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2012年1月19日木曜日

山本一力『まねき通り十二景』

冬型の気圧配置が続き、乾燥した日々が長く続いている。17日の夜のニュースで葉室麟『蜩ノ記』が直木賞を受賞したとの知らせを受け、個人的に嬉しく思った。夜中に友人から電話で知らせを受け、あわててテレビをつけたが、垣間見た作者の人柄が何ともいえないくらい作風を忍ばせるものだった。『蜩ノ記』は、ここにはまだ記していないが、すでに大きな感動と共に読んでいたし、新聞で彼が同郷の久留米市の在住とはじめて知って、久留米にいた頃に知っておれば、と残念に思ったりした。

 『蜩ノ記』については、いずれここにも記すつもりだが、山本一力『まねき通り十二景』(2009年 中央公論新社)を読んでいたので、それを記しておくことにした。

 山本一力の成功物語やきっぱりした江戸っ子気質を賛美するような人間類型には、どこか乗り切れないような気がしないでもなかったが、表題から、この作品が市井に生きる人々を描いた作品だろうと思い、手にとって読んでみたのである。

 表題の通り、この作品は深川冬木町の仙台堀添いにある「まねき通り」と呼ばれる14軒の商店と湯屋の人々を十二話と番外編の合計十三話で描いたものである。「まねき通り」は、「まねき弁天」という弁天様を祀る神社を中心にして一膳飯屋や鰻屋、駕籠や瀬戸物屋、搗き米屋、駄菓子屋、乾物屋、雨具屋、太物屋(呉服)、古着屋、履物屋、豆腐屋、鮮魚青物屋、小料理屋が店を並べている。そこでのそれぞれの人々の日常の喜怒哀楽や親子、夫婦といった人間関係、それぞれの商売の成り立ちなどが描かれているのである。

 頑固で厳しいために子どもが寄りつかない駄菓子屋の親爺が、実は不器用なだけで、本当は子どもを思いやる親爺であったりするし、大店のお金持ちは、町の人々のために惜しみなく金を使ったりする。また、客を融通しあったりして、私欲のない「お互い様」の思いで暮らしをしている姿が、通りの歳時記を通して描かれていて、それぞれに人生の悲喜こもごもを抱えながらも助けあい、認め合って暮らしているのである。

 商家の「お互い様」の気持ちが「まねき通り」の人々の心の豊かさを支えて、思いやりが充満していく。ここには他を蹴落としてまで自己保身を図ることもなく、いたずらな競争もない。社会の競争原理は昔からあるが、「まねき通り」の人々は、歳時記を一緒にすることで他を認めていく心を培っていくのである。

 ただ、読みながら感じたのだが、人間があまりに美化されていて、その美化について行けないところがあるような気がしないでもない。人間はもっと愚かで、もっと頑迷で、自己の欲の正当化を図る者で、愛情や思いやりはもっと通じにくく、誤解は簡単には解けないもので、庶民の美化は人間がもつ罪性に蓋をすることになる危険がある。この世的な成功にいかほどの意味があるのだろうかと思っているわたしにとっては、成功が基準の物語は皮相的すぎる気がするのである。この作品は、もちろん市井の人々の姿を描いたもので、成功を直接描く物語ではないが、根本には上昇志向的な発想が置かれている。

 昨年の暮れかお正月だったか、記憶にはっきりしないのだが、NHKのBSで山本一力『あかね空』の映画化されたものが放映されて、ちらりと見ていたのだが、彼の作品は映像を意識しながら書かれているところが多分にありながら、作者の意図とは逆に映像にはしにくいところがある気がしていた。

 彼の作品は、世の中で何事かを為そうと頑張る人にはいいだろう。だが、頑張ってもうまくいかないことを抱える人間にとっては、生きる勇気を鼓舞するよりも、単純に「ガンバレ」と声をかけるような小説のように思える。もちろん、わたしの「かんぐりすぎ」ではあるだろうが。

2011年3月30日水曜日

山本一力『かんじき飛脚』

 気温はまだ充分高いとは言えないが、今日は少し春を感じる日になった。このところ東京電力による計画停電の実施も見送られて、町は平穏さを取り戻しつつある。人はいつも、それが劣悪な環境であれ、その時々の状況の中で生きていくのだし、環境への順応性も高い。課題は、これまで築かれてきた社会のシステムそのものを変換することだろう。ささやかなことの中に「こころ」が感じられるような人間となり、そこからシステムが構築され直されればいいと思ったりする。


 毎日報道される被災地の様子を見て涙を流さない日々はないが、壊滅した町々の復興について、あるいはこの社会全体のあり方について、学者は専門家として、対処療法ではなく、もっと素直に、素朴に、そして大胆に未来への道筋を提言するべきかも知れないと思ったりする。


 個人的な風邪の症状はだいぶ治まってきて、体力が完全に回復するとまではいかないが、咳も止まって楽になってきた。それでも夜遅くまで仕事をするというわけにはいかないので、たいていは、ニュースを見ながら小説を読んでいる。


 昨夜は、山本一力『かんじき飛脚』(2005年 新潮社)を「?」と思いながら読んだ。これは寛政の改革を行った松平定信(1759-1829年)の統治下で、加賀金沢藩の存亡をかけた藩御用達の飛脚の活躍とその姿を描いたもので、江戸から金沢までの、特に難所の多い北国街道を藩の密命を帯びて駆け抜ける飛脚たちの厚い友情や信頼、人情、そしてそれを阻止しようとして放たれた公儀お庭番との攻防を描いたものである。  作者らしい「男気」や「信頼」、また「愛情」の姿を描いた場面が随所に盛り込まれているし、当時の飛脚の生活、各宿場の様子など、食べ物から寝食に至るまで細かな描写があり、それはそれで物語として面白く読めるが、「?」と思ったのは、全体の構成の中で飛脚が加賀金沢藩の密命を帯びて駆け抜けなければならない肝心の理由に納得がいかない点があったことである。


 加賀金沢藩が老中松平定信から正月に内室同伴で招待を受けた。こうした招待を受けること自体や内室(藩主の正室)同伴というのも前例のないことであり、そこに松平定信の企みの匂いをかいだ加賀金沢藩では困惑が走る。調べてみると招待を受けたのは加賀金沢藩と土佐藩だけであり、それぞれの留守居役どうしが互いに信頼して内情を打ち明けてみると、両藩共々に内室が病の床にあることがわかり、「内室同伴」というのが不可能に近いことが分かる。


 加賀金沢藩では、内室の病状回復のための「蜜丸」という秘薬があり、「内室同伴」を果たすためにはそれが必要となる。そこで、その「蜜丸」の運搬を飛脚に依頼するのである。松平定信は、その秘薬の運搬を阻止し、加賀金沢藩の落ち度を攻めるために、公儀お庭番を送るのである。


 しかし、なぜ松平定信がそのような画策をしたのか、果たしてそれが有効で必要な画策なのかの根拠がいまひとつわからない。


 本書では、松平定信が行った札差(武家の俸給であった米をあずかり、それを担保に武家に金を貸した)への借金棒引き策である「棄損令」によって、金を貸し渋るようになった札差からの借金ができなくなった武家が一気に窮乏に陥った。江戸の経済も全く停滞した。松平定信は、貸す金がないといって武家への貸し渋りをする札差に五万両もの金を貸し付けようとするが、札差たちはこれを拒否四、武家の生活はさらに窮乏を極めていくことになる。


 そして、「かくなるうえは、内室同伴を果たせぬことを責めるしかない」(257-258ページ)となるのだが、札差への公金貸付と加賀金沢藩と土佐藩を責めることが、どうにもつながらない。加賀金沢藩と土佐藩は、それぞれに幕府に内密にしている火薬の製造や鉄砲の貯蔵などがあるが、江戸の経済打開策と両藩を責めることに根拠が見いだせないのである。


 もうひとつは、松平定信が老中であったとしても、内室同伴の招待は「私的な招待」であり、内室の病状が幕府に届けられていなかったにしろ、「内室が急な病ゆえに」という理由が立つはずで、それを藩の存亡をかけたことがらとして受け止める加賀金沢藩の姿にリアリティーがない。また、飛脚たちが命がけで守ることになる「蜜丸」という秘薬で、病の床にある内室の病状が一時的にしろ招待に応じられるほど回復するというのも、どうもしっくりこない。


 飛脚たちや飛脚問屋の主人たちの姿は、それぞれに味のあるものになっているが、その飛脚たちを走らせる根拠に「?」を感じてしまったのである。飛脚の姿を描くのに妙な政争を持ち込まなくても良かったのではないかと思ったりする。


 作者は歴史的考証も丹念であり、物語の展開にも力量があって読ませる力をもっているが、もちろん、それは本書でも充分に感じられるが、本書に関してはそういう思いをもった次第である。

2011年2月12日土曜日

山本一力『はぐれ牡丹』

 昨日は朝から横なぐりの雪が降り、夜にはうっすらと積もっていたし、今日も重い空が広がっているが、1936年(昭和11年)の「2.26事件」の時は大雪だったのだから、今の季節には不思議なことでも何でもないだろう。ただ、「如月の風は冷たき」で、寒いのは身体的にも精神的にもこたえる。

 このところ、ある組織の100年に及ぶ歴史を検証して考察をするという作業を夜中にしていて、いささか疲れを覚えたが、衛星放送が昨日は無料だと聞いて、藤田まこと主演で池波正太郎原作の『剣客商売』を見たりしていた。講談社から出されている『完本池波正太郎大成 全30巻』はずいぶん前に読んでいて、『剣客商売』も面白い作品だったので、放映されたもののストーリーはわかっていたのだが、映像はまた別の妙味があった。特に、藤田まことが演じた主人公の老剣客である秋山小兵衛が孫のような少女と夫婦になって隠棲する家が、人里離れた藁葺きの農家として設定されており、何とも言えない味わいで、やがては隠棲したいと思っている今のわたしにとっては、ひとつの「憧れ」を感じさせるものであった。静かに朽ちていきたいと思い続けているからだろう。

 閑話休題。その放送を見ながら、山本一力『はぐれ牡丹』(2002年 角川春樹事務所)を読んだ。これは両替商のひとり娘として育った「一乃」が、惚れた男と所帯を持つために家を飛び出し、裏店に住み、野菜の担ぎ売りをしながら、寺子屋の師匠をしている夫の「鉄幹」と四歳になるひとり息子の「幹太郎」と共に、持ち前の明るさと機転、直感力の鋭さや気っぷの良さを発揮して、ふとしたことで関わってしまった江戸幕府の貨幣改鋳に絡む大詐欺事件で詐欺を計画した人間に捕らわれてしまった娘たちを助け出していくという、ある種の冒険譚である。

 「一乃」は、苦労を苦労とも思わずに明るく裏店の生活に馴染みながら、直感力も鋭いし頭脳も明晰なのだが、何事でも結論から先に言ってしまい、突っ走っていくところがあり、夫の「鉄幹」は、非力であるだけに冷静に、そんな「一乃」を補助していき、四歳の息子「幹太郎」は「おいらが付いていないと、かあちゃんはないをするか分からない」(120ページ)というような子どもで、一味も二味もあるような家族になっている。

 その「一乃」が野菜の仕入れ先である農家の竹藪で一分金を拾う。両替商の娘であった「一乃」は、それが贋金ではないかと疑い、結婚によって勘当されて疎遠になっていた父親に、あえて調べてもらうと、やはり贋金だったことから、贋金事件に関わることになるのである。そして、その贋金には大がかりな詐欺事件が絡んでいたのである。

 江戸幕府は、特に第11代将軍の徳川家斉の時代(在位1787-1837年)に、財政逼迫の救済策として貨幣の改鋳を行い、金・銀貨の質を落とし続けていた。その貨幣改鋳の際に、新貨幣があまり市中に出回っていないことを機に金の含有量を少なくした贋金を作って利ざやを稼ごうとする企みが起こる。松前藩の御用商人がロシアの船団と結託してその企てをするが、贋金を作ってもあまり儲けに繋がらないことが分かり、次にそれを利用して五万両にも及ぶ詐欺を画策するのである。
 
 松前藩の御用商人は、その話を江戸の賭場の親分の所に持ち込み、巧妙に話を作って五万両を集め、それを持ち逃げしようとするのである。また、ロシアの船団との取引のために女性たちを拐かしてロシア人にあてがおうとするのである。「一乃」が住んでいる裏店の少女がその拐かしにあう。

 「一乃」は松前藩の御用商人の企みを見抜き、だまされた賭場の親分と持ち前の度胸で渡り合って、真相を告げ、拐かされた少女を、夫の「鉄幹」や花火職人、川船の船頭、野菜の仕入れ先の農家などの人たちと協力し、知恵を働かせて助け出していくのである。

 こうした物語が、ほぼ一直線に進んで行くので、冒険譚としての面白さがあるが、欲を言えば、もう少し「ふくらみ」が欲しい気がした。いくつかの設定の妙味が急転していく物語の展開の中で解消されてしまっていて、たとえば、料理屋の息子であったが、親も妻も何かの毒に当たって死んでしまったために料理屋をやめて寺子屋の師匠をしている夫の「鉄幹」と「一乃」の夫婦のこと、後半に出てくる花火職人と「一乃」が住む裏店で産婆をしている女性とのこと、そうしたことに「ふくらみ」が欲しい気がしたのである。

 表題の「はぐれ牡丹」というのは、その花火職人が拐かされた少女を救い出すために、彼がかつて愛した産婆を通しての「一乃」の依頼を受けて、自分の職と人生を賭けて打ち上げる花火のことであり、その産婆が遠くから打ち上げられた花火を眺める場面が事件の結末の場面として描かれるだけに、そこにもう少し「ふくらみ」があって、二人の姿がさらに深く描き出されればいいのに、と思うのである。

 ともあれ、作品の主人公と同じように、作品も一直線で突っ走り、明快に終わる。作者の作品の中では特異な作品でもあるだろう。それにしても、今日は底冷えのする日になった。

2011年1月31日月曜日

山本一力『牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)』

 よく晴れてはいるが、この冬一番の寒気団の襲来で空気が冷たく寒い。昨日は福岡の実家でも20㎝ほど雪が積もったそうだし、熊本からもとても寒いというメールをいただいたりした。日本海側は大雪で、霧島では火山の噴火が続いており、列島が震撼している気さえする。

 ただ、個人の生活というのは、いつでも、どこでも、どんなときも、日常の喜怒哀楽が主で、土曜日の深夜にサッカーのアジア杯の日本とホーストラリア戦のテレビ中継を見続け、素晴らしいボレーシュートに感嘆したりし、昨夜は、日中の疲れも覚えて早々にベッドに入り眠りを貪っていた。

 それでも、山本一力『牡丹酒 深川黄表紙掛取り帖(二)』(2006年 講談社)を一気に読んだ。この作者は、他の作品でもそうだが、文章と展開のリズムが絶妙で、内容も痛快だから、長編でも一気に読ませる力量があり、この作品もそのリズムに乗って読み進めることができた。

 これは、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人の若者の活躍を描いた『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)の2作目に当たるもので、本作では、この四人が土佐の銘酒と鰹の塩辛をいかに大阪や江戸で売りさばいていくかを工夫していく展開になっている。

 蔵秀の父親で山師の雄之助が杉の手配のために行った土佐で、旨い辛口の酒と鰹の塩辛に出会い、これに惚れ込んで、江戸にもって帰り、これを江戸で広めたいという。相談を受けた蔵秀は、紀伊国屋文左衛門を通して幕府老中の柳沢吉保に取り次ぎ、それによって柳沢吉保はこれまでの土佐藩に対する見識を改め、紀伊国屋文左衛門と共にその銘酒と塩辛の江戸での販売に手を貸すことになる。

 蔵秀たち四人は、紀伊国屋文左衛門の後ろ盾で土佐藩の命を受け、これを土佐から江戸まで運ぶ工夫を重ね、仕入れのために土佐に行くことになり、途中、「出女」を禁じた箱根の関所で雅乃が苦労したりするが、土佐の土地の人たちからも気に入られて仕入れに成功し、まず、大阪で見事な飾り提灯を作って売り出し、次いで、江戸でも大仕掛けの宣伝をして売り出しに成功していくのである。

 この土佐までの往復の旅で、蔵秀と雅乃の仲が縮まり、二人は夫婦になることになるし、飾り提灯職人の宗祐は、土佐で知り合った子持ちの女性に思いを寄せていくようになる。そうした恋の事情を挟みながら、蔵秀の判断力と人間力、雅乃の立ち居振る舞いや魅力、飾り提灯造りにかける宗佑の情熱などがいかんなく発揮されて、青春活劇を観るようにして物語が展開されていく。

 この作品の中で、作者は土佐の風土と人柄を高く持ち上げている。作者が土佐(高知県)出身であることを割り引いても、「意気に感じる」というような人間模様が確かにあったのかも知れないと思わせるものがここにはある。「意気に感じる」というのは、今日ではほとんど皆無に近いような人間関係のあり方ではあるが、貴重な生きる姿勢ではあるだろう。

 「意気に感じる」ためには、双方の呼吸が必要だが、その呼吸が損得の利害によって乱れているのが昨今であるだけに、「意気に感じて」動く人々を描いた作者の作品世界は、一つの理想となり得るのかも知れないと思ったりもする。

 本書の終章で、ようやく蔵秀と雅乃の結婚が決まり、宗佑は土佐に旅立つことになって、一応の四人の青春物語に結末がつけられた感じだが、この四人が、江戸の広目屋(広告屋)として商人を相手に活躍していく姿をさらに見てみたい気もする。

2011年1月16日日曜日

山本一力『いかだ満月』

 甚だしく寒い。毎年、大学の共通一次試験のころは本当に天気が荒れる。一昨日は北海道で零下28度以下にまで下がったところがあるとニュースで伝えられていた。冷え切った状態が続いている。

 だが、山本一力『いかだ満月』(2008年 角川春樹事務所)を読み終えて、初めは作者得意の深川木場ものの「男気」を単純に描いたものかと思っていたが、読み進むうちに、これはなかなか味のある作品だという思いをもつことができた。

 物語は、読み本や歌舞伎などで義賊として伝説のある鼠小僧次郎吉(1797-1832年)が1832年に捕縛され、市中引き回しの獄門として処刑された後、次郎吉が隠れ蓑として使っていた材木商と彼の妻と子を引き受けた友人の祥吉が、材木商としての大商いをやり遂げていく話で、次郎吉の妻「おきち」の姿やその子「太次郎」の成長、深川の木場の川並(木場の材木を扱う職人)の「男だて」ときっぷのよさ、商人としての見切りの良さなどが盛り込まれており、江戸から紀州の新宮(和歌山県新宮市)までの船旅や船に同席した水戸藩士たちの侍としての矜持なども描き出され、物語の幅を広げるものとなっている。

 歴史的には、天保3年(1832年)に大泥棒として処刑された鼠小僧次郎吉の姿には不明なところが多く、その家族についての詳細などは不明だが、作者は、残された友人や家族を、商才も思い切りもよい人間や思いやりの深い女性、きちんとしつけられた機転の利く健気な子どもとして描き出している。

 それを、次郎吉の友人であった祥吉が、材木商として6000両ほどにもなる大商いをやり遂げるために紀州の新宮まで大量の杉材を買いつけに行くまでの顛末や船旅、新宮での買いつけの顛末と、それに同行することになった深川木場の川並の若い頭の男気やきちんとけじめをつけていく姿を通して描くのである。

 ただ、思うに、物語の中心は一人の材木商が大商いをやり遂げていく姿と、木場の川並の男気を描き出すところにあり、材木商と「おきち」や子どもの「太次郎」が背負う影として、ことさら鼠小僧を持ち出す必然性が薄いような気がした。また、同じように材木の買いつけを命じられて江戸から新宮まで一緒に行くことになった水戸藩士たちが、選りすぐりの人物たちであったとは言え、「出来すぎている」気がしないでもない。侍たちの立ち居振る舞いには達人の趣さえある。

 作者の作品には成功物語が多く、もちろんそれはそれでいいし、成功には物事を切り開く才覚と知恵が必要だし、時には大胆さも必要だが、そこで描かれる人間が男としても女としても、周囲から受け入れられる理想的な姿として、あまりにも理想的すぎる傾向があるような気がするのである。作者の作品を読む度にそれを少し感じたりする。

 とはいえ、物語としては大変おもしろく、状況の設定も明快で、文章もそういうリズムをもっているから、一気に読み進む魅力もある。成功物語としての独自の空気をもった作家の作品だと思う。

2010年12月17日金曜日

山本一力『梅咲きぬ』

 昨日は九州でも雪が降ったらしい。今日も晴れた冬空だが、冷気が忍び込んでくるような寒さがある。昔はこうした寒気の襲来を「冬将軍の到来」と呼んでいたような気がする。わたしは、その「冬将軍」を「ジェネラル・サビンコフ」と名づけていた。周囲の人たちから「?」と言われたりしたが、「さび~」という言葉がよく使われていて、寒気団はロシアから来るので、ロシア風の名前にしたのである。昨日と今日の寒さは、そのことを思い出させた。

 昨夜は、昨年買ったテーブル式のコタツに入って、山本一力『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)を一気に読んだ。ことさら優れて文学的な表現があるわけではないが、文章のテンポが良くて、物語の展開の仕方に絶妙な速度感があるので、「読み進ませる」のである。だからといって、これまで読んできた彼の作品と比べ、作品の深みがことさらあるというわけではなく、むしろ、手慣れた内容であるだろうと思った。おそらく、『だいこん』や『菜種晴れ』などに並ぶ花などの植物の名を使った頑張って成功していく女性の姿を描いた一連のものの一つとして位置づけられるだろうと思う。

 『梅咲きぬ』は、『だいこん』(2005年)や『菜種晴れ』(2008年)よりも前に書かれており、2000年の『損料屋喜八郎始末控え』や2001年の『あかね空』の中でも重要な役割を果たす女性として登場してきた深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の姿を描き出したものである。ちなみに、秀弥という器量の大きな老舗料理屋の女将は、彼の他の作品でも度々登場している。

 深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将は、代々「秀弥」という名前を襲名している(こういう設定で山本一力の作品に登場する「秀弥」に齟齬が起きないように工夫されているのである)が、『梅咲きぬ』で描かれるのは、その四代目秀弥のずば抜けた見識と器量を持つ成長の姿と、それを通して母である三代目秀弥の姿である。

 時代は寛延(1748-1750年)から宝暦(1751-1763年)、明和(1764-1771年)、安永(1772-1780年)、天明(1781-1788年)、そして寛政(1789-1800)とめまぐるしく元号が変わっていった時代で、江戸幕府は世情の不安を押さえるために、縁起を担いで改元していったから、そこからもこの年代がいかに世情不安定の中に置かれていたかが分かる。幕府の政策もめまぐるしく変わった。

 そういう時代に、深川の老舗料理屋「江戸屋」のひとり娘として生まれた玉枝は、いつも背筋をしゃんとのばし、思いやりのある細かな配慮をしながらもだれもが認めるような大きな器と物事を見極めていく力で大胆な決断と英断をしていく母の三代目秀弥から、老舗料理屋の女将としての厳しい、しかし愛情ある躾をされて成長していく。玉枝の父親は玉枝が一歳の時に病気でなくなっていたが、玉枝は、その母に応えるだけの資質を持っていたし、その母を敬慕していた。

 玉枝が六歳になった時から上方から出てきた踊りの師匠のもとでの踊りの稽古が始まり、この踊りの師匠がまた彼女に厳しい躾を施していくのである。踊りの師匠とその夫も、人格的で思いやりのある才人で、躾は厳しかったが、玉枝の資質を見抜き、それ以後生涯に渡って玉枝を支えていくようになっていく。

 いくつかのエピソードが描かれていくが、周囲を思いやる心と気配り、そして礼儀、物事や人間を見抜いていく力、事柄を受け入れていく器量と決断力を母親から受け継ぎ、その資質を開花しながら玉枝は成長し、子どもながらに江戸屋の危機を救う知恵を発揮し、十五歳で、若年ながら老舗料理屋の若女将になっていく。

 描かれるエピソードはそれぞれに山場があるし、展開も丁寧なので、玉枝の成長ぶりがよくわかる。そして、その年に敬慕してやまなかった三代目秀弥である母親が病で急逝し、彼女は第四代秀弥となるのである。そして、若年ながら彼女の店の切り回しは群を抜いて、誰からも老舗料理屋の女将として認められるようになっていく。こういう女性の姿は、後に書かれた『菜種晴れ』でも描かれているが、ここでは料理屋としての才覚が細かく描写されている。

 この玉枝の恋も描き出される。相手は、彼女がまだ子どもであった時に、彼女の振る舞いの立派さに心を打たれたある藩の武士であった。彼もまた、物事の道理をわきまえ、心の大きな男であった。だが、料理屋の女将と藩士が結ばれることはない。二人は、契ることは決してなかったが、お互いの思いを寄せつつ、双方共に結婚話にも見向きもしなかった。しかし、藩士が国元に帰らなければならなくなり分かれてしまう。玉枝の恋はそういう忍びやかな悲恋であった。ずば抜けた器量の大きさをもつ才覚のある女性には、そうした悲恋が似合う、と作者は思っているのだろうし、またそれは男女を問わずそうかもしれない。しかし、それは理想的すぎる気がしないでもない。

 この物語でも、深川の富岡八幡宮の祭りが重要な背景として取り扱われ、書き出しもその祭りのことであり終わりも祭りのことで終わっているし、互いに助けあう深川の人情気質というのが理想的に描かれている。老舗料理屋の「江戸屋」の女将が代々にわたって富岡八幡宮の氏子総代であるという設定であるから、その祭りの関わり方で人間の器量の大きさを示すために描き出されるのだが、この祭りの描写は作者の他の作品でも度々登場し、時代や状況の設定も寛政の改革で打ち出された武家の借金棒引き策である「棄損令」を挟んだものであるのはおなじみのもので、いくつかの作品を読んでいると少し興ざめしないでもない。

 物語としては大変面白い。一気に読ませるものもある。ただ、人間を「器量」というもので計ろうとする傾向があることが、この作者の作品についていつも気になることの一つとしてある。それは、わたしが「器量なし」だからかも知れないが、人間をいたずらに美化してしまうことになるような気がするのである。作品の中の多くの登場人物が美化されている。いや、美化され過ぎすぎていると思えてしまう。人とは、五体に欲を内蔵し、もっと利にさといし、弱く脆いものではないだろうかと、ここでも思う。

2010年12月6日月曜日

山本一力『菜種晴れ』

 昨夜が遅かったので、今朝はゆっくり起き出して、時間をかけてコーヒーを飲みながら新聞に目を通し、ぼんやりと過ごしてしまった。それからおもむろにベートーベンの交響曲第7番とバッハのピアノ協奏曲第1番をかけながら掃除機をかけ、雑巾で拭き掃除をし、シャワーを浴びて、いくつかのたまった書類や連絡事項をかたづけていた。これで小さな庭か畑でもあればゆっくりした日になるだろうが、車の騒音と家々に囲まれて予定に追われることの多いこの地では望外のことだろう。

 山本一力『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)を、ある種の感動とある種の作者の思惑を感じながら読み終えた。感動というのは、房州(千葉県南部)勝山の菜種農家に生まれた主人公の「二三(ふみ)」が五歳の時に愛する家族のもとを離れ、江戸深川の油問屋に養女にやられるくだりが、家族や兄姉の切々とした思いで満たされ、また、愛する家族のもとを離れなければならない「二三」の健気さが、一面に広がる黄緑色の菜種畑の風景の中で克明に描かれ、その姿が深く胸を打つからである。

 物語の半分近くが、その五歳の少女が経験する別離の悲しみで満ちている。菜種農家の次女として生まれ、両親にも兄や姉にも愛され、母親にもきちんとしつけられて無邪気で利発な少女として育った主人公が、大人の思惑で、別離の悲しみと不安で小さな胸をいっぱいにし、それまでとは全く異なる江戸深川の油問屋に養女として旅立ち、その運命の中を健気に生きていこうとする。

 江戸について九日目の朝、油問屋の養父母は「二三」を我が子のように可愛がり、大事にし、高価な雛人形までも用意してくれ、「二三」はその養父母の優しさと愛情を十分に感じるが、ひとり、故郷の勝山にあった大田橋と同じような深川の黒船橋にでかけ、その欄干から小さな小石を落として波紋をじっと見つめる。

 「五歳の二三にも、みふく(養母)のやさしさが伝わってくる。それゆえに、悲しい顔を見せることはできないと思い、嬉しそうな顔をつくった。
 笑っていながら、胸の内には悲しさを募らせた。が、だれにも泣き顔は見せられないのだ。大田橋そっくりの黒船橋でしか、二三は泣くことができなかった。
 三個目の石を川に落とした。
 涙も一緒に落ちた」(120-121ページ)

 五歳のいたいけな少女が橋の上でうずくまり、背中を振るわせながら涙をぽろぽろこぼす。その光景を思い浮かべるだけで、もう胸が張り裂けそうになって涙があとからあとから流れてしまう。

 妹が養女に出されることを知った兄が、ひとり、菜の花畑の物見やぐらの上でそぼ降る雨に打たれながら立っている光景、七歳の姉が「お守り」だといって菜の花を手折って差し出す光景、船に乗った「二三」をいつまでも見送り続ける家族、夏に会いに来るといった父が暴風雨のために足を悪くして来られなくなったということを知って手習いの墨を握りしめながらすり続ける五歳の二三の姿、大事にされて幸せに暮らしているように見えても、思わず「おかあちゃん」と胸の中で呟いて涙を流す「二三」、そうした光景が展開され、泣けて泣けてしかたがなかった。

 小さな子どもが、その子なりに自分の運命を健気に生きていく姿に、わたしは感涙を禁じ得ない。宮部みゆき『孤宿の人』を読んだ時もそうだったが、小さな子どもは、いつでもだれでも一所懸命だ。自分の運命や環境に適合しようと懸命に生きている。成長していろいろなことを覚えていくにつれてそれを失っていってしまうが、素直で素朴で健気な子どもは、賢しらな知恵で策略を練ったり画策したり、世の中をうまく泳ぎ渡ろうとしたりする人間とは比べものにならないくらい尊い存在であるに違いない。主人公の「二三」は、そんな五歳の少女である。

 とはいえ、主人公の「二三」は、油問屋の養父母から可愛がられ、周囲の人からも大切にされ、彼女の才能や器量を認める大人たちに囲まれ、また大人たちの心を動かすほどのものをもっている。郷里の母親の教えも周囲の人たちの教えも素直に受け取り、それをしっかり身につけて成長していく。素直で素朴であることは大きな成長のための重要な要素だが、彼女はそれをもっているのである。

 一流の料理人や芸事の師匠、祭りの采配を握る香具師の親分などからも彼女の資質は認められ、養父母もまた人格者として彼女を愛情で包む。「二三」は、愛する家族との別離の悲しみを胸に抱えているとは言え、守られて幸せに暮らしていく。だが、十五歳になった時、江戸深川一帯の大火事で養父母を失い、彼女の油問屋が大火事被害の拡大を招いたということで油問屋の店も取り潰される。そして、若干十五歳ではあるが、彼女は店の蓄えの一切を使って奉公人と火事で焼け出された人たちの救済をし、自らは小さな木賃宿で暮らし始める。

 そうしている内に、彼女のきっぷに惚れた香具師の親分の配慮などで、故郷の母親を呼んで深川で天ぷら屋を始める。母親も喜び、天ぷら屋も軌道に乗り始め、許嫁もできた。しかし、再び不運が彼女を襲う。彼女が許嫁との結婚話で故郷の兄の家に行っている間に、大地震(安政の大地震-1855年)で母親も許嫁も天ぷら屋も失ってしまうのである。そして、地震後に母親と許嫁の安否を尋ねる際に知り合った老婆のところに身を寄せ、そこで菜の花を植えて、菜の花畑を作っていくのである。不運の中を生き抜くそういう姿が、物語の後半で展開されているのである。

 最初に作者の思惑を感じると書いたのは、まず書き出しの「序章」が、最後に三十歳を過ぎて菜の花畑を作っている彼女が一面に咲く黄色い菜の花の花畑の中でこれまでを回想するという設定になっており、それはそれで美しい光景だが、どこか映像化を意識したような書き出しになってしまっているところで、私見を言わせてもらえば、序章はない方がよい気がしたことがひとつである。もう一つは、作者は器量が大きくて優れた人間がどうも好きなようで、主人公が資質豊かで決断力もあり、しかも深い思いやりをもつ人間であると同時に、それを見抜く人間が周囲にたくさんいすぎる気がすることである。

 「人を見抜く」というのは、昔から優れた人間の能力としてひとつの理想像のようにして語られてはいるし、人には確かに器の大きさ小ささがあるが、『バカの壁』を持ち出すまでもなく、人間にはそういう認識能力はほとんどなく、「見抜いている」と思っているのは幻想のようなもので、人の器量というものはそういうところにはない。人の器量の大きさは受容の大きさに他ならない。

 作者の思惑として感じたもう一つのことは、どうも「成功」の基準が、人から立派に思われたり、良いと思われたり、あるいは商売がうまくいったりといった社会的評価にあるようで、そのことを促すような意図が見えるような気がすることである。本作での主人公の「二三」は、火事や地震などで愛する者や財産を失っていくが、最後に行き着いたところは、三千坪もの菜種畑での菜の花の栽培であり、決して失意の内に終わるのではない。

 「序章」に、その菜の花について、三日間続いた暴風雨に耐えた菜の花について「緑色の茎は、土にしっかりと根を張っていた。葉は一枚もちぎれておらず、元気に朝日を浴びている」(4ページ)という描写があり、本作そのものが、その菜の花のように生きたひとりの女性の半生を綴るもので、絶望せずに、悲しみにうちひしがれずに、まっすぐ健気に生きる姿を描いたものに他ならない。それは決して世に言う成功者の姿ではないが、作者のひとつの理想の姿のような気がする。そして、そこにどこか、人から立派に思われることを重点にしているような気がしないでもないので、そのあたりに「作者の思惑」のようなものを感じてしまうのである。

 こうした感想には、作者が極めて現実的な政治や経済に関わっているというわたしの先入観があるのかも知れない。それらの私見はともかく、根をしっかり張って暴風雨に耐えていく菜の花のような女性の姿を描く本作は、一息に読ませるものがあり、大きな感動のある作品であることには間違いない。

2010年11月17日水曜日

山本一力『損料屋喜八郎始末控え』

 昨夕から降り続いた雨も、今は何とか治まっているが、今にも泣き出しそうな重い雲に覆われ、気温も低く、どこかわびしい冬を感じさせる世界が広がっている。

 だが、山本一力『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社 2003年文春文庫)を、掛け値なしに味わい深い作品だと思いつつ読み終えて、日常の煩雑さがどこかに吹き飛んでいくような思いがした。

 以前、この続編である『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』の方を先に読んで、どことなく物足りなさを感じたのだが、この第一作は、作者の単行本第一作目の作品ということもあって、完成度の高い優れた作品だと思った。

 主人公の喜八郎は極貧の浪人の子であったが、剣道場で一緒であった北町奉行所蔵米方上席与力の秋山久蔵にその人柄と才能を見込まれて一代限りの同心として勤めていた。蔵米方というのは、米の石高で俸給をもらっていた旗本や御家人などの武士の俸給米の仲買人であった札差しを監督する役人であった。武家は少ない俸給でやりくりしなければならないから、いきおい不足分を1~2年先の俸給を担保にして札差しから高利で金を借りたために、札差しの多くは金融業が主となり、莫大な金額を扱い、江戸経済の中心となっていった。だから、蔵米方は、いわば江戸経済を取り締まるものでもあったのである。

 札差しは、1723年(享保8年)に109名が株仲間を願い出て株(営業権)組織を結成し、1764-1788年のいわゆる田沼時代と呼ばれるころには全盛で、贅を尽くした遊びをしたりして力を誇り、株(営業権)は売買されて千両にもなったといわれている。この物語の時代である寛政年間には、株仲間は少し減少して96組で、棄損令などで大打撃を被むり、株も500両前後に下がったが、江戸の大金持ちであったことは間違いない。もちろん札差しの全員というわけではないが。寛政の改革(1787-1793年)のひとつとして旗本・御家人の生活救済のために1789年に出された棄損令は、札差しからの借財を帳消しにするものであったが、江戸の経済を一気に冷やすものとなったといわれ、貸し渋った札差しのために旗本・御家人の生活はいっそう窮乏するものになったと言われている。本書では、そうした棄損令にまつわる出来事が背景となっている。

 本書の主人公である喜八郎は上役の秋山久蔵の信頼を得ていたが、米相場に手を出した上司の詰め腹を切らされる形で奉行所を辞めざるを得なかった。しかし、札差しのひとりであった初代の米屋政八が彼の人柄を見込み、頼りにならない二代目を影から支えるために、表向きは損料屋(今のレンタルショップ)を開かせ、いわば後見人として用いることにしたのである。喜八郎は、何事にも動じない胆力と明晰な頭脳をもって、札差し業界の影で行われる巨利を貪るための画策を見抜いて、初代亡き後の米屋を窮地から救い、初代の米屋政八から依頼されたことを果たしていくのである。

 物語は、深川の富岡八幡宮の祭りの前日に、傲慢で、湯水のように金を使うひとりの札差しである笠倉屋の遊びの場面から始まり、ここで、やがて喜八郎の恋人となる料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の毅然とした気っぷの良い姿や喜八郎とので出会が語られていく。この笠倉屋は、やがて自ら身を滅ぼしていくことになるが、その没落過程が一本の筋ともなっている。その構成も見事である。

 そして、二代目米屋政八が、自らの才覚のなさと器量のなさから、店をたたむと言い始め、そこから喜八郎の活躍が始まり、米屋を買い叩こうとした強欲な札差しである伊勢屋との知力を尽くした駆け引きが始まっていくのである。喜八郎は、自分を信頼してくれていた上司であった秋山久蔵や深川の仲間たちの助力を得て、米屋の窮地を救っていく。若い喜八郎が、強欲なやり手の札差しである伊勢屋と胆力に満ちた毅然とした姿で渡り合う光景は爽快さがある。

 この伊勢屋が、いわば宿敵のような存在で、米屋を買い叩きそびれた意趣返しもこめて、米屋を詐欺に嵌めて窮地に追いやろうとしたり、伊勢屋の手代が自分の使い込みを隠そうとして「秀弥」が経営する料理屋の板前を罠に嵌めたり、棄損令によって窮地に追いやられた笠倉屋が贋金作りを画策し、それで渡世人に嵌められていったりして自滅していく出来事が本書の大まかな筋書きである。

 それらが、棄損令という大きな混乱を招いた社会的出来事を背景にして、実に丁寧に展開されている。そして、それらを乗り切っていく喜八郎という存在も味わい深いものになっていくし、喜八郎と秀弥の恋の進展も緩やかだがしっかり心情をつかみながら展開されている。

 また、ひとつひとつの場面も実に細やかに描かれ、たとえば、第三話「いわし祝言」で、罠に嵌められた江戸屋の板前の窮地を救った後で、板前と料理屋の奥女中との船着場での祝言の様子が描かれるが、板前の郷里の兄弟たちがたくさんの魚を持ち込み、長屋の女房連中が料理し、いわしの丸焼きの煙の中で、ひと組の夫婦を祝う思いが満ちている光景は、その前後の顛末と合わせて見事に美しく盛り上がるものとなっている。また、第四話「吹かずとも」で、棄損令を発案してかえって経済的窮地を招いてしまった責任を取ろうとする秋山久蔵が町奉行に辞任の願いを出すことを察知した町奉行が、駕籠脇で「一切、聞く耳は持たぬぞ」と言って、多くの人々の非難の眼を承知しながらも、彼を支える場面があったり、祭り御輿に全力を注ぐ人間の姿があったり、それらが言外の思いやりに満ちた行為として描かれるのは、懸命に生きる人間を描く姿として見事というほかない。

 ひとつひとつの場面が詳細に至まで丁寧で、しっかり展開され、それでいて物語としての醍醐味もあって、読ませる作品のひとつと言えるだろう。山本一力の作品をまだ多くは読んでいないが、これまで読んだものの中では、『だいこん』とこの作品が最も気に入った作品である。

 それにしても、江戸時代の改革を顧みながら、現在の日本政府の政策を見て、行き当たりばったりの政策は、いずれは窮乏を生むと思ったりもする。

 今日は雨が降ったり止んだりして冷えている。こんな日は鍋が美味しいのだろうが、昨日鳥鍋にしたので、別のものを作ろう。冷蔵庫にお肉の買い置きがあったかも知れない。明日、天気が回復してくれればいいが。

2010年10月14日木曜日

山本一力『あかね空』

 どんよりとした曇り空が垂れ込めている。月曜日に引いた風邪が本格化し、2日ばかり伏せていた。伏せていたといっても、仕事もあるし、会議もあるので養生というのではなく、気怠さを覚える身体で過ごしていたというだけではある。

 山本一力の『だいこん』を読んだあたりで、この作家の2002年度直木賞受賞作である『あかね空』(2001年 文藝春秋社)をじっくり読んでみようと思って読み始めたら、以前に読んでいたことを思い出し、再読の形になった。

 『あかね空』は、貧農の家で生まれ、「穀潰し」として京都の豆腐屋に奉公に出された「永吉」という男が、給金を貯めて江戸に出てきて、深川で豆腐屋をはじめて苦労を重ね、それが軌道に乗っていくまでの親子二代にわたる豆腐屋の成功物語である。しかし、ここには夫婦の問題、父と子、母と娘などの親子の問題、兄弟の問題、周囲の温かい助けが起こってくる状況などが、それぞれの人間の姿で描き出されるので、単なる成功物語ではない。

 「永吉」が作る京風の豆腐は、江戸では受け入れられない。しかし、永吉は心をこめて自分の豆腐を作り続ける。そういう永吉に、やがて彼の妻となる同じ長屋の「おふみ」が手助けをし、本来は商売敵である豆腐のぼて振り(行商)や、同じ豆腐屋をしている老夫妻が影から手助けをし、永代寺に豆腐を収める道が開かれていく。豆腐屋の老夫妻は、若いころに4歳のになる自分の子どもを誘拐され、永吉に我が子の姿を見る思いがしていたのである。その誘拐された子どもも、成長して地回りの親分となり、後で重要な役割を果たしていく筋書きが組まれている。

 だが、彼のことを妬み、彼の店を潰そうとする人間も出てくる。同業の平田屋庄六という豆腐屋があの手この手を使って永吉が営む「京や」を潰そうとし、乗っ取りを企む。
 やがて永吉とおふみとの間に子どもが生まれるが、ふとしたことでその子を傷つけやけどを負わせてしまう。母親のおふみは必死になって看病し、その子栄太郎を大事にすることを願かけて誓う。だが、店も忙しいし、次の子が生まれ、栄太郎にかまってやれなくなった時に、彼女の父親が事故で死んでしまう。その次の娘が生まれた時には彼女の母親が大八車に轢かれて死んでしまうという不幸に見舞われ、彼女は、三人の子どものうち栄太郎一人だけを特別に可愛がる意固地な母親になっていく。

 父親の永吉は、そんな女房を見て、反対に次男と娘を可愛がる。こうして家族がばらばらになっていく。やがて成長した栄太郎は、永吉の「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六の企みで、女と博奕で身を持ち崩していき、「京や」を守る次男と娘との間で確執が耐えなくなる。

 やがて永吉も呆気なく死に、おふみも死ぬ。そのおふみの葬儀のことでも、兄弟妹がもめ、わだかまりができる。そして、葬儀が終わった夜に、「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六が、むかし栄太郎がした借金の証文を手に乗り込んでくる。だが、そこで地回りの親分となっているかつての老夫婦の子どもが、見事に平田屋庄六の上をいく方法で、この一家を助けていくのである。

 地回りの親分となっている傳蔵が最後に言う。「うちらを相手に、銭やら知恵やら力比べをするのは、よした方がいいぜ。堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。崩れるときは、かならず内側から崩れるもんだ。身内のなかが脆けりゃあ、ひとたまりもないぜ」(363ぺーじ)

 こうして一件が落着して、「京や」を継いだ次男の悟郎と彼の妻の「すみ」が八幡宮にお参りしたとき、「八幡様にお参りしたとき、同じことをお願いできる夫婦でいような」と語りかける場面で、物語の幕が閉じられる。

 話の中で、これは成功物語であるから、できすぎと思われるところが多々あるが、人の機敏に触れていく展開がなされて、そういう意味では、こういう「助け」が起こると本当にいいだろうな、と思わせるものになっている。もちろん、現実には、こういう「助け」はほとんど起こらない。

 考えてみるまでもなく、山本一力という作家の作品には、『だいこん』を初めてとしてのこういう成功物語を骨子に据えた物語の展開が多いような気がする。もちろん、それらはただの成功物語ではないが、小説が夢やロマンを表すものでもあるとすれば、こういう一代記のようなものも悪くはない。それが小料理屋であったり豆腐屋であったりするというのもいい。人はそれぞれの場所でそれぞれの仕方で自分の居場所を作らなければならないのだから。

 今日も少し微熱が続いているような気がする。このところ毎年風邪に悩まされるようになってしまった。体力、気力共に衰え始めているのだろう。ただ、微熱のままで一日を過ごすというのも、不快ではあるが悪いことではない。

 このブログを立ち上げてから一年の歳月が過ぎたことに、ふと気づいた。

2010年9月19日日曜日

山本一力『深川黄表紙掛取り帖』

 初秋の青空が広がるようになって、雲が高くなってきた。日曜日の静かな朝というわけではないが、早朝に目が覚めて、コーヒーを飲み、新聞を読んでシャワーを浴び、友人から送られてきたメールのニュースレターに返事を書いたりしていた。

 昨夜、うつらうつらする中ではあったが、山本一力『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)を痛快な思いで読んだ。これは深川に住む四人の若者たちが、知恵と情熱と結束の中で、商いに絡む問題を思いもよらぬ方法で解決していく物語である。

 四人のリーダー的存在は、木材の目利きから切り出しまでを手配する山師の父雄之助と三味線の師匠をしている母おひでの間にできた息子で、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、他に、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人である。いずれも20~30代の知恵ある青年である。

 この四人がそれぞれの持ち味を発揮して痛快な活躍をしていくのだが、最初に持ち込まれた問題は、毎年五十俵しか仕入れない大豆を間違いで(後に悪計に嵌められたものとわかる)五百俵もの仕入れを抱えることになった雑穀問屋が、仕入れた大豆の始末を蔵秀に持ちかけるところから始まる。

 蔵秀たちは知恵を働かせ、この大豆を小分けにし、「招福大豆」として500に一つの割合で中に小さな金銀の大黒像をいれて売り出すことを計画し、前宣伝に工夫を凝らして見事に捌ききるのである。世情をよく観察し、人々の流れと心情を分析し、息のあった仕事ぶりで、度胸と明確な方針で土地の顔役に渡りをつけ、事を運んでいく次第が描かれていく。

 ところが、売り出した「招福大豆」が粗悪品であることがわかり、四人はまた知恵を働かせ、すべてに益が出るように工夫を凝らした「招福枡に入れた豆腐」を作って配布し、雑穀問屋の信用を損なうことなく、再びそこでも喝采を浴びていくのである。

 やがて、雑穀問屋の仕入れにも画策し、深川一帯を支配したいと思っている強欲な油問屋が、その足がかりとして雅乃と見合いをして店を乗っ取ろうとしたり、小豆問屋の乗っ取りを企んだりすることが起こり、蔵秀らは、彼らを懲らしめようと、永代橋が2~3年後に架かるという情報を元に、油問屋に渡し船をしている船宿の権利を買うように仕向けていく。

 そうしているうちに、江戸幕府とも強い繋がりをもつ紀伊国屋文左衛門が材木を売り出す仕事にも関わり、それを紀伊国屋文左衛門の鼻をあかす形で見事にやってのけ、蔵秀は紀伊国屋文左衛門が幕府の貨幣改鋳で儲けるために小判を集めていたことを察する。

 紀伊国屋文左衛門は時の老中柳沢吉保と強い繋がりをもち、柳沢吉保は、彼を通して蔵秀らの働きを知りこととなり、彼らの知恵と志の高さに感じ入って、彼らと会うことになる。

 こうして、知恵と情熱、度胸と粋で、彼らは江戸の商人の中を大きな信頼を得て生きていくようになるのである。物語の中で、蔵秀と雅乃は互いに思いをもっているが、辰次郎もまた雅乃に思いを寄せているという恋物語も織り込まれている。文体が力強く小気味いいので、彼らのきっぷがよく伝わるし、彼ら自身に「欲」がないので、事件の顛末も痛快である。四人組というのもいい。まさに、読んでスカッとする痛快娯楽小説といえるだろう。

2010年9月9日木曜日

山本一力『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』

 昨日襲来した台風の影響で、暑さが一掃され、今日は曇った涼しい日となっている。6日(月)から8日(水)まで、研修で沖縄に行き、米軍の基地問題で揺れる辺野古や普天間、平和祈念公園などを訪ねてきた。「美ら海水族館」で偶然に友人と会うこともあり、気の合う仲間同士だったので、日差しの強さと暑さにまいりながらも、なかなかの小旅行となった。沖縄の歴史と平和・基地問題はまだ未整理で、これから購入してきた沖縄戦の証言集などを読んで検討しようと思っている。

 沖縄に出かける前に、山本一力『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』(2005年 文藝春秋社)を読んだ。これは、巻末の広告に『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社)というのがあるので、その続編であり、この類の書物には珍しく前作を読まないと登場人物の詳細がよくわからないが、主人公の喜八郎というのは、元同心で、上司の不始末の責任を取って同心を辞め、「損料屋」という、今で言えばレンタルショップのようなものを経営しながら、札差などの江戸の金融業らの裏を張ってコンサルタントとしての金融に絡む事件の探索などをしていく顛末を描いたものである。

 江戸の金融業に絡む裏も表も、それぞれの札差の人物像を中心にして、簡明な淡々とした文章で描き出されていくが、事件の顛末が淡々と述べられる分、それぞれの人物像が、前回読んだ『だいこん』のようには掘り下げられていかないような気がした。最初に出された『損料屋喜八郎始末控え』を先に読むと、また違った印象をもつのかもしれないが。

 事件は、1789年(寛政元年)に出された棄損令(旗本や御家人などの借金を放棄させる令)によってもたらされた江戸経済の混乱と、それによる札差たちの没落、庶民の暮らしの圧迫などを背景として語られるもので、いかに思いつきで無策な政治が、末端にいくほど人々を苦しめたかが喜八郎というきっぷも腕も立つ主人公の活躍によって描き出されている。

 江戸時代の経済状況については佐藤雅美が詳しく文献に当たっているが、山本一力は、彼らしく若干人情がらみで本書を展開している。どこか「男気」と言われるようなものの展開も、喜八郎の恋も描き出されている。しかし、何となく型どおりという気もしないではない。もちろん、多様な作品世界を生み出していると言えるだろうが。

 ただ、その前に読んだ宮部みゆきの『孤宿の人』があまりにも感銘深かったので、わたし自身の内的状況が「ものたりなさ」を感じただけかも知れない。この作品だけでは何とも言えないので、彼の作品では直木賞を受賞している『あかね空』を読んで、彼がどういう視点で人間を描いているのかをもう少し見て見たい気がする。

 三日も留守をすると、仕事もしなければならないことも、何から手をつけるべきかと考えるほど溜まる。あちらこちらへの連絡事項も処理する必要があるが、とりあえずは、洗濯と買い物いう日常生活のことからだろう。

2010年8月22日日曜日

山本一力『だいこん』

 昨日、テレビの天気予報を見ていたら「猛暑日」という言葉ではなく、「猛烈に暑い日」という言葉が使われていて、なるほど、と感心した。「猛暑」と言われるよりも「猛烈に暑い」と言われた方がどことなくしっくりするような気がしたからである。今年は、本当に暑さが厳しい。

 昨夕、山本一力『だいこん』(2005年 光文社)を開いて読み始めたら止まらなくなり、全482ページをとうとう夜が白み始めるころまで読み続けてしまった。ときおり、こういう作品に出会うが、読了して嬉しさが込み上げてくるような感動を覚える作品だった。

 『だいこん』は、苦労して江戸の浅草の下町で「だいこん」という屋号の一膳飯屋を営ようになった若い娘「つばき」の半生を情感あふれる巧みな筆力で描き出した作品で、「つばき」が深川で新しい店の開店準備をする時に上納金を取り立てにやってきた地回り(やくざ)と渡り合う場面から始まり、その地回りの親分が昔の「つばき」の知り合いであったことから、そこに至までの自分の人生を回想するという展開になっている。

 「つばき」は、腕もよく、仕事一筋ではあるが、酒を飲むと人が変わったようになったり、ふとしたことから博打に手を出し、10両もの借金を作ってさんざん家族に苦労をかけてしまったりする大工の安治と、借金の貧苦に悩まされながらも夫についていく母「みのぶ」の子として生まれ、幼い頃から次女の「さくら」と三女の「かえで」の面倒を見ながら、「しっかり者」の長女として生きてきた。

 まだ六歳の子どもに過ぎなかったころ、父親の博打の借金が元で両親がいがみ合い、父親が借金の取り立てで怪我を負わされた時、小さな「さくら」の手を引いて見知らぬ町で肩たたきをして銭をかせごうとして追い出されたりする。健気で、ひたすらまっすぐ生きていく。

 小さいころから炊事をしなければならなかったこともあって、九歳の時、火事の炊き出しに出てご飯の炊き方を習い、ご飯を炊いたところ、これが絶妙においしく、そのことから火事の見張り番小屋の賄いとして用いられることになる。働く人の状態や気持ちを見てご飯を炊き、工夫をする「つばき」はそこで母親も雇ってもらい、十七歳になるまで周囲の人たちに可愛がられながら働く。「つばき」が炊いたご飯は天下一品のご飯であった。人柄もきっぷもまっすぐな少女に成長していくのである。

 こうして働いたお金を蓄え、彼女は一膳飯屋「だいこん」を始める。彼女が見張り番小屋の賄いを止める時の様子が次のように描かれている。

 「長い間、ありがとうございました」
  つばきが深々とあたまをさげたとき、男たちはすでに仕事に戻っていた。見送るものもいなかった。
  それがつばきには、たまらなく嬉しかった。そんな男たちと仕事ができたことが、つばきの誇りで
もあった。
  火の見やぐらの下に、つばきとみのぶが差しかかった。
  カアーン。
  カアーン。
  一点鐘が打たれた。
  本来は鎮火を知らせる鐘である。いまはつばきとみのぶに、名残を惜しんで鳴っている。
  母と娘が、火の見やぐらにむかって礼をした。長い韻を引いて、半鐘がふたりに応えた。(237ページ)

 誰が見ていようと見ていまいと、黙って深々とお辞儀をする。それに男たちが鳴らす半鐘が応える。そういう光景が、つばきと周囲の人々の間に広がっていく。その光景だけで、つばきという少女と周囲の人々の関係が見事にわかる。

 つばきの一膳飯屋「だいこん」は、つばきの気の利いた細かな心使いや工夫で繁盛していく。妹の「さくら」と「かえで」、そして母親の「みのぶ」で盛り立てていくのだが、何と言っても「つばき」の店主としての裁量が光る。「だいこん」は、一度は大水で浸水されて「つばき」たち一家は行き場を失うが、そんなことでへこたれない。一時しのぎで宿泊した公事宿屋でも、「つばき」は奉行所の訴訟人たちの弁当を考案し、働き続ける。「つばき」は年頃となり、いっしょに弁当を作っていた公事宿の若旦那と淡い恋心を持つようになるが、自分の商売である一膳飯屋「だいこん」を大切にし、再建を図るために若旦那の申し出を断ったりする。

 一家を支える長女として、妹たちのように甘えることができない自分、母親に対しても自分の意見を頑として譲らない自分に悩むこともあり、長女であることや母と成長した娘との関係も「つばき」の心情を通して語られていく。酔うとどうしようもなく、博打から足を洗うこともできない父親だが、大事な時には適切な判断を示し、「つばき」の良い相談相手となっていく父親の姿も描き出される。

 こうして、再び「だいこん」は繁盛し、魚河岸からの直接の仕入れのために桃太郎の絵を描いた車を作って評判を呼んだりする。器量も度胸もあり、きっぷもよい「つばき」をやっかむ人間も出てくるが、周囲に助けられながら、「つばき」は思うところを進んで行く。日本橋の大店の主たちとも、その人間味で対応する。「つばき」に新しい事業の展開を申し入れた日本橋の大店の大旦那「菊之助」は「つばき」の人柄を次のように見込む。

 「仕事をご一緒にと切り出せば、つばきさんは話を聞く前に断るだろうと、大旦那様はおっしゃいました」
 おのれの身の丈にわきまえのあるつばきなら、大店と一緒と言われただけで断るに違いない。断られたら、何があっても頼み込むこと。
 もしも話に乗ってくるようであれば、それは身の丈を過信しているものの振る舞いだ。先々では揉め事を起こすに決まっているから、そのときは通り一遍の話をして帰ってくること。
 菊之助は、こう番頭に指図していた。(430ページ)

 「つばき」は、こうして新しい事業を展開することになるのである。思い切りの良さも、大胆な事業展開も繰り広げられる。彼女は年配者から学ぶ謙遜さもある。新しい事業を任せることにした茶屋の老婆とその友人たちの振る舞いから、人間の本当の奥ゆかしさを学んでいくのである。

 おそめは、柳原の土手で小さな茶店を商っていた婆さんである。
 ところがおかねは浅草橋の船宿の大女将だし、おきちは箱崎町の煙草屋の隠居だ。どれほどおそめをひいき目に見ても、おかねとおきちのほうが、育ちの良さでは勝っていた。
 それなのにおかねもおきちも、おそめの指図に従っていた。だれがあるじであるのかを、しっかりわきまえているからだ。
 それでいて、茶を入れたり、ようかんを切ったりすれば、育ちのほどがくっきりと出た。しかも、ひけらかしたりはしない。
 これが本当の奥ゆかしさ。(451ページ)

 こうした細かな芸当が随所に記されているのである。だから、描かれる人間が生き生きしている。登場人物たちが、まるでそこに生きているかのように語られていくのである。

 そして、「つばき」は魚河岸に出入りし、なにかと「つばき」を手助けしてくれる好青年に恋心を抱きながら、繁盛している「だいこん」の店を整理して、新しく「だいこん」の看板を深川に掛けることになるのである。

 この物語は、一膳飯屋を営む娘の成功物語では決してなく、苦労物語である。だからこそ、読むものを惹きつける。決して単なるサクセスストーリーではなく、己の身一つで、才覚と工夫、努力を積み重ねながら、境遇や挫折を乗り越えていかなければならない人間が、それを何とか乗り越えていく物語である。

 寛政元年、「つばき」25歳で、この話は終わる。魚河岸に出入りするぼて振りの好青年への思いも胸にしまったまま、深川での新しい「だいこん」の店の普請が進んで行く。深川の鐘の音を聞きながら、「知恵を使い、こころざしを捨てず、ひたむきに汗を流して」暮らしに溶け込んでいこうとする「つばき」の姿で終わる。名作の一つだと思う。

 ところで、明日の夕から留守をする。4~5冊の本を抱えては行くが、パソコンはもっていかないので、この「独り読む書の記」も一週間ほど休むことにした。ガタが出始めている身体の修復がすこしできればと思っている。それで、日曜日の夜にこれを記した次第である。

2010年2月12日金曜日

山本一力『深川駕籠』

 雨が夜更けすぎには雪に変わるかもしれないとの予報が出ていたが、しんしんと冷え込むだけで雪にはならなかった。今朝も寒さが厳しい。だが、この寒さもあとひと月もないだろう。梅の便りも聞こえている。

 昨日、図書館から借りてきている山本一力『深川駕籠』(2002年 祥伝社)を手にとって読み始めた。奥付によれば、作者は1948年生まれで、2002年に『あかね空』で直木賞を受賞した作家で、市井の人々を描いた文体にも定評があり、『深川駕籠』も、よく練られた文体で、粋で男儀のある「駕籠かき」の姿を描いたものだが、どうも、男儀を競ったり、意地を通したりする展開は、今のわたしにはつまらなく思えて仕方がない。

 主人公は元火消しの纏(まとい)持ちという男儀を示す花形だったのだが、雷に打たれて屋根に上るのが怖くなり、火消しを辞め、同じように力士くずれと「駕籠かき」となって江戸市中を走り回り、行きがかりでさびれた町の町おこしのためにもほかの「駕籠かき」とトライアスロンに似た競技をすることで賭けを起こし、それを邪魔する同心たちのいやがらせなどの中で、意地と男儀でそれを成し遂げていくというもので、主人公も駕籠かきの相方も深い友情があり、また周囲の人たちの彼らを認めた温かみのある姿が描かれている。

 だが、物語を支える根本が「競争」であり、「勝負」であり、とうとう初めの二話だけを読んで、途中でやめてしまった。「男儀」とか「意地」というものも、何の魅力もない。今まで手にした書物を読了しないということはほとんどなかったのだが、「限られた時間の中で限られた書物しか読めない」と思うと、気乗りのしない書物を読み続ける気力がなくなって、自分で自分に驚いたりした。

 ただ、この作者のほかの書物は、以前何冊か読んでいて、この作者の思想というのが決してそういうものだけではないと思うので、これは、たぶん「食あたり」のようなものかもしれない。

 図書館からもう一冊、諸田玲子『末世炎上』(2005年 講談社)を借りてきているので、今夜はこれを読み始めよう。