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2013年3月29日金曜日

鈴木英治『若殿八方破れ 久留米の恋絣』


 「花曇り」という素敵な言葉があるが、今日はそんな天気になっている。昨夜、満月が輝いていると教えられて、しばらく柔らかい月光を放つ月を眺めていた。なんの脈略もないのだが、良寛の「孤峯独宿の夜」という言葉を思い出したりした。

 閑話休題。鈴木英治『若殿八方破れ 久留米の恋絣』(2012年 徳間文庫)を読む。これは、シリーズの5作品目ということらしいし、前を読まないとなかなか物語の背景がつかみにくいものではあるが、「おきみ」という6歳の少女の母親のために芽銘桂真散(がめいけいしんさん)という妙薬を手に入れようと、江戸から長崎まで真田家の若殿である真田俊介が一行を連れて旅をするという設定で、「廻国活劇」という宣伝文句がつけられている。

 その旅には、彼の護衛役の他に久留米の有馬家の息女である良美という姫と女中の勝江という女性も同行し、主人公の真田俊介と有馬良美は互いにほのかに想いを寄せ合うものとなっている。それらが、それらが主人公たちの抱える様々な危機の旅にほのぼのとした光景を醸し出すものとなっている。

 主人公の真田俊介には、彼の命を狙う似鳥幹之丞(にとりみきのじょう)という宿敵がおり、彼によって俊介が信頼していた家臣も殺され、俊介はその仇も討ちたいと思っていた。似鳥幹之丞は久留米藩の剣術指南役として採用されることになっていたということで、久留米は彼らの旅のひとつの山場でもあるだろう。公儀隠密の暗躍も盛り込まれている。

 物語そのものは、もし歴史的考証をきちんとすればありえない設定であるが、娯楽作品としてはそれでもいいのかもしれないと思ったりもする。ただ、物語の中で重要な役割を果たす6歳の「おきみ」の姿は、語る言葉も振る舞いも、いくら大人びているとは言え、大いに疑問が残り、興醒めするところがある。6歳というのは満年齢で5歳であり、5歳の少女が使うような言葉ではない表現が多々ある。

 もうひとつは、このシリーズの中で各地の名物なども紹介されているが、久留米が「うどん」で有名だったということは、わたしも久留米に長く住んでいたが、聞いたことがない。ただ、本作で触れられる久留米絣を考案した高橋お伝については、現在も寺町というところにお伝の碑が建てられ、久留米絣もほんとうにいいもので、少し値は張るが愛用していたことを懐かしく思い出したりした。

 もう少し気になることで、本書では久留米21万石の藩主を有馬頼房とし、良美をその娘としているが、久留米藩の藩主にこの名はない。有馬氏が久留米の藩主となったのは、1620年に丹波の福知山8万石の大名であった有馬豊氏が関ヶ原の功績で加増されて藩主となったのが始まりで(この大幅な加増について、その理由はあまりはっきりしないが、家康の養女の蓮姫を娶ったということがあるのかもしれない)、その後、廃墟であった久留米城を修築し、筑後川の治水工事などもしたが、そのために財政の圧迫を招いたりしている。

 歴代の藩主にあまり見るべき人もなく、趣味などに走る藩主が続出し、1732年(享保17年)には享保の大飢饉で6万人もに及ぶ領民の一揆が起こったりしている。跡目を巡る陰湿な争いも繰り返されたりしている。作者が久留米を明るく活気に満ちたところとして描いているのはありがたいことではあるが、久留米藩の内実とは大きくかけ離れている。

 いくら娯楽作品とは言え、少し歴史に注意すればこういう誤りは避けられるのだから、少なくとも久留米藩主の名前を出すなら、そのあたりはきちんとしたほうが良いと思う。物語の中で、良美は重要な役割を果たす女性であるのだから、なおのことであろう。気になるところがたくさんあって、作者は何のためにこの作品を書いたのだろうかと思うほど、「今ひとつ」という思いを持ちながら読んでいた。また、気楽に読める作品ではあるが。

2013年3月25日月曜日

鈴木英治『手習重兵衛 道中霧』


 このところいろいろなことがあってこれを記すことができなかったが、一応はひとつの決断をつけたこともあるし、一連の行事も一段落着いたので、今日からまたゆったりと構えながら過ごそうかと思っている。今日は、花冷えというか、春が少し退いて雨模様の寒い日になっている。

 鈴木英治『手習重兵衛 道中霧』(2005年 中公文庫)を仙台への往復の新幹線の中で読んだ。このシリーズは、七作目の『母恋い』(2009年 中公文庫)と八作目の『夕映橋』(2009年 中公文庫)を気楽に読んでいたが、本作はシリーズ五作品目の作品で、物語の展開からすれば遡って読むことになるのだが、これはこれでけっこう面白く読めた。

 江戸の白金村で手習い所の師匠をしている興津重兵衛は、藩を出奔しなければならなかった自分の過去を精算し、士分を捨てる覚悟で故郷の諏訪に向かうことにするが、本書はその道中記のようなものとして江戸から諏訪までの旅程で物語が展開していく。

 彼の藩出奔の背景には藩の内紛問題が絡み、刺客である遠藤恒之助という凄腕の侍によって重兵衛の弟は殺され、本書では重兵衛と藩をつないでいた江戸留守居役も殺されることになるし、遠藤恒之助は執拗に重兵衛の命を狙っている。藩の何らかの秘密を重兵衛が知っていると目されており、諏訪忍と呼ばれる一団も重兵衛の命を狙っている。

 重兵衛はその危険を感じながら旅をしていくのである。重兵衛は藩主から遠藤恒之助を討つことを密かに命じられてもいるが、自分の身の清算の旅を続けていく。諏訪忍の一団は、重兵衛の後を追う仲間である遠藤恒之助にも監視の目を光らせている。

 宿場から宿場へ緊張した日々の連続の中で、重兵衛は、時に毒を盛られたり、襲撃されたりしながらも、諏訪に向けての歩みを続ける。甲州街道のそれぞれの宿場の特徴がよく描かれており、下調べが周到になされていることを感じたりしながら読みすすめた。

 また、遠藤恒之助の監視役を兼ねた手助けとしてつけられていた女性が、次第に恒之助に惹かれていくようになり、恒之助もその女性のことを想い始めていく過程や、その女性がついに仲間を裏切っていくなどの展開もあるし、諏訪忍びを手先として使う藩内紛の黒幕の正体が隠されていたりして、面白みが加味されている。

 この手の作品は面白く気楽に読めればそれで十分なのであり、人物の画一的なところとか、展開の無理や矛盾などはあまり気にしない方が良いと思っているので、かなり楽しめた。日常の姿を大事にするために、どこか間延びした感じがあるのは作者の作風だろうが、本作にはそういうところがなく、かなりの密度で書かれているように思う。

 おそらく、次の第六作では、諏訪での藩の悪政の根源である人物の正体が明らかにされたり、遠藤恒之助との決着がつけられたりしていくのだろうと思うが、剣の腕も立ち、頭脳も明晰で、美男であり、愛する者への一途な想いをもつという出来過ぎた人物を主人公にすると、本書が娯楽作品以外の何ものでもないような気がしないでもない。

2012年11月14日水曜日

鈴木英治『手習重兵衛 夕映え橋』


 使い古された表現ではあるが、このところ猫の目のように天気と気温が変わっている。2~3日体調を崩していたせいもあるが、なかなか疲れが抜けきれない状態が続き、人生の澱のようなものを感じている。近くの公園では鮮やかな紅葉が始まり、ひらひらと落ち葉が散っている。こんな時は、とりわけ人恋しい。

 昨夜は、鈴木英治『手習重兵衛 夕映え橋』(2009年 中公文庫)を気楽に読んでいた。前にこの作者のこのシリーズの七作品目の『手習重兵衛 母恋い』(2009年 中公文庫)を読んでいたのだが、これはそれに続く八作目の作品となる。

 主人公の興津重兵衛は、止むにやまれぬ事情から友人を斬り、ある藩を出奔して江戸の白金村(港区白金)で手習い所の師匠をしている武士だが、相当な剣の使い手であるにもかかわらずに武士を捨てて、手習い所の師匠として子どもたちを相手に日々を過ごしているのである。彼は、寡黙であるが剣の腕も立ち、明晰な判断力や思いやりも深く、美男で、白金村の「おその」という美貌で可憐な娘と相愛の中で、本書では、その「おその」に求婚し、「おその」は重兵衛の許嫁となっていく。

 本書には、もう一人、主人公の興津重兵衛の友人となった奉行所定町廻り同心の川上惣三郎が重要な役割を果たす人物として登場し、彼は、何事にも鷹揚で、情に厚く、彼を尊敬して事件の探索を手伝う中間の善吉と掛け合い漫才のような会話を交わしながら、事柄にあたっていくのである。本書では、その川上惣三郎が大切な十手を失ってしまい、それを探すということで、惣三郎がその日に立ち寄った様々な場所で、彼が人々に行ってきた思いやりが語られていく。

 他方、興津重兵衛は、剣術道場の主から名刀を見せてもらい、武士を捨てたと言いつつも刀に魅了されていく。彼の出身の藩から若殿の依頼を受けて刀を探しに来た友人と出会い、そのこともあって刀鍛冶を探し出すという展開になっていく。刀鍛冶では、二人の弟子のうちの一人が流行りの見栄えの良い細身の刀を作り、もうひとりの弟子が実用的な斬れる刀を作るということが起こっており、二人の刀鍛冶の間の争いが展開されていく。

 やがてこの二つの話が交差する。それは、惣三郎が情けをかけて行く末を案じていた医者の息子が、自分の生き甲斐を見い出せずに荒れていたのを重兵衛に預け、その重兵衛が刀鍛冶の争いに関わっていくのを見て、また刀鍛冶の姿を見て、刀鍛冶に弟子入りするという結末に至るという展開になっている。

 ただ、これはこれで面白いのだが、どこか展開に間伸びしたところがあって、胸踊るというものになってはいない気がして、また、描かれる人情や思いやりも少し深みが足りない気がして、ちょっと残念な思いがした。もともと、売れている時代小説のパターンが多用されていたが、本作は特に独自性が薄い気がしてならなかったのである。シリーズをどこで終わるかというのは難しいことかもしれないとも思う。引き際は難しい。自分の仕事の引き際を考えるときも、いつもそう思う。

2011年4月25日月曜日

鈴木英治『手習重兵衛 母恋い』

 めまぐるしく天気が変わり、少し家事をしようと掃除をし、洗濯物を干したと思ったら雨が降り出し、慌てて室内に入れたら晴れてきて、また干し直すことを繰り返したりした。でも、日常がこうして流れることも悪くないし、むしろ貴重なことだろう。柔らかな言葉を書き綴ってくださったメールをいただき、それをじっくり読みながら朝の時が過ぎていった。

 土曜日の夜に、鈴木英治『手習重兵衛 母恋い』(2009年 中公文庫)を読んだ。この作者の作品は、以前、『父子十手捕物日記 情けの背中』(2008年 徳間文庫)の一冊を読んで、親子の情や愛する人間の思いやりとか心情とかが柔らかく書かれる中で捕物帳ものとしての面白さもあって、娯楽時代小説としてはなかなかの味のある作品だと思っていたので、これを手にとって読んでみた次第である。

 これもシリーズもので、本作は、ある藩を出奔して江戸の白金村(現:港区白金)で手習い所師匠をしている興津重兵衛を主人公にしたシリーズの7作目だが、軽妙な語り口の中で様々な人間模様が描かれて軽く読める読み物になっている。もちろん、軽く読めるといっても、主人公が、深い事情があって友人を殺して出奔したという重荷を背負った人物であり、取り扱われる事件が軽く扱われているわけでも人間観が浅いわけでもない。

 ただ、主人公の友人となった奉行所定町廻り同心「川上惣三郎」と彼を慕っている中間で事件の探察を手伝う「善吉」の掛け合い漫才のような会話の軽妙さが光って、物語をユーモラスに仕立てているので、そうした印象が残るだけなのであり、また、その「川上惣三郎」と対称的な主人公の「興津重兵衛」の寡黙だが剣の腕も明晰で判断力もあり、思いやりも深くて、美男で、恋する女性に一途な姿も、理想的すぎると言えば理想的すぎるところや、彼が恋する女性も思いやり深く一途であるところなど、それぞれが典型的な人物となっているところなどが、あまり肩が凝らずに読めるところである。

 本作では、興津重兵衛を仇だと偽って保護を求めて転がり込んできた掏摸として育てられてきた女性のことから米問屋の乗っ取り事件に繋がっていく事件の顛末が描かれるのだが、事件の顛末はともかく、そこに手習い所に通ってくる子どもの産みの親を慕う姿やすりの娘と彼女を育てた掏摸の親方との関係、あるいは女に転がり込まれて困惑する主人公や恋人の姿など、それぞれに、ある程度の時代小説のパターンが用いられているとはいえ、それが巧妙に組み立てられているので、展開が面白くなっている。

 よくは知らないが、おそらく、このシリーズの作品もけっこう売れている作品だろうと思う。そういう要素がふんだんに盛り込まれているからだが、何故、こういう作品が現代の勤め人に好まれるのかを分析するのも面白いだろうと思う。もう少し読んで見てから、考えてみたいとは思っている。

2010年5月23日日曜日

鈴木英治『父子十手捕物日記 情けの背中』

 朝から雨が降り出した。ふだんなら柔らかな雨と言えるかもしれないが、水しぶきを上げて疾走する車の騒音がかなり喧しい。ここでは静かな日々は望むべくもないが、こんな日はぼんやりと雨を眺めながら、喪失感と諦念を抱え込んで、モーツアルトを聞きながら、カントやパスカルやキルケゴールのことなど、実人生にあまり幸福感を感じなかった人々について考えたい。

 「先週はどうでしたか」
 「あまりいいことはありませんでした。だいたいいいことはないですね」
 という会話が耳に飛び込んできた。

 それでも、友人の息子のT君が七月に婚約するという。人生の伴侶を得ることは本当に素晴らしい。共に生きてくれる人がいるということほど素晴らしいことはない。齢を重ねて独りでいるとそのことの大事さがつくづくとわかる。大いに祝福したい。

 昨日、用事で小平まで行くのに渋滞で往復5時間もかかってしまい疲れ果てていたのだが、昨夜、鈴木英治『父子十手捕物日記 情けの背中』(2008年 徳間文庫)を読んだ。これは奉行所の名同心と言われた御牧丈右衛門(みまき たけえもん)と、その後を継いで優れた明察力をもつ息子の文之介(ふみのすけ)が江戸市中に起こる事件を解決していくシリーズで、巻末につけられている「著作リスト」によれば、本書が刊行される前に既にこのシリーズだけでも10作が出されている。

 鈴木英治という作者は、奥付によれば、1960年に沼津で生まれ、1999年に『駿府に吹く風(改題 『義元謀殺』)で角川春樹小説賞特別賞を受賞して作家としてデビューされ、以後、多くの歴史・時代小説のシリーズ物を書かれているようだ。

 わたしはこの人の作品はこれが初めて読む作品であるが、少なくともこの作品は、歴史的考察の実証はともかくとして、捕物帳ものとしては、主人公である同心親子の姿やそれぞれの恋模様などもあって、娯楽小説として面白いと思った。

 主な登場人物は、名同心として知られる御牧丈右衛門と、彼が信頼を寄せる彼の上司で盟友でもある与力の桑木又兵衛、丈右衛門の後妻となるお知佳、父の後を継いだ文之介と彼の友人であり大きな助けとなる下働きの勇七、文之介が思いを寄せる幼馴染みで味噌問屋の大店の娘のお春、そして本書では極悪非道な悪人で、悪計を働かせて御牧親子を狙っている嘉三郎などであり、本書では、その嘉三郎の悪計で、お春の味噌問屋の味噌に毒味噌を混入して死人を出したために捕縛されたお春の父の救出のために親子が奔走し、ついに嘉三郎を捕えるというものである。

 この中で、自分の家の味噌から死人が出、父親が捕縛されたことから、娘のお春がひとりで嘉三郎の行くへを探すために家を出てしまい、文之介は案じるが、そのためにも嘉三郎を探すことに奔走する。個人的に、もしわたしだったら、惚れたお春を最初に探し出すことに奔走するだろうと思うが、彼は元凶の嘉三郎の足取りを探し、捕縛へと向かう。こういう発想の相違もあるなぁ、と思いながら読むことができた。

 それに、作者はどうやら食べ物に関心が強いらしく、江戸時代の京都の名物産品を記した『京洛名品綱目』なども小道具として登場する。そして、文体はとても簡素である。文章やそれが描く情景、心情といったものよりも物語の展開に重点が置かれているが、日常の何でもない会話が記されていたりもする。この作品が「書き下ろし」であるので、そういう推敲がなされない点が少し残念な気もするが、シリーズ物としては面白いだろう。

 今日は午後から巣鴨に行く用事もあったのだが、図書館に本を返却しなければならないので、勝手にやめにした。日曜日は図書館の開館が5時までだから、少し急いでこれを記した。

 さてさて、傘をさして出かけるとするか。