昨日の南風の影響で、気温はまだ高いとは言えないが、初春を思わせる日差しが注いでいる。続けている論文の整理も、昨日からようやく大学教員時代に書いたものに着手し始めた。使っていた言葉や概念が難解すぎるきらいはあるが、自分整理の第一歩としてやっていることで、二度とは書けないようにも思える。言語感覚が全く異なって来ているのを感じたりする。
この2~3年、何でも中途半端に終わっているような気がして、埃をかぶっていたフルートも引っ張り出して吹いてみたが、満足な音が全く出ない。結局、マスターしていなかったということで初歩から始めることにした。継続していないとすぐにだめになるには本物にはなっていないということだろう。S.キルケゴールの「反復」の概念を思い起こしたりする。
昨夜から諸田玲子『山流し、さればこそ』(2004年 角川書店 2008年 角川文庫)を読んでいる。この作品は、江戸で小さな出世街道を歩んでいた御家人が、それを妬む者たちに足を引っ張られ、いわれなき罪に定められて甲府勝手小普請入りを命じられ、妻と子と下僕を連れて鬱屈した思いで甲府へ赴き、そこで新参者へのいじめや虚無感と向き合いながら、「さればこそ」と、自分の人生を探し出していく物語である。
「山流し」とは江戸から山地である甲府への左遷であり、勝手小普請組は、特に何もすることがなく、いわば「出口なき無聊」を囲わなければならない。そのやりきれなさを抱きながら人生を閉ざされてしまった主人公の姿は、現代人の姿でもあるだろう。
諸田玲子は、左遷やいじめといった閉塞状況に置かれた主人公を描くことによって「現代の病」を時代小説の形で展開し、そこで「人が何によって生きるのか」という大きな問題をさりげなく描き、逆境の中でこそ見えてくるものがあることを示す。
「笛吹川を渡ったところで雨がきた。
矢木沢数馬は菅笠の縁を持ち上げ、にわかに明るさの失せた空を眺めた。かなたにあったはずの雨雲が思わぬ速さで迫り、今や頭上をおおっている」(文庫版 7ページ)
という書き出しが、主人公の状況そのものを表わす優れた書き出しになっている。文学者としての諸田玲子の成熟度を示す絶妙な書き出しであり、思わずうなってしまう。
まだ読み始めたばかりで、最近は夜もすることが多くなってなかなか進まないが、続きは今夜にでも読もう。今日は散策日和ではある。
2010年1月29日金曜日
2010年1月28日木曜日
佐藤雅美『百助嘘八百物語』
薄墨を流したような雲が広がって流れていく。午後からは雨の予報も出ているが、洗濯物がたまってしまっているので朝から洗濯機を回した。そろそろ散髪もしなければあまりにひどい状態になっている。
仙台までの往復で佐藤雅美『百助嘘八百物語』(2000年 講談社 2004年 講談社文庫)を読んだ。金もないし能力もない、うだつの上がらない鳶人足で日雇稼ぎをしている「辰次」という青年が腹痛に苦しむ「百助」という老人を助けたことから、この老人の指示に従って江戸から長崎、そして大坂で一攫千金を夢見て詐欺まがいの行為をしながら、ついに大阪の米相場で大金を手にするまでを描いた痛快な作品である。
作者の佐藤雅美は、江戸時代の市場システムと社会構造、そして「金」で動く人間の心理に対する明快な洞察を背景としてもっているので、一獲千金を得る夢物語にもかかわらずリアリティをもった作品になっている。
「辰次」に助けられた「百助」は、実は大阪の大手の両替商の別家の息子だったのだが、米相場に手を出し、失敗したために大阪所払となり、江戸へ出てくる途中で美貌の女雲助から持ち金を盗られ、一文なしで日雇仕事をしていたが、「辰次」と出会うことによって、まず、無尽講でいかさまをして大金を作り、次にそれを元手に金儲けばかりを企む札差し(今で言えば金融機関)の「儲け心」を利用してさらに大金を稼ぎ、大名家の国替えにからむ経済変動を利用したり、両替商と飛脚問屋(今で言えば運送会社)が企んだ詐欺事件を暴いてその上前を強請り取ったり、大名家の家督相続に絡む御家騒動の真相をつかんで城代家老を強請ったりして大金を稼いでいく。
また為替相場で、銭座(銀行)の企みを暴いて大儲けをしたかと思うと、長崎まで出かけて賄賂で肥っていた長崎奉行の家老と悪徳商人を脅して大金をせしめる。そして、ついに大阪での米相場に乗り込み、見事に数万両もの金を稼ぐのである。
「百助」が大金をせしめていくのは、いずれも強欲な商人や自分の利のために企みを謀る武家であり、表には出せない金であって、そういう「ゼニの種」を探して、それをかすめ取っていく手腕と知恵を働かせ、作戦を練り、痛快に振る舞っていく。ただ、最後の大勝負と出た米相場では、うだつの上がらない鳶人足であった「辰次」が自分にとっての「福の神」であると信じる心と「天災による米相場の上昇」という神頼みである。こうしたところが、知恵と行動力をもち合わせている「百助」という老人の人間味を作って、「辰次」との関係や彼に仕えていく浪人たちや商家の下働きや手代などの関係を豊かなものにしている。
「ゼニ儲けを夢み、ゼニがすべて」ではあるが、こうした人情味なしには「ゼニは働かない」。百助の機敏がそれを生かしていくのである。商品相場で金儲けを企む小説としては松本清張の『告訴せず』(1974年 光文社)や企業小説を描いている清水一行という人の作品などがあるが、佐藤雅美の『百助嘘八百物語』は、人情味あふれる物語になっている。
人間が貨幣経済を生みだして以来、人間は貨幣に支配され、「ゼニがゼニを生む」仕組みを作り上げてそれに翻弄されてきて、経済支配社会を形成しているが、金銭を取り巻く状況は現代も少しも変りなく、そこではシビアな物質主義が横行する。それを利用し、それに立ち向かう「百助」が、最後が「信じる心と神頼み」であるというのも、あまりにうまくいきすぎて「夢物語」ではあるが、いい。そして、「世の中はゼニでっせ」と言い切るところが、胡散臭くなくていい。現実には、「金は儲けようと思わないと儲けることができないが、金儲けを企むものは必ず人生を失う」ことも事実ではある。
本書の文末、
「二万両の金とお美津・新太郎母子(「辰次」が貧にあえぐ母子と知り合い、これを助け、思いを寄せる母子)――。
夢だろうと辰次は思った。ほっぺたをつねったら、覚めるに違いないとも。つねってみようかと、辰次はほっぺたにそっと手をやったが、覚めたらまずいと引っ込めた。」(文庫版 343ページ)
という結末の言葉が味わい深い。
仙台までの往復で佐藤雅美『百助嘘八百物語』(2000年 講談社 2004年 講談社文庫)を読んだ。金もないし能力もない、うだつの上がらない鳶人足で日雇稼ぎをしている「辰次」という青年が腹痛に苦しむ「百助」という老人を助けたことから、この老人の指示に従って江戸から長崎、そして大坂で一攫千金を夢見て詐欺まがいの行為をしながら、ついに大阪の米相場で大金を手にするまでを描いた痛快な作品である。
作者の佐藤雅美は、江戸時代の市場システムと社会構造、そして「金」で動く人間の心理に対する明快な洞察を背景としてもっているので、一獲千金を得る夢物語にもかかわらずリアリティをもった作品になっている。
「辰次」に助けられた「百助」は、実は大阪の大手の両替商の別家の息子だったのだが、米相場に手を出し、失敗したために大阪所払となり、江戸へ出てくる途中で美貌の女雲助から持ち金を盗られ、一文なしで日雇仕事をしていたが、「辰次」と出会うことによって、まず、無尽講でいかさまをして大金を作り、次にそれを元手に金儲けばかりを企む札差し(今で言えば金融機関)の「儲け心」を利用してさらに大金を稼ぎ、大名家の国替えにからむ経済変動を利用したり、両替商と飛脚問屋(今で言えば運送会社)が企んだ詐欺事件を暴いてその上前を強請り取ったり、大名家の家督相続に絡む御家騒動の真相をつかんで城代家老を強請ったりして大金を稼いでいく。
また為替相場で、銭座(銀行)の企みを暴いて大儲けをしたかと思うと、長崎まで出かけて賄賂で肥っていた長崎奉行の家老と悪徳商人を脅して大金をせしめる。そして、ついに大阪での米相場に乗り込み、見事に数万両もの金を稼ぐのである。
「百助」が大金をせしめていくのは、いずれも強欲な商人や自分の利のために企みを謀る武家であり、表には出せない金であって、そういう「ゼニの種」を探して、それをかすめ取っていく手腕と知恵を働かせ、作戦を練り、痛快に振る舞っていく。ただ、最後の大勝負と出た米相場では、うだつの上がらない鳶人足であった「辰次」が自分にとっての「福の神」であると信じる心と「天災による米相場の上昇」という神頼みである。こうしたところが、知恵と行動力をもち合わせている「百助」という老人の人間味を作って、「辰次」との関係や彼に仕えていく浪人たちや商家の下働きや手代などの関係を豊かなものにしている。
「ゼニ儲けを夢み、ゼニがすべて」ではあるが、こうした人情味なしには「ゼニは働かない」。百助の機敏がそれを生かしていくのである。商品相場で金儲けを企む小説としては松本清張の『告訴せず』(1974年 光文社)や企業小説を描いている清水一行という人の作品などがあるが、佐藤雅美の『百助嘘八百物語』は、人情味あふれる物語になっている。
人間が貨幣経済を生みだして以来、人間は貨幣に支配され、「ゼニがゼニを生む」仕組みを作り上げてそれに翻弄されてきて、経済支配社会を形成しているが、金銭を取り巻く状況は現代も少しも変りなく、そこではシビアな物質主義が横行する。それを利用し、それに立ち向かう「百助」が、最後が「信じる心と神頼み」であるというのも、あまりにうまくいきすぎて「夢物語」ではあるが、いい。そして、「世の中はゼニでっせ」と言い切るところが、胡散臭くなくていい。現実には、「金は儲けようと思わないと儲けることができないが、金儲けを企むものは必ず人生を失う」ことも事実ではある。
本書の文末、
「二万両の金とお美津・新太郎母子(「辰次」が貧にあえぐ母子と知り合い、これを助け、思いを寄せる母子)――。
夢だろうと辰次は思った。ほっぺたをつねったら、覚めるに違いないとも。つねってみようかと、辰次はほっぺたにそっと手をやったが、覚めたらまずいと引っ込めた。」(文庫版 343ページ)
という結末の言葉が味わい深い。
2010年1月26日火曜日
佐藤雅美『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末』(2)
昨日しなかった掃除を朝から初めて、柱や壁まで拭きあげて、一息入れ、午後に出かけなければならない仙台までの新幹線の時刻を調べ、少しの時間があるのでパソコンを開いてこれを書いている。よく晴れた冬の日で、少々寒いが窓を開け放つと気持ちがいい。
昨夜、佐藤雅美『半次捕物帳 髻塚不首尾一件始末』を読み終えた。表題作ともなっている第六話「髻塚不首尾一件始末」は、あまり質の良くない町火消しと植木職人の喧嘩に半次が巻き込まれ、危ういところを風鈴狂四郎に助けられたりするが、結局、町火消しがその喧嘩を利用して金集めのために「髻塚」なるものを作って、そのことが当時の林大学頭衡(はやしだいがくのかみ たいら)の知るところとなり、町奉行を通してとがめられることになって、事なきを得ていくという話である。
「髻」というのは、頭上で頭髪を束ねたもので、ひらたく言えば「ちょんまげ」そのもので、「髻を切る」ことは、本来は生命をかけたことであるか出家することを意味した。町火消しが言いがかりをつけた喧嘩でこれを利用して、塚や記念碑を作り、法要を営むことで商家から多額の御布施をもらおうと画策したのである。
ここには、当時の町火消しの置かれた状況や彼らが何で生計を立てていたかがきちんとした背景となっており、生きるためにはあの手この手を考えなければならない事情は現代も同じで、そうした作者の生活経済に対する感覚が江戸の市井を生き延びていく人々の姿に反映されている。
一方、物語の方は、「第一話」で蟋蟀小三郎と風鈴狂四郎によって煮え湯を飲まされた大名が二人を立ち会わせるために画策して江戸城吹上御殿での「御前試合」なるものを計画し、功名を考える蟋蟀小三郎と再仕官によって国元で貧しい暮らしをしている母との暮らしを考える風鈴狂四郎が、共に、その「御前試合」の計略を知りながらも、その試合に出ていくことを決心していくという展開を見せる。
第七話「小三郎岡惚れのとばっちり」は、「第五話」で登場した蟋蟀小三郎に無理やり弟子にされた男の姉に、女好きの小三郎が「岡惚れ」し、その姉に起こっている縁談の相手を調べてくれるように半次に依頼する。半次が調べていくと、姉の縁談相手のもとの雇い主が、旗本家の養子縁組によって金銭をだまし取っていたことが判明し、それを恐れた雇い主が縁談相手を殺すという事件の顛末が描かれていく。
第八話「命あっての物種」は、いよいよ「御前試合」が開催されることになり、それに出場する一組の武芸者が互いに遺恨を抱くものであり、「御前試合」が「遺恨試合」となって、ついに途中で取りやめになるという出来事を描いたもので、当時(家斉の時代)におかれていた武芸者の顛末が描き出されていく。風鈴狂四郎と蟋蟀小三郎は、結局は立ち会うことはなかったが、風鈴狂四郎は、その腕が見込まれ、再仕官して国元に変えるし、蟋蟀小三郎は「何事も命あっての物種」と思っていく。
こうした八話の連作であるが、作者は、人が生きる上で不可欠な経済、つまり金(ゼニ)で人間が生きている姿を、それぞれ、町火消しや浪人、武芸者、そしていうまでもなく岡っ引き、博徒の事情を描き出すことで、より現実的な人間の姿を描いており、作品のリアリティということからいえば、まさにリアリティにあふれた、しかも娯楽味の大きい作品に仕上げている。
それに、描き出される主人公の半次や蟋蟀小三郎、風鈴狂四郎といった人物にも味があって、それぞれの立場は異なっているが、物事に捕らわれずに飄々と自分の生き方をしている姿は、「金」を中心に動くとはいえ、読んでいてすがすがしくさえある。
今日はこれから新幹線で、また別の佐藤雅美の作品を読もうと思っている。
昨夜、佐藤雅美『半次捕物帳 髻塚不首尾一件始末』を読み終えた。表題作ともなっている第六話「髻塚不首尾一件始末」は、あまり質の良くない町火消しと植木職人の喧嘩に半次が巻き込まれ、危ういところを風鈴狂四郎に助けられたりするが、結局、町火消しがその喧嘩を利用して金集めのために「髻塚」なるものを作って、そのことが当時の林大学頭衡(はやしだいがくのかみ たいら)の知るところとなり、町奉行を通してとがめられることになって、事なきを得ていくという話である。
「髻」というのは、頭上で頭髪を束ねたもので、ひらたく言えば「ちょんまげ」そのもので、「髻を切る」ことは、本来は生命をかけたことであるか出家することを意味した。町火消しが言いがかりをつけた喧嘩でこれを利用して、塚や記念碑を作り、法要を営むことで商家から多額の御布施をもらおうと画策したのである。
ここには、当時の町火消しの置かれた状況や彼らが何で生計を立てていたかがきちんとした背景となっており、生きるためにはあの手この手を考えなければならない事情は現代も同じで、そうした作者の生活経済に対する感覚が江戸の市井を生き延びていく人々の姿に反映されている。
一方、物語の方は、「第一話」で蟋蟀小三郎と風鈴狂四郎によって煮え湯を飲まされた大名が二人を立ち会わせるために画策して江戸城吹上御殿での「御前試合」なるものを計画し、功名を考える蟋蟀小三郎と再仕官によって国元で貧しい暮らしをしている母との暮らしを考える風鈴狂四郎が、共に、その「御前試合」の計略を知りながらも、その試合に出ていくことを決心していくという展開を見せる。
第七話「小三郎岡惚れのとばっちり」は、「第五話」で登場した蟋蟀小三郎に無理やり弟子にされた男の姉に、女好きの小三郎が「岡惚れ」し、その姉に起こっている縁談の相手を調べてくれるように半次に依頼する。半次が調べていくと、姉の縁談相手のもとの雇い主が、旗本家の養子縁組によって金銭をだまし取っていたことが判明し、それを恐れた雇い主が縁談相手を殺すという事件の顛末が描かれていく。
第八話「命あっての物種」は、いよいよ「御前試合」が開催されることになり、それに出場する一組の武芸者が互いに遺恨を抱くものであり、「御前試合」が「遺恨試合」となって、ついに途中で取りやめになるという出来事を描いたもので、当時(家斉の時代)におかれていた武芸者の顛末が描き出されていく。風鈴狂四郎と蟋蟀小三郎は、結局は立ち会うことはなかったが、風鈴狂四郎は、その腕が見込まれ、再仕官して国元に変えるし、蟋蟀小三郎は「何事も命あっての物種」と思っていく。
こうした八話の連作であるが、作者は、人が生きる上で不可欠な経済、つまり金(ゼニ)で人間が生きている姿を、それぞれ、町火消しや浪人、武芸者、そしていうまでもなく岡っ引き、博徒の事情を描き出すことで、より現実的な人間の姿を描いており、作品のリアリティということからいえば、まさにリアリティにあふれた、しかも娯楽味の大きい作品に仕上げている。
それに、描き出される主人公の半次や蟋蟀小三郎、風鈴狂四郎といった人物にも味があって、それぞれの立場は異なっているが、物事に捕らわれずに飄々と自分の生き方をしている姿は、「金」を中心に動くとはいえ、読んでいてすがすがしくさえある。
今日はこれから新幹線で、また別の佐藤雅美の作品を読もうと思っている。
2010年1月25日月曜日
佐藤雅美『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末』(1)
昨日の午後は、出かけようと思っていたところにも出かけず、うだうだと、借りてきていた『スターゲイト』(宇宙空間をワームホールでつないで探索をするSF)という米国TVドラマのDVDを見たり、本を読んだり、うとうと眠りこんだりして過ごしてしまい、夕食もありあわせで「雑煮」を作って簡単に済ませ、なんとなく日が暮れるという午後だった。ただ、日暮れの時間が、やはり少しずつ遅くなっているのを西の空をぼんやり眺めて感じていた。
夕暮れ時から、佐藤雅美『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末(もとどりづかふしゅびいっけんしまつ)』(2007年 講談社)を読んでいる。これはこのシリーズの6作目の作品で、江戸中期(家斉時代)の江戸の岡っ引き「半次」を主人公に、金と女に目がない凄腕で人間味あふれる侍「蟋蟀小三郎」などを引き回し役にして物語が展開されていくものであるが、時代や社会考証がきちんと織り込まれているので、生身の人間がよく描かれて生活臭があり、事柄が錯綜して、しかもそれぞれに取り扱われている事件が面白く、「捕物帳」物の時代小説としては優れた作品だと思っている。
この6作目の『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末』では、いずれも「蟋蟀小三郎」が関わる事件で、第一話「ちよ殿の知恵」では、拝領地(本来は江戸幕府が大名や家臣に貸し与えている土地)の売買をめぐっての争いに、一方の側に「蟋蟀小三郎」が用心棒として雇われ、もう一方の側に「蟋蟀小三郎」と同等の剣の腕を持つ「風鈴狂四郎」という浪人が雇われ、この二人の侍は、剣を抜きあうことになればいずれもけがをするか命を落とすことになるのを知っているので、争いたくなく、しかも用心棒代だけは欲しいという状態で、業を煮やした雇い主側が、二人の決着で争いを決めようとしたところ、「蟋蟀小三郎」が惚れて一緒になっている「ちよ」が知恵を働かせ、火事騒ぎを利用して拝領地に建てられている建物を壊して売買された拝領地に居座っていた側の転居をさせて無事に決着をつけるという話である。
結末は荒唐無稽なのだが、拝領地の売買をめぐる争いは当時の公事(民事)訴訟に基づくものであるし、金目当てに働いているがどこか憎めない蟋蟀小三郎と半次との「かけあい」や、蟋蟀小三郎が惚れている「ちよ」との蟋蟀小三郎との関係、お互いに生き伸びる知恵を働かせる風鈴狂四郎の姿など、抱腹絶倒の感がある。
第二話「助五郎の大手柄」は両国にあった幕府の御米蔵でこぼれおちた米を集めて売買する権利を持った人間の戸籍査証にからむ事件(人別が厳しかったので、人別の売買が行われていた)と大名家の妾腹にからんで当主の叔父と名乗る与太者から大名家が脅されるという事件が取り扱われており、大名家の脅しにからむ事件は第一話に登場した風鈴狂四郎が半次に始末を持ちこむのである。半次はこの二つの事件の探索にあたるが、第一の事件は風鈴狂四郎が行きつけの居酒屋に半次と行った時にそこの主人が人別売買をして偽戸籍を作っている人物であることが判明して、解決され、第二の事件は、第三話「強請の報酬」で、蟋蟀小三郎と昵懇になった風鈴狂四郎の知恵によって、大名家を強請っていた与太者を、その言い分通り大名家に迎え入れる格好で半監禁状態にするということで決着がつく。
この第三話で、蟋蟀小三郎は主家に御暇願いをし、晴れて浪人となって「ちよ」と結婚し、町道場を開いていくが、それが第四話へと繋がる。蟋蟀小三郎は奉行所からも主家からもいろいろな嫌疑を受けていくのだが、そんなものは「どこ吹く風」で、自分のやりたいことを貫いていく。もとより深い思惑があるとは思えないように振舞うし、その姿が小気味よくさえある。半次も、そのことを十分わかっていく。
第四話「銘水江戸乃水出入」は、新たに拝領屋敷を買った吝嗇家の公事宿の主人の吝嗇(けち)によって侮辱を受けた家主と蟋蟀小三郎が、その意趣返しに、酒樽に「銘水江戸乃水」と名札を張って公事宿の主人に届け、公事宿の主人がそれを「酒」と思って旗本のもとに届けたところ、それがただの「水」であるということで失態をしでかし、それを訴訟したことによって蟋蟀小三郎が取り調べを受けるという事件の顛末が描かれている。事件は、訴訟によって市中の噂の種となった旗本が公事宿の主人のあまりに横柄な態度に腹を立て、これを斬り殺すことで、訴訟人がいなくなったことにより蟋蟀小三郎が無罪となる結末となる。
町奉行所は日ごろから蟋蟀小三郎に目をつけており、しかも、奉行はこれを機に拝領屋敷の売買問題を明るみに出したいという思惑があってのことであるが、事件は思わぬ方向でうやむやとなり、蟋蟀小三郎は今回もすれすれのところで事なきを得ていく。
第五話「鬼も目にも涙」は、無理やりに道場の弟子にした悪ガキの姉が嫌な男に無理強いをされていること知った蟋蟀小三郎が、その男から箱訴(目安箱に訴えられる)されたことにからんで、その事件を半次が調べて明らかにしていく話である。
昨夜はここまで読んだが、作者の佐藤雅美は、公事訴訟の一件を描いた『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社)で直木賞を受賞しており、公事訴訟についてはかなり綿密な知識があるので、この作品でもそれが見事に生かされて、昇華された形で物語が展開されている。だから、この「捕物帳」でも、それぞれの訴訟人の姿が蟋蟀小三郎という天衣無縫の人物をとおして詳細に描かれ、リアリティをもっている。それぞれの事件そのものの結末は平易すぎるとこともあるように思われるのだが、半次や蟋蟀小三郎の姿が生き生きとしているし、人間が微妙なバランスの上で生きていることが危うい中を飄々と生きていく蟋蟀小三郎の姿を通して描かれている。
知識がこういう姿で昇華されて作品の中で生きているのを見るのは本当に楽しいので、このシリーズは、彼がこれまで書いてきたものが凝縮されているようにも思える。知識は、むき出しのままでは、ただの知識としてしか意味を持たないが、人間の中で昇華されて初めて意義をもつ。この作品はそんなことも感じさせる作品である。
今日は午後から都内で会議が一つある予定だったが、体調がすぐれずに欠席することにした。毎年、この時期はこういうことがあるようになってきた。明日は仙台にまで行かなければならないが、どうだろうか。
夕暮れ時から、佐藤雅美『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末(もとどりづかふしゅびいっけんしまつ)』(2007年 講談社)を読んでいる。これはこのシリーズの6作目の作品で、江戸中期(家斉時代)の江戸の岡っ引き「半次」を主人公に、金と女に目がない凄腕で人間味あふれる侍「蟋蟀小三郎」などを引き回し役にして物語が展開されていくものであるが、時代や社会考証がきちんと織り込まれているので、生身の人間がよく描かれて生活臭があり、事柄が錯綜して、しかもそれぞれに取り扱われている事件が面白く、「捕物帳」物の時代小説としては優れた作品だと思っている。
この6作目の『半次捕物控 髻塚不首尾一件始末』では、いずれも「蟋蟀小三郎」が関わる事件で、第一話「ちよ殿の知恵」では、拝領地(本来は江戸幕府が大名や家臣に貸し与えている土地)の売買をめぐっての争いに、一方の側に「蟋蟀小三郎」が用心棒として雇われ、もう一方の側に「蟋蟀小三郎」と同等の剣の腕を持つ「風鈴狂四郎」という浪人が雇われ、この二人の侍は、剣を抜きあうことになればいずれもけがをするか命を落とすことになるのを知っているので、争いたくなく、しかも用心棒代だけは欲しいという状態で、業を煮やした雇い主側が、二人の決着で争いを決めようとしたところ、「蟋蟀小三郎」が惚れて一緒になっている「ちよ」が知恵を働かせ、火事騒ぎを利用して拝領地に建てられている建物を壊して売買された拝領地に居座っていた側の転居をさせて無事に決着をつけるという話である。
結末は荒唐無稽なのだが、拝領地の売買をめぐる争いは当時の公事(民事)訴訟に基づくものであるし、金目当てに働いているがどこか憎めない蟋蟀小三郎と半次との「かけあい」や、蟋蟀小三郎が惚れている「ちよ」との蟋蟀小三郎との関係、お互いに生き伸びる知恵を働かせる風鈴狂四郎の姿など、抱腹絶倒の感がある。
第二話「助五郎の大手柄」は両国にあった幕府の御米蔵でこぼれおちた米を集めて売買する権利を持った人間の戸籍査証にからむ事件(人別が厳しかったので、人別の売買が行われていた)と大名家の妾腹にからんで当主の叔父と名乗る与太者から大名家が脅されるという事件が取り扱われており、大名家の脅しにからむ事件は第一話に登場した風鈴狂四郎が半次に始末を持ちこむのである。半次はこの二つの事件の探索にあたるが、第一の事件は風鈴狂四郎が行きつけの居酒屋に半次と行った時にそこの主人が人別売買をして偽戸籍を作っている人物であることが判明して、解決され、第二の事件は、第三話「強請の報酬」で、蟋蟀小三郎と昵懇になった風鈴狂四郎の知恵によって、大名家を強請っていた与太者を、その言い分通り大名家に迎え入れる格好で半監禁状態にするということで決着がつく。
この第三話で、蟋蟀小三郎は主家に御暇願いをし、晴れて浪人となって「ちよ」と結婚し、町道場を開いていくが、それが第四話へと繋がる。蟋蟀小三郎は奉行所からも主家からもいろいろな嫌疑を受けていくのだが、そんなものは「どこ吹く風」で、自分のやりたいことを貫いていく。もとより深い思惑があるとは思えないように振舞うし、その姿が小気味よくさえある。半次も、そのことを十分わかっていく。
第四話「銘水江戸乃水出入」は、新たに拝領屋敷を買った吝嗇家の公事宿の主人の吝嗇(けち)によって侮辱を受けた家主と蟋蟀小三郎が、その意趣返しに、酒樽に「銘水江戸乃水」と名札を張って公事宿の主人に届け、公事宿の主人がそれを「酒」と思って旗本のもとに届けたところ、それがただの「水」であるということで失態をしでかし、それを訴訟したことによって蟋蟀小三郎が取り調べを受けるという事件の顛末が描かれている。事件は、訴訟によって市中の噂の種となった旗本が公事宿の主人のあまりに横柄な態度に腹を立て、これを斬り殺すことで、訴訟人がいなくなったことにより蟋蟀小三郎が無罪となる結末となる。
町奉行所は日ごろから蟋蟀小三郎に目をつけており、しかも、奉行はこれを機に拝領屋敷の売買問題を明るみに出したいという思惑があってのことであるが、事件は思わぬ方向でうやむやとなり、蟋蟀小三郎は今回もすれすれのところで事なきを得ていく。
第五話「鬼も目にも涙」は、無理やりに道場の弟子にした悪ガキの姉が嫌な男に無理強いをされていること知った蟋蟀小三郎が、その男から箱訴(目安箱に訴えられる)されたことにからんで、その事件を半次が調べて明らかにしていく話である。
昨夜はここまで読んだが、作者の佐藤雅美は、公事訴訟の一件を描いた『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社)で直木賞を受賞しており、公事訴訟についてはかなり綿密な知識があるので、この作品でもそれが見事に生かされて、昇華された形で物語が展開されている。だから、この「捕物帳」でも、それぞれの訴訟人の姿が蟋蟀小三郎という天衣無縫の人物をとおして詳細に描かれ、リアリティをもっている。それぞれの事件そのものの結末は平易すぎるとこともあるように思われるのだが、半次や蟋蟀小三郎の姿が生き生きとしているし、人間が微妙なバランスの上で生きていることが危うい中を飄々と生きていく蟋蟀小三郎の姿を通して描かれている。
知識がこういう姿で昇華されて作品の中で生きているのを見るのは本当に楽しいので、このシリーズは、彼がこれまで書いてきたものが凝縮されているようにも思える。知識は、むき出しのままでは、ただの知識としてしか意味を持たないが、人間の中で昇華されて初めて意義をもつ。この作品はそんなことも感じさせる作品である。
今日は午後から都内で会議が一つある予定だったが、体調がすぐれずに欠席することにした。毎年、この時期はこういうことがあるようになってきた。明日は仙台にまで行かなければならないが、どうだろうか。
2010年1月22日金曜日
松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』(2)
予報どおり少し寒い日になった。西高東低の冬型の気圧配置に戻り、寒気団が南下してきているようだ。朝は薄雲りだったが、午後からは晴れてきた。少し詰まっていた仕事を朝から初めて、一段落ついたところでこれを記している。
昨夜、モーツアルトの「小夜曲」や「ピアノソナタ」を聴きながら松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』を読んだ。モーツアルトの曲は、一つ一つが完全にまとまっていて、仰々しくなく、軽いピアノの音が安らぎを与えてくれるとつくづく思う。
『二枚目 並木拍子郞種取帳』の第二話「二枚目」は、芝居の「二枚目」、つまり芝居小屋の右から二枚目の看板にかけられる役者のことで、「二枚目が専ら演じるのは女にもてる色男だが、自身はあくまでも主役ではなく女形の相手役に過ぎない」(73ページ)役者で、その二枚目の役者があまり売れない「三枚目(道化役)」の友人二人にたかられ、強請られ、あげくの果てに人殺しの芝居まで演じられて人を殺したと思いこみ、それを種にまた強請られるという出来事を、事情を調べた並木拍子郞から聞いた五瓶が見事に解決していくという話である。
第三話「見出人(みだしにん)」は、拍子郞と共に五瓶の家に出入りするちゃきちゃきの江戸っ子の料理茶屋の娘のかつて婿養子にするのではないかと言われていた料理人が、女房を殺したかどで捕縛され、その男への思いも少し残っていた娘から真相の究明を依頼された並木拍子郞が五瓶の助言もあってその事件と関わり、料理人が恩人としていた料理茶屋のどら息子がその女房にちょっかいを出し、女房と関係を持ち、女房が関係の冷えた亭主と別れようとすると、今度は邪魔に感じて殺人にまで発展して行ったことを突きとめていく話である。
並木拍子郞は複雑な思いでその事件を解明していくし、料理茶屋の娘の複雑な思いもあるし、外から見れば浮気性のどうしようもない料理人の女房と料理人の思いも単純には割り切れない。そういう割り切れなさが人の思いにはいつもつきまとうが、その姿が事件の解明の過程で明らかに示されていく。
第四話「宴のあと始末」は、芝居小屋で見合いをした米屋の娘が忽然と姿を消した事件に並木拍子郞が関わり、実は見合いの相手であった炭屋の息子と恋仲であった女中の兄が妹を思って、「神隠し」を装って起こした事件であったことを解明していく話で、真相を知っても拍子郞は関わりのあった人々のことを思ってそれを暴露しない。こうした姿で、主人公の並木拍子郞の姿が描き出されていく作品である。
第五話「恋じまい」は、これまで名推量を見せていた狂言作家の並木五瓶自身が、昔溺れこんだ妓楼の女と再会し、再び彼女と逢瀬を重ねていたが、その女が「心中」を装って殺され、その事件に江戸の両替商の悪辣な為替操作が関係していることを拍子郞がつきとめていく話で、五瓶と彼の気さくな女房との関係も壊れかけ、拍子郞はその女房のためにも真相をはっきりさせようとする。
五瓶は、女房も、その殺された女も共に本気で惚れてしもうた、と言う。「どっちの気持ちも真実で、嘘はない。ええ歳をして、愚かな真似をと思うであろうが、老い先短いこの歳になると、他人を好きになるのがだんだんむずかしうなる。そやからこそまた、惚れるという気持ちがわかいときよりもなお大切になる」(271ページ)と言う。女房はそんな亭主を殺したいと思うほど惚れている。そして、関係はぎくしゃくする。
しかし、これは作者が女性だから言わせる言葉ではないかと思う。老いれば、人を好きになるのが難しくなるのは男も女も変わらないにしても。
ともあれ、師走の煤払いの日、五瓶は女から来た手紙を焼き、五瓶の女房も立ち直り、すべての「煤」を払う。そして、すべてを包み込むように綿雪が降り積もっていく。
これらの作品の話の展開のどこにも無理がなく、そして生身の人間の姿が描かれている。文章の切れの良さではなく、構成のうまさが光るし、描かれている人物も生き生きとしている。なかなか読ませる時代推理小説だと思う。小説は、人間が描かれなければ意味がない。深い人間への洞察が具体的な姿として現れる人物像を形成するのは難しい。
しかし、江戸時代の歌舞伎・狂言作者と、武家の出であるがその弟子となる風変りな主人公として探偵役が設定されているこの作品には、人間の情も細やかで、事件の背後にある人の暗さも、共に丁寧に、しかも重くなく描かれているので、真に「うまい」作品なのである。
昨夜、モーツアルトの「小夜曲」や「ピアノソナタ」を聴きながら松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』を読んだ。モーツアルトの曲は、一つ一つが完全にまとまっていて、仰々しくなく、軽いピアノの音が安らぎを与えてくれるとつくづく思う。
『二枚目 並木拍子郞種取帳』の第二話「二枚目」は、芝居の「二枚目」、つまり芝居小屋の右から二枚目の看板にかけられる役者のことで、「二枚目が専ら演じるのは女にもてる色男だが、自身はあくまでも主役ではなく女形の相手役に過ぎない」(73ページ)役者で、その二枚目の役者があまり売れない「三枚目(道化役)」の友人二人にたかられ、強請られ、あげくの果てに人殺しの芝居まで演じられて人を殺したと思いこみ、それを種にまた強請られるという出来事を、事情を調べた並木拍子郞から聞いた五瓶が見事に解決していくという話である。
第三話「見出人(みだしにん)」は、拍子郞と共に五瓶の家に出入りするちゃきちゃきの江戸っ子の料理茶屋の娘のかつて婿養子にするのではないかと言われていた料理人が、女房を殺したかどで捕縛され、その男への思いも少し残っていた娘から真相の究明を依頼された並木拍子郞が五瓶の助言もあってその事件と関わり、料理人が恩人としていた料理茶屋のどら息子がその女房にちょっかいを出し、女房と関係を持ち、女房が関係の冷えた亭主と別れようとすると、今度は邪魔に感じて殺人にまで発展して行ったことを突きとめていく話である。
並木拍子郞は複雑な思いでその事件を解明していくし、料理茶屋の娘の複雑な思いもあるし、外から見れば浮気性のどうしようもない料理人の女房と料理人の思いも単純には割り切れない。そういう割り切れなさが人の思いにはいつもつきまとうが、その姿が事件の解明の過程で明らかに示されていく。
第四話「宴のあと始末」は、芝居小屋で見合いをした米屋の娘が忽然と姿を消した事件に並木拍子郞が関わり、実は見合いの相手であった炭屋の息子と恋仲であった女中の兄が妹を思って、「神隠し」を装って起こした事件であったことを解明していく話で、真相を知っても拍子郞は関わりのあった人々のことを思ってそれを暴露しない。こうした姿で、主人公の並木拍子郞の姿が描き出されていく作品である。
第五話「恋じまい」は、これまで名推量を見せていた狂言作家の並木五瓶自身が、昔溺れこんだ妓楼の女と再会し、再び彼女と逢瀬を重ねていたが、その女が「心中」を装って殺され、その事件に江戸の両替商の悪辣な為替操作が関係していることを拍子郞がつきとめていく話で、五瓶と彼の気さくな女房との関係も壊れかけ、拍子郞はその女房のためにも真相をはっきりさせようとする。
五瓶は、女房も、その殺された女も共に本気で惚れてしもうた、と言う。「どっちの気持ちも真実で、嘘はない。ええ歳をして、愚かな真似をと思うであろうが、老い先短いこの歳になると、他人を好きになるのがだんだんむずかしうなる。そやからこそまた、惚れるという気持ちがわかいときよりもなお大切になる」(271ページ)と言う。女房はそんな亭主を殺したいと思うほど惚れている。そして、関係はぎくしゃくする。
しかし、これは作者が女性だから言わせる言葉ではないかと思う。老いれば、人を好きになるのが難しくなるのは男も女も変わらないにしても。
ともあれ、師走の煤払いの日、五瓶は女から来た手紙を焼き、五瓶の女房も立ち直り、すべての「煤」を払う。そして、すべてを包み込むように綿雪が降り積もっていく。
これらの作品の話の展開のどこにも無理がなく、そして生身の人間の姿が描かれている。文章の切れの良さではなく、構成のうまさが光るし、描かれている人物も生き生きとしている。なかなか読ませる時代推理小説だと思う。小説は、人間が描かれなければ意味がない。深い人間への洞察が具体的な姿として現れる人物像を形成するのは難しい。
しかし、江戸時代の歌舞伎・狂言作者と、武家の出であるがその弟子となる風変りな主人公として探偵役が設定されているこの作品には、人間の情も細やかで、事件の背後にある人の暗さも、共に丁寧に、しかも重くなく描かれているので、真に「うまい」作品なのである。
2010年1月21日木曜日
松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』(1)
大寒の昨日から15度を越える温かい日が続いているが、今日は重い雲が広がっている。明日からまた寒くなるらしい。節分までは寒いかもしれない。春を思わせる暖かい日は嬉しいが、気温の変化が極端になっている。昨夜、遅くまで仕事をしていたせいか、今朝は眠い。「春眠」といけばいいのだが、そうもいかないだろう。
一昨日から松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』(2003年 角川春樹事務所)を読んでいる。この作者の作品で最初に読んだのが江戸時代の戯作者十返舎一九の前半生を描いた『そろそろ旅に』(2008年 講談社)で、江戸で戯作者となるまでに変転の多かった十返舎一九の姿が比較的シリアスな面も含めて描かれており、十返舎一九の苦悩もよく読みとれたので、そういう作風だろうと思っていたが、『二枚目 並木拍子郞種取帳』は軽妙な語り口(文体)で、この作者のまったく違った力量を知ることができる作品である。
この作品には前作『一の富 並木拍子郞種取帳』(2001年 角川春樹事務所)があり、本作でも前作をにおわせる記述があるが、前作を読まなくても十分に面白い短編連作になっている。何よりも、主人公並木拍子郞の設定に無理がなく、並木拍子郞は、本名を筧兵四郎(かけい ひょうしろう)という北町奉行所の与力の次男であるが、歌舞伎と狂言の人気作者並木五瓶(なみき ごへい)に弟子入りし、狂言作者を目指す青年で、市井の噂話や事件を拾い集めて芝居の「種」にすることを師匠から命じられ、様々な事件に関与して行くという設定になっている。
奉行所の与力の次男ということで事件への好奇心も旺盛で、彼が調べてきた事件を、さながらロッキングチェアー探偵よろしく師匠の五瓶の名推理と共に奔走して解決していくという筋立てで、五瓶と拍子郞は、さながら推理者と実地検証者のような名コンビとして事件の解決にあたる推理小説の形で物語が展開されている。
また、歌舞伎や狂言については、作者は専門的な知識を持っており、それが芝居の作者としての五瓶の姿や生活に反映されているので、当時の芝居の置かれた状況を背景として、人物が生き生きとしており、彼の家族や拍子郞が少し思いを寄せている料理茶屋のひとり娘のちゃきちゃきとした江戸っ子気質、並木拍子郞とその娘の恋の行方など伏線もあって、構成のしっかりした作品になっている。
平易な文体で、しかも読ませる作品は、何よりも作品の構成がしっかりしていないとつまらないものになってしまいがちだが、この作品には全体に無理がないように人物の設定がはじめからされており、しっかりした構成の中で物語が展開されているので、まことに「うまい」という言葉がぴったりするような作品になっているように思われる。
第一話「輪廻の家」は、さりげなく登場人物たちの紹介を織り込みながら、老舗の材木問屋の数代に渡る「祟り」をめぐって、「家という重荷を背負わされた」(63ページ)母と娘の葛藤を描いたもので、人の心の奥底に潜むどろどろとした思いが軽妙な筆使いで描かれていく。並木拍子郞は五瓶の推理と共にそれを明らかにしていく。そして、それが明らかになることによって、「祟り」の中に置かれていた材木問屋の家族が解放されていくのである。もちろんここには、早くに夫を亡くした母の悲しみや淋しさ、出来の良い婿をもらった娘への思い、娘婿に対する思い、そして夫婦のあり方などが巧みに描き出されている。そして、読後感の清涼さもきちんと織り込まれている。
昨夜はなんとなく疲れを覚えていたのか、面白いのだが、この第一話までしか読むことができなかった。この人の作品は、歌舞伎などのかなりの専門的な知識を必要とする作品が多く、手を伸ばしにくかったのだが、それはわたしの勝手な先入観だった。今夜また続きを読んでみよう。
一昨日から松井今朝子『二枚目 並木拍子郞種取帳』(2003年 角川春樹事務所)を読んでいる。この作者の作品で最初に読んだのが江戸時代の戯作者十返舎一九の前半生を描いた『そろそろ旅に』(2008年 講談社)で、江戸で戯作者となるまでに変転の多かった十返舎一九の姿が比較的シリアスな面も含めて描かれており、十返舎一九の苦悩もよく読みとれたので、そういう作風だろうと思っていたが、『二枚目 並木拍子郞種取帳』は軽妙な語り口(文体)で、この作者のまったく違った力量を知ることができる作品である。
この作品には前作『一の富 並木拍子郞種取帳』(2001年 角川春樹事務所)があり、本作でも前作をにおわせる記述があるが、前作を読まなくても十分に面白い短編連作になっている。何よりも、主人公並木拍子郞の設定に無理がなく、並木拍子郞は、本名を筧兵四郎(かけい ひょうしろう)という北町奉行所の与力の次男であるが、歌舞伎と狂言の人気作者並木五瓶(なみき ごへい)に弟子入りし、狂言作者を目指す青年で、市井の噂話や事件を拾い集めて芝居の「種」にすることを師匠から命じられ、様々な事件に関与して行くという設定になっている。
奉行所の与力の次男ということで事件への好奇心も旺盛で、彼が調べてきた事件を、さながらロッキングチェアー探偵よろしく師匠の五瓶の名推理と共に奔走して解決していくという筋立てで、五瓶と拍子郞は、さながら推理者と実地検証者のような名コンビとして事件の解決にあたる推理小説の形で物語が展開されている。
また、歌舞伎や狂言については、作者は専門的な知識を持っており、それが芝居の作者としての五瓶の姿や生活に反映されているので、当時の芝居の置かれた状況を背景として、人物が生き生きとしており、彼の家族や拍子郞が少し思いを寄せている料理茶屋のひとり娘のちゃきちゃきとした江戸っ子気質、並木拍子郞とその娘の恋の行方など伏線もあって、構成のしっかりした作品になっている。
平易な文体で、しかも読ませる作品は、何よりも作品の構成がしっかりしていないとつまらないものになってしまいがちだが、この作品には全体に無理がないように人物の設定がはじめからされており、しっかりした構成の中で物語が展開されているので、まことに「うまい」という言葉がぴったりするような作品になっているように思われる。
第一話「輪廻の家」は、さりげなく登場人物たちの紹介を織り込みながら、老舗の材木問屋の数代に渡る「祟り」をめぐって、「家という重荷を背負わされた」(63ページ)母と娘の葛藤を描いたもので、人の心の奥底に潜むどろどろとした思いが軽妙な筆使いで描かれていく。並木拍子郞は五瓶の推理と共にそれを明らかにしていく。そして、それが明らかになることによって、「祟り」の中に置かれていた材木問屋の家族が解放されていくのである。もちろんここには、早くに夫を亡くした母の悲しみや淋しさ、出来の良い婿をもらった娘への思い、娘婿に対する思い、そして夫婦のあり方などが巧みに描き出されている。そして、読後感の清涼さもきちんと織り込まれている。
昨夜はなんとなく疲れを覚えていたのか、面白いのだが、この第一話までしか読むことができなかった。この人の作品は、歌舞伎などのかなりの専門的な知識を必要とする作品が多く、手を伸ばしにくかったのだが、それはわたしの勝手な先入観だった。今夜また続きを読んでみよう。
2010年1月19日火曜日
諸田玲子『昔日より』
昨夜、昨年末に書いた『大江健三郎論』などを掲載したものの合評会を小石川でするというので久しぶりに都内に出かけた。小石川までは年に数回は行っているのだが、どのように行けばいいのかを失念して駅員さんに地下鉄の路線などを聞いて出かけた。東急田園都市線の藤が丘駅の若い駅員さんはとても親切に地図まで出して来て笑顔で教えてくれ、些細なことだが本当に嬉しく思ったりした。
会そのものは気の合う人たちなので何ということはないのだが、ただ、こういう時、自分の驚くほどの饒舌さに自分自身に腹を立てることがよくある。「沈黙」をこよなく愛していたし、最近は、一つ一つのことをきちんと丁寧にできずに、中途半端で終わってしまう状態があって、それを電車に揺られつつ自省しながら深夜に帰宅した。この集まりでは3月に「森有正論」を話すことになっているので、そろそろ準備に取り掛からなければならない。
今朝、広島のMさんから励ましのメールをいただき、昨年のクリスマスに送っていただいた「赤カブ」の絵を改めて取り出し、意を翻らせて、昨夜読み終えた諸田玲子『昔日より』(2005年 講談社)について記しておくことにした。
この作品は、奥付によれば2003年~2004年に「小説現代」で発表された8編の短編を収録したもので、わたし自身の好みから言えば短編の物足りなさがあるが、ひとつひとつはよくまとまった短編であり、江戸開闢期から幕末までの時代順に並べられており、それぞれの時代背景の中でのそれぞれの重荷を背負った人間の姿が描かれている。こうした短編集の組み方も意図的で意欲的であると言えるだろう。
第一篇「新天地」は、江戸開闢期に信濃の小諸近郊の村から江戸に出てきた父子の物語で、関ヶ原の合戦で手柄を立てたという父親を尊敬していた子どもが、次第に父親の姿に失望していき、やがて再び父への敬意を取り戻していく話である。テーマそのものはありふれたものであるが、父親に失望する息子の姿が丹念に描かれている。このテーマは、第七編「打役」へと繋がり、「打役」では、奉行所で罪人を鞭打つ役を代々務めている人物が、穏やかで優しい父親が咎人を鞭打つ役をしていることを知り、その職務を嫌って反抗するが、やがて自分も家督を継いでその役に着き、今度は自分の愛娘から嫌われていくという話になる。
意に沿わない、世間から評価もされない仕事を淡々としていかなければならないことへの葛藤がよく描き出されている。そして、自分がその仕事をし、愛娘から嫌われていく中で、自分の父親のことも理解していくのである。
職業選択の自由というのが表面上認められている現代においても、「意に沿う仕事」ができるような人はごく少数のエリートに過ぎない。多くは皆、「生活のため」に意に沿わない仕事を淡々としていかなければならない。職業の卑賤はあってはならないはずであるが、現実には確かにある。エリート志向や上昇志向の強い現代では、それがとみに激しくなっている。その中で生きなければならない人間の姿を時代小説という形で描き出した意義は大きい。
第二編「黄鷹(わかたか)」は、徳川家康の寵愛を受けた側室の「清雲院」が、同じように側室であった「蓮華院」の訃報を聞き、人生の寂しさを感じている時に、町屋の娘が自分の恋路の成就のために彼女の力を頼って来たのを助けようと、「黄鷹(わかたか)」と呼ばれる彼女の老僕(下忍)と共に再び情熱を燃やしていく話で、「流れのままに転がって生きてきた」人生への最後の抵抗を描いたものと言えるかもしれない。
第三篇「似非侍」は、関ヶ原の合戦後八十年たって江戸幕府が安定期に入った頃になお武士としての矜持をもち続け、その「武士の一分」のために主家を捨て、渡り中間となっている男が、同じように「武士の一分」のために主家の命を受けて彼が仕えている旗本家に入り込み、主家の命への忠義を果たさなければならない姿に「むなしさとあわれ」を感じていく話である。つまらないことのために命を賭し、そしてその命を落としていく。家のため、会社のため、国家のために、或いは自分の地位のために命を賭けていく。そうしたことに何の意味があるのか。人間を目的論的にしか考えることのできない悲哀がこの作品にはよく現れている。
第四編「微笑」は、江戸初期の終わり頃、元禄時代が始まる少し前、江戸幕府が安定を見せ始めたころ水野十郎左衛門が率いた「白袴組」などで有名な「旗本奴」と幡随院長兵衛の「町奴」の対立で江戸市中を騒がせた出来事で、若い頃「旗本奴」として乱暴を働いていた旗本の三男とその友人が、やがて一人は幸運にも幕府の取り締まりの難を逃れ、反対に不良旗本を取り締まる大番組の目付となり、もう一人は捕縛されて獄死するという事態となり、目付となった主人公が獄死した友人への裏切りを背負いながら生きている姿を描いたものであり、過去の自分の行状を悔い、それを隠して生きなければならない人間の姿を描いたものである。
第五編「女犯」は、第四編の男の姿を、かつて男ぶりが評判だった寺の僧侶と不貞を働いた女が、自分の過去を糊塗して生きている姿を描いたもので、姑にもよく仕え、武家の妻として何くわぬ顔で過ごしているが、自分の中の「女」としての性で不貞を働いたことを胸に秘めている。そういう女性が不貞の場所であった廃寺を再び訪れていく。しかし、彼女は自分の過去を胸に秘めたまま日常を生きていくという話である。
第四編にしろ、第五編にしろ、いずれも、それぞれが自分の過去を糊塗しながら生きていかなければならない人間の断面が描かれている。人が生きるということは多かれ少なかれ罪を犯しながら生きることであり、人間にはそれを真実に「ゆるす」力などない。だから、「それでいい」という思いもある。人間が考える正義などに人を救う力もない。まして、倫理的なことはそうだ。むしろ、「あっけんからん」と生きた方がいい。これもまた時代の中での思考かもしれないが。
第六編「子竜(しりょう)」は、反対に、倫理道徳を謹厳に守り、質実剛健を訴えてきた「子竜」こと平山行蔵(1759-1829年)に題材をとったもので、この作品では老いた平山行蔵が、日常としてきた質実剛健の修行にも疲れを覚え始め、隣家の十七歳の娘に思いを寄せたり、彼の直弟子となった青年を助けたりして、ついにはその直弟子と自分が思いを寄せいている娘の駆け落ちを助けたり(自分はそれを知って失恋するのだが)して「人間味」を取り戻していく話である。
ここには、ひとり淋しく老いていかなければならない「老い」の姿があって、やはり、自分の身に引き合わせてもいろいろと考えさせられる。
第七編については先に述べた通りで、第八編「船出」は、江戸幕府崩壊後、夫を上野戦争で失い、幕臣の家族として徳川家が移封された駿河に落ち伸びていく妻が、その駿河への船の中で、それぞれの遺恨を抱いた人々の姿に触れ、「すべてを海に捨てていく」ことを決心していく話である。
こうしてそれぞれの短編を並べてみると、時代は流れ、社会も移り変わり、そして、人は「すべてを海に捨てて生きる」へと繋がっていることがよくわかる。人が生きるということは、そういうことかもしれないとつくづく思う。この短編集はそういうことを改めて思わせる作品群になっていて、そこに作者の意図もあるように思われるのである。人は、捨てきれないものを背負っているにせよ、「今」をたくましく生き抜くために、一切を大海原に流していくほうがいい。「悔い改め」とはそういうことかもしれないとも思う。
今日は図書館に新しい本を借りに行きたいが、仕事も詰まっているので行けるかどうか。一日で出来ることがほんの少しになって来ている。「あれも、これも」と思うが、じっくりとできることに腰を据え直していこう。もともと「ケセラセラ」なのだから。
会そのものは気の合う人たちなので何ということはないのだが、ただ、こういう時、自分の驚くほどの饒舌さに自分自身に腹を立てることがよくある。「沈黙」をこよなく愛していたし、最近は、一つ一つのことをきちんと丁寧にできずに、中途半端で終わってしまう状態があって、それを電車に揺られつつ自省しながら深夜に帰宅した。この集まりでは3月に「森有正論」を話すことになっているので、そろそろ準備に取り掛からなければならない。
今朝、広島のMさんから励ましのメールをいただき、昨年のクリスマスに送っていただいた「赤カブ」の絵を改めて取り出し、意を翻らせて、昨夜読み終えた諸田玲子『昔日より』(2005年 講談社)について記しておくことにした。
この作品は、奥付によれば2003年~2004年に「小説現代」で発表された8編の短編を収録したもので、わたし自身の好みから言えば短編の物足りなさがあるが、ひとつひとつはよくまとまった短編であり、江戸開闢期から幕末までの時代順に並べられており、それぞれの時代背景の中でのそれぞれの重荷を背負った人間の姿が描かれている。こうした短編集の組み方も意図的で意欲的であると言えるだろう。
第一篇「新天地」は、江戸開闢期に信濃の小諸近郊の村から江戸に出てきた父子の物語で、関ヶ原の合戦で手柄を立てたという父親を尊敬していた子どもが、次第に父親の姿に失望していき、やがて再び父への敬意を取り戻していく話である。テーマそのものはありふれたものであるが、父親に失望する息子の姿が丹念に描かれている。このテーマは、第七編「打役」へと繋がり、「打役」では、奉行所で罪人を鞭打つ役を代々務めている人物が、穏やかで優しい父親が咎人を鞭打つ役をしていることを知り、その職務を嫌って反抗するが、やがて自分も家督を継いでその役に着き、今度は自分の愛娘から嫌われていくという話になる。
意に沿わない、世間から評価もされない仕事を淡々としていかなければならないことへの葛藤がよく描き出されている。そして、自分がその仕事をし、愛娘から嫌われていく中で、自分の父親のことも理解していくのである。
職業選択の自由というのが表面上認められている現代においても、「意に沿う仕事」ができるような人はごく少数のエリートに過ぎない。多くは皆、「生活のため」に意に沿わない仕事を淡々としていかなければならない。職業の卑賤はあってはならないはずであるが、現実には確かにある。エリート志向や上昇志向の強い現代では、それがとみに激しくなっている。その中で生きなければならない人間の姿を時代小説という形で描き出した意義は大きい。
第二編「黄鷹(わかたか)」は、徳川家康の寵愛を受けた側室の「清雲院」が、同じように側室であった「蓮華院」の訃報を聞き、人生の寂しさを感じている時に、町屋の娘が自分の恋路の成就のために彼女の力を頼って来たのを助けようと、「黄鷹(わかたか)」と呼ばれる彼女の老僕(下忍)と共に再び情熱を燃やしていく話で、「流れのままに転がって生きてきた」人生への最後の抵抗を描いたものと言えるかもしれない。
第三篇「似非侍」は、関ヶ原の合戦後八十年たって江戸幕府が安定期に入った頃になお武士としての矜持をもち続け、その「武士の一分」のために主家を捨て、渡り中間となっている男が、同じように「武士の一分」のために主家の命を受けて彼が仕えている旗本家に入り込み、主家の命への忠義を果たさなければならない姿に「むなしさとあわれ」を感じていく話である。つまらないことのために命を賭し、そしてその命を落としていく。家のため、会社のため、国家のために、或いは自分の地位のために命を賭けていく。そうしたことに何の意味があるのか。人間を目的論的にしか考えることのできない悲哀がこの作品にはよく現れている。
第四編「微笑」は、江戸初期の終わり頃、元禄時代が始まる少し前、江戸幕府が安定を見せ始めたころ水野十郎左衛門が率いた「白袴組」などで有名な「旗本奴」と幡随院長兵衛の「町奴」の対立で江戸市中を騒がせた出来事で、若い頃「旗本奴」として乱暴を働いていた旗本の三男とその友人が、やがて一人は幸運にも幕府の取り締まりの難を逃れ、反対に不良旗本を取り締まる大番組の目付となり、もう一人は捕縛されて獄死するという事態となり、目付となった主人公が獄死した友人への裏切りを背負いながら生きている姿を描いたものであり、過去の自分の行状を悔い、それを隠して生きなければならない人間の姿を描いたものである。
第五編「女犯」は、第四編の男の姿を、かつて男ぶりが評判だった寺の僧侶と不貞を働いた女が、自分の過去を糊塗して生きている姿を描いたもので、姑にもよく仕え、武家の妻として何くわぬ顔で過ごしているが、自分の中の「女」としての性で不貞を働いたことを胸に秘めている。そういう女性が不貞の場所であった廃寺を再び訪れていく。しかし、彼女は自分の過去を胸に秘めたまま日常を生きていくという話である。
第四編にしろ、第五編にしろ、いずれも、それぞれが自分の過去を糊塗しながら生きていかなければならない人間の断面が描かれている。人が生きるということは多かれ少なかれ罪を犯しながら生きることであり、人間にはそれを真実に「ゆるす」力などない。だから、「それでいい」という思いもある。人間が考える正義などに人を救う力もない。まして、倫理的なことはそうだ。むしろ、「あっけんからん」と生きた方がいい。これもまた時代の中での思考かもしれないが。
第六編「子竜(しりょう)」は、反対に、倫理道徳を謹厳に守り、質実剛健を訴えてきた「子竜」こと平山行蔵(1759-1829年)に題材をとったもので、この作品では老いた平山行蔵が、日常としてきた質実剛健の修行にも疲れを覚え始め、隣家の十七歳の娘に思いを寄せたり、彼の直弟子となった青年を助けたりして、ついにはその直弟子と自分が思いを寄せいている娘の駆け落ちを助けたり(自分はそれを知って失恋するのだが)して「人間味」を取り戻していく話である。
ここには、ひとり淋しく老いていかなければならない「老い」の姿があって、やはり、自分の身に引き合わせてもいろいろと考えさせられる。
第七編については先に述べた通りで、第八編「船出」は、江戸幕府崩壊後、夫を上野戦争で失い、幕臣の家族として徳川家が移封された駿河に落ち伸びていく妻が、その駿河への船の中で、それぞれの遺恨を抱いた人々の姿に触れ、「すべてを海に捨てていく」ことを決心していく話である。
こうしてそれぞれの短編を並べてみると、時代は流れ、社会も移り変わり、そして、人は「すべてを海に捨てて生きる」へと繋がっていることがよくわかる。人が生きるということは、そういうことかもしれないとつくづく思う。この短編集はそういうことを改めて思わせる作品群になっていて、そこに作者の意図もあるように思われるのである。人は、捨てきれないものを背負っているにせよ、「今」をたくましく生き抜くために、一切を大海原に流していくほうがいい。「悔い改め」とはそういうことかもしれないとも思う。
今日は図書館に新しい本を借りに行きたいが、仕事も詰まっているので行けるかどうか。一日で出来ることがほんの少しになって来ている。「あれも、これも」と思うが、じっくりとできることに腰を据え直していこう。もともと「ケセラセラ」なのだから。
2010年1月18日月曜日
諸田玲子『巣立ち お鳥見女房』
このところ気ぜわしく、そして気分の悪いことばかり続いている。人の日常とはそんなもので、「辛抱しなきゃ」と思いつつ、今朝はモーツアルトを聞きながらパッと掃除をした。まだ自分の中で納得できていないことがたくさんあるので、一つ一つきちんと再開していこう。手始めは、音楽理論だろう。
ベッドの中では、諸田玲子『巣立ち お鳥見女房』(2008年 新潮社)を一気に読んだ。これはこのシリーズの五作目で、代々幕府のお鳥見役を務める矢島家の顛末を独特の楽天性で切り抜けていく主婦「珠世」の姿を通して描き出したもので、これまでにも第一作目から読んでいて、この作品では矢島家のそれぞれの息子たちが嫁を貰ったり、養子に出したりしていく姿が描かれているし、彼女の父親が最後を迎える姿が温かい文体で描き出されている。
彼女の長男「久太郎」は、老中であった水野家の鷹匠の娘で「鷹姫さま」と呼ばれた気の強い娘と結婚するし、次男「久之助」は、他家の養子となってその水野越前守に怨みを抱く娘と結婚する。母の「珠世」は、まず、この二人の嫁の間にあるわだかまりを解消しようとする。
「珠世」は、子を失う悲しみを知って悔い改め子どもを守る神になったという鬼子母神に二人を呼び出して引き合わせて言う。
「恵以どの(長男の嫁になる鷹姫さま)は久太郎と夫婦になるためにご実家の名を捨てました。綾(次男の嫁になる)どのは久之助と二人、夫婦養子として永坂家に入ります。どちらも勇気がいることです。久太郎と久之助にかわって、まずは心よりお礼を申します。」(20ページ)
そして、鬼子母神のいわれを話した後で、
「さようです。どんな子供も母にとっては命にも代えがたい宝物です。永坂の姓になっても久之助はわたくしの息子ですし、恵以どの綾どのはわたくしの大切な娘たちです。今日をかぎりにつまらぬわだかまりを棄てて、身内として助け合っていってほしいのです」(21ページ)と語る。
これが子どもを守る神とあがめられた鬼子母神社で語られるところがいい。だが、気の強い嫁の恵以と祖父になる頑固者の「久右衛門」との頑固者同士の衝突も起こる。しかし、どちらも自分の思いをまっすぐに向けることによって収拾をつけていく。どちらも、「人の真意を見極める聡明さ」があるのである。
人間の「聡明さ」というのは、知識が豊富なことでも、知恵がまわることでも、また、能力が高いことでもない。人間の聡明さとは、「人の真意が見極められること」にほかならない。それは愛の温かさに基づく。愛は聡明なのである。登場人物たちは、そうした「聡明な人々」なのである。
そして、主人公の「珠世」は、誰一人として人を否定しない。美しいえくぼを作って温かく受け入れていくのであり、こういう主婦を中心にしたそれぞれの夫や父親、子どもたちやその嫁たち、また矢島家に出入りする人々は、それがまるで当然のことのようにして思いやりと温かい気持ちをもち合わせていく。他家の養子となっていく次男は、ひとりひとりにそれぞれにそれとなく挨拶を送るし、家族のだれもがその次男のために特別の時間を作る。家事になれず、近所のお鳥見役から鷹匠の娘として疎まれる恵以のために心を砕くし、恵以も自然に謙遜さを身に着けていく。素晴らしい人たちなのだ。
「久太郎がひと足先に寝所へ引き上げたあと、珠世は茶の間を見まわした。
飾りらしい飾りは何もない。昔ながらのせせこましい座敷である。ここに集う者たちも、怒ったり笑ったり泣いたり・・・・欠点だらけの家族だった。
けれど、ひとつだけ、ここには自慢できるものがある。だれもが自分より先に、家族の気持ちを思いやろうとすることだ。恵以もそう。家事など下手でもよい。他人を思いやる心さえあれば、まぎれもない、矢島家の一員である。
珠世は行灯を消した。
灯りを消してもなお、夏の闇はうっすらと明るさを残している」(132ページ)
こうしたかけがえのないほのぼのとした家族にも、一つの大きな事件が起こった。それは将軍家の御鷹狩の前夜、獲物となる鶴が何者かによって毒殺され、その世話をしなければならないお鳥見役の責任が問われてしまうという事件である。この危急を受けて「珠世」の父久右衛門は夜を徹して走り、何とか鶴の手配のために奔走する。お役を受けている孫の久太郎の危機を救うためである。だが、老体に鞭打った久右衛門は、何とかその手配が完了した後で疲労のために息を引き取ることになる。家族のすべての者が駆けつけて見守る中で、久右衛門は静かに息を引き取っていくのである。
「涙は止めどもなくあふれていたが、珠世はとびっきりのえくぼを浮かべた。剛の者の娘である。それが、父への、精一杯の餞(はなむけ)だった。」(241ページ)
この作品の中には、「第五話 蛹(さなぎ)のままで」のように、かつては矢島家に仇どうしとして同居し夫婦となった源太夫と多津の間に子どもが生まれることになり、源太夫の連れ子の「秋」が複雑な心境を抱いていく姿や、珠世自身が、子どもが巣立ったことによる寂しさや「女」であることの華やぎを抱いていく姿が描かれている。
この作品を読んで改めて思うのだが、諸田玲子の作品には二つの傾向があって、ひとつはこのシリーズや『悪じゃれ瓢六』などのように文体が平易でリズム感があり、一気に、そしてそれだけに清涼感や感動をもって読めるのと、やや文体が重くて濃く、ある意味で生々しく描かれるものとの二つである。それぞれに取り扱われているテーマは、たとえ文体が平易でも決して軽いものではなく、内容も深いものがあるが、この両方の作風があるように感じられるのである。
いずれも秀作だと思うが、いまの私の個人的な気分からすれば、どちらかといえば平易だが爽快な読後感を与えてくれる作品の方が好みではある。決して人を否定もしないし非難もしない素朴で素直な矢島家の人々の姿はさらに書き続けられてほしいものである。人が豊かに生きる上で極めて大事なことなのだから。
ベッドの中では、諸田玲子『巣立ち お鳥見女房』(2008年 新潮社)を一気に読んだ。これはこのシリーズの五作目で、代々幕府のお鳥見役を務める矢島家の顛末を独特の楽天性で切り抜けていく主婦「珠世」の姿を通して描き出したもので、これまでにも第一作目から読んでいて、この作品では矢島家のそれぞれの息子たちが嫁を貰ったり、養子に出したりしていく姿が描かれているし、彼女の父親が最後を迎える姿が温かい文体で描き出されている。
彼女の長男「久太郎」は、老中であった水野家の鷹匠の娘で「鷹姫さま」と呼ばれた気の強い娘と結婚するし、次男「久之助」は、他家の養子となってその水野越前守に怨みを抱く娘と結婚する。母の「珠世」は、まず、この二人の嫁の間にあるわだかまりを解消しようとする。
「珠世」は、子を失う悲しみを知って悔い改め子どもを守る神になったという鬼子母神に二人を呼び出して引き合わせて言う。
「恵以どの(長男の嫁になる鷹姫さま)は久太郎と夫婦になるためにご実家の名を捨てました。綾(次男の嫁になる)どのは久之助と二人、夫婦養子として永坂家に入ります。どちらも勇気がいることです。久太郎と久之助にかわって、まずは心よりお礼を申します。」(20ページ)
そして、鬼子母神のいわれを話した後で、
「さようです。どんな子供も母にとっては命にも代えがたい宝物です。永坂の姓になっても久之助はわたくしの息子ですし、恵以どの綾どのはわたくしの大切な娘たちです。今日をかぎりにつまらぬわだかまりを棄てて、身内として助け合っていってほしいのです」(21ページ)と語る。
これが子どもを守る神とあがめられた鬼子母神社で語られるところがいい。だが、気の強い嫁の恵以と祖父になる頑固者の「久右衛門」との頑固者同士の衝突も起こる。しかし、どちらも自分の思いをまっすぐに向けることによって収拾をつけていく。どちらも、「人の真意を見極める聡明さ」があるのである。
人間の「聡明さ」というのは、知識が豊富なことでも、知恵がまわることでも、また、能力が高いことでもない。人間の聡明さとは、「人の真意が見極められること」にほかならない。それは愛の温かさに基づく。愛は聡明なのである。登場人物たちは、そうした「聡明な人々」なのである。
そして、主人公の「珠世」は、誰一人として人を否定しない。美しいえくぼを作って温かく受け入れていくのであり、こういう主婦を中心にしたそれぞれの夫や父親、子どもたちやその嫁たち、また矢島家に出入りする人々は、それがまるで当然のことのようにして思いやりと温かい気持ちをもち合わせていく。他家の養子となっていく次男は、ひとりひとりにそれぞれにそれとなく挨拶を送るし、家族のだれもがその次男のために特別の時間を作る。家事になれず、近所のお鳥見役から鷹匠の娘として疎まれる恵以のために心を砕くし、恵以も自然に謙遜さを身に着けていく。素晴らしい人たちなのだ。
「久太郎がひと足先に寝所へ引き上げたあと、珠世は茶の間を見まわした。
飾りらしい飾りは何もない。昔ながらのせせこましい座敷である。ここに集う者たちも、怒ったり笑ったり泣いたり・・・・欠点だらけの家族だった。
けれど、ひとつだけ、ここには自慢できるものがある。だれもが自分より先に、家族の気持ちを思いやろうとすることだ。恵以もそう。家事など下手でもよい。他人を思いやる心さえあれば、まぎれもない、矢島家の一員である。
珠世は行灯を消した。
灯りを消してもなお、夏の闇はうっすらと明るさを残している」(132ページ)
こうしたかけがえのないほのぼのとした家族にも、一つの大きな事件が起こった。それは将軍家の御鷹狩の前夜、獲物となる鶴が何者かによって毒殺され、その世話をしなければならないお鳥見役の責任が問われてしまうという事件である。この危急を受けて「珠世」の父久右衛門は夜を徹して走り、何とか鶴の手配のために奔走する。お役を受けている孫の久太郎の危機を救うためである。だが、老体に鞭打った久右衛門は、何とかその手配が完了した後で疲労のために息を引き取ることになる。家族のすべての者が駆けつけて見守る中で、久右衛門は静かに息を引き取っていくのである。
「涙は止めどもなくあふれていたが、珠世はとびっきりのえくぼを浮かべた。剛の者の娘である。それが、父への、精一杯の餞(はなむけ)だった。」(241ページ)
この作品の中には、「第五話 蛹(さなぎ)のままで」のように、かつては矢島家に仇どうしとして同居し夫婦となった源太夫と多津の間に子どもが生まれることになり、源太夫の連れ子の「秋」が複雑な心境を抱いていく姿や、珠世自身が、子どもが巣立ったことによる寂しさや「女」であることの華やぎを抱いていく姿が描かれている。
この作品を読んで改めて思うのだが、諸田玲子の作品には二つの傾向があって、ひとつはこのシリーズや『悪じゃれ瓢六』などのように文体が平易でリズム感があり、一気に、そしてそれだけに清涼感や感動をもって読めるのと、やや文体が重くて濃く、ある意味で生々しく描かれるものとの二つである。それぞれに取り扱われているテーマは、たとえ文体が平易でも決して軽いものではなく、内容も深いものがあるが、この両方の作風があるように感じられるのである。
いずれも秀作だと思うが、いまの私の個人的な気分からすれば、どちらかといえば平易だが爽快な読後感を与えてくれる作品の方が好みではある。決して人を否定もしないし非難もしない素朴で素直な矢島家の人々の姿はさらに書き続けられてほしいものである。人が豊かに生きる上で極めて大事なことなのだから。
2010年1月15日金曜日
佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』(2)
昨日は38歳で生涯を終えなければならなかったTさんの葬儀が行われた。よく晴れてはいたが風が刺すように冷たい寒い日だった。
かなりの疲労感を覚え、あまりよく眠れないままに、佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』を読み続けた。公事宿(訴訟人が泊まる宿)である恵比寿屋の主人喜兵衛は、彼のもとに越後の田舎から出てきた金公事(金銭をめぐる民事訴訟)で訴えられた男の手伝いをすることになり、その訴訟が金銭をだまし取るために巧妙に仕組まれたものであることを明白にしていく。越後の田舎から出てきた男の兄が巧妙な罠にはめられており、その背後には、喜兵衛の営む「旅人宿」と敵対する「百姓宿」の主人の陰謀があったり、公事(訴訟)によって金銭をかすめ取っていく「公事師」の巧妙な策略があったりしたのである。
歴史・時代小説の中で、こうした民事裁判の事例が詳細に取り扱われるのは極めて稀なことであろうが、作者の佐藤雅美は、当時の公事(訴訟)の取り扱いや方法、法令などを丹念に調べ(文庫版の巻末にあげられている参考文献だけでも相当なものである)、それに従った形で物語を展開していきながら、この訴訟の黒幕であった「百姓宿」の主人が、実は、喜兵衛の妻をめぐる恋仇であったことの恨みと嫉妬をもっていたり、彼の妻がその「百姓宿」の主人と不貞を働いたことがあったりすることが次第に分かっていき、喜兵衛の複雑な思いが記されていく。喜兵衛の妻は、病に倒れており、彼女の不貞を種に金だけで動く厚顔の不良御家人から金銭を脅し取られたりしている。
喜兵衛には一男一女の子どもがいるが、いずれも親の意に反して家を出ており、長男は錠前職人となっているし、長女はヤクザな男と所帯をもっている。喜兵衛の家族は崩壊している。そして、喜兵衛には深川に世話をしている女がおり、その間に一男を設けていて、彼はその女性のところでだけ安らぎを覚えている。こういう主人公の人物像には、当然、「深み」が必要とされるが、佐藤雅美はそれを見事に、無理なく描き出している。
この作品の中に、この複雑に仕組まれた公事の真相を見事に裁いていく名与力が登場する。この与力の丁寧な調査と眼力によって事件の真相が八割ほど明らかになっていくが、彼もまた町奉行の移動によって役を離れさせられた元の内与力(町奉行付き与力)によって冤罪の過ちを犯させられそうになるが、喜兵衛の機転と推理によって事なきを得、さらに真相を暴いていく。与力という仕事に従事しなければならない人間の苦悩も描き出されている。非創造的な仕事には、いつも仕事そのものによる喜びが少ない。名与力は聡明なだけに、そのことを深く感じていくのである。
そして、陰謀をたくらんだ「百姓宿」の主人は家財没収となり、喜兵衛はその家族や彼の使用人たちのために没収された宿を買い取ることになっていくが、その心境は複雑で、最後は、次のように記されている。
「六十六部は滅罪の功徳を得るため諸国の寺社を巡礼して歩くのだという。
喜兵衛は六十六部に自分の姿を重ねてみた。」(文庫版 401ページ)
この終わり方も、また、味のある終わり方ではないだろうか。人は様々なことを背負って生きているのだから、その重荷を暗示するこうした表現で、主人公の生身の姿が見事に結実していると言えるであろう。
綿密な考察と展開、錯綜している人物たちの姿が丹念につづられた読みごたえのある秀作で、直木賞受賞作品であることをうなずくことができる作品である。
かなりの疲労感を覚え、あまりよく眠れないままに、佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』を読み続けた。公事宿(訴訟人が泊まる宿)である恵比寿屋の主人喜兵衛は、彼のもとに越後の田舎から出てきた金公事(金銭をめぐる民事訴訟)で訴えられた男の手伝いをすることになり、その訴訟が金銭をだまし取るために巧妙に仕組まれたものであることを明白にしていく。越後の田舎から出てきた男の兄が巧妙な罠にはめられており、その背後には、喜兵衛の営む「旅人宿」と敵対する「百姓宿」の主人の陰謀があったり、公事(訴訟)によって金銭をかすめ取っていく「公事師」の巧妙な策略があったりしたのである。
歴史・時代小説の中で、こうした民事裁判の事例が詳細に取り扱われるのは極めて稀なことであろうが、作者の佐藤雅美は、当時の公事(訴訟)の取り扱いや方法、法令などを丹念に調べ(文庫版の巻末にあげられている参考文献だけでも相当なものである)、それに従った形で物語を展開していきながら、この訴訟の黒幕であった「百姓宿」の主人が、実は、喜兵衛の妻をめぐる恋仇であったことの恨みと嫉妬をもっていたり、彼の妻がその「百姓宿」の主人と不貞を働いたことがあったりすることが次第に分かっていき、喜兵衛の複雑な思いが記されていく。喜兵衛の妻は、病に倒れており、彼女の不貞を種に金だけで動く厚顔の不良御家人から金銭を脅し取られたりしている。
喜兵衛には一男一女の子どもがいるが、いずれも親の意に反して家を出ており、長男は錠前職人となっているし、長女はヤクザな男と所帯をもっている。喜兵衛の家族は崩壊している。そして、喜兵衛には深川に世話をしている女がおり、その間に一男を設けていて、彼はその女性のところでだけ安らぎを覚えている。こういう主人公の人物像には、当然、「深み」が必要とされるが、佐藤雅美はそれを見事に、無理なく描き出している。
この作品の中に、この複雑に仕組まれた公事の真相を見事に裁いていく名与力が登場する。この与力の丁寧な調査と眼力によって事件の真相が八割ほど明らかになっていくが、彼もまた町奉行の移動によって役を離れさせられた元の内与力(町奉行付き与力)によって冤罪の過ちを犯させられそうになるが、喜兵衛の機転と推理によって事なきを得、さらに真相を暴いていく。与力という仕事に従事しなければならない人間の苦悩も描き出されている。非創造的な仕事には、いつも仕事そのものによる喜びが少ない。名与力は聡明なだけに、そのことを深く感じていくのである。
そして、陰謀をたくらんだ「百姓宿」の主人は家財没収となり、喜兵衛はその家族や彼の使用人たちのために没収された宿を買い取ることになっていくが、その心境は複雑で、最後は、次のように記されている。
「六十六部は滅罪の功徳を得るため諸国の寺社を巡礼して歩くのだという。
喜兵衛は六十六部に自分の姿を重ねてみた。」(文庫版 401ページ)
この終わり方も、また、味のある終わり方ではないだろうか。人は様々なことを背負って生きているのだから、その重荷を暗示するこうした表現で、主人公の生身の姿が見事に結実していると言えるであろう。
綿密な考察と展開、錯綜している人物たちの姿が丹念につづられた読みごたえのある秀作で、直木賞受賞作品であることをうなずくことができる作品である。
2010年1月12日火曜日
佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1)
寒い朝になった。雨の予報が出ているがまだ降ってはいない。こういう天気の時の雨は、もし降れば絹のような細くて冷たい雨だろう。山沿いでは雪になるかもしれない。
昨夜、これまで佐藤雅美のいくつかの作品を乱読してきていたので、この作家の良さをもう少し知りたいと思って、彼が1993年に直木賞を受賞した作品である『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を少し丁寧に読み始めた。
この作品は馬喰町(ばくろうちょう)の通称「旅人宿」と呼ばれる公事宿(奉行所での訴訟のために宿泊する宿)の主人である恵比寿屋の喜兵衛を主人公として、江戸時代における訴訟事件を取り扱った作品で、決してきれい事では済まない生身の人間としての登場人物たちが描かれている秀作である。
佐藤雅美は、これまでも見てきたように時代や社会に対する歴史考証がかなり厳密で、この作品では、それが物語に展開の中で見事に生かされており、人間に対する見方も、市井に生なましく生きる人間を重んじる視点をもっており、この作品は、さらに、文章の構成もかなり推敲が重ねられたと思われる箇所が随所にあって、物語の構造も、一つのことが全体に繋がっていくような構成の中で登場人物たちの姿が掘り下げられていく構造をもっている。
まず、最初の書き出しからして、
「障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。
日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表に出なければならない頃あいだ。
喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた」(文庫版 9ページ)
となっており、この書き出しによって、季節が秋で、喜兵衛という人物が夕暮れ時に客引きをしなければならない仕事をしていることが分かるし、鳥瞰的な視点ではなく、ひとりの人間の目を通しての視点で物語が進行していくことを伺わせるものとなっている。
こういう書き出しは、物語の視点がきちんと定まっていないと出来ない書き出しであり、作者の力量が無理のない相当なものであることを伺わせるものである。
こういうことを思いながら読んでいると、突然、Tさんの訃報の連絡が御主人から入った。まだ38歳の若さで、急性心不全ということだが、何とも痛ましい。人は限りある生命を生きている以上、その終わりも迎えなければならないし、それぞれの命には「時」があるのだが、人の生の終わりは、人知では計りしれないとつくづく思う。昨年のクリスマスに少し長く個人的な話を伺っていて、状態の回復を祈念していたが、突然の死の訪れに愕然とした。人はただ祈ることしかできない。地から取り去られたが、天に一人が加えられたのだ。祈ることができることを信じよう。
昨夜、これまで佐藤雅美のいくつかの作品を乱読してきていたので、この作家の良さをもう少し知りたいと思って、彼が1993年に直木賞を受賞した作品である『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を少し丁寧に読み始めた。
この作品は馬喰町(ばくろうちょう)の通称「旅人宿」と呼ばれる公事宿(奉行所での訴訟のために宿泊する宿)の主人である恵比寿屋の喜兵衛を主人公として、江戸時代における訴訟事件を取り扱った作品で、決してきれい事では済まない生身の人間としての登場人物たちが描かれている秀作である。
佐藤雅美は、これまでも見てきたように時代や社会に対する歴史考証がかなり厳密で、この作品では、それが物語に展開の中で見事に生かされており、人間に対する見方も、市井に生なましく生きる人間を重んじる視点をもっており、この作品は、さらに、文章の構成もかなり推敲が重ねられたと思われる箇所が随所にあって、物語の構造も、一つのことが全体に繋がっていくような構成の中で登場人物たちの姿が掘り下げられていく構造をもっている。
まず、最初の書き出しからして、
「障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。
日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表に出なければならない頃あいだ。
喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた」(文庫版 9ページ)
となっており、この書き出しによって、季節が秋で、喜兵衛という人物が夕暮れ時に客引きをしなければならない仕事をしていることが分かるし、鳥瞰的な視点ではなく、ひとりの人間の目を通しての視点で物語が進行していくことを伺わせるものとなっている。
こういう書き出しは、物語の視点がきちんと定まっていないと出来ない書き出しであり、作者の力量が無理のない相当なものであることを伺わせるものである。
こういうことを思いながら読んでいると、突然、Tさんの訃報の連絡が御主人から入った。まだ38歳の若さで、急性心不全ということだが、何とも痛ましい。人は限りある生命を生きている以上、その終わりも迎えなければならないし、それぞれの命には「時」があるのだが、人の生の終わりは、人知では計りしれないとつくづく思う。昨年のクリスマスに少し長く個人的な話を伺っていて、状態の回復を祈念していたが、突然の死の訪れに愕然とした。人はただ祈ることしかできない。地から取り去られたが、天に一人が加えられたのだ。祈ることができることを信じよう。
2010年1月11日月曜日
佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』
今にも雨か雪が降り出しそうな空が広がっている。昨夜、夕食を食べてすぐから12時間余りも眠ってしまった。途中何度かトイレに起きたほかは、いくつかの脈絡のない夢を見ていたので、眠りは浅かったのだろう。月曜日は「家事の日」と決めてはいたが、8時ごろ起き出して、何もせずにぼんやり過ごしていた。冬眠の季節は、時々こういうのがあるなぁ。
一昨日の夜と昨日の夕方、佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』(2006年 講談社)を読んだ。これはこのシリーズの5作目で、8日(金)に記したシリーズの3作目『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社との間には4作目『疑惑』があるが、3作目に登場した蟋蟀小三郎が、主人公半次の妻の働きによって国表である越前丸岡藩に無事に帰された後、再び、江戸勤めとなって江戸に帰って来たところから物語が始まっており、彼と半次の遠慮のない絶妙なやりとりからすれば、3作目の続きとも言える作品となっている。
ただ、表題からして、前々作は『命みょうが 半次捕物控』であったものが、この作品は『半次捕物控 泣く子と小三郎』になっており、より主人公の半次の捕物帳が詳しくなって、一つ一つの事件が詳細に描かれ、蟋蟀小三郎も味のある脇役ぶりにとどめられている。
その代わりに、蟋蟀小三郎が世話をしてくれと半次のもとに連れてきた小坊主の素性が、物語を追うに従って次第に明らかにされていくという線が一本通されていく構成がとられていて、この辺りはさすがに巧みと言わなければならないだろう。
この小坊主は、本名が久保恒次郎といい、対馬藩のお家騒動にからんで、敗北した父親が遠島となり、母親が死んでいることが分かる。恒次郎は半次の家に厄介になりながらその家の幼い養女とも仲良くなり、手習所にも通い、秀才と誉れが高くなり学問にはげんでいく。半次は、そうした恒次郎を温かく見守っていく。この恒次郎という少年もきちんとしたけじめと矜持をもった少年で、無遠慮な蟋蟀小三郎に対しても小気味よく対応する少年である。
本作品には全部で八話が収録されているが、いずれも半次の推理がさえていく話であり、贋作をめぐっての町奉行を巻き込んだ騒動を描いた「第一話 御奉行の十露盤」から蟋蟀小三郎が惚れて一緒暮らすことになった「ちよ」という武家の後家の「仇打ち」をめぐっての元夫の置かれた状況や同僚の手当の二重搾取の事件を取り扱った「第八話 ちよ女の仇」まで、事件の顛末と謎ときが見事に展開されている。この作品は、作者の脂が乗り切った作品のひとつではないだろうか。
一昨日の夜と昨日の夕方、佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』(2006年 講談社)を読んだ。これはこのシリーズの5作目で、8日(金)に記したシリーズの3作目『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社との間には4作目『疑惑』があるが、3作目に登場した蟋蟀小三郎が、主人公半次の妻の働きによって国表である越前丸岡藩に無事に帰された後、再び、江戸勤めとなって江戸に帰って来たところから物語が始まっており、彼と半次の遠慮のない絶妙なやりとりからすれば、3作目の続きとも言える作品となっている。
ただ、表題からして、前々作は『命みょうが 半次捕物控』であったものが、この作品は『半次捕物控 泣く子と小三郎』になっており、より主人公の半次の捕物帳が詳しくなって、一つ一つの事件が詳細に描かれ、蟋蟀小三郎も味のある脇役ぶりにとどめられている。
その代わりに、蟋蟀小三郎が世話をしてくれと半次のもとに連れてきた小坊主の素性が、物語を追うに従って次第に明らかにされていくという線が一本通されていく構成がとられていて、この辺りはさすがに巧みと言わなければならないだろう。
この小坊主は、本名が久保恒次郎といい、対馬藩のお家騒動にからんで、敗北した父親が遠島となり、母親が死んでいることが分かる。恒次郎は半次の家に厄介になりながらその家の幼い養女とも仲良くなり、手習所にも通い、秀才と誉れが高くなり学問にはげんでいく。半次は、そうした恒次郎を温かく見守っていく。この恒次郎という少年もきちんとしたけじめと矜持をもった少年で、無遠慮な蟋蟀小三郎に対しても小気味よく対応する少年である。
本作品には全部で八話が収録されているが、いずれも半次の推理がさえていく話であり、贋作をめぐっての町奉行を巻き込んだ騒動を描いた「第一話 御奉行の十露盤」から蟋蟀小三郎が惚れて一緒暮らすことになった「ちよ」という武家の後家の「仇打ち」をめぐっての元夫の置かれた状況や同僚の手当の二重搾取の事件を取り扱った「第八話 ちよ女の仇」まで、事件の顛末と謎ときが見事に展開されている。この作品は、作者の脂が乗り切った作品のひとつではないだろうか。
2010年1月8日金曜日
佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』
今日もこちらはよく晴れている。寒いことは寒いが、晴れているとなんだか温かそうな気がしてくるから、人の感覚というのは不思議なものだと思ったりする。水仙が顔を出しそうな気配がする。
昨夜、佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社 2005年 講談社文庫)を抱腹絶倒とまではいかないけれども、楽しく読んだ。
この作品は江戸中期の岡っ引き「半次」を主人公とする捕物帳もので、佐藤雅美が、いわゆる歴史経済小説というような『大君の通貨』や『薩摩藩経済官僚』、『主殿の税』といった作品の後で挑戦した時代小説の第一弾のシリーズ「半次捕物控」の第三作目の作品である。
このシリーズの第一作目は、些細な盗難事件(雪駄の盗難)から大きな陰謀へと繋がっていった『影帳』で、第二作目は、江戸町奉行の密命を受けて主人公が備前岡山まで行く『揚羽の蝶』であり、第二作目は、昨年バザーで手に入れているが、いずれもまだ読んではいない。
書物の名前から明白に推量されるように、このシリーズは、岡本綺堂(1872-1939)の名作『半七捕物帳』を意識したものだろうが、岡本綺堂の「半七」が「弱気を助け、強きをくじく」正義派の人間だったのに対し、佐藤雅美の「半次」は、犯罪を揉み消しにすること(引合)や付け届け(厳密に現代で言うなら贈収賄だろう)で糊塗を稼ぐ生身の人間であり、場合によっては奉行所の命令で真実を闇に葬ることもあし、恰好よく立ち回りもしない。自らかつては犯罪に手を染めたこともある、と言う。
佐藤雅美の時代や社会に対する考証は、やはり確かなもので、このシリーズでもそれがいかんなく発揮され、細かなこともしっかりとした裏付けがされている。
『命みょうが』は、茅場町の薬師堂の縁日で若い娘の尻をさわった嫌疑で捕えられた田舎侍の身柄を預かることになった半次が、この汚らしい恰好をしているが剣の腕が桁外れている田舎侍の素性を探っていく中で、やがては彼の背景に越前丸岡有馬家の家督相続に絡む争いがあることを突き止めていくことが一本の線として貫かれ、その中にそれぞれが一話完結の形で、銅物屋(かなものや)の主人が殺された事件(「博多の帯」)、土左衛門(水死人)の入れ歯から事件の真相が暴かれていく事件(「斬り落とされた腕」)、江戸市中の御留場(鳥の捕獲の禁止区域)で鳥の捕獲をしていた旗本を脅したことで遠島になり、島抜け(脱走)してきた脅迫犯が絡んだ事件(「関東のツレション」)、大名家の家臣の商家への脅しや太物屋(木綿問屋)の江戸支配人が殺された事件(「命みょうが」)、常磐津(小唄)の「名弘メ」(襲名披露)を利用して悪銭を稼ごうとしたヤクザが殺された事件(「用人山川頼母の陰謀」)、御数寄屋坊主(城中における茶の接待をする坊主)による詐欺事件に絡んで、事の顛末が芝居になってしまった事件(「朧月夜血塗骨董(おぼるづきよちぬりのなまくび)」)、などが描かれている。
これらの事件そのものは、あっけないほどの幕切れで、もう少し事件が込み入った方が面白いかとも思ったが、これらの事件に半次が引き取った田舎侍「蟋蟀小三郎(こおろぎ こさぶろう)」が小気味がいいほど関係していて、平然と半次の女房や常磐津の師匠を口説いたり、詐欺を働いた茶坊主を逆に脅して大金を巻き上げたり、事件の犯人ではないかと疑われる中で半次の家に平然と出入りしたり、寄食することをなんとも思わなかったり、度胸が据わって腕も知恵もある魅力的な浪人として登場し、彼が抱えるもとの主家の御家騒動の実態が暴かれていく大筋へと繋がっていくのである。
半次もなかなか味のある魅力的な岡っ引きであるなら、蟋蟀小三郎も魅力的な人物であり、これらの両者が絡み合って事件が解決していく姿がずっと描き出されている。半次は、岡っ引きという仕事が強請やたかりめいたことをしなければ成り立たないことを自覚しているし、蟋蟀小三郎も、独りよがりな御家騒動にからんで平然と嘘もつくし、人を斬ることにも抵抗がない。人には嫉妬心もあり、恨みもあり、意地もある。そして、人が生きる上でお金が必要なことも作者は赤裸々に描き出すし、結末に至る伏線もたくさん張られていて、読んでいて嫌味がない。
彼の『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズも面白いが、このシリーズも面白い。作者の佐藤雅美の視座については、これまでも折に触れて書いてきたし、彼の立ち位置が非権威主義であるのもいい。
ここまで書いた時、雲が出てきて少し陰って来た。陽のあるうちに、今日は少し歩こう。車のバッテリーがまた上がってしまって、動かないのでちょうどいい。
昨夜、佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社 2005年 講談社文庫)を抱腹絶倒とまではいかないけれども、楽しく読んだ。
この作品は江戸中期の岡っ引き「半次」を主人公とする捕物帳もので、佐藤雅美が、いわゆる歴史経済小説というような『大君の通貨』や『薩摩藩経済官僚』、『主殿の税』といった作品の後で挑戦した時代小説の第一弾のシリーズ「半次捕物控」の第三作目の作品である。
このシリーズの第一作目は、些細な盗難事件(雪駄の盗難)から大きな陰謀へと繋がっていった『影帳』で、第二作目は、江戸町奉行の密命を受けて主人公が備前岡山まで行く『揚羽の蝶』であり、第二作目は、昨年バザーで手に入れているが、いずれもまだ読んではいない。
書物の名前から明白に推量されるように、このシリーズは、岡本綺堂(1872-1939)の名作『半七捕物帳』を意識したものだろうが、岡本綺堂の「半七」が「弱気を助け、強きをくじく」正義派の人間だったのに対し、佐藤雅美の「半次」は、犯罪を揉み消しにすること(引合)や付け届け(厳密に現代で言うなら贈収賄だろう)で糊塗を稼ぐ生身の人間であり、場合によっては奉行所の命令で真実を闇に葬ることもあし、恰好よく立ち回りもしない。自らかつては犯罪に手を染めたこともある、と言う。
佐藤雅美の時代や社会に対する考証は、やはり確かなもので、このシリーズでもそれがいかんなく発揮され、細かなこともしっかりとした裏付けがされている。
『命みょうが』は、茅場町の薬師堂の縁日で若い娘の尻をさわった嫌疑で捕えられた田舎侍の身柄を預かることになった半次が、この汚らしい恰好をしているが剣の腕が桁外れている田舎侍の素性を探っていく中で、やがては彼の背景に越前丸岡有馬家の家督相続に絡む争いがあることを突き止めていくことが一本の線として貫かれ、その中にそれぞれが一話完結の形で、銅物屋(かなものや)の主人が殺された事件(「博多の帯」)、土左衛門(水死人)の入れ歯から事件の真相が暴かれていく事件(「斬り落とされた腕」)、江戸市中の御留場(鳥の捕獲の禁止区域)で鳥の捕獲をしていた旗本を脅したことで遠島になり、島抜け(脱走)してきた脅迫犯が絡んだ事件(「関東のツレション」)、大名家の家臣の商家への脅しや太物屋(木綿問屋)の江戸支配人が殺された事件(「命みょうが」)、常磐津(小唄)の「名弘メ」(襲名披露)を利用して悪銭を稼ごうとしたヤクザが殺された事件(「用人山川頼母の陰謀」)、御数寄屋坊主(城中における茶の接待をする坊主)による詐欺事件に絡んで、事の顛末が芝居になってしまった事件(「朧月夜血塗骨董(おぼるづきよちぬりのなまくび)」)、などが描かれている。
これらの事件そのものは、あっけないほどの幕切れで、もう少し事件が込み入った方が面白いかとも思ったが、これらの事件に半次が引き取った田舎侍「蟋蟀小三郎(こおろぎ こさぶろう)」が小気味がいいほど関係していて、平然と半次の女房や常磐津の師匠を口説いたり、詐欺を働いた茶坊主を逆に脅して大金を巻き上げたり、事件の犯人ではないかと疑われる中で半次の家に平然と出入りしたり、寄食することをなんとも思わなかったり、度胸が据わって腕も知恵もある魅力的な浪人として登場し、彼が抱えるもとの主家の御家騒動の実態が暴かれていく大筋へと繋がっていくのである。
半次もなかなか味のある魅力的な岡っ引きであるなら、蟋蟀小三郎も魅力的な人物であり、これらの両者が絡み合って事件が解決していく姿がずっと描き出されている。半次は、岡っ引きという仕事が強請やたかりめいたことをしなければ成り立たないことを自覚しているし、蟋蟀小三郎も、独りよがりな御家騒動にからんで平然と嘘もつくし、人を斬ることにも抵抗がない。人には嫉妬心もあり、恨みもあり、意地もある。そして、人が生きる上でお金が必要なことも作者は赤裸々に描き出すし、結末に至る伏線もたくさん張られていて、読んでいて嫌味がない。
彼の『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズも面白いが、このシリーズも面白い。作者の佐藤雅美の視座については、これまでも折に触れて書いてきたし、彼の立ち位置が非権威主義であるのもいい。
ここまで書いた時、雲が出てきて少し陰って来た。陽のあるうちに、今日は少し歩こう。車のバッテリーがまた上がってしまって、動かないのでちょうどいい。
2010年1月7日木曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(3)
このところ厳しい冬型の天気が続き、北日本と日本海側では大荒れの天気になっているが、こちらはずっと青空が見える天気になっている。少し出かけることが多くて、これを記すのも三日ぶりであるが、お正月の間にゆっくり休むことができなかったので、そろそろ疲れを覚え始めている。注意力も散漫になっているのだろう。昨日、里芋の煮つけを作ろうとして、里芋の皮をむく時に指の皮まで剥いてしまった。
松井今朝子『そろそろ旅に』を二日ほど前に読み終えた。この作品の後半は、十返舎一九が大坂の材木商の入婿に入り、武士にも商人にもなりきれずに放蕩のあげくに離縁され、江戸へ出てきて、江戸の出版元である蔦屋重三郎の家に寄宿しながら戯作者となっていき、やがて『東海道中膝栗毛』を書くに至るまでを描き出しているものである。
この部分が本書の核となる部分であろうが、十返舎一九は、既に戯作者として著名になっていた山東京伝の影響を受けて、彼を乗り越えようと苦闘する。その姿が、たとえば彼の二度目の妻となった者が山東京伝を敬って恋い慕う者として設定され、山東京伝への悋気(嫉妬)として描かれていたり、そのために十返舎一九が放蕩に奔っていったり、当時の滝沢馬琴や式亭三馬などとの交流や、松平定信(1759-1829年)の「寛政の改革」後の時代背景の中での当時の出版を取り巻く状況などと絡まされている。
この松井今朝子の作品には二つの特徴があるように思われる。
そのひとつは、十返舎一九を取り巻く人々の誰ひとりとして悪意を抱く者がいない、ということである。彼が武家奉公に嫌気がさす直接の引き金となった大坂町奉行(後に江戸町奉行)の小田切直年の家臣で謹厳な鉢屋新六という武士にしても、「鉢屋はまことに忠義者だ」「あれの話は少しも面白うない。されど、決して手放せぬ大事な家来だ」と主の小田切直年に言わしめ、十返舎一九もそのことを十分認めている(154ページ)し、最初の妻となった材木商の娘も、商人にもなれずに放蕩にふける十返舎一九を理解して自由にするために離縁し、彼が当てもないままに江戸に向かう姿を見送ったりしている。
江戸の蔦屋重三郎はもちろん十返舎一九のよき理解者であり、山東京伝も彼を認め、辛口の滝沢馬琴でさえ彼を認める人物として描かれ、二度目の妻となった女性も、彼を支える女性として描かれている。十返舎一九は、こうした理解者に囲まれながら、それでも自らの道を探して彷徨い続けるのであり、ようやく、『浮世道中膝栗毛』や『東海道中膝栗毛』の作風を見出していく姿が示されているのである。
作者の松井今朝子という人は、人間を肯定的にとらえようとする人なのかもしれない。十返舎一九自身が粋で洒落者(オシャレという意味では決してない)だったし、どこかさっぱりとした爽やかさをもった人だったと思われるが、晩年、貧しさで苦闘した姿が反映されていてもいいかもしれないと思った。
しかし、もう一つのこの作品の特徴として、常に彼の周りで、彼の本音をずばりと言ったり、励ましたりする「犬吉」という幻の従者が設定されていることである。「犬吉」は、十返舎一九が子どもの頃に海でおぼれかけた時に、彼を踏みつけることによって助かった幼友だちであり、その海で死んでしまった人間の「影」である。十返舎一九はこの影をずっと引きずっていく。それは、ひとりの人間が浮かび上がっていく時に踏み台にして犠牲にしている者の象徴でもある。
実際、人が生きていくということは、多くの犠牲の上に成り立っている。人の裏には多くの涙が流されている。十返舎一九がそのことをよく自覚している人物として描き出されるのは、作者のそうしたことへの深い自覚の反映であるように思われる。
この作品は、何とはなしに読める作品ではあるが、武士にも商人にもなれずに苦悶する十返舎一九の姿が妙に深く焼きつく作品のような気がする。読んでいる間、ずっと十返舎一九のあり方を考えたりしていた。
今日は「あざみ野」の山内図書館に本を返却しなければならない。『のだめカンタービレ 最終章』の映画も見に行きたいが、「年配者がひとりでその映画を見に行くのも寂しいものだ」と躊躇している。こういうときは「独り」は、本当に困る。結局、DVDになるのを待つしかないのかもしれない。
松井今朝子『そろそろ旅に』を二日ほど前に読み終えた。この作品の後半は、十返舎一九が大坂の材木商の入婿に入り、武士にも商人にもなりきれずに放蕩のあげくに離縁され、江戸へ出てきて、江戸の出版元である蔦屋重三郎の家に寄宿しながら戯作者となっていき、やがて『東海道中膝栗毛』を書くに至るまでを描き出しているものである。
この部分が本書の核となる部分であろうが、十返舎一九は、既に戯作者として著名になっていた山東京伝の影響を受けて、彼を乗り越えようと苦闘する。その姿が、たとえば彼の二度目の妻となった者が山東京伝を敬って恋い慕う者として設定され、山東京伝への悋気(嫉妬)として描かれていたり、そのために十返舎一九が放蕩に奔っていったり、当時の滝沢馬琴や式亭三馬などとの交流や、松平定信(1759-1829年)の「寛政の改革」後の時代背景の中での当時の出版を取り巻く状況などと絡まされている。
この松井今朝子の作品には二つの特徴があるように思われる。
そのひとつは、十返舎一九を取り巻く人々の誰ひとりとして悪意を抱く者がいない、ということである。彼が武家奉公に嫌気がさす直接の引き金となった大坂町奉行(後に江戸町奉行)の小田切直年の家臣で謹厳な鉢屋新六という武士にしても、「鉢屋はまことに忠義者だ」「あれの話は少しも面白うない。されど、決して手放せぬ大事な家来だ」と主の小田切直年に言わしめ、十返舎一九もそのことを十分認めている(154ページ)し、最初の妻となった材木商の娘も、商人にもなれずに放蕩にふける十返舎一九を理解して自由にするために離縁し、彼が当てもないままに江戸に向かう姿を見送ったりしている。
江戸の蔦屋重三郎はもちろん十返舎一九のよき理解者であり、山東京伝も彼を認め、辛口の滝沢馬琴でさえ彼を認める人物として描かれ、二度目の妻となった女性も、彼を支える女性として描かれている。十返舎一九は、こうした理解者に囲まれながら、それでも自らの道を探して彷徨い続けるのであり、ようやく、『浮世道中膝栗毛』や『東海道中膝栗毛』の作風を見出していく姿が示されているのである。
作者の松井今朝子という人は、人間を肯定的にとらえようとする人なのかもしれない。十返舎一九自身が粋で洒落者(オシャレという意味では決してない)だったし、どこかさっぱりとした爽やかさをもった人だったと思われるが、晩年、貧しさで苦闘した姿が反映されていてもいいかもしれないと思った。
しかし、もう一つのこの作品の特徴として、常に彼の周りで、彼の本音をずばりと言ったり、励ましたりする「犬吉」という幻の従者が設定されていることである。「犬吉」は、十返舎一九が子どもの頃に海でおぼれかけた時に、彼を踏みつけることによって助かった幼友だちであり、その海で死んでしまった人間の「影」である。十返舎一九はこの影をずっと引きずっていく。それは、ひとりの人間が浮かび上がっていく時に踏み台にして犠牲にしている者の象徴でもある。
実際、人が生きていくということは、多くの犠牲の上に成り立っている。人の裏には多くの涙が流されている。十返舎一九がそのことをよく自覚している人物として描き出されるのは、作者のそうしたことへの深い自覚の反映であるように思われる。
この作品は、何とはなしに読める作品ではあるが、武士にも商人にもなれずに苦悶する十返舎一九の姿が妙に深く焼きつく作品のような気がする。読んでいる間、ずっと十返舎一九のあり方を考えたりしていた。
今日は「あざみ野」の山内図書館に本を返却しなければならない。『のだめカンタービレ 最終章』の映画も見に行きたいが、「年配者がひとりでその映画を見に行くのも寂しいものだ」と躊躇している。こういうときは「独り」は、本当に困る。結局、DVDになるのを待つしかないのかもしれない。
2010年1月4日月曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(2)
朝はまだら模様の灰色の雲に覆われて、まさに冬の重い空を感じさせたが、午後からは晴れてきた。年末に使った布団を干したり、カバーを洗濯したり、掃除をしたりしていると午後3時になってしまった。
昨夜はK氏宅にお招きを受けて、本当に楽しい時を過ごすことができた。K氏はロシア文学を専攻された後、ある電機会社に勤めておられて、高橋和巳や埴谷雄高、ドストエフスキーなどを愛読されて、わたしと読書傾向が似ているので、話をしていてとても楽しいし、ジャズマンでもある。奥様のUさんは英語を教えられるかたわらヴァイオリニストでもあるし、双子の姉弟のSちゃんとSTくんも、いまどき珍しい好少年少女で、Sちゃんはヴァイオリンが堪能で、中学校でオーケストラをやっており、STくんは囲碁と合気道を学んでいる。昨夜はジャズで演奏されたバッハなども聴かせてもらった。
わたしも囲碁が好きなので、昨夜はさっそく哲志くんと一局囲んだりした。御家族と話をしていると、時間の経つのも忘れるくらい楽しくて、気がつくと10時を廻ってしまっていた。遅くまでご迷惑だったかもしれないが、心底楽しかった。
帰宅して松井今朝子『そろそろ旅に』を読んだが、少し酔っていたのと眠いのとで、あまり進まなかった。ただ、非常に面白いと思ったのは、十返舎一九が次第に浄瑠璃の世界に関心を持ち始めて、武家奉公を止めようとするくだりで、その描き方に作者の文学への思いも反映されているように思えたことである。
「田沼から白河候の治世に移り、岩瀬(武家奉公の同僚で遊び好き)が江戸に去って、小田切家(十返舎一九が務める大阪町奉行)の勤めがだんだん窮屈となるにつれて、与七郎(十返舎一九)はともすれば異国(浄瑠璃の世界)への誘いに心を強く揺さぶられてしまうのである」(146ページ)と、その心情が述べられている。そして、「世の中の手本となるような立派な武士は願い下げだ。商いに手を染めたら、きっと儲けるより損がいくだろう。何がしたいといえば、そこら中をうろうろと歩きまわって、時にぼんやり景色を眺める。行き交う人とののんびり馬鹿話をして、時に気が向けば筆を取る。毎日あくせくと働かずに暮らせて、美しい女房が側にいてくれたらもうそれで何も申し分ない」(148-149ページ)と語られる。
こうした十返舎一九の心情は、彼が格式ばった武家を嫌い、自由人でありたいと願った姿として描き出されるものであろう。作品の中では、彼を家臣にしていた大坂町奉行の小田切直年はこうした十返舎一九の心情をよく理解して、彼のもとを去ることを快くゆるしていく人物として描かれている。
実際のところ、小田切直年は、江戸北町奉行所の名奉行のひとりに数えられ、彼が大坂町奉行だったのは1783-1792年で、一説では十返舎一九の実の父親ではないかとの説もあるが、確証はなく、本作品でもその説は取り入れられていないが、十返舎一九の夢見るような気ままな性格をよく理解する人物であったとは言えるかもしれない。
十返舎一九は、その小田切家のゆるしを得て、やがて大阪の材木商の入婿となるが、かといって材木商としての働きにも熱が入らずに、人形浄瑠璃の作者として『木下陰狭間合戦』の一部を執筆するようになるのである。作者が描く十返舎一九像は、どこまでも才能豊かであるが物事にこだわらずに、洒落て生きていく人間である。
彼が、入婿となった材木商から離縁されていくくだりは、これから読むところである。少し薬局に行ったり買い物をしたりしなければならないので、今日のところはここまでにしておこう。明日から三日間は都内で会議である。
昨夜はK氏宅にお招きを受けて、本当に楽しい時を過ごすことができた。K氏はロシア文学を専攻された後、ある電機会社に勤めておられて、高橋和巳や埴谷雄高、ドストエフスキーなどを愛読されて、わたしと読書傾向が似ているので、話をしていてとても楽しいし、ジャズマンでもある。奥様のUさんは英語を教えられるかたわらヴァイオリニストでもあるし、双子の姉弟のSちゃんとSTくんも、いまどき珍しい好少年少女で、Sちゃんはヴァイオリンが堪能で、中学校でオーケストラをやっており、STくんは囲碁と合気道を学んでいる。昨夜はジャズで演奏されたバッハなども聴かせてもらった。
わたしも囲碁が好きなので、昨夜はさっそく哲志くんと一局囲んだりした。御家族と話をしていると、時間の経つのも忘れるくらい楽しくて、気がつくと10時を廻ってしまっていた。遅くまでご迷惑だったかもしれないが、心底楽しかった。
帰宅して松井今朝子『そろそろ旅に』を読んだが、少し酔っていたのと眠いのとで、あまり進まなかった。ただ、非常に面白いと思ったのは、十返舎一九が次第に浄瑠璃の世界に関心を持ち始めて、武家奉公を止めようとするくだりで、その描き方に作者の文学への思いも反映されているように思えたことである。
「田沼から白河候の治世に移り、岩瀬(武家奉公の同僚で遊び好き)が江戸に去って、小田切家(十返舎一九が務める大阪町奉行)の勤めがだんだん窮屈となるにつれて、与七郎(十返舎一九)はともすれば異国(浄瑠璃の世界)への誘いに心を強く揺さぶられてしまうのである」(146ページ)と、その心情が述べられている。そして、「世の中の手本となるような立派な武士は願い下げだ。商いに手を染めたら、きっと儲けるより損がいくだろう。何がしたいといえば、そこら中をうろうろと歩きまわって、時にぼんやり景色を眺める。行き交う人とののんびり馬鹿話をして、時に気が向けば筆を取る。毎日あくせくと働かずに暮らせて、美しい女房が側にいてくれたらもうそれで何も申し分ない」(148-149ページ)と語られる。
こうした十返舎一九の心情は、彼が格式ばった武家を嫌い、自由人でありたいと願った姿として描き出されるものであろう。作品の中では、彼を家臣にしていた大坂町奉行の小田切直年はこうした十返舎一九の心情をよく理解して、彼のもとを去ることを快くゆるしていく人物として描かれている。
実際のところ、小田切直年は、江戸北町奉行所の名奉行のひとりに数えられ、彼が大坂町奉行だったのは1783-1792年で、一説では十返舎一九の実の父親ではないかとの説もあるが、確証はなく、本作品でもその説は取り入れられていないが、十返舎一九の夢見るような気ままな性格をよく理解する人物であったとは言えるかもしれない。
十返舎一九は、その小田切家のゆるしを得て、やがて大阪の材木商の入婿となるが、かといって材木商としての働きにも熱が入らずに、人形浄瑠璃の作者として『木下陰狭間合戦』の一部を執筆するようになるのである。作者が描く十返舎一九像は、どこまでも才能豊かであるが物事にこだわらずに、洒落て生きていく人間である。
彼が、入婿となった材木商から離縁されていくくだりは、これから読むところである。少し薬局に行ったり買い物をしたりしなければならないので、今日のところはここまでにしておこう。明日から三日間は都内で会議である。
2010年1月2日土曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(1)
新しい年が冷厳の風と共に始まった。日本海側と西日本は大雪の荒れた天気となったが、こちらはよく晴れて、そのぶんひどく寒くなっている。穏やかだが厳しい年明けである。社会全体もそんな気がする。
個人的には、年末に娘たちが神戸から来てくれたり、大好きな『のだめカンタービレ』のアニメ版全話が大晦日から元旦にかけてBSフジテレビで放映されたり、片づけてしまわなければならない仕事に追われたりして、結構楽しんだが、心のどこかに社会と人々に対する「やりきれなさ」があって、「如何せん」と思い続けてはいる。昨日の午後は、年賀状をくださった方々のひとりひとりを思い浮かべながら、年賀状を出されなくなった人たちはどうされているのだろう、と思ったりしていた。
大晦日から元旦にかけて、松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を読んでいる。
松井今朝子という人の作品は初めて読むのだが、書物の奥付によれば、1953年京都府生まれで、歌舞伎の脚色や評論などをし、1997年に『東州しゃらくさし』で作家としてデビューし、2007年に『吉原手引草』で第137回直木賞を受賞した作家らしい。自身のブログもあって、それを読んでみると、三軒茶屋にあるレストランの名前がたくさん出てくるので、もしかしたらこの近くの三軒茶屋に住んでおられるような気もする。
『そろそろ旅に』は、江戸時代後期に文筆活動を展開し、『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九(1765-1831年)を取り扱った作品で、十返舎一九は、本名重田貞一(しげた さだかつ)、幼名市丸、通称与七、幾五郎などがあり、本書では重田与七郎とされている。
十返舎一九自身がけっこう波乱の生涯を送った人で、武士の子として生まれ、江戸や大坂で武家奉公したが、武士をやめて、大阪では義太夫語りの家に寄食したり、志野流の香道を学んだり、材木商に入り婿したりしているし(この材木商では離縁されている)、江戸では黄表紙本の出版元として著名な蔦屋重三郎の家に寄食したり、地本問屋(現:出版社)の会所(現:組合事務所のような所)に住んだりしている。二度目の結婚も放蕩のために離縁され、三度目の結婚で一女をもうけている。
彼は、年に20部近くになる新作を発表するなど精力的な文筆活動を展開するが、46歳の時に眼病を患い、58歳で中風にかかり、67歳で貧苦のうちに死去している。彼の辞世の句が「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」(この世をば、どりゃあ おいとませんこうと ともについには はい、さようなら)というのは著名で、わたしも自分の論文でこの句を使ったりしたことがある。
松井今朝子『そろそろ旅に』は、この十返舎一九が郷里の駿河(静岡県)から大阪に出て武家奉公するところから物語が始まり、やがて材木商と知り合って志野流の香道を学び、その材木商に入り婿していく姿が描かれていく。
松井今朝子が描く武家としての十返舎一九は、結構「かっこいい」武士として描かれている。彼は、「無辺流槍術」(今は棒術として知られる)の名手であり、あまり身分なども気にせずに気さくで、困った者を見捨てることもできない人情ある人物で、材木商と知り合ったのもその娘の難儀を槍の立ち回りに寄って助けたことに寄るものであり、勤め先の武家でも、物事にこだわることなく振る舞う。
こういう十返舎一九の姿は、「少しかっこう良すぎる」ような気もするが、作者は、すっきりと彼を面白く描きたいと思っているのかもしれない。松井今朝子の他の作品も読んでいないし、この作品もまだ途中だが、この作品の文体に艶はない。もちろん、時代や社会背景についてなどの歴史的考察はきちんとしているが、十返舎一九が優れた能力の持ち主すぎるような気がするのである。
この作品の「エピローグ」に、
「生涯に渡って少なくとも十七回以上の旅をした記録が残る一九は、どこに行ってもその土地にすんなり溶け込めたであろうことが想像に難くない。
若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれと一緒に暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時が来れば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう」(477ページ)
とあるので、執着心なく生き抜けた人物として描きたかったのだろうと思われる。
しかし、まだ全体を読了していないので、何とも言えないが、段々と面白くなっていく作品ではある。
それにしても、年明け早々にしなければならない仕事を4年の任期で引き受けてしまっているので、身動きが取れない。友人のT牧師から「温泉にでも行きませんか」と誘われたがどうにもならない。お正月は温泉に限る、とは思うが、雑煮でも作って食べることにしよう。
個人的には、年末に娘たちが神戸から来てくれたり、大好きな『のだめカンタービレ』のアニメ版全話が大晦日から元旦にかけてBSフジテレビで放映されたり、片づけてしまわなければならない仕事に追われたりして、結構楽しんだが、心のどこかに社会と人々に対する「やりきれなさ」があって、「如何せん」と思い続けてはいる。昨日の午後は、年賀状をくださった方々のひとりひとりを思い浮かべながら、年賀状を出されなくなった人たちはどうされているのだろう、と思ったりしていた。
大晦日から元旦にかけて、松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を読んでいる。
松井今朝子という人の作品は初めて読むのだが、書物の奥付によれば、1953年京都府生まれで、歌舞伎の脚色や評論などをし、1997年に『東州しゃらくさし』で作家としてデビューし、2007年に『吉原手引草』で第137回直木賞を受賞した作家らしい。自身のブログもあって、それを読んでみると、三軒茶屋にあるレストランの名前がたくさん出てくるので、もしかしたらこの近くの三軒茶屋に住んでおられるような気もする。
『そろそろ旅に』は、江戸時代後期に文筆活動を展開し、『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九(1765-1831年)を取り扱った作品で、十返舎一九は、本名重田貞一(しげた さだかつ)、幼名市丸、通称与七、幾五郎などがあり、本書では重田与七郎とされている。
十返舎一九自身がけっこう波乱の生涯を送った人で、武士の子として生まれ、江戸や大坂で武家奉公したが、武士をやめて、大阪では義太夫語りの家に寄食したり、志野流の香道を学んだり、材木商に入り婿したりしているし(この材木商では離縁されている)、江戸では黄表紙本の出版元として著名な蔦屋重三郎の家に寄食したり、地本問屋(現:出版社)の会所(現:組合事務所のような所)に住んだりしている。二度目の結婚も放蕩のために離縁され、三度目の結婚で一女をもうけている。
彼は、年に20部近くになる新作を発表するなど精力的な文筆活動を展開するが、46歳の時に眼病を患い、58歳で中風にかかり、67歳で貧苦のうちに死去している。彼の辞世の句が「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」(この世をば、どりゃあ おいとませんこうと ともについには はい、さようなら)というのは著名で、わたしも自分の論文でこの句を使ったりしたことがある。
松井今朝子『そろそろ旅に』は、この十返舎一九が郷里の駿河(静岡県)から大阪に出て武家奉公するところから物語が始まり、やがて材木商と知り合って志野流の香道を学び、その材木商に入り婿していく姿が描かれていく。
松井今朝子が描く武家としての十返舎一九は、結構「かっこいい」武士として描かれている。彼は、「無辺流槍術」(今は棒術として知られる)の名手であり、あまり身分なども気にせずに気さくで、困った者を見捨てることもできない人情ある人物で、材木商と知り合ったのもその娘の難儀を槍の立ち回りに寄って助けたことに寄るものであり、勤め先の武家でも、物事にこだわることなく振る舞う。
こういう十返舎一九の姿は、「少しかっこう良すぎる」ような気もするが、作者は、すっきりと彼を面白く描きたいと思っているのかもしれない。松井今朝子の他の作品も読んでいないし、この作品もまだ途中だが、この作品の文体に艶はない。もちろん、時代や社会背景についてなどの歴史的考察はきちんとしているが、十返舎一九が優れた能力の持ち主すぎるような気がするのである。
この作品の「エピローグ」に、
「生涯に渡って少なくとも十七回以上の旅をした記録が残る一九は、どこに行ってもその土地にすんなり溶け込めたであろうことが想像に難くない。
若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれと一緒に暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時が来れば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう」(477ページ)
とあるので、執着心なく生き抜けた人物として描きたかったのだろうと思われる。
しかし、まだ全体を読了していないので、何とも言えないが、段々と面白くなっていく作品ではある。
それにしても、年明け早々にしなければならない仕事を4年の任期で引き受けてしまっているので、身動きが取れない。友人のT牧師から「温泉にでも行きませんか」と誘われたがどうにもならない。お正月は温泉に限る、とは思うが、雑煮でも作って食べることにしよう。
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