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2013年12月16日月曜日

千野隆司『寺侍 市之丞』

 冬晴れの寒い日々が続いている。つい先ごろ、この5日に死去された南アフリカの元大統領であったネルソン・マンデラ氏のことを考えていて、その自伝に「憎むことではなく、愛することを学ぶ」という言葉があり、また、8日に放映されたNHK大河ドラマの『八重の桜』で、新島襄の後を受けて同志社の総長代理を務めた山本覚馬が同志社の卒業生を前にしての最後のメッセージとして、旧約聖書の『イザヤ書』を引用して、「もはや戦うことを学ばない」と語る場面があった。日清戦争が始まろうとしていた直前のことである。もちろん、NHKの大河ドラマの方は少し脚色があるだろう。

 しかし、この二つを重ね合わせて、「もう争うことや戦うことを学ぶのではなく、愛することを学んで生きる」ということがいたく心に残った。真実の愛というものは、愛以外の手段を取らないのだから、「愛するために戦う」というのは詭弁に過ぎないが、それでも、人は生存のための様々な戦いに遭遇する。争いや戦いを強いられることもあるだろう。だが、「もう戦うことを学ばない」で、自分の人生を「愛することを学ぶ人生」にしていく。そんなことを少し考えていた。そこでの「愛」は、やはり「忍耐」となる。真に「愛は忍耐」なのである。人の自由を認めることは、忍耐のいる仕事である。

 そんなことを考えながら、千野隆司『寺侍 市之丞』(2011年 光文社文庫)を気楽に読んだ。千野隆司の作風は、初期の『札差市三郎の女房』(2000年 角川春樹事務所)から同心物を経て若干変わってきているように思うが、このところは彼の筆力の豊かさが発揮されてスラスラと流れるような展開でシリーズ化される作品が多い気がする。

 本書も、おそらくはシリーズ化が前提になったような作品であるが、寺に雇われる「寺侍」という変わった境遇の主人公の話で、どちらかといえば成功譚のような展開になっている。

 主人公の棚橋市之丞は、400石の旗本の次男で、両親と兄夫婦と同居する部屋住みの身分であるが、彼の母親が寺社奉行をしている福山藩主の阿部正精(あべ まさきよ)に奉公に上がっていたことがある関係で、阿部正精の依頼で下谷山伏町の青柳山大恩寺の再建に手を貸すようになる、という展開である。

 ちなみに、阿部正精は江戸時代後期の実在の人物で、1775年に生まれ、1826年に死去し、松平定信が行った寛政の改革の厳しさを嫌った徳川家斉によって幕府老中を務めた人で、彼が寺社奉行であったのは奏者番との兼務の形で1806年(文化3年)からで、その後病のために一時辞任するが、再任されて、1817年(文化14年)に老中となるまでの時期である。彼は、寛政の改革で冷え切った江戸の経済の再建のために尽力したと言われている。

 本書は、その阿部正精の経済再建策の一つとして、うらぶれかけている大恩寺を盛り立て、それによって門前町などの経済復興を棚橋市之丞が秘仏開帳などの興行を行って成し遂げようとするもので、現代の疲弊した地方経済の立て直しに奔走する姿に重なるようなものとしても描かれている。主人公の棚橋市之丞は、剣の免許皆伝の腕を持つ達人であるが、世の仕組みとしての経済に強く関心もあり、およそ武士らしくないところのあるどこかのんびりしたとぼけた性格の持ち主として描かれている。

 物語は、大恩寺の門前茶屋の娘で、長谷川国豊(歌川国豊をもじったものであろう)という絵師が錦絵に描いた美女(笠森お仙をもじったものであろう)が何者かに殺されるところから始まる。その美女のおかげで、大恩寺は人があふれるほどだったが、彼女の死後はさっぱりさびれていくのである。

 そこで、寺社奉行阿部正精の依頼を受けて棚橋市之丞が寺の再建に乗り出すことになるのだが、御開帳をして成功した寺と失敗した寺を調べ、成功に必要な策を講じていくのだが、その復興を妨げる者たちが現れてくる。茶屋の看板娘を殺した者で、巧妙に権力を用いたり、刺客を放ったりしていく。復興策と殺人事件の解決が交錯していく。また、そこには阿部正精の台頭を喜ばない幕閣が加わって行ったりする。

 物語の結論から言えば、大恩寺の御開帳事業は見事に成功して、殺人事件も解決されていくのだが、本書が、たとえば山本一力などが描く事業成功譚と異なっているのは、主人公に力みがないように、その恋を間に挟んだり、大奥や芝居小屋などの人物たちが登場したりするように、工夫が凝らされている点である。その点で作者の持つ柔らかさが発揮されているとも言えるだろう。そして、力みのない成功譚は娯楽読み物としては面白いのである。

 しかし、なぜ時代小説で成功譚が書かれ、それが広く読まれるのかは、一考することが必要かもしれないとも思う。ニーチェ曰く、「功利主義(利を求めること)は奴隷の道徳である。」「利」の奴隷。それが現代人の姿でもある気がする。

2013年5月17日金曜日

千野隆司『命の女 槍の文蔵江戸草子』


 さわやかな碧空が広がって、昔、岡林信康が歌った「申し訳ないが気分がいい」というような天気である。一昔前なら「涼暮月」と呼んだのかもしれないと思ったりする。

 このところ社会学関連の書物を読んでいたが、その中で、ちょっと軽いものをと思って、千野隆司『命の女 槍の文蔵江戸草子』(2011年 学研M文庫)を読む。これはこのシリーズの三作品目で、前回(2012年8月10日)に一作目の『恋の辻占』を読んでいて、間に『残り蛍』という二作目があるが、その二作目はまだ読んでいない。

 シリーズの主人公である新見文蔵は、播磨の小藩の二十俵二人扶持という小禄の下級武士だが、槍術に長けた青年武士であり、料理の腕もあるという人物で、江戸勤番となって間がない田舎侍である。

 しかし、彼は情もあり、正義感もあり、純朴で、知り合った貧乏長屋に住む元掏摸で辻占売りをしながら健気に生きている「おけい」という娘や、小料理屋の息子で岡っ引きをしている丹治や、宝蔵院流の槍術の道場主である細沼長十郎とその出戻りの娘である早苗、そうした人々とのつながりの中で、なんとか江戸住まいを続けていくという設定になっている。

 本書には、「鶴渡る」、「命の女」、「雪の行列」の三作が連作の形で収められており、「鶴渡る」は、鶴の渡来にかけて、出奔してしまった因業な金貸しの息子が帰ってくるという展開になっている。

 「おけい」が住む長屋の大家であり、因業な金貸しでもある紅葉屋が金の取立ての帰りに辻斬りに会い、たまたまそこを通りかかった「おけい」の機転で傷を負っただけで済んだが、辻斬りの顔を見ているということで辻斬りに命を狙われるようになる。

 犯人の捕縛を急かされた岡っ引きの丹治は、頼りとする文蔵に助力を依頼し、辻斬りを捕縛するという展開だが、辻斬りに襲われた紅葉屋の夫婦は金が命のような夫婦で、かつては小料理屋をしていたことがあった。そして、息子が博打で借金を作り、その借金のために店を手放していたのである。その息子は勘当されて行くへがわからなくなっていた。しかし、そういう事情の中で、息子が板前の修行をして一人前になって帰ってくるのである。夫婦の因業な金貸しぶりは変わらないが、二人が希望をもったという展開になっている。

 第二話「命の女」は、派手で遊び好きの船宿の娘が、婚約が決まっても、役者のような顔立ちの男と遊び、ついには行くへがわからなくなるという話である。友人の家に遊びに行くといったまま帰らない娘を案じた兄が岡っ引きの丹治のところに相談に来る。丹治は文蔵の手を借り、また、「おけい」の手伝いで娘の行くへを探す。娘が二枚目の男と出会い茶屋(現:ラブホテルのようなもの)に行ったまではわかったがその先がわからない。

 文蔵たちがその男のことを調べてみると、それはとんでもない男で、娘をたぶらかして売り飛ばす計画をしていたのである。丹治は娘の居所を突き止めようとするが、男の仲間にさんざん痛めつけられてしまう。丹治はかつてその娘から弄ばれたことがあったが、娘に対する愛情は残っていたので、無理をする。そこに、文蔵たちが駆けつけて、男と仲間を捕らえ、娘を助け出すことができたのである。こうして、助けられた娘は無事に結婚する。まあ、丹治にとっては、どんな女であれ、惚れた女であり、「命の女」であるが、「遊び女」の典型でもあるだろう。

 第三話「雪の行列」は、宝蔵院流の槍術道場主である細沼長十郎のところに一人の男の子が預けられる。早苗が営む手習い所でもやんちゃな子であるが、上総の小藩の大名が女中奉公に来ている娘に手をつけて生まれた子であった。

 そして、その小藩の中で、後継者をめぐる跡目相続の争いが起こり、その男の子を担ぎ出して、藩政を牛耳ろうとするものと、そうはさせまいとする勢力の争いがあったのである。男の子の身辺は騒がしくなり、身を守るために細沼道場に預けられたのである。

 男の子の母親も宿下がりをしており、彼女も男の子も、侍として藩主の跡目を継ぐことなど考えてもいずに、商人になりたいと思っていた。そこで、事情を知った文蔵は、藩主にその旨を直接訴えるために駕籠訴をして、跡目相続騒ぎを収拾していくのである。

 こうして見ると、まあ、どれもお定まりの展開といえば言えなくもないが、登場人物たちのそれぞれ情があって、彼らの情が中心に展開されるので、気楽に読める一冊になっている。こういう作品は、たぶん、今の時代が求めている軽さのような気がしないでもないが。

2013年4月5日金曜日

千野隆司『夏越しの夜 蕎麦売り平次郎人情帖』


 週末はまた荒れた天気が予想されているが、昨日、今日と、春を感じる暖かい日になっている。昨日は、本当に久しぶりに吉祥寺まで出かけていった。駅の雑踏はともかく、少し行くと武蔵野の面影が色濃く残っていて、横浜とはまた違った風景が広がっていた。京王井の頭線は、昔から好きな路線だったが、これもいいと思ったし、数十年ぶりで留学時代の知人にも会うことができた。

 往復の電車の中で、千野隆司『夏越しの夜 蕎麦売り平次郎人情帖』(2010年 角川春樹事務所 時代小説文庫)をいい作品だと思いながら読んだ。これはシリーズ化されて、おそらくこの次作である『菊月の香 蕎麦売り平次郎人情帖』(2011年 角川春樹事務所 ハルキ(時代小説)文庫)を先に読んでいたので、遡って読むことになったのだが、短編連作の形式が取られているので、その時も面白いと思っていた。

 物語の主人公の菊園平次郎は、元南町奉行所定町廻り同心だったが、逆恨みした人間によって妻と娘を殺され、貧乏裏店に住みながら屋台の蕎麦売りをしている中年の男である。この平次郎が、同じ裏店に住む住人やふとしたことで関わりを持った人物が抱える事件や出来事に関係していく話で、本作には「覗き見夜鷹」、「芋飯の匂い」、「夏越しの夜」の三話が収められており、この中編三話形式というのも読み手にちょうどよくて、嬉しくさせる構成だと思う。

 「覗き見夜鷹」は、平次郎と同じ貧乏裏店に住み、夜鷹(安手の娼婦)をしている「おてつ」という女性の話で、「おてつ」は、夜鷹にしてはまだ若いが、体を売って金を貯め、その金を高利で貸してさらに金を貯めて、周囲の人々からは金の亡者のように言われている女性である。

 この「おてつ」が何者かに襲われる。「おてつ」が溜め込んでいる金が目当てかと思われたが、どうもそうではなく、「おてつ」の命が狙われていることが次第にわかっていく。「おてつ」は奉行所に訴えたりするが、夜鷹のいうことなど誰も聞いて切れず、日頃から一目置いていた平次郎に自分を狙う犯人を捕まえてくれと依頼する。

 「おてつ」は、三、四歳の頃に両親を火事で失った孤児で、木戸番夫婦に育てられたが、その木戸番夫婦も十一歳の頃に亡くなり、古手屋に奉公に出た天涯孤独の女性だった。だが、そこでやがて、修行に来ていた同じ古手屋の跡取りに見初められて結婚し、子どもも生まれて懸命に働くが、気の強い姑と折り合いが悪く、加えて亭主の女癖も悪くて、身一つで追い出されたのである。子どもを引き取りたかったら、自分で店の一軒でももってみろ、と言われて、それから夜鷹をしながら歯を食いしばりながら小金を貯めていたのである。それまでに彼女の周囲には彼女を助けるものはひとりもいなかった。

 嫌われ者の「おてつ」の身を案じた平次郎は、元は平次郎の小者(手先)であり今は平次郎の屋台の横で同じように屋台の天麩羅屋を出している鶴七や、彼に地酒を安く卸している蔦吉、そして、殺された娘の許嫁で定町廻り同心である北原左之助とともに、「おてつ」の命を狙う犯人がもう一度「おてつ」を襲うだろうと踏んで、「おてつ」の命を狙った犯人を捕まえるのである。

 犯人は、辻斬り強盗の一団で、夜鷹をしている「おてつ」に強盗の現場を見られたと思って、口封じのために「おてつ」を殺そうとしたのである。

 事件の顛末は単純なものであるが、鶴七や蔦吉は、平次郎が同心をしていた頃に助けられたのを恩義と感じ、平次郎に絶対の信頼を置いて、何はさておいても平次郎の頼みを聞くようになり、人情の温かさで動く人間たちであり、平次郎は、誰からも嫌われて相手にされない夜鷹の「おてつ」のために身の危険を顧みずに彼女を守っていく人間で、そういう人間の姿がここで描き出されているのである。

 第二話「芋飯の匂い」も、同じ長屋に住む長谷川忠兵衛という浪人の話である。長谷川忠兵衛はそうとうの剣の使い手で、用心棒や道場破りをして糊口をしのいでいたが、胃に硬いしこりができて倒れる。彼は平次郎の屋台で蕎麦を食べたあとで倒れてしまい、平次郎が長屋にかつぎ込んで医者に見せたところ、病はかなり重く、もう助からないだろうという。

 しかし、彼は病を押して、出かけていく。心配した平次郎が鶴七や蔦吉に後をつけさせたところ、彼は一軒の荒物屋の裏で、隠れるようにしてその荒物屋の内儀と幼い娘の姿をじっと眺めているのであった。彼は平次郎にそのわけをぽつりぽつりと話す。

 その荒物屋の内儀は、かつての彼の妻であったが、家に金を入れることもしないし、妻の「なを」を顧みることもせずに、好き勝手にし、他にいい女はいくらでもいると思い、別れて、金持ちに誘われて大阪に行ったりしたという。彼女は、最初は日雇いの女房だったが、亭主が酒飲みの乱暴者で、同じ長屋にいた長谷川忠兵衛が別れさせ、それから一緒に暮らし始めたと語る。そのあと、蕎麦屋の女中をしていた時に荒物屋に見初められて結婚し、一女をもうけて平穏に暮らしていた。荒物屋の内儀としてしっかり働き、店を盛り上げて夫婦仲も良い。長谷川忠兵衛は己を後悔して、その彼女の幸せをそっと見守っていたのである。

 平次郎は、その長谷川忠兵衛のために「芋飯」をもってくるが、そのとき、長谷川忠兵衛は、自分は元の妻といたときに金がなくて「芋飯」ばかり食わされ、その貧乏臭さも嫌だったといいながら、そういう自分を恥じて、平次郎が持ってきた「芋飯」を美味しそうに食べたりする。彼は、今となってはただただ、元妻の平穏な暮らしを願うばかりだと語る。

 ところが、その荒物屋が騙りにあって、店が潰れそうになる。同業の荒物屋の借金の保証人になり、大金の返済を迫られて、店を手放さなくてはならなくなりそうになり、元の妻の平穏を願う長谷川忠兵衛は、それを案じていたのである。平次郎は、その騙りの背後に、巧妙に仕組まれた際物師の頭と同業の荒物屋の悪巧みを鶴七や蔦吉を使って探り出し荒物屋の家族を救っていくのである。もちろん、長谷川忠兵衛も病を押してその闘いをするが、自ら名乗り出ることはない。平次郎は、そういう長谷川忠兵衛の心を大事にしながら、彼を見守っていくのである。

 第三話「夏越しの夜」は、平次郎を商売敵として彼を追い出そうとする同じ屋台の蕎麦屋とその息子の話である。

 熊十は、人通りが多い芝橋の袂で蕎麦の露天を出していたが、自分が売る蕎麦よりも少し値が高いにもかかわらず、うまいと言われる平次郎の屋台が店を出すことを妨害するような男だった。平次郎は争いを避けて、ほかの橋の袂で店を出していたが、振売りであり、ときに露骨な熊十の妨害にあうこともあった。

 熊十には一人息子がいたが、ぐれて博打などにも手を出し、勘当されて地回りの手先などもしていた。息子は、いつまでたっても下っ端であったが、あるとき、その地回りが囲っている女性がひどい折檻を受けて乱暴され、彼に助けを求め、彼はその女性を連れて逃げるのである。地回りは、逃げた熊十の息子と女を捜し出して殺すと息巻き、熊十の店に行って嫌がらせをしたり、手ひどい仕打ちをしたりして行くへを聞き出そうとする。

 ぼろを着て物貰いをしながら生活をし、月に一度か二度、平次郎の旨い蕎麦を食べるのを楽しみしている丑は、貰い金の運上を収めるために地回りの家にも行っていたが、あるとき熊十の行動に不信を抱き、そのあとを地回りの手先がつけていることに気がついた。そして、事情を察するのである。

 また、熊十の屋台が乱暴されていることを聞いた平次郎は、その場に駆けつけてそれを収めて、そこに丑がいることに気がついて、事情を尋ねてみた。そして、熊十の息子と女が逃げて、それを地回りが探しているという事情を聞く。地回りには凄腕の用心棒もついていた。

 平次郎は、それをなんとかしようと、鶴七や蔦吉、長屋の老婆の「お船」などの手を借りて、熊十の息子と女を捜し出し、これを助けようと一計を立てる。地回りは口入れ屋稼業(人材斡旋)をしており、大名行列の際に出す雇い中間の人数をごまかして、暴利を得ていたことをつきとめ、その証文を丑に盗み出させて、熊十の息子と女の身柄の安全と交換しようとするのである。死を目前にした長谷川忠兵衛も平次郎たちに味方し、ことは収まる。平次郎は、熊十の息子に心を入れ替えて働けといい、熊十の息子と女は夫婦になって父親を助けて働くようになるのである。平次郎は、文字も読めるし、高価な味醂の味も知っている不思議な丑に、その働きを報じて、一月間、毎日蕎麦を食べさせることにして、物語が終わる。

 本書は、書き下ろし作品ではあるが、書下ろしとは思えない丁寧な展開と人物像があり、貧乏長屋に生きる人物がそれぞれの人生を含めて取り上げられて、大変面白く読める作品であると思う。

2013年3月16日土曜日

千野隆司『戸隠秘宝の砦』


 再び春の暖かさがようやく戻ってきた感じだが、このところの疲れがたまっているのか、ときおり身体のあちこちが痛む。それでも、今日は、桜が開花し、気分はのんびりと穏やかな時間が流れていくのを眺めている。昨日の新聞に葉室麟『蜩ノ記』が映画化されるとの広告があったが、主人公の姿を描き出すことができる俳優がいるのかどうか、人間の美しさをどうあらわすのか、映像化は難しいかもしれないと思ったりもする。

 この数日、千野隆司『戸隠秘宝の砦』(2012年 小学館文庫)の三冊を読んでいた。この作品は、第一部「吉原総籬」、第二部「気比の長祭り」、第三部「光芒はるか」の三部で、各部ごとに出版されているが、彼の作品としては珍しく宝探しの冒険時代小説となっている。

 その隠された宝というのは、豊臣秀吉が臨終間近になって将来の豊臣家のために石田三成に託した百万両にも及ぶ埋蔵金で、石田三成は真田幸村、大谷吉継とはかって長崎にあった金を密かに隠し、そのありかを記した地図をギヤマンの皿と絵馬に記し、また、財宝が眠る石窟を開ける鍵を刀のなかごに仕組んで宝刀としたというのである。宝は、真田家の所領でもあった信州上田城に近い戸隠山のいずれかにあるというし、絵馬は大谷吉継が敦賀の気比神社に奉納したという。ギヤマンの皿は長崎から財宝を運んだ廻船問屋の高嶋屋が所蔵している。そして、宝刀は長崎で船積みを取り仕切った当時の寺社奉行に託され、それが豊後府内藩(大分)の城内の宝物庫に秘蔵されたという。慶長三年(1598年)のことである。

 そして、1652年(明暦2年)、豊後府内藩の城主となったのは松平忠昭で、大給松平家を起こした。物語は、その八代藩主大給(松平)近訓の時代で、天保年間(18301844年)のことで、秀吉の財宝秘匿から240年後ごろのことである。

 近訓は、逼迫した藩財政の救済のために代々伝わる宝刀にまつわる話にある豊臣秀吉の埋蔵金を用いようと、妾腹の子である近忠に秘宝の探索を命じたというのである。府内藩の財政が破綻していたことは、近訓が継子問題で帰国しようとsたとき、金がなくて江戸屋敷を売り払って工面したと言われるほどで、府内藩の大給松平家は明治まで続いたが、藩内は悲惨な状態だった。

 秀吉の隠し埋蔵金というのは、まあ、納得できる設定ではあるし、近訓には妾腹の子がいたが、藩の財政立て直しに埋蔵金をあてようというような発想は、いくら本作が宝探しの冒険伝奇ロマンをもつ作品とは言え、設定としては、いささか無理がある。しかも、第一部の舞台は吉原であるが、財宝探しを命じられた近忠が吉原に身を寄せたのが藩主であった松平(大給)近訓の口利きというのも、どうだろう。確かに江戸で独自の形態を保った吉原を物語の一つの場として登場させるのは、物語を面白くするのだろうが、安直すぎる気がしないでもない。

 ともあれ、秀吉の埋蔵金をめぐっての戦いが始まる。ギヤマンの皿を預かった廻船問屋の高嶋屋の末裔から江戸店を任されている高嶋屋五郎左衛門と彼に結びついた小浜藩城代家老や側用人、そして、真田幸村が使っていた真田忍びの末裔である鼠小僧次郎吉が、秀吉の埋蔵金のことを知り、互いに近忠と争奪戦を繰り返していくのである。それに加えて、私欲で財宝を狙う高嶋屋五郎左衛門の一人娘である「お絲」と近忠のロミオとジュリエット的な恋も描き出されていく。

 舞台はやがて、吉原から敦賀の気比神社へと移り、攻防が繰り返されて、高嶋屋五郎左衛門が隙をついてギヤマンの皿と絵馬を重ね合わせて財宝のありかを示す地図を造り、大給近忠も6割ほど完成した地図を造り、宝刀は鼠小僧次郎吉が奪うという展開になっていく。

 そして、第三部で、いよいよ戸隠山での攻防が展開されることになるのである。戸隠は、天照大神が天の岩戸に隠れた時に、その前で岩戸神楽を舞い、岩戸の隙間が少し空いたところをみすまして天手力雄命(あめのたじからおのみこと)がこれを開き、塞いでいた岩戸を投げ飛ばして隠した。その岩戸が落ちたところが戸隠だという神話に基づくところで、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社からなる戸隠社がある。

 秘境といえば秘境の地で、もう数年前の冬にT大のE教授らとここを訪れて宿坊に泊まった時に、宿のボイラーが壊れていて、「お湯が出ないんだよねぇ」と言いながら冷たい風呂に震えながら入った苦い思い出がある。

 第三部では、江戸から中山道を通って戸隠に向かうまでの、財宝を狙う者たちとの攻防が描かれるし、戸隠山中での鼠小僧次郎吉をはじめとする真田忍者の末裔や高嶋屋五郎左衛門との熾烈な攻防が展開されていく。

 そして、結局は、鼠小僧次郎吉や高嶋屋五郎左衛門は戸隠の山中で命を失い、秀吉の隠し金は見つかるのだが、その大半以上はすでに真田幸村によって使われていて、わずかに一万両ほどのものが残されていただけとなる。それでも貧窮に喘ぐ府内藩の助けにはなり、一件はめでたく解決して、松平(大給)近忠とお絲もめでたく結ばれていくという結末を迎える。

 地理を丹念にたどり、情景描写を巧みに入れていく作者の作風は、ここでも十分に生かされていて、設定や善悪三者のすくみあいといった登場人物などの安易さは別にして、冒険活劇として面白く読める。

2012年12月10日月曜日

千野隆司『菊月の香 蕎麦売り平次郎人情帖』


 晴れてはいるが寒い。日本海や北日本では大荒れで、昨日は近畿地方も雪が降ったと伝えられたが、北風が吹いて、街路樹の銀杏もほとんどが散ってしまった。

 昨夜は、ほとんど眠りながらではあったが、千野隆司『菊月の香 蕎麦売り平次郎人情帖』(2011年 角川春樹事務所 ハルキ(時代小説)文庫)を一息に読んだ。文庫本のカバーや巻末の広告によれば、これがシリーズ化されたものの第二作目で、主人公の菊園平次郎は、元南町奉行所定町廻り同心だったが、逆恨みした罪人の息子から妻と娘を殺され、同心をやめて、貧乏裏店に住みながら屋台の蕎麦売りをしている五十一歳の男である。第一作は読んでいないが、第一作ではおそらくあのあたりの事情が展開されているのだろうと思う。本シリーズは、その蕎麦売りの平次郎が数々の事件に関わりながら人々の人情の機微を描き出したものである。本作には、「おん富一番」、「月の岬」、「菊月の香」の三編が収められている。

 「おん富一番」は、表題のとおり富くじにまつわる話で、平次郎と同じ貧乏長屋に住む付け木売りの老婆「お舟」が仲間内で集まって買った芝明神宮の富くじで三等を当て、六両一分という大金を手にした後の顛末を描いたものだが、身寄りもなく老いた「お舟」の心意気のようなものが描かれていく。

 「お舟」は、火事で亭主と息子を同時に亡くしていた。彼女の息子には「お篠」という夫婦約束をした娘がいたが、「お舟」の甥の須磨吉というのが「お篠」に手を出し、そのために二人は別れたのである。しかし、火事の夜に、その「お篠」の身を案じて助けに行った「お舟」の息子は、火事場にいた「お篠」を助けたが自分は火に巻かれて死んでしまったのである。「お舟」は、「お篠」が息子を死に追いやったことで「お篠」を恨んでいた。

 「お舟」が富くじを当てたという評判を聞きつけて、その須磨吉が金を目当てに「お舟」のところにやてくる。そして、あの「お篠」が、今は岡場所で労咳を病んで死ぬばかりになっていることを告げる。「お篠」は身を持ち崩していた。

 「お舟」の様子を案じた平次郎は、「お篠」の行くへを探し出し、「お舟」が当てた富くじの金額で「お篠」を身請けするようにしていくのである。「お舟」は、自分の息子が命がけで助けた女として、「お篠」を引き受け、その最後を看取っていくのである。

 第二話「月の岬」は、平次郎の屋台にときおり汗まみれの銭を握りしめて蕎麦を喰いに来る「丑」という物貰いの男の話である。「丑」は、あちこちの神社や寺の床下で寝起きしながら物貰いをして生きている男だが、素性はさっぱりわからなかった。

 その「丑」が、あるとき腹痛を起こして蹲って死にかけているところを呉服屋の若旦那の宗太郎が通りかかり、彼を助ける。宗太郎は商売にも身が入らずに遊びまわり、土地の高利貸しから大金を借りて吉原の遊女を見受けして妾として囲っていたりする男であったが、なぜか「丑」を助けるのである。

 その宗太郎に金を貸していた高利貸しの女房は、やがて借金が膨らんで呉服屋がもっていた別邸を奪い取ろうとしていたのである。

 そういう背景の中で、一人のヤクザ者のような男が平次郎の屋台に蕎麦を食べに来て、「丑」のことを探るということが起こる。気になった平次郎はその男の素性を探るうちに、それが宗太郎を罠にはめて別荘を奪い取ろうとしている金貸しの女房から遣わされたものであることを突き止め、その金貸しの女房の素性を探っていくことになる。

 彼女は、流行りの料理屋の娘であったが、彼女が嫁に出た後、彼女の父親が店の造りに金をかけ、その金を借金し、その借金相手が店を奪い取ろうと手を回したために店が潰れてしまい、父親は首をくくり、母親は心労で死んでしまっていた。彼女には弟がいたが、その弟は、母親が死んだ後に店を奪い取った男を刺して行くへをくらましていた。そして、今の亭主と再婚した後で弟を探していたのである。

 そして、その探していた弟が、物貰いをしている「丑」であった。彼女は弟の「丑」を探し出し、世話をしようとする。だが、「丑」は、姉が自分の命を助けた宗太郎を嵌めて別荘を奪い取ろうとしていることを知り、宗太郎に真実を告げて、彼を罠から助け出すのである。怒った姉は「丑」を追い出し、「丑」は元の物貰いになってしまうが、そこは姉と弟、やがてうまくいくに違いないというところで話が落ち着いていく。

 第三話「菊月の香」は、自分の友人の罪をかぶっていく飾り職人の話で、嘉吉は、愚鈍だが真面目一筋で、兄弟子たちのいじめにも耐えて飾り職人としての修行を積み、ようやく独り立ちできるようになっていた。ところが、仕事帰りの時に、かつて同じ飾り職人の弟子であり兄弟子と喧嘩したためにやめてぐれていた宇三郎を見かけ、彼が綿問屋の主人を殺すところに出くわすのである。宇三郎は逃げ、嘉吉は綿問屋主人殺害の犯人として捕まってしまう。そして、自分が犯人だと自供し、言い張るのである。

 事件の探索に当たった南町奉行所定町廻り同心北原佐之助は、犯人だと自供した嘉吉の人柄や生活ぶりから、どうしても彼が犯人だとは思えずに、先輩であった平次郎に相談に来る。北原佐之助は平次郎の娘と言い交わした仲であったが、娘が殺され、平次郎が奉行所同心を辞めたあとも、時折、平次郎の屋台に蕎麦を食べにきたりして、繋がりを持ち続けていた。

 平次郎は嘉吉の身辺を探索すると同時に、彼が弟子時代に唯一友人であったという宇三郎に行き当たり、宇三郎の身辺を探る。宇三郎の女房は彼らが弟子時代を過ごした飾り職人に親方の家の女中であった女性で、愚鈍だということで兄弟子たちからいじめられる吉吉を宇三郎と共にかばったりしていた女性であった。そして、宇三郎が兄弟子と喧嘩をしたのも、実は、嘉吉がひどくいじめられ、宇三郎がそれに腹を立てたからであった。宇三郎は腕がよく、将来を嘱望されていたのだが、それだけに嘉吉は宇三郎に恩義を感じていたし、宇三郎の女房になった女中にも密かな想いを抱いていた。宇三郎が殺人犯として捕まれば、その女房も不幸になることを怖れて、嘉吉は宇三郎をかばっていたのである。

 平次郎が調べていくうちに、綿問屋殺害に使われた匕首の持ち主が次第にわかっていく。それは宇三郎のものではなく、宇三郎の兄貴分の男のものであったのである。その裏には地回り(ヤクザ者)どうしの争いが絡んでいたのであり、殺された綿問屋は地回りの金主だったのである。

 てっきり宇三郎が殺したものと思って、彼をかばっていた嘉吉は、そのことを知らされて、真実が明白となり、宇三郎の女房への幸せを密そかに願いながら生きていくようになるということで結末を迎えていく。

 このシリーズには、平次郎や彼を慕っている揚げ物やをしている元下っぴき、同人の北原佐之助、平次郎が蕎麦を仕入れる五郎作とその娘「繍」などが登場し、特に「繍」は平次郎が微かに想いを抱き始めている女性で、蕎麦打ちに精を出していたりする。

 ここに収録されている物語のそれぞれの事件で取り扱われる人物たちは、第一話の「お舟」にしろ、第二話の「丑」や第三話の嘉吉にしろ、いずれも市井の片隅で生きている人間であるが、その展開があまりにストレートすぎる、あるいは「純」すぎるきらいがないでもない。作者は、作中人物を縦横に動かせ、江戸の町を詳細に描き、その描写も巧みであり、詳細な展開や日常の描写も優れて描き出す技量をもっているが、全体の筋があまりにも「きれい」すぎる気がしないでもないのである。「美しすぎると人間の真実を見失う」という思いを、つい抱いてしまうほどであった。

 とはいえ、書き慣れた作品であり、一息に読めるほどの展開を見せる面白い作品であると思っている。

2012年8月10日金曜日

千野隆司『恋の辻占 槍の文蔵江戸草子』


 このところ僅かではあるが朝晩の暑さが和らいできたような気がしている。湿度が低くなったので、その分、暑くても過ごしやすくなっているのかもしれない。オリンピックも放映されているし、しばらくは読書量も落ちているのだが、思考力も確実に減退している。しかし、ぼ~っつと過ごすのも悪くはないだろう。

 それにしても、「近い将来」ではだめで、「近いうち」ならいいというこの国の政治のトップの誤魔化し感覚には恐れ入った。しかもその誤魔化しが「したり顔」で行われるのはどういう感覚なのだろうかと思ったりする。こういうことが通用するようになっていく社会が恐ろしい。

 それはともかく、比較的気楽な感じで書き下ろされている千野隆司『恋の辻占 槍の文蔵江戸草子』(2010年 学研M文庫)を気楽に読んだ。書き下ろし作家の中でも、千野隆司は、文章や情景描写、あるいは人の切なさや悲しみを描くのに比較的優れた力をもった作家だと思っているが、本作はさらに読みやすく構成されている。

 本書のカバー紹介に、シリーズ第一弾とあるから、これはシリーズ化されていく企画で始められたのだろう。主人公は、播磨林田藩一万石(作者の創作)という小藩の二十俵二人扶持という下級の藩士で、馬の口取り役(藩主が馬に乗るときに世話をする役で、馬の世話もする)という端役についている新見文蔵で、太刀ではなく槍術に長けた二十三歳の青年武士である。

 彼が藩命によって藩主の江戸出府に伴って、いわば江戸勤番となって江戸に出てきたところから物語が始められ、彼が物見遊山で大塚の護国寺の灌仏会に出かけた時に、若い娘が浪人から財布を掏摸取るのを目撃し、その娘のあとを追いかけたところ、今度はその娘が町のごろつきに絡まれ、その娘を助け出すところへと展開される。

 娘の名は「おけい」と言い、父親は「おけい」が小さい頃に女を作って出ていき、母親は病死して、ひとりで裏長屋に住んで、恋の辻占(恋占いのおみくじ)を売って生計を立てながら、ときおり掏摸も働くという十五・六の娘であった。「おけい」が浪人から財布を掏摸取ったのは、浪人が老婆を突き倒しても素知らぬ顔で行ってしまおうとしたからで、「おけい」は、掏摸をするとはいえ、典型的な江戸っ子気質を持つ正義感の強い情のある娘なのである。この「おけい」が、本書を彩る人物になっていく。

 文蔵の勧めで、掏摸取った財布を持ち主に返すために、その財布の中身を調べたところ、浪人の風体には似つかわしくない大金と一枚の書付が出てきた。その書付には三人の名前が記されていたので、それを手がかりにして文蔵と「おけい」は財布の持ち主を探すことにする。しかし、最初に名前のあった旗本の鷲尾多左衛門は、数日前に鉄砲で撃ち殺されており、次に名前があった米屋の志摩屋五郎兵衛も何者かに襲われ殺されていた。文蔵と「おけい」は、三番目に名前のあった日本橋の醤油問屋の越前屋彦太郎を訪ね、彦太郎はまだ二十代半ばの商人であるが、これまでの経緯を話して、用心するようにいって引き上げる。

 文蔵と「おけい」は、掏摸取った財布は、拾ったことにして、「おけい」の住む長屋を縄張りにしている岡っ引きの丹治に届ける。丹治は、小料理屋である「かずさ」の息子で、父親の跡を継いで岡っ引きとなった人物で、軽妙で少し威張ったとことがあるが、好人物でもあり、母親の「お蝶」の小料理屋の板前でもある。この丹治も本書の重要な役割を果たす取り巻きとなっていく。彼に岡っ引きの手札(許可)を与えているのは定町廻り同心の澤所太左衛門で、彼もまた文蔵が関わっていく事件で文蔵を助ける者となる。

 文蔵は江戸に出てきた時から、小さな廃寺を利用した宝蔵院流の槍道場に通っていたが、その道場主の細沼長十郎と彼の息子の嫁で「早苗」とも懇意になっていく。「早苗」は、夫が亡くなっても義父とともに暮らして、午前中は寺で子どもたちに文字や礼儀、裁縫などを教える文字通りの寺子屋の師匠をしながら、午後はその場で開かれている槍の稽古を見守っている妙齢の女性で、岡っ引きの丹治は、この「早苗」に惚れて、ここに通ってきている。その細沼長十郎が、生計のために用心棒稼業もしており、三番目に名前のあった越前屋彦太郎の用心棒として雇われるのである。この細沼長十郎と「早苗」も本書を彩どる人物たちである。

 物語は、書付に記された三名の繋がりがなかなか見いだせなかったのだが、鉄砲で殺された旗本の鷲尾多左衛門が数年前に御鉄砲箪笥奉行(鉄砲の管理)をしていた頃に、鉄砲の持ち出し事件というのがあり、ほかの二人の商人(越前屋彦太郎の場合はその父親)もそれに関連していたことが次第にわかっていき、そのときに鉄砲紛失の責任を負わされて詰め腹を切らされた武家があることが分かっていく。そして、詰め腹を切らされた武家は、一家離散となり、その妻は病死、姉は借金で遊女に売られ、その弟が恨みを晴らすためにそれぞれを襲っていたことがようやく分かっていくのである。

 文蔵と細沼長十郎は、槍を下げて越前屋彦太郎を守り、ようやくにして犯行を防ぎ、越前屋彦太郎は事情を鑑みて、遊女に売られていた姉を身請けして自由にしてやることで事件が解決する。それが第一話「恋の辻占」であり、こうして江戸勤番で田舎から出てきた新見文蔵の江戸暮らしが始まっていくのである。

 第二話「おけいの涙」は、「おけい」が住む長屋の一帯を取り仕切っている地回りと隣接する牛込あたりの地回りの縄張りをめぐる抗争事件で、岡っ引きの丹治が斬られてしまい、その抗争事件を文蔵、長沼長十郎、同心の澤所太左衛門が、両者を戦わせるという方法で解決していくものである。この事件で「おけい」が捕まってしまい、あわやというところで助けられていく。「おけい」は、次第に文蔵に心を寄せるようになっていく。そういう過程が織り込まれていく。文蔵は槍だけでなく、料理もうまく、その料理の腕を使って、細沼家や丹治の家の小料理屋に自然と馴染んでいき、彼の江戸暮らしは、これらの人々との交情で温かく織り成されていくのである。

 第三話「雨後の神隠し」は、「早苗」の手習い所に通ってきている商家の息子が行くへ不明となり、みんなで手分けして子供の行くへを探しているうちに、商家の姑とおりが合わなくなって婚家を出された子どもの母親や、それを利用して子どもを拐かして商家の乗っ取りを企む男女の姿が明らかになり、みんなで協力して子どもを救出していくというものである。

 全体的な構成や展開などは、主人公が田舎侍で、槍を使うということ、料理が得意で、自分が田舎侍であることやお役らしいお役もないことなど少しも気にかけずに、日々を愉しむ才をもつことなど、面白味のある構成になってはいるが、作品としての独自性があるわけではない。しかし、物語の展開の仕方や流れるような文章、描写には作者の力が円熟してきているのを感じたりもする。

 ただ、気になる箇所が二箇所あって、どちらも誤記ではないかと思う。一箇所は、第二話「おけいの涙」で、いよいよ地回りの凄腕の用心棒たちと文蔵や細沼長十郎が立ち回りをする場面で、次のように記されている。

  「とうっ」
  長沼はさっそく、突き出してきた突く棒を闇の空に払い上げた。
  「この野郎」
  長脇差の金次が、長沼に向かい合った。(202ページ)

 この「長沼」とは誰だろう。おそらく「細沼」の間違いではないだろうか。

 二箇所目は、第三話「雨後の神隠し」で、これも誘拐犯人と丹治が対峙する場面で、丹治が子どもの監禁されている神輿倉に飛び込み、文蔵が外で控えているという設定だが、「文蔵は、まだ倉の外にいた。出てきたところでひっ捕らえるつもりである。常次郎もお衣も(誘拐犯人)、常次郎の他には人がいないと考えている気配だ」(278ページ)とあるが、これは、「常次郎の他には」ではなく「丹治の他には」であろう。

 こういう間違いは、たいていは編集の段階で修正されるのだが、場面がどちらも緊迫した場面であるだけに、「?」と思い、少し残念な気がする。

 とはいえ、熟れた物語の展開は面白く、登場人物たちがこれからどんな事件に関わっていくのか、恋も芽生え始めており、興味がわく要素はたくさんある。千野隆司はシリアスに描くのもいいが、こういう作品も悪くないのである。

2011年9月28日水曜日

千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』

 日毎に秋の深まりを感じる日々になっている。日中の爽やかさと朝夕の冷え込みが漸次に訪れ、虫たちの恋の羽音も次第に少なくなってきた。秋桜が風に揺れる様は何とも優しい。

 26-27日と外出の少し気ぜわしい日々だったのだが、ようやく今日から2~3日はいつもの日々に戻り、ゆっくりした気分でパソコンの前に坐ることができるようになった。この間に、千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』(2010年 双葉文庫)を読んでいたので記しておくことにする。

 これは、このシリーズの八作目の作品で、二作目の『天狗斬り』(2005年 双葉文庫)と四作目の『虎狼舞い』(2007年 双葉文庫)を前に読んで、飛び飛びの読書となったが、浮気をして夫婦関係が破綻しそうになった主人公の北町奉行所定町廻り同心である楓山主税助が、様々な事件の探索をしながら夫婦関係をどのようにして修復していくのかも綴られて味わいのある内容になっていた。本作では、その夫婦関係は修復され、妻とひとり娘との暮らしは平穏を保たれている。

 筆者の筆力と物語の構成力は、書き下ろしとは思えないほどの緻密さがあって、本書でも、「背中にひびを切らす」と言われるほど歩きまわって事件の探索する定町廻り同心である楓山主税助が、さらに事件の核心に迫るために丁寧に一歩ずつ探索していく過程が綿密に記されていく。

 事件は、米問屋の主が何者かによって袈裟懸けに斬り殺されるところから始まり、それを見ていた主税助の手下である冬次の身重の女房が目撃し、続いて同じような手口で旗本の息子が殺され、また別の旗本が狙われていくという連続殺人事件である。

 主税助は、目撃者である冬次の女房を守るため、事件の真相に迫ろうとするが、殺された米問屋の主と次の殺された旗本家の息子や他の旗本家との繋がりがわからず、あれこれと探索を重ねていく。その謎解きの過程が一歩一歩記されていくのである。そして、ようやくにして、彼らが数年前の甲府勤番の折にある不正事件を告発し、その告発された者の子息が犯人で、逆恨みによる殺人だとわかっていく。犯人の子息は、双子で、互いにアリバイを立証したりして巧妙に立ち回るし、剣の腕も相当の凄腕だった。主税助は、緊迫した状況下で、この双子の兄弟と対峙していくのである。

 本書の大まかな筋立ては以上のようなことなのだが、それらが人間の微妙な心情の動きと共に描き出されているので、物語が何とも言えない妙味のあるものとなっている。たとえば、主税助の手下で、事件を目撃した身重の女房を必死で守ろうとする冬次について、次のような一文がある。

 「親兄弟のない天涯孤独の身の上で、ぐれて町の嫌われ者だったときには、しょせん冷たい目でしか見られなかった。いないものとして遇されることなど珍しくもなかった。そういう暮らしと比べれば、(恋女房をもらい、子どもが生まれるという今の暮らしは)天と地ほどの違いがある」(58ページ。括弧内はわたしの解釈)
 
 こういう冬次についての描写があって、冬次がいかに必死で女房を守ろうとしているのか、女房の尻に敷かれながらもそれを喜ぶ冬次の人柄などが十分に伝わるように描かれている。そういう人間に対する視点のようなものが作者の優れたところだろうと思う。

 そして、主税助の生命を賭けた闘いで事件が解決し、冬次の女房が無事に出産の準備に入り、それを主税助や女房、ひとり娘などが祝うところで物語が終結する。主税助とその女房、冬次とその女房の二組の夫婦の姿が中心となり物語が展開されるので、読後感が単なる時代小説以上のものがあるのである。最近の時代小説の捕物帳物、あるいは同心物の良いところが、この作品でも十分にある作品だった。