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2014年4月14日月曜日

上田秀人『表御番医師診療禄1 切開』

 昨日は一日中雨と風が吹いて寒さに震えるような日だったが、今日は一転して碧空が広がり、日中の気温も20度を超える温かさになっている。ここでは、もう桜の季節が終わろうとしているが、「静心なき花の散るらむ」で、どことなくせわしい日常が続いている。今のところ、だいたい10分刻みで仕事を処理しなければならないが、じっくりと構える姿勢は崩さないでおこうと思ったりもする。

 さて、先日、上田秀人『表御番医師診療禄1 切開』(2013年 角川文庫)を読んだ。これは江戸幕府の表御番医師を主人公にした作品で、江戸城には表御番医師と呼ばれる城中での医療行為にあたる医師と将軍と将軍家のための医療行為を行う奥医師というのが置かれていたが、表御番医師は、いわば城内の診療医師のようなものである。徳川家康は天下の実権を握るためにできる限り長生きをすることを望んで、自分で薬を調合するほどの薬草に関する知識もあり、医学に対しては特別の関心を持ち、医師を側に置いて厚遇した。奥医師は幕府に仕える医師の最高位とされていた。

 本書の主人公、矢切良衛は、代々が御家人(下級武士)であったが、戦場に於ける怪我人の応急手当をする金創医を兼ねていた家の長男で、父親が、十五歳になった良衛を和蘭院流外科術の医師であった杉本忠恵のもとに修行に出し、さらに京都随一と言われた名古屋玄医の下で修行を重ね、江戸にもどって家督を継いだ青年医師である。父親は隠居後に得度して青梅の寺に移り、母親は既になく、薬箱持ちの老爺の三造と台所仕事をする女中の三人で暮らしていた。

 そして、医師としての評判が上がる中で、幕府の典薬頭である今大路兵部太輔親俊(ちかとし)に目を留められて、無理矢理に彼の妾腹の娘である弥須子と結婚させられ、その代わりに表御番医に引き上げられて禄(給与)も加増され、身分もお目見え以下からお目見えへと格上げされた(お目見えとは、将軍の前に出ることがゆるされた格式で、下級役人である御家人はそれが許されないお目見え以下であった)。今大路親俊は、医家の名家としての立場を保つために新式の和蘭医術を学んだ矢切良衛を一族の中に加えることを目論んで、良衛に白羽の矢を立てたのである。こうして、良衛と弥須子は結婚し、二人の間には四歳になる男子の一弥が生まれていた。彼はまた、父祖伝来の戦場剣法を習得していた。

 作品の中で取り扱われている時代は、五代将軍徳川綱吉の時代で、本書では特に、貞享元年(1684年)に江戸城中で起こった刃傷事件が取り扱われている。時の大老であった堀田筑前守正俊が従兄弟で若年寄りの稲葉石見守正休に懐刀で斬られるという事件が起こったのである。殿中での刃傷事件は、このほか、赤穂浪士で有名な播州赤穂の藩主であった浅野内匠頭が吉良上野介に斬り掛かった事件があるが、江戸幕府初期の堀田正俊が受けた刃傷事件は、相手が幕府の実権を握っていた大老であっただけに、その後の幕府の政治体制を一変させるほどの事件であったのである。そして、堀田正俊は落命し、事件を起こした稲葉石見守正休も、その場に居合わせた老中の大久保加賀守忠朝(ただとも)や戸田山城守、阿部豊後守、稲葉美濃守らにその場で斬り殺された。ただ、この事件には謎が多い。本書はその謎解きを一本の柱としたものである。

 この事件に主人公が関わっていくのは、斬られた堀田正俊の治療のために若い寄合医師(奥医師の家柄の跡継ぎや御番医師でその腕を認められた者が属して、奥医師の席の空き待ちをする医師たち)で本道(内科)が主である奈須玄竹が呼ばれたからである。刀傷なら外道(外科)の表御番医の自分が呼ばれてもよいはずだった。しかも、最新式の和蘭外科を身につけている良衛が呼ばれても当然だったが、何故か本道(内科)の奈須玄竹が呼ばれ、しかも治療の施しようもなく、堀田正俊は駕篭で自宅まで運ばれて絶命している。
 奈須玄竹の祖父は希代の名医と言われ、当代の玄竹はその名と家督を継いだ者であったが、まだ若く、しかも今大路親俊の娘婿でもあった。その典薬頭である今大路親俊から医師の技量を認められて、同じように娘婿に選ばれたという自負を強くもっていた矢切良衛は、事件の日に江戸城にいた外道医師のなかでは自分が最も優れた腕をもっていると自認していたので、いわばプロとしての嫉妬の情を抱いたのである。

 こうして、この事件の謎に関心を持っていた良衛は、幕府内の勢力争いの中に巻き込まれていくことになり、大目付の松平対馬守との間に、利用し利用される関係が生じていく。もっとも松平対馬守は大目付(大名を取り締まる役)であり、身分の差は歴然としているので、良衛は対馬守から命令を受ける形になっていくのだが、良衛は諾々とそれに従っているのではない。

 事件の裏には、綱吉が将軍になる時から問題となっていた御三家、二代将軍徳川秀忠の血筋である甲府の松平家、加賀の松平家、それに堀田家自身の跡目相続を巡る問題、大老職を狙う老中たちなどがあり、この事件が江戸幕府内での勢力争いの側面から描かれていく。矢切良衛も何者かに命を狙われるようになる。こうして、事件の謎解きが「権力争い」の視点で展開され始めるところで、本書は終わる。

 それらは殺伐とした争いであり、矢切良衛の妻となった弥須子もまた息子の一弥を一流の名医にして、兄弟姉妹を見返してやるという争心をもっている。その意味では、本書は、「人間の闘争」を情に絡めて展開するこれまで読んで来た作者の作品らしい作品の一つで、主人公を表御番医師という設定にすることによって、医家の立場からの闘争録になっている。

 しかも、それだけではなく、良衛が医師として治療に当たって来た貧乏御家人の、今では美貌の未亡人となっている井田美絵とのそこはかとない情愛が描かれていく。心身ともに闘いに明け暮れてしまう良衛が心を休める場所として設定されており、それが本書の一本の横糸を構成している。

 改めて見てみると、本書は実によく構成されており、いくつかの伏線が絡み合って本筋を作るような展開がされている。描かれる人物像は、作者のほかの作品とも似通ったものではあるが、伏線の張り方の巧みさが光っている。巧い作品だと思う。

2013年11月14日木曜日

上田秀人『お髷番承り候二 奸闘の緒』

 今週明けから真冬のような寒さが続いているが、今日は、抜けるような碧空の下で気温の低い日になった。急に寒くなって、身体機能がなかなかついていかない気がしている。先週の疲れも出たのか、どうも調子が戻らないでいる。

 読書は読み手の気分にも左右されるので、今回読んだ上田秀人『お髷番承り候二 奸闘の緒』(2011年 徳間文庫)も、何かもうほかの作品と同じような展開が繰り返されているだけのような気がして、少し辛口の気分で読んでしまった。

 これは、このシリーズの第一作『潜謀の影』(2010年 徳間文庫)の続編で、四代将軍徳川家綱の信頼を得て「お髷番」として抜擢された旗本の妾腹の子である主人公の深室賢治郎がいよいよ将軍後継問題をめぐる陰謀に巻き込まれていくようになる次第を描いたものである。

 四代将軍家綱が病弱で子がなかったために、次期将軍を巡って、同じ三代将軍家光の子であり兄弟であった徳川綱吉と徳川綱重が相続位を争うことになり、それぞれの生母による権力獲得の工作が大奥を使って行われたりするし、幕閣内での権力争いが起こっていく。

 もともと、家綱が将軍位を継いだ時は、若年11歳であったが、叔父の保科正之や大老の酒井忠勝、知恵伊豆と言われた松平信綱、阿部忠秋といった「寛永の遺老」と言われた優れた人物が幕閣を形成しており、家綱の将軍としての権威が認められつつも、「左様せい」ということで安定した政権運営がなされていたが、それらの老臣たちが死去したり、高齢のために政治の表舞台から隠居したりしていく中で、酒井忠清が大老としての実権を握るようになり(寛文6年 1666年)、将軍位継承問題が幕閣の権力掌握問題と絡んで表面化していくのである。

 本書では、次期将軍位を狙う四男綱吉(館林藩主)の母桂昌院(お玉)と三男綱重(甲府藩主)の母順性院(お夏)の互いの争い、将軍家綱を殺害して将軍位を早く手に入れようとする画策、そして、将軍を「お飾り」として実権を握ろうとする堀田正俊、酒井忠清らの陰謀が巡らされ、主人公の深室賢治郎がそれらの陰謀を打ち砕いていく設定になっている。こうした設定は作者の十八番であろう。

 ただ、面白いのは、深室賢治郎が婿養子として入った深室家の娘三弥と賢治郎との仲が、次第に互いを認めていく愛情に変わっていく姿が描かれていて、気の強い三弥が気の強いなりに賢治郎への想いを強めていくと同時に、賢治郎も三弥への愛情を感じ始めていく展開がなされていくことと、賢治郎の兄が保身と出世のために堀田正俊らに利用されて、弟の賢治郎の殺害を企てていくという展開で、将軍位を巡る兄弟の争いと、保身と出世のために弟の殺害を企てる暗殺が平行に描かれている点である。

 人間の醜さとほのぼのとした愛情の温かさが混在して物語が展開されるあたりは、現代の時代小説の面白さで、それが遺憾なく発揮されているのはさすがであると思う。

2013年10月17日木曜日

上田秀人『竜門の衛』(2)

 ひどい雨風と被害をもたらした大型の台風が去り、自然はそれを修復するかのように穏やかな日々を取り戻す。自然災害がもたらす被害の痕跡はいつも痛々しいが、「その後の静けさ」は人の悲しみを吸い上げる気がする。街路樹の銀杏の葉が強風でだいぶ吹き飛ばされたが、これからまた残された葉が次第に秋の装いを見せてくれるだろう。

 さて、上田秀人『竜門の衛』(2001年 徳間文庫)の続きであるが、権力を掌握して安泰を図りたい老中松平乗邑らの画策によって南町奉行から寺社奉行にされ、表向きは出世という形をとられながらの左遷を受けた大岡越前守は、家臣とした主人公の三田村元八郎を将軍継嗣問題の鍵となる京都へ送る。そして東海道を京都へと上っていく三田村元八郎を松平乗邑が放つ刺客が襲う。そこに柳橋の芸者の「伽羅」が現れたりする。この柳橋芸者の「伽羅」の正体は最後まで明らかにはされないが、彼女が将軍吉宗のお庭番であることが推測できるような展開になっており、元八郎は刺客との死闘の中で「伽羅」に助けられたりしながら京都へたどり着くのである。このあたりの展開は、道中記の展開となっており、時代小説ではよくあるパターンではあるが、剣劇の緊迫感がみなぎっている。

 京都では、将軍宣下を巡る争いが展開されることになり、公家による勢力争いが、例によって陰湿に展開されることになる。将軍後継者の問題を利用し、幕閣の老中首座松平乗邑と手を結んで勢力拡大を図る五摂家(鎌倉時代に藤原氏の嫡流として公家の家格の頂点に位置するものとして成立した近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の五家)の筆頭である近衛家の内前(うちさき)、さらなる出世を熱望する武家伝奏(徳川幕府と朝廷との連絡をする公家)の柳原弾正尹光綱(だんじょういんみつつな)、などが陰謀を張り巡らし、情報を捻じ曲げたり制限したりして桜町天皇を操作しようとしていく。

 そして、松平乗邑や近衛内前が放つ刺客との死闘が三田村元八郎や「伽羅」との間で展開され、元八郎が傷を負ったり、「伽羅」が切られて死線をさまよったりする出来事が展開される。

 その中で、娘を徳川家重に嫁がせた伏見宮貞建(ふしみのみやさだたけ)が三田村元八郎を助ける人物として登場し、私欲なく天皇を守り、家重が言葉をきちんとしゃべることはできないが聡明で優しさや思いやりをもった将軍にふさわしい人物として立てて、事柄を収めていくさっそうとした人物として描かれていく。

 そして、松平乗邑や近衛内前、柳原弾正尹光綱の思惑はことごとく三田村元八郎と伏見宮貞建によって打ち破られていくのである。最後に、近衛内前の家臣であった示現流の達人との剣客としての死闘が展開されるし、実は、三田村元八郎の妹が徳川吉宗の孫であるというどんでん返しの仕掛けがなされている。そして、三田村元八郎と「伽羅」が結ばれて、公儀御庭番となったことが暗示されて終わる。

 こうした政争の展開の中で、死闘に次ぐ死闘が展開されて、物語が急流を下るように展開されるのだが、元八郎と「伽羅」の恋や市井に生きる人々の公家に対する皮肉なども挟んでいるので、「おもしろさ」が倍加するようになっている。

 時代小説の典型的なパターンやありきたりのところもあるのだが、文章の歯切れの良さがあって、剣劇時代小説の面白さが満載されていることは間違いない。改めて、上田秀人という作家はこういう小説を書いてデビューしていったのかと思った作品でもある。

2013年10月14日月曜日

上田秀人『竜門の衛』(1)

 穏やかな秋晴れになった。今日は一切の仕事をお休みしてゆっくりしようと思っていたが、明日の講義の準備などがあるなあと思うと、つい、朝からパソコンを開いていた。貧乏性というか、暇人というか、結局いつもと変わらない月曜日になった。

 週末にかけて、上田秀人『竜門の衛(りゅうもんのえい)』(2001年 徳間文庫)を読んだ。作者は、1997年に『身代わり吉右衛門』が第20回小説クラブ新人賞佳作に入選して作家デビューをし、本書が初の書き下ろし長編時代小説である。本書は一話完結で書かれているが、おそらく好評だったからであろうが、後に主人公の名前をつけて「三田村元八郎シリーズ」としてシリーズ化され、第二作以降は『狐狼剣』(2002年)、『無影剣』(2002年)、『波濤剣』(2003年)、『風雅剣』(2004年)、『蜻蛉剣』(2005年)といういささか無骨な表題がつけられている。

 ただ、この『竜門の衛』という表題は、なかなか含蓄のある表題で、「竜門」というのは「登竜門」というよく使われる言葉が示すように、元々は中国の黄河流域の山岳地帯にある場所で、山がせり出して険しく、魚もここを登れば竜になると言われるような「狭き門」を指しており、中国の天子(皇帝や王)が自らの権勢を好んで竜になぞらえたことから、「竜門」は天子の王城の門を意味するものでもあった。「衛」は「まもる」という意味であるから「竜門の衛」は「天子の王城を護る」ということを意味するのである。

 江戸時代の初期、徳川家康と二代将軍徳川秀忠は、慶長20年(1615年)に「琴中並公家諸法度」を制定して、天皇と公家の行動を厳しく制約した。江戸時代全期間を通じて、この法律は一度も改定されずに、天皇の権限を幕府の下に置いてきた。元々、将軍位というものは天皇から付与されるものであったが、これによって江戸幕府は公家の上部に位置するものとなったのである。歴代の天皇は、たとえば後水尾天皇などはこうした幕府の態度に強く反発したが、結局は幕府の統制下に置かれた。だが、公家の不満はくすぶり続け、幕府とのあいだの緊張関係が常にあったのである。

 『竜門の衛』という本書の表題は、こうした江戸幕府と天皇や公家たちとの緊張関係を示しているのである。もっとも、本書では「竜門」というのが、「天子の王城」だけでなく徳川幕府の将軍位も指し、江戸南町奉行所同心に過ぎない主人公の三田村元八郎が、その両方を護っていくという設定になり、元八郎の家族の秘密や彼の恋が絡んで面白い展開になっている。また、また、三田村元八郎は、同僚の同心仲間たちからは少し浮いた存在であるが、宝蔵院一刀流という一子相伝の秘剣を伝授されたものとして、権力を掌中に握ろうとする者たちが放つ刺客たちとの死闘を繰り返していく。だから、政治抗争あり、剣劇ありの硬派のエンターテイメント性が満載の作品になっている。もちろん、恋もあるし、物語のどんでん返しもある。

 物語は、第8代将軍徳川吉宗の治世の後期、南町奉行所定町廻り同心の三田村元八郎が、すれ違った「伽羅(から)」という柳橋芸者から父親の家が危険にさらされているということを告げられるところから始まる。それを告げた「伽羅」に不可思議なものを感じるが、彼が急いで一親の隠居所に駆けつけてみると、その言葉通り、賊が父親を囲んで斬り合っているところだった。元八郎の父親の順斎は、元南町奉行所隠密廻り同心で、家督を息子に譲って隠居していたのである。この父親の家がなぜ賊に襲われたのかの謎は、物語のずっと後の結末部分で明らかになるというミステリー仕立ての構成になっている。

 それはともかく、一応は賊の襲撃は撃退し、三田村元八郎は、彼の片腕として働く岡っ引きの貞五郎らと凶悪な押し込み強盗などを捕縛したりしていく。貞五郎は相撲取り上がりの巨漢で、元八郎から生きる道を与えられて、彼のためには命さえ惜しまないほど元八郎に惚れ込んでいるし、元八郎も貞五郎やその妻への配慮も欠かさない。元八郎はそういう人物なのである。

 その元八郎の上司は、大岡越前守忠相である。奉行所内では孤立しがちな元八郎を大岡越前守忠相は目をかけていく。そうしているうちに風呂屋(蒸し風呂)で元八郎は芸者の「伽羅」と会い、「伽羅」から彼に賄賂を贈ろうとしている出入りの「出雲屋」という店の主が、元八郎の父親の襲撃に絡んでいるという話を聞く。そこで「出雲屋」を探ってみると、疑わしいところが山ほど出てくるのである。「出雲屋」の手代は行くへ不明であり、昔から勤めていた者たちは全て辞めさせられ、商売もしていないのに金があるようなのである。その探索の途中で、元八郎は、示現流の達人の菊池主馬之助と名乗る侍に襲われ、かろうじて難を逃れたりもする。

 元八郎の父親の順斎は、襲撃されたことの裏には、将軍吉宗の落胤をめぐって起こった「天一坊事件」(1729年)に関係があるかもしれないと語る。彼は大岡越前守忠相から密かに密命を受けて、吉宗のご落胤を探し出したというのである。そして、捕縛されて死罪となった天一坊改行は、実は、騙り(偽物)で、本物のご落胤である改行は密かに殺されていたと告げる。そのことを知っているのは大岡越前守忠相と順斎だけだから、その事件に関連して自分が狙われたのではないかと言うのである。

 この辺りの作者の仕掛けは実に巧妙で、歴史的には大岡越前守忠相は「天一坊事件」には一切関係がなく、後の講談や歌舞伎の中で『大岡政談』として取り入れられたに過ぎないとされているが、大岡忠相が南町奉行になったのは1717年で、以後1736年まで町奉行職にあり、「天一坊事件」は彼の任期中の出来事である。だから、大岡越前守忠相が密かに隠密を派遣したという設定は無理がなさそうにも見えるのである。もっとも、奉行所同心が江戸の町から出ることはなく、奉行の命を直接受けて働く隠密廻り同心であっても、順斎が紀州にまで出向いて真相を探るというのはありえないかもしれない。だが、そうした歴史的な齟齬を弾き飛ばすほど物語は面白く進んでいき、このことがパズルの一片のように働く仕掛けになっているのである。

 三田村元八郎は、不審に思った「出雲屋」を見張り、「出雲屋」が旗本の松平竹之丞と繋がり、松平竹之丞が老中の松平乗邑(のりさと 16861746年)に繋がっていることがわかっていく。

 松平乗邑は、後に吉宗の後の将軍位後継問題で、幼少の頃に病を得て言葉が不自由になった継子の徳川家重ではなく、聡明と謳われた次男の宗武(田安家として別家を建てられた)を将軍に擁立しようとして失敗し、1945年に家重が第9代将軍に就任するときに老中を解任されて隠居を命じられている。彼は大岡越前守忠相と反目し、老中職にあるときはことさら忠相を無視して、今で言う「いじめ」を行っている。

 だから、彼の名前が出てくれば、物語が将軍の後継問題をめぐる政争に発展することが予測され、本書では、継子である家重が吉宗の名代として増上寺に参詣する際に、家重を害する計画を、彼の意を受けて「出雲屋」が実行しようとするという展開になっていく。そして、そのことを察した三田村元八郎が「出雲屋」の計略を阻止していく展開となる。

 そして、元八郎の働きで「出雲屋」の計略が発覚し、家重の参詣は滞りなく行わわれるが、「出雲屋」はいち早く霧散してしまうのである。

 計略が失敗した松平乗邑は、大岡越前守を江戸町奉行から罷免させようとする。だが、こうした裏の事情を知った徳川吉宗は、大岡越前守を町奉行から寺社奉行へと移し、将軍位継承問題に絡んで起こってくる京都の天皇家との確執問題に当たらせるのである。

 このとき、なるほどと思ったのは、寺社奉行となった大岡越前守は松平乗邑をはじめとする幕閣から「いじめ」を受けるが、大岡越前守がその「いじめ」の中を平然と、坦々として過ごしていく姿が描かれている点である。こうしたところが本作の心憎いところでもある。

 そして、大岡越前守は、孤立してはいるが優れた働きをする三田村元八郎を町奉行所から引き抜いて、自分の部下とし、彼を将軍継承問題の裏で行われている天皇と公家を巻き込んだ工作の真相究明のために京都へ派遣するのである。将軍宣下をするのは天皇であり、松平乗邑は、吉宗の次男の宗武に将軍宣下がなされるように画策していたのである。

 こうして物語は、東海道から京都へと移っていく。その後の展開については、次回に記すことにする。最近は、なかなか一回でまとめることができずにいるが、これを記す時間があまりなくて、それもやむを得ないと思っている。

2013年8月12日月曜日

上田秀人『お髷番承り候 潜謀の影』

 猛烈に激しい暑さが続いている。こう暑い日が続くと、身体が参ってしまい、この夏は、もうどこかに出かける気力も湧いてこないが、日々の暮らしの営みがあるだけに、そうも言ってられないところもある。これがいつも少々「しんどい」ことではある。

 読書の方もこのところ軽く読めるものばかりを読んでいるが、上田秀人『お髷番承り候一 潜謀の影』(2010年 徳間文庫)を気楽に読んだ。これは徳川将軍の小姓(身の回りの世話をする)のうちの髷の世話をする「お髷番(月代御髪番―さかやきおぐしばん―)」が4代将軍徳川家綱の密命を帯びて活躍していく物語で、初めからシリーズ化が計画されているものの第1作目の作品である。「お髷番」というのは、まあ、将軍専用の床屋のようなものだが、将軍のそば近くにいて、唯一将軍の身体に刃物を当てることがゆるされた者であるとされ、それだけに信頼されて密命を帯びていくという設定である。こういう係りが実際にあったかどうかは定かではないが、将軍の身の回りの世話をする小姓は臣下の旗本の出世街道の一つではあった。

 主人公の深室賢治郎(みむろ けんじろう)は、松平の姓をもつ譜代の旗本の妾腹の子であったが、幼い頃に4代将軍となる徳川家綱の遊び相手となる「お花畑番」であり、通常はそこから小姓、側役と出世していくはずのところ、家督を継いだ兄の悋気で役を退かされ、格下の深室家に婿養子に出されていた。婿養子といってもまだ幼く、深室家の娘の三弥との婚儀をしたわけではなく、深室家でも肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。

 徳川家綱は、父の3代将軍徳川家光の死去に伴ってわずか11歳(満10歳)で将軍位を継いだが、彼が幼い頃は家光時代の、いわゆる寛永の賢老といわれる名臣たちの補佐があり、その頃は政務を老中たちに任せて「左様せい」と決済するだけだったことから「左様せい将軍」とも言われ、脳に障害があったのではないかとか、色々言われたりしたが、温厚で文化や学問に対しての趣向や後半の治世などを見ると、江戸幕府が武断政治から文治政治へと切り替わろうとするときに、それをうまく乗り切った人物であるといえる気がする。ただ、彼はあまり身体が丈夫ではなく、病弱で、30代の半ばまで男子が生まれず、そのために幕府内で後継者をめぐる暗躍が行われた。享年40で死去し、実は彼によって徳川家の直系は途絶えている。

 本書は、その家綱の治世の後半が時代として設定されており、老中が幅を利かせている幕府内で、なんとかして信頼できて自分の手足となってくれる人物を欲した家綱が、かつての「お花畑番」として寵愛した深室賢治郎を「お髷番」として登用し、彼に密命を与えていくという筋書きである。

 事柄の発端は、3代将軍家光の死去と共に起こった「慶安の変(由井正雪の乱)」の裏側に紀州徳川家の徳川頼宣がいるのではないかということで、頼宣を江戸留置にしていたのだが、その頼宣が紀州に国帰りを求めたことに始まる。その際、「我らも源氏でございます」という謎の言葉を頼宣が語り、その言葉の真意を深室賢治郎に探らせるというのである。たがてそれが将軍の後継をめぐる陰謀に繋がっていくことが明らかになっていく。

 家綱が病弱で子がなかったために、そのころ、将軍位を巡って尾張徳川家、紀州徳川家の御三家はもちろん、家綱の兄弟である甲府藩主の徳川家綱、館林藩主である徳川綱吉などが将軍候補としてあげられ、それぞれが対立する状況にあったのである。

 本書の中で面白い歴史解釈として、家光の乳母で大奥を作った春日局が、実は家康とのあいだに子を為していたことと「慶安の変」で紀州徳川家の名前が使われたのは、徳川頼宣を排除するための策謀であったが、これを察知した松平伊豆守信綱があえて頼宣を江戸留置とすることで、春日局の流れを組む甲府徳川家の策謀を阻止しようとしたとされているところである。もちろん、その歴史的な確証はなく、作者の解釈である。「慶安の変」をそういう解釈で展開するのはなかなか面白い。

 物語の中で、「お髷番」となった深室賢治郎は命を狙われていく。それは、家綱の暗殺などを企む者たちのしわざであり、小太刀の業を身につけた深室賢治郎はこれとの対決を余儀なくされていく。

 物語は、密命を負わされた青年武士、権力者たちの暗躍、刺客たちとの死闘、それに加えて男女の恋や愛情など、作者のほかの作品と同じような構成をとっていて、格別新しいものではないが、文章のテンポもあって一気に読ませるものになっている。気楽に、気ままに読むにはちょうどいいような気がする。

2013年7月22日月曜日

上田秀人『孤闘 立花宗茂』

 暑さが和らいでどんよりと曇っている。参議院議員選挙も大方の予想通り自民党の圧勝で、今回はどの政党の主張も現象の上滑りで、政治思想の貧困しか感じることができなかったので、こういう結果になったのかもしれない。民主政治を愚民政治といったのはプラトンだったような気もするが、今のところは、まあ、これが比較的良い政治形態であるだけに、政治家というならもう少し現象の背後にあるものを熟慮する思想を深めてもらいたい気がする。

 昨夜は、選挙速報を聞きながら、上田秀人『孤闘 立花宗茂』(2009年 中央公論新社 2012年 中公文庫)を読んでいた。この作品は表題にあるとおり、極めて優れた戦国武将で江戸時代初期まで生涯をまっとうした柳河(柳川)藩の立花宗茂(15671643年)を描いた作品で、作者が彼を「孤闘」として描いたところに、作者の彼に対する思い入れがよく表れている。本書は第16回中山義秀文学賞の受賞作品である。

 以前(2012年3月)に、立花宗茂を描いた葉室麟『無双の花』(2012年 文藝春秋社)を大きな感銘を受けながら読んだが、大筋においては変わらないとは言え、上田秀人が描いたものは、それとは若干異なった立花宗茂像で描かれている。発表年から言えば、上田英人の方が先に出版されている。

 立花宗茂の生涯については、その『無双の花』を読んだときに記しているので、ここでは詳細に触れないが、上田秀人は葉室麟とは異なって、立花道雪の養子となり、道雪の娘の誾千代(ぎんちよ)と結婚した宗茂と誾千代が長い間お互いを理解することができない不仲であったことを宗茂の重要な要素として記している。もちろん、上田秀人が描く立花宗茂も最後には誾千代との間に深い理解を得て行くことになるが、葉室麟の方は、言動とは別に誾千代が初めから宗茂に対して深い理解をもっており、お互いに深い信頼と愛情で結ばれていたものとして描かれている。

 個人的には、上田秀人の方が史実に近いような気もするが、好みから言えば、葉室麟が描く宗茂と誾千代の方がいいとは思う。上田秀人は、優れた戦略家であった岳父の立花道雪と男勝りで父親を尊敬していた誾千代の中に婿養子として置かれた立花宗茂の孤独を描き、これはこれでまた意味の深いことではある。

 もう一つ、多分作者が意図的に描いたことではあると思うが、肥後の佐々成政の下で起こった領民の反乱を見事に立花宗茂が鎮めたことを賞して、豊臣秀吉が宗茂に従四位侍従に叙任しようとしたとき、「ありがたき仰せなれど、主筋の大友義統が従五位であるからには、それを超えるのは筋ではございませぬ」と断ったと言われているエピソードを、宗茂が自分を馬鹿にする誾千代を見返すために自ら望んだと作者は展開する。

 恐らくそれは、立花宗茂が置かれた孤独と、彼がその孤独な闘いを行う姿を示すために、敢えてそうしたこととしたのでは思う。上に立つ者はいつも孤独である。宗茂は「功を誇らず」の人であったが、作者は豊臣秀吉と同じように「成り上がらざるを得なかった人間」として、立花宗茂を捕らえているのだろう。

 物語は、秀吉の朝鮮出兵以後は一気に進んで、関ヶ原の合戦からは短くその後の展開が紹介されるだけだが、わたしは個人的には、西軍についたということで所領を没収され、浪人生活を余儀なくされて苦労し、やがて再び、徳川家康によってゆるされ、柳河藩主として戻って家を再興していく時の立花宗茂についてもう少し展開して欲しい気がした。闘いの孤独は、人は誰でも経験するが、平和時の孤独は、闘いの孤独よりも深いからである。

 ともあれ、立花宗茂は優れた人間であり、彼の生涯を「孤闘」として描いた本書は、歴史小説として面白いものだった。

2013年5月1日水曜日

上田秀人『継承 奥祐筆秘帳』


 「目に青葉」と歌われた皐月を迎えた。五月晴れとはいかず、どこか肌寒い日になっている。今年は暖かい日がなかなか少ないが、それでも新緑の美しさには心が和む。こういう中で、わたしは不思議に、何かをすることよりもしないことを選択していたいと、つくづく思ったりする。

 閑話休題。上田秀人『継承 奥祐筆秘帳』(2009年 講談社文庫)を面白く読む。これは、このシリーズの4作品目の作品で、ここに記しているだけでも、これまで3作目の『浸食』(2008年 講談社文庫)、7作品目の『隠密』(2010年 講談社文庫)、8作品目の『刃傷』(2011年 講談社文庫)を読んできていた。

 前作の『浸食』では、第11代将軍徳川家斉の暗殺未遂事件が展開され、将軍である我が子を暗殺してまで将軍位を自分のものにしようとする一橋治済と先の老中松平定信の暗闘、そして家斉自身の葛藤などに巻き込まれていく主人公の奥祐筆立花併右衛門と彼を護衛する剣士の柊衛悟の姿が描かれていた。

 本作では、尾張徳川家に養子に出した四男の敬之助が急死した(わずか2歳で急死)ために後継者を失った尾張徳川家の思惑と、尾張藩の付家老で譜代大名へと返り咲きを狙う成瀬正典の画策、それに将軍継承問題で画策して老中内で実権を握ろうとする太田資愛(すけよし)の暗躍が展開され、それに相変わらず将軍位を狙っている一橋治済の策略が加わり、それぞれの意を受けた刺客たちと柊衛悟の闘いが描かれていく。

 「オットセイ将軍」と言われたほど多くの側室をもった徳川家斉は、側室「お万の方」との間に生まれた長男竹千代をわずか1歳にならない前に失い(1793年)、この年に「お楽の方」との間に生まれた次男の敏次郎(第12代将軍家重 17931853年)を継嗣としていた。次の年に「お梅の方」との間に生まれた三男は夭逝し、「お歌の方」との間に生まれた四男の敬之助を尾張徳川家の養子としていたのである。この敬之助が急死し、この時点で(1797年)で残っている男子は、継嗣である次男の敏次郎と、正室として迎えた薩摩藩主島津重豪の娘の「茂姫(広大院)との間に生まれた五男の敦之助(17961799年)の二人だけであった。

 いくらなんでも正室との間に生まれた敦之助を養子に出すわけにも行かず、継嗣の敏次郎を廃嫡として、これを尾張徳川家の養子として出し、敦之助を継嗣とするという思惑が蠢き、その中での権力闘争が繰り広げられていくのである。一橋治済は、生まれてくる男子を皆殺しにして、御三卿の筆頭である一橋家の当主として自分が将軍位につくことを狙っている。

 そんな中で、駿府で家康の書付が発見された。その書付は、尾張徳川家が誕生した際に家康が尾張徳川家に付家老として付けた成瀬義直の役目が終われば譜代に戻すという約定を記したものだった。そして、奥祐筆組頭として立花併右衛門がその書付の真贋の判定のために駿府にやられることになる。この機に全てを知って目の上の瘤となっている立花併右衛門を殺そうとする太田資愛は刺客を放ち、また、自分の地位保全と譜代への返り咲きを狙う成瀬正典も書付を奪おうと刺客を放つ。朝廷側の復権を画策する覚蝉も一橋治済も、将軍家斉のお庭番もそれを探り出そうと暗躍する。

 立花併右衛門は、娘の瑞紀を守るために、柊衛悟を残してひとり駿府に向かうが、娘の瑞紀は衛悟に父を守ってくれるように頼み、柊衛悟も瑞紀の依頼を受けて、立花併右衛門を守るために駿府へ向かう。その帰路、併右衛門は、やはり襲われ、危機を迎えるが、駆けつけた柊衛悟によって助けられる。

 他方、老中は、いまさら尾張の付家老を譜代に戻すことなど考えられないとして、その書付を闇に葬ることを決めていくのである。

 こういう物語が本書で展開されて、緊張感あふれるストリーが展開されるのだが、本書を読みながら、登場人物たち、特に権力を持つ者たちがあまりに権力に固執し、強欲であるように描かれすぎているような気がしないでもなかった。もちろん、それぞれの立場でそれぞれの論理をもって彼らの権力欲が描かれているのだから、それは作品に緊張感を生み出して面白くなるのだが、歴史や人間の評価というものは様々で多様であるから、その点が少し考慮されれば、さらに奥行きのある作品になっているのではないかと思ったりする。しかしながら、面白いという点では実に面白い。シリーズものとしてまだ継続されているので、このあとの展開がどうなるか、期待されるところである。

2013年4月19日金曜日

上田秀人『隠密 奥祐筆秘帳』


 今日あたりからまた気温が低くなるそうで、曇って、今にも雨が降りだしそうな気配がする。このところ風で埃が舞い上がっていたので一雨きて欲しいが、寒いのは嫌だな、と我儘に思う。

 昨日は、いくつかの下調べをしていて、ふと気がついたら夜の8時を回っているという時間の過ごし方をしていたが、夜、上田秀人『隠密 奥祐筆秘帳』(2010年 講談社文庫)を一気に読んだ。

 これは、このシリーズの七作品目で、以前、これに続く第八作目の『刃傷 奥祐筆秘帳』(2011年 講談社文庫)を読んで、ここにも記していた。ちょっと調べてみたら、2012年8月13日だったから、およそ八ヶ月ぶりにさかのぼって読んだことになる。

 このシリーズは、第十一代将軍徳川家斉の時代(在位 17871837年)の幕府の公文書を取り扱う奥祐筆と彼の身を守る剣士を主人公にして、権力を巡る争いを描いたもので、それぞれの権力者たちの暗躍ぶりが描き出されている。

 本作では、先の老中松平定信が奥祐筆組頭の立花併右衛門の力を取り込もうとして、娘の瑞紀に自分の縁者との縁談を持込、断られた腹いせに、縁談相手の旗本が瑞紀を拐かすという愚挙に出たところから始まっていく。併右衛門は、拐かした旗本の家譜を調べて、拐かされた場所を突き止め、護衛役の柊衛悟と共に娘の奪還に向かい、娘を無事に救出することができた。そして、その裏にいた松平定信に釘を刺すのである。

 松平定信は拐かした旗本を当然のようにして見捨てていく。そして、将軍家斉から、将軍毒殺未遂事件があったことを聞き、今度はその事件についての裏事情を知るために、奥祐筆組頭の立花併右衛門を使うことにしたのである。家斉毒殺未遂事件には、家斉の父で権力欲の塊であるような一橋治済の画策があり、そこに大奥と大奥を護衛する伊賀者の暗躍もあった(このあたりは、シリーズの三作品目『侵食 奥祐筆秘帳』で語られている)。

 奥祐筆に調べられては困る伊賀者は、立花併右衛門の命を狙うようになり、併右衛門の護衛をしている柊衛悟との戦いが展開される。

 他方、一橋治済は、相変わらず甲賀者を使っての暗躍を行うし、将軍家斉は家斉で公儀お庭番を使い、それぞれが奥祐筆を利用できるあいだは利用し、用がなくなれば知りすぎた立花併右衛門の命を狙うのである。だから、護衛の柊衛悟は多方面の敵から併右衛門を守らなければならない局面に立たされていく。

 また、朝廷側は寛永寺塔頭を通して、権力を徳川幕府から奪う画策を続けており、その責任者である「覚蝉」は、幕府内に朝廷の意向を入れる画策のために、公武合体説を持ち出しながら松平定信と手を結び、定信が望むように僧兵を使って奥祐筆の立花併右衛門の暗殺をすると申し出るのである。

 立花併右衛門は、右を見ても左を見ても自分の命を狙う敵ばかりの四面楚歌の状態になるのだが、柊衛悟とともにその難局を乗り切ろうとしていくのである。併右衛門の娘の瑞紀は衛悟に想いを寄せており、父親として併右衛門は娘の想いを遂げさせてやりたいと思って、ついに、柊家に衛悟を婿養子にしたいと申し出るようになる。

 暗躍と激闘に次ぐ激闘という形で物語が展開される中で、衛悟と瑞紀の恋が大いなる清涼剤として働き、権力争いの醜さだけではなく、それぞれの立場での思いが描かれるので、一気に読ませるものとなっているのである。

 もちろんこれは、歴史の裏舞台を通してのエンターテイメント作品であるが、優秀な官僚としての苦慮がよく描かれており、使われる人間の哀しさもよく伝わる作品になっている。その意味では、時代小説としての定形のようなものではあるが、奥祐筆というところに着眼した作者の眼力はなかなかのものだと思っている。

2012年12月26日水曜日

上田秀人『斬馬衆お止め記 破矛』


 24日のクリスマスイブの夜あたりから少し喉の痛みを感じて、万全の体調ではないが、年内に片づけておかなければならないことがいくつかあって、仕事に励む日々になっている。今年も、考えていた事は僅かしかできなかったなあ、と思ったりする。このところ日常生活のあれこれがおざなりになり、書斎の机の上は、ものの見事に散乱状態で、机上が散乱すると思考も散乱する。

それでも、昨日は少し仕事の手を休めて、ゆっくりと上田秀人『斬馬衆お止め記 破矛(はほう)』(2010年 徳間文庫)を読んだ。これは、信州上田藩の初代藩主となった真田信之(15661658年)と、なんとか真田家を取り潰そうとする幕府の幕閣との闘いを描き出したもので、具体的には、真田信之を守る先鋭として、「斬馬衆」というあまり聞かない役割である仁旗伊織と、「神祇衆(しんぎしゅう)」と呼ばれる歩き巫女で真田家の忍びとして活躍する霞とが、幕閣から送り出される伊賀者や軍団と対決していく姿をとおして描かれていく。

よく知られているように、信濃の上田にいた真田昌幸は、真田家の生き残りのための苦渋の選択として次男の幸村と共に西軍につき、長男である真田信之(15661658年)は徳川家康の東軍についた。真田信之の妻は、家康の重臣中の重臣であった本田忠勝の娘で、家康が彼女を養女として嫁がせたもので、家康は信之を親類として取り込もうとするほど真田家を恐れていたとも言える。真田家は北条の大軍にも徳川秀忠の大軍にも破れなかったのであり、昌幸は智将、策将で名を馳せていた。

大阪夏の陣の際には、それが負け戦になると承知の上で大阪方についた幸村は、稀代の武将ぶりを発揮して徳川家康に肉薄し、あわや家康の首を取る寸前にまで家康を追い詰めたこともあったが、そこで力尽き倒れた。信之は大坂の陣の際には病気のために参戦しなかったが、長男の信吉と次男の信政が代理として参戦した。

関ヶ原の合戦の際、信濃路を通って家康と合流しようとした徳川秀忠(2代将軍)の三万余に及ぶ大軍を、わずか三千ほどの手勢で足止めさせた真田昌幸の戦いぶりはよく知られていて、そのために秀忠が合戦に遅れを取るという失態にまで至ったが、大坂の陣後にその恨みもあってからか、また、豊臣方についた弟の幸村に幕府軍がさんざん苦しめられたこともあってか、秀忠は、加増という名目で真田家を上田から松代に移封した。信之は秀忠に恐れられて睨まれることを避けるために幕府の公用を献身的に努めたが、真田家への幕閣の嫌がらせは執拗に続いた。

本書は、家康から破格の寵愛を受けて(家康の落胤という説もあり、本書はその説を採用している)秀忠の側近となり、ついには老中として絶大な権力をもった土井利勝(大炊守 15731644年)が、関ヶ原の戦いの際に秀忠とともに真田家に煮え湯を飲まされ、何とかしてその報復をして真田家を取り潰そうと様々な画策をすることに対して、真田信之がそれを阻止しようと苦慮する展開となっている。おそらく、前作では、酒井忠世(雅楽守 15721636年)が行う真田家取り潰し策との対決が描かれているのではないかと思われる。

真田家が江戸幕府初期の幕閣内で厳しい状況に置かれていたのはよく知られており、真田家の命運はすべて信之の肩にかっかっており、それだけに信之は苦慮していくが、昌幸の子であり、幸村の兄だけあって、知力も胆力も十分に持ち合わせた人物であった。

作者は、その真田信之を具体的な攻撃から守る人物として、「斬馬刀」という戦場で馬の前足を切り落とすほどの長さと剛を備えた剛刀の使い手である仁旗伊織と忍びの術を心得た霞(「神祇衆と呼ばれる」を登場させ、土井利勝によって次々と放たれる伊賀者のとの対決を展開するし、江戸城御殿坊主を刺客として描き出す。

真田信之を守ろうとする仁旗伊織と霞が土井利勝から次々と放たれる刺客と対決していく緊迫した場面が次々と描かれ、剣技と策略の応酬の中で、信之が持っていた胆力が示されたりする。

真田家は、上田から松代に移封された際に、幕閣の真田家分裂策として信之の長男の信吉が沼田城主として三万石の分領となっていたが、四十歳で死去(本作では、幕府の真田家への仕打ちを知って自殺とされている)し、信吉の子の熊之助が幼くして後を継いだために信之は後見人とされた。本作では、その信吉の死にまつわる秘密があるのではないかと疑い、それを理由に真田家の力をそごうとする土井利勝の執念が燃える展開になっている。

なお、沼田では熊之助も夭折し、信吉の次男の信利が後を継いだが、本藩である松代藩の後継をめぐってのお家騒動に発展していく。松代藩では、信之が隠居して次男の信政が2代目藩主となったが、藩主となってわずか2年で病死し、その跡目をめぐる争いになったのである。だが、松平信綱(伊豆守)などの尽力を得て、ようやく信政の子の幸道の相続が認められた。しかし、その時、幸道はまだ2歳で、幕府は後見として隠居した信之を指定し、信之は老体に鞭打って藩政に携わらなければならなかった。その後も、心身ともに消耗させるような骨肉の争いが続いて、真田家存続のための信之の苦労は並大抵ではなかったのである。

本書の結末として、「神祇衆」の霞も腕の筋を切られて、もはや真田忍びとしての働きができなくなるし、伊織の妻として送り込まれる女性が幕府の「草(その土地に根を下ろして内情を探る)」などであることが記されて、その後の真田家と幕府の確執を暗示するものとなっているが、最後に、その真田家の顛末が記されている。

それが記されているということは「斬馬衆」という特異な役割を負う人物を通しての真田家と幕府の確執の物語は、これで終わるということであろう。

いずれにしても、作者の作品は、いずれも独特の緊迫感がある。それは闘いが中心に描かれるからであるが、その中での人間観がしっかりしているので、作品に幅と面白みがあると思う。剣劇小説以上のものがあるのは確かである。

図書館が年末年始のお休みに入るだろうから、その前には行こうと思っている。すべてを趣味にして、「好きだから行う」、これがわたしの生活原理で、今年はお正月にどこにも出かける予定がないので、読書に浸りたい。