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2013年2月15日金曜日

諸田玲子『幽霊の涙 お鳥見女房』

 今日は曇って寒い。天気が崩れて雨か雪との予報も出ている。このところ日替わりで天気が変わるが、これも冬から春への脱皮の特徴だろう。まだまだ寒い日が続く。

 先日、あざみ野の山内図書館に行った時に、諸田玲子『幽霊の涙 お鳥見女房』(2011年 新潮社)があり、このシリーズも久しぶりな気がして、借りてきて読んだ。本作はこのシリーズの6作品目である。

 江戸幕府のお鳥見役とは、将軍が鷹狩りを行う御鷹場を管理し、鷹狩りの準備をする役務で、御鷹場における密猟の防止や獲物となる鳥の餌づけ、また、鷹狩りの際の周辺農民の動員の管理などを行った。こうしたことは長年の経験が必要とされ、技能職として世襲されたようである。役料は80俵5人扶持の下級御家人であるが、鳥の生息状況を見るために大名屋敷にも入ることが許され、そのことから情報収集のための隠密として用いられることもあったと言われている。

 本シリーズは、代々そのお鳥見役である矢島家の主婦である「珠代」を主人公にしたもので、ころころとよく笑い、笑窪ができて、人情家で、明るく真っ直ぐな性格の珠代を中心にした矢島家が幾度もの危機を乗り越えながら生きていく姿を描いたものである。珠代には全くの赤の他人を、事情を聞かないで居候として受け入れていく度量の広さもある。登場人物たちは、それぞれに重荷を抱えて生きているが、珠代はそれらの重荷を包みながらほっこりした温かさを醸し出していくのである。下級御家人の懸命な姿がそれに重なっていく。

 お鳥見役には危険がつきまとう。珠代の祖父も、隠密として出かけた先で殺され、父の久右衛門と夫の伴之助もそれぞれに隠密として出かけた先で一時行くへ不明になるという出来事があった。父の久右衛門は、役務のために親しくなった女性を捨てて来ていたし、伴之助は人を殺したことで一時精神を病んだことがあった。二人とも、それぞれを重荷として背負うほどの良心の持ち主であり、その中で珠代はそれぞれを受け入れながら闊達に生活を送っていくのである。

 本作では、伴之助と珠代の子どもたちもそれぞれに成長し、長男の久太郎もお鳥見役として出所するようになり、次男の久之助も大番組与力の家に養子となり、長女の君江も次女の幸江もそれぞれに嫁いでいる。一時期、矢島家に居候していた石塚源太夫も、彼を敵としていた美貌の女剣士の多津と珠代の人柄に触れて結ばれ、源太夫の子どもたちもそれぞれに成長している。

 そして、珠代の父の久右衛門が亡くなって一年後の初盆の時に、それぞれが寂しい思いをしている中で、久右衛門の幽霊が出るという話から始まり、それが久右衛門と喧嘩別れをした幼馴染の友人だとわかり、みんなで久右衛門を偲ぶところから始まり、やがて長男の久太郎が祖父や父と同じように密偵として相模に出かけていくという話へと展開されていく。

 時は、老中水野忠邦が失脚したとあるから弘化2年(1845年)ごろのことで、弘化の前の天保の時に、大阪で大塩平八郎の乱が起こったり、アメリカの商船「モリソン号」が江戸湾にやってきたりして(いずれも天宝8年 1837年)騒然としており、江戸幕府は海防を急務のこととして諸藩にその任を命じたが、お鳥見役の矢島久太郎に隠密として下された任務は、その海防の様子と海防にあたる諸藩を探ることであった。

 しかし、諸藩には諸藩のそれぞれの事情があり、幕府の隠密などに探られたくないのだから、矢島久太郎も相模で案内役として雇った親切な男から崖から突き落とされて殺されそうになるのである。最も親切な顔をして近づいてくる者が最も手酷い裏切りをするのは世の常である。イスカリオテのユダではないが、裏切りは接吻と共にやってくる。

 矢島家では久太郎の行くへが案じられる。だが、久太郎は一命を取り留め、漁師の祖父と娘に助けられていた。彼は、一時は記憶を失っていたが、体調が回復するまでの半年余りをそこで過ごすのである。彼は自分の身分を隠さなければならなかった。漁師の祖父と娘は久太郎を気に入り、娘は恋心を抱くようなるが、久太郎は、不義理はできないと思いつつも一切を秘したまま体力の回復を待つ。

 そうしているうちに、石塚源太夫の次男の源次郎が、久太郎の行くへを案じている珠代や久太郎の妻の恵以のことを考えて、少年ながら単身で相模に久太郎を探しに来るのである。源次郎は、まず、久太郎が案内役として使っていた男のところに行く。ところがその男こそ久太郎を殺そうとした人物で、そのことを知った久太郎は、世話になった漁師の祖父や娘にきちんとしたことを話さずに、源太郎のところに駆けつける。

 源太郎は案内役の男の人質となっていた。彼は金で雇われた男だが、源次郎を人質として久太郎ともども殺そうとする。その急場を漁師の娘が救う。それによって久太郎は江戸に帰ることができた。しかし、彼は自分の命を助けてくれた漁師の祖父への恩義と、その娘の恋心を知りつつも無視してきたことを悩む。

 娘は、久太郎を諦めることができないのか、久太郎を殺そうとした事件の背後を探り、江戸まで出てきたりする。久太郎の妻恵以はそのことで悩んだりするが、珠代は、その娘と会って、久太郎のことを話し、その事件の背後にはいろいろな複雑な事情があるから娘に深入りしないように語る。だが、不幸にも、娘は、事故か殺人かは判然としないが、崖から落ちて死ぬ。

 やがて、珠代は、ひとり残された漁師の祖父のことを案じて相模まで出かけていき、祖父は珠代の行いにすべてを悟って、またその姿の温かさに触れて、じっと穏やかに耐えていく姿を見せる。

 物語はそこで終わるが、そのあいだに石塚源太夫の娘の恋や居候となっている珠代の従姉の姿などが盛り込まれたり、子どもができないことで悩んだりする姿が描かれたりしながら、軽輩の御家人ではあるが、明るく、温かくしっかりと生きている家族の物語が展開されていくのである。

 あっさりとした文章で物語が展開されていくが、最後の場面で、孫娘を失い孤独に耐える漁師とその傍らで娘の墓に手を合わせる珠代が海を眺める姿は、なんとも味わい深い光景である。不幸に寄り添いながらも前を向いて生きる。この作品の主人公の珠代は、そんな女性である。

2012年7月9日月曜日

諸田玲子『恋かたみ 狸穴あいあい坂』


 久しぶりに碧空が見える。梅雨が明けたわけではないが、日傘をさした人たちが行き交い、夏の風物を醸しだし、窓辺に吊るした貝殻の風鈴も涼やかな音を立てている。少々疲れた脳細胞を駆使して今日もあれやこれやの仕事を始めているが、こんな日はただぼんやりと流れに身を任せるようにして過ごすのも悪くないだろう。

 昨日は、爽やかに物語られた諸田玲子『恋かたみ 狸穴あいあい坂』(2011年 集英社)を読んだ。これは、前作『狸穴あいあい坂』(2007年 集英社)の続編で、麻生の狸穴に元火盗改めの老武士のところに住む好奇心旺盛でしっかり者である孫娘の「結寿(ゆず)」の活躍と恋心を描いた作品である。

 口やかましい息子の後妻とあまりうまくいかずに狸穴の口入屋(就職斡旋業)である「ゆすら庵」の裏屋を借りて住む元火盗改めの頑固老武士のところに、これまた継母が武家の妻女の矜持を押しつけるのをきらった孫娘の「結寿」が祖父の世話をするという理由で移り住み、そこで、ふとしたことで出会った町方の隠密廻り同心である妻木道三郎と数々の事件を通して互いに恋心を抱くようになっていくのである。

 しかし、「結寿」の祖父も実家も御手先組与力の火盗改めで、火盗改めと町方同心とでは家格も異なった上に犬猿の仲であり、しかも、妻木道三郎は前妻を亡くした子持ちで、二人は互いに想いを寄せ合っているがどうにもならない境遇に置かれていたのである。「結寿」は、自分の恋心を止めることができないし、口入屋の子どもたちも道三郎の子どもも、二人を応援しようとするが、武家の婚姻は家を優先させるために、「結寿」は自分の恋心を明かすこともできずに悶々とした日々を過ごしていくのである。

 そういう中で、近所の旗本家の小火騒ぎが起こり、それが旗本の妻女の悋気によることが分かったり、夫を亡くして早くから隠棲していた武家の女性が悪党と知りつつも関係を持っていた男の素性が発覚していったりするのである。彼女は悪党と知りつつも男と関係を持ち、しかもその男が彼女を利用して彼女の家を強盗団の隠れ家として使うような盗賊の首領であったのである。「結寿」は、こういう事件に関わり、その関わりの中で、女としての生き方を考えさせられていくのであるが、実家の継母がもってきた縁談話が着々と進行していく。

 「結寿」は、道三郎と結ばれるためには、もはや「駆け落ち」しかないとまで思いつめていく。しかしそのとき、男と駆け落ちした母親をもつ武士が、母親の相手の男を「仇」として仇討に来て、名前が似ていたことから間違って「結寿」の祖父と争うという出来事が起こり、「結寿」や祖父たちも彼の仇討を手助けすることになり、相手の男を探し出していくのである。

 「仇」として探し出した相手の男は、もはや、武士を捨て、小さな履物屋を営み、母親も既に病でなくなっていた。そして、母親が捨ててきた子どものことを長年の間気にかけていたことを知り、彼は仇討を断念していくのである。「結寿」は、この事件を通して、「駆け落ち」が周囲、とくに子どもを不幸にし、決して幸いなことではないことを実感していく。だが、その間にも「結寿」の婚姻話は進められ、婚姻の日取りまで決まってしまう。

 結局、「結寿」と道三郎は、互の思いを知りつつも最後の別れをする。そして、「結寿」は道三郎への想いを残したまま、家が決めた婚家に嫁いでいく。「結寿」の夫となった男も心優しく温厚な男で、婚家でも「結寿」を温かく迎えてくれる。だが、「結寿」の心の中には道三郎の面影が強く残っているままであった。

 しかし、同じように男への心を残したままに嫁いでいた御手先組頭の妻女が、相手の男が甲府勤番になったために最後の別れをしたいということで、アリバイ作りを依頼された「結寿」は、それを引受ける。ところが、妻女と男が船宿で逢瀬をしている間に、妻女の夫が倒れるということが起こり、妻女が夫のところに駆けつけ、平然と貞淑な妻を演じている姿を見て、「結寿」は考えさせられていくのである。「結寿」の夫は、おっとりしているようでありながらも、御手先組頭の妻女が何をしていたのかを明察する鋭さを見せたりする。

 妻木道三郎も姉や親戚の強い意思でほかの女性と結婚する。「結寿」と道三郎は、互いに想いを寄せながらも、それぞれの家の事情で異なった夫をもち、妻をもっていくのである。二人が会うことはなかった。

 だが、「結寿」の婚家の離に住む老婆が可愛がっていた猫がいなくなったことや婚家の弟の不行状などから、やがてそれが強盗団の事件につながっていき、強盗団を探索していた妻木道三郎と狸穴の坂で出会ってしまう。二人は、互いにそれぞれを心に留めることで、それぞれ別の道を歩むことを確かめ、再び分かれていく。そして、「結寿」は、次第に婚家に馴染んでいくようになっていくのである。

 こうして見ると、道ならぬ恋の中にいる主人公が、どろどろとした想念の中にいるようであるが、「結寿」も妻木道三郎も爽やかで真っ直ぐな人間であり、主な登場人物たちも思いやりや愛情が深い鷹揚な人々で、「結寿」が自分の恋心や生き方を一つ一つ自分で納得させながら爽やかに生きていく姿が描かれているのである。女性としての生き方を模索していく姿が物語を通して描き出されていくのであり、物語の展開は春先から次のとし年の春先までの一年の季節が「山桜桃(ゆすらうめ)」の姿と合わせて織り成されている。

 ここには、前作で語られた老いた者の生き様や、あるいはしっかり生きようとする子どもたちの姿はあまり出てこない。道三郎の子どもの健気に生きる姿と「結寿」との関係も、もう少し描かれていたらと思うが、叶わぬ愛ながらも、それを抱いて生きようとする女性の姿が丹念に描き出され、それも嫌味がないので、読後感も爽やかである。

 作者は、人間の深部をよく知る作家だと思っているが、他方で、こういうあっさりと爽やかな文体で描かれる物語も味があると思ったりしている。気楽に読める一冊である。

2012年5月5日土曜日

諸田玲子『天女湯おれん 春色恋ぐるい』


 風薫る皐月というのに、今年の五月は雨にたたられて始まり、加えて一日から四日までの連休を利用した早朝から深夜までの会議で始まってしまった。会議の座長に任命されたためにサボるわけにもいかず、興の湧かない議論につきあわされて、いささかうんざりしながら連休が過ぎてしまった。どだいあらゆる事柄に、自分の命でさえ、執着心も未練もないわたしのような人間に会議の座長を任命することに無理がある気もする。会議などは静かに末席にいるのが望ましい。

 ただ、こういう時のいいことは、他のことは何もせずに往復の電車の中で読書に没頭できることで、諸田玲子『天女湯おれん 春色恋ぐるい』(2011年 講談社)を気楽に読んだ。これは、『天女湯おれん』(2005年 講談社)『天女湯おれん これがはじまり』(2010年 講談社)に続く作品で、前作の『天女湯おれん これがはじまり』から、描き出される描写の生々しさが消えて、どちらかといえば、作者の他の作品群である『悪じゃれ瓢六』や『お鳥見女房』のシリーズ物に近い作品になっているが、町奉行所の同心たちが住む八丁堀のど真ん中で、役人の鼻をあかすかのような男女の密会場所を隠し部屋としてもつ湯屋を開き、好奇心旺盛で人情家である美貌の「おれん」の清濁併せ呑む清々しい姿を描いたものである。

 本書では、身も心も恋してしまった新村左近という武士が役目を終えて国許に帰らざるを得なくなり、別れざるを得なくなって失恋した「おれん」が、その空白を埋めるために新しい恋をはじめていく顛末が描かれているのだが、そこに鼠小僧の捕縛事件があったり、湯屋に通ってくる少女への義父の性的虐待事件があったり、人気の戯作者を追い回す(今でいうスターの追っかけ)大店の女将の話が絡んだりしてくるのである。湯屋で働く老夫婦の息子が鼠小僧をまねて鼬小僧と名乗り盗っ人として「おれん」の天女屋に忍び込むが、あえなく捕縛され、それが老夫婦の息子とわかり、湯屋の手伝いをしていくというくだりもあるし、忍者を名乗る大道芸人が老いて人から馬鹿にされているのを活躍させ,生き甲斐を取り戻させる場面も出てくる。

 「おれん」の新しい恋の相手は、湯屋に通ってくる戯作者の為永春水を中心にした集まりの中にいた旗本の次男である深津昌之助という武士である。発端は、為永春水が「おれん」にひとりの女性を匿って欲しいと依頼したときに、その女性を連れ出す役割を担った深津昌之助が「おれん」の天女湯で女性保護のために釜焚きをすることになったことからである。匿われる女性は、婚家の武家にひどい目にあわせられ、女性と幼馴染みである昌之助の友人が見るに見かねて駆け落ちするというのである。

 「おれん」も昌之助も,一目で惹かれあう。「おれん」は武家に惚れることに懲りているはずなのに、また武家である深津昌之助に惹かれるのであるが、「おれん」は、それが身も心も献げた新村左近の欠けた穴を埋めるためであるという自分の気持ちにも気づいていた。

 鼬小僧の出来事やいくつかの出来事があるが、二人は互いに惹かれあう。しかし、やがて、深津昌之助は家督を継いでいた兄が病死し、家督を継ぐことになり、そのために嫁ももらうことになって、二人は別れる。「おれん」と昌之助に体の関係はなく、「おれん」は、身分違いもあり初めからそれを覚悟していたとこともあった。

 そして、本書の末尾で、国元に帰っていた新村左近が、再び「おれん」のところにやって来るところで終わり、「おれん」の恋はこれから成就していくことが示されるが、新村左近が新しい任務で江戸に来たのか、それとも武士を止めて「おれん」のところに来たのかは明かされずに、それは、今後の展開になっていくのだろう。

 個人的には、「おれん」が、壮絶さを内蔵させながらも人情家であり,清濁を呑み込んで豪快に生きていく姿を描いた一作目が一番いいように思うが、これはこれで、男女密会の秘密部屋を持ちながら八丁堀で人情豊かに爽やかに生きていく作品として面白いと思っている。なお、本書で藤本雅子という人のイラストがあり、各頁表記のところにも使われていて、ちょっと心憎い装幀になっている。

2012年4月13日金曜日

諸田玲子『お順 勝海舟の妹と五人の男』(2)

 花曇りの日で、こういう日は何もせずにただぼんやりと一日を過ごしたいのだが、そうもいかない日常がある。北朝鮮のミサイル打ち上げ(衛星打ち上げだそうだが)失敗が報じられたり、スマトラ沖の地震が報じられたり、中身のないまま増収だけが先行している消費税増税案をめぐる政治のごたごたがあったり、何とも騒がしい状態で、「思想なき世界の混乱」が今日も続いている。

 こういうことは人間の精神に大きな影響を与えてくるが、世相に右往左往しないで坦々と生き続け、花鳥風月を愛で、あるがままに今日も過ごす。「分析」と称するいらいらした精神は御免被りたいので、「確たる思想に基づいて何も考えない」という日々、これがいいと思ったりする。のんびりと川下りをするような日々を今日も過ごす。

 さて、諸田玲子『お順 勝海舟の妹と五人の男』(2010年 毎日新聞社)の続きであるが、佐久間象山が、9年もの間、信濃の松代で蟄居させられたのは、やはり象山にとって大きな痛手であったような気がする。この9年の間に社会の状況はすっかり変わり、象山が考えていたような外国の知識・技術を取り入れて外国と対等になっていくということとは全く反対の攘夷思想が席捲していったからである。特に象山のように世間的な名誉欲の強い人間にとって、世相が変わる流れにいないということは致命的だっただろう。

 だからといって松代で象山がぼんやりしていたというのではない。この間に象山は望遠鏡をつくって月を見ることに成功したり(おそらく日本人で最初に月を望遠鏡で見たのではないかと思う)、天然痘の牛種痘を試みたり、様々な医学を取り入れようとしたりしている。本書では「お順」がコレラにかかったときに寝ずの看病をしてなんとかこれを克服させている姿が描かれている。そして、そのことによって「お順」と象山の仲がしっくりいくようになったという具合に記されていく。

 やがて、1864年(元治元年)に、将軍後見職から朝廷との間を取りもつ禁裏御守衛総督に就任した一橋慶喜(後の15代将軍徳川慶喜)に公武合体論を推進するために京都に招かれ、象山は有頂天になるが、状況は全く異なって攘夷論が中心となっており、象山は「西洋かぶれ」という印象しかもたれなかった。そして、象山の傲岸な性格が禍して、供も連れずに三条木屋町を行ったときに、肥後熊本藩士であった河上彦斎らによって暗殺された。享年54歳である。

 「お順」は、象山を暗殺したのが長州の人間だと思って、ながく長州を毛嫌いし、何とかしてその仇を討ちたいと思っていたし、象山の子である格三郎も、象山の仇を討つために新撰組に加入している。だが、格三郎は、やがて、新撰組を脱退していくし、象山を暗殺したのは肥後藩士だった。

 この象山暗殺の前、彼が京都に招かれていく前に、「お順」は母親の「お信」の病状悪化のために江戸に帰り、兄の勝海舟のもとに身を寄せていた。そこで、激動する社会の中で奔走する兄の姿を見ていくし、象山が暗殺されたことも知る。これ以後、「お順」が松代に帰ることはなかった。

 やがて、大政奉還が行われ、坂本龍馬の暗殺事件が起こり、鳥羽伏見の闘い、江戸城開城というように急速な時代と社会の変化にもまれていく。特に、江戸城開城に関しては兄の勝海舟の大きな働きがあり、「お順」は,その姿をつぶさに見ていくのである。そして、上野戦争の際に幕臣であった勝家に官軍の者たちが襲ってきたときに、一人でこれに立ちふさがって家族を守ったという武勇も果たしたりしている。

 「お順」は,どうしても象山の仇を討ちたいと願い、山岡鉄舟の門下で会津藩士の剣客村上政忠(村上俊五郎)の力を借りようとし、彼に嫁ぐ。このあたりのくだりは諸田玲子らしい展開になっていて、「お順」が村上俊五郎にかつての想い人の島田虎之介の面影を見たからだとしているが、村上俊五郎は、ただの女たらしのいい加減な男で、象山の仇を討つためには何一つ動かなかった。そのことがわかって「お順」は彼と離縁(正式な結婚ではなかったが)し、彼が手をつけた女との間に生まれた子を引き取って育てている。だが、これが後々も落ちぶれた村上俊五郎に金をせびられていく要因になってしまうのである。

 だが、その後は、勝家の中で平穏に暮らし、養女とした貞子を結婚させ、明治40年(1907年)、73歳で生涯を終わっている。本書は、その晩年に至るまでの「お順」の姿を、彼女の目を通して明治維新の激動を見るということも含めて丁寧に描いたもので、勝海舟の姿もまことに良く描けていると思う。

 江戸屈指の蘭方医で学者でもあった高野長英が「蛮社の獄」(1839年-天保10年)で捕らえられ、五年の入牢の後に脱獄して勝麟太郎のところにやってきた時に、勝麟太郎が彼について「お順」に語った言葉として、「先生はとびきり優れた蘭医だった。だが、ひとつだけ、足りないものがあった」と語り、「教えてやる。よう聞いておけ」がまんだ-と言うのである。そして、「上手くいかないことを、上手くいくようにするには、忍耐しかない。だれになんと言われようと、ただ、じっとがまんするのサ」と語るのである(上巻 154ページ)。

 「お順」は,その麟太郎を見て、「麟太郎は明朗闊達で、やもすればお調子者のホラ吹きに見られるが、実は努力と忍耐の人だった。物事を理路整然と組み立て、一歩一歩着実に前進する。情にほだされて道を踏みはずすことは決してない」(上巻 156ページ)と思うくだりが記されているが、これは作者が勝海舟という人間を理解している言葉であろう。

 勝海舟という人は、やがて時代の寵児となっていくが、実は、その通りに努力と忍耐の人で、それゆえにまた、本物と偽物を見分ける力をきちんともっていた人であったのである。立場や考え方が異なったとしても、評価すべきものを評価し、評価べきでないものは決して評価しなかった。それがはっきりしていた人だったとわたしは思う。「忍耐が人をつくる」まことにその通りである。
               
 また、佐久間象山の甥が、尊敬していた象山が蟄居を命じられて松代で閉塞していることで自分の将来を悲観し、絶望的になって放蕩を始めたことに対して、「お順」が父親の勝小吉の放蕩ぶりについて思い返す言葉が次のように記されている。

 「小吉の放蕩は安世(象山の甥)の比ではなかったが、家族は平然としていた。それが当たり前と思っていたのだ。妻の信は、順の知るところでは、一度も小吉をなじったことがない。愚痴も言わず、悲観もしなかった。麟太郎も同じく、剣術に励み、蘭学に熱中し、黙々と我が道を歩きながら、父への敬愛を失うことはなかった。むろん順も、どんなに破天荒だろうが、父が大好きだった。無茶をしながらも小吉が愛すべき善人であり得たのは、心のどこかで、家族の無条件の愛情に応えようとしていたからだろう」(下巻24ページ)。

 こういう人間観や家族観、それが勝家の姿だったし、勝海舟(麟太郎)という人物の大きさを養ったことは間違いない。立派だったのは、小吉の妻の「お信」なのである。本書がこうした視点で勝家の人々や、特に「お信」を描いているところが作者の真骨頂だろうと思っている。

 また、佐久間象山の自尊心の強い自惚れについても、「お順」がコレラを患い、象山がつきっきりで看病した姿に触れて、「尊大な自惚れ屋の素顔は、情にもろく、無私無欲で、家族や弟子、いや、命あるものすべてに惜しむことなく愛を注ぐ、類いまれな男だったのである」(下巻52ページ)と記されている。佐久間象山という人物の人間像を慈しむ作者の視点がここに込められている。象山は、確かに物質的には無私無欲の人であった。

 本書はこうした観点で、「お順」やその周囲の人物たちがとらえ直され、描き出されて、その意味でも優れた作品と言える。読みながら、作者の思想、あるいは人間観が徐々に確固たるものになりつつあるのを感じていた。明治政府は西郷隆盛や勝海舟といった懐の大きな人間をやがては目の前の実利を優先させて排除していったので、そのあたりも含めて勝海舟その人について、もう少し記されても良いかなとは思うが、それは望みすぎだろう。読み応えのあるいい作品だと思う。

2012年4月11日水曜日

諸田玲子『お順 勝海舟の妹と五人の男』(1)


 「花散らし」の雨が降り、変わりやすい春の天気の中で、桜の花びらが散っていく。桜は散るときも凛として散る。凛としているが柔らかい。「願わくは花の下にて」と謳った西行ではないが、ふとそんな思いがする。西行の「あくがるる心はさてもやまざくら 散りなんのちや身にかへるべき」と思ったりするのである。

 それはともかく、勝海舟(18231899年)の妹で佐久間象山(18111864年)の妻となった「お順(18361907年」の生涯を描いた諸田玲子『お順 勝海舟の妹と五人の男』(2010年 毎日新聞社)をお面白く読んだ。

 いうまでもなく登場人物のすべてが幕末の歴史を彩った人々であり、それぞれが個性豊かな人物たちであったのだから、この作品は、単に「お順」という一人の女性の姿だけではなく、それぞれの人物たちと幕末の歴史を一人の女性の目を通して描き出そうとする意欲作ともなっている。

 勝海舟とお順の父親は、無役の小普請で貧乏旗本であった勝小吉という破天荒な人物で、この小吉と勝海舟(勝麟太郎)の姿を描いた名作である子母澤寛の『親子鷹』を、以前、感動して読んだことがあるが、ここでは、娘の「お順」の目を通してそれが描かれている。勝小吉は破天荒であったが、情に厚くまっすぐな人で、何よりも息子の麟太郎(勝海舟)を信じていた人であった。「お順」は、この父親を深く尊敬していたし、父親譲りの物怖じしない大胆な気質を備えていた人であった。

 本書は、その「お順」が五歳の時に、父親が売りさばいてしまった預かり物の刀のことで怒った武士が玄関にやってきたときに、その男の脛に噛みついて撃退したというエピソードから始まる。そして、最初の恋の相手としての島田虎之介との出会が織りなされていく。

 勝小吉は男谷家の三年で勝家に婿養子に入った人であったが、甥に幕末の「剣聖」といわれた男谷信友(男谷精一郎)がおり、勝海舟はこの男谷精一郎から剣を学び、後に男谷精一郎の高弟であった島田虎之介から直心影流を学んでいる。また、島田虎之介から剣だけではなく禅の学びも勧められ、島田虎之介をいたく尊敬していた。

 島田虎之介(18141852年)は、幕末の三剣士の一人といわれるほどの人物で、儒教や禅も好み、「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」という言葉を残すほどで、この言葉は本書でも取り入れられている。彼は、豊前中津藩士の子として生まれ、九州一円を武者修行した後、江戸を目指すが、下関で造り酒屋の家に寄食するうちにその娘と相愛になって娘「菊」をもうけた。そして、江戸に出て男谷信友(精一郎)の内弟子となったのである。天与の才があり、見る間に頭角を現し、師範代となり、東北武者修行の後に浅草新堀に道場を開いた。

 勝海舟は、従兄弟である男谷信友(精一郎)の推挙もあってこの島田虎之介に弟子入りしたのである。勝家と男谷家の関係、また、兄の麟太郎(勝海舟)が弟子入りしたこともあって、当然、妹である「お順」も島田虎之介をよく知り、その人柄にも接していた。島田虎之介は39歳の若さで病没したが、「お順」と島田虎之介がどのような関わりを持っていたかの詳細はよくわからない。

 しかし、本書では「お順」が島田虎之介に惚れ、自分の気持ちにまっすぐに進む「お順」の気質からして、島田虎之介と婚儀をするところまでいったが、島田虎之介の病没でその恋が実らなかったとして、その顛末が描かれていく。「お順」が佐久間象山という自意識の強い変わり者の後妻となった理由を、その実らなかった恋の反動だと描いているのである。こうした視点は女性ならではの展開かもしれないとも思う。

 佐久間象山は、信濃松代藩士の長男として生まれ、長身大柄の男子で、20歳の時に藩主の真田幸貫の世子であった真田幸良の近習(教育係)として抜擢されるほどの秀才であったが、癇が強く傲岸で、自説を決して曲げない不遜なところがあり、周囲からはあまりよく思われない人物であった。しかし、天保4年(1833年)に江戸に出てきて(松代藩士として)、儒学、朱子学、詩学をさらに学び、「二傑」と称されるまでになり、天保10年(1839年)に私塾である「象山書院」を開いた。

 そして、天保13年(1842年)に松代藩主真田幸貫が老中兼任の海防掛に任じられたことから、洋学研究の担当者に抜擢され、象山は、近代的な沿岸防備を称え、西洋砲術を普及させていた江川英龍(江川太郎左衞門 18011855年)のもとで兵学、砲術などを学ぶ。ちなみに、この江川英龍は、領民から「世直し江川大明神」といわれるほど慕われた温厚な人物で、日本で初めてパンを焼いたり、「気をつけ、右向け右とか廻れ右」といった今でもよく使われる号令のかけ方を考案したりした人で、温厚で思慮深い人であった。鳥居耀蔵がこの江川英龍を憎々しく思っていたことはよく知られている。傲岸で不遜な佐久間象山はこの江川英龍からはあまりよく思われていなかったが、高島秋帆の砲術などの技術も取り入れ、大砲の鋳造などにも成功し、江戸市中で名を高めたのである。

 やがて、西洋の学問そのものに大きな関心を寄せ、書物から学んだことはすべて公開し、教育にも熱心となり、当時の洋学の第一人者となったのである。佐久間象山という人は自信過剰なだけに私欲というものはなかった人だったのである。彼の門下生となった人物名を列挙するだけでも、吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、橋本左内、加藤弘之、坂本龍馬などの幕末を彩った蒼々たる人物がいるのである。

 「お順」が、この象山のもとに嫁いだとき、象山には「お菊」と「お蝶」という二人の妾がいて、「お菊」との間には格三郎(後に三浦啓之助)という子がいたが、「お菊」は幕府御典医の後妻となって出ていた。象山は自分の才能に自惚れていて、自らを「国家の財産」と言い、自分の血を残すことが社会のためになると信じて、弟子の坂本龍馬に「おれの子をたくさん産めるような大きな尻の女を紹介して欲しい」などと言っていたらしい。

 こんな象山のもとに嫁にやることに父親の勝小吉も兄の勝海舟も反対したが、「お順」は、普通の女にはできないこととして、敢えて、象山との結婚生活に入るのである。「お順」は切れ長の目をもつ美貌で、わざわざ象山のような男の嫁にならなくても良かったのだが、象山42歳、「お順」17歳の25歳も歳の離れた結婚であった。この辺りの「お順」の心を本書は丁寧に綴っている。

 だが、結婚して一年余の時、黒船騒動が起こり(1853年)、1854年にペリーが再来航したときに、門下生であった吉田松陰が密航を企てて失敗し、師である佐久間象山が吉田松陰の密航を幇助したということで捕らえられ、伝馬町の牢に投獄される出来事が起こる。そして、半年後に出獄をゆるされるが、その後9年間、1862年(文久2年)まで、松代で蟄居を命じられ、「お順」は、姑、妾の「お蝶」と格三郎と共に松代へ移り、そこで暮らすのである。

 この時代は社会が激動していた時代で、夫である佐久間象山の人生も変転していくのだから、それをたどるだけでも相当な分量となるし、父親の勝小吉、兄の勝海舟、そして象山の門下生であった吉田松陰や坂本龍馬など、それぞれがずば抜けて個性豊かな人物たちなのであるから、それを描き出すだけでも相当なものである。しかし、この辺りの顛末は「お順」というひとりの女性の目を通しての姿として実によく描けていると改めて感嘆した。続きや本書の優れた観点などについては、次回に書くことにする。

2012年3月21日水曜日

諸田玲子『炎天の雪 上・下』(2)

気温は低いのだが晴れて、眩しい光が射している。昨日は一日中会議で新大久保まで出かけ、韓国通りの大混雑をよそに、室内で暗澹たる思いに襲われたりしていた。会議で久しぶりにわたしよりも若い友人に会い、彼の頭髪が薄くなっているのに気づいて、思わずお互いの年齢を感じたりもした。。

 生涯は断念の連続で、むしろ平然と断念することを大事にしてきたが、諸田玲子『炎天の雪』で描かれた白銀屋与左衛門という稀代の大泥棒と言われた人物が、断念できずに、報われない自分と世の中に対する恨みを抱いて生きてきたことを、ふと思う。

 その『炎天の雪』のもう一つの背景となっている白銀屋与左衛門についてであるが、大槻一派への粛正が結末を迎えようとする宝暦5年(1755年)、加賀藩は、度重なる藩主の葬儀や相続の儀礼が続いたために、藩の財政は危機に瀕し、銀札という藩札(藩内だけで通用するお金)を発行して急場を切り抜けようとした。だが、正貨との交換ができない銀札の乱発のために米価が通常の40倍程度に跳ね上がるなどして、翌年の宝暦6年(1756年)に貧窮した民衆による打ち壊し騒動が起こったりして、あわてて銀札の発行を取り止めねければならなくなった。この銀札の回収のために、また多額の金が必要となり、武士の知行借上げ(家臣の俸給を減らす)が半知(半分)となり、武家の生活は貧窮し、消費経済が冷えてますます財政困難に陥ったのである。

 加えて、先述した宝暦9年(1759年)の大火によって罹災した人々が生活困窮に陥り、世相は荒れ、一攫千金を夢見る富くじや博打が行われ、泥棒が横行した。白銀屋与左衛門は、その中でも手口が鮮やかで、土蔵を破る名人として盗っ人働きを繰り返したのである。

 彼は、その名が示すとおり金銀細工を行う職人で、能登の生まれだが金沢に出てきて金銀細工を行っていた白銀屋に奉公して、技術を桑村源左衛門に学んだ。桑村源左衛門は北陸を代表する細工師で、加賀藩では細工工芸を奨励したことから白銀屋は伝統と格式をもつ細工師の家系であったのである。加賀は全国有数の名工芸品を誇るところで、もちろん、現在でもその伝統が続いている。

 白銀屋与左衛門は、白銀屋という屋号を名乗ることを許されているのだから、細工技術には相当の腕があったのかもしれない。しかし、世相が荒れ、経済状況が逼迫した中では高価な金銀細工を扱う職人の生活も逼迫し、加えて、彼の住居が遊郭のあるところでもあり、次第に酒と女に溺れるようになったと言われている。そして、そのために土蔵破りをする盗っ人働きをしていったのである。金と女が彼の人生を狂わせていくが、華美であることへのあこがれが人一倍強かったのだろう。

 一説では、彼が破った土蔵は主に大身の武家で、24箇所のうち17箇所が武家の土蔵で、豪商などの商家5箇所、医家2箇所となっている。白銀細工人として武家屋敷に出入りすることも多かったし、刀剣の装具の鑑定も得意で、装具に使われている金銀の剥奪も容易だっし、それを鋳つぶして他の形にして売りさばく技術ももっていたからと言われている。

 彼が捕縛されたのは、宝暦12年(1762年)であるが、公事場(裁判所)の牢内で語ったことが残されており、それによれば、その手口は大胆且つ細心で、蔵の中で何日も過ごすことを覚悟で忍び込み、夜明け頃に家中が騒がしくしているときに堂々と表から出て行くという手口を使ったらしい。また、細工道具も土蔵破りには最適で、彼はこれに独自の工夫を凝らしていたということである。

 彼の吟味(取り調べ)の中で、驚くべき事実が発覚し、馬廻役250石の前波義兵衛の娘「たみ」が10年以上前に出奔して行くへ不明となっていたが、与左衛門の妻となっていたことや、藩士の多くが彼と一緒に博打に興じていたことが明白になるのである。この事件に関連して処罰を受けた武家は百人をくだらない。藩は、この事件をきっかけに武家の風紀の乱れの一掃を行おうとしたのである。

 白銀屋与左衛門は、一度巧妙な手口で脱獄を試み、密告によって失敗したこともあって、刑が加重されて、明和元年(1764年)に「生き胴の刑」で処断され、十三歳になる彼の息子で前田駿河守の家臣木村惣太夫に奉公していた少年も連座で首をはねられて処刑された。

 この事件が藩内で大騒動となったのは、その大胆不敵な手口もあるが、百余名にも及ぶ武家の処分が行われたためで、加賀藩の藩政が重臣たちの権力掌握争いに明け暮れたこともあって、加賀騒動と共に白銀屋事件として人々の口にいつ間でも残ったからであろう。

 『炎天の雪』は、こうした背景の中で、白銀屋与左衛門の妻となった「たみ(本書では多美)」を中心にして、彼女が容姿のよい金銀細工人であった白銀屋与左衛門に惚れて駆け落ちし、子まで儲けて幸せな暮らしをしていたが、与左衛門の中に残っている連座で苦しめられて人間の恨みから、次第に与左衛門が崩れていき、やがで泥棒にまで落ちていく姿を目の当たりにして、自分の生き方を探し出していく姿を描いたものである。

 ことの起こりは、加賀騒動の大槻伝蔵に使えていた佐七という男が、五箇山で監禁されていた大槻伝蔵のために文を届けていたという咎で九年の入牢の後に出所し、幼馴染みで大槻伝蔵の側室となっていた「たみ」という女性を捜し出そうとして、「多美」と間違えてやってくるところから始まるのである。

 佐七は加賀騒動で連座された大槻伝蔵の身内の救出と幸せを願い、自分を認めてくれた大槻伝蔵に恩返しがしたいと願っていた。多美と息子の文吉とで幸福に暮らしていた白銀屋与左衛門は、この佐七の意気に感じ、やがて、大槻伝蔵を支持していた人々と大槻党を作り、大槻伝蔵を罠に嵌めた前田土佐守への意趣返しを企み、その人柄や美貌から大槻党の首領として祭り上げられていくようになる。だが、大槻党の企ては、脇も甘く、前後の結果も考量しない浅はかな素人の企てで、見事に失敗していく。実際の白銀屋与左衛門が大槻党と関係があったかどうかは不明であるが、この辺りが作者の構成力の巧みさだろう。

 経済の困窮から白銀細工の注文も減り、細工師としての腕も振るえなくなり、次第に、白銀屋与左衛門は身を持ち崩していき、博打に手を出し、盗賊団の首領から土蔵破りの鍵を作るのに目をつけられて、その罠にはまっていくようになる。加えて、大槻党の一人であった過激な男から手籠めにされて遊女に売られた隣家の娘と遊女屋で出会、彼女に溺れていくようになるのである。

 彼は、能登で自分の家系が連座で流罪となった家系であることを知り、連座で苦しめられることの恨みを抱き、それをくすぶらせていたのである。

 その間に、佐七は、自分の恨みではなく、人々と助けあって行く道を、当時の公事奉行や多美の家の近くの橋番をしている爺さんから学んでいくようになり、大火の時も人助けに奔走し、貧窮であえぐ人々のために奔走するような人間となり、連座で苦しむ大槻伝蔵の身内のためにも奔走していく。

 また、加賀騒動で無惨な殺されかたをした女中の「浅尾」の弟で、飄々としているが思慮深い小笠原紋次郎という侍と知り合いになり、彼が五代藩主前田吉徳の生母である預元院の意を受けて、大槻伝蔵の事件の真相を調べ、連座されている者たちの救出のために働いていることを知り、小笠原紋次郎も恨みではなくてゆるしと愛で生きていることを知り、一緒に働いていくようになるのである。

 佐七は、次第に「多美」に惹かれていくようになり、「多美」も恨みを抱いて身を持ち崩していく白銀屋与左衛門がわからなくなり、決して美男ではないが爽やかにまっすぐ生きようとする佐七に惹かれていくようになる。また、小笠原紋次郎は、大槻伝蔵事件の連座で苦しむ人々を救うためには現藩主である前田重教の力が必要で、そのために重教の生母である実成院と知り合いになり、彼女と相愛の恋に陥っていく。実成院は病で死んでいくが、その功で、連座で苦しめられていた人々は救い出され、大槻伝蔵の側室であった「たみ」も救い出され、やがて小笠原紋次郎と共に江戸で暮らすことになる。

 佐七と小笠原伝蔵の生き方は、恨みを抱いて生きる白銀屋与左衛門と対称的で、本書の中で光を放つ存在となっている。

 他方、捕縛された白銀屋与左衛門の連座で「多美」も処分を受け、その子も斬首されるが、佐七の懸命な働きや小笠原紋次郎、預元院の働きもあって、子の斬首は形だけのものとなり助けられ、「多美」も佐七との思いを遂げていくようになるのである。

 ここには、白銀屋与左衛門の妻となっていた「多美」と佐七の恋、小笠原紋次郎と実成院の恋という二つの恋が中心に描かれるし、白銀屋与左衛門が身を持ち崩していく姿が克明に描き出されていく。

 この作品については、まだ、記しておくことはたくさんあり、これは非常に優れた作品であるが、加賀騒動と白銀屋事件を題材にした物語作家の本領が充分に発揮された作品であるとだけ記しておこう。内実のある面白さを感じる作品だった。

2012年3月19日月曜日

諸田玲子『炎天の雪 上・下』(1)

午後からは雲が広がってしまったが、午前中は初春の光が射していたので、掃除や洗濯などの家事に勤しみ、寝具の取り替えなども少し頑張ってしていた。午後から、かなり精力的に仕事や会議の準備等をしていたが一段落つき、諸田玲子『炎天の雪 上・下』(2010年 集英社)を面白く読んでいたので記しておくことにする。

 これは加賀百万石、金沢を舞台にし、伊達騒動や黒田騒動と並ぶ三大お家騒動と呼ばれた加賀騒動と稀代の大泥棒と言われた白銀屋与左衛門の事件を背景にして、連座(罪を犯した者の家族や親類などすべて罰される)で苦しむ人々を助け出そうとする人間たちと、白銀屋与左衛門の妻となっていた「たみ(本書では多美)」という女性の恋の姿を鮮やかに描き出したものである。

 本書では、いくつかの歴史的事件が大きく絡んでいるので、まず、それらの事柄について簡略に記しておきたい。

 本書の骨格となる背景の一つは、前述した加賀騒動である。加賀騒動には加賀藩の執政をめぐる藩主と重臣たちの軋轢が背景としてあり、加賀前田家は、前田八家と呼ばれる重臣で運営され、特に前田八家の中の本多家は江戸幕府が前田家の力を押さえるために送り込んだ目付でもあったので、藩主は幕府の威光を背景にした本多家を中心にした重臣会議を尊重せざるを得なくなっていた。

 ところが、五代藩主になった前田綱紀(1643-1724年)は、祖父で戦国武将として名をはせた前田利常の影響も大きく、尚武英邁な人物で、新田開発や農政改革、「御小屋」と呼ばれる生活困窮者のためのお救い施設の設置、学問や文芸、細工技術の向上を図り、こうした執政状況を改変して藩主の主導権を確立していった。彼の藩政は80年に渡って続き、「仁政」を敷いた名君と言われていた。

 この綱紀の後を受けて六代藩主となった前田吉徳は、さらに強固に藩主の主導権を確立するために上士以外の出身でも広く人材を登用して重臣の前田八家の力を押さえようとした。特に、足軽の三男に過ぎず、世子であったころの御居間坊主(茶坊主)であった大槻伝蔵の才を見出し、彼を重用するようになったのである。

 大槻伝蔵(1703-1748年)は、吉徳が藩主となったときは、まだ切米50俵の士分に過ぎなかったが、吉徳の側近となり、機転が利く才能豊かな人物で、財政にも明るく、悪化し始めていた加賀藩の財政を立て直すために、倹約令や米相場の改革、大阪の豪商からの借り入れなどを行い、次々とこれを成功させて、加賀藩の財政悪化を食い止める働きをしていった。吉徳はこうした大槻伝蔵の働きを尊重し、加増を行い続けて、ついには前田八家につぐ家格までになった。

 しかし、前田八家を中心とした重臣たちは、藩政を握っていた大槻伝蔵に対して、低い家格から急速に出生していったのは茶坊主あがりで藩主におもねる寵臣だとみなし、快く思ってはいなかった。伝蔵が打ち出した倹約令で門閥層たちは既得権を奪われ、その憎しみは嫉妬も合わさって大槻伝蔵に向けられていたのである。特に、前田八家の中の前田土佐守(前田直躬-まえだ なおみ 1714-1774年)は、次期藩主である前田宗辰を取り込んで大槻伝蔵の排斥運動をしたために吉徳の怒りをかい、罷免されたりしたこともあり、大槻伝蔵を蛇蝎のように嫌っていた。大槻伝蔵自身も、藩主に重用されていることを威光として用いる自尊心の強さがあったので、対立は深かったのである。

 そして、大槻伝蔵を重用して藩政の改革を行っていた吉徳が死去(1745年)したあと、前田直躬を中心にした重臣たちは、証拠も不明なままで不行き届きの嫌疑をかけて大槻伝蔵を讒訴し、閉門蟄居を命じ、さらに、1747年に流刑地であった五箇山に配流した(ちなみに五箇山は、現在は白川郷と共に世界遺産に指定されている)。大槻伝蔵はそこで悲憤のうちに自害した。

 ところが、七代藩主となった前田宗辰がわずか一年半で死去し、異母弟の前田重煕(まえだ しげひろ 1729-1753年)が八代藩主のとき、伝蔵が五箇山に配流されているとき、七代藩主の前田宗辰の生母で重煕の養育をしていた浄珠院の毒殺未遂事件が発覚し、「浅尾」という六代藩主吉徳の娘の女中で中老であった女性の犯行と判明し、取り調べの結果、主犯が吉徳の側室であった真如院で、真如院が実子の前田利和を藩主につけることを画策したというのであった。そして、真如院の居室を捜査したら、大槻伝蔵からの手紙が見つかり、大槻伝蔵と真如院の不義密通ということになって、藩主の毒殺も大槻伝蔵が絡んでいるということになったのである。「浅尾」は、毒蛇の壺に入れられるという無惨な死罪、真如院と利和は閉門となり、大槻一派への粛正は1754年(宝暦4年)まで続いた。

 八代藩主も二十五歳の若年で死亡し(1753年)、九代藩主前田重靖(まえだ しげのぶ 1735-1753年)も十九歳で死亡し、結局、加賀藩主は、五代藩主吉徳の七男前田重教(まえだ しげみち 1741-1786年)が継いだのである。こうした次々と起こった藩主の若死にや藩政を巡るごたごたが続き、大槻一派への粛正も続いていたので、奸計に落とされて理由なく自害に追いやられた大槻伝蔵や真如院の祟りがあると恐れられたりしたのである。1759年(宝暦9年)に起こった未曾有の大火も伝蔵の祟りだと流布されたりした。現在では、この毒殺事件は、前田土佐守直躬ら重臣たちがでっち上げた狂言事件ではなかったかと言われている。哀れなのは、でっちあげによって殺された女中の「浅尾」である。人を虫けらのように扱っていいわけがない。

 ちなみに、この宝暦9年の大火は、本書でも一つの背景となっているので、調べてみると、この大火で金沢の町の半分以上が焼け、城の二の丸を初め城館が焼け落ち、武家屋敷や町屋の全焼が10,508戸、米穀の損失は387,000石以上といわれる。死者は26名で、これは火災の発生が夜ではなかったことが幸いしたといわれている。

 以上が、加賀騒動の大まかなところであるが、本書は、この加賀騒動を直接取り扱ったものではなく、おもに、その粛正が続いた宝暦年間、加賀藩のごたごたが続いて、大槻一派への粛正が激しく行われると同時に失政が続いて人々が苦しんでいた時代に、加賀騒動の連座として苦難に陥った人々の姿が描かれていくのである。

 連座は、犯罪を行った本人だけでなく、その家族や親類まで罰されるという法である。現在の日本では連座は禁止されているが、犯罪者の家族などが社会的に非難されたり、執拗な嫌がらせを受けたり、謝罪が要求されたりする風潮があり、近年、この風潮が激しくなった感もある。それで苦しめられる人の立場から本書は描かれていくのである。

 本書のもう一つの背景となっているのは、加賀の稀代の大泥棒と言われた白銀屋与左衛門の事件で、本書は、むしろこの人物に焦点を当てたものでもあるので、残されている資料は少ないのだが、少し史実的なことを記しておきたい。しかしそれは次回に記すことにしよう。

2011年11月28日月曜日

諸田玲子『きりきり舞い』

今にも雨が落ちてきそうな空模様になってきた。昨日からキリスト教の暦で「アドベント」と呼ばれる季節になり、アメリカの絵本作家で園芸家でもあったターシャ・テューダーの平凡な生活の中で嬉しいことをたくさん見出すという靜かで満ち足りた自給自足の生活を思い起こしたりした。普段以上にゆっくりと日々を過ごすこと、それがこの季節の日々かも知れない。

 ここ数日、明治維新前後の作品を読んでいたが、昨日は、江戸中後期の戯作者十返舎一九を取り扱った諸田玲子『きりきり舞い』(2009年 光文社)を読んだ。

 作者には比較的軽妙な文体で描かれた作品とシリアスな人間模様を描いた作品があるが、これは表題からも推測されるような軽妙な文体で綴られた作品の部類に入るだろう。『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九の娘「舞」を主人公にし、破天荒だった父親や彼以上に破天荒だった葛飾北斎とその娘「お栄」などを登場させて、その絡みの中で十返舎一九の娘としての、その父親や彼女の恋などを描き出し、健気で明るく生きる姿を描いたものである。題材からして文体が軽妙になるのは理に適っていることだろう。

 十返舎一九(1765-1831年)は、駿府(静岡県)の府中で駿府奉行所の同心の子として生まれ、本名を重田貞一(さだかつ)といい、武家育ちで、やがて駿府の町奉行であった小田切土佐守直年に仕え、小田切土佐守の江戸や大阪への移動に従って江戸や大阪に赴いたが、大阪で理由が不明のままに侍を捨てて材木商の入り婿となり、浄瑠璃作者の道を歩み始めている。近松門左衛門に影響を受けて近松余七の名で浄瑠璃を書いたりしていた。この辺りの十返舎一九を描いた松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を前に面白く読んだことがある。『そろそろ旅に』では、十返舎一九はなかなかの人物として描かれている。

 だが、そのころから破天荒で、やがて、放蕩が過ぎたのか、婿先の材木商から離縁され、江戸へ出てきて黄表紙や洒落本で有名な版元でもあった蔦屋重三郎の食客となり、そこで挿絵や浮世絵、版下、黄表紙を書き、また新たに入り婿に入って暮らしながら数々の作品を書いている。しかし、吉原での放蕩がたたり、ここでも入り婿先から離縁され、旅に出たりした。その後、滑稽本や洒落本を書きまくり、三度目の妻「お民」と結婚して、亀戸、橘町、深川佐賀町を転居しながら著作に専念し、通油町にあった地本問屋の会所(出版元が寄り合って出版のための寄り合い場所を作った)で暮らし、晩年もそこで過ごしている。46歳で眼病を病み、58歳の時に中風を病んだが、貧苦にあえぎながらも破天荒の生活は変わらず、日本で最初に文筆のみで生活し、年間の執筆量も20部以上という相当なものであった。三番目の妻「お民」との間に一女をもうけている。

 本書では、その一九の娘の名前が「舞」とされる美女で、離縁された前妻の子となっており、その子を抱えて一九が「お民」のところに転がり込んで、「舞」は「お民」に育てられたことになっている。また、一九が、実は、武家として仕えた小田切土佐守の妾腹の子で、奉行職であった父親を助けるために、侍を捨てる格好で諸国を旅したりしてきたとされている。この辺りの詳細は、実はよくわからないところがあって、作者の想像も捨てたものではないのである。

 物語は、その一九の娘「舞」が、小町娘と評判を取ってきたが、なかなか縁遠く、玉の輿に乗ることを夢見ている女性として登場するのである。そして、父親の一九がことごとく「舞」の縁談をぶちこわすところから始まり、地本問屋の会所で破天荒な生活を送りながらも娘の本当の幸せを願う父親としての一九と、ちゃきちゃきの江戸っ子娘である「舞」の姿が描かれていくのである。そして、謎の多い一九の生涯の秘密が、一九のかつての朋友の息子の仇討ちと関係して描かれていく仕掛けになっている。

 一九の朋友の息子は、一九を訪ねて来て、そのまま居候としていつき、加えて北斎の娘の「お栄」が居候となり、それぞれが奇人変人で、自分勝手な暮らし方をしているので、同じ地本問屋の会所で暮らす「舞」はてんてこ舞いになるのである。

 こういう中で、商家の若旦那や旗本の子息から縁談が持ち込まれ、「舞」も結婚を焦ったりするが、一九はことごとくぶちこわしてしまうのである。そして、それが実は、娘を真実に思う親心であることが次第にわかっていくし、女絵師として生きようとする北斎の娘「お栄」も、北斎がめちゃくちゃなことをしながらも自分の娘のことを大事にしていることがわかっていくというものである。

 もちろん、洒落本を多作した一九を取り扱うのだから、先にも記したように、その破天荒ぶりを描く文体は、当然軽妙になるのだが、この作品では、それを醸し出そうとする無理が若干感じられるような気がした。「おかしさ」を文章や物語ですることは、もともと難しいことだが、仇討ちや一九の生涯の謎に迫るというシリアスな面をもつ内容なだけに、軽妙さがすこし浮いた感じがしたのである。

 だが、作者の作品は、大体において好きな作品で、面白いことには変わりない。楽天的に生きることは江戸庶民の知恵でもあり、その知恵が発揮されて、物事を受け入れ、また受け流していくという姿勢は見上げたものだと思っているから、こうした作品でそれが描かれるのはわたしの好みでもある。「たくましく、したたかに、そして楽天的に」これが庶民の知恵というものだろう。

2011年7月16日土曜日

諸田玲子『楠の実が熟すまで』

 昨日は満月で、東の空に浮かんだ月が柔らかな光を投げかけていたが、夜になっても熱気が治まらず、今日もうだるような暑さの中にある。久しぶりで二子玉川まで出かけて食事をとったが、水量を誇る多摩川もすっかり干上がっているような感じだった。昔はあのあたりでも鮎が捕れたらしいが、その面影はなく、現代建築技術の結晶のようなデパートとマンションが建ち並んでいる。

 木曜の夜から昨日にかけて、諸田玲子『楠の実が熟すまで』(2009年 角川書店)を読んだ。これは、安永2年(1773年)10月から安永3年9月までの一年間、京の公家と武家との対立の狭間に置かれたひとりの女性の姿を描いたもので、女心の妙が素朴に描かれている作品である。

 一般に、京の公家は独特の世界を繰り広げて、わたしなどには支配階級にあぐらをかいたとんでもない価値観をもつ種族のようにしか思えないが、江戸時代に幕府の支配下に置かれた公家たちは困窮の極みまで墜ち、格式と体面だけを重んじるがゆえに、内実の窮乏はひどく、文字通り「貧すれば鈍す」の状態であったことは間違いないであろう。彼らの生活は幕府の裁定にかかっており、勢い、必要経費をごまかして水増し請求をするということがまかり通っていた。

 本書は、京の公家たちのそうした不正を暴く目的で、京町奉行の意を受けて探索に当たっていた者たちの手先が次々と殺され、万策尽きた町奉行が、公家の奥深くに侵入して内偵をはたらく隠密として、ひとりの女性に白羽の矢を立て、彼女が不正の鍵を握ると思われる公家の嫁となり、嫁いだ公家の家の事情や夫の優しさ、抱えもっている苦悩などに触れ、隠密目的とは別に、心底、その夫に惚れていく姿を描いたものである。

 そして、不正を働いていた張本人が、婚家の縁者で、嫁いでから自分に親切にしてくれた人物であることが土壇場でわかっていくのである。

 物語の構成や展開、女性の母性本能と言われるもののとらえ方などにいくつか若干引っかかるところがあるのだが、物語としてすっきりまとまっているので面白く読めるし、作者らしい描写の仕方があって、密偵でありながらも夫に惚れていくという狭間に生きる心情が良く描かれている。

 人は、多かれ少なかれ二律背反的な面をもっており、その狭間で揺れ動いたりするが、その二律背反的なところを描くところに小説の面白さがあるとしたら、これは、主人公の立場そのものが公家と武家という二律背反に置かれるという設定だから、その設定の着想はうなずけるものがある。

 そう言えば、諸田玲子はそういう立場に置かれた人間をずっと描いてきたような気がしないでもない。このところまた精力的に仕事をされているようだから、作者が全体でどこに向かっているのかを見ていくのも面白い気がしている。

 エアコンが壊れたということで、屋上に置いてある室外機を見るために、久方ぶりで屋上に上がった。ここは丘の上で、屋上に上がると展望がきき、ひしめく家屋と点在する緑をぼんやり眺めたりした。それにしても陽射しが強い。

2011年6月6日月曜日

諸田玲子『幽恋舟』

 梅雨の合間の夏日となった。昨日の夕方から延々と眠り続け、夜中に目が覚めて、地方局の記者の視点で民放が作製した震災のドキュメンタリー番組を見たりしていた。頭を垂れて沈黙することしかできないことを、あえて伝えなければならないジレンマの中で記録として残された映像に記者の良心的な姿勢が感じられて、けっこう真剣に映像を見ていた。

 それはともかく、土曜日に諸田玲子『幽恋舟』(2000年 新潮社)をけっこう気楽に読んでいたので、ここに記しておく。

 これは、中年の寄合旗本で舟番所に勤める男が、自分の娘と同年齢で三十ほども歳の違う娘に惚れ、「その娘に降りかかった人殺しの嫌疑を晴らすために奔走する」(218ページ)物語で、その背景に、小藩のお家騒動があったり、人の狂気があったりして、中年男の恋に対する逡巡が混ざり、単なる恋愛時代小説物ではないが、中年男の一途な恋がいじらしくさえ感じられる仕上がりになっている。

 時代の設定が、高野長英が捕らえられて自死した2年後、江戸幕府が崩壊していく前の1848年とされて、旧体制の終わりと新しい時代の幕開けが実感として感じられ始めた頃になっているのも盛り込まれているし、閑職の舟番方を勤めながら人生のあまり希望を持てなくなった中年男が、身分や地位や立場などを越えながら次第に恋にのめり込んでいく姿が描き出されている。ただ、この時代の設定がなくても、この作品は書けただろうとは思う。

 主人公の杉崎兵五郎は、千七百石の旗本寄合(寄合というのは無役の旗本)で、かろうじて役を得て、舟番所の御番衆として努めているが、勤めは名ばかりで閑職に過ぎなかった。ところが、彼が勤番の時、一艘の幽霊船のような小舟が御番所を通り過ぎるのを目にする。その舟には目を見張るような美貌の少女とその付き人らしき少女が乗っていた。そして、その舟が再び通りかかった際に、舟番役としてその舟を追いかけるが、その舟に乗っていた美貌の少女が突然舟から身を投げてしまう。

 杉崎兵五郎は彼女を助け出し、事情がありそうなので、自宅に連れ帰って養生させる。少女には狂気があるという。しかし、彼にはそうは思えない。彼は彼女に思いが傾いていく。そして、少女の狂気の基と抱えている事情を友人の同心の手を借りながら探り出し、そこに小藩のお家騒動が絡んでいたことを知っていくのである。少女もまた彼に思いを寄せていくようになる。

 彼は、自分の思いを抑えて少女の縁談話を進めるが、縁談話を依頼した女性のもとで行儀見習いをすることになった時、その女性が殺され、少女が犯人とされてしまうのである。彼はその疑いを晴らすために奔走する。実は、そこには少女の付き人として奉公していた娘の悲惨な生い立ちと狂気がひそんでいたのである。

 こうして事柄は解決してハッピーエンドで終わり、彼の息子に新時代の到来を予感しながら結末を迎えるのだが、時代小説のひとつの典型のようなものだろうと思う。人生を諦めかけねばならない中年になって、恋をし、それにのめり込むことができる男は幸せ者だが、信頼できる男として彼に思いを寄せる少女も、様々な自分の問題を抱えながらも一途に思っていくことによって、この恋は成り立っていき、それがハッピーエンドを生んでいくのだが、実際は、それが難しいところに男女の問題があるだろう。しかし、作品としては、場面場面で作者の力量がよく発揮されて、あっさりと読める作品になっている。だれしもこういう恋をしてみたいと思うような作品ではある。

2011年5月14日土曜日

諸田玲子『天女湯おれん これがはじまり』

 降り続いた雨が上がって、ようやく爽やかな新緑の五月を感じる日になった。福島の原子力発電所のメルトダウンが報じられ、この近郊でも放射能汚染の被害があることが伝えられたが、制御不能の事態はこれまでと変わりなく、風と雨と海流によって汚染の拡散が今後も広がっていくだろう。

 ただ、事態の収拾に向けての可能な限りの懸命な努力が続けられていることは事実で、こういう事態の中で無責任な「誰かの責任を問う」といった愚かな風潮が広がっていることは危惧している。

 そんな中で、江戸時代の大火で被災した主人公を描いた諸田玲子『天女湯おれん これがはじまり』(2010年 講談社)を、物語の面白さと合わせて、「災害の中で行く抜く人間」という別の視点でも読んだ。文学がもつ不思議な「預言的機能」ということも感じたわけである。

 諸田玲子の作品は久しぶりな気がする。この『独り読む書の記』に記しているのを調べてみたら、2010年11月25日に、浅井三姉妹の「お江」を描いた『美女いくさ』以来で、その時も久しぶりに彼女の作品を読んでいた気がしたのだが、今回も、約半年ぶりに読んだことになる。

 この作品は、以前に出されていた『天女湯おれん』(2005年 講談社)で描かれていた主人公の「おれん」が、なぜ、天女湯という湯屋の女将になったのかの理由を記す、文字通り「これがはじまり」の書で、続編ではなく遡った前史を記すというところに、作品としての面白さや作者自身の現在を感じた次第である。

 諸田玲子という作家は、これまで読んだ限りでは、実に多才で、作品に応じた書き方をすることができる作家で、シリアスなものはシリアスに、ユーモアのあるものはユーモアに富んだ描き方ができて、たとえばこの『天女湯おれん』は、彼女の『あくじゃれ瓢六捕物帳』などの作品群に属する作品だといえるだろう。

 前作の『天女湯おれん』は、もうずい分前に読んでいて、この『独り読む書の記』に記していないことからすれば、少なくとも2009年以前には読んでおり、「おれん」という美貌でしゃきしゃきの江戸っ子気質をもつ主人公の、そのしゃきしゃきぶりが見事に描かれる中で、男女の生々しい描写などがあり、それがまた光っていたのだが、この『天女湯おれん これがはじまり』では、その生臭さが消えて、その分、火事で焼け出された「おれん」が気丈に立ち直っていく姿が中心に描き出されている。そこに、災害で多くを失いながらも、その中を生き抜く姿を感じたりもしたわけである。

 「おれん」は武家の娘であったが、母親が上役から手籠めにされて自害し、父親はそのことで自ら浪人となり裏店に住んでいたが、その父親が貧しい暮らしがたたって湯屋で倒れ、その湯屋の主から助けられたことが縁で、湯屋で居候をして働いていたが、父親が病死した後、その湯屋の主である利左衛門の養女となって育てられた女性である。

 だが、文政十二年(1829年)に神田佐久間町河岸から出火した大火によって、すべてが焼け、義父の利左衛門も焼け死に、彼女が思慕を寄せていた町奉行所吟味方与力の嫡男である新村左近も失ってしまう。「おれん」と新村左近は相愛だったのだが、身分違いということで、「おれん」が泣く泣く身を引いた仲であった。そして、火事に見舞われた「おれん」を助けに火事場に飛んできてくれたのだが、燃えさかる梁が肩に落ちて命を失ってしまうのである。

 焼け出された「おれん」は、お救い小屋(幕府の救済小屋)で生活を始める。そこには、元の湯屋の裏にあった裏店の住人たちもいる。やがて、それぞれのところで復興が始まっていくが、裏店の家主も焼死して、その後を継ぐはずだった娘が親族にだまされて権利証を奪われ、身を吉原に売られ、持ち主となった金満屋が裏店を再建せずに貧乏人を追い出して金持ちのための家を造るという。困り果てた住人たちが「おれん」に相談に来て、「おれん」は理不尽な金萬屋の振る舞いに腹を立てて、人肌脱ぐことにするのである。

 愛する者を失い、すべてを失った「おれん」だが、湯屋の再建と裏店を取り戻すことの難題を抱える。だが、裏店を取り戻すために奔走する過程で、女たらしだが妙に息の合う二枚目の弥助と出会い、その知り合いの気っぷのいい元盗人夫婦と出会い、金満屋がもつ土地の権利証を盗み出すことに成功する。また、お救い小屋の泥棒騒ぎで知り合った前科者の権六を泥棒騒ぎから助け出し、これらの人たちを中心にして八丁堀で湯屋を再建していくことになるのである。

 裏店の持ち主の娘を吉原に売り飛ばして、土地建物を自分のものにした金満屋は、その非道ぶりの悪事がばれて、裏店も再建されることになる。

 こうして、「おれん」の再建は見事に成し遂げられていくが、彼女は、その過程で経験した貧しい女性が身を売らなければならない境遇でひどい目にあっていることを考慮して、湯屋に隠し部屋を設け、そこでそういう女性に安心できるような後腐れのない金持ちの男を紹介したり、女たらしで美貌の弥助をつかって金持ちの後家を慰めたりすることを思いついていくのである。

 役人が住む八丁堀の真ん中で、その役人の鼻をあかすようなことを企て、湯屋である「天女湯」を経営する女将になっていくのである。それは、思いやりの深い爽快な女性の姿でもある。

 大火から逃げのびていく過程やお救い小屋での生活など、丁寧に描かれ、そこでの人の心情が溢れる描き方があって、「おれん」の、ひたむきだが、清濁合わせ呑んで知恵も度胸もある爽快な姿が浮かび上がってくる。妙な正義感や倫理観を振り回さないところがなおさらいい。

 作者は、こういう大らかだが思いやりのある女性や人物を本当に良く描いているとつくづく思う。作者のシリアスな昨品もいいが、こういう作品が本当にいいと思っている。今必要なのは、こうした「おおらかさ」であるに違いない。

2010年11月25日木曜日

諸田玲子『美女いくさ』

 昨日はよく晴れていたのだが、今日は、時おり陽が差すくらいで薄く雲が覆っている。気温が低くなってきていて初冬の感がある。

 二日ほどかけて諸田怜子『美女いくさ』(2008年 中央公論社)を味わい深く読んだ。諸田怜子の作品をなんだか久しぶりに手に取ったような気がしたが、この作品もなかなかの傑作だった。これは織田信長の妹で絶世の美人と謳われた「お市の方」の娘で、後に二代将軍徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光の母ともなった「お江(小督-おごう-、江与-えよ-とも呼ばれるが、本作では小督、後に崇源院-そうげんいんーと呼ばれる)の生涯を記した歴史小説で、2007年4月から2008年2月まで読売新聞夕刊に連載されたものをまとめたものでさる。

 「お江」については、独自の解釈をした永井路子『乱紋』(1974年 文藝春秋社)が先に出されており、最近では、「お江」の姉の「初」を主人公にした畑裕子『花々の系譜 浅井三姉妹物語』(2009年 サンライズ出版)が出されたり、来年のNHK大河ドラマで田淵久美子原作・脚本で『江~姫たちの戦国~』が放映される予定があったりするが、諸田怜子『美女いくさ』は一読に値する作品だと思っている。

 戦国時代随一の美女といわれた「お江(小督)」の母「お市の方」自身が、まことに戦乱に翻弄された生涯を生きており、織田信長の妹として、浅井長政に嫁がされ、そこで、茶々(淀)、初、江の三姉妹を儲けるが、姉川の闘い(1570年)で兄の信長から夫の浅井長政が殺され(自害)、三姉妹と共に兄の織田信包(のぶかね)に庇護された。しかし、やがて、信長亡き後、秀吉によって柴田勝家に嫁がされ、その柴田勝家も秀吉と争い敗れて、「お市の方」は勝家と共に自害している。享年37歳だったといわれている。

 浅井家三姉妹といわれる「お市」の娘たちは、いずれも母の美貌を受け継いだ美女であったが、戦乱に翻弄され続け、長女の「茶々」は、豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生むが、「お江」の義父となった徳川家康によって大阪の役(1615年)で大阪城落城の際に秀頼と共に自害している。次女の「初」は秀吉のはからいで近江の京極高次と結婚し、やがて「お江」と秀忠の四女「初姫」などを養女として育てている。

 三姉妹の末妹「お江(小督)」は、最初、豊臣秀吉の命によって伊勢の佐治一成(母は信長の妹「お犬」と結婚させられ(従って、夫の佐治一成は従兄)るが、秀吉の命によって離婚させられ、豊臣秀勝と結婚させられる。しかし、豊臣秀勝が秀吉の大陸制覇の野望の最中に病死したため、次に徳川家との関係を深めようとした秀吉によって徳川秀忠と結婚させられた。

 「お江(小督)」は、叔父であった織田信長の剛胆さや母の「お市」の誇り高い性格を引き継ぎ、大胆であるが、物事に動ぜずに出来事を平然と受け止めていくようなところがあったと言われているが、この数奇な運命を生き抜いて、徳川将軍の母となっていく姿を、『美女いくさ』は、女性の心情を織り交ぜながら見事に描き出している。

 浅井三姉妹は、昨日の味方が今日の敵となる戦国の非情な世界を生きなければならなかっただけに仲の良い姉妹だったと言われるが、両親を殺され、殺した相手に嫁がされ、姉妹同士が敵味方に分かれなければならない状態の中を生きなければならなかった。本書は、その運命の変転の中を女として生きる喜びや悲しみ、その細やかな心情とそれぞれに誇りをもって生きる姿が描き出される優れた作品だと思う。文章も展開も作者の円熟味を感じさせてくれる。秀吉や家康をはじめとするそれぞれの人物の描き方もいい。

 人はただ、己に置かれた状況の中を、それを受け止めながら生きる以外に術がない。何らかの作為をもつ者は、その作為によってまた滅びていく。作為に人の幸せはない。「お江(小督)」の生涯を思うと、そんな思いが彷彿してくる。本書の終わりに「煩悩こそ女子の戦」という言葉が出てくるが(443ページ)、まさに煩悩こそ人の命に違いない。天から才を与えられた者は苦もまた与えられるから、煩悩も強くなる。だが煩悩こそ命だと、わたしは思う。

 しかし、この時代の人間関係は、政略結婚や養子縁組などがあって、本当に複雑であるが、表面は滅びていっても信長から徳川家光に至る血筋が「江(小督)」によって面々と受け継がれていたことを思うと、なんだか不思議な気がしないでもない。

 このところ朝鮮半島が焦臭くなって、なんだかマルクスの予言が当たってきたかも知れないと思ったりするが、世界構造のいびつさが露呈する中で、その影響を受けていながらも、大所高所から世界や社会を論じても意味のないことで、「今夜は寒いからお鍋にしよう」という日々の暮らしを自分なりに過ごしていくことを改めて心がけようと思ったりもする。それにしてもナショナリズムほどつまらないものはない。

2010年8月13日金曜日

諸田玲子『べっぴん あくじゃれ瓢六捕物帳』

 日本海を北上していった台風の余波で、朝から曇り空が広がっているが、暑さには変わりがなく、あい変わらず熱中症による死亡記事が新聞紙上に掲載され続けている。秋も立ってはいるのだが、気配はほとんどない。ただ、少し風が吹いているので夕暮れの散策にはいいかもしれない。

 昨夜、眠れぬままに諸田玲子『べっぴん あくじゃれ瓢六捕物帳』(2009年 文藝春秋社)を一気に読んでしまった。これは、以前読んだ『あくじゃれ瓢六捕物帳』(2001年)と『こんちき あくじゃれ瓢六捕物帳』(2005年)に続く、シリーズ化された第3作目で、4年に一度の割合でこのシリーズが出されていることになるものの現時点での最新作である。

 長崎の古物商「綺羅屋」の息子で、オランダ語の通訳もし、蘭医学、天文学、本草学などの知識もあって、本物と偽物の目利きもなかなかのもので、唐絵目利きをする六兵衛が、悪徳商人と役人が絡む密輸事件に巻き込まれ、それを解決するが、厭になり、長崎を出て江戸へ出てきて、「瓢六」と呼ばれるようになり、賭博の咎で捕縛され入牢する。しかし、その知恵と才覚に惚れ込んだ奉行所の与力と同心によって捕物の手伝いをすることを条件に出獄を許され、同心との信頼と友情を深めながら、与力の依頼でいくつかの難事件を解決していくというのが、このシリーズの大まかな格子である。

 瓢六はなかなかの男前で、べた惚れの美貌の自前芸者(自前というのは、借金もなく雇われてもいない独立した芸者ということ)の「お袖」がおり、「お袖」は、江戸前の気風の良さと瓢六への並々ならぬ愛情の深さをもっているが、その分、悋気が激しい女で、雌猫でさえ瓢六に近づくのを嫌うところがあるが、いつも、瓢六を助けていく女性である。

 瓢六はお袖の家に転がり込んではいるが、幕政を揶揄したり、権威をかさに着た人間や悪徳武士、商人を懲らしめるような瓦版を仲間と組んで出したりしながら、与力からの事件の探索の依頼を同心と共同しながら行っていく。

 今回の事件は、瓦版がお上に睨まれて休止状態となっているために瓢六と瓦版を作っていた貧乏長屋の仲間たちが働いていた一膳飯屋の主である杵蔵にかかわる事件で、杵蔵は、もとは料理人だったが、権威や権力を振う者への反骨精神をもち、米騒動の打ち壊しを影で組織したりする切れ者で、彼の一膳飯屋は悪の世界の入り口ともなっている。杵蔵は、元締め的な存在であり、唯一、瓢六を信じているところがある。瓢六自身が悪行を働くわけでは決してないが、瓢六もまた杵蔵を信頼し、頼りにしている。

 ところが、その杵蔵に、まるで婉曲に恨みを晴らすかのような事件が次々と襲ってくる。杵蔵が糸を引いた打ち壊しの最中に、大金の盗難事件が起こり、その事件を知っていた商家の出戻り娘が殺される。瓢六が一緒に瓦版を出して親しくしていた版元が殺され、そこに杵蔵が使っていた包丁が残されていたりする。瓢六はその事件の陰に、杵蔵の過去が関係していることを探り出し、それが、杵蔵が昔惚れていた女房との間にできていた杵蔵の娘の恨みによることを明らかにしていくのである。

 杵蔵は、惚れた女房が弟子に手篭めにされたことに腹を立て、身重であることも知らずに追い出し、そこから悪の世界に入って行ったのだが、追い出された女房は、頼りもなく、身を持ち崩して、ついに自分を手篭めにした男の下で過ごして、娘を託して死ぬ。不幸な事件をきっかけにそうなってしまったが、杵蔵も追い出された女房も、互いに惚れあっていたのである。そして、そのことで彼女を手篭めにした男もついに彼女の心を手に入れることができずに、育てている娘にあることないこと吹きこんで杵蔵を悪者に仕立て、娘は杵蔵に深い恨みを抱くようになったのである。

 杵蔵は自分に娘がいることを知らずにいたが、そのことを知り、自分を恨んで殺人を犯してしまった娘と心中する。

 この大筋の事件の間に、瓢六と信頼を深めていた固物の同心は、瓢六に恋の指南を仰ぎながら、ついに思いを遂げて結ばれるし、瓢六は、自分の怠け心に気がついて、惚れあったお袖とちょっとしたことで喧嘩をしてお袖の家を出ていくが、自分の道を探し始めたりする。お袖はそんな瓢六を深く理解して、瓢六を信じて待ち続けるようになる。お袖は自前の芸者としての誇りと働きよりも瓢六との関係を大事にしていくようになるのである。ほんの些細なことで人が切れてしまい、不幸になることを感じつつも、何が大事かをよく見極めて、お袖も瓢六も互いの愛情と信頼を深めていく姿が描き出されていく。また、瓢六の周りにいる人間たちの信頼関係の深さも描かれていく。お互いにお互いの存在を「ありがたい」と思う気持ちを持って生きている人間の嬉しさがあふれている。人の愛情の深さはそのありがたさの深さである

 今回の作品も凝っていて、各章の始まりに杵蔵の娘の独白が少しずつ入り、それが物語全体の構成を引っ張っていく構造がとられている。この作品には、瓢六の鋭い才覚や明察は少し影をひそめ、その分、彼の自分の生き方を模索する姿が描き出されている。何でもすることができるようであるということは、実は何もすることがないということで、才能ある人間の悩みはそこでは深いものがある。そうした姿が瓢六の模索の姿によく表わされているのである。

 人の思いやりの姿を描くこのシリーズは、まだ三作しか出されていないが、息の長いシリーズになてほしいと思っている。

2010年4月23日金曜日

諸田玲子『めおと』

 「菜種梅雨」という言葉があるが、今日も降り続く冷たい雨にぬれそぼるような光景が広がっている。新緑の薄緑色をした木々の葉から、雨が滴り落ちる。

 昨夜、諸田玲子『めおと』(2008年 角川文庫)を読んだ。この作品には、珍しく作者の「あとがき」が記されていて、ここに収められている六編の短編が作者の初期のころの作品であり、それなりの思い入れがあることが述べられている。

 読み進めていくうちに、作者にしては少し表現も構成も荒いような気がしていたし、無理やりまとめようとしているところを感じていたが、「あとがき」を読んで、なるほど、と思った。そう思って改めて見ると、後に作者が展開していくような人物像や物語の萌芽とでも言うべきものが随所に見られて、この作者が抱いているテーマのようなものが見えてくるような気もする。

 『めおと』は、表題のとおり、それぞれ六組の夫婦の姿を描いたアンソロジーになっており、藩の政争で義理の妹を装って送り込まれた美貌の女(忍び)に嫉妬心を燃やす妻を描いた「江戸褄の女」、病気の夫と生計のために密かに体を売り、自分のことが夫に知られないかと不安に思いながらもそのことに馴染むうちに、夫の病を引き起こしていたものが、夫を手元に置いておきたいと願う老僕の仕業であることがわかって、老僕と死に物狂いの争いをして夫の元に帰っていく妻を描いた「猫」、浪人となって辻斬りをする夫と、昔の男と逢瀬を続ける妻、そしてその夫と妻の姿が交差するところで二人とも死んでしまう「佃心中」、駆落ちして旅館を営むようになった夫婦が、同じように駆け落ちしてきた若い武士と女を助けようとして奔走するうちに、互いの絆を確かめ合うようになる「駆け落ち」、今川義元と織田信長の桶狭間の合戦に雑兵として駆り出された百姓が、迎えたばかりの自分の妻の尻軽さを知り、その報復として強烈な下剤ともなる薬を仕込んだ酒を今川義元らが飲んでしまって、結局、桶狭間で休息を取らざるをえなくなり、織田勢に敗れたという「虹」、ひとりの女性を思い続けて盲目にまでなった戦国武将の工藤泰兼を描いた「眩惑」。いずれもが、男と女、あるいは夫婦の間の微妙なバランスを描いたものである。

 これらの作品のうち、「駆け落ち」は、駆け落ちして苦労し、ようやく旅館を営むようになったが、それによって腑抜けのような生活をしていると思っていた夫が、若い男女の駆け落ちを命を賭して助けようとする姿を見て、今の夫との生活を「ありがたい」と思い直していく旅館の女将の姿を描いたもので、これは後の、たとえば『お鳥見女房』に出てくる夫婦の姿などを彷彿させるものがある。あるいは、『あくじゃれ瓢六』で描かれる男女の姿も彷彿させる。

 普段は腑抜けのようにしていて、いざとなったら立ちあがって守ってくれたり、義を通したり、そういう男が、ある意味で作者の理想だったのかもしれないと思ったりする。男と女の関係は人間の分泌されるホルモンの作用かもしれないが、そこに「情」が絡み、特に嫉妬は毒にも薬にもなる。そういう絡んだ「情」や嫉妬が毒になったり薬になったりする姿を、初期の頃の作者は描いていたのだろうと思う。

 ともあれ、『めおと』は、諸田玲子という優れた作者の出発点とも言える作品である。

2010年4月16日金曜日

諸田玲子『狸穴あいあい坂』

 四月の中旬というのに、このところ本当に寒い日々が続いて、今日も最高気温が7度ぐらいまでしか上がらない冷たい雨が降っている。四月が思っている以上に雨の多い季節ではあるにしても晴れた日が少なすぎるし、寒すぎる気がする。覚悟がないから四月に寒いと気分も滅入る。

 そういう中で、諸田玲子『狸穴あいあい坂』(2007年 集英社)を、久しぶりに爽快な気分で読み終えた。作者の円熟味を物語の構成や人物の設定、展開の視点などに随所に感じることができるし、登場人物たちの爽やかな姿が光っている作品で、作者の同じ系統の作品集に『お鳥見女房』の優れたシリーズがあるが、物語が春から次の春までの一年間の季節の移ろいの中で展開されて、はるかによくまとまっている。狸穴の「ゆすら庵」という裏庭に「山桜桃(ゆすらうめ)」の木のある口入屋(就職斡旋所)の離れに住んでいる頑固者の元火盗改めの老武士とその孫娘が主人公となっており、その「山桜桃」の季節に伴う変化が「時」を表わしていくことで、人間の優しさと柔らかさが見事に表出されていく。

 孫娘の「結寿(ゆず)」は、ふとしたことで、隠密廻り同心として事件の探索をしている「妻木道三郎」と知り合い、身近に起こる様々な事件を通して互いに恋心を膨らませていく。しかし、元々、火盗改めと町方の同心は、その設立や役割から反目した職業意識があって、彼女の祖父も彼女が慕う「妻木道三郎」をなかなか受け入れない。火盗改めは厳罰主義の検察であり、「妻木道三郎」は温情あふれた事件の処理をしていこうとする。しかし、祖父もまっすぐなら、妻木道三郎も、どこまでも鷹揚でまっすぐである。その中で「結寿」は娘心を募らせていく。

 この作品には、元火盗改めの老武士と孫娘の「結寿」が住んでいる家の大家である口入屋の「ゆすら庵」の三人の子どもたちと、妻木道三郎の子どもが重要な役割を果たす者として登場する。「結寿」は「ゆすら庵」の子どもたちに手習いを教えていたりして親しくしているし、道三郎の子どもをあずかったりする。その子どもたちと「結寿」の信頼関係も物語の展開で欠くことができないし、老武士の下働きで元幇間の「百介」も味のある役割を果たしている。

 「結寿」の祖父で元火盗改めの老武士と、彼の碁仲間で絵師であり俳諧の師匠をしている老人の姿も、すべてをわかって飲み込みながら自分のスタイルを通していく人間として描かれ、これもまた味わい深いものとなっている。

 時代小説の中で、その小説が生きるかどうかは子どもと老人の描き方にかかっているといっても過言ではないかもしれない。平岩弓枝の作品でも、宇江佐真理の作品でも、子どもと老人は実に生き生きと、しかも重要な役割を果たす人間として登場する。これは作者の作品でも同じで、子どもと老人は、殺伐とした現実の救いとなる。わたしはその視線が嬉しい。

 親子の「情」、男と女の「情」などが様々な事件を通して描かれる姿は、作者の面目躍如そのもので、まさに円熟した作品のひとつだろうと思う。子さらいや復讐、心中事件や強姦事件などのシリアスな出来事が、主人公たちのまっすぐな思いで「温かく」展開されている。こういう作品を読むと、本当に嬉しくなる。これはそういう作品である。

 それにしても今日は本当に寒くて手足が冷え冷えしてくる。こういう日は出掛けたり人にあったりするのが億劫になる。山積みしている仕事を少しかたづけよう。

2010年3月18日木曜日

諸田玲子『紅の袖』

 少し寒い日が続いているとはいえ、春の温かさに向かって日々が過ぎていくのがわかる。この辺りの梅の花はもう盛りを過ぎて散り始めているし、季節を先取りして売られている花屋の花は、色鮮やかな春の色を誇っている。

 このところ何かと忙しくて、これも月曜日以来書くことができなかった。今日も夕方には仙台まで出かけなければならない。今年は少しのんびりできるかと思っていたが、年度末というのはいつも大体そうだろう。

 月曜日に続いてまたまた男女の微妙なあやを描いた諸田玲子『紅の袖』(2004年 新潮社)を読んだ。これは幕末期に右往左往した小藩(川越藩)の騒動の中で、ひとつ屋根の下に住むことになった男女四人の錯綜した思いを、そのうちの一人である女性の視点から描いたもので、藩命によって砲台(お台場)作成の監督をしなければならなくなった夫、そしてその夫のために川越から出てきた妻、甥で、幼馴染でもあり、穏健な夫とは対照的に時代の流れを敏感に感じ取って様々な画策を企てる夫の友人、何らかの思惑をもって近づいてきて女中となった女、その四人が時代と状況に翻弄されながら、それぞれ複雑な関係をもっていく。

 諸田玲子は、そうした状況下での女性の心理描写を描くのが巧みだから、全体的にすんなり読める作品になっているし、読む人にとっては一息で読めるのかもしれないが、こうした恋愛心理の展開にいささかうんざりしている人にとっては、最後の結末に至るまでがあまりに「うじうじ」とし過ぎていて、いまひとつ興が乗らないかもしれないと思った。

 わたしの場合も後者で、読むのになんとなく重く感じられてしまった。もちろん、1853年のペリーの来航から日米親和条約、幕末に至るまでの時代が激変しているのだから、物語の展開もそうした状況の変化に伴っていくし、川越藩という小藩も大きく揺れ動き、主人公の夫もその友人も、そして思惑をもっている女中も、その時代と状況に翻弄されていくわけで、物語が面白くないわけはないのだが、作者のもう一つの面である人間に対するユーモアがほとんどなくて、不安定な主人公の心情が直接伝わってしまい、その気持ちが「わからない」という場面が、正直なところ多々ある。

 この作品は女性の心理をよく描き出すという点で、「女流作家」であることがよく示された作品であり、文章も構成も優れており、こういう読後感は、いうまでもなくこちら(読者)の心理的状況が反映されているのだが、それでもどうも「重い」という感じがしてならない。もちろん、結末は軽い。状況に瀕した小藩の藩主を変えることを画策した黒幕もわかり、事態は好転する。悩んだ主人公は、一回りも二回りも大きくなって、人生の腰を据えるようになっていく。しかし、それでも主人公の姿がわたしの理解可能な領域を越えたところにあるのは事実である。

 今夜は仙台泊まりで、明日はまた午後から予定が詰まっている。「はあ~」という感じではある。天気図を見ると、仙台の春はまだ遅いようだし、今夕は決算や予算といった無粋な数字と直面することになっている。何とも気の重いことではある。

2010年3月1日月曜日

諸田玲子『かってまま』(2)

 土曜日に降り続いた雨が日曜日の午後に上がり、今日は薄雲が広がった空からときおり陽が差したりしている。今朝はベートーベンのいくつかの交響曲を聞きながらシーツを洗濯したり掃除をしたりしていた。ベートーベンは明るく希望に満ちたところもたくさんあるが、やはり、迫ってくる音が重い気がしてならない。どうしても無理に重い問いかけが迫られているようで、張り詰めた緊張感が必要な気がする。バックグラウンドとして流すには少し重い。

 土曜日の夜に諸田玲子『かってまま』の続きを読んだ。第二話からは、第一話で美貌の旗本の娘「奈美江」と修行僧との実らぬ不義の愛で生まれた子ども「さい」が成長して行くにしたがって、その子どもと関わった人々の姿として話が展開されていく。こういう展開の仕方には作者の技量を感じる。

 第二話「だりむくれ」は、第一話で「さい」の養父母となった夫婦のうち、養母が病で死んだ後、養父と共に実母を探して旅絵師として各地を巡り歩いている時に知り合った南品川宿の飯盛り女「かや」の話である。当時の旅籠の飯盛り女は遊女でもあったので、「かや」は遊女である。一人娘をなくし、どうしようもない亭主に売られて、場末の飯盛旅籠で遊女として、飲んだくれて過ごしている。

 この「かや」の心情が、「夏が過ぎ、自分で自分を見限った頃から、すうーと気が楽になった。考えることをやめてしまえば怖いものはない。這い上がろうとあがきさえしなければ、日々はたらりたらりと流れていく」(51ページ)と描かれている。「だりむくれ」という言葉の正確な意味は分からないが、おそらくそうした「自棄のやんぱち」になって、ひねくれて「たらりたらり」と過ごしている人間のことを言うのだろう。「たらりたらりと日々が流れる」という表現がうまい。

 人は、生きる目的や希望など簡単には見出せない。むしろ、そんなものは思いこみの幻影かもしれない。それでも人は生きていく。そして、日々がたらりたらりと流れていく。

 この「だりむくれ」の「かや」が、少し成長し、母譲りの美貌と不思議な雰囲気をもつ「さい」と養父に出会い、束の間の家族の温かみを感じ、「さい」が拐かされて売られてしまうのを命がけで守っていこうとするのである。そして、「かや」は「だりむくれにだって、いつかまた、いいことがあるかもしれない」(85ページ)と思うのである。

 第三話「しわんぼう」は、「さい」の祖父に当たる旗本家からの質草として「さい」を預かることになった小石川の質屋の女将「すみ」の話である。これまで育ててきた養父に死なれて、祖父の旗本家の前に佇んでいた「さい」は、祖父もなくなっており、旗本家を継いでいた腹違いの叔父は彼女を厄介者として質草の代わりに質屋に入れたのである。

 「しわんぼう」とはケチという意味で、質屋の女将「すみ」は、自分の父親がどんな思いで銭を稼いでいたかをよく知っていたので「しわんぼう」で有名であり、亭主も手代も当てにはできずに、ひとりで質屋を切り盛りしている女である。

 そこにうらぶれた浪人が猫を質草にもってくる。そして、「すみ」の養女となっていた「さい」がその猫が気に入り、「さい」と浪人はまるで親子のように仲が良くなる。浪人には何かわけがありそうである。

 浪人は、江戸にいたころに泥酔した旗本家の息子から喧嘩を仕掛けられ、一緒にいた従弟か殺され自分も傷を負ったが、相手の旗本家の息子は、家の郞党に罪をかぶせてしまい、自分も江戸払いとなってしまい、仇を討つために浪々の身となって江戸に出て来ていたのである。

 ある時、「さい」の行方が分からなくなり、探しに出た「すみ」は、「さい」がその浪人のところにいることを探し当てる。「さい」を連れて帰ろうとするが、「さい」はこれから浪人と一緒にいると言う。そして、その夜、「すみ」はその浪人の長屋に泊ってしまう。次の朝、「さい」も浪人もいなくなり、やがて、浪人が見事に仇を打って武士らしく腹を切って自裁したと聞く。

 浪人が仇を討った無体に喧嘩を仕掛けた旗本家の息子とは、実は「さい」を質草に入れた実母の腹違いの弟であり、罪をかぶせられた郞党の娘が養母であったのだから、浪人は「さい」の養母の仇を討ったことになる。まことに「因果はめぐる糸車」式に「さい」の運命が回っていく。「すみ」は、また「しわんぼう」としての日常を送っていく。

 第四話「とうへんぼく」は、成長した「さい」が弟子となっている「おせき」という女掏摸の話で、「おせき」は「利平」という岡っ引きの鼻を明かすために掏摸を働いている。「おせき」と「利平」は幼馴染で、お互い惚れあっているが、利平が奉行所に命じられてごろつきの一団を捕えた中に「おせき」のひとり息子がいて、その息子は佐渡送りになっていた。「おせき」はお上へのやり場のない怒りをぶつけるために女掏摸となった。

 ところが、佐渡で大掛かりな島抜け(脱獄)があったという。佐渡に送られていた息子からはときおり文も来ていた。「おせき」は、自分の息子が無事に逃げ延びているのではないかと期待する。しかし、実際は、息子はもうすでに佐渡の金山で死んでおり、彼の文というのは、「おせき」のためを思って岡っ引きの利平が書いていたものであった。「さい」と利平は「おせき」のために息子が生きていることを装ってくれていたのである。そして、「さい」は「おせき」が掏摸でためた金を利平に渡して、罪をゆるすことを願い、行くへをくらましてしまう。

 「さい」がいなくなった後で「おせき」の息子が死んでいたことを伝えたのは、佐渡の島抜けをした「さい」の実父の修行僧であった。すべてを知った「おせき」は、利平の心根を温めて、心を入れ替え、利平と共に正月の福茶を一緒に飲む。「さい」の行くへはわからない。

 表題作ともなっている第五話「かってまま」は、働き者で妻思いの大工と暮らしている「おらく」の話で、「おらく」は油屋の娘として育ち、家事が苦手で、朝寝はするし亭主に肩をもませたりする「かってまま」の女房である。「かってまま」とは「かって気まま」ということだろう。

 この「おらく」の隣に美貌の女が越してきた。「さい」である。「さい」は何かにつけて「おらく」の家に出入りするようになる。「さい」は不思議な雰囲気を身につけている女になっている。そして、亭主と「さい」の間がおかしいと思いはじめる。また、長屋に出入りしていた豆腐屋が殺されたりする事件が起きる。「おらく」も悋気を起こしたりする。

 しかし、実は、「さい」は残虐非道な強盗の鬼門喜兵衛の仲間となっており、「さい」の家はその強盗団の隠れ家で、豆腐屋を殺したのもその強盗団であり、寺の普請をしていた大工の亭主に近づいてその寺の宝物を狙っていたことがわかる。だが、「さい」は「おらく」と亭主を助けるためにわざと「おらく」に悋気を起こさせ、亭主もまた「おらく」を守るために「おらく」につらく当たっていたことを「おらく」は知るのである。そして、「おらく」は、相変わらず「かってまま」ではあるが、少しは亭主をいたわる女房になっていく。

 「さい」の人生は変転して行く。「さい」は強盗団の元締め「喜兵衛」の女になっている。彼女が「喜兵衛」の女になったのにはわけがある。

 第六話「みょうちき」は、その喜兵衛が手引きに使っていた女の子どもであり、喜兵衛の娘の「みょう」の話で、強盗団の元締めの娘として傍若無人に振る舞っていた「みょう」がやせ衰えた旅の修行僧を助けるところから物語が展開していく。その修行僧は、実は「さい」の実父である。そして、かつて「さい」の実母と駆落ちした際に頼っていった実の兄が喜兵衛であり、喜兵衛は「さい」の実母を自分のものにするために弟である修行僧を罠にはめて佐渡送りとし、「さい」の実母を自分の女としたことを知り、その弟である極悪非道な喜兵衛を成敗するために来ていたのである。「みょう」は喜兵衛と「さい」の実母の娘であり、「さい」の実母は囲われたままで寂しく死んでいた。「みょう」は「さい」の妹なのである。

 そこへ喜兵衛と「さい」がやってきて、「さい」は「みょう」がかくまっていた実父である修行僧と会う。そして、実父の思いを察して、「みょう」を連れて逃げる。「さい」は、長い間放浪しながら、実父母を探し、その仇を討ちたいと思っていたのである。だから、実父が喜兵衛を殺しに出かけたことを知りながら「みょう」を連れて逃げるのである。実父は喜兵衛に殺されてしまう。

 そして、第七話「けれん」は、これまでの話の大円団で、吉原の引き手茶屋の女将で、「お六」と名を変えている「さい」が、実父が殺し損ねた喜兵衛を母の形見の簪で殺して、吉原で遊女となっていた「みょう」と共に逃げ延びていくという話で、これまでの「さい」の人生の変転が、実は、江戸時代後期に歌舞伎・狂言作者として活躍した四代目鶴屋南北(1755-1829年)の『お染久松 色読販(おそめひさまつ うきなのよみうり)』に登場する「土手のお六」という女だてらに悪事を働く「お六」の生涯であったことが明かされる。鶴屋南北は『東海道四谷怪談』でも著名である。

 この作品では「お六(さい)」は、まだ作者として売れずにくさっていた鶴屋南北を励まし、南部が思いを寄せいていた女として、しかも、見事に仇を討った女性として描かれる。「お六(さい)」は、自らの運命を背負いながらも、どこまでも南北を励ましていく女性である。

 そして、この大円団まで読んで、はじめて、「なるほど」とうならせる作品に仕上がっている。「さい」の不幸な生涯が、実は、自分の父と母を探し、非業の運命にもてあそばれた父母の仇をひたすら求めていく生涯であり、悪意もけれんみも、また自己保身の欲求もなく、運命に翻弄されながらも思いを貫き、関わった人々を励まし、何かの温かみを残して生きてきた生涯である。

 そして、こうした人間の生涯をこうした形で描き出すには、作者の筋の通った思いが貫徹されなければ出来ない作品でもある。「う~ん」と思わずうなってしまうような作品となっている。

2010年2月26日金曜日

諸田玲子『かってまま』(1)

 昨日は温かい日差しの中で春一番が吹いて、朝から相模大野を経て町田まで出かけなければならず、コートを着ていると汗ばむほどだった。

 町田は多摩丘陵と相模原台地に位置し、江戸時代中期からは韮山代官が統括した農村地帯であったが、近年、小田急線が開発されるにしたがい、私立大学や学校が移転したり設立されたりして学生が多く住むようになり、人口が爆発的に増加して、都内の繁華街である新宿と同じような開発がなされてきた。新宿は歓楽街としての盛衰が激しいが、町田は学生街の感がある。駅近郊の建物や商店など、町田はミニ新宿のようであるが、近郊が農村であり、都内の都市とはまた異なった趣があるし、雑多な感じが漂っている。しかし、小田急線沿線や田園都市線沿線は、どこでも画一的な都市計画がされて、都市そのものには面白みはない。

 今朝は曇って、黒い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうである。予報では雨と出ていた。気温が少し高く、それだけはありがたい。

 昨日、町田までの往復で諸田玲子『かってまま』(2007年 文藝春秋社)を読んでいた。これは「かげっぽち」、「だりむくれ」、「しわんぼう」、「とうへんぼく」、「かってまま」、「みょうちき」、「けれん」と、それぞれ人を形容する形容詞がひらがらで記された七編からなる短編小説集で、それぞれの形容詞で表わされる、七人の女性の姿を描いた作品集となっている。

 まだ第一話の「かげっぽち」しか読んでいないが、これは、いつも旗本家の美貌の娘の「お古」を下げ渡されて生活していた女性が自分自身の幸せを見出していく物語である。彼女が厄介になっている旗本家の娘が父親の知れない子を妊娠した。旗本家の娘は婚約をしているが相手はだれかわからない。そこでそれを隠ぺいするために、旗本家の娘が産んだ子を自分の子どもとして押しつけられ、その旗本家の郎党と結婚させられる。娘は、その郞党に思いを寄せていたのだが、自分の亭主となった郞党が子どもの実の父親で、旗本家の娘の不義の相手であり、それも自分に押しつけられたのだと思い込んでいる。

 彼女はそれでも自分なりの幸を探し出そうとするが、いつも旗本家の娘が不幸の影のように付きまとう。旗本家の娘は火事で焼け出されて、彼女の家に転がり込み、夫の様子も変だ。彼女の悩みは深まる。

 しかし、その悩みが極まった時、真相を知る。旗本家の娘の相手が自分の夫ではなく、娘が通っていた寺の修行僧であったという。「かげっぽち」というのは、「身代り」とか「人の影になっている人間」とかいう意味なのだろう。彼女は、自分が決してその「かげっぽち」ではなく、自分の人生を歩んでいくものであることに気がついて行くのである。

 物語のプロットもいい。主人公の女性が旗本家の娘の「かげっぽち」として生きなければならない必然性もよく描かれているし、彼女の心情もよく描き出されている。しかし、わたしにはどうしてもどこかねちねちしているように感じられて理解に苦しむところがある。彼女には、言ってみれば「素直さ」がない。信頼がない。こういう女性の心情は、本当に理解に苦しむ。

 事柄は単純で、彼女が自分の気持ちを素直に夫に語ることができ、夫もまた自分の妻となった女性に事情を打ち明ければ済むことである。お互いの深い信頼があれば、事柄は違った展開となる。もちろん、作者はそのことを承知の上で、それができない人間の姿を描いているのだろうが、真相を知る結末が、不義の相手が修行僧であるというのは「凡庸」のような気がする。

 ただ、こういう感想は多分に読者の心情を反映しているものだから、今のわたしの心情が、おそらく、もっとスカッとしたものと接したいと思っているからではあるだろうし、物事は単純化して見るのが一番わかりやすいと思っているからだろう。「複雑な現象を全部はぎ取って、自分は本当は何をどうしたいのか」を心底探ってみるのが一番いい。もちろん、現実には「忍耐」を要求される。しかし、ただ、「素直であることと素朴であることが人を救う」ことは疑いえない。

 ともあれ、この作者は多面的で、期待するところも大きいから、収められている他の作品も読み進めよう。今日もまた、なんとなくあわただしく過ぎるような気がする。しなければならないこともたくさんあるし、洗濯機も「終わりましたよ」という信号音を出してくれている。忘れずに干そう。