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2014年9月23日火曜日

梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(3)


 一週間ほど秋晴れの日々が続いて、ようやく快適になったと思っていたら。その後、秋雨前線が停滞し、加えて台風の接近が報じられ、妙に蒸し暑い日々が続いている。今日は久方ぶりの休日で、朝から掃除や洗濯をし、新しく購入したTVの設置などをしていた。『道徳教育について』も、まだ展開が荒削りではあるが、一応は終了したので、来週や10月に依頼されている講演の原稿などを書いていた。そして、梶よう子『迷子石』について記しておこうと思ったら、まだ、『宝の山 商い同心お調べ帖』(2013年 実業之日本社)について書きかけであったことに気づき、その第五話「幾世餅」についてから始めることにした。

 梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』の第五話「幾世餅」は、「お勢」の店であるももんじ屋の湊屋で商人風の老爺が毒死するという事件の顛末から始まる。居合わせた医者のような男が毒殺と断定したのである。

 「お勢」は自身番に留め置かれ、澤本神人に会いたがっているという伝言を北町奉行の鍋島直孝から聞いた神人は、事の真相を探ることにしたが、それと合わせて、神人の父親が死ぬまでかかわっていた贋金事件の話を奉行から聞かされ、湊屋で死んだ老爺が守り袋の中に入れていた贋金を見せられ、その探索も依頼される。奉行は諸色調掛のほうが何かと探索に都合がよかろうという。神人は奉行がそのために自分を諸色調掛にしたのではないかと奉行の慧眼を感じたりする。

 湊屋で死んだ老爺はトリカブトの毒で血を吐いたという。だが、それを聞いた小者の庄太は、トリカブトでは嘔吐することはあっても血を吐くことはないから不思議だと言う。「お勢」に会って話を聞いたところ、死んだ老爺は今わの際に「話が違う」と一言語ったという。どうも駆けつけた医者のような男やその男の連れが怪しいのではないかと思われた。だが、その日のうちに湊屋を誹謗中傷する読み売りが出回り、湊屋には石ころやゴミ、ネズミや猫の死骸まで投げつけられる事態になってしまった。湊屋は八年続いた店を閉じざるを得なくなってしまう。

 そのうち、死んだ老爺が宿無しであったことが判明し、湊屋の前にその場所で店を開いていた酒屋で両替もしている三嶋屋に恨みがあり、それを利用されたのではないかと思われた。湊屋は三嶋屋から酒を仕入れていた。幾世年月を重ねても消えないものがある。神人は「幾世餅」を食べながら、そう思う。神人は、女手一つで店を切り盛りしていた「お勢」のことを思う。そして、この事件の顛末は、次の第六話「富士見酒」で展開されていく。

 第六話「富士見酒」は、奉行所に話を聞いてもらうために通ってくる酒問屋の隠居老婆が登場する。老婆は北町奉行の鍋島直孝が幼いころからの馴染みで、十か月前に卒中で倒れてから回復し、妙に話好きとなり、鍋島直孝を訪ねてきたのが縁で、それ以来、「また話をしよう」と言った奉行の言葉をお墨付きとして三のつく日に尋ねてくるようになったのである。相手をするのは奉行所にいる諸色調掛で、神人がもっぱらその相手をさせられていた。

 先に湊屋で老爺を殺した犯人は、どうやらいち早く逃げたらしい。友人で定町廻りをしている和泉与四朗がそう伝えた。だが彼らがなぜ老爺を殺したのかはわからなかった。殺された老爺は、かつて信州から江戸に出てきて懸命に働いたが、岡場所の娼妓に入れあげて、人に騙され、すべてを失っていた。騙したのは、おそらく湊屋の前の持ち主である酒屋の三嶋屋だろう。老爺は湊屋が三嶋屋のものだと勝手に思い込んで、そこを利用されたものではないかと察せられた。だが三嶋屋に会って聞いてみると、老爺が三嶋屋を恨んでいたのは逆恨みのようであった。しかし、犯人と目される三人は逃げ、贋金の探索も進展がなかった。「お勢」もどこに身を寄せているのかわからなかった。

 澤本神人は閉めてある湊屋に足を向けてみた。湊屋は悲惨な状態で下肥まで蒔かれた有様だった。それに家主の三嶋屋が湊屋に立ち退きを迫っていた節があった。

 神人は、奉行所に話をしに来ていた酒問屋の隠居である老婆に同じ酒屋である三嶋屋のことを聞きに行く。そこで、老婆から殺された老爺が三嶋屋から金を借りていたことを聞く。三嶋屋はその老爺に贋金で金を貸し、その返済を迫る代わりに贋金を使っての金貸しを始めさせ、それが神人の父親から気づかれそうになり、贋金を使うことから手を引くと同時に老爺を追い出したのである。三嶋屋は贋金で儲けた金で酒問屋を買い、両替商も始めた。ところが、三嶋屋が頼んだ酒船が嵐にあい、積み荷のほとんどが潮をかぶり、それでもその酒を売ったために信用を無くし、金回りが悪くなって、再び、以前隠していた贋金を掘り出して使おうとした。その贋金を埋めていたのが湊屋だったのである。それで、それを掘り出そうと湊屋を追い出す作戦を立てたのである。

 こうして、老爺を毒殺した三人は三嶋屋の寮に隠れていたところを捕まり、三嶋屋も捕縛され、事件が決着を見るのである。そうしてひと段落した時に、神人のところに「お勢」が訪ねてくる。

 その前に、神人は亡き妹の子である多代と親子になることを決めていた。上方から揺られてくる酒が富士を見ながらゆっくりと甘口の酒に代わっていくように、親子関係もゆっくりと築かれればいいと思っていた。周囲は、神人が父親になるなら母親が必要だと言っていたが、そこに「お勢」が登場するのである。

 第七話「煙に巻く」は、評判の煙草屋の双子の兄弟の話で、店を継ぐことと恋することの板挟みに悩む二人が事件に巻き込まれながら自分の生きる道を見出していく話である。双子であることを隠して育てられたが、その二人を取り上げた産婆の遺体が仙台堀にあがった。疑いは双子の兄弟の父親や兄弟に向けられるが、真犯人は別にいたのである。

 他方、多代が疱瘡にかかり、「お勢」が多代の世話をするために神人の家に看病に訪れるようになる。「お勢」は、かつての自分の店の奉公人たちの行先を決めてから町名主の仕事の手伝いをし始めていた。神人は、このまま「お勢」が家にいてくれるようになったらいいと思うのである。

 第七話は簡略して記したが、「さりげなさ」というのが本書で記されている物語の特徴だろう。さりげなく、しかし、そこはかとなく温かく人を認め受け入れていく、そういう人間の姿が主人公を通して描かれているのである。

 これまで呼んだ作者の作品の中では『柿のへた』が、最もまとまりがあり味わいの深い作品だと思っているが、本書のようにあっさりとした展開の中にみられる人の温情のようなものの描き方も悪くない。これはたぶん続編が書かれるのだろう。それも期待したい。

2014年7月5日土曜日

梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(2)

 7月の声を聞くようになってしまった。せっかく「文月」という名前があるのだから、懐かしい人々に手紙でも書こうかと思わないでもないが、日々の暮らしが追いかけてくる。そういえば、月の英語表記は歴代のローマ皇帝の名前が付けられているが、7月の「July」は、ユリウス・カエサル、つまりジュリアス・シーザーである。「賽は投げられた」と言ってルビコン川を渡り、ローマを帝国とした彼もまた、信じる者に裏切られた一人である。七夕の月にそのことをふと思ったりする。

 閑話休題。梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(2013年 実業之日本社)の第二話「犬走り」は、澤本神人が子犬を拾うところから始まる。てんぷらを盗んで追いかけられた子犬が堀端の犬走りを走って逃げ、堀に落ちたところを神人が拾い上げて、家に連れ帰るのである。「犬走り」とは、本来、土手や溝で犬が走れるくらいの幅しかない通路のことをいい、表題から、これが細く狭い道を行くことであることを暗示させる。

 大晦日が近づいたとき、澤本神人は北町奉行の鍋島直孝から佐賀藩が遠国の丘田藩主のために進物した花器が献残屋(贈答品や余剰品を買い取って、売る商売)の手を経て市中に出回った理由を調べるように命じられる。そこで献残屋に出かけてみると、一人の若侍が店の前で腹を斬ろうとしていた。事情を調べてみると、若侍はある藩の納戸役をし、私腹を肥やそうとして売るべきでない品を献残屋に売ってしまい、しかもそれをかいもどすこともできない状態だという。また、佐賀藩鍋島家の花器は確かに献残物として売りに出されたという。

 腹を斬ろうとした若侍は丘田藩の枝島兵衛という。枝島は料理茶屋で見初められた女に入れあげ、博打にも手を出すようになり、ついには献残品の売買で金額をごまかして私腹を肥やすようになったのである。多かれ少なかれみんなしていることだという。だが、売ってしまった花器の中に献残品売買の帳簿を隠していて、それが発覚しそうだというのである。追い詰められた枝島は、ついに精神に異常をきたしてしまう。

 そして、鍋島家の花器は手違いで売られてしまったこととして献残屋がうまくとりはからうことになる。枝島は、いわば、犬走りに逃げ込み、しかも出口なしで抜け出せない道にはまり込んだのだと神人は思う。犬走りに逃げ込んだ子犬は澤本神人によって助けられたが、枝島に救いの手を出す者はいない。それはいわば、人生の分かれ道でもあるだろう。

 第三話「宝の山」は、澤本家に出入りする紙屑買いの三吉の話である。三吉は自分が生まれた年も場所も知らない。物心ついたときには紙屑買いの爺さんと暮らしていた。だが、この爺さんは三吉をかわいがり、三吉が誰よりも素直で正直であることをほめていた。その爺さんも五年ほどして死んでしまい、三吉は長屋の者たちから面倒を見てもらいながら、爺さんの跡を継いで紙屑買いの仕事をしていた。三吉は、物を覚えるのにも人の倍はかかり、銭勘定も遅い。そのうえ人を疑うことをしないから、すぐにだまされた。それでも三吉はいかったり、相手をなじったりしない。しじゅう、にこにこ笑って、「人にはいろいろあるからなあ」と爺さんの口癖をまねて済ませてしまっていた。三吉は二十五歳になる。その三吉は叶えたい夢があると神人に言う。それがどんな夢かはわからないが、三吉はそのために銭を貯めていた。

 そして、その三吉が何者かに襲われるという事件が起こった。それとは別に、紙漉き職人の伝蔵という男が料理屋で芸者におれの女になれと無理やり迫って騒ぎを起こした事件があった。伝蔵は普通ではありえないほどの金をもっていたという。伝蔵はろくに仕事もしないのに金をもっていた。澤本神人は、伝蔵が何か悪いことをしていると察し、紙漉き職人は紙屑買いから反故紙を買うので、何かつながりがあるのではないかとピンとくる。

 三吉の家に行ってみると家は荒らされていた。神人は、伝蔵が三吉から買った反故紙に書かれていたもので脅しの種を見つけ、その反故紙の持ち主を強請って金を得ていたのではないかと推察する。

 その推察通り、伝蔵は買った反故紙に書かれたことで強請を働き、金を得ていたことが判明して伝蔵は捕縛される。そして、三吉を襲ったのは、恋文を間違えて三吉に売った坊主が、その恋文を取り戻そうとして三吉の家に忍び込んで、おもわず襲ってしまったのである。

 こうして事件が落着した後、伝蔵のもとで紙漉きの仕事をさせられていた子どもたちを三吉が引き取って育てることになる。子どもたちはみんな親なしだった。三吉の夢は、その子どもたちをみんな引き取って紙屑屋をやることだった。かつて自分が爺さんに育てられたように、親なしの子どもたちを引き取ること。それが三吉の夢だったのである。

 第四話「鶴と亀」は、言うまでもなく男女の話であるが、これが単純ではないし、妹の子である多代を男手ひとつで育ててきた澤本神人の淡い恋心も絡んだ話になっている。

 話は、将軍の献上物となっているために禁猟となっている鶴が一羽行方不明となり、その探索の命が下るところから始まる。雛祭りのころである。その話が出ていたころ、突然、多代の母であった初津の元夫の芝里六蔵が訪ねてくる。六蔵は多代の父である。初津は子ができないことを理由に離縁され、澤本家に戻されたが、その時に不運にも妊娠しており、多代を産んで難産で死んでしまったのである。だが芝里家からは何の音さたもなく八年が過ぎていた。六蔵は再婚し、再婚相手の縁で出世していた。神人は、もう芝里家とは縁が切れていると突き放す。だが、六蔵が来たのはそのことではなく、どうやらだまされて庶人が食べてはならない鶴を食べさせられたらしいから、助けてほしいと言い出すのである。六蔵の屋敷に「ズイチョウは腹の中」と記された投げ文があるのを六蔵の妻女が見つけたという。六蔵は同僚と獣肉を食べさせるももんじ屋に行っており、身に覚えがあった。そして、それが発覚すれば、改易どころか切腹ものであった。

 芝里六蔵が帰った後、幼い多代は、六蔵が自分の父親であることを察し、神人もそれを告げるが、多代は「多代は、澤本多代です」と言う。神人は、そういう多代の心を汲んで切なくなったりするのである。

 それはともかく、澤本神人は、六蔵がどうなろうと知ったことではないが、鶴が食されたとなると諸色調掛として調べなければならないと、その探索に動き出す。神人は市中のももんじ屋にいてみる。そして、そのうちの一軒である湊屋で、その店の女主人で美貌の「お勢」と出会うのである。「お勢」は、凛とした中にも可愛げのある女性で、柚の香のする小袖を身につけていた。神人はその柚の香が妙に気になった。その「お勢」に六蔵のところに投げ込まれた投げ文の話をすると「ズイチョウ」は鶴のことではあるけれども「よい兆しの瑞兆」もあると語り、神人はその一言で、六蔵への投げ文が、実は妻女の懐妊を伝えるものであるとピンと来るのである。六蔵の後妻もなかなか子どもに恵まれなかったが、ようやく懐妊したのである。後妻は、前妻が子どもを産めなくて離縁されたことを知って心を痛めていたのである。こうして六蔵の不安は払拭された。もともと鶴などは自由の鳥で、その行方を探るなどばかばかしい話であった。

 この物語は、離婚経験のある夫に嫁いだ嫁が、亡くなった前妻に対する思いやりを示す物語ではあるが、そのあたりは実にあっさりと記されている。しかし、そのあっさりさの中で、それこそ移り香のように「情」が滲んでいくのである。

 この後、この一件で知り合ったももんじ屋の「お勢」と澤本神人の淡い恋が始まっていく展開になる。その展開については、また次回に記すことにする。

2014年6月30日月曜日

梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(1)

 寒冷前線が伸びて梅雨の真っただ中という感じがしている。昨日、東京の一部では洪水のような大雨になったと報道された。今のところこちらでは雨の被害は出ていないが、熊本の梅雨は湿度が高く、肉体的な疲労感が増す気がする。もっとも、生来ののんびり屋で怠け者である者が分単位でスケジュールに追われる生活をしているのだから、どこかに精神と肉体の齟齬を感じるのは当然のことではあるだろう。

 それでも先日、本屋を覗いていたら梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(2013年 実業之日本社)を見つけ、この作者の作品は本当にいいと思っているので、買ってきて読んだ。本作も力みのない自然体で、文章も展開も無理がなく、しかも歴史的実証もしっかり踏まえられ、描かれる登場人物たちも味わいのある作品が多く、作品の完成度が増した作品だった。

 主人公は、水野忠邦が行った天保の改革(1838ごろ-1843年)のころに北町奉行所の同心として働く澤本神人(さわもと じんにん)という少し風変わりな人物で、彼は当時の北町奉行遠山左衛門尉景元の下で定町廻りをし、次いで隠密廻りをして、遠山景元と同じように名奉行と謳われた矢部謙定を失脚させて南町奉行となった鳥居耀蔵の下にいないことを喜んでいたが、二代後の北町奉行として就任した鍋島内匠頭直孝の時、その初対面で、お前は顔が濃いいいから変装が必要な隠密廻りには向かないと断定され、諸色取調掛(物の値段や物価の動静を調べる役)に回された変り種である。

 時は、その天保の改革が失敗し、水野忠邦が蟄居を命じられて鳥居耀蔵が四国の丸亀藩に預けられ、世間が一息入れはじめたころである。澤本神人は、多代という七歳になる妹の娘と飯炊きのおふくとの三人で暮らしていた。多代の母は、子ができないということで離縁されたが、その時には多代を身ごもっており、多代を産み落とすと死んでしまった。今わの際に「この子をお頼み申します、兄上」と言われ、それ以来男手ひとつで多代を育て、自らはついに婚期を逃してしまっていた。多代は、少女ながらにしっかり者として育っていた。彼には、いつも腹をすかし、腹をすかすと不機嫌になる庄太という小者がつけられていた。庄太は、見た目のぼんやりさとは裏腹に算術が得意で、諸色調べにはもってこいの小者で、町名主が雇ってかれにつけたものである。この庄太が、また、一味もふた味も出して物語の雰囲気を丸く醸す出す役を果たしている。

 澤本神人の思いは常に「物事はなるようになる」というもので、自然体で生きるというのが彼の信条だった。だから、すべてを円満に受け入れる人生を送っていた。

 その彼が、町名主の丸屋勘兵衛に料理屋に招かれての帰りに、両国橋の袂の稲荷鮓の屋台に立ち寄るところから物語が始まっていく。その稲荷鮓屋は、何故か狐の面をかぶり、聞くと顔にやけどの跡があるために、狐と稲荷をかけて、その面をかぶっているのだという。これが第一話「雪花菜」の伏線となっていく。

 その頃、澤本神人のところに味噌醤油問屋の主から隠居している父親が廻りの小間物屋から法外な値段で物を売りつけられたらしいから調べてほしいとの依頼がなされる。調べてみると偽の鼈甲の櫛を十両もの値段で買わされ、当人は十両出しては悪いかと開き直っているらしい。廻りの小間物屋とは十七歳になる娘で、隠居はその娘に入れあげていると息子は言う。そこで隠宅に出かけてみると、その隠居は死んでいた。澤本神人は殺人ではないかと疑うが、牧という定町廻りの小者の辰吉というのが横柄にも、その隠居の死は事故死であると断定する。諸色調掛の澤本神人には、その隠居の死についてとやかく言うことはできないが、隠居が承知の上で十七歳の娘に十両を出したことは別にしても、偽の鼈甲が売られていたことについては調べてみることにする。

 隠宅の女中の話から、偽の鼈甲を売りつけた小間物屋の十七歳になる娘はすぐにわかった。「おもと」という娘で、定町廻り同心の小者の辰吉がその娘に言い寄っていたこともわかる。「おもと」は、器量よしで気立てのいい真面目な娘だった。澤本神人が隠宅で殺人の証拠を見つけていたとき、隠居が死んだことを知らない「おもと」がいつものようにやってきた。それで、澤本神人は、偽の鼈甲の櫛のことを「おもと」に尋ねる。

 「おもと」は、その鼈甲の櫛が母親の形見だったと言う。「おもと」の父親は腕のいい豆腐屋だったが、人に騙されて借金を抱え、荒んで暴力も振るうようになり、大きな仕事が舞い込んだと言ってふっといなくなったと語る。それでも、「おもと」の母親は夫の帰りを待ち、幸せだったころに初めて買ってもらった偽の鼈甲の櫛を大事にし、それを髪にさして風邪をこじらせて死んでいった。そして、「おもと」は、母親がしていた廻りの駒物売りをして生計を立て、味噌醤油問屋の隠居と出会ったという。

 偽の鼈甲の櫛については、「おもと」はそれが偽物であると知っていたし、それを買った隠居も十分に承知していたが、隠居はそれでもそれが本物だと言い張って十両で買ったのだという。

 「おもと」の父親に関しては、もう一つ、両国広小路の芝居小屋が崩れた時に、その縄を切ったのが荒んでいた「おもと」の父親であると役人に決めつけられて、しつこいくらいに「おもと」と母親が住む長屋に押しかけ、それで「おもと」と母親は引越しを余儀なくされたのだと言う。

 そして、自分が隠居を殺していないという証を立てるものとして、隠居が亡くなった時刻に、両国橋袂の狐の稲荷鮓屋に稲荷鮓を買ったという。その鮓屋が売る稲荷鮓は、中がご飯ではなくおからで、以前の飢饉の時に豆腐屋であった「おもと」の家ではおからばかり食べていたが、おからは「雪花菜」とも書いて「きらず」と読み、家族の縁は「切らず」だと言っていたころの家の味が、あのおからの稲荷鮓にすると「おもと」は泣きながら言うのである。

 そのことでぴんときた澤本神人は、狐の稲荷鮓屋に行き、彼が「おもと」の父親であることを暴き、「ここの稲荷鮓屋のおからは一番、幸せだった頃の味がする」と「おもと」が言っていたと告げて、彼に反省を促す。そして、両国広小路の芝居小屋の綱を切ったのが「おもと」の父親でなく、鳥居耀蔵の意を受けて手柄を上げようとした南町の定町廻り同心と手先の辰吉であったことが判明する。また、「おもと」を自分のものにしようとした辰吉が味噌醤油問屋の隠居から意見されてかっとなった辰吉が隠居を殺したことが判明する。

 こうして、一件が落着して、狐の稲荷鮓屋には狐の面をかぶった娘が手伝うようになり、両国広小路の名物になっていくという幸いで第一話が終わる。

 この物語には、人の回復や親子の絆、人の情というのが柔らかく埋め込まれていて、それが「なるようになる」という主人公の口癖によって展開されていく。人間というのは、ある意味で極めて単純な生き物ではあるが、その単純さが折り重ねられて彩られて、「情話」を造る。これはそのような「情話」である。第二話以降は、また次回に記す。


2014年3月17日月曜日

梶よう子『夢の花、咲く』

 ようやく春めいて、本当に嬉しい。青年の頃は凛とした晩秋が好きだったが、今は春が嬉しい。こんな日は何にもせずにぼんやり空でも眺めていたいが、なかなかそうもいかない日常がある。引越しも間近に迫ってしまった。いくつかの委員会のデーターも後任者に渡す必要があり、その作業もあるなあと、ぼんやり思っている。

 そんな中で、梶よう子『夢の花、咲く』(2011年 文藝春秋社)を、これもまた感慨深く読んだ。これは前作『一朝の夢』(2008年 文藝春秋社)の後に書かれているが、内容は、『一朝の夢』の3年前の出来事に遡るもので、『一朝の夢』が安政5年(1858年)の井伊直弼の「安政の大獄」から安政7年(1860年)の井伊直弼暗殺事件である「桜田門外の変」を物語の歴史的頂点に置いていたが、本作は、安政2年(1855年)の「安政の江戸大地震」を歴史的事件の頂点に置いたものとなっている。

 出版年が、ちょうど東日本大震災(2011年)の年であっただけに、「安政の大地震」の中で生きる主人公たちの姿が、東日本大震災の悲惨さをつぶさに経験した者の心を打つ作品にもなっている。

 主人公の中根興三郎は、家督を継いだ兄の病死によって、やむなく植物学者になる夢を断念して北町奉行所同心の役を継いだが、ひょろひょろとした長身をもてあますほど、争い事が嫌いで、剣術などもってのほか、ただ朝顔を育てることが唯一の楽しみという一見軟弱そうな27歳ののんびりした性格の持ち主である。奉行所同心といっても閑職の両御組姓名係という名簿作成の仕事をしているだけである。彼の夢は、ただただ、朝顔を慈しんだ者だけに褒美として咲いてくれる黄色の朝顔を咲かせることである。彼は見合いをしても、つい朝顔の話に熱中しすぎて相手から断られるという朝顔一途の人間である。

 そんな彼のところに定町廻り同心の岡崎六郎太が、山谷掘りで上がった遺体を見てくれと言って来る。爪の汚れなどからどうやら植木職人ではないかと言うのである。興三郎は斬殺されて堀に浮いていた遺体を前に怖れおののくが、その手の鋏だこなどから、遺体が植木職人であることを明言する。なぜ殺されたのか。謎は深まる。

 他方、興三郎が朝顔栽培の手ほどきを受けた成田屋留次郎(実在の人物)の隣の朝顔栽培植木職人の吉蔵が育てた変種の朝顔が、花合わせ(花の競い合い)で最高位の「天」を取る。吉蔵の娘「お京」と同心の岡崎六郎太は、興三郎の家で出会ったのが縁で、許嫁の関係で、周囲の者たちはみな喜び祝う。

 だが、吉蔵と山谷掘りで死んでいた男とが繋がりがあるらしいことを岡崎六郎太は探り出し、興三郎もそのことを察していた。朝顔を使った博打が絡んでいるようで、吉蔵もその博打に関係しているようである。岡崎六郎太は奉行所同心としてそのことで悩み、ついには「お京」との婚約も解消していく。岡崎六郎太は、鋭い洞察力もあり、気性もまっすぐで、興三郎は岡崎六郎太と「お京」のことで気をもんでいくが何もできないでいた。

そんなおり、大地震(安政の大地震)が起きる。悲惨な状況が展開されて、多くの死者も出た。中根興三郎は幕府が設置したお救い小屋で被災者のために働くが、何もできない自分に忸怩たる思いを持っていたし、事件で知り合った絵師の河合曉齋(周三郎 実在の人物)から「夢でもねえ、将来でもねえ。今、この眼に映るものをいっさい描いてやろうとね。それが絵師としてのおれのできることだ」(145ページ)と言われ、今、目の前にいる被災者に対して何もできない自分に絶望を感じたりする。

そのお救い小屋に、死んだ兄の元許嫁であった志保が手助けに現れる。志保とは兄の死で縁が切れたが、一時は、興三郎の嫁にという話まであった女性だが、母親の病気から材木問屋の後妻になり、お救い小屋に援助を申し出てきたのである。震災後の復興で羽振りが良くなった大工などの職人もおれば、それでひと儲けを企む材木商もいたが、志保の夫の材木商は、私財を投げうって無償で復興のための材木を提供したり、お救い小屋を援助したりしていた。

 この辺りから、物語は、他者を踏みにじって儲けを企む悪徳商人と、それを利用して自分の遠来の恨みを晴らそうとする大身の旗本、それらとの対決となる。悪徳商人は、同じ材木商で人望のある志保の亭主を排除するために様々な画策をし、悪事の根源となっていた。大身の旗本はその悪事に加担し、「お京」の父親の吉蔵も金のために利用されていたのである。興三郎は、それらの悪事を明察していく。だが、心優しい彼は、「お京」が罪に問われないようにと願っていく。そして、すべてが一気に片づいていくとき、興三郎は自分ができることをしていく決心をするし、それによって再び朝顔栽培に取り組むようになっていくのである。

 この作品の中で、被災した者たちに対して何もできないと悩んでいた興三郎が、いよいよお救い小屋が閉鎖される時に、そこを追い出される不安を抱える人々に、朝顔の種を配る場面が描かれている。

 「天災はさまざまなものを奪った。ですが、未来まで失ったわけではありません。人は生き、町は必ず再生します。こたび、命を長らえた私たちが、すべてを背負い、繋げていかなければいけない。花が咲くころには、もっと町は復興しているでしょう。でも、それを果たすためには各々の力や、強さがいつもよりも必要だと思うのです」と言って、朝顔の種を配り、「恥ずかしながら私が思いついたのはこんなていどです。花を咲かせたいと思ってくれるだけでいい。夏を思ってくれるだけでもいい。少しでも先を考えることが希望になります。長屋の軒下で、通りの端で、朝顔を見かけたら、皆が元気だと分かる。私はそれを楽しみにしております」(233ページ)と言うのである。

 人は、ほんの少しでも希望があれば生きていける。興三郎が配った小さな朝顔の種は、その希望の種である。作者が、東日本大震災の後でこれを記した時、それは作者なりの生き方の言葉でもあるだろう。作者が小説を書くのはそのためであるという筋を見る思いのする光景と言葉だった。「悲しい記憶は風化することはない。だが、新たな喜びの記憶を重ねることができる」(285ページ)。本当にその通りだと思う。

 興三郎は興三郎なりの在り方で、肩肘張ることも正義を振り回すこともなく、柔らかく、しかし、きちんと足を踏みしめながら生きていく。そんな姿が本書で余すところなく描かれ、感動を呼ぶ。そんな彼と彼の理解者たちとの関係も素晴らしい。彼だからこそ築き上げることができる関係である。

2014年3月6日木曜日

梶よう子『一朝の夢』

 3日(月)から昨日まで、T大学のE先生らと越後(新潟県)の国上山にある良寛の五合庵を訪ねる小さな旅に出ていた。雪に埋もれた五合庵を期待していたが、雨になった。山深い地の粗末な小屋のような五合庵で約20年間近く暮らした良寛の内奥の覚悟のようなものを強く感じたし、抱えた孤独をひしひしと感じてきた。子どもたちと遊んだ良寛像はよく知られているが、実は深い学びの日常であったことも改めて思い知った。そして、書の迫力というものも感じ、わたしはただ深く首を垂れて山道を歩いてきた。感慨深い良寛を訪ねる数日となった。

 それはともかく、梶よう子『柿のへた』(2011年 集英社)が素晴らしい作品だったので、2008年に松本清張賞を受賞されたという作品『一朝の夢』(2008年 文藝春秋社)を読んでみた、これも賞にふさわしい優れた作品だったし、物語の頂点では、よく知られている歴史的な出来事を「人間」の側で、しかもそれを側面から掘り下げるというよく考え抜かれたことが巧みに取り入れられ、それが清楚な文章で綴られるという秀作だった。

 本書の主人公の中根興三郎は、身長は六尺(約180㎝)近くもあるが、痩せてひょろひょろとして、引っ込み思案で、剣術で身を立てるなどとんでもなく、幼い頃は植物学者になりたいと思っていたが、兄の急死によって奉行所同心の家督を継いでいた。奉行所同心といっても、事件探索などとは全く無縁の両御組姓名係という、いわば奉行所の人員の名簿を作成するという閑職である。三十歳半ばであるが、三十俵二人扶持の薄給で、嫁の来てもなく、老いた下男の藤吉とわびしい日々を送っていた。彼の唯一の楽しみは朝顔栽培であった。出世とか金とかには無縁であるが、彼は自分の役目に不満もなく、趣味の朝顔造りに没頭する日々で、「朝顔同心」と揶揄されても平気であった。彼は、「美しく、堂々とした花ではなく、蔓だけ伸び、人目に触れずにそっと咲いて萎んでしまうような、突然咲いた変種朝顔」(21ページ)に自分を重ねて、その朝顔の栽培に情熱を傾けていたのである。彼は、朝顔を慈しんだ者だけが「朝顔からの褒美」のようにして咲くと言われている黄色の朝顔を作ることを夢にしていた。それだけが彼の望みだったのである。

実際に、文化・文政や嘉永から安政にかけて江戸を中心にして朝顔ブームとも呼ばれるほど朝顔栽培が盛んに行われて、珍しい変種の朝顔が高値で取引されたりもしたが、中根興三郎は、朝に咲いて夕べには萎むという朝顔のもつはかなさと美しさに魅了されていただけで、長い間、朝顔の栽培に熱中してきたのである。歴史的に、この頃の朝顔栽培をブームとしたのは、植木職人の成田屋留次郎という人物と佐賀鍋島藩の藩主であった鍋島直孝だと言われているが、作者は主人公の中根興三郎が成田屋留次郎から朝顔栽培を教えられ、今では、その成田屋留次郎が一目を置くほどの朝顔栽培者になっていると設定しているし、それを通じて鍋島直孝(号を杏葉館という)との交流が生まれていく過程を描き出し、さらにそこから物語を展開させている。

 こういう主人公の設定や展開の仕方は、いわば、文学としての歴史時代小説の本道ともいうべきもので、作者はこの主人公を通して堂々とその道を骨太に、そして繊細に歩むのである。

 その主人公がふと立ち寄った下町の「めし処」で、幼馴染みの里江と出会う。里江は、元は奉行所同心の娘であったが、父親の些細なしくじりで、父親が自死して後に母親と家を追われ、その後は行方不明であった。そして、その店の雇われ女将として、幼い息子を育てながら暮らしていたのである。その店の持ち主は質屋の富田屋徳兵衛で、里江は借金のかたに徳兵衛のいいなりになっていたし、借金の返済も迫られていた。

 そのことを伺い知った中根興三郎は、徳兵衛が日本橋の雑穀問屋で豪商の「鈴や」の縁戚であることを知り、朝顔の収集家として名が通っている「鈴や」なら大金を出しても欲しがるに違いないと思われる変種の朝顔を里江に贈り、それで借金を返済させようとする。そして、それは成功して、里江は自由の身になるが、それと同時に住んでいた長屋から立ち退きを迫られることになる。興三郎は里江と息子が自分の家に住んだどうかと言い、やがて里江と息子は興三郎の家に移ってくる。興三郎と里江は、幼馴染みであり、昔、興三郎は秘かに里江に想いを寄せていたのであった。下男の藤吉はまるで新しい家族ができたように喜ぶ。だが、それもつかの間のこととなる。

 そのころ、絶命していたはずの武家の死体が忽然と消えるような出来事が起こっていた。状勢は、彦根藩主だった伊井直弼が大老となったころで、将軍継嗣問題をめぐっての水戸藩、薩摩藩などの思惑が渦巻いていた時代であった。井伊直弼が日米修好通商条約を結んだばかりの頃である。

 そうした上層部の動きとは全く無縁に朝顔栽培に没頭していた興三郎は、だが、里江にやった変種の朝顔の縁で、「鈴や」と知り合いになるし、鍋島藩主の鍋島直孝と知り合いになっていき、その縁でまた、「宗観」と名乗る人物にも出会っていく。そして、鍋島直孝から「宗観」のために変種朝顔を造って欲しいと依頼されたりするのである。「宗観」と興三郎の問答は、両者の立場を越えた真理に向かうような味わい深い問答になっている。「宗観」もまた大輪の黄色花を望んでいるという。「宗観」は、その後、ちょくちょく気楽に興三郎の家を訪ねて来たりするようになる。上品で風雅、味わい深い禅問答のような会話が二人の間でなされるようになる。

 他方、興三郎のところには、彼が通っていた学問塾で知り合った三好貫一郎と名乗る人物が時折顔を見せていた。三好は引き締まった顔立ちと豊富な知識、爽やかな弁舌をする浪人で、興三郎が朝顔にかける一途な思いを気に入り、親しくしていたのである。この人物もまた、後の大きな歴史的事件に関わりのある人物として描かれる。

 また、興三郎の妹が嫁いだ高木惣左衛門は奉行所与力で、彼は与力として市中で起こっていた辻斬り事件の探索をしていた。殺されたのはいずれも彦根藩に関係があり、先に死体が忽然と消えた武士も彦根藩の武士ではないかと思われた。惣左衞門は、殺された武士の遺体が消えたのが鍋島藩上屋敷の前であったことで、藩主の鍋島直孝と朝顔を通じて交誼のある興三郎に手づるを求めてきた。そして、いわゆる「安政の大獄」と呼ばれる攘夷派に対する弾圧がおこることをそれとなく知らせる。興三郎が通っていた学問塾も取締りの対象になっているというのである。そこの塾生が造った集まりに過激な動向が見られるというのである。

 さらに、引退を前にした同僚の村上伝次郎が出仕しなくなり、突然、彼が息子と息子の仲間を斬り殺して出奔したという事件が起こる。興三郎は心を痛めていく。村上伝次郎の息子は、学問塾の過激なグループに入っていたという。そのグループに過激な言動を繰り返していた男がいた。だが、その正体はわからなかった。また、里江を借金のかたにいいなりにさせていた成田屋徳次郎が火事で焼け死んだりすることが起こる。

 その事件の謎は、ゆっくりと紐解かれていく。それと合わせて「安政の大獄」が始まっていく。井伊直弼の罷免や条約の撤回などを記した朝廷からの勅書が水戸藩に届けられ、その勅書に携わったと思われる人間の処分が行われることが発端となった。水戸藩主徳川斉昭には永蟄居が命じられ、それ行った井伊直弼への水戸藩士たちの怒りも頂点に達しようとしていた。

 そうしているうちに、不忍池の弁天島あたりに里江の死骸が見つかった。里江はなぜ死んだのか、誰に殺されたのか。興三郎はその深い闇の中で絶望を味わっていく。その正体が明らかになっていくのが事件の山場となっている。

 やがて、「桜田門外の変」が起こる。ここでは、その真相には触れないが、興三郎が関係した人物たちがこの事件に関わっていた。、こうして、この物語の結末を迎えていくことになるが、興三郎は、彼が夢に見ていた大輪の黄色花朝顔を咲かせた。そして、彼は何処ともしれずに旅立ったという。里江の子が成長し、植木屋となり、彼もまた黄色の朝顔を咲かせたいと願っていた。そこに、老いた興三郎らしき人物が来て、また去っていくというところで終わる。最後は、「明治二十九年、熊本で中輪咲の黄色花が咲き、大きな話題となったという記録が残されている。だが、その作者は不明である」という一文が加えられている。

 歴史と社会の流れを大枠に見ながら、繊細に人の機敏を描き、正義や価値判断を振りかざすことなく、人間の深みを描いていく。歴史の問題を扱うときもその姿勢は崩れることがなく、非常にバランスの取れた深みのある作品だと思う。使われる言葉が生きている。そんな感じがする。