ようやく少し暖かくなり、少し春の陽射しを感じるようになった。まだ寒い日があると思うが、明日からは弥生である。年度末が近づいたので、今年は自分の身の処理を真剣に考えようと思っているが、このところ急激な体力の衰えを感じたりして、果たしてどうしようかと思ったりもする。そういう者にとっては、春の暖かさは有難い。
さて、乙川優三郎『武家用心集』(2003年 集英社)の第六作「向椿山」は、待つことができずに裏切ってしまった女への想いを細やかに描く短編である。
医師としての五年の学びを終えて帰郷した岩佐庄次郎は、五年前に「待つ」と言って言い交わした美沙生(みさお)が自分を待っていなかったことに愕然とする。
美沙生は、武家の娘で、庄次郎の師である医師の家に手伝いに来ていた娘であった。明るく屈託がない彼女は誰からも慕われるような娘であった。正次郎は十九歳で江戸に遊学する前、互いに想いを寄せ合っていた十六歳になる美沙生に待てるかと訊き、彼女は、はい、と屈託なく答えていたのである。だが、親の承諾を得て婚約していたのではなかった。
それから五年、彼が遊学を終えて帰ってきたとき、しかし、そこに美沙生の姿はなかった。彼は事情を知らされないままに、藩から薬草園の設置などを任された仕事をしながら日々を過ごしていた。彼は、遊学中に、せいぜい年に一度か二度しか手紙を書かなかったし、いつのまにか美沙生からの便りも届かなくなっていた。美沙生の家に行っても、美沙生は彼に会おうともしなかった。
やがて、美沙生についての噂話が聞こえてきた。美沙生が華道家の子どもを身ごもり、その華道家の跡を追って京へ行ったという噂話であった。そして、それから一年ほどして戻り、今は実家にいるということだったのである。それを聞いて、庄次郎の心は揺れ、彼は自分の仕事に精を出すことで忘れようとするが、どうしても美沙生のことが忘れられないでいた。美沙生の母親からの話も聞き、美沙生の裏切りが事実だということも知る。
そうしているうちに、日々が過ぎていくが、ある日、突然、美沙生が彼を訪ねてくる。美沙生は、庄次郎が別れる時に、草木のことを知りたいのであれば生花でもしたらどうか、と軽く言ったことを覚えて、華道を習い始めたのだという。ところが、習い始めるうちに洗練された生花の腕をもつ華道の師範に次第に心が惹かれていったのである。そして、一線を超えてしまい、子を宿したのである。身ごもった彼女は尼寺に預けられて世間の目を誤魔化そうとしたが、子は生まれることなく流れてしまった。華道の師範は、まもなく京に旅立っていった。、そうして今に至ったと彼女は正次郎に語る。
正次郎は衝撃を受けるが、待てなかった彼女の姿を見るうちに、覚悟を決めて、彼女を自分の家に連れて行くのである。
この話はこれだけのことでしかないが、人間の回復をどこでするのかということは、なかなか重いテーマで、自分を裏切った人間を、単にゆるすだけでなく、その者と共に再び生きていけるかどうかは、いつも深遠な課題であると思ったりする。
第七作「磯波」は、自分の想い人を闊達な妹に奪い取られ、その後ひとりで生きてきた女性の微妙な女心を描いた作品で、なんとなくこの作品集にはそぐわない作品のように思えたが、「断念」して生きていくということを考えさせられる作品であった。
第八作「梅雨のなごり」は、藩主の交代とともに行われることになった徹底した藩政の改革に携わらなければならなかった勘定方の父親をもつ娘の視点で、飄然と生きている叔父の姿を描いたもので、改革の嵐の中でも、驕ることも増長することもなく、妹の家族を守っていく姿が描かれる。状況の変化の嵐の中で、人はどう生きるかを問う作品でもある。
藩の勘定方を務める父親の帰りが日毎に遅くなり、ついには城詰めの日々となっていく中で、母の兄である大出小市は、彼女の家の台所の板敷を居酒屋代わりにして、手酌で酒を飲むのを楽しみ通ってきていた。彼女の家はわずか二十五石の俸禄で貧しく、叔父は小普請組の小頭をして金もありそうだし、家族もいるのだが、なぜか、彼女の家で酒を飲んでは磊落で気さくな話をしたりしていた。
そんな中で、十八歳になる兄の恭助は、道場に行くと言っては出かけて、時折、酒とお白粉の匂いをさせて帰ってきていたが、叔父がいるときに仲間と酒を飲んできて帰ってきた。そのとき、叔父の小市は、今がどんな時か考えろと言って激怒し、藩の情勢について話した。叔父は、磊落そうに見えても、情勢についてはきちんと理解していたのである。
彼は、藩主が交代して国入りする半年前から、藩政の改革に備えてさまざまな取り調べが行われており、場合によっては奸臣の処分と執政の交代がありうるのだと言う。そのために江戸から来た側用人を頭にして監察組が組織され、父の武兵衛もそこで働いていると語るのである。そして、こうのような時は身を慎むべきだと恭助に諭すのである。
父親の仕事については固く秘密が守られて何も知らされていなかった家族は驚くが、恭助が一緒に酒を飲む仲間に藩の重臣に繋がる須田千之介という男がいて、恭助は彼から二両の金を借りていた。須田千之介は中老の田上源左衛門と繋がり、恭助を通して監察がどこまで進んでいるかを探ろうとしていたのである。恭助はそのことに何も気づかずに暢気に酒を飲んで遊んでいたのである。須田千之介は神道流の腕が立つ。
叔父の大出小市は、それを聞いて、道場まで出かけて行って須田千之介に金を返すが、そこで須田千之介は立会いを望み、反対に小市に足をしたたかに撃たれたのである。こうして、恭助の禍根は断たれたが、城ではいよいよ糾弾が始まり、父親も城詰めで帰宅しなくなった。父親の武兵衛は過労で倒れるのではないかと案じられた。
藩政の改革は想像以上に大掛かりに行われ、執政の更迭が行われ、失脚した重臣たちには即座に処分が言い渡され、その中に中老の田上源左衛門もいて、田上と繋がっていた須田家の行く末も危ぶまれる状態となり、足をしたたかに撃たれた須田千之介が大出小市に仕返しをすると脅しをかけてきた。
そして、往来で須田千之介は大出小市に斬りかかるのである。彼の父は左遷され、大出小市は普請奉行になって加増されていた。そういう恨みも重なり、気位が高かった須田千之介が私怨を果たそうとしたのである。
往来での斬り合いであるから、それを止める仲裁が入り、小市は刀をひこうとするが、千之介は無理矢理にも斬りかかり、ついに、小市は脇差で千之介の胸を刺すのである。いくら理があっても往来での藩士どうしの斬り合いは御法度である。大出小市には、何らかの処分が下されるかもしれないが、小市はこの出来事を大目付に届けに行く。
それを見ていた利枝は、一部始終を母に話した。母はそれを聞いて、「誰かがつらいときは周りのものが明るく振舞うものです」(208ページ)と語り、小市が頻繁に酒を飲みに来たのは、貧しい家に嫁いだ妹のことを心配してであり、叔父はそうして利枝の家を守ってくれたのだと言う。父の武兵衛もそのことを知っていて、小市に感謝していた。
多分、兄の恭助が叔父を迎えに行くだろう。その兄は、それを聞いても呑気で能天気であるが、その明るさが救いかもしれないと利枝は思うのである。
小市がどのようになるかは記されない。しかし、全体に変革の嵐が吹き荒れて、つらい時に、辛抱して日々をたゆまずに過ごしていくことや、さりげなく愛する者を守ることに徹していく姿があって、作品の出来はともかく、なんとなく爽やかに読めた作品だった。
乙川優三郎のこの短編集は、文学性も盛り込まれている思想のさりげなさも、優れて高いと思う。時代小説の形で現代の問題を取り込み、しかもそれが違和感なく著されている。こういう短編を優れているという、と改めて思った。