒に行った青葉山は薩摩示現流の使い手によって斬り殺されてしまう。

他方、咲は、仙台藩主の御前試合に出場し、見事に薩摩示現流の使い手を破って仇を討つ。こうして、抜け荷事件の解決と咲の仇討ちは見事に成し遂げられるのだが、さらにその奥には、幕府老中を父親にもつ火盗改組頭の旗本が関与しており、彼は自分の出世のために、父親や商人などを利用していたのである。そして、事件の真相を知っている脇坂安薫の命を狙う。

毬谷慎十郎は、その旗本も成敗していくのである。物語の展開の中で、前作で登場した闇の元締めなども登場するし、人足寄場での人間関係や私欲で繋がった人間どうしの姿も描き出されていく。そして、汚泥の中でまっすぐ生き抜こうとする主人公の姿が描かれるし、仕方なしに脇坂安薫のために働かされながらも、安薫を尊敬していく姿も描かれ、咲の想いと咲への主人公の想いが傾いていく姿も描かれる。咲はようやく毬谷慎十郎に稽古をつけることを約束して、彼がそれを小躍りするところで終わるが、こういう終わり方も爽やかでいい。

物語は、主人公と同じように大雑把に進んでいくようでいて、あちらこちらに確かな時代考証と社会背景がしっかり押さえられていて、スッキリ読めるように構成されている。 本作でこのシリーズは終わりのような気もするし、続編があるような気もするが、娯楽時代小説として気楽に読めた一冊である。

2013年3月8日金曜日

坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎2 命に代えても』


 日中の寒暖の差はあるものの、すっかり春めいた陽射しが明るく降り注いでいる。中国からの黄砂や大気汚染の飛来はあるが、こういう暖かさは本当にありがたい。今年は立て続けに友人たちが召天し、自分の身のあり方も考えているが、能天気で有りうるのは幸いなことだと思ったりもする。わたしの能天気さに春が拍車をかける。

昨夜は、坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎2 命に代えても』(2011年 角川文庫)を気楽に読んだ。これは、多分、先月(2月)にこのシリーズの最初の作品を読んで所感を掲載していたのに同級生で演歌の作詞家をしているT氏が気づいて下さり、わたしに送ってくださった本の一冊で、この続編もいただいている。感謝の極みである。

 前作で、主人公となる毬谷慎十郎の背景なども詳細に記されていたが、本作では、主人公が大奥の年寄(取締役)の絡む事件に巻き込まれ、彼が身を寄せていた丹波道場の一人娘で毬谷慎十郎を完膚なきまでに打ち負かした女剣士である「咲」も囚われの身となったりして危機を迎える話が展開されている。

 主人公の毬谷慎十郎が属していた播州龍野藩の藩主であり、江戸幕府の老中である脇坂安薫(わきさか やすただ)は、長く寺社奉行を務めたころに、大奥の女中と谷中の延命院の僧の日潤、日道が淫行にふけっていた「延命院事件」を摘発して裁いたことで有名で、藩を出奔した浪人でありながらも脇坂安薫に気に入られているという設定で物語が進められているから、本書で大奥絡みの話が展開するのもうなずけられる。

 大奥は女の悲しさと欲望が渦巻いたところであるが、その大奥で並ぶことのない権勢をもつ年寄の霧島は、その権勢を利用して、役者買いをしたり、高価な麝香の抜け荷をしたりで、権勢を傘にして好き放題をしていた。彼女は、いくぶん狂気を帯びて、大奥に忍ばせてきた役者が気に入らないと丸焼けにさせて、それがもとで江戸城の西の丸の火災を引き起こしたりもしていた。もちろん、その罪は他の者にかぶせるのである。

 また、麝香の抜け荷のために、大奥で仕える女中を「神隠し」と称して監禁し、麝香取引の値の一部として売り飛ばしたりもしていた。咲も霧島に捕らえられて売り渡されそうになったりするのである。

 毬谷慎十郎は、大胆不敵にも大奥に忍び込んで女中を助けたりして活躍するが、咲に「命に代えても守る」と約束したとおり、咲を救出するために奔走していくのである。闇の元締めというのも登場したりする。

 これはこれでおもしろく読めるのだが、読んでいる途中で、だんだん、作者の代表作の一つともなっている『うぽっぽ同心』にどことなく主人公や構成が似てきたところを感じたりもする。咲は次第に毬谷慎十郎に想いを寄せていったりするし、慎十郎は慎十郎で彼を藩主の手先として使おうとする龍野藩家老の娘のことを心にもっており、それがどうなるのか、といったことや、咲は父親を殺されており、その仇を討つことを考えており、そうした展開がどうなるのかということもあるが、まあ、あまりしゃちこばったことは考えずに、娯楽作品として、ほかの多くの娯楽時代小説文庫の一冊と同じように楽しめる作品だろうと思う。

 ただ、時代は天保9年で、社会が危機に瀕して騒然とし始めた頃で、将軍家斉は惚けたように淫蕩にふけっており、時代が大きく変わろうとしているころであり、そうした中で、何者にも捕らわれずに鷹揚に豪放磊落に生きるという姿を描くというところには、実は大きな意味があるように思っている。「何ものにもとらわれない」という姿勢は大事である。

 ただ、「なにものにもとらわれない自由」というものは、しばしば飢える。その点では、この作品の主人公も飢えて路頭に迷うことしばしばであるが、その飢えにもとらわれないというのが爽快である。「まあ、飢えたら死ねばいい」、わたしもそう思っている。

2013年2月13日水曜日

坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎』


 雪の予報も出ていたが、穏やかに晴れてきた。気温も、決して高くはないが、雪が降るほどの低さではない。昨日、北朝鮮が核兵器の地下実験を行ったことが報じられた。自分の力を保持して誇示するために兵器をもつという貧しい発想が、まだ世界には根強く残っているのを改めて感じる。国にしろ個人にしろ、地位や立場などというつまらないものは捨て去ったほうが遥かに生きやすいだろうに、と思ったりする。

 そんなことを思っていたが、その中で、坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎』(2010年 角川文庫)を気楽に面白く読んだ。この書き出しが、振るっている。

「天保九年如月。
腹あ減った。
もう一歩も動けぬ」

というもので、こういう書き出しで描かれる主人公の「あっけんからんとした」姿が彷彿させられるものである。

 物語は、播州龍野藩(現:兵庫県南西部)から江戸に出てきた田舎剣士毬谷慎十郎の活躍を描いたもので、彼が播磨の小京都と呼ばれるほどの美しい龍野から埃が舞い上がる江戸に出て、とうとう路銀も尽きて空腹で道端にひっくり返るところから始まる。

毬谷慎十郎は、龍野で剣術道場を営む親から勘当同然のようにして江戸に出奔してきて、浪人となったのだが、本人はそのことを意にも返さず、剣豪ひしめく江戸で名を挙げ、いつかは故郷に錦を飾りたいと思っていた。六尺を越える偉丈夫の体をもち、自由奔放で型破りながらも、素朴で真正直な彼の江戸での生活は、空腹で倒れるとことから始まり、江戸市中を騒がせていた「黒天狗」という強奪や殺戮を繰り返す一味との決着へと向かうことになる。

まず、往来でブッ倒れた彼に飯粒を与える願人坊主が現れ(この願人坊主は実は龍野藩の隠密)、次に同じような浪人によって飯を恵んでもらう。この浪人は恩田信長と名乗り、最初は毬谷慎十郎がもっていた刀を狙っていたのだが、それが失敗して、なぜか彼が気にいって世話をしていくのである。毬谷慎十郎は、その磊落さで人を惹きつけるものをもっていた。

それから彼の道場破りの日々が始まっていく。毬谷慎十郎は、単純に江戸の剣豪との手合わせを望み、恩田信長は、彼が打ち破った道場からいくばくかの金をもらうという互の利害が一致しての日々である。毬谷慎十郎は強かった。彼は、藩の剣術指南役であった円明流の達人である父から剣術を学び、毬谷三兄弟の末子として剣名をあげ、その兄弟の中でも最も優れた資質をもつと言われていたし、さらに鳥取藩の深尾角馬が生み出した雖井蛙流(せいありゅう)を会得しようとして、父の勘気を買って破門させられたのである。雖井蛙流はあらゆる攻撃に対しての対応の技で、雖井蛙(せいあ)とは「井の中の蛙」という意味で、毬谷慎十郎は、田舎ではなく江戸で大海を泳ぎたいと思っていたのである。当時の江戸で剣名を覇せていたのは、剣聖とまで言われた北辰一刀流の千葉周作、直心影流の男谷精一郎、神道無念流の斎藤弥九郎などで、慎十郎は、いつかはこれらの人たちと手合わせをすることを望み、次々と道場破りをし、また勝っていくのである。

彼の江戸での生活は、そうした破天荒の日々で、道場破りで勝ったときに相手が渡す「袴の損料代」という、いわば口止め料を彼についていた恩田信長がせしめることで成り立っていたが、彼は金銭には一切無頓着で、恩田信長はそれで吉原に遊びに行ったりもする。

しかし、その彼が、斎藤弥九郎の練兵館に出稽古に来ていた咲という美貌の女剣士に見事に負けてしまう。咲は、子どもの頃に丹波道場という剣術道場をしていた父親が何者かに殺され、祖父のもとで育てられて剣を学んだ女性だった。毬谷慎十郎は、自分を負かせた咲のいる丹波道場に居候として転がり込むのである。咲の祖父丹波一徹は、千葉周作の兄弟子で、丹石流の達人だったが、笹部右京之介という男に後ろから背中を斬られ、弟子を取るのをやめて咲と二人で暮らしていたのである。

この笹部右京之介が、いわば毬谷慎十郎の宿敵となる。笹部右京之介は、大身の旗本の次男で、千葉道場で剣の修行を積み、天才と称されるほどの腕を持ち、官学の昌平坂学問所では神童と言われた逸材だったが、いつか捻じ曲がって狂気を帯び、千葉道場を破門されて冷徹な人殺しに変わっていった人物である。彼は、咲の祖父の丹波一徹がもつ秘剣を教えてもらいに行ったが、一徹から断られ、背を向けた一徹の背中を斬ったのである。

毬谷慎十郎が江戸に出てきたころ、江戸では大阪で乱を起こした大塩平八郎の残党を名乗る者たちが、徒党を組んで商家を襲い、強奪して、家人を皆殺しにするという事件馬頻発していたが、その背後に「黒天狗」と名乗る武士の一団があり、笹部右京之介は、その首魁だった。天保の大飢饉で逃散してきた百姓や浪人者を集め、彼らを煽って暴徒と化して襲わせていたのである。

この事件の背後に、天保6-7年(183536年)に起こった但馬(兵庫県)の出石藩仙石家で起こった「仙石騒動」があった。「仙石騒動」については、先に触れた海音寺潮五郎『列藩騒動録』の通りだが、幕閣の水野忠邦の意を受けてこれを裁いたのは当時寺社奉行であった脇坂安薫(わきさか やすただ)であるが、彼は本書の主人公の毬谷慎十郎が属していた龍野藩の藩主である。

脇坂安薫は、この「仙石騒動」の裁きで、やがて老中にまでなっていくが、寺社奉行の時、大奥の女中と谷中の延命院の僧の日潤、日道が淫行にふけっていた「延命院事件」を摘発して裁いたことで有名で、長槍の穂先を貂の皮で包んでいたことから、「貂の皮の名奉行」と言われていた。彼は長年寺社奉行を勤め、一度退いてから、再び幕閣として再登用されたのである。そこに幕閣内の政争があったことは間違いないが、剛毅さと反骨精神に富んだ人物であった。「仙石騒動」の裁きは、彼が再登用されてからの出来事である。

「仙石騒動」の裁きで、仙石家に肩入れしていた老中松平康任が解任され、その康任に仕えていた笹部修理も無役となった。旗本の笹部修理は康任の口利きで勘定奉行にまでなったが、相談役のような役割を果たしていた出入り旗本としての仙石家への出入りも禁じられた。笹部修理は、自分に対してこのような仕置を招いた脇坂安薫を逆恨みして、龍野藩の出入りの商人の家を次男の右京之介を使って襲わせたち、強欲な札差と結託してコメ相場を煽ったりしていたのである。もちろん、このあたりは創作である。

龍野藩脇坂家の家老の赤松豪右衛門は、これを察知して、「黒天狗」を名乗る旗本の息子たちへの対応を、剣の腕があって浪人となった毬谷慎十郎にさせようとするのである。赤松豪右衛門と毬谷慎十郎は少なからぬ因縁があった。それは、豪右衛門の一人娘の静乃が龍野で花摘みに出かけた時に山賊に襲われ、そのとき16歳の若侍が山賊を蹴散らして静乃を助けたのである。その若侍が毬谷慎十郎で、娘を助けられた豪右衛門が、何でも好きなものを所望せよと言ったところ、「姫をくれ」と言ったので追い返したということがあったのである。しかし、それ以来、娘の静乃は慎十郎に想いを寄せて縁談を断り続けていた。慎十郎が律儀に城勤めをするような人間ではない自由人であることを彼は見抜いてもいた。もし、慎十郎が藩のために命を落としたということにでもなれば、静乃も納得するのではないかと考えていたのである。藩の家老としても、また静乃の父としても一石二鳥を狙ったのである。願人坊主の源信は、彼の密命を帯びて毬谷慎十郎を見張っていたのである。

だが、「黒天狗党」の首魁が笹部右京之介であることの証拠を探ろうとして、源信は右京之介に殺されてしまう。毬谷慎十郎の日常生活を見ていた恩田信長も殺されてしまう。吉原で、拐かされて売られようとした茶屋の娘を助けるために吉原に行った毬谷慎十郎は、偶然いあわせた笹部右京之介と出会い、一度立ち会うが、適わないことを知り、丹波道場を出て市中をさすらうようになる。そして、ふとしたことで札差にやり込められている貧乏御家人を助けたことから、その札差の用心棒となる。

ところが、その札差が、実は笹部修理と組んで、右京之介を使って市内の米問屋を襲撃させ、米の値段を釣り上げているような人物であった。毬谷慎十郎は、そういうことのからくりを見抜いて、札差と修理を川に叩き込み、右京之介と対峙して、これを討つのである。

こうした物語が本書で展開されているのだが、自由奔放で磊落ながらまっすぐに突き進み、義理堅い主人公の姿の描写の中で、人助けがあったり、吉原でのいざこざがあったり、暴徒と化す群衆が出てきたり、それを操る人間や米相場や強欲な札差、私怨に走りつつも欲の皮が突っ張ったような旗本、剣劇や殺人剣の使い手のねじ曲がった性格、老剣士の教えや恋、そういういわば時代小説の面白さを構成するものが盛り沢山で、しかもテンポのいい文章で、面白く読めるようになっている。

隠密であり願人坊主の源信や食いつめ百姓から侍の格好をしている憎めない恩田信長といった人物は、途中で殺さずに、ずっと物語に中で生かしたほうが良いようにも思ったが、きちんとした歴史を踏まえつつもこれだけ盛り沢山な作品であるから、真に気楽に面白く読める作品だった。

2013年1月11日金曜日

坂岡真『乱心 鬼役三』


 「寒」の季節に入って、暦通りずっと寒い日々が続いている。この季節には物事を鋭く感じてしまうところがあるのか、どこか物事に批判的になったりする。昔、旧約聖書の専門家である木田献一先生が、一緒に食事をするたびに、「怒ってください。怒って、それを情熱に変えて仕事をしてください」と言われていたことを、ふと思い出した。その時、先生は徹夜で原稿を書かれたとかで目が真っ赤になっていたが、体全体から発するエネルギーには相当なものがあったことを記憶している。批判を創造へ、それが、木田先生が語られたことだろう。

 そんなことを思い出しながら、坂岡真『乱心 鬼役三』(2012年 光文社文庫)を面白く読んだ。坂岡真の作品は、これまで『うぽっぽ同心シリーズ』とか『照れ降れ長屋風聞帖シリーズ』とかを読んで、シリアスな状況の中でもどこかのんびり構え、鷹揚に生きている主人公が描かれてきたのだが、この作品は、江戸中期の徳川家斉の時代(天保年間)での江戸幕府と朝廷の確執を背景に、表では将軍の毒見役(これが「鬼役」と呼ばれるらしい)をしながら、その一方で田宮流抜刀術の達人として不正を正し、将軍の護衛をする暗殺者として活躍する矢背蔵人介(やせ くらんどのすけ)という人物を主人公にして、いわば剣劇小説を兼ねるシリアスな作品になっている。

 江戸幕府と京都の朝廷とのあいだの確執は、家康が江戸幕府を開いて以来続き、特に江戸幕府が公家諸法度を制定して朝廷の力を抑え、三代将軍徳川家光が祖父家康を「東照宮」という「神」に祭り上げたころに、それまで「神儀」を司ってきた朝廷の怒りが頂点に達したとも言われているが、以後も度々争いごとが暗裏に起こってきていた。

 本書では、徳川家斉が正倉院宝物殿に収められている「蘭奢待(麝香の木)」を欲したために、代々朝廷側が守り続けてきて、国治めの象徴でもあった正倉院宝物を権力で奪い取ろうとしたことに怒った朝廷側が、次々と暗殺者を送りこんでくるという設定になっている。

正倉院宝物殿の「蘭奢待」は、織田信長が無理やりこれを切り取って寵愛したことなどから権力者の象徴のように考えられてきていた。「蘭奢待」は、朝廷をものともしなかった織田信長が切り取り、いわば朝廷侮辱の象徴のようなものだったのである。

 加えて、老いてなお精力絶倫だった家斉が将軍職に固執したために、次期将軍徳川家慶とその側近たちはジリジリとした日々を過ごし、暗に早期の家斉の死を望んでいたし、そのまた後継者の問題も浮かび上がっていた。加えて、家斉が寵愛したお美代の方と彼女の養父として中野碩翁(清茂)が権力を掌握して私化したための権力闘争や大奥でのお美代の方と正室の茂姫(広大院)との間の争いなどが繰り広げられていた。

 こうしたことを背景にしているので、事柄は政治権力の争いであったり、権力欲の争いであったり、金欲の争いであったりするから、勢い、問題がドロドロとしたものになるし、毒殺という手段がもちいられることもあるので、毒見役は命懸けのこととなる。

 そういう中で、主人公自体も暗殺者としての自分の在り方を悩んでおり、権力争いに巻き込まれることにうんざりしていることもあるし、剣技の争いが展開されるので、物語全体が極めてシリアスなのである。朝廷から送られてくる暗殺者たちは、呪術を使ったり幻惑術を使ったりするし、剣技も一筋縄ではいかないのである。そして、主人公が婿養子となっている矢背家も、代々は天皇を影で守る八瀬童士の流れを組むものであったりするので置かれている立場も複雑なのである。

 しかし、作者らしい明るさもふんだんにあり、茶道の名人で薙刀の名手でもある義母のは、たえず凛とした雰囲気を漂わせ、主人公が苦手とする人物であったり、妻もその娘として矢の名手で毅然として物事に対応する女性であったりして、この二人の強い女性の中で、主人公がおろおろする姿も描かれる。矢背家には、もうひと隣家から預かった次期将軍徳川家慶の落胤があり(その顛末のくだりは、シリーズの1-2作で語られているのだろう)、彼がまた吉原の花魁に惚れて入り浸りの生活をするというぐうたら者で、主人公の心配の種でもある。そういう人間味のある人物として主人公が描かれ、しかも対峙している問題が幕府内の不正や幕府と朝廷の確執という展開になっているのである。また、家慶の落胤が登場することで、家慶の後継者問題も絡んでくる。

 主人公は、朝廷側から送られてくる刺客と次々に対応し、しかも独自の観点を持って幕府要人たちや将軍を見ており、家斉が守るに値しない人物であるとは思いつつも、宮仕えの厳しさを感じながらもなんとか刺客の手から家斉を護るのである。

 作者としては意図的に硬派的な筆の運びをしながらも、人間味を溢れさせようとしているところがあるように思われて、作者の新しい境地の展開かもしれないと思いながら、面白く読めた作品だった。どちらかといえば上田秀人の作風を思わせる展開になっているが、坂岡真らしい人物の描き方が随所にあって楽しめる作品である。

2012年11月22日木曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 病み蛍』


 一昨日は真冬並みの寒さに震え、昨日は暖かさを感じる晴天、そして、今日は朝から雲が広がっている。日曜日の夜に会議で新大久保まで出かけ、ひどく寒い思いをして帰宅したこともあり、今週はどこか冴えない気分で始まっていた。そして、昨夜はなぜかひどい寂寞感を覚えていた。地位や業績を誇りたがる人々とそれに群がる人々に接したからかもしれないし、晩秋の空気に支配されたからかもしれない。独りの生活には、時折こんなこともある。

 そういう中で、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 病み蛍』(2007年 徳間文庫)を読んでいるうちにどうしようもないと持て余していた寂寞感も消えて、読書が現実逃避ではないが、やはり、物語に浸るというのはいい、と思ったりした。

 これは、出世にも金にも執着しないで飄々と生きて、「うぽっぽ(役たたずの暢気者)」と渾名されている南町奉行所の臨時廻り同心長尾勘兵衛を主人公にしたこのシリーズの6作目で、これ以後に出された作品も既に読んでいるが、取り扱われる事件ごとに一話完結の連作になっているので、どれを読んでも面白く読める。

 とはいえ、主人公の身辺は作品ごとに進んでいき、勘兵衛の妻の静は、一人娘の綾乃が生まれてまもなく突然に理由もわからないままに失踪し、勘兵衛は、男手一つで綾乃を育ててき、その綾乃も家を貸している医者の豪放磊落な井上仁徳の下で医者を志しながら、出入りする同心の末吉鯉四郎に密かな想いを寄せるようになっている。勘兵衛は、失踪した静を思いつつも、料理屋の女将である「おふう」に想いを寄せるようになるが、その「おふう」も死んでしまい、本書は、「おふう」の死によって抜け殻のようになってしまったところから物語が始まっていくのである。

 本書には、「瓜ふたつ」、「病み蛍」、「むくげの花」、「不動詣で」の四作が収められ、第一作「瓜ふたつ」は、主人公の長尾勘兵衛とよく似ているが、娘のために罪を犯してしまう北町奉行所同心の占部誠一郎という男の姿を描いたものである。

 物語は、妊婦が大八車に轢かれてお腹の子を死なせてしまうという事件から始まる。妊婦を轢いたのは将軍家御用達の青物問屋(主に野菜・果物を扱う問屋、八百屋)の「鳴子屋」の大八車で、さっそく女の亭主を名乗る男が「鳴子屋」に押しかけて内済金(示談金)を強請取るということが起こったのである。この事件を扱ったのが北町奉行所の「うぽっぽ」と呼ばれる占部誠一郎だった。

 妊婦のことが気になった長尾勘兵衛が占部誠一郎に会ったとき、占部誠一郎は、「鳴子屋」が青物の値段を釣り上げるために多くの青物を捨てているという事件を探索していると告げ、その証拠を見つけるために勘兵衛に助力を依頼する。

 愛する「おふう」の死によって悲しみに沈んでいた勘兵衛は、この事件をきっかけに再び生気を取り戻し、「鳴子屋」の青物棄却の現場を見つけるが、そこには佃島の人足寄場の与力や同心が絡んでおり、「鳴子屋」の「青物囲い込み事件」がかなり大掛かりなものであることを感じていくのである。そのうちに、「鳴子屋」を強請った妊婦の亭主が殺され、また、妊婦自身も拐かされたり、占部誠一郎の一人娘の婚儀が整おうとしていた相手の物書同心が殺されたりする事件が起こる。勘兵衛自身も何者かに命を狙われたりする。

 だが、これらのことはすべて、北町奉行所の「うぽっぽ」と呼ばれた占部誠一郎が仕組んだことであった。占部誠一郎の一人娘は、利発で可愛らしいところのある娘であるが、顔に疱瘡の跡が残り、そのために婚期を逃し、ようやく50両という持参金付きで物書同心の後妻に収まることになていたのである。占部誠一郎は、その持参金を作るために「青物囲い」をしている「鳴子屋」を脅して金を得ようとし、その途端に妊婦を大八車に轢かせるということを仕掛けたのである。長尾勘兵衛に助力を頼んだのは、勘兵衛の介入によってさらに「鳴子屋」を脅すためであった。

 ところが、婚儀が整おうとしていた物書同心が、さらに200両もの金を要求し、娘を馬鹿にしたことで、占部誠一郎は物書同心を斬り、自暴自棄となっていったのである。これらのことを勘兵衛の地道な捜査で知られてしまう。そして、彼は、「鳴子屋」と、絡んでいた同心を斬り殺して、自害する。

 すべてを知った勘兵衛は、娘のために破滅した占部誠一郎を憐れみ、娘が罪を問われることなく生きていけるように、「鳴子屋の青物囲い込み事件」を占部誠一郎の手柄として事件を処理しようと思うのである。

 こういう主人公の姿は、読んでいて爽快になる。悪は悪であるが、「人を生かす」ことが第一となっていくような在り方、悪に染まったとはいえ、人が命をかけて守ろうとしたものを守っていこうとすること、そういうことにこそ意味があることを改めて感じたりするのである。

 第二話「病み蛍」は、老いて貧しい暮らしを強いられている元岡っ引きが最後の死に花を咲かせる話である。元岡っ引きの源七は、かつて強盗犯を追う途中で太ももを斬られて致命傷を負っていた。かろうじて一命は取り留めたものの、足の自由が効かないことや自分が強盗犯を取り逃がしたことから岡っ引きを引退したのである。彼の一人娘は、飾り職人と結婚したが、夫が亡くなり実家に戻っていた。だが、彼女は夫の子を身ごもっており、源七は孫ができたことを喜んだが、生活が彼の肩にかかり、貧しい長屋暮らしをしていた。勘兵衛は、源七のことが気に掛かり、ときおり、訪れてはそっと助力したりしていた。

 そうしている中で、浅草橋のたもとに女性の死体が上がるという事件が起こる。付近を探索して、何者かと争った跡があり、その女性が殺されたことが分かっていく。女性は柳橋の芸者「小菊」で高利貸しの近江屋から身請け話もあったという。だが、彼女が殺された夜に呼ばれた座敷はかもじ屋(つけ毛屋)の三河屋で、三味線のうまい「小梅」と同席であったという。そして、今度はその「小梅」が厠の梁にかもじ(つけ毛)で首をくくって自害するという事件が起こってしまうのである。

 ここで元岡っ引きの源七が関わった事件と交差する。源七を刺して逃げた強盗犯と「小梅」は昔から繋がっており、強盗犯は、今度は高利貸しの近江屋を狙っていたのである。老いた源七はそのことに気づき、強盗犯を追っていたのである。強盗犯は「小梅」を使って「小菊」から近江屋の金のあり場所を聞いたが、そのことに気づいた「小菊」を「小梅」に殺させたのである。そして、良心の呵責をまだもっていた「小梅」は自害したのである。源七は強盗犯を自分の手で捕らえようとして強盗犯をつけ、逆に殺されてしまう。

 事件の真相を知った勘兵衛は駆けつけ、源七の最後を看取り、強盗犯を捕らえる。勘兵衛はその手柄を源七のものとして奉行所に届け、南町奉行の根岸肥前守から源七の娘に褒美が出されるように取り計らうのである。

 第三話「むくげの花」は、志を持ちながらも藩籍を離れて浪人しなければならなかった男が、最後まで自分の志を貫いていく話である。上野寛永寺の末寺である行元寺の裏山を掘り崩して土を売ろうとした咎で一人の浪人が捕縛された。掘りすぎて土が崩れてきて埋まったところを助け出されたという。名は牛島丑之助といい、名のとおりの大きなもっそりした男で、秋田藩佐竹家の家臣だったという。彼には九歳になる男の子がいて、父子の貧しい二人暮らしであるという。処置を番屋から相談された長尾勘兵衛はその男に会い、彼が土砂崩れを防ぎ、行元寺裏手の長屋を守ろうとしていたことを知ると同時に、彼に妙な魅力を感じていく。そして、彼が秋田藩の日本海に面した土地に砂防林を築こうとしていたが、藩籍を離れなければならなくなり、浪人し、扇子の下絵描きや用心棒などをして生活していることを知るのである。その彼が最活のために描いいている扇の下絵が「むくげの花」で、勘兵衛がもっていた扇子が偶然にも彼が描いたものだったのである。

 その牛島丑之助の息子が何者かに拐かされそうになり、息子の代わりに彼に想いを寄せる扇問屋の次女が拐われてしまう事件が起こる。そして、丑之助もその話を聞いて出て行ったままで戻ってこない。話を聞いた勘兵衛は、彼らが秋田藩佐竹家の上屋敷に捕らわれているのではないかと当たりをつけて上屋敷に向かう。前に、牛島丑之助をつけ狙っていた男が佐竹家の上屋敷に消えるのを目撃していたからである。

 佐竹家上屋敷に乗り込んだ勘兵衛を迎えたのは次席家老で、丑之助は公金を横領し、藩籍を追われ、それを苦に妻女が自害したと告げられる。その妻女は次席家老の娘だとも言う。だが、丑之助は浪人であり、拐われた娘も町人だから、勘兵衛は引渡しを求め、娘は返すが、丑之助を引き取るためには南町奉行の書面が必要だという。勘兵衛は、唯一自分を理解してくれている奉行の根岸肥前守に頼んで、書類を書いてもらい、丑之助は助けられる。

 丑之助の話を聞いてみると、自害したと言われる妻女は、本当は秋田杉を扱う材木商の娘で、莫大な持参金つきで次席家老の養女となり、剣術の午前試合で勝った丑之助と結婚したのだという。そして、丑之助が江戸勤番に命じられた隙を狙って、午前試合に負けた森脇平九郎という男が言葉巧みに彼女に言い寄り、不義の仲となってしまい、しかも丑之助が育てている息子は養父の次席家老の子であると言う。そのことを告げて彼女は自害したと言う。丑之助はその仇を晴らすことを一念としてもっていたのである。

そして、ついに牛島丑之助は決起する。次席家老に果たし状を送り、次席家老は三十人もの家臣に命じて丑之助を取り囲む。そのことを知った長尾勘兵衛は同心の末吉鯉四郎とともに果し合いの場に駆けつけ、丑之助の決死の孤軍奮闘ぶりを目撃する。そして、丑之助に助成する。丑之助は見事に森脇平九郎と次席家老を倒し、本懐を遂げる。丑之助はすべての本懐を遂げたあとで自害しようとしていたが、勘兵衛はこれを止めて、江戸の海岸の砂防林建設のために働くように言う。根岸肥前守がそれを依頼していると告げ、そのことによって丑之助やその子ども、そして彼に想いを寄せていた扇屋の娘が生きるようにしていくのである。

第四話「不動詣で」、江戸で裕福な商人や武家の間で流行った菊細工に絡んで、勘定奉行と材木問屋が禁制の唐人参(朝鮮人参)の抜け荷(密貿易)を行った事件を取り扱ったもので、勘兵衛の一人娘綾乃が想いを寄せ、勘兵衛も何かと仕事を手伝わせている南町奉行所同心の末吉鯉四郎の父親が切腹させられた出来事の真相が語られていく。

末吉鯉四郎の父、山田平右衛門は幕府の勘定方を勤めていたが、汚職に連座した廉で切腹させられ、母も心労がたたって亡くなっていた。末吉鯉四郎は、母方の祖母である志穂に末吉家の養子として育てられ、祖母と二人暮らしをしているが、その祖母が、認知症が進み始めて、夜中に徘徊するということを繰り返していた。志穂の徘徊の道筋は決まっていて、特に毎月二十八日の桶町の不動尊の命日には、「譲(ゆずり)の井戸」で水垢離をするようになっていた。

ところが、その「譲の井戸」で心中事件が起こった。女は菊見の席が設けられた京橋の料理茶屋の美人女将で、男はその菊見の席にいた植木屋で、「菊くらべ」で一等を取った色男だった。だが、調べてみると、二人が心中をするほどの仲ではなかったことが分かっていく。女将には結婚を約束した板前がいた。そして、その事件が起こった時に、どうも鯉四郎の祖母の志穂がそれを見たのではないかと思われた。だが、祖母は物忘れがひどくて覚えていないふしがあった。

勘平衛が、死んだ男の内儀に話を聞いている時に、ふと、占い師の川路順恵という男の名前が出てくる。川路順恵は植木屋の凶事を予告していたという。そして、その川路順恵のもとに勘定奉行の佐原式部正も通っているという。皆、菊細工の「連(グループ)」であるらしい。勘定奉行の佐原式部正は、末吉鯉四郎の父が腹を切らされた時の組頭で、父が残した雑記帳には佐原への恨みが綴られていると言う。

そして、勘平衛が留守の間に、何者かが末吉家の志穂を狙って入り込み、その場に居合わせた綾乃を斬るという事件が起こってしまう。綾乃はかろうじて一命を取り留めるが、それによって志穂が何かを目撃し、その口封じのために襲われた疑いが濃くなっていく。

他方、占い師の川路順恵を探っている時に、そこに材木問屋の木曽屋の内儀も通っていることがわかる。木曽屋は鯉四郎の父が腹を切らされた事件にも深い関わりがあり、江戸城の大規模の普請の時に勘定方は別の材木問屋を推挙していたが、鯉四郎の父が賄賂をもらっていたという事件となり、木曽屋が元請となることが決まった経緯があった。木曽屋は勘定方組頭であった佐原式部正とも深い繋がりがあった。そして、菊細工の連の一人でもあった。

これらのことを丹念に調べていく中で、心中事件に関して、毎年の菊くらべで一等を取っていた木曽屋が、その年の一等を取った植木屋を妬んで、川路順恵に殺しを依頼し、不動詣でに来ていた料理茶屋の女将も殺して心中に見せかけたということがわかっていくのである。

末吉鯉四郎は、この事件の探索の中で、父に謂れ無き罪を着せて切腹に追い込んだのが佐原式部正と木曽屋であることを確信し、単身で佐原式部正の屋敷に乗り込んでいく。鯉四郎は剣の腕も確かであったが、多勢に無勢で、そこにいた川路順恵に捕まってしまう。だが、急を聞いて駆けつけた勘平衛に助け出され、川路順恵は捕り方に捕まる。だが、肝心の佐原式部正と木曽屋は無傷なままで、勘定奉行である佐原式部正を裁くことは容易ではなかった。

そこで、勘平衛は、佐原式部正と木曽屋を捕らえて、抜け荷の唐人参を詰めた桶に二人を入れて、日本橋の晒し場に晒すのである。天下に恥を晒した佐原式部正と木曽屋は切腹、打ち首となる。鯉四郎の祖母の志穂が、物忘れがひどくなっていく頭で、事件の解決の糸口を切り開き、娘夫婦の無念を晴らしたことになり、勘平衛も、その気持ちを察して、綾乃と鯉四郎の婚儀を認めるようになっていくのである。

主人公の「うぽっぽ」こと長尾勘平衛は、芯の強さをそこはかとない柔らかさと情で包んだ人物として描かれ、事件に対処する姿と日常とがその二つを交えて描き出されるので、読んでいくと、いくつかの物語の粗さなどが吹き飛んで、その魅力に引き込まれていく。これは、そうしたことがよくわかる作品だった。