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2012年5月24日木曜日

藤原緋沙子『坂ものがたり』


 2223日と仙台に出かけていたが、22日(火)は雨で格別寒く、翌23日(水)は10度も気温が上昇する夏日になるという、まるで気温のエレベーターに乗っているようで、今年はこうした気温の激変が続いている。それでも雨に煙る仙台のけやき通りの新緑が美しく、それはそれで風情のある光景だった。片倉小十郎の白石城が復元されていることを知り、機会があれば行ってみたいと思っている。

 それはともかく、江戸の話になるが、江戸は坂の多い町で、それぞれの坂にはそれぞれの曰くのある名前がつけられていて、わたしが時折会議で出かける市ヶ谷には「浄瑠璃坂」と呼ばれる坂があり、その曰くを記す牌がある。この坂の名の由来には諸説があるらしい。諸説といっても単純なもので、昔はこの坂は六段に波打っていて、その六段を浄瑠璃の六段(六話で完結)とかけて「浄瑠璃坂」と呼ぶようになったとか、あるいは坂の西側に紀伊の新宮藩主であった水野大炊頭の上屋敷があり、その屋敷の長屋が坂に沿って六段になっており、浄瑠璃の六段にかけて呼んだとか、あるいはまた坂の上に人形浄瑠璃の芝居小屋があったとか、などである。

 しかし、この坂は別名「仇討坂」とも呼ばれ、それは、寛文12年(1672年)にこの坂で起きた仇討事件(浄瑠璃坂の仇討)に由来する。寛文8年(1668年)に宇都宮藩の藩主の法要(葬儀)の際に、当時の宇都宮藩の譜代の家老の家柄に属する奥平内蔵允と主君の傍流の家柄に属する奥平隼人が些細なことで口論し、憤慨した内蔵允が隼人に向かって抜刀したが、返り討ちにあって刀傷を受けた。内蔵允はその夜に切腹してしまったのである。坂の由来となった事件は、この出来事に発するものである。

藩の処分はこの事件から半年後にようやく下されたが、喧嘩両成敗の形ではなく、内蔵允の嫡男である源八(当時12歳)は家禄没収の上に追放、隼人の方には改易が申し渡すものであった。内蔵允が切腹しているので両成敗ならば隼人も切腹となるはずであるが、隼人とその父親には藩から物々しい警護がつけられて送り出されるなどの温情が示されたのである。そして、この処分に不服を持った源八とその一党42名が三年の雌伏の後、この市ヶ谷浄瑠璃坂の鷹匠戸田七之助の屋敷に身を寄せていた隼人に夜襲をかけたのである。

源八ら一党は奥平隼人の父親である奥平半齋は討ち取ったが目的の隼人を探し出せずに、仇討を断念して牛込御門前に来た時、あとから追いかけてきた隼人が手勢を引き連れて駆けつけ、源八は取って返して隼人を討ちとるのである。やがて、文治政治を目指していた徳川家綱の幕府は、奥平源八らを伊豆大島へ流罪とした。しかし、その6年後、恩赦によって源八らは赦免された。この事件は、当時の江戸で瓦版になるなどの大きな影響があり、江戸市民は見事に仇討をした奥平源八らに拍手喝采を送ったのである。そして、一説では、彼らが討ち入りに際して火事装束を身につけていたことなどから、これが忠臣蔵の赤穂浪士の仇討のモデルになったとも言う。赤穂浪士の大石内蔵助はこの奥平家と縁戚関係にあったのである。こうした事件が起こったので、この坂が「仇討坂」とも呼ばれている。

 江戸にはこうした由来をもつ坂がたくさんあるが、藤原緋沙子『坂ものがたり』(2010年 新潮社)は、「聖坂」、「鳶坂」、「逢坂」、「九段坂」の四つの坂をそれぞれ春夏秋冬の季節の中で、その坂を使う人々、特に男女の恋愛模様を中心にして四編の短編として描き出したものである。

「夜明けの雨-聖坂・春」は、行く末を誓っていた「佐七」と「おまつ」という男女の話で、中目黒の百姓の三男だった「佐七」は、呉服問屋に奉公に出て、懸命になって働き、手代になっていたが、ひとかどの商人になる野望をもっていたために、幼馴染の「おまつ」に待って欲しいと言う。だが、商人への道は遠い。だが「おまつ」はもう待てなくなり、「佐七」に呉服問屋をやめて、一緒になって荷売りから始めようと言い出す。そして、自分には他にも縁談があると言ってしまうのである。「佐七」は絶望して、さっさと嫁に行けと言い、二人は分かれてしまう。

だが、そのすぐ後で、奉公している呉服問屋の娘からの縁談話が「佐七」に持ち上がり、「佐七」はとんとん拍子にうまくいき、呉服屋の主人に収まる。しかし、その呉服屋は義母の支配下にあり、「佐七」は空回りして商売もうまくいかなくなる。

他方、「佐七」と別れた「おまつ」は、別の商家の嫁に行ったが、婚家とうまくいかずにそこを飛び出し、病身の母親の薬代のために身を売って岡場所で働くようになっていた。そのことを知った「佐七」は何とか「おまつ」を見受けして自由にさせたいと金の工面に走り回る。

だが、そんな「佐七」を嫁も姑もゆるすはずがない。「佐七」は焦って昔の友人のいかさまによる賭場で金儲けを企むが、そのいかさまがばれて、襲われ、金も全て奪い去られてしまう。「佐七」は、自分が執着していたことの全てを捨てて「おまつ」を連れ出して逃げる覚悟をしていく。そういう話である。

ほかの三話も、設定や人物はそれぞれ異なるが、男女のそれぞれに愛や人生が描かれていくのだが、読んでいる時も、あるいはこうして展開をまとめてみても、文章の柔らかさとは別に、たとえ不幸な結末が描かれていても、人物の捉え方や展開の甘さが感じられて、たとえばこの第一話にしても、「おまつ」という女性は、本心は「佐七」と別れる気がなくても「佐七」に「待てない」と迫り、「佐七」が人生に悩む中で他家に嫁に行き、そこで失敗し、さらに病身の母親のために身を売り、そのことの原因がまるで「佐七」にあるように恨むのである。これがどうしようもない女として描かれているならともかく、結局は「佐七」への想いを捨てられない純な女として描かれているし、「佐七」は「佐七」で、自分の仕事がうまくいかずに、金策のために博打に手を出す人間だが、「おまつ」を思う純な男として描かれているのである。この辺の人間の捉え方と描き方に、どこか綺麗な話をするという「甘さ」をかんじてしまうのである。

収められているほかの作品もだいたい同じようなものだが、この中では第四話の「月凍てる-九段坂・冬」が、まあよかった作品だろうと思っている。

これまでこの作者の著作をいくつか読んで、出来と不出来が比較的はっきりしている気がしていて、この作品もどちらかといえば人物の捉え方や展開があまりにあっさりし過ぎていて、少し不満が残る内容だった気がする。

2011年2月19日土曜日

藤原緋沙子『橋廻り同心・平七郎控 蚊遣り火』

 雨模様を感じさせる寒空が広がっている。春は行きつ戻りつのとぼとぼしかやって来ないので、ここしばらくはこんな感じで天気が繰り返されるのだろう。八方ふさがりの政治や経済の春はまだ遠いし、気分的には重いものがあるなぁ、と思ったりもする。

 昨夜、藤原緋沙子『橋廻り同心・平七郎控 蚊遣り火』(2007年 祥伝社文庫)を読んだ。文庫本のカバーによれば、これはシリーズで7作品目ということだった。

 藤原緋沙子の作品は、以前、『見届け人秋月伊織事件帖』(講談社文庫)や『渡り用人 片桐弦一郎控』(光文社文庫)、『浄瑠璃長屋春秋記』(徳間文庫)のシリーズなどの何冊かを読んでいて、プロット(筋書き構成)のうまさがあると思っていたが、この作品に限ってかも知れないが、粗さが目立つ作品だった。

 内容は、かつては凄腕の北町奉行定町廻り同心だったが、上役の失敗をかぶる形で、江戸市中の橋の管理をする閑職の橋廻り同心になった主人公の活躍を描くもので、第一話「蚊遣り火」では、指物大工の親方の娘との縁談話に絶望して博打で身を持ち崩し、押し込み強盗の一員にさせられる男を主人公が助け助け出したり、第二話「秋茜」では、屋敷内で賭場を開き、いくつかの商家の乗っ取りを企む火盗改めの旗本が起こした事件を解決したり、また第三話「ちろろ鳴く」では、子殺しの嫌疑をかけられて岡っ引きに脅されていた女性を事件の真相を突きとめて助けていったりする話である。

 しかし、状況の設定や人物がどこか上滑りをして薄い気がしてならなかった。たとえば、第一話「蚊遣り火」では、指物大工に弟子入りした一人の男が、相愛していた親方の娘との結婚がだめになり、絶望して賭場に出入りし、その賭場の借金の為に賭場を開いていた押し込み強盗団に利用されて、強盗団の証人殺しを引き受けることになるのだが、結末の部分で、事件が解決した後、その男が、主人公の橋廻り同心からその娘がわびていたと聞いて涙を流し、その娘のところに飛んで行くという場面がある。しかし、指物大工の娘が、親の言うとおりに取引先と結婚し、その結婚がうまくいかずに出戻って蚊遣り火を炊いているのを声もかけられずに橋影からじっと見つめ続けていた男が、ただそれだけで娘のところに飛んで行くことができるだろうか、と思ったりする。また、結婚がだめになって身を持ち崩して賭場に出入りして、さらに身を持ち崩していくような気弱な男が強盗団の証人殺しを引き受けるだろうか、とも思う。

 あるいは第二話「秋茜」は、贅沢をして暮らすことを夢見て、子どもを捨てて旗本の妾となり、その旗本が賭場を利用して商家の乗っ取りを企むのに一役買っていた女が、主人公の活躍によって事件が暴かれた後に、子どもとの対面をし、その子どもから「おいらには、おっかさんなんていないんだ」と言われて、その子どもの後を追うところで終わる。文意からすれば、その母親と子どもは親子の絆をその後強めて生きたような余韻で語られている。しかし、それは、そういう性悪な女には似つかわしい結末ではない、と思ったりする。彼女は自分が楽をして贅沢をするために何度も子どもを捨てているのだし、旗本の乗っ取りのために商家の主人をたらし込んだりしているのだから。

 第三話「ちろろ鳴く」で、五歳の女の子が殺される状況が語られていくが、五歳というのは数え歳だろうから、実年齢は三歳から四歳だろう。その歳の子どもが「何よ、その目は・・・おふさは女中でしょ。女中のくせして何よ!」(260ページ)という言葉を使うだろうか。

 全体においても、主人公の橋廻り同心である立花平七郎と、彼を助けるて手先となって働く読売屋の「おこう」は互いに恋心を抱いている設定になっているが、両者のやりとりや振る舞いにそれが伝わってこない気がする。二人のやりとりに恋する人間のふくらみがない気がするのである。

 文章表現も少し粗くて、第三話「ちろろ鳴く」の197ページに「どうやら平七郎たちが案じていたように、長次郎はおふさ相手に我が身の不運を訴え、悲嘆にくれていたようだ。そこにおふさがやって来て」とあるが、「そこに」というのは、前の文章を受けているのだから「長次郎がおふさ相手に我が身の不運を訴え、悲嘆にくれていた」ところで、そこに「おふさがやって来る」とはどういうことだろうか、と思う。そういうふうに読める文章ではないだろうか。あるいは、265ページに「秀太はへべれけに酔っ払って、番屋の土間に尻餅をつき、ゆらゆらと揺れている浪人を指した」とあるのだが、この文章からすれば、秀太がへべれけに酔っ払いながら土間に尻餅をついているように読み取れてしまう。

 他にも「?」と思うちぐはぐなところや、「果たしてそういうことをするだろうか」と思うようなところがあって、人間のとらえ方も甘く、ずいぶん粗い作品だと思った次第である。「書き下ろし作品」の粗さが目立つような気がした。これがシリーズ作品であるなら、もう少し味わいをもたせてじっくりと展開した方がよいのではないかと老婆心ながら思った次第である。

2010年3月3日水曜日

藤原緋沙子『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』

 薄曇りの空から少し光が差している。空気の冷たさは、まだ残っているが、気温は心もち上がっていくだろう。昨日、蕗のとうが顔を覗かせているのを見た。

 このところ仕事がたまって少し寝不足の日々が続いているが、昨夜、藤原緋沙子『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』(2008年 徳間書店 徳間文庫)を読んだ。これは前に読んだ『潮騒 浄瑠璃長屋春秋記』の続編にあたるもので、前作よりも描写が丁寧で、構成や物語の展開も独自性があって、はるかに優れたものになっている。

 このシリーズは、事情も告げずに失踪した妻を探すために、浪人となって江戸へ出てきた「青柳新八郎」の愛妻探索の過程をたどりながら、「よろず相談承り」で糊塗をしのぐことによる長屋での日々の暮らしとそこで関係した人々、持ちこまれた相談事の解決を描いたものだが、『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』は、主人公の青柳新八郎に親密に関係する人々ごとに、その顛末が丁寧にまとめられている。

 第一話「秋の雨」は、主人公青柳新八郎を尊敬し、親しくつきあっている奉行所見習い同心の手先になっている江戸っ子気質をもつ楽天的でひょうきんな「仙蔵」の秘められた深い愛を描き出したものである。

 仙蔵は、昔、美しい女性と一緒に暮らしたことがある。しかし、何をやっても長続きせず、稼ぎも悪く、女性は田舎の親に仕送りもしなければならず、ついに生活が立ち行かなくて別れた。仙蔵は巾着切り(掏摸)としてその日暮らしをしていた。別れた女性は古着屋の主の囲い者になっていた。ところが、その古着屋がとんでもない悪だった。彼女は、今は青柳新八郎に言われて巾着切りを辞めて岡っ引きの見習いのようなことをしている仙蔵に助けを求めた。しかし、彼女は古着屋に監禁され、古着屋は助けたかったら掏摸を働けと言う。

 一方、青柳新八郎は古着屋で買い取り屋をしている女将の用心棒に雇われた。女将が何者かに狙われているという。女将を狙っていたのは、仙蔵が思いを寄せていた女性を監禁し、仙蔵に掏摸を働かせて店を潰そうとしていた古着屋だった。古着屋は上方で人を殺し、奪った金で古着屋をし、さらにのし上がろうと邪魔者を殺していた男だった。

 二つのつながりを知った青柳新八郎は、仙蔵と監禁されている女性を救うために監禁されている場所へと向かう。ほんの少し間にあわずに、女性は古着屋に殺されてしまうが仙蔵を助け出す。仙蔵は悲しみに打ち沈むが、彼の周りにいる青柳新八郎をはじめとする人々の温かい思いやりを知って立ち直っていく。

 第二話「いのこずち」は、主人公青柳新八郎が住む長屋に住んで、小料理屋の手伝いをしながら何かと彼を助け、互いの思いを秘めながら暮らしている「八重」という女性の話である。八重は武家の妻だったが、夫が殺され、江戸に出て来て、つてを頼って小料理屋で働く暮らしを立てながら夫の死の真相を知ろうとしていた女性だった。八重はけなげな女性である。

 そして、この第二話で、夫の死が、実は藩の上役による謀殺であったことがわかる。それを知らずに訪ねていった上役によって八重は捕えられ殺されそうになる。青柳新八郎は捕えられた八重を助け出し、八重に付き添って謀殺の証拠と共に藩に真相を伝える。

 第三話「紅梅」は、青柳新八郎の失踪した妻の行くへが少しわかって来る。彼の妻は、禁書令によって幕府に追われていた蘭学者が実の父であることを知り、その父の世話をするために家を出たことが判明する。青柳新八郎はその蘭学者の弟子で彼の妻に助けを依頼した男と会い、その事実を確認する。蘭学者は捕えられ獄死したが、その後の妻の行くへが分からない。青柳新八郎は、妻が一時かくまわれていた所を探し出し、そこへと向かう。そして、彼女をかくまった男が彼女に無体を働こうとしたことを知り、怒りに燃えるが、その男の娘のことを思って怒りを鎮めていく。彼の妻は男が無体を働いた時に、抵抗して男を殺したと思い、さらに夫への迷惑を考えて身を隠していく。その行くへはまだ不明である。

 ここまで書いて中断を余儀なくされたので、夕やみが迫る頃に再びこれを書き始めた。「たれそ彼」の侘しい時間が終わろうとしている。

 藤原緋沙子『浄瑠璃長屋春秋記』のシリーズは、その登場人物の設定やプロットなどに、これまでの優れた時代小説と似通った要素がたくさんあり、ある意味で「勧善懲悪」のところもあるが、そこに「情」も絡んで、これまでのいくつかの時代小説の優れた要素が盛り込まれたアンソロジー的なところがあるかもしれないと思ったりする。

 物語の展開で、これから主人公は探し求めている愛妻を見つけ出すことができるのだろうか、八重との恋心はどうなるのだろうか、といった次作への期待をもって終わるところなど、テレビドラマ的な要素があるが、第一話の仙蔵の思いや第二話の八重のけなげさ、第三話に出てくる主人公の妻へ暴行を働こうとした男の娘などの姿と心情がよく描き出されていて、『紅梅』はよい作品になっている。

 深夜一時まで営業されていた近くのスーパーマーケットが、急に営業時間を短縮することになったので、これから夕食の買い物がてら散策に出かけよう。外は、もう夕闇が迫っている。

2010年2月18日木曜日

藤原緋沙子『潮騒 浄瑠璃長屋春秋記』

 昨夜半から降り出した雪が積もり、再び雪景色が広がった。朝のうちは曇って寒かったが、午後からは予報のとおり陽が差して来ている。姪が仕事の研修でこちらに来たので寄りたいという連絡があって、部屋を少し片づけたり書物を整理したりして、夕方までに今日の予定の仕事を済ませようとPCに向かっていた。

 昨日の夜、「あざみ野」の山内図書館から数冊の本を借りて来ていたので、昨夜は藤原緋沙子『潮騒  浄瑠璃長屋春秋記』(2006年 徳間文庫)を読んだ。この作者の作品は、『見届け人秋月伊織事件帖』のシリーズや『渡り用人 片桐弦一郎控』のシリーズなどを何冊か以前に読んでおり、プロットのうまさがあったので読んでみることにしたのである。『潮騒 浄瑠璃長屋春秋記』は、このシリーズの二作目だろうが、徳間文庫のカバーではシリーズの何作目かの数字がない。

 このシリーズは、理由もわからないままに失踪した妻を探して主人公「青柳新八郎」が浪人の身となり、口入れ屋(仕事斡旋所)の仕事をしたり、長屋の住まいに「よろず相談」の看板を掛けて相談事を引き受けたりして糊塗をしのぎながら、様々な事件を解決しつつ、少しずつ愛妻の失踪の理由と行くえ探っていくという筋立てで物語が展開されている。

 『潮騒』には表題作のほかに「雨の声」、「別れ蝉」の二話、合計三話が収められているが、第一話「潮騒」は、貧乏御家人の養女となった娘が、養家からひどい仕打ちを受け、とくに養母の金策のために茶屋奉公に出されたり、結納金目当てに意に沿わない男のところに嫁に出されようとしたりするのを主人公の青柳新八郎が救っていくという話であり、第二話「雨の声」は、青柳新八郎の郷里から出てきた百姓の依頼で、殺人事件を目撃した娘を救出して、その娘の縁談を無事に進ませていくというもので、第三話「別れの蝉」は、事情があって浪人している青年武士が浪人しなければならなかった事情の真相を突きとめていくというものである。

 いずれも主人公に仕事を世話する口入れ屋、その口入れ屋の仕事をする友人、長屋に住んで主人公に密かな思いを寄せいている女性、また、それぞれの事件の複雑な人間模様と背景などが描かれて、面白くは読める。

 『潮騒』では、失踪した妻が、禁書令によって捕縛されて死んだ蘭学者の実の子どもで、妻は江戸を逃れてきたその父である蘭学者の世話をするために失踪したのではないか、そして夫に類が及ぶのを恐れて捕縛を逃れるために身を隠しているのではないか、ということが暗示されている。

 しかし、辛口になるかもしれないが、こうした設定は、たとえば藤沢周平の『用心棒日月妙』での設定や登場人物、新しいところでは佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』などの設定と類似していて、あまり新鮮味がないし、前に読んだ彼女の『見届け人秋月伊織事件帖』などと比べると文章も荒く、人物の描写も通り一遍のような気がしてならない。登場人物たちの生活感も、もちろん書かれてはいるが、あまり実感がない。いくつものシリーズを同時に書いて作品を量産しているということも目にするので、少し残念な気がする。

2009年12月25日金曜日

藤原緋沙子『白い霧 渡り用人 片桐弦一郎控』

 よく晴れたクリスマスの朝になった。昨夜少し遅くなったので起きるのも遅く、なんとなくボーっとして午前中が過ぎてしまった。今日はこんなふうに一日が過ぎていきそうだ。

 朝、Tさんが親戚の家でとれたというキャベツや白菜をもって来てくださった。Tさんはプロテスタント教会の牧師の娘として生まれ育ち、今はたくさんのお孫さんに囲まれて過ごされている。90歳を越えている介護を必要とするお母さんのお世話にも心を砕かれている。御主人は植木職人として現役で働かれている。

 昨夜、というか丑三つ時を過ぎていたが、ベッドの中で藤原緋沙子『白い霧 渡り用人 片桐弦一郎控』(2006年 光文社文庫)を読んだ。これは、五日ほど前に読んだ『桜雨 渡り用人 片桐弦一郎控(二)』の第一作目で、勧善懲悪の娯楽時代小説ではあるが、やはり第一作目の方が作者の熱意や思い入れも深くていい。特に、金貸しで借金の取り立てを生業としている「おきん」という女性をめぐる事情など、主人公の片桐弦一郎を取り巻く登場人物たちの詳細が描かれていて、その描き方も丹念であるし、浪人となった主人公の生活苦もにじみ出ている。

 主人公の片桐弦一郎は、仕えていた大名家が取潰しにあい、その騒動で新妻も失い、就職活動をするが叶わず、ようやくわずかな労賃で筆耕の仕事をもらって細々と裏長屋で暮らしを立てている浪人で、地主大家の知り合いの「口入屋」(現:人材派遣屋)から頼まれて、貧苦にあえいでどうにもならなくなった旗本家の再興のために臨時の「用人(秘書官)」として働くようになるところから話が展開していく。

 その旗本家の道楽息子がした借金の取り立てに現れるのが「おきん」で、「おきん」は、飲む・打つ・買うの三拍子もそろった亭主を追い出し、女手一つで借金取り立て業をして子どもを育てるが、成人した子どもたちはそういう母親の生業を嫌って家を出ている。「おきん」は「青茶婆(金取り婆)」と嫌われているが、その内実は、気風のいいさっぱりした女性であり、やがて主人公を助けていく人物となる。

 雇われ用人として旗本家の借金を何とか減らしたいと思った主人公の片桐弦一郎は、その「おきん」の実情を知り、「おきん」の窮状を助け、祖語のあった親子の関係を修復させ、その息子を助けていったりする。このあたりは、親と子の関係の修復の姿が素朴に描かれていていい。

 主人公は、窮状していた旗本家を再興するために、旗本家の道楽息子を立ち直らせ、旗本家の領地に赴き、その実情を調べ、そこで無理難題を言うのではなく、紅花の栽培などのていあんをするなどして領民たちの暮らしも成り立つように知恵を働かせていく。その領地の村で起こった事件のために奔走したり、強盗を捕えたりする。物語は、旗本家の息子が妾腹の子であったり、友人から利用されていただけだったり、また、領民の中で村八分のようにして扱われていた娘が殺されたりと伏線がたくさんあり、それが繋がって主人公の再興の努力が実っていくというふうになって、結構面白く読めるように構成されている。

 主人公の片桐弦一郎は、細々とした自分の暮らしは貧しいが、そのことにあまり拘泥しないし、事にあたっても内情を正直に話して対応しようとする。彼は飾らない。そういうところが人々から信頼されて事件の解決にあたっていくのである。

 こういう主人公の設定は、それを言葉ではなく事柄で描き出そうとすると、なかなか難しいのだが、作者は、この作品ではそれを、出来事を丹念に描いていくことによって成功していると言えるような気がする。こういう作品は面白く読めればそれでいいのだから欲を言う必要はないが、万事がうまくいきすぎているような気がして、出来たら、主人公が手痛い失敗をしてしまうような状況の中で苦労することもあってもいい気もする。もちろん、それはない物ねだりではあるが、藤沢周平の『用心棒日月妙』のような展開になればいいと期待したりする。

 ただ、個人的には、何事にも拘泥しないという人間の姿は、わたしはとても好きで、臨時雇いの「渡り用人」だから自分の地位や名誉にも拘泥しないし、もちろん生活苦もあるのだから金銭の必要性もあるが、それにも拘泥しないところがいい。その意味で、この主人公は魅力的である。

2009年12月21日月曜日

藤原緋沙子『桜雨 渡り用人 片桐弦一郎控え(二)』

 よく晴れて入るが、今日も寒い朝になった。朝から掃除や洗濯などの家事を2時間ほどかけてして、一息入れ、少し仕事をして、プリンターインクがなくなって印刷ができなくなったので、今日は、近くの家電店まで歩いて出かけようかと思ったりしている。

 昨夜、少々疲れを覚えていたが、テレビで「JIN-仁」の最終回を見て、これが終わってしまうのを残念に感じながら、主演の綾瀬はるかの演技力に感心していた。テレビといえば、18日(金)と19日(土)に連続して二ノ宮知子原作の『のだめカンタービレ』が放映されて、あまりのおもしろさと着想の良さに抱腹絶倒して見入っていた。原作は漫画で、そちらは読んだことはないが、ドラマは傑作だった。とくに「のだめ」を演じた上野樹里がすばらしくいい。使われる音楽も本当にいいし、場面と音楽がぴったり合って、演出の素晴らしさを感じた。だから、金・土・日と久しぶりで3日間もテレビで嬉しさを与えられた。

 「JIN-仁」の放映の後で、コーヒーを飲みながら、藤原緋沙子『桜雨 渡り用人 片桐弦一郎控(二)』(2007年 光文社文庫)を読んだ。この作者の作品は、以前、『見届け人秋月伊織事件帖』のシリーズを読んでおり、これも文庫書き下ろしのシリーズとなっているが、主人公の片桐弦一郎は、安芸津藩(現:広島県)の江戸留守居見習いであったが、藩の世継ぎ継承問題で主家がとりつぶされ、そのときに国元にいた妻もその事件の道連れで失い、江戸で古本屋の筆耕をしながら暮らしている浪人である。

 しかし、剣の腕も立つし、頭脳も明晰で、爽やかな人柄も買われて、時折、「渡り用人」(臨時雇いの秘書官)として用いられて、雇い主が抱えている問題を解決していくという筋立てになっている。

 この作品でも、ふとしたことで関わりをもった信濃(現:長野県)の飯坂藩という藩の世継ぎ問題と絡んだ政権争いによって困窮に陥っている紙漉き百姓や町人、貧苦にあえぐ下級武士たちを「渡り用人」となって助けていくという話で、勧善懲悪の娯楽時代小説としてけっこう面白く読んだ。

 この作品の構成が「第一話 鳴鳥狩(ないとがり)」、「第二話 蕗の盃」、「第三話 桜雨」の三部構成で物語が展開されているのだが、なかなか趣向が凝らしてあり、第一話が「梅」にまつわり、第二話が「桃」にまつわり、第三話が「桜」にまつわる話となって、たとえば、「第一話」の書き出しが、「片桐弦一郎は、手酌で酒を飲みながら、時折部屋に忍びこんでくる梅の香に気づいていた」(7ページ)となっており、「第二話」の書き出しが、「日毎に春を感じてはいたが、昨日終日降った雨が、一本の桃の木の花を一気に咲かせてしまうとは・・・その神秘な自然の力に弦一郎は驚いていた」(101ページ)となっている。そして、「第三話」の表題「桜雨」は、桜の花びらが雨のように降り注いでいる様を指す。

 第一話の表題として使われている「鳴鳥狩(ナイト狩り)」とは、前日の夕方、鳥が鳴いている場所を覚えていて、翌朝早くその鳥を、鷹を放って狩りをすることで、前々から目をつけられていて悪事の道具として使われた人々を示すものらしい(90ページ)。主人公は、その「鳴鳥狩」として政争の道具に使われた人物への仕打ちに憤りを感じて、この事件に関わっていくのである。

 彼が関わった飯坂藩は「紙漉きによる元結」の産地として成り立っており、作者の藤原緋沙子は、その「紙漉き」の過程も詳しく調べて書いているし、藩の悪家老と悪徳商人によってその制作者が困窮に陥っている状態や、人々が爆発して一揆になっていく過程も盛り込んで、なかなか味のある作品に仕上げている。

 ただ、主人公の片桐弦一郎が、あまりにも格好良すぎるきらいがある。この作品の第一作目を読んでいないので確かなことは言えないが、すこぶる格好いい。浪人でありながら、臆することも卑屈になることもなく、また、屈託もなく、颯爽と事件を解決していく。そして、藩政にからむような大きな事件を解決したからといって。それに執着することなく元の生活に戻る。彼は、極めて優しく、困窮にあえぐものを助けていく。まさに、拍手喝采の主人公なのである。

 だから、読み物としてはとても面白い。が、少し物足りなさを感じるような気もする。出来たら、この作品の一作目を読んでみたい。

2009年11月4日水曜日

藤原緋沙子『遠花火 見届け人秋月伊織事件帖』(2)、『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』

 昨夜、少々疲れを覚えていたが、藤原緋沙子『遠花火』を読み終え、同じシリーズの『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』(2006年 講談社 講談社文庫)を読み終えた。

 『遠花火』の第二話「麦笛」は、八州回りの役人野島金之助の私腹を肥やす奸計によって売り飛ばされた深川芸者の美濃吉と彼女に惚れていた呉服商「中村屋」の次男甚之助が殺され、その事件を、秋月伊織を中心にした「見届け人」たちが解決していく物語である。

 その事件の探索の過程で、殺された美濃吉を雇っていた深川の料理茶屋尾花屋の女将に、秋月伊織が次のように言って、美濃吉の背後関係を聞き出す場面がある。

 「女将、ここで働く女子たちは、皆女将のその心一つを頼りにして働いているのではないか」(136ページ)

 料理茶屋の女将は、この言葉で、美濃吉の背後にいた野島金之助について話すのである。「心ひとつを頼りにして働く」あるいは「生きる」というこの関係は、時代小説の中では主従関係であれ何であれ、深い信頼に基づいた関係として取り上げられるテーマである。ドイツ語のゲマイン・シャフト(Gemeinschaft)という言葉を、ふと、思い起こす。言うまでもなく、悪事を企む野島金之助とその仲間たちはゲゼル・シャフト(Gesellschaft)で生きる人間たちであり、見届け人たちはゲマイン・シャフトで生きる人間たちである。このシリーズは、そうした「心で生きる人々」の物語でもある。だから、面白い。

 第三話「草を摘む人」は、出世と金にしか目がなく、領地の百姓を絞れるだけ絞り取っていた北信濃の代官桑山修理の奥方美世が、そのあまりの非道ぶりから逃げだし、秀蓮尼と名を変え密かに暮していたが、夫の修理の出世の目論見と保身から命を狙われるようになった事件に「見届け人」たちが関わる話である。

 第四話「夕顔」は、周防国(山口県)岩城藩の勘定組頭矢島貞蔵の計略によって、不義密通者とされ江戸へ逃げてきて朗々の生活を送り、病んで死の床にある小野木啓之助と、その小野木を助けるために遊里の中でも場末の裾継(すそつぎ)に「あやめ」という名で身を売っていた松乃を女敵打ちであるはずの元夫の本田永四郎が身請けをするという話から、勘定組頭矢島貞蔵が賄賂を強要していた紙問屋の「和泉屋」徳兵衛を殺すという事件に絡んで、見届け人たちが矢島貞蔵の悪事を暴いていくという話である。

 松乃は、不義密通者とされ江戸へ逃げてきたが、わびしい江戸の長屋住まいの中で、元夫への心を待ち続け、思い出の夕顔を育てている。元夫の本田永四郎も、松乃が好きだったという夕顔の花を育てている。そういう姿が描かれているが、「夕顔」というのが、わびしく、悲しく、つつましやかでよい。

 いずれの話も、物語の構成がしっかりしているし、意識的にひとつひとつの関連が配置されているので、見届け人の一人である土屋弦之助の浮気話やその妻多加の悋気、長吉夫婦の姿、秋月伊織に密かに思いを寄せるお藤などのエピソードも盛られていて面白く読んだ。

 『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』は、このシリーズの3作目ではないかと思うが、先の『遠花火』よりもさらに文章が練られていて、すっきりしている。これも四話構成で、第一話「寒紅」は、両国の団子屋で売り子をしている「お波」と、播磨国(兵庫県)小原藩での内紛で浪人し、筆作りをしている原田淳一郎、原田淳一郎の元上司で、これもうらぶれた浪々の生活を強いられ、余命いくばくもない病んだ妻の薬代に窮し、ついには強盗の手先として雇われた栗原平助などの、どうすることもできない状況の中で苦闘しなければならない人間の姿を描き出し、江戸で起こった残虐な強盗殺人事件を「見届け人」たちが解決していく話である。

 「お波」は、かつて、「寒紅」という高価な紅を万引きし、それを原田淳一郎に助けられ、それから彼を慕い、彼のために生きようとしている女性であるが、強盗のひとりであった弥太郎の仲間と間違えられて金で雇われた栗原平助に斬り殺される。栗原平助は、妻のために原田淳一郎から十両の金を借り、その返済のために強盗の手先として雇われる。原田淳一郎は、新しく作ることを依頼された筆の材料費のためにその十両をもらっていたのだが、かつての上役の窮状を見かねてその金を差し出す。しかし、筆作りの話が取りやめになり、その十両を返却しなければならない。

 「悲しみの因果」というものがあるとしたら、この三人は、その金のために「悲しみの因果」の中にある。だから、作者の目は、登場人物に対して限りなく優しい。

 第二話「薄氷」は、あくどい商売をする酒屋「伊勢屋」のために店を潰された「越後屋」の嘉助が汗と泥にまみれた浮浪の生活の後、寺の墓地で凍死するという悲惨な出来事に出くわした秋月伊織が、伊勢屋で起こっていた放火事件を調べることになり、伊勢屋につぶされた越後屋に育てられ、実子のように可愛がられた捨子の与之助が放火犯であることを知る。秋月伊織たち見届け人は、なんとか与之助を助けようとするが、与之助は、ついに、放火犯として捕えられてしまう、という話である。

 与之助が自分を可愛がって育ててくれた嘉助の恨みを晴らそうと嘉平が眠る墓地で最後の決意をする場面で、次のような描写がある。

 「与之助は、つとめて平然としていつものように水汲み場に向かった。
 水汲み場には二尺四方ほどの石船が据えてあり、水はこの石船から桶に取り分けて墓地まで運ぶ。
 -おや・・・。
 石船に柄杓を差し入れようとして、与之助は微かな抵抗にあってその手を止めた。
 覗き込むと、うっすらと膜が張っている。
 薄氷だった。
 与之助は手をひっこめた。
 長い時間をかけてようやく張り付いた透明なその膜は、自分が越後屋で積み上げてきた商人としての何か、目に見えない希望というものを形にすれば、この薄氷のようなものではなかったかと、ふと思ったのである。
 与之助が築き上げてきたものは、越後屋が潰れるまでは、鋼のように固くて確かなものだと思っていた。
 ところがそれは、一瞬にして粉々になるような、頼りない代物だったのである。
 失意のうちにも一度は心を奮い立たせて、その残片を拾い集めてみたこともあった。だがそれは、もうけっしてもとの形に戻すことはできないのだという現実を、与之助は放浪の暮らしを通じて思い知らされたのである。
 いかに自分が、主の嘉助から温情を注いでもらっていたのかという事も、改めて知ったのであった。
 そんな自分の人生と重なる薄氷を、壊してしまうことが恐ろしくて与之助はふと、柄杓をひっこめたのである。
 だが、それも一瞬のこと、与之助は柄杓の頭でこつんと氷をつっついた。
 そこだけ穴をあければいい。遠慮がちに角を当てたが、氷はしゃりしゃりと音を立てて辺り一面割れてしまった。」(137-138ページ)

 この描写は、まことに見事であろう。物語全体が、ここに凝縮されている。そして、与之助の人生全体も。

 第三話「悲恋桜」は、かつて好き放題の乱暴を働いていた旗本真野鉄太郎を中心とする取り巻き連中が、無銭飲食で酔った勢いで、通りがかりの御小姓組の長田兵吉とその妻女、母に狼藉を働き、その事件によって江戸上追放になったのだが、いつの間にか江戸にもどり、再び、女をかどわかしては監禁して客を取らせるという悪事を働いていたのを「見届け人」たちが暴いていくという話である。

 母親と妻女に乱暴を働かれた長田兵吉も、妻女を守れぬ武士にあるまじき腰抜けとして改易(解雇)されていた。妻女の「かね」は、乱暴された者として世間からも実家からも冷たくあしらわれ、兵吉との間にできていた子菊之助を生んで、かつての長田家の中間だった友七のもとに身を寄せ、兵吉への思いを胸に暮らしている。兵吉は、何とか仇を討ち、汚名を返上したいと思って浪々の暮らしをしている。

 そういう事柄に、秋月伊織らが関わり、伊織は、及び腰ながらも極悪非道な真野鉄太郎に向かっていく兵吉に武士としての汚名を返上させる手助けをし、兵吉は、見事にそれを果たすが、自らも斬られて死ぬ。武家の力の倫理が規定する社会の中で、力のない者がどうすることもできないような苦境に追い込まれ、世間から冷たくされている者たちの姿がそこに織り込まれている。桜は、「かね」が夫への思いを重ねるために植えた木であり、死地に赴く夫の兵吉が妻と子へ残す思いである。その桜が、降るように散っていく。

 表題作ともなっている第四話「春疾風」は、貧しさゆえに場末の最下層の遊女屋である裾継に身を売らなければならなかった上野国(群馬県)の百姓の娘「おちよ」を探している幼馴染で元許嫁の畳職人伍助と出会った秋月伊織が、重税のために貧苦にあえいで、ついに岩花代官の勝本治兵衛を越訴(直接幕府に訴える)のために江戸へ来た「おちよ」の兄で伍助の親友でもあった与助らを助け、これを阻止しようと企む代官一味と戦い、その願いを手助けするという話である。

 この物語にも、裾継という場末の遊女屋で生きていかなければならないつらさと悲しみを背負っているが、そこを生き抜こうとする遊女の「おふく」という女性が登場するし、飢饉や干ばつに加えて重税であえぐ百姓たちの姿も描かれる。「見届け人」たちは、それらの心情にさりげなく触れていく。

 主人公の秋月伊織は幕府御目付役をしている秋月忠朗の実弟であり、越訴の手助けをすることは、その兄もただでは済まないことになる。しかし、伊織は、目の前で困窮している与助や伍助を見捨てることができず、兄に勘当を申し入れ、絶縁してから、彼らを助ける。伊織にとって、それは自分の生活を失うことである。しかし、伊織は、さらりとそれをやってのける。そこが、時代小説の面白いところ。伊織はこの出来事をきっかけに裏店の長屋住まいをすることになるが、伊織に思いを寄せているお藤は張り切る。

 『春疾風』は、『遠花火』以上に、作者の温かい目を感じる作品である。どうにもならない悲しみの中に追い込まれる人間の姿も、深く織り込まれている。『春疾風』を読んで、このシリーズの他のものも読みたくなった。

 今日は、資源ゴミの回収日になっているので、少し早起きをして、たまっている新聞紙や段ボールを整理して出したり、洗濯をしていた。気温はまだ低く、寒さを感じるがよく晴れている。気ぜわしい一日になりそうだが、仕事は仕事。