汗ばむほどの初夏の日差しが射している。「涼暮れの季」で寒暖の差があり、夕暮れ時が一番気持ちのいい季節になっている。今夜からまた東京で、土曜日の最終便で帰ってくることになっている。4月以来、時間が細切れになって、まとまったことができないではいるが、これもまたわたしに「与えられた時」だろうと思っている。
さて、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)に続いて、同年に出された講談社版の全集6に収められている『貝殻一平』(吉川英治全集6 1983年 講談社)を、これも面白く読んだ。通常、吉川英治の作品史において、初期の『剣難女難』や『鳴門秘帖』といった冒険活劇譚から作風を転化させたものとして本作があげられたりするが、わたしには、本作もエンターテイメント性の強い活劇譚のように思われた。本作も、江戸から中山道を通って京都へ、そして京都から紀伊、紀伊から大阪・京都という道行の中で登場人物たちの喜怒哀楽と愛憎が展開されているし、江戸城中の機密文書の争奪が最初のころの鍵となっている。
しかし、本書で歴史的事件が取り上げられ、それが大きな背景となっているし、特に幕末史の中でも暴挙のように記されている「天誅組」の事件が物語の山となっている点が、これまでとは異なっていると言えるかもしれない。
ともあれ、物語は、文久2年(1862年)5月25日、江戸城大奥に使える「扇子の方」が赤坂山王神社への代参の折に、城中の機密文書を盗んで疾走するという場面から始まっていく。
この日に年代が設定されているのは、このころ尊王攘夷の機運が高まり、幕藩体制が大きく揺らいで、江戸幕府と京都の朝廷間の関係が緊迫性を増し、薩摩藩の実権を握っていた島津久光が公武合体策を進めるために藩兵を率いて京都へ上洛するという出来事が起こっている。外様大名が藩兵を出兵させるというのはこれまでになかったことであった。
そうした歴史的状態を背景にして、「扇子の方」は、やがては明治天皇の外祖父(娘の中山慶子が明治天皇の母)となる中山忠能(ただやす)の娘で、江戸城中の状況を探るために大奥に送り込まれていたという設定になっている。天誅組を指導した中山忠光は「扇子の兄」となっている。
その「扇子の方」の逃亡の途中で、それを陰ながら護っていく人物として、沢井転(うたた)という青年剣士が登場してくる。この沢井転がこの物語の主人公の一人なのである。そして、「扇子の方」と機密文書の行方を追いかける大目付の与力たち、その中でも執念を持って追いかける青木鉄生や目明しの「すっぽんの定」などが追いつ追われつの逃走劇を中山道の下諏訪や飯田を経て京都へと展開されていく。
また、その道中で貝殻座という旅芸人一座が登場し、その女座主のお千代とその用心棒の青江左次馬が登場して、「扇子の方」の逃亡劇に微妙に絡んできたりする。そして、物語の後半部分で、この貝殻座に「一平」という人物が絡んでくるのである。
そしてさらに、実は、この「一平」と沢井転は、共に名奉行として名高かった矢部駿河守定兼(さだのり)の双子の忘れ形見であったことが明かされていく。矢部定兼は、勘定奉行、江戸町奉行を歴任した俊才であり、また情と正義感に厚い人であったが、老中の水野忠邦と目付の鳥居耀蔵らの策略で失脚させられ、桑名藩預かりとなり、自ら食を絶って憤死した(天保13年 1842年)人で、矢部家はその後、鶴松という養子を立てて再興されたが、本書では、6歳の時に行方不明となった定兼の実子「菊太郎」を探す矢部家の老臣たちも登場する。この老臣たちは、いわば「滅び行く忠義の見本」のような人物として描かれている。
一平と沢井転は、共に矢部定兼の子であったが、双子を嫌う風習で、一平は生まれて間もなく房州の海に流され、かろうじて拾われて育ち、やがて大阪の武家の仲間(下僕)として働くようになっていた。そして、その主人の一人娘の「お加代」と恋仲となり、駆け落ちするのである。この武家が新撰組に加わる山崎蒸の縁戚であったことから、山崎蒸に追われることになり、興行していた貝殻座に逃げ込んで、そこで道化役者に化けて逃げ延びる。彼は根っから陽気で、あまり物事も考えない代わりに邪気もなく、小心で臆病さをもち、女性の母性愛を掻き立てるような人物で、貝殻座の女座主の「お千代」の世話を受けていくようになる。一平は、まさに「庶民」の典型として描かれるのである。だが、物語そのものが彼を中心にして展開されないため、彼についてはどこか焦点がぼやけた感じがしないでもない。
物語は、歴史的事件である「天誅組」の方へと流れている。他方、京に逃げのびた「扇子の方」は、一時は捕縛されて二条城に連れて行かれるが、沢井転によって救出される。だがそれによってますます「扇子の方」と沢井転はお尋ね者としてさらに厳しい詮索の対象になっていく。時、あたかも会津藩主松平容保が京都守護職となり、新撰組が結成され、攘夷を叫んだ熱情的な浪士たちが中山忠光を主として天誅組を結成し、やがては紀伊で幕府軍との戦闘を開始するようになるのである。その戦に「扇子の方」も沢井転も、そして貝殻座のお千代も一平も巻き込まれていくことになる。
そして、天誅組は敗れ、中山忠光は沢井転の働きによって大阪に逃げ延びることができた。ちなみに中山忠光は、その後、長州藩によって保護されるが、第一次長州征伐後に長州藩内で再び保守派が台頭した時に、長州豊浦郡で刺客によって暗殺されている(元治元年 1864年)。
この物語は、社会の上層階級と下層階級を対比させ、幕末という動乱期に起こった出来事を通して、政治がもたらす非情さやつまらなさ、だが庶民を翻弄してしまう社会状況を人物像を通して展開しようとしたものだと言えるかもしれないが、そうした思想的な実験は、まだあまり成功しておらず、むしろ、活劇譚としての物語の展開と面白さが前面に出ている作品だと言えるだろう。
それにしても、吉川英治の構成力や物語の展開のスピード、そして様々な登場人物たちの個性を描く力量、歴史的検証の確かさなど、改めて敬服する。それらを踏まえて、なお、面白さが加わった作品であった。