2014年1月31日金曜日

海老沢泰久『無用庵隠居修行』(3)

このところ猫の目のように天気が日毎に変わる日々になっているが、少し寒さが緩み、有難く感じている。昨日は仙台だったが、仙台も少し暖かいようだった。仙台での役割も、もうこれで終わるからほっとしている。こうして少しずつ終わりに近づくのは、本意に戻れるようで、いいことだと思っている。

さて、少し長くなっているが、海老沢泰久『無用庵隠居修業』(2008年 文藝春秋社)の第四話「千両鶯」は、表題のとおり、鳴き声に千両の値がついた鶯を巡っての話で、大奥がらみで出世を企む人間のつまらなさが描かれる。江戸時代に、江戸では鶯の飼育が盛んで、特に天明期には、その鳴き声を競って高値で鶯が取引されたことがある。動植物、物、芸術品、そうしたことを競い合うこと事態、馬鹿馬鹿しいのだが、今の世の中でもプレミア価格というのがあったりする。みんなが求めるから物の値段が上がるというのは、一つの経済原理とは言え、人間のいやらしさが垣間見えるような商売の仕方ではあるだろう。

物語は、無用庵の近くに住む隠居した豪商がもつ鶯が、鳴き声の競合で千両の値がつき、風流を気取ろうとした日向半兵衛がその鶯の鳴き声を伊勢屋金右衛門と聞きに行くところから始まり、数日後に、その鶯の持ち主が何者かに殺され、鶯が持ち去られるという事件が起こるという展開になっていく。

日向半兵衛と知り合いになって喜んでいた豪商が殺されたことで、半兵衛はこの事件の探索をはじめるが、持ち去られた鶯の行くへは要として知れなかった。そして、それから間もなくして、殺された豪商の家の近くで垣間見た遊び人風の若い男の斬殺死体が上がった。おそらく、誰かに頼まれて豪商を殺して鶯を持ち去り、口封じで殺されたに違いないと半兵衛は推理し、裏街道に詳しいだろうと思われる聖天の藤兵衛にその男の背後を探るように依頼する。すると間もなくして、男は徳川家斉の小姓をしている旗本の五味小四郎の用人と繋がりがあったことが分かる。また、その鶯の鳴き声を大奥で聞いたという話が伝わる。

だが、相手は将軍家の小姓であり、大奥である。迂闊に手は出せないし、確かめる術もない。しかし、そこで諦めるような半兵衛ではない。用人の勝谷が「奈津さまがいらっしゃいますよ」と助言をし、半兵衛は奈津に頼んで、奈津の幼馴染で大奥勤めをしている女性に鶯のことを確かめるよう依頼するのである。奈津は、むろん、喜んで引き受ける。

こうして事柄が判明していく。将軍家の小姓である五味小四郎は、小姓頭に出世することを企んでいた。小姓頭から、やがては御側御用人となり、将軍の近辺にいることになるから、政治の中枢である老中、大名にまで出世の道が開かれる可能性が大きくなるのである。五味小四郎は大奥の年寄(奥向きの仕事の責任者)に取り入り、自分の出世を図ろうと、年寄に値千両の鶯を贈ったのである。そのための殺人であった。

そこで、日向半兵衛は、大奥にいる鶯の鳴合わせ(鳴き声を競わせる)の会を持つことを考案し、目付をしている弟の半次郎の伝手を頼って、老中松平定信の屋敷でそれを行うのである。松平定信は、以前の暗殺計画を未然に防いだ日向半兵衛に借りがあった。そして、鶯が間違いなく持ち去られた鶯であり、しかも鶯を入れていた漆塗りの鳥籠が動かぬ証拠となって、一件が決着していくのである。日向半兵衛は、事件が明白になるとさっさと松平家を辞して、定信とは会おうともしなかった。

この話で、弟の半次郎の娘で、叔父様大好きの姪で、闊達な「秀」という娘を登場させている。おそらく、作者はその後の作品で、この秀を活躍させようと思っていたのだろうと思う。

第五話「金貸し」は、半兵衛が久しぶりに亡妻の墓参りに行った時に、そこで若い姉弟の会話を聞いてしまう。父親が後妻をもらって、姉が女中のように取り扱われるようになったことを嘆く弟の話し声がした。そして、寺の門前の茶屋に立ち寄った時に、その弟と二人のどこか崩れたような武士が、どこかの金貸しの家に押し込み強盗をして金を奪い取る相談をしていたのを聞く。二人の武士は、金を強奪した後は、弟を殺す相談もしていた。日付と押し込む先も話に出て、25日の夜に赤坂の小畑三郎助という人物の家だと言う。その小畑三郎助は御家人で、しかも金貸しをしていて金を持っているというのである。25日というのは、金の返済日をその日にすると、延長した場合に二月分の利子が取れるという悪どい金の貸し方で、小畑三郎助はその悪どい金貸しをしていた。

墓で話していた姉弟のことが気になった半兵衛は、元岡っ引きの仁吉に身元を探らせるが、ふとしたことで、その姉弟が押し込みをされるという小畑三郎助の子息たちであることがわかる。悪どい金貸しをして後妻をもらい、姉を女中のように働かせている父親を嫌って、その父親に仕返しをするために、弟が自分の家への押し込み強盗を仕組んだことがわかっていく。だが、頼んだ二人の武士が父親も後妻となった妾も殺し、弟も殺そうとしていることは明白で、半兵衛はそのことを弟に告げて、目を覚まさせ、25日の夜の襲撃に備えさせるのである。

半兵衛は用人の勝谷彦之助と共に、小畑家に乗り込み、事が表沙汰になったら、不行跡ということで、家屋敷没収の上で重追放になることは間違いないと小畑三郎助に告げる。小畑三郎助は、子どもを顧みもせずに、妾と共に有り金を持って屋敷から逃げ出した。そして、襲撃してきた二人の武士を討ち果たす。

結局、この一件は、小畑三郎助は家屋敷没収の上重追放となり、息子は改心したと言うので罪を減じられて江戸十里四方追放となり、残された姉は弟の帰りを待つということに決着する。日向半兵衛は、その姉に、伊勢屋金右衛門に任せて運用している金の中から50両を姉にやって、姉の生活が立つようにしてやるのである。

この作品は、ここで終わるが、おそらく作者はこれをシリーズ化して面白いものに仕上げたいと思っていたのだろうと思う。事実、そういう要素がふんだんに盛り込まれているし、作品の出来は娯楽時代小説としてすごくいい。文章も構成もよく練りあげられている。だが、惜しむらくは、59歳で死去されている。残念に思う。

2014年1月27日月曜日

海老沢泰久『無用庵隠居修行』(2)

 昨夜はひどく冷え込んでいたし、今日も晴れてはいるが朝のうちはあまり気温が上がらない日になっている。だが、これから四寒三温か三寒四温くらいにはなっていくのだろう。だんだん春が待ち遠しくなってきた。

 さて、海老沢泰久『無用庵隠居修業』(2008年 文藝春秋社)の第二話以降であるが、第二話「女の櫛」は、隠居したはいいが無聊を囲いはじめた日向半兵衛が、かつて通った剣術道場にでも行ってみるかと思って行く途中で、箱根に湯治に行った時に知り合った岡井弥八郎と行き会うところから始まる。

 半月ほど前に用人の勝谷彦之助を連れて箱根に湯治に行った折り、その宿に旗本風を吹かせて傍若無人に振る舞う大津代官の田代孫三郎という者が同宿してきて、空き部屋がないからといって客を追い出し、部屋を空けさせようとする出来事が起こった。そして、昨日から病に倒れて宿泊していた但馬の出石藩の家臣の親子を、陪臣(徳川家直参ではない)とは同宿できないと追い出しにかかったのである。

 日向半兵衛は、馬鹿な旗本が馬鹿なことを言っていると、追い出されようとする出石藩の家臣の岡井弥八郎とその父親の所に行ってみると、弥八郎は、仕方がないから病で倒れている父親を連れて宿換えをするという。湯本から塔ノ沢まで父親を背負っていくというので、日向半兵衛と用人の勝谷彦之助も同道することにした。半兵衛曰く「ああいう馬鹿者どもと同宿していたら、必ず不愉快なことを目にして、おれは癇癪を起こす」(85ページ)。だから自分たちも同道し。宿を変えると言うのである。

 この出来事の後、江戸に帰った日向半兵衛が、その岡井弥八郎と出会ったのである。聞けば、弥八郎の父親は、あれから箱根で病没し、田代孫三郎が直接手を下したわけではないが、無理な宿換えで死んだことで、弥八郎は田代孫三郎を敵として討つ決心をしたという。日向半兵衛は、「旗本に差別されたことがそんなに口惜しいかね」と言い、「しかし、そういうことというのは、この世の中にはいくらでもあるぞ。おまえさんはそうやって上の方ばかりを見て不平を言うが、おまえさんも国に帰れば特権を有する出石藩の藩吏だ。その特権を使って、百姓や町人におまえさんと同じ不平を抱かせているかもしれないんだぜ。おまえさんが知らないだけのことでさ」(87ページ)と諭すのである。この日向半兵衛の言葉に、主人公の人柄や視野、生き方がよく表されており、こういう主人公だから物語が面白いのである。

 だが、岡井弥八郎は田代孫三郎を討ち、彼の家来から満身創痍の傷を受けて日向半兵衛の隠居所に転がり込んできた。生死の境目にいて、彼は、最後に許嫁の伊代という娘に一目会いたいと言う。しかし、田代家がこのことを公儀に届け出れば、目付から出石藩に連絡が行き、出石藩は岡井弥八郎を捜し出そうとするだろう。伊代は出石藩邸内におり、見張られている可能性があった。

 そこで、用人の勝谷彦之助が、日向半兵衛に見合いをさせた相手の奈津という女性が使いに立つのに適任だという案を出し、半兵衛は奈津を尋ねて、奈津に伊代を連れ出す役を頼むのである。奈津は、その依頼を喜んで引き受ける。そして、弥八郎の願いをかなえるのである。伊代は自分の黄楊の櫛を弥八郎に残していく。奈津は、生死の境をさまよう岡井弥八郎の世話を、用人の勝谷彦之助に代わってすると言い出し、それから無用庵に毎日通うことになる。そして、弥八郎は幸いにも一命を取り留める。だが、弥八郎は出石藩と町奉行所の両方から追われる身となった。

 日向半兵衛は幕府の目付をしている実弟の松平半次郎を訪ね、事件のいきさつを話し、「上の者が仁を示して、初めて孝悌忠信にも実が入るものになる」と言って、関係者に厳罰が降りないようにと頼む。弟の半次郎は、それを了解するが、無用庵に女が出入りするのは外聞が悪いからおやめください」と釘を一本刺す。弟は弟として兄の身を案じ、兄は兄として弟の身の安泰を願う兄弟の会話がそこで描かれる。

 日向半兵衛は、蝋燭問屋の伊勢屋金右衛門に頼んで、弥八郎を船で江戸から逃がす手はずを整えるが、弥八郎は無用庵を抜け出して、伊代の所に会いに行き、出石藩士たちに捕らわれ、その日のうちに詰め腹を切らされて、この一件が落着する。最後は、奈津と半兵衛の恋愛談義がユーモラスに記される。

 第三話「尾ける子」は、半兵衛が懇意にしていた医師の村田道庵が誰かにつけられているようだと半兵衛に話すところから始まる。道庵をつけていたのは十二、三歳くらいの機転の利くしかりした男の子だった。だが、その男の子が何者かに殺されてしまうという事件が起こる。彼に尾行を命じた者の正体が分からず、おそらく、尾行していることが露見したことで、尾行を命じた者が男の子を殺した者だと思われた。

 村田道庵が、変わったことをしたと言えば、日本橋の料亭に病気の平癒祝いに招かれたことぐらいだと言ったので、半兵衛は伊勢屋金右衛門に頼んで、その料亭「初花」に行ってみる。「初花」は高級料亭で、一介の旗本くらいではとうてい行けない料亭だったからである。ところが、行ってみて、その「初花」の女将が、昔なじみの深川芸者の「お咲」だったのである。「お咲」は、半兵衛に惚れていた。

 そうなると話は早く、どうやら村田道庵は、招かれたときに部屋を間違えて、朝鮮人参問屋の世話人をしている高麗屋と将軍のお側衆を勤めている柴田美濃守行定がいる席を覗いたたらしいことが分かってくる。見た本人は何の意識もなかったが、見られた側は、密謀を見られたと思い、戦々恐々としたのである。

 時に、老中松平定信が寛政の改革を断行し、人参座を廃止したために、高麗屋とお側衆の柴田行定が結託して、松平定信を暗殺して、人参座を復活させようと企んでいたのである。高麗屋は元御家人であった。半兵衛は高麗屋が女と同衾しているところに乗り込んでみるが、高麗屋は白を切ってびくともしなかった。

 だが、その餌に高麗屋は食いつき、半兵衛は高麗屋が襲撃してくると踏んで、無用庵を弟の家臣も借りて防備する。そして、襲撃者を撃退して、高麗屋を捕縛する。そのことで、朝鮮人参問屋仲間の八人が町奉行所に捕縛されて、柴田美濃守行定は、老中暗殺計画が発覚したかどで評定所にかかり、大名家の屋敷に預けられることになって、一件が落着する。老中松平定信は、暗殺計画を未然に防いだ日向半兵衛にお礼を言いたいと言ってくるが、半兵衛はそれをあっさり断る。用人の勝谷彦之助が、松平定信の改革がもう無理なことだと断言し、定信がその五年後に失脚することがきちんと記されている。。

 この第三話で、料亭初花の女将「お咲」も無用庵に出入りするようになり、半兵衛は54歳の老年期ながら二人の美貌の女の鞘当てをくらうことになる。これが作品に大いに味つけをするものになっている。

 第四話「聖天の藤兵衛」は、キリシタン類属と呼ばれて、ひどい差別を受けた人々に絡んだ出来事が記され、寺社の宗門改めの問題と絡み、また「聖天の藤兵衛」という謎の人物が登場して、味わい深い話になっている。

 「キリシタン類属」というのは、幕府のキリシタン政策が強まり、貞享4年(1687年)には、キリシタンはたとえ改宗してもこれをゆるさなくなったばかりでなく、死んでも、五代後の子孫に至るまで、これをキリシタン類属として監視し、一般の戸籍である宗門人別帳には記載せずに、別戸籍とし、一般の百姓町人とは区別した者たちのことを言う。江戸幕府は非人という最下級の人々を作る差別政策をとったが、キリシタン類属は、その非人よりもさらに下級の者とされた。この法令が出された時点で、キリシタン類属は52000人ほどだったことが本書には明確に記されている。

 寺院による宗門改めは毎年行われ、人別帳に記載されていることは、キリシタンではないことの証明で、その寺請証文が絶大な力を発揮した。

 むろん、主人公の日向半兵衛は、こうしたことが馬鹿馬鹿しいことと考えていたので、無用庵の肥汲み取りをさせて欲しいと言ってきたキリシタン類属の少年の申し出をあっさり快諾していく。下肥は百姓にとっては欠かせない肥料で、村の有力名主や下肥屋が高額で買い取っていたために、類属である少年には手に入らなかったのである。

 そして、その話を聞いた「聖天の藤兵衛」と名乗る不思議な人物が、お礼に無用庵を訪ねて来て酒樽を置いていく。

 それからしばらくして、無聊を囲った半兵衛が勝谷用人を連れて隅田川に釣りに行った時、母子心中をしようとした女性を助ける。事情を聞けば、女性は隅田村の百姓の女房で、「おせき」といい、夫の吉蔵は、水害に見舞われた田畑の修復のためにした借金の返済のために深川の大工の下働きに出稼ぎしているという。吉蔵に金を貸したのは村の宗福寺で、その寺の住職は浄源という名であった。

 吉蔵が出稼ぎで留守の間、住職の浄源は、最初は「おせき」を励ますようなことをしていたが、やがて「おせき」の身体を求めるようになってきた。「おせき」は拒んだが、朱門改めの時期が近づいたとき、自分が寺請証文を出さなかったら、お前はキリシタンということになって、子孫の代まで類属となると、脅しをかけたのである。「おせき」はその脅しに屈せざるを得なかった。浄源は毎晩のように「おせき」のところにやって来ては、「おせき」を慰みものにしていた。だが、そろそろ亭主の吉蔵が帰る日が近づいた。しかし、浄源は「おせき」を離さない。それで、思いあまって、「おせき」は娘を連れて自死しようとしたのである。

 この話を聞いて、日向半兵衛は憤りを覚え、相手が寺だということで、自分を訪ねてきた不思議な人物である「聖天の藤兵衛」の力を借りることにする。

 聖天の藤兵衛は、立派な武士の風体に身を変えて、宗福寺を訪ね、母親の祥月命日が迫っているので、宗福寺で法要をすることができないだろうかと百両の金子を差し出す。浄源は喜んでそれを引き受ける。そして、祥月命日の法要をするといった日の夜、日向半兵衛は山伏の衣装に天狗の面をかぶり、宗福寺の裏門に待機する。聖天の藤兵衛とその仲間たちが、宗福寺の中で大暴れして、浄源を裏口に蹴り飛ばす。半兵衛は、浄源に「おせき」が遺言状を残して死んだから、この遺言状を届け出る。だからお前は早々にここを立ち去るがよい、と言って、浄源を追い出すのである。

 この話の末尾には、料亭「初花」の女将の「お咲」が半兵衛を湯治に誘い、半兵衛が煮え切らない態度を取っていくという軽妙な会話が記されて締めくくられている。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語った井上ひさしの言葉を思い起こしたりした。とにかく文章と展開がなめらかである。

 本書には、さらに第五話「千両鶯」と第六話「金貸し」が収められているが、長くなるので、それらはまた次回に記すことにする。

2014年1月23日木曜日

海老沢泰久『無用庵隠居修行』(1)

 ここ数日、ここでは寒さが少し緩んでほっとしている。再び寒波の襲来が予報されているとはいえ、中休みのような気がして有難い。今週は、少し「自分のことをする」余裕ができて、書斎や部屋をぐるりと見回し、引越しで処分するものを考えたりしていた。いつか書こうと思って集めていた資料などは、結局は書かないだろうから、この際に処分した方がいいだろうな、と思ったりする。

 先日、図書館に行った折に、海老沢泰久『無用庵隠居修業』(2008年 文藝春秋社)という軽妙なタイトルの作品を見つけたので、読んでみた。「無用庵」というのもいいし、「隠居修業」というのもどことなく味がある気がしたからである。出来るなら、自分を「無用」の人間としたいし、「隠居」も望む所で、なんとなくわたしの心情に合う気がしたのである。

 作者についての知識がなかったので、調べてみたら、海老沢泰久という人は、1950年茨城県出身で、國學院大学文学部を卒業後、同大学の折口博士記念古代研究所に勤務され、1974年に『乱』で小説新潮新人賞を受賞されて作家デビューされ、その後は、野球、F!自動車レース、ゴルフなどのスポーツに関するノンフィクションを書かれたり、面白いのは『これならわかるパソコンが動く』(1997年 NECクリエイティブ)を書かれたりしている。また、1994年に『帰郷』(文藝春秋社)で直木賞を受賞されている。おしむらくは、2009年に十二指腸癌で帰天されており、作品一覧を見る限りにおいては、歴史時代小説は数少ない。

 本書は、どこか娯楽時代小説の旗手であった山手樹一郞を彷彿させるような作品で、主人公が旗本の中でも気概を持っていたと言われる大番士(将軍警護役だが、舞台となっている天明七年(1787年)ごろには、主としての勤めは江戸城の警護)を努めていたという設定もあり、昔、まだ小さい頃に見た東映映画の「旗本退屈男」も思い起こしたりした。もっとも、本書の主人公は、54歳で、蔵米300表という小禄の旗本であり、どこか飄々としたところのある味わい深い主人公になっている。彼が小禄なのは、上役に付け届けなどを一切しないし、世辞も言ったりしないからで、役務で出世しようなど露ほども思っていないからである。彼の出来のいい実弟は、大身五千石の松平家に養子となり御目付をしているが、その弟を使う気もさらさらないからである。

 そして、主人公の日向半兵衛は、もうそろそろ城勤めが嫌になって隠居したいと思っている。二年前に妻女を亡くし、父親の代から家政を取り仕切る用人の勝谷彦之助家族と下男の作造とで暮らしている。この用人の勝谷彦之助が、また、なかなか洒脱な人物で、主人の半兵衛にいろいろと意見したりする言葉が洒落ており、主人と用人の絆の深さと思いやりを感じるものになっている。彦之助の子どもの24歳になる孝之進も彦之助の後を継ぐ者として半兵衛の若党にようにして仕えている。半兵衛は隠居を口にするが、子がなくて跡取りがいないため、なかなか隠居できないでいる。

 第一話「無用庵隠居修行」は、そうした日向半兵衛が、新しく番入り(役務として採用されること)した若い旗本の笹岡鉄太郎が催す宴席に招かれるところから核心に入っていく。新人が番入りするときに先任の番士に披露目の振る舞いをする慣行がかなり以前から行われており、そうしたことが官吏としての武士を腐敗と堕落に導いていったのだが、この辺りの社会風潮は実によく調べられており、その披露目の仕方によっては陰湿ないじめが行われていた。本作でも、小禄の若い笹岡鉄太郎はかなりの借金をしてまで披露目の振る舞いを行ったが、そこで先任の前田源八郎という旗本とその提灯持ちのようにしている大久保外記という旗本が、笹岡鉄太郎に振る舞いが不足していると難癖をつけて、いじめを行ったのである。同席していた日向半兵衛は、そのいじめを止めるが、笹岡鉄太郎と前田源八郎の間には、何か遺恨があるような気がしていた。

 その帰り、日向半兵衛は、今度は若い侍が三人の浪人風の男に襲われているのに出会う。半兵衛は一刀流の目録をもらったほどの腕前で、その三人の浪人風の男たちから若い侍を助け出す。若い侍は、旗本相馬弥五郎の次男で新太郎と名乗り、なぜ襲われたのかは分からないという。相馬弥五郎は将軍家の日常の世話をする御小姓であった。

 翌日、披露目の席でいじめから助けられた笹岡鉄太郎と浪人風の男たちから助けられた相馬新太郎が日向半兵衛に礼を言うために訪ねて来て、図らずも二人が竹馬の友であったことがわかる。そして、新太郎の口から、笹岡鉄太郎の妻女となった女性に前田源八郎が横恋慕して、それが適わなかったために笹岡鉄太郎にいじめを行っていることがわかる。

 この話が後に大きな事件になっていくが、ここでは、場面が変わって、それからしばらく後に、隠居を口にした日向半兵衛に、用人の勝谷彦之助が見合いを画策する。後妻をもらって子を作れというのである。相手は、小普請組(無役)の旗本の妻女で、出戻りではあるが、ふっくらとした美女の松田奈津という女性であった。日向半兵衛は「おれは再婚する気はない」と奈津に言うが、奈津は積極的である。奈津は、物事をはっきり言う性格で、自分の思っていることも直截に言うことができる女性で、人の機微も心得ている。奈津は「わたくしがお世話をしてさしあげます」とその場で明言する。しかし、半兵衛は煮え切らないでいるのである。だが、この奈津が後に大活躍をしていく。

 そうした浮いた話が挿入された後、前田源八郎の笹岡鉄太郎に対するいじめが手ひどくなり、ついに、堪忍袋の緒を切らした笹岡鉄太郎が城中で前田源八郎を斬るという事件が発覚する。事件後に駆けつけた日向半兵衛は、前田源八郎が絶命していることを確かめ、激昂している笹岡鉄太郎を鎮め、その場で切腹の覚悟をしている彼を介錯してやる。それが笹岡鉄太郎の家族を守る最良の手段だったからである。そして、笹岡鉄太郎は、最後に友人の相馬新太郎を助けてやって欲しいと半兵衛に言い残すのである。

 彼は、用人の勝谷彦之助の碁敵として出入りしていた岡っ引きの仁吉の子で、その後を継いで本所一帯を縄張りにしている文蔵に、笹岡鉄太郎の最後の願いを叶えるためにも、浪人風の男たちに襲われていた相馬新太郎の家の内情を探らせていた。

 相馬新太郎の父親は、さる大名家から妻をもらったが、夫婦仲は初めからしっくりいかず、日本橋の蝋燭問屋から見習い奉公に来ていた菊という女性に手を着け、子を産ませた。それが新太郎で、新太郎は屋敷で育てられたが、菊は蝋燭問屋に帰され、間もなく病没した。新太郎は嫡男としては届けられず、その二年後に妻の志摩が男の子を産み、数馬と名づけ、それが嫡男として届けられたために、年は上でも次男となった。義母の志摩は新太郎を嫌い、他家に養子に出したら自分の子の数馬より出世するかもしれないというので、養子にも出さずに、いわば飼い殺しの状態に置いていたのである。そして、数馬が17歳となり、絶家の心配がなくなると、弥五郎を隠居させて数馬に家督を継がせようとした。その際に年上の新太郎を邪魔に感じて、これを亡き者にしようとしたのである。

 そういうことが分かって、その人柄も気に入っていた新太郎を日向半兵衛は自分の養子に迎えると言い出すのである。だが、幕法では50歳以上の当主の養子は認められていなかった。半兵衛は秘策があると言って、新太郎に養子になれ、と申し出るのである。

 そして、新太郎が母親の祥月命日で実母の実家の蝋燭問屋である伊勢屋に行った帰り、再び浪人風の男たちが襲ってくるのを待ち構えて、その一人を捕らえ、襲撃の依頼主を白状させるのである。動かぬ証拠を掴んだ半兵衛は、相馬家の用人を呼びつけて、志摩を説得させ、父親が御小姓であることを使って、幕府を説得させ、新太郎を養子に迎えることができるようにしたのである。その際、半兵衛の実弟が目付であることももちだして、説得させる。力で来る者は力に弱いことをよく知っているのである。こうして、無事に新太郎を養子にし、自分は隠居することができたのである。

 その際に甥に当たる新太郎が助けられたことを恩にきた日本橋蝋燭問屋の伊勢屋金右衛門が、彼の隠居所を提供することになる。その隠居所を「無用庵」と名づけ、欲という欲を無用のものとして捨て去ろうと決心する。それが「隠居修行」である。だが、無欲の者には金が舞い込む。新太郎の父は新太郎の養子の持参金に500両も差し出すし、伊勢屋金右衛門はお礼にと千両ももってくる。半兵衛は、その金を受け取らずに伊勢屋に預けるが、伊勢屋はそれを運用するという。また、奈津という美貌の女性に惚れられ、また深川芸者だった料理屋の女将に惚れられていく。そうしたことが話を面白くするように展開されるあたりに作者の力量がある。「無用庵」で隠居した日向半兵衛だが、それからいくつかの事件に関わっていく。そのくだりが第二話以降で連作の形で展開されていく。その第二話以降については次回に記すことにする。

2014年1月20日月曜日

風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 弾丸の眼』

 今日はそれほどでもないが、このところ強い寒波を伴う前線が居座って、本当にひどい寒さの中で、「超」の字がつくくらい時間に追われる日々を過ごしていた。あらゆる締切りが一度に押し寄せた感があり、これも、体力や気力が衰えたことを計算に入れずに安易に仕事を引き受けてきた自業自得だとは思っているが、引越しの事務手続きなどもあっていささかうんざりしていた。だが、ようやく一連のことに一区切りついて、これを記す時間がとれるようになった。

 そんな中で、風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 弾丸の眼』(2009年 幻冬舎文庫)を頭休めに読んでいた。これは、このシリーズの2作目で、一作目の『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』(2008年 幻冬舎文庫)を面白く読んでいたので、図書館で借りてきて読んだ次第である。

 これは、明暦の大火(1657年)で父親が行くへ不明となった喬太という少年が、気弱になった母親を助けながら叔父の岡っ引きの下で下働きをしながら、その明晰な頭脳を働かせて市井の事件を解決しつつ成長していく物語と、彼が出会った不思議な老人の和五助の物語で、和五助は喬太が気に入って、彼を手助けしながら成長を見守り、喬太もまた老人の魅力に魅かれていくのであるが、個々の事件の展開と同時に、和五助が凄腕の忍者で、家康から託されたものがあり、将軍家の暗殺計画を阻止していくという大筋が全体を貫いている二重構造をもつ物語である。その分だけ、物語に幅と深みが出て、喬太の父親が実は生きていて、将軍家の暗殺計画に加担していくことが暗示され、その展開が期待されるように構成されている。

 本書では、序章「警護の数」で、4代将軍徳川家綱が王子権現(現:北区本町)に参拝する時の警護について、上司の命令で伊賀者が和五助のところに相談に来るところが描かれている。伊賀者たちは、警護に百名以上の人数を配置するという。だが、和五助は、百人もいれば身動きが取れなくなり、精鋭10人でいいと提言する。しかしその提言は、老いぼれの言うこととして無視されていく。この序章が、本書の終わりの方で将軍家の暗殺計画が描かれるところで絡んでくる。

 第一話は「キツネの婿取り」で、「キツネの嫁入り」を文字ったものではあるが、組紐屋に嫁に来たばかりの女性とその婿が忽然といなくなったという事件を喬太が探索していくという話である。嫁に来た女性がキツネで婿を取っていったという噂が流れていた。

 だが、この事件が複雑な様相を見せ始め、組紐屋がのし上がるために行ったあこぎな仕業が尾を引き、組紐の工夫をすることができた娘たちを監禁し、使い捨てにしたという出来事が喬太の推理によって暴かれていく。嫁に来た娘は、その監禁されて殺された娘の妹であった。そして、息子は組紐や自身の手によって、組紐の工夫の秘密が漏れないように監禁されていたのであった。喬太は、和五助が「いまはおつに澄ました大店も、創業のころはかなりえげつない商売をしていたりするものです」(59ページ)という言葉をヒントにして、真相を探り出すのである。

 他方、王子権現に参拝に来る将軍家綱を狙うのが鉄炮であり、しかも名手と言われた鉄炮源太ではないかと思われる。かなりの遠方から正確に的を撃つことができる試し撃ちがされていたからである。そして、この鉄炮源太がどうやら行くへ不明になっていた喬太の父親かもしれないとの暗示が記される。

 第二話「極楽の匂い」は、大川(隅田川)の船上で逢い引きをしていた男女が、若い男の絞殺死体が船に乗せられて流れているのを発見し、その死体から「いい匂い」がしたと証言したという事件から始まる。死体が水に浸かったためにその匂いは消えていたが、死体からは他になにかの図面らしきものを書いた紙片と木くずのようなものが見つかる。

 喬太は、死体を発見した小間物屋の娘と共に、その匂いが「丁字」(丁香 グローブ)という独特のものであることを発見する。「丁字」は、当時は高価な輸入品だった。そして、死体から発見された木くずのようなものから、死人は宮大工ではなかったと気づいていく。こうして死人が深川の広大寺という寺の金堂を作っていた大工であることを突きとめるのである。喬太は、その大工がしていたという金堂の屋根に登ってみる。この時も、和五助から「しばらくじっとしておれば慣れます」と教えられた通りに高い屋根の上で見晴らし、その大工と同じように動いてみる。そうすると、屋根裏に入るところが見つかり、そこから入ってみると丁字の匂いがする湯殿がすぐ下に見えた。

 そこから喬太は、大工が屋根裏から湯殿の光景を見て、驚いて落ちて、そこで見られてはならないものを見たために殺されたのではないかと推理する。そして、事実、大奥の女中とその寺の僧侶とが湯殿で繰り広げた痴態を見たために殺されたことがわかっていくのである。

 第三話「首化粧」は、小名木川沿いにある二十四花園の中で、化粧をほどこされた首が見つかる事件を取り扱ったものである。戦国時代に行われていた首実検のための首化粧ではないかと思われ、喬太は、戦国の世を生き抜いてきた和五助のところに首化粧について聞きに行く。だが、その首だけの男は、まるで女のような化粧がほどこされていたから、戦国時代に行われていた首化粧とは違うと和五助は教える。そして、やがて胴体の方も発見され、女出入りも激しかったというその男の身辺の探索が始まる。

 事件は、どうやら油問屋の大店と関係があるらしいとわかっていく。化粧をほどこされた首は、二十四花園の中の桔梗の花が咲いている上に置かれており、その日に句会に来ていた油問屋の夫婦がそれを見てひどく驚いたことがわかっていく。喬太は、その句会に同席していた戯作者の星野空兵衛と知り合い、彼からの証言を得ていくのである。そして、その油問屋の桔梗という名の娘が行くへ不明になっていること、油問屋の主人の昔の妾との間に男の子がおり、その男の子が成長し、油問屋の娘の桔梗と男女の仲になってしまい、男が毒を飲んで自死し、桔梗がその男の首を二十四花園にさらして、父親の非道を知らせようとし、そして桔梗も自死したことを突きとめていくのである。

 この事件そのものはたわいもない話だが、先に書いたように、このシリーズを貫く将軍家暗殺計画が動いていく。そこには幕府に怨みを抱く公家の土御門家が絡んでいた。鉄砲源太は、その土御門慎斎の依頼で、将軍の命を狙うところで終わる。続きものがちょうど山場に差し掛かる時に終わるようにして第三話が閉じられている。

 父親のことを知った喬太がどのようにして父親を乗り越えていくのか、そこに和五助の大きな役割が今後展開されていくだろう。子どもの成長にとって、親以外の頼れるしっかりした大人が側にいることは、大きな力をもっている。喬太と和五助はそんな関係になっていくだろうとは思う。

2014年1月6日月曜日

野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(2)

 昨日は「寒の入り」らしくひどく寒い日曜日になり、今日も快晴ではあるが、気温の低い日になっている。周囲に風邪をひかれている方も多く、今年の風邪はしつこいようで、体力も気力も奪われてしまうから、如何ともしがたいところがある。今年のお正月は2日の日だけ何もせずに休んで、後は仕事三昧という日々だった。しかし、『猫侍』というテレビドラマを熊本のSさんから教えていただき、これが抱腹絶倒の面白いドラマで、YouTubeで見入っていた。

 さて、野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』の第三話「岐路」は、岩倉源太夫の剣術道場の若い二人の門弟の恋とそれに伴って起こるそれぞれの人生の岐路を描いた作品で、これも構成といい展開といい力作で、冒頭で源太夫がかつての源太夫の剣術の師であった日向主水が語った「一点を見ながら全体を見、全体を見ながら一点を見る」という剣の極意のような言葉を思い起こす場面が描かれ、その視点の中で若い二人の人生の岐路が描かれているのである。人生の岐路にある者は、自分が直面している物事や自分の岐路しか見えない。しかし、そこで全体を見る目をもつことができる時、人はその岐路の選択をあまり間違えないで行うことができる。そうした人生の綾がこの作品で織りなされていく。

 源太夫は。道場で精彩を欠いている田貝忠吾のことが気になった。田貝忠吾は、園瀬藩の家老格の家の息子であるが、父親の聡明で武術に優れた姿とは異なり、蒲柳の質で弱々しく見える22歳の若者だった。母親が病に伏せって、遠縁の綾という娘がその母親の世話をしているという。忠吾はその綾に思いを寄せているようだし、綾も彼を慕っているが、忠吾が幼い時に父親が酒席で友人の娘をくれとの申し出をしており、公認の許嫁が決まっていたのである。許嫁の喜美恵も綾も、共に美貌であり、気立てもよく、礼儀作法から躾までできた申し分のない素晴らしい娘である。父親は喜美恵を勧め、母親は綾を勧めていた。

 しかし実は、彼は喜美恵でも綾でもなく、年上の女中のお吉に慰めを見出していたのでる。だが、お吉とは身分の違いもあり、家老格の家ではゆるされるはずもなかった。切羽詰まったように感じた彼は、ついに泥酔したり役目をおろそかにしたりして、遊郭に借金まで作ってしまった。怒った父親は城には病気願いを出し、座敷牢に忠吾を閉じ込めた。だが、忠吾はお吉の手引きで座敷牢を逃げ出し、ついに出奔したのである。

 もう一人の弟子の狭間銕之丞は、源太夫の妻の「みつ」の前夫で源太夫が藩命によって斬らねばならなかった立川彦蔵の妻の弟である。立川彦蔵は妻の不貞の現場を押さえて、妻を男と共に斬り、出奔したために源太夫が藩命によって止むなく彼を討ったのであり、銕之丞は源太夫と共に彦蔵の討手に命じられてその場に居合わせた青年であった。

 源太夫は彦蔵を懇ろに葬り、その墓参を欠かすことはなかったが、同行した銕之丞がその寺で幼いころによく知っていた民恵と再会し、二人が恋に陥るのである。民恵は、父親は銕之丞の父親と同じく槍組の武士の娘であったが、父母が早くに亡くなったために、比較的裕福な土地持ちの百姓である作蔵に引き取られて育った娘であった。昔、民恵の父親が大雨で増水した川で溺れた少年を助け、その少年が作蔵で、作蔵は民恵の父親に命の恩義を感じて、身寄りがなくなった10歳の民恵を引き取ったのである。それから6年の死月が流れていた。民恵は義母の手伝いもよくし、三人の義理の弟妹の面倒もよく見、美しく育った娘だった。そして、いくつもの縁談があったが、弟や妹が大きくなるまでは嫁に行かぬと断っていたのである。

 銕之丞と民恵は再開し、お互いに思いを寄せるようになったが、民恵は義理の親への恩を返すのが第一だ、そして、義父の意に沿った人物と結婚すると語る。銕之丞はそこでうじうじと悩むのである。銕之丞の思いに気がついた源太夫は、自分の気持ちを素直に伝えよ、悔いが残らないようにせよ、と銕之丞に語る。

 そうしているうちに民恵の義父である作蔵が源太夫を訪ねてきて、最近の民恵の様子から民恵の気持ちを察し、「自分が望むのは民恵の幸せである」と語り、相手の銕之丞も申し分ない人物であるから、二人を結婚させたいと言い出すのである。自分が気に入った人物は銕之丞だと銕之丞に告げる。こうして、銕除丞と民恵は結ばれることとなり、銕之丞は一つの変貌を遂げて成長していくのである。

 第四話「青田風」は、源太夫が編み出した秘剣「蹴殺し」の詳細が明らかになる展開であると同時に、主人公の岩倉源太夫の人物像がさらに大きく描かれる作品になっている。

 かつて江戸で源太夫の友人で秘剣「蹴殺し」を編み出した際に手伝ってくれた秋山精十郎を、源太夫は、彼が園瀬藩の政争の中で刺客として雇われたために斬らなければならなかった。だが、その秋山精十郎には娘がひとり生まれていた。彼は旗本の三男であり、源太夫の軍鶏の師匠でもあった精十郎の父親の秋山勢右衛門が亡くなった後で、秋山家から邪険にされてやくざの出入りに加担したりしたため江戸におれなくなり、刺客をしていたために精十郎は知らなかったが、小唄の師匠をしていた女性との間に一子の園が生まれていたのである。その後、園の母親は湯島の勝五郎という顔役の囲われ者となるが、勝五郎は剛毅な性格で、利発な園を気に入り、園もまた勝五郎を自分の父親だと思って育った。彼女は剣を習い、美人で聡明な女剣士に育っていた。

 他方、源太夫の軍鶏の師であり精十郎の父であった秋山勢右衛門が亡くなり、その後を継いだ兄も同じ勢右衛門を名乗っていたが、女中腹であった精十郎を嫌い、これを徹底的に無視して追い出していた業腹な人間で、精十郎と源太夫の剣の対決が江戸で噂されるようになると、田舎侍などに噂をたてられるのは我慢ができないと、園に父親の仇が見つかったからこれを討つようにとけしかけるのである。

 園は勢右衛門からそれを聞き、父を討った源太夫を訪ねて、勝五郎と共に園瀬藩へ向かう。だが、実際に源太夫に会ってみて、そのいきさつを源太夫から聞き、源太夫と父との間にあった信頼と友情を感じて、彼の人柄に好感を寄せるようになる。

 しかし、当てが外れた秋山勢右衛門は、新たな刺客を源太夫に送り、これと対決させていくのである。勢右衛門はそこに自分の名誉がかかっていると思い込むほどの愚かな人物に過ぎなかったのである。

 源太夫は刺客と対決し、「蹴殺し」を使って相手を討つ。そして、それを自分の門弟に見せ、秘剣を秘剣でなくしていこうとするのである。すべてが終わった後で、源太夫の妻のみつから園と勝五郎に便りが届く。「園瀬の里は平穏でございます」と。

 この作品で新たな人物が登場する。父親の勢右衛門とは全く異なる業腹で自己中心的な秋山勢右衛門という人物と、精十郎の子の園、そして義父で気風の良い勝五郎である。これらの人物によって、おそらくまた話が膨らんでいくだろう。描写力と構成が非常に優れていて、人物が浮かび上がって来るいい作品であると改めて思っている。

2014年1月3日金曜日

野口卓『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(1)

 こちらでは穏やかな天候の中で、新しい年が事もなく開けた。元旦からもうすぐ締切りの雑誌の原稿の資料集めなどをしていた。今年は一身上の大きな変化を迎える年になるが、生活環境が変化するだけであるから、どこにいっても変わらない営為を続けるだろうと思う。

 さて、昨年末から野口卓の作品を読んでいるが、先に読んだ『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第二作である『獺祭(だつさい) 軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)を、これもまた大変面白く読んだ。表題の「獺祭(だつさい)」というのは、作者によれば、川獺(かわうそ)が捕えた魚を食べずに岩の上に並べて置という習性をもつことから、それが川獺の祭りのようで、手の内の全部見せてしまうことを言うのだそうである。この表題がつけられた第一話「獺祭」は、文字通り、主人公の岩倉源太夫が、彼が軍鶏の闘いから編み出した秘剣「蹴殺し」の手の内を見せる展開が記されるのである。

 園瀬藩で、ようやくにして念願の剣術道場を開くことができた岩倉源太夫は、これまで、藩内の勢力争いに巻き込まれる形で、刺客として送り込まれていた旧友の秋山精十郎や妻となった「みつ」の前夫で藩内随一の剣の遣い手と言われた立川彦蔵と藩命によって対決し、さらに、武芸者として彼の秘剣「蹴殺し」との対決を望んだ武尾福太郎の挑戦を退けてきていた。特に、武尾福太郎との対決を目撃した漁師が、そのあまりの電光石火のような業に驚嘆して噂を広めたこともあり、剣客としての名が上がってきていた。

 しかし、藩内で剣術道場を開く大谷道場と原道場の主が、門弟を源太夫に取られることを危惧して、卑怯にも源太夫に闇うちをかけるのである。彼の菩提寺である正願寺の住職である恵海(えかい)和尚から囲碁の手ほどきを受けて面白くなり、その日も正願寺での囲碁を打った帰りに、彼は襲われるのである。だが、腕の違いは明白で、彼は四人の襲撃者を一蹴する。だが、大谷道場の主の兄の大谷馬之介が江戸から帰ってきて、岩倉源太夫との果し合いを望むのである。この二人の兄弟が置かれた事情も述べられ、彼らが世間に対する「怨み」で生きてきた姿も描かれる。

 源太夫は、その試合で彼の秘剣「蹴殺し」を使うと明白に宣言し、見所がある二人の弟子の柏崎数馬と東野才二郎にそれを見せると言う。その言葉のとおり、源太夫は「蹴殺し」の業で大谷馬之介を退ける。「怨み」で生きる者は、結局敗れるのである。源太夫は、秘剣も公にすれば秘剣でなくなるから、以前の武尾福太郎のように秘剣を求めてくる者がいなくなるだろうという。彼は正願寺の和尚に、誰もが臨まないくらいに強くなれば、争わなくても済むようになるから、それを目指していると語っていた。だが、その技があまりに早く、二人の弟子は何が起こったのかを見極めることができなかった。そこで、源太夫は二人の弟子に「蹴殺し」の習得方法を教え、訓練の方法を教えていくのである。それは、文字通り、源太夫の「獺祭」であった。

 この話の中で、源太夫と恵海和尚の囲碁談議があって、将棋はそれぞれの駒の役割と力が決まっているが、囲碁はどの石も同じ力で、だからこそいい形で結びつきができるといかなる攻撃にも耐えられ、その力を存分に発揮することもできる、というのがあり、面白いと思った。静謐さをもつ源太夫は、恵海から囲碁の手ほどきを受け、見る間に強くなっていくのである。こういう挿話で寺の住職との人生談議になっていくあたりが、なかなか洒落た構成で、その人生談議が作品で展開される辺りに作家の真骨頂があるのかもしれないとも思う。

 第二話「軍鶏と矮鶏(ちゃぼ)」は、軍鶏好きの同好者たちの話から始まる。軍鶏は闘鶏に用いられるため、多くの同好者たちは金を賭けて儲けようと企むから強い軍鶏を欲しがる。だが、源太夫は、「美しい軍鶏は強い」という師の秋山勢右衛門の言葉どおり、純粋に美しい軍鶏を育てたいと思っていた。その源太夫と同じような思いをもつ太物問屋の隠居の惣兵衛が源太夫を訪ねてきて、互いの軍鶏を掛け合わせて良い軍鶏を作りだすことを提案するのである。軍鶏の雌は足が長くて羽根も小さいために、卵を産んでもそれを抱くことができないし、雌の軍鶏の脚骨も太く、卵を踏みつぶしてしまう恐れがある。それで、源太夫は軍鶏の卵を脚が短く羽が大きな矮鶏(ちゃぼ)に抱かせて孵化させていた。それが一般的であったが、偬兵衛は、自分が矮鶏の代わりになって軍鶏の卵を温めて孵化させるという。真に軍鶏好きの典型とも言う人物で、源太夫と偬兵衛はすぐに打ち解けた仲になる。そして、美しい軍鶏を育てることの難しさが二人のやりとりで展開されることになるが、それがやがて、ひとりの才能ある少年を育てることにつながる展開になっている。

 源太夫の道場に九歳になる森正造が通っており、彼は町奉行配下の書役である森伝四郎の息子で、目立たない少年だった。だが、この少年には絵の特別な才能があり、密かに源太夫が飼っている軍鶏を写生していたのである。正造の描いた軍鶏は見事で、源太夫は彼の才能に驚嘆する。少年の目はいい軍鶏を見分ける力もあり、それは彼が卓越した絵の才能をもっていることの証しでもあった。

 源太夫は正造が描いた軍鶏の絵を藩校の教授方をしている友人の池田盤晴に見せ、盤晴もその才能を見抜いて、本格的に絵を習わせたらどうかと勧める。だが、正造は絵を描くことをゆるされていなかったし、正造の父親の森伝四郎が強く反対した。源太夫が伝四郎に会って正造の絵の話をしたら、伝四郎はけんもほろろに追い返し、その夜は妻と子をひどく叱責し、正造に源太夫の道場も辞めさせようとした。伝四郎が正造の絵に強く反対するには、事情があったのである。

 正造の母小夜は、伝四郎の後妻であった。伝四郎は小夜と結婚してほどなく書役として江戸詰めとなり、やがて十月半後に正造が生まれたのである。その時に、年若い後妻をもらった伝四郎を妬むつまらない輩が、小夜とある絵師の間に何かあったらしいとの噂を言ったのである。伝四郎は正造が生まれたのが十月半後であったこともあわせて、小夜に対する鬱々とした疑いを抱いた。そして、正造がまだ幼い頃に描いた絵を小夜が嬉々として見せたとき、疑念の炎を燃え上がらせたのである。

 それは全く根も葉もないうわさに過ぎなかった。だが、伝四郎は妻の小夜を信じることよりも自分の名誉に傷がつき、家名が汚されることを恐れた。そして、正造に絵を描くことを禁じたのである。

 道場を辞めさせることを源太夫に伝えにきた小夜は、自分は正造を命がけで守る決心をしたと語り、正造に絵の才能があることを聞かされて、夫に正面から立ち向かい、正造の将来を開くことを決心していく。やがて、その正面からの向き合いが行われたのか、森伝四郎は源太夫の道場での剣術の稽古と絵師について絵を習うことを認め、こうして正造の道が開かれていったのである。

 それからしばらくして、森伝四郎は雨に打たれたことが元で病となり、あっけなく他界した。正造が家督を継いでいくことになり、喪が明けたときに小夜が源太夫のところにきて事情を説明し、母の強さを源太夫は改めて覚えていく。そして、正造は、藩の絵師と共に江戸で本格的な絵の修業を始めることになるのである。源太夫は、道場にその正造が描いた絵をかけて、一件が落着していく。
 長くなったので、第三話と第四話については次回に記すことにする。