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2013年9月13日金曜日

北原亞以子『消えた人達 爽太捕物帖』

 小笠原の南で台風が発生したそうだが、今日は朝から暑い陽射しが照りつけていた。八月の炎暑ほどのものではないが、夏がまだ頑張っているという感じがする。このところ少し原稿に追われていたのだが、外出も少なく、気分的にはゆっくりしていたら、いつの間にかしなければならないことが山積みしていた。少し片づけるとしよう。

 それはそうと、『独り読む書の記』のブログのデザイン、いろいろ試行錯誤しようとは思っているが、Googleで用意されているテンプレートがどうも今ひとつぴったり来なくて「はあ~」という感じである。テンプレートを使わなければならないというところが、こういう無料のものの欠点だなあ。

 数日前、雨模様の天気が続いた中で、虫の声を聞きながら、今年の3月に帰天された北原亞以子さんの『消えた人達 爽太捕物帖』(1999年 毎日新聞社 2010年 文春文庫)を読んだ。これには『昨日の恋 爽太捕物帖』(1995年 毎日新聞社 1999年 文春文庫)という前作があるが、前作を読まなくても物語の展開がきちんと把握できるようにうまく配慮されている。

 これは江戸の大火(物語では文化3年 1806年とされているから、1200人ほどの死者が出た「文化の大火」であろう)で焼け出された子どもたちの物語で、芝神明町の紅白粉(おしろい)問屋の一人息子だった爽太郎も、九歳の時にこの火事で親も家も失った孤児となり、仲間たちと掏摸やかっぱらいなどをして必死で生き延び、昔、親が親切にしたという鰻屋の十三川(とみかわ)の十兵衛に助けられて居候となり、やがて奉行所同心に見込まれて岡っ引きとなって、十兵衛の娘の「おふく」と結ばれ、火事場を一緒に生き延びた仲間たちとの友情や絆を深めていく。これは、その爽太郎(爽太と名前を改める)を中心にした物語である。

 「おふく」は、その名前のとおり福々しい女性であるが、きっぱりとしたところがあって、ともすれば落ち込みがちな爽太を明るく支えていく女性で、作者がほかの作品でも登場させるような魅力的な人物であるが、そのあたりのくだりは前作の『昨日の恋』で展開されているのだろうと思う。本作では、爽太や「おふく」が中心ではなく、火事の後を爽太と一緒に生き延びた仲間で、気が弱くて真面目で、ざる売りの老人にもらわれ、散々苦労したが、ようやく「おせん」という女房をもらってざる売りの店を出すことができた弥忽吉(やそきち)の出来事が中心になっている。

 相思相愛で仲が良いと思われていた弥忽吉の恋女房の「おせん」が、探さないでくれという置き手紙を残して失踪したのである。

 「おせん」は美貌だが、言いたいことの半分も言わないようなおとなしくてどこか頼りなげで、一所懸命に弥忽吉の世話をするような女性で、とても置き手紙を残して失踪するような女性とは思われなかった。彼女は、彼女は金物屋の娘だったが、やはり、あの文化の大火で家と商売を失い、長屋に移ったが、やがて父親が病み、必死に働いたが追いつかずに、柳原の土手に出て夜鷹をしていた。彼女が16歳の時である。だが、夜鷹には夜鷹の縄張りというのがあり、夜鷹の世話をしている牛太郎(夜鷹の取りまとめをする者をそう呼んだ)の徳松に捕らえられて折檻を受けているところを弥忽吉に助けられたのである。牛太郎の徳松もまた、昔、爽太たちと生き延びた仲間であり、徳松は弥忽吉を知っており、こうして、弥忽吉は「おせん」にとって恩人となった。

 弥忽吉は「おせん」に惚れていたので、やがて二人は夫婦となり、「おせん」は弥忽吉によく仕えた。だが、ふとしたことで女房持ちの武蔵屋栄之助という男と出会い、恋に落ち、駆け落ちしたのである。「おせん」の恋の相手である栄之助もまた、あの大火で孤児となったところを武蔵屋に拾われ、そこの娘と相愛になって婿となった男であった。

 爽太は弥忽吉の頼みで「おせん」を探す過程で、その事実を知っていく。栄之助は、「おせん」と駆け落ちして逃避行をしていくが、途中で自分を養ってくれた恩義を重く感じて「おせん」を捨てて武蔵家に帰る。ひとり残された「おせん」は、しかし、なおも栄之助を慕っていく。だが、栄之助は駆け落ちの無理がたたって病で死んでしまい、裏切られた弥忽吉と栄之助の女房は、「おせん」への復讐を企んでいくのである。そこに武蔵屋の婿のことで武蔵家を脅して金をせしめようとする者たちも登場して絡んでくる。

 爽太は弥忽吉に罪を犯させたくない一心で奔走していく。「おせん」が偽手紙で江戸から上州へ呼び出され、物語も江戸から上州への中山道の旅となる。そして、すべてが明らかになるクライマックスを迎えていくのである。

 物語が、過去と現在を行き来するだけに、少し展開が荒くなっている気もするが、一つの大きな出来事で人生の歯車が狂い、それを受け入れて生きていく者と、受け入れることができないでいる者の姿が、微妙な男女の愛情のもつれとして描かれているだけに、微妙な味わいが残る作品である。それにしても、「おせん」という女性のしたたかさが強烈に残る。作者は「おせん」を決して悪くは書かないが、よくよく考えてみれば、こういう女性に男は騙されやすいような気がしないでもない。

2013年3月27日水曜日

北原亞以子『慶次郎縁側日記 あした』


 今日も雨模様で寒い。先日、作家の北原亞以子さんが、享年75で帰天されたと報じられて、これまで『深川澪通り木戸番小屋』や『慶次郎縁側日記』のシリーズなど、かなり読んでいて、その柔らかい筆致が好きだっただけに、大変残念に思っていた。ちょうど、『慶次郎縁側日記 あした』(2012年 新潮社)を図書館から借りてきており、これが彼女の最後の作品になったと、感慨深く読みすすめた。

 『慶次郎縁側日記』は、元南町奉行所の同心で、「仏の慶次郎」と呼ばれた森口慶次郎が、隠居して酒屋の寮番人をしながら江戸市中で生きる様々人たちが起こす事件や出来事に関わっていくという設定で、市井で生きる人々の姿を短編連作の形で描き出したもので、その最後の作品になった『あした』は、暖かい余韻を残しながらもすっきりとまとまった作品になっている。

 本書には「春惜しむ」、「千住の男」、「むこうみず」、「あした」、「恋文」、「歳月」、「どんぐり」、「輪つなぎ」、「古着屋」、「吾妻橋」の十篇が収められており、いずれも生きることの悲しみとそれをそっと包む人間の姿が味わい深く描かれたものになっている。

 「春惜しむ」は、女髪結いの亭主として働くこともせずに身勝手に遊んで暮らし、あげくの果てには若い女に入れあげ、離縁をされて、尾羽打ち枯らして体調を崩し、隠居している慶次郎を訪ねてきた磯吉という男の話で、慶次郎は、治療費は自分が密かに負担する覚悟で、貧乏人からは金は取らない友人の医者である玄庵のところへ行くように言う。

 磯吉が女房としていた女髪結いのお俊は、縄暖簾の女将の髪結いに行ったところで源次という男と知り合いになり、つきあっていた。源次は一度結婚したが、世話も何もせずに好き勝手をする女房と分かれて、船宿の船頭をしている男だった。二人は夫婦になるつもりであったが、お俊は、女ひとりで生きていける髪結いの仕事を辞めることにも不安を覚えていた。しかし、貧乏しても夫婦でいることを決断して、二人は夫婦になる。

 磯吉は、少し立ち直って、慶次郎がもった治療代を少しずつでも返していくというようになるが、別れた女房であるお俊が源次と結婚したと聞いて、その様子を見に行く。お俊の亭主となった源次は、実は磯吉の血の繋がらない兄弟で、小さい頃は、源次は可愛がられるが磯吉は除け者にされるような暮らしをしてきていた。だが、源次は兄思いで、ずっと真面目に働いてきた人間であり、お俊と源次は幸せそうだった。

 磯吉は二人の様子を陰ながら見て、嫉妬心を覚えたりするが、結局は自分が消えることが一番だと悟ってそこを立ち去るのである。慶次郎は、磯吉が律儀に金を返しに来るのを彼が一人前になった証としてそっと見守っていくのである。身勝手なことしか考えなかった人間がほんの少し立ち直っていく。これはそういう物語である。

 「千住の男」は、強盗に入り幼い小僧まで殺した男を追いかけて、慶次郎を慕っている岡っ引きの辰吉が千住まで出かけていったとことから始まる。森口家の夫婦養子となって慶次郎の後を継いだ森口晃之助からその捕物のことを聞いて、慶次郎も千住まで行ってみることにする。どこに行ったのかわからないと心配している辰吉の女房のおぶんから相談を受けていたからでもあった。

 強盗殺人犯は旅籠にいるということで捕り方が旅籠を取り囲んでいたが、慶次郎は船着場のある河原に下りて行ってみることにする。そこで川面に向かって小石投げをしているとひとりの男が近寄ってきた。慶次郎は、その男の話を聞くことにする。

 男は、鬼怒川の西岸の宿場に近い村の豪農の生まれで、気立てがよく働き者の女房をもらっていたが、悪友の勧めで宇都宮の城下に遊びに行った時に、「おしん」という遊女と昵懇になった。「おしん」は十二歳で遊女屋に売られ、十四歳で見世に出され、男と知り合ったときはまだ十五歳の弱々しい暗い女性だった。男と女房とのあいだに子どもまで出来、男は子ともを可愛がったが、「おしん」に対する想いは募る一方で、「おしん」を身請けしたいと思うようになっていた。そして、彼は女房と子どもを捨てて、「おしん」と暮らすことにする。女房は金もあって何不自由なく暮らせるが、「おしん」は自分だけが頼りだからというのである。男は、父親から大金をもらって勘当され、「おしん」を身請けして、「おしん」と暮らし始める。だが、それから三年して「おしん」が病で亡くなってしまい、父親からもらった金も使い果たし、つい、江戸に出てきた旅籠で盗みを働くようになったと言う。そして、盗みを繰り返しているうちに、盗みに入った家の主人に見つかり、逃げたい一心で、夫婦と小僧を殺してしまったと慶次郎に告白するのである。

 慶次郎は、その男の話をゆっくり聞いてやり、そこに捕り方がやってくるという結末で終わる。慶次郎は、男が取り方の追う強盗殺人犯だと感づいていたが、ともかく、その男の話をゆっくり聞くのである。そして、男が見せた別れた女房と子どもへのほんの少しの思いやりを受け止めていくのである。

 「むこうみず」は、水戸家の御用達を務める煙管屋の子守の女中が、自分が好きになった手代との間に子どもが出来て、その相手を問い詰められて、少しだけ知っている煙管師の弟子を相手だと嘘をついていく話である。手代は奉公人に手をつけたことが知られれば店を追い出される。だから女は嘘をつくのだが、彼女が相手だといったのが、実は岡っ引きの太兵衛の次男で、弟子入りしている煙管師の娘との養子縁組の話が持ち上がっており、身に覚えがないと断言する。太兵衛も森口慶次郎を慕っている岡っ引きだった。

 煙管屋では女中の話を聞いて、辰吉の次男との縁組を進めようとするし、女中の嘘はのっぴきならないところまで進んでいくように見えた。そこで、女中は手代と密かに会って、駆け落ちの計画をするようになる。高価な煙管をネコババして、それで金を作って駆け落ちしようというものである。彼らは東海道を下って行く計画を立て、女中は手代と生まれる子どもの三人で暮らすことを夢見ていく。

 やがて、二人は出奔し、女中の嘘もばれる。女中は手代と約束したように品川まで行ったいたようで、そこで連れ戻されるが、男は、甲府に向かう内藤新宿で捕らえられる。どちらがどちらを騙したのかはわからないが、岡っ引きの太兵衛は、子どもを抱えることになる女中を陰ながら支えていこうかと思うのである。

 表題作ともなっている「あした」は、森口慶次郎の夫婦養子となって跡を継いでいる森口晃之助に与力になるという出世話が起こる話である。晃之助は慶次郎の娘と相思相愛だったが、慶次郎の娘が自害したあとも、南町奉行所同心である慶次郎の夫婦養子となって跡を継いでいた。昔、慶次郎自身にも与力になる出世話があったが、慶次郎はそれを断り、そのため彼を推挙した上役から不愉快な人間と思われていたが、晃之助の実父は吟味方与力であり、与力と同心では雲泥の差のある身分だった。

 晃之助にそういう出世話が持ち上がる中で、「おみね」というこそ泥をしながら暮らしている老婆が捕まえられて自身番に突き出される。「おみね」は何度もこそ泥や食い逃げで捕らえられていて、伝馬町の牢にもはいったことがある老婆で、泥棒長屋に住み、こそ泥を繰り返して生きているのである。彼女は、年寄りが安心して暮らせないのだから仕方がないとうそぶいたりする。

 自身番の書き役(記録係り)は、「おみね」が食い逃げしたという蕎麦の代金を払ってやり、「おみね」を返す優しい男だったが、「おみね」はその書き役にも悪態をつく始末だった。

 「おみね」は、子どもの頃は裕福ではなかったが人並みの暮らしをしていた。しかし、十三歳の時に左官をしていた父親が死に、続いて母親も亡くなり、藍玉問屋で女中奉公をしていた。そして、十七歳で結婚し、子どもも生まれたが、子どもが三歳の時に亭主が急死した。それから女手一つで子どもを懸命に育てたが、その子どもが九歳の時に川で溺れて死んでしまったのである。次々と愛する者を失いながらも、「おみね」はかろうじて生きてきた。そして、料理屋に務める同じ長屋の娘のおきみがなつき、「おみね」はその娘を我が子のようにして面倒を見ていたが、娘の母親が男を作って駆け落ちし、「おみね」はおきみを引き取って育てた。そのおきみも、やがて煙草の葉をきざむ職人と結婚し、所帯を持って子どももできた。だが、そのころからおきみは「おみね」に金の無心に来るようになり、それが度重なった。「おみね」は老後の生活の不安を抱えながらもおきみに金を都合つけていたが、金額も大きくなっていき、「おみね」が病んで倒れた時には、数度見舞いに来ただけで「おみね」の家の飯まで食べてくようになっていた。

 金は底をつき、病で中断していた内職を再開しようにも、五十一歳になる「おみね」の仕事はなく、折れ釘拾いや短くなった蝋燭を集めて問屋に売るといった暮らしをしていたが、どうにもならなくなり、ふと入った家でわずかの金や食べ物を盗むようになっていったのである。彼女は泥棒長屋に住み、盗みを繰り返しながら生きている老婆になっていったのである。

 森口晃之助は、与力への昇進話を聞いて、自分も養父の慶次郎と同じように、この話を断ろうと思っていた。同心の仕事は想像以上に過酷なものだったが、定町廻り同心として市中を見回っているうちに市井の人々のふとした思いやりに触れたりすることに大きな喜びを感じ、養父の慶次郎のことがわかるようになっていたのである。

 その晃之助が、薄暗くなった川べりでぼろを着た老婆が蹲っているのに出会い、老婆は晃之助の姿を見て、逃げようとして土手を滑り落ちてきたのである。「おみね」である。「おみね」は晃之助に悪態をつき、「生きるってのは苦労なんだよね。さっきも言ったけど、生きていりゃ、胃の腑がめしを食わせろと泣きわめく。つめたい風が吹きゃあ、手も足も衿首も寒いって言うし」(121ページ)と言う。

 森口晃之助は、それを黙って聞き、老婆に背を向けて、おぶって送っていくと言う。そして、「そのなんとか長屋をでてえというのなら、別の長屋を探してやるよ。婆さんに、洗濯や繕いものを頼む奴のいるところを、な」と言う。「おみね」は、「ちぇっ、この年寄りをまだ働かせる気かよ」と言い、晃之助は「ああ」と言って老婆を背負っていくのである。そして、「出世はしなくても、明日も定町廻りどうしんでいられるありがたさが、よくわかったと思った」(122ページ)のである。

 もちろん、これは小説であるが、こういう温かみがあるということが、人間であるということだとつくづく思う。

 「恋文」は、自分で自分宛に恋文を書く人間の寂しさを語る作品で、酒屋の寮番をしている慶次郎のところにいて、いつの間にか慶次郎と友人になったような佐七という下男の友人で、季節の品物を売って歩く際物売りをしている万吉という男が、縄暖簾の女に惚れて、その女からの恋文と称して自分で自分宛の恋文を書く話であり、そこに笑えない寂しさがあることが漂う作品である。

 「歳月」は、夫婦養子にしている晃之助に生まれた孫を可愛がって、機嫌の悪い佐七に好物の煎餅でも買って帰ろうと煎餅屋の前に来ると、男に乱暴されている女がいて、聞くと乱暴している男は女の亭主だという。慶次郎は、その男の乱暴を止めて乱暴されていた女から話を聞く。

 女は料理屋の女将で、亭主の茂吉という男は十三歳年下で、若い女を作って、亭主がその若い女を連れているのに出会って口論になったという。

 おりゅうというその女は、料理屋の一人娘で、父親の言うとおりに婿にした最初の亭主には、すでに女がいて、店の金を盗んでその女と駆け落ちし、二度目の亭主は若い女を作ったと言う。おりゅうは、最初の亭主と分かれて借金を返したり、店を切り盛りしたりしてやっているうちに、家に出入りしていた植木屋の小僧であった茂吉を誘惑した。その時は茂吉はまだ少年で、体を固くして逃げ去ったが、それから数年後に、行き倒れの若者が彼女の名前を呼んだと自身番が知らせてくれ、自身番に行ってみると、そこにたくましく成長した茂吉がいたのである。そして二人は周囲の反対を押して夫婦になった。だが、茂吉は次第にほかの若い女を作るようになったのである。

 茂吉の新しい女は、おりゅうの近所の娘で、植木屋の小僧がいつの間にか若衆となり、よちよち歩きの子が娘となっていく。その歳月の中で人は翻弄されていくとおりゅうは語るのである。茂吉の新しい女は茂吉の子を身ごもり、おりゅうが茂吉と離縁したという話を慶次郎は後で聞く。歳月は人を待たずというが、歳月は人と共に流れていく。このあたりに作者の感慨もあるような気がしながら読んでいた。

 「どんぐり」は、男にすがって生きようとするが、結局はつまらない男に引っかかってしまう女と、女の幸せを願いながら別れた男の姿を、いわば「どんぐりの背比べ」のようにして描いた作品で、生活の泥沼から這い上がろうとする女が、結局は捨てた男から助けられていく話である。

 「輪つなぎ」は、女絵師を目指していたが、自分をめぐる兄弟子どうしの色恋沙汰で破門となり、最初の亭主とは舅夫婦との折り合いが悪く、二度目の亭主は酒癖が悪く、結局は空き巣狙いとなり、その空き巣で貯めた金を三度目の年下の亭主に盗み取られたから取り返して欲しいという、少し虫のいい依頼を受けた岡っ引きの「蝮の吉次」が、その金の行くへを探索していく話である。

 金を盗んで逃げた男は、別の女と駆け落ちの約束をしていたのだが、結局はその女に騙されて女から逃げられていた。その女には、店の金を使い込んで勘当された馬具武具商の若旦那がおり、十両あれば勘当が解けて店に戻れ、店の女将にしてやると言われていたのであった。その仲介をするのが飼葉屋をしている叔父さんで、その金はその飼葉屋の手に渡っていたのである。吉次がそれを突き止めたときは、十両の金が二両二分に減っていた。この作品は、金をめぐる人のつながりであり、そのつながりの薄さが描き出されているのである。

 「古着屋」は、商売がどうにもうまくいかなくなり、ついに、人の家に干してある着物を盗んで売るようになった古着屋の顛末を描いたものである。諸物価高騰の中で苦労しなければならない古着屋と彼らが盗みを働いたということを知りながらも放免してやる慶次郎の周囲にいる人々の姿が描かれる。森口慶次郎の情の深さは、彼の周辺の人間たちへと移っていく。

 最後の「吾妻橋」は、慶次郎が歩いている時に、八丈島送りから赦免になって帰ってきた男と出会うところから始まる。

 男は、瓦職人で、親方の娘と相思相愛だったが、同じようにその娘に恋慕していた兄弟子がその娘に襲いかかるのを見て、兄弟子が持っていた匕首でその兄弟子の足を刺して、刃傷沙汰で八丈島送りとなっていたのである。男は誰に対しても親切で、瓦職人としての腕もよく、真面目に働いていたので、慶次郎はなんとかその男の罪が軽くなるように働いた経緯があった。

 他方、刺された方の兄弟子は、賭場に入り浸ったり、縄暖簾で酔いつぶれたりする遊び人だった。瓦職人の親方の女房はそう証言したが、なぜか、事件を扱った北町奉行所は先に斬りかかったという兄弟子は無罪とし、刺した男を島送りとしたのである。刺された男は足を引きずるようになっていた。

 そして、刺された男は、親方の女房が嘘をいい、自分は仕事もなくしていたと語り、それを脅し文句にして親方の娘を結婚し、食わせてもらっていたのである。そして、八丈島から帰ってきた男からも金を無心しようとしていたのである。だが、親方の娘は、長い年月の間でその男の女房になっていた。そのことを知った島帰りの男は、すべてを飲み込んで、親方の世話をしながらこれから生きていくという。

 その顛末を見ていた慶次郎は、刺された男がわざと刺されたことを見抜いていくが、結末が収まったことでことを荒立てることはしない。年月がすべてを収めていくのを眺めるだけである。

 本書はここで終わるが、良くも悪しくも年月がすべてを収めていく姿を作者も静かに見ていたのではないだろうか。それは一つの達観のような気がしないでもない。作者のこの最後の作品は、余韻を残しながら柔らかく終わるという作者の作家としての本質がよく表れた作品だと思いながら読み終わった。人は、温かみを残して終われればそれでいい、とわたしもつくづく思う。

2011年8月4日木曜日

北原亞以子『あんちゃん』

 今日も雨模様で、このところずっと天気が優れない。こんなに続くと農作物への日照不足が起こるかもしれないと思ったりもする。

 もうずいぶん以前にオランダのV.ピュアソンという人が、人間の思考形態が神話論的思考から存在論的思考、そして機能的思考へと変わってきたことを指摘していたことを思い出し、機能を求める思考は有効的で実効的だが、本来的には非機能的でもある人間の存在を損ねてしまう危険性があることをぼんやり考えたりしていた。

 というのは、最近、「もっと効率を上げましょう」ということを、一般に「やり手」といわれる優秀な人たちから聞かされることが多かったからで、機能的効率を思考するところには精神の豊かさが宿らないように思えてならなかったからである。

 それはともかく、北原亞以子『あんちゃん』(2010年 文藝春秋社)を読んだ。北原亞以子は『慶次郎縁側日記』や『深川澪通り木戸番小屋』という作品の柔らかい筆使いが好きで比較的よく読む作家の一人だが、『あんちゃん』は、昨年出されたばかりの短編集である。

 ここには、「帰り花」、「冬隣」、「風鈴の鳴りやむ時」、「草青む」、「いつのまにか」、「楓日記 窪田城異聞」、「あんちゃん」の7編の短編が収められており、いずれもが自分の幸せを求めて生きる人間の切なさを描いたものである。

 「帰り花」は、ひもじい思いをして暮らしていた少女の頃に、自分に親切にしてくれた手習い所の師匠への思いを抱き続けた女性が、夫を失い、内職などで細々と子どもを養いながらも、その師匠を忘れられずに境遇が変わった師匠を捜し回り、訪ねて、変わらぬ優しさに涙していく話である。

 「冬隣」は、夫に浮気された女性の葛藤を描いたもので、「風鈴の鳴りやむ時」は、結婚を言い交わした男を寝取られて、寝取った女の企みで深川の娼婦に身を落とした女性と勘当されて質屋の帳付け(会計)をしている旗本の次男坊の、いわばやるせない寝屋物語のような話である。また、「草青む」は、老いた味噌問屋の主に囲われている妾の、死を迎える主をも守っていく愛情を描いたもので、「いつのまにか」は、結婚して幸せに暮らしている女性が、自分の幸せがいつか壊れるのではないかと不安を抱き、その不安どおりに破落戸になってしまった弟が訪ねて来て居着く中で、弟に対する愛情はあるがしっかりと自分の家を守ろうとする女性の話である。

 「楓日記 窪田城異聞」は、これらの作品の中では毛色が変わっていて、古い家から見つかった古文書から、戦国から江戸初期にかけての武将であった秋田の佐竹義宣(1570-1633年)の、関ヶ原合戦前後で人が変わったような有様から、家老であった渋江政光による替え玉策があったのではないかと、それに関わりのあった自分の先祖の女性の日記を読み解いていく話である。

 そして、表題作でもある「あんちゃん」は、貧しい水呑の小作人の家に生まれた男が江戸に出てきて、運よく高利貸しに出会い、懸命に働き、やがて炭問屋を営むようになって金を稼ぐことにあくせくしていたが、信頼していた兄が郷里から出てきた時に金を差し出して、「何でもかんでも金じゃあねぇ」と怒りをかい、女房からも囲った女からも捨てられ、生きる力を失ってしまった時に、ずっと自分を支えてくれた番頭に郷里に帰って兄と和解することを勧められる話である。

 これらの7つの短編は、文学作品としての短編のきれや鋭さはないし、登場人物たちを通しての人間への洞察の深みもない。だが、人がそれぞれにやりきれない思いを抱きながら暮らしている姿が、ここにはあって、人の温もりの切なさがある。そして、人の温もりを描くところには甘さがあり、下手をすれば少女趣味的な結末となることがあるにしても、人の温もりほど人を幸せな気分にしてくれるものはないのだから、素朴に描かれるのも悪くはないと思う。

 作品としての物足りなさを若干感じるところがあるのだが、考えてみれば、北原亞以子は、ずっと、この人の温もりを描き続けてきているのだから、こういう作品も生まれてくるのだろうと思う。

 このところ柴田錬三郎を読んだ後で北原亞以子を読むなど、時代小説でも傾向がばらばらの作品を読んでいるので、こんな感想を持ったのかもしれない。

2010年7月30日金曜日

北原亞以子『月明かり 慶次郎縁側日記』

 昨日、久方ぶりに雨が降り、今朝も午前中までは雨が落ちていたが、午後から、ときおり夏の日差しがさし、今は曇り空が広がっている。気温も僅かだが低くなっているが、蒸し暑いのに変わりはない。『カフカ論』に少し手を入れていたが、論じても論じきれないし、書いても書ききれない感じがしてならない。こういう時は、後で読み返すと論理が堂々巡りをしていることが多いので、きっとそうだろう。

 昨夜は北原亞以子『月明かり 慶次郎縁側日記』(2007年 新潮社)を読んだ。これでおそらくこのシリーズで今まで出されているものは全部読んだことになるが、変わらずに淡々と枯れたような文章で人間の心情の顛末が綴られている。

 手籠めにあって自死した一人娘を失った元南町奉行所同心で「仏の慶次郎」と呼ばれていた森口慶次郎は、娘と結婚するはずであった晃之助を養子に迎え、家督を譲って酒屋の寮の寮番として生活しているが、彼をしたって持ち込まれる事件に関わっていくというのがシリーズの格子で、養子の晃之助は嫁を迎え、子どもができ、慶次郎は孫として可愛がっている。血は繋がっていないが、その親子や家族の姿も、慶次郎の人柄を現して爽やかで互いの思いやりに満ちている。

 本書は、その慶次郎の元に、子どもの頃に目の前で父親を殺された若者が、長い間かかってようやく父親の敵を見かけ、それを確かめたいと言ってきたのが始まりで、それを探っていく内に、若者の父親やその友人にまつわる男女のどろどろした愛憎関係が浮かび上がって来るというものである。

 登場人物のそれぞれに負い目と秘密があり、嫉妬や恨みもあり、男と女、親と子、兄弟がその中で、どうにもならない自分の気持ちを抑えきれずに愛憎劇を繰り広げていく。若者の父親は、思いやりのある人間で、彼に横恋慕した女の嫉妬心やその女に惚れている別の男のとばっちりを受けて殺されたのである。

 巻末の方で「月明かりの中での勘違いで不幸になる」というくだりが出てくる。それぞれの愛憎が月明かりの中での薄ぼんやりと見えた出来事に過ぎないというのである。「一生月明かりの中にいて、お互いごまかされていりゃ幸せなんだ。弥吉(父親を目の前で殺された若者)のように、月明かりの中ではっきり父親殺しの顔を見ちまうと、みんな不幸せのもとになる」(209ページ)と自分の恋が実らずに不幸せだと思っている女が思う。

 本書の表題は、そういうところから採られているのだろう。そして、それと対比するように、「ずっとやさしい気持ちでいられたら幸せ」という姿として、子どもが自分の子ではないと知りながらも自分の子として可愛がった若者の殺された父親の姿や森口慶次郎の姿が描かれる。

 もちろん、人に裏切られて悔しい思いをしなければならない人間の思いも赤裸々に描かれるが、それでも、「お互いにやさしい気持ちで生きられたら幸せ」の方へ傾いていくのである。そういうことは、寮番としていっしょに暮らす口うるさい左七という男を有難いと思っている慶次郎の姿の中に込められていく。

 北原亞以子の作品は、『深川澪通り木戸番小屋』でもそうだが、優しさにあふれている。どうにもならない状況の中で、「人の優しさ」というより「思いやり」が宝石のように光る作品である。もちろん、それだけではどうにもならないのが人間であるが、そんなことは承知の上で、なお、その「思いやり」を描こうとする。そういう姿勢がいいと思っている。

 ただ、本書を読みながら、「惚れたら、惚れたものは仕方がない」という思いを抱き続けていた。「あばたもえくぼ」とはよく言ったものである。「惚れる」というのは生物学的にはホルモンの働きに過ぎないが、惚れたら倫理も思想も、何もかもが吹っ飛んでいく。そして、そういう「惚れる」ことを経験することができる人間は、それだけでもう最高の幸福を知ることになるのだろう。「惚れる」ことは自分の実存を実感できることである。ただ、惚れていることを実感でき、心底惚れて、惚れ抜くということは実際の人間には「まれ」なことかもしれない。いいかげんの「月明かり」が現実かも知れないと思ったりもする。そう思うところに、夢も希望もないが。

2010年3月15日月曜日

北原亞以子『妻恋坂』

 ようやく春めいてきたが、薄曇りの空が広がっている。ずい分と変な時間に寝たり起きたりしたので、身体も脳も春眠の状態のままのような気がする。今夕、依頼されていた森有正(1911-1976年)の思想について小さな集まりで話をすることになっている。

 森有正の哲学的随想は、1970年前後の「戦後の日本社会が身震いした時代」に良心的に物事を考えようとする人々によく読まれたが、顧みれば、彼はデカルトとパスカルの研究者であり、デカルトが哲学的に確立した「近代的自我」の「われ思う(cogito)」と「われ在り(ergo sum)」の間を、綿密にパスカルの数理的論理性をもって考察していったとも言えるような気がする。

 借り物ではなく、「自分の足で歩み、自分の体で経験し、自分の頭で考える」ということを大事にした人で、ちょうど自己のアイデンティティーを模索し続けていた日本の知識層の人たちに、彼の思想は大きな示唆を与えるものとなったのである。

 個人的には、東京大学の教員として戦後の海外留学の第一陣としてパリに留学したが、帰国せずにパリに留まり、パリ大学日本語学校で日本語や日本文化を講じることで糊塗し、離婚と再婚といった生活の変化もあり、あまり裕福な生活ではなかったようだ。とは言え、明治維新後の日本の最初の文部大臣を務めた森有礼の孫であり、いわゆる「没落貴族」とは言え日本社会の上層階級に属していたわけで、一般の感覚でいう「貧しさ」とは異なっていただろう。晩年は、国際基督教大学の客員教授として毎年帰国し、日本で永住するつもりであったが、ついにパリで没している。

 彼は決して体系的な哲学を提示したわけでも、またそのような哲学を考察したわけでもないし、彼の著述のスタイルも随想風だが、それをわが身に引き当てて改めて考えと、日本の社会では体系的な哲学が必要とされないし、また生み出されないのではないかと思ったりする。むしろ、随想風な思索の展開がよいのだろう。日本の精神風土というものはそうではないかと思えるのである。だから、日本では狭義の意味での哲学者は、せいぜい大学の教員として糊塗していく以外に生活の術がない。

 わたしは「人間学」というテーゼの中で自分の思索を体系化させようと試みたが、どうもこれは怠惰なわたしの人生の中で完遂されそうにもないような気がしているし、また、現代日本社会の中でそれが受け入れられるとも思っていない。

 それはともかく、土曜日の夜から北原亞以子『妻恋坂』(2003年 文藝春秋社)を読んでいる。これは、時代小説の中で、八編八組の男女の愛や恋の姿を描き出した短編小説集で、短編としてはそれぞれ優れたものであるし、様々な男と女の関係の姿を、その内面にまで掘り下げたものを作者特有の情景のようにして描いたものである。

 ここには、ふとしたことで知りあって関係をもった男が妻子持ちであることが分かり、結局はその妻子との関係を大事にしていることを知った女が、男が来ることを待ちつつも次第に諦めていく話(「妻恋坂」)や、不義の相手と駆け落ちしたが、夫が追ってきて、その夫に女敵討ちとして殺されることを選択していく話や、どうにもならない男と女の恋心や、娼婦として生きている女どうしの関係などが描かれていく。

 ただ、どうにも男と女の色恋や、その心情の微妙なひだとかあやといったものを探っていくのには、今のわたしは覚め過ぎていて、単に「もっと自分の思いに素直になったらよかろう」と思うだけで、「人を好きになったり、愛したりすること」は、人間の最も豊かな思いなのだから、その豊かさを生き抜いたらいいだろうに、と思うだけである。それぞれの抱えている事情や周囲の状況、社会の状況などがそこには色濃ゆく影を落とすが、そんなもので自分の思いを断ち切るなら、その思いはあまり本物ではないと思ったりもする。男女の関係で一番大切なことは、いったい自分がどうしたいのか、だけだろう。この齢になって、そう思っているのである。

 今にも雨が降り出しそうな気配がある。なんだかぼんやりした頭と体で、そろそろ出かける用意もしなければならない。電車で座れればいいなぁ、とつまらないことを思ったりする。

2010年2月4日木曜日

北原亞以子『埋もれ火』(2)

 暦の上で立春になり、これからの寒さは「余寒」と呼ばれるが、このところ雪模様の日があったりして寒い日が続いている。今朝も、空気が刺すように冷たかった。如月は、どちらかといえば人間の精神状態が不安定になりがちな月で、「忍耐力」が失われやすい時でもある。創造力もずっと欠如するような気がする。

 北原亞以子『埋もれ火』の続きを読み終えた。なかなか意欲的な作品集である。第三話「波」と第四話「武士の妻」は、いずれも新撰組局長であった近藤勇に関係する女性の姿を描いたもので、「波」は、近藤勇の妾であった「おさわ」が、流山(江戸)で官軍によって捕えられ処刑された近藤勇の訃に接した時の姿を中心に描き出したもので、当時の権謀術策を張り巡らされた中での近藤勇の処刑と、手のひらを返したようにして去っていく人々の中で、「おさわ」は、ひとり、近藤勇の姿を抱いていく。作品の中では触れられず、「おさわ」が近藤勇の菩提を弔って生涯をすごすことを決意するようなこと匂わせる結末が描かれているが、実際は、「おさわ」は近藤勇の後を追って自害している。自害まで描かないところは作者の優しさだろう。

 第四話「武士の妻」は、近藤勇の正妻「ツネ」の姿を描いたもので、武家の出であった「ツネ」は、比較的安心して暮らすことができる豪農の三男で町道場の主であった近藤勇のもとに嫁いだはずなのに、いつの間にか時局の流れの中ではるかに遠方に行ってしまい、新撰組の局長となり、そして処刑された夫の姿を考える。そして、「武士の妻であるならば」と自害を試みる。実際の近藤ツネは、近藤勇の死後、勇の生家で娘の「タマ」の成長を見守りながら明治25年まで生きている。悩みも多く自殺癖もあったといわれるが、彼女もまた近藤勇という影を抱いて生きなければならなかった女性である。

 第五話「正義」は、幕末の志士のひとりである相楽総三(さがら そうぞう-本名小島四郎)の妻「照」の姿を描いたもので、相楽総三は、西郷隆盛と親交をもち、西郷の命によって江戸市中を混乱に陥れるために放火、略奪、暴行などを繰り返し、「大政奉還」によって徳川幕府への武力討伐の大義名分を失っていた薩長が徳川の幕臣を刺激して武力討伐の口実を作りだすという働きを行った。西郷の姦計は成功し、これが鳥羽・伏見の戦いの先端となった。相楽総三は、その後、戊辰戦争が勃発すると「赤報隊」を組織し、東山道軍先鋒隊として活躍し、新政府軍に民意を汲むための「年貢半減令」の建白書を出し、これが認められて進軍していくが、新政府軍の突然の方針返還によって、かってに「年貢半減」なるものを宣伝した偽官軍とされ、相楽は捕縛されて処刑された。

 作品は、この経過をたどりながら、政治に翻弄され続けた男を夫として持つ妻が、夫の主張を信じ、その夫に惨めな死を与えた者への悲憤の中で自らの命を絶っていく姿を描いたものである。

 私見だが、江戸時代が決して良かったとは思わないが、日本は明治維新でまた間違えた方向に進んだように思われてならない。大勢の、しかも有為な人間が殺されて出来上がったような社会が決していいわけはない。

 第六話「泥中の花」だけは、この短編集では異質の、討幕運動のきっかけを作った清河八郎の妻に横恋慕した男が清河八郎をつけねらっていくという設定で、清河八郎の姿をその妻との関係を含めて描きだしたものである。清河八郎もまた、激動していく時代を知恵と力を尽くしてうまく泳ぎ渡ろうとして、そして挫折しなければならなかった人間のひとりである。彼には大きな欠点もあったが、早く生まれすぎたきらいもある。

 第七話「お慶」は、坂本竜馬の海援隊を支援したりした長崎の豪商「大浦屋のお慶」の維新後の姿を描いたもので、「お慶」が、維新の波に乗れずにうらぶれていく男の影を引きずっていたために詐欺にあって財産を失っていくが、それを切り抜けていこうとする姿を描いたものである。「大浦屋お慶」という女性は、自立心の強い豪胆な女性であったが、それだけに、維新後に偉くなった明治政府の高官たちのつまらなさも見抜いていただろう。彼女の生きざまには、いつも爽快感があって「女竜馬」の思いがしたりもする。

 第八話「炎」は長州の支藩の回船問屋で幕末の志士たちを支え、この人なしでは維新は起こり得なっただろうと思われる白石正一郎の姿をその妻「加寿」の側から描き出したもので、高杉晋作の「奇兵隊」はこの白石家で産声を上げたりしたのだが、とくに薩摩と長州とを結ぶ経済的接点となったくだりが描き出されていく。

 白石正一郎は、幕末のそうした人間たちを支えるために莫大な財産を使い果たしていくが、維新後、竜馬を暗殺し、西郷を賊軍にした明治政府の高官となった人たちは、その恩義に報いることは一切なかった。しかし、「正一郎は、よかったなと言って逝きました。私も後悔しておりません」(259ページ)の「加寿」の言葉が、この夫婦の姿を象徴している。実際も、そうだったかもしれない。「おもしろきこともなき世を おもしろく」と謳った高杉晋作を敬愛していたのだから。

 第九話「呪縛」は、その高杉晋作が愛した女性「うの」が、晋作亡き後、彼の墓を守り、その墓のある「無隣庵」と名づけられた家で、彼を思ってひとり過ごしている姿を描いたもので、晋作の破天荒な日常の姿を愛していた「うの」が、世間の「偉人の思い人」の姿にはなりきれないでいる姿が見事に描き出されていく。

 これら九編の作品は、明治維新という激動の時代をそれぞれ生きてきた人物を、その人物ではなく、彼らを支え、愛し、彼らの大きな影を引きずりながら生きる人の姿を通して描き出した意欲作である。

 時代や社会の激動期には、個性が光る人物がいる。そこ個性はいずれも常識では計り知れない。それだからこそ時代や社会が変わり得る。だが、社会というものは常に保守的で、そうした計り知れない個性を閉じ込めようとする。それらの計り知れない個性に出会った人々は、男であれ女であれ、その狭間で苦労する。そうした社会に納まりきれない個性と社会の狭間で苦労した人々の姿が、この作品で描かれ、それによってまたそれぞれの個性のあり方が浮かび上がって来る。

 この作品は、そうしたことを意欲的に示そうとした作品である。ただ、現代は個性的な人間が生きることが難しい没個性が要求されるつまらない世間というものが出来た社会ではあると、つくづくおもったりもする。マスコミの働きもあって「世間並」というのが人々の価値観を支配してしまっている。

2010年2月2日火曜日

北原亞以子『埋もれ火』(1)

 昨日の午後から降り始めた雨が夕方には雪に変わった。牡丹雪が見る間に積り、今朝は一面の雪景色となった。「何年振りだろう、こういう景色を見るのは」と思いながら遅くまで雪が降りしきっているのを眺めていた。雪の降る夜はとても静かだ。今は、家屋で温められた雪が時折どさりと音を立てて堕ちている。

 昨夜、降り積もる雪を眺めながら北原亞以子『埋もれ火』(1999年 文藝春秋社)の最初の二編だけを読んだ。これは、1996年から1999年までに「オール読物」で発表された九編の作品を収録した短編集だが、最初の二編は、今では誰でもが知っている坂本竜馬の妻「お龍」と、彼が江戸で修業をした時の千葉道場の娘で竜馬と結婚したかもしれないと言われている「佐那」の、竜馬なき後の維新後の二人の姿を描いたものである。

 いずれも、通常の器には入りきれない坂本竜馬という比類のない男を愛し、そのためにその影を引きずって生きなければならない女性の姿を描き出した秀作である。

 「お龍」は、維新後に坂本竜馬とは全く反対に日々の暮らしに細やかな配慮をする小商人と再婚する。しかし、酒に明け暮れ、西郷隆盛や竜馬が創った「海援隊」の隊士であり外務大臣になった陸奥宗光をはじめとする竜馬を慕っていた人々に金を借りまくり、すさんだ生活をしている。「竜馬以上の男はいない。」彼女はいつもそう思い続けている。

 再婚した相手は、そんな「お龍」をよくわかり、こまごまとした生活の中で彼女を支えていく。「お龍」の「やるせなさ」と、彼女が再婚相手に坂本竜馬とは全く反対の男を選んだ気持ちがにじみ出ている。

 薩長同盟を成し遂げ、大政奉還という日本の大転換をもたらした坂本竜馬の暗殺については、いまでも謎が多いと、わたしは思っている。彼が提示した「船中八策」は維新後の日本社会の骨格ともなったのだから、だれもが、もし竜馬が生きていたら、と願うが、明治政府の政権を取った人たちにすれば「煙たい存在」であったことは間違いないだろう。特に、戦争を嫌った竜馬は、江戸幕府討幕をどうしてもしなければならないと考えていた人たちにとっては「邪魔な存在」であったに違いない。

 第一篇「お龍」は、そうした竜馬暗殺の謎に触れながらも、「竜馬の妻」であった「お龍」の「その後」の姿を描いているのである。

 第二編「枯野」は、坂本竜馬の許嫁であると思って生涯を送った千葉道場の娘「千葉佐那(子)」のその後の姿を描いたもので、彼女もまた「竜馬以上の男はいない」と思って生きている女性である。「千葉佐那子」は、維新後、華族女学校(学習院女子部)の舎監をしていたが、華族女学校の校長の陰湿さもあってそこを辞め、作品の中では、荒川堤の下の四軒長屋で「鍼灸師」として生計を立てている。

 彼女の所にも、坂本竜馬の影響を受けた人々が訪ねてくる。板垣退助と共に自由民権運動に携わった人物もやってくる。「佐那子」は竜馬と結ばれることはなかったが、婚約のしるしとしての竜馬の紋つきの小袖を宝物のようにしてもっている。そして、竜馬との最後の夜に、自分の逡巡から竜馬の部屋に行くことがでずに、竜馬とついに結ばれなかったことを後悔もする。彼女は竜馬を追うことができなかった。そして、竜馬との糸が切れた。竜馬なきあと25年、彼女はずっとひとりぼっちで暮らしてきた。竜馬への思いを抱きながら。「娘に男ほどの度量があり、捨身になれる勇気があったなら、お龍などという女に竜馬を奪われることはなかったかもしれぬ」(65ページ)と、作者は言う。

 竜馬の「船中八策」の影響を受け、板垣退助の自由民権運動に携わって財産を使い果たし、佐那子のもとへ「お灸」の治療のために訪れた夫婦の姿がそれに重なる。妻は夫のために身を売ろうとしていたのである。この夫婦の夫、小田切謙明が、後に、佐那子なき後、無縁仏になろうとしていたところに彼女の遺骨を自分の墓所に引き取っているので、その佐那子と小田切夫妻の出会いの出来事が佐那子の心情と重ねて描き出されていく。甲府にある小田切家の墓所の佐那子の墓石には「坂本竜馬室(妻)」と刻まれている。

 実際のところ、佐那子と竜馬の関係は決してあいまいなものではなく、土佐の坂本家でも許嫁として認められていたと思われるので、千葉佐那子が、ひとり淋しくではあるが、自分の運命を享受して、竜馬の妻として生涯を全うしていった姿には、当時の武家の凛とした妻の姿もあるのである。

 いずれにしても、「これは」と思える男を愛し、その男があまりにも大きすぎたためにその影を引きずらなければならない女性の心情が、この二編の作品にはあふれている。しかし、「これは」と思える男と出会い、彼を愛することができたのだから、その人生ははるかに重く深い人生だったに違いない。現代(いま)は、ちまちました人間は多いが、「これは」と思えるような人間がほとんどいないのだから。

2009年12月29日火曜日

北原亞以子『新地橋 深川澪通り木戸番小屋』(2)

 よく晴れた寒い師走の日になった。昨日はなんだかんだと過ぎてしまった。前夜に眠るのが遅くなったので起き出すのも遅く、中学生のSちゃんに数学の因数分解のこつを教えたり、「あざみ野」の「神戸珈琲物語」が年末セールをするという案内が来ていたので、新年用もあわせて買いにいったりして、時間が過ぎてしまった。

 北原亞以子の『新地橋 深川澪通り木戸番小屋』は、やはり、いい作品だと思う。「第四話 鬼の霍乱」は、木戸番小屋の笑兵衛の妻「お捨て」が急な病気で倒れ、夫婦の深い絆が描かれて、「よく分れずに、ここまで来た――。今、落ち着いた気持ちで毎日を過ごせるのは、お捨てが連れ添ってきてくれたからではないか」(文庫版 176ページ)と笑兵衛が思ったりする。

 お捨ての病が癒えて帰ってきた時、出かけていた笑兵衛が帰って来るとそこにお捨ての姿を見る場面が、何とはなしにしみじみしていい。

 「お捨てが寝床の上に座り、おけいと弥太右衛門(木戸番小屋の向かいにある自身番の責任者夫婦で、お捨てを引き取って看病していた)が女房にはさまれて、白湯を飲んでいた。
 『お帰りなさいまし、あなた』
 笑兵衛はふと、涙ぐみそうになった。
 お捨てが弥太右衛門の家に運ばれて行ったのは三日前のことだった。その上、今日も見舞いに行っているのである。が、片頬に深い笑靨(えくぼ)のできるお捨ての面に、ようやく会えたような気がするのだ。
 『もういいのか』
 と、笑兵衛は言った。
 『熱なんざ、やたらに出すな』
 お捨てのころがるような笑い声が、狭い番小屋の中に響いた」(文庫版 175-176ページ)

 こういう味わいのある情景が随所に描かれていくのである。

 その一方で、隠居させられた木綿問屋の主人が、妻をなくし、話し相手をなくして、人付き合いが不器用で孤独のうちに日々を過ごしていく姿が丹念に描かれていく。

 「三国屋(木綿問屋)からはじき出され、長屋の人達はなじんでくれず、忠実な喜兵衛(手代)にはその姿は見せられない。浜吉(隠居させられた木綿問屋の主人)の言う通り、天涯孤独にひとしい淋しさではないか。お捨ての作った味噌汁を飲んでいる時の、或いは弥太右衛門(木戸番小屋の向かいにある自身番の責任者)と深夜まで将棋を指している時の浜吉は、いったいどこで笑っていたのだろうか」(文庫版 184ページ)と笑兵衛は思う。

 浜吉は、ひとりですねて、ひとりで孤独になっているのである。しかし、この老人の心情を木戸番夫婦は察していくのである。

 「第五話 親思い」は、木戸番夫婦を親のように慕う複雑な生育経過を持つ蔬菜(青物野菜)売りの豊松が、自分の生みの親が、自分が嫌っている老婆であることを知り、また、父親がひどい武家だったことを知り、その中で葛藤していくが、生みの親と育ての親、そして笑兵平夫婦に「親孝行」をしていく話である。

 人違いから豊松に自分の武家としての家を再興するチャンスが訪れる。家を再興するために育ての親のもとを離れ、四国丸亀藩へ行こうとする。そのくだりは、次のように表わされている。

 「『戸田(武家としての豊松の家)を再興する時がきた、俺あ、そう思ったよ。おふくろは、親父を自慢していた。その親父を殿様も藩の人達も見直してくれたのだもの。あの世でどんなにか喜んでいるだろうと思った。すっかり気持ちが昂っちまってね。寝床の中で、武家の礼儀作法を、あらためて小父さん(笑兵衛)に仕込んでもらわなくっちゃならねぇと、そればかり考えていたんだが』
 でも――と、豊松は言う。
 『六つの鐘が鳴る前に起きて台所に行くと、もうおみねおっ母(育ての親)がめしを炊いているんだ。赤飯を炊いているんだと言ったけど、おみねおっ母は泣いていた――』
 お捨ても、ふと涙ぐみそうになった。
 八歳の時から、いや、赤子の時からあとを追われ、田圃や畑にも連れて行って育てた豊松であった。この子は武士の子、いつか離れてゆくことがあるかもしれないと自分に言い聞かせていても、諦めきれぬものがあるにちがいない。それは、吾助(育ての父親)とて同じことだろう。
 『俺あ、おみねおっ母や吾助父つぁんと顔を合わせているのがつらくなって、うちを飛び出して来たんだ』」(文庫版 207ページ)

 こういうくだりは、それぞれの優しい思いやりが素朴ににじみ出ている。

 「第六話 十八年」は、指物大工をしてそれぞれに修業を重ねた二人の男の姿を描いたもので、ひとりは、不器用で気が聞かない奴と言われながら、修業を重ね、親方の娘に惚れていたが、娘はもう一人に惚れて結婚し、もう一人の男を羨みつつすねて、自分の職人としての腕にも言い訳ばかりしていたが、良きできた女房をもらい独立し、もう一人は、優れた腕を持って親方の娘と結婚したが、自分の職人としての気質が理解してもらえず、夫婦別れをして上方に修業に出ようとするのである。

 一人は独立し、その祝いの席にお捨てが招かれ、もう一人は、上方へ立つ前に留守番をしていた笑兵衛を訪ねる。人生は、まことに奇異。

 『深川澪通り木戸番小屋』は、人の幸いも不幸も描き出される。不幸には涙を流し、幸いには喜ぶ。そういう木戸番夫婦の姿が、人情味あふれて描かれるのである。

 本書の「第五話 親思い」に最初に、お捨ての人柄を見事に描いた場面が出てくる。お捨ては、土間の床几の上で居眠りをして、床几から転げ落ちそうになる。

 「『あら、いやだ』
 床几から落ちそうになっていたにちがいない自分の姿を想像して、お捨ては笑い声を上げそうになった。
 が、夫の笑兵衛は、一間しかない四畳半で眠っている。枕屏風の向こう側から、少々荒い寝息が聞こえてくるのは、昨夜の騒動で疲れているせいかもしれなかった。
 お捨ては両手で口許をおおい、急いで外へ出た。指の間から笑い声がこぼれてきて、お捨てはふっくらと太った軀を二つに折って笑った。床几から転げ落ちそうになっている自分の姿は、想像すればするほどおかしかった。
 ころがるような笑い声が澪通りにひびいたが、向かいの自身番は静まりかえっている」(文庫版 187-188ページ)

 お捨ては、自分に正直で素直で、天真爛漫である。そういうお捨てを夫の笑兵衛は、包み込むように愛していくのである。こういう夫婦に触れた人々が、その夫婦の姿を見ただけで、深い慰めを覚えていくのである。彼らの木戸番小屋は、いつも開いている。

 北原亞以子のこの作品は、本当にいろいろな意味で噛めば噛むほど味わいが出てくる作品だと思う。このシリーズは、読み終わった後の読後感が優しい気持ちで満たされる。肝心の一作目をはやく読みたいものである。

2009年12月26日土曜日

北原亞以子『新地橋 深川澪通り木戸番小屋』(1)

 朝のうちはどんよりと曇っているし、雨模様であるが、午後からは晴れるらしい。昨夜は、人間関係が冷え切ってしまった出来事を聞いて、なんとなく気の重い夜となったので、こういう時は、今とてもいいと思っている『のだめカンタービレ』を見るに限ると思い、三度目だが、「パリ編(ヨーロッパ編)」をぶっ続けで見て、細かい演出と演技で表わされる上野樹里が演じる「のだめ」の姿に深い感動を覚えながら眠った。

 そんなわけで、読みかけの北原亞以子『新地橋 深川澪通り木戸番小屋』(1995年 講談社 1998年 講談社文庫)も読みかけのままである。これは、この人の作品の中でも一番好きなシリーズで、4冊出ている中での3番目の作品である。武士をやめて木戸番として細々とした生活をしている「笑兵衛」と「お捨て」の夫婦、彼らを最後の心の拠り所としている人々の話で、しみじみとした人間のあり方が伝わる珠玉の作品である。

 『新地橋 深川澪通り木戸番小屋』は、「第一話 新地橋」、「第二話 うまい酒」、「第三話 深川育ち」、「第四話 鬼の霍乱」、「第五話 親思い」、「第六話 十八年」の全六話からなっており、「第一話 新地橋」は、かつては新地と呼ばれる岡場所で遊女をし、今は、相愛の男の犠牲によって岡場所を出て小さな団子屋をしている「おひで」という女性の話である。

 彼女の相愛の男は、「おひで」を岡場所から脱け出させるための金を作ろうと質屋に強盗に入り、捕まって遠島になっている。彼が遠島になる時、彼の弟分の男に「おひで」を頼むと言い残していった。弟分は風采のあがらない笊売りだったが、「おひで」に憧れ、彼女を助け、やがて夫婦になる。しかし、「おひで」の心には彼女を身受けして岡場所から脱け出してくれた前の男への思いがある。

 「おひで」の夫となった弟分はそのことを知ってはいるが、生活の中で次第にやりきれない気持が膨らみ、「おひで」に暴力を働いたり、博打に走ったりして借金を作ってしまう。「おひで」が心に抱いている前の男が罪を減じられて赦免になって帰って来るという。「おひで」は夫との間にできた子どもを夫の暴行で流産する。

 だが、「おひで」は、その夫の借金を返すために再び岡場所に身売りする。そして、夫は、苦界に沈む「おひで」を助け出そうと、彼の兄気分がしたことと同じように質屋に強盗に入ろうとする。

 木戸番の「お捨て」は、そういう「おひで」にそっと寄り添う。そして、彼女の夫が強盗しようとするところを、身を呈して止める。木戸番夫婦は、そういうどうにもならないところでもがく「おひで」夫婦を見守っていくのである。

 「第二話 うまい酒」は、女房を弟弟子に寝とられて自棄になって江戸へ出てきた腕のいい左官が、一文なしになり、空腹を抱えて木戸番の焼芋の匂いに誘われ、蹲ってしまったところに、木戸番の裏の炭屋が穴のあいた壁の修理が必要だとの話を聞き、ふらふらと名乗り出る。木戸番の「お捨て」は、彼に「にぎりめし」を作り、「笑兵衛」は、その仕事をしろと言う。その瞬間の出来事が次のように表わされている。

 「気がつくと、木戸番の女房の姿が見えなかった。炭屋から支払われる賃金で、焼芋を買わせてくれと頼むつもりだった偬七(左官)は、垣根の破れをふりかえった。木戸番小屋の前まで、破れの向こうの路地を立って歩いていけるかどうか、自信がなかった。
 その破れから、木戸番の女房があらわれた。板のように平らなものと、丸いものを持っていた。
 偬七は、かすんできた目をこらした。平らなものは盆、丸いものは土瓶で、盆の上にはにぎりめしがのっていた」(文庫版 66ページ)

 彼はこうして木戸番のある「いろは長屋」に住むことになる。しかし、女房に裏切られ、弟弟子に裏切られ、人を信じることができないでいる。

 その「いろは長屋」に、心から人の良い「善蔵」という油売りがいた。「善蔵」は、偬七と友だちになりたいと願って偬七を助けようとする。だが、人を信じることができなくなっている偬七は、それを鬱陶しく思う。

 「お前、――それほどまでにして、どうして人の世話をやくんだ」
 善蔵は黙って笑った。
 「どうしてだよ。買いたいものも買わずに、どうして人の世話をやくんだよ」
 「だってさ・・・」
 善蔵は、土間を眺め、自分の膝を眺め、それからやっと偬七を上目遣いに見た。
 「俺、人に好かれねえから・・・」
 蚊の鳴くような声だった。
 「俺、小さい時から好かれねえから。――一所懸命、人の面倒をみて、ようやくつきあってもらえるんだよ」
 偬七は口をつぐんだ。小さい頃から頭がよいと言われ、左官となってからは親方より腕がよいと評判をとった偬七も、気がついてみれば、心を許せる友達は一人もいなかった。(文庫版 72ページ)

 だが、偬七は思う。

 「けっ、何が『偬さんならずっとつきあってくれると思った』だ。何が『長屋の人達は親戚みたようなものだ』だ。
 笑わせないでもらいたい。二世を契った女でさえ、何くわぬ顔で亭主を裏切るのである。文字通り、弟のように可愛がっていた弟弟子は、『兄貴の恩は忘れねえ』と言いながら女房の袖を引いた。血でつながった弟はいなくとも、仕事でつながった弟がいると思い、博奕の借金を払ってやり、割のいい仕事をまわしてやって、そのあげくに突きつけられたのが、『姐さんは俺に惚れているんだ』という科白なのだ。
 何が身内だ、何が親戚だ・・・・・
 誰も、あてにならねえ。女房だって、兄弟だって。――(文庫版 80-81ページ)

 そういうふうにして「善蔵」のひたむきな気持ちを踏みにじった偬七を、木戸番の「笑兵衛」は殴りつける。「善蔵」は、どこまでも偬七を大事にしようとする。「笑兵衛」に殴られた傷の心配をする。そういう温かさに触れて、彼の不信で尖ったような心が和らいでいく。

 「第三話 深川育ち」は、木戸番小屋のある地域に仲の良い姉妹二人で切りまわしている居酒屋に、いい男だが遊び人で金が目当ての男が通い、その男をめぐって姉妹が争い合うという話である。姉は妹のために嫌なこともして居酒屋を開いた。だが、いい男が妹に色目を使って手を出そうとする。姉は妹があきらめてくれるようにと、妹を守るためにその男と寝るが情が移ってしまう。その男は妹も誘う。そして、妹は姉がその男と寝たことを知り、姉を殺そうとまでする。

 木戸番夫婦は、様子がおかしくなった姉妹を案じ、妹が出刃包丁を振りかぶったところに飛び込んで、それを止める。木戸番の「お捨て」は言う。

 「お二人とも深川育ちですもの。いやなことは、川に流してしまわれますよ」(文庫版 133ページ)

 本当にその通りだ、と思う。嫌なことや取り返しのつかないことが山ほどある。そんなものはみんな川に流してしまえ。生きることは前を見ることだから。そんなことを思いながら、ここで本を閉じた。今夜は、また、静かにこの続きを読もう。

2009年12月8日火曜日

北原亞以子『誘惑』

 昨日に続いてよく晴れた空が広がっている。「青」というより「蒼」と呼んだ方がいいような空で、低い気温ながらさわやかな空気が広がっている。ただ、この天気も今日までらしい。昨日は暦の上では「大雪」だったのだが、雪はまだ降らない。大体、江戸時代の頃よりも1~2ヶ月は季節のずれが生じているような気がする。 

 北原亞以子『誘惑』(2009年 新潮社)を読んでいた。この作品は、2007年から一年間をかけて『週刊新潮』で発表されたらしいので、おそらく、今の時点での作者の最新作だろう。井原西鶴(1642-1693年)の『好色五人女』の中の「中段に見る暦屋物語」から題材を採ったもので、井原西鶴の物語は、近松門左衛門(1653-1725年)によって浄瑠璃『大経師昔暦』として脚色されており、実際に、1683年(天和3年)に京都の大経師(暦の出版元)の妻おさんが手代の茂兵衛と密通し、それを手引きした女中おたまと丹波に潜んでいたところを捕えられ、磔刑に処せられた事件から、井原西鶴が「浮世草子」として物語化したものである。

 井原西鶴の『好色五人女』は、閉鎖した武家社会の中で自分の愛情を貫いたために、それぞれ不幸に終わってしまった恋愛を取り上げたもので、そこには武家倫理の閉鎖性に対する自由人としての井原西鶴の鋭い批判があり、北原亞以子は、それをよく汲み取って、物語の中心人物である「おさん」や「茂兵衛」をはじめとする夫の大経師や周辺人物たちの、それぞれが、どうにもならない中でもがいていく姿を描き出している。

 「序幕」、「中幕」、「終幕」の3幕構成にしているのも、おそらく、近松門左衛門の浄瑠璃『大経師昔暦』を意識してのことであろうが、それぞれの幕の始まりに、井原西鶴と近松門左衛門を登場させて、この事件を外から眺める視点をもたらせているのは、作者の見事な手法と言えるかもしれない。

 ただ、大経師の妻となった「おさん」が手代の茂兵衛に魅かれていくくだりが作品の大部分を占めているが、結局は、「おさん」が美女であり、茂兵衛が美男で優秀な手代であるだけのことであり、それが、読んでいて、どこか腹立たしさを感じさせられる。

 作者は読者にそのように感じるように構成しているのかもしれないし、容姿だけで、人がくっついたり離れたりするのが現実なのかもしれないが、しかし、そのような人間には、どこか腹が立つ。人が人を好きになり、その人を愛することは、それがどのような立場であれ、人間として自然なことであり、最も尊いことである。しかし、人間のどこに魅かれるのかということによってその人間の深みもあるとしたら、「おさん」は、あまりにも浅はかな人間の代表ではないかと思えるほどである。

 この物語には、「武士」であることに固着し、牢人(浪人)している夫の仕官のために自らつまらない商人の妾になっていく女性や、茂兵衛に恋焦がれていき、ついには「おさんと茂兵衛」の駆け落ちを奉行所に密告する人形屋の娘も登場するが、それらの女性の姿も、少なくとも、わたしには腹立たしく感じられて、途中で、これは北原亞以子にしては駄作ではないかと思ったほどである。

 しかし、たとえば、夫の仕官のためにと浅はかに考えてつまらない商人の妾となり、その子を身ごもって、再び、夫のもとに帰ってきた妻を、自ら深く省みて受け入れ直す「牢人(浪人)」や丹波へ逃げた「おさんと茂兵衛」の丹波での短い生活の姿が描かれ、それが、この馬鹿らしくて腹の立つ恋愛の結末として記されていることが、この作品を救っている。

 そして、「終幕」で、井原西鶴をして、「いくら大経師の家に嫁いだかて、大経師とうまが合わなんだら、ちいとも幸せにはなれへん。大経師は好きな女子といくらでも浮気ができるからええが、亭主とあわなんだら女子は気の毒や」(409ページ)と語らせ、「ま、何をどう考えても、あかんのは武士や。金もない、知恵もない武士が、えばりたがるとろくなことはない。生きてゆく知恵がないさかい、牢人になっても武士に戻りたがるのや」(410ページ)と思わせているところが、この作品の全体を通しての作者の姿勢を示して、この作品の読後感を、どろどろしたものから爽やかなものに変えている。

 しかし、個人的な好みを言えば、地位や名誉や財産もなく(あるいは捨てて)、ただ市井の人間として、愛情深く、たくさんの思いやりをもち、耐え忍ぶことが多くても、花鳥風月を慈しみ、宇宙の大きさを心に宿して、「イツモシズカニワラッテイル」、そういう人間がわたしは最も好きで、この作者には、そういう人間の姿を描いて欲しい、とは思う。

 明日は分別ゴミの回収日だから、今日は部屋の掃除もしなければならないし、冷蔵庫も空だから買い物にも行かなければならないが、なかなか気分を奮い立たせることができないでいる。こんな日は、ただぶらぶらと歩くのもいいかもしれない。予定をキャンセルして、少し時間をかけて、冬支度の三種の神器を身に着けて、散策でもしてみよう。

2009年12月7日月曜日

北原亞以子『風よ聞け 雲の巻』(2)

 5日の土曜日は雨で、夜八時ごろに夕食の買い物に出かけようとして止めたほどだったが、6日の日曜日は、富士山が見えるほどの快晴になった。今日も快晴だが、昨日ほど気温が上がらない。晴れた青空の下で街路樹の銀杏の葉が舞い落ち、ほとんど尖った枝だけが天を指すようになってきた。


 前回の続きであるが、北原亞以子『風よ聞け』で、伊庭八郎を慕い続ける娼婦の目を通して、彰義隊と新政府軍の上野戦争の姿が描き出される。それは、これがどのような戦いであったのかの歴史報告などでは決してなく、戦場である上野に近い吉原で、砲火の音におびえながら過ごさなければならない人間の戦争体験であり、戦火にまどう庶民の日常の体験にほかならない。人の姿とはいつもそうだろう。

 歴史上の大きな出来事は、いつも、人間にとっては、渦中の中での不安や脅え、そして、戸惑いとして経験されていくものに過ぎない。出来事を客観的に分析する思想が歴史を作るのではなく、その小さな不安の経験が歴史を作るのである。人は、それぞれの自分の世界でしか生きることができない。作者は、それを本当によく知っている。

 伊庭八郎を慕う娼婦がいる妓楼の客に、彰義隊に参加した者も、また、新政府の密偵として入りこんでいる者も、そして、その頃に出始めた新聞を作る者もいる。それぞれの事情がある。その事情を語ることで、作者は、決して歴史の善悪の軽々しい判断をしない。わたしがこの作者が好きなのは、そういうところもあるからである。そして、それらの人たちの会話を通して、旧幕府軍と新政府軍の状況の推移が知らされていく。そして、彼女の思い人である伊庭八郎の消息が、噂を含めて少しずつ知らされていく。こういう仕掛けが、本当にいいと思う。

  一方、伊庭八郎の姿を描き出すためにだが、福沢諭吉らと米国に渡った英語通詞(通訳)を務める夫婦が描かれている。この夫婦は、深い愛情と思いやりで強く結ばれている夫婦で、夫は、攘夷運動が盛んな頃には、さんざん苛められたり、身の危険を感じなければならなかったことが多かった人で、新しい気風を身に着けた人であり、妻は、そのような夫を心から支えていく。この妻が、伊庭八郎の妻となる御徒士の娘と友人である。この夫婦の姿は、ほのぼのとして、読んでいて嬉しくなる姿である。この二人が、伊庭八郎とどのように関わっていくのかは、この巻ではまだ記されていない。

 江戸湾から幕府海軍のにらみを利かせて戦況を有利に運ぼうとした勝海舟をはじめとする旧幕府軍は、榎本武揚の優柔不断さ(解釈はいろいろある。榎本武揚もそれなりの人物であったが、わたしは個人的にはどうも函館戦争での彼の決断が気に入らない)と烏合の衆であった彰義隊の統制のとれなさによって、伊庭八郎は箱根で孤立する。こういう策略や作戦は、いつも失敗するのが歴史の教訓というものである。やがて、伊庭八郎は会津に向かい、それから榎本武揚と共に函館に向かうが、この「雲の巻」は、ここで終わっている。伊庭八郎と結ばれた娘は、彼を待ち続ける。

 それにしても、北原亞以子が描いている三人の女性は、それぞれ境遇が異なり、その境遇の中で精一杯生きており、奥ゆかしいが、しかし、自分の考えをはっきりもって、それを表わしていく女性たちである。社会と運命の激流の中で、けなげで、毅然として、そしてそれゆえに、美しい。それは、決して揺らぐことのない自分の「愛する心」を大切にする美しさである。女流作家ならではの描き方かもしれないと思ったりする。

 この続編が書かれたのかどうか、北原亞以子の作品一覧を調べてみたが、見当たらなかった。これは1996年の講談社文庫書き下ろし作品として出されており、彼女は、現在、70歳を越えている(1938年生まれ)ので、もしまだだとしたら、続編を早く望みたい気もするが、これはこれで、いいのかもしれない。「結末」などは、人の人生にはないのだから。

2009年12月4日金曜日

北原亞以子『風よ聞け 雲の巻』(1)

 天気が一転して、よく晴れた空が広がっている。だが、明日からはまた天気が崩れるという。早朝から起き出して洗濯をしたりした。先日、「あざみ野」の「大正堂」という家具屋さんで注文していたテーブル式のコタツが届くというので、これまで使っていた大きな座卓を処分するために、座卓の上においていた碁盤やらノートパソコンやら、本やらを片づけた。少し気分が変わるだろう。

 また、たいていは夕方から夜にかけて買い物を兼ねて散策に出たりしていたが、友人の勧めもあって陽の光を浴びるようにして出かけることにした。今日は晴れているのでちょうどよい。
 
 昨夜から北原亞以子『風よ聞け 雲の巻』(1996年 講談社文庫)を読んでいる。

 相変わらず、「瀬戸物のこわれる音がした。くぐり戸のあたりからだった」(7ページ)という書き出しが素晴らしい。物語を構成している作者の視点が一気にわかるような、そして、その後の展開を予測させるような意味の深い、また、無理のない書き出しである。

 この作品は、幕末に幕府側の遊撃隊の隊長をして散って行った伊庭八郎(1844-1869年)を描いた作品で、彼を巡る三人の女性の姿を通して、彼を描き出したもので、物語は、慶応4年(1868年)の「大政奉還」後の「鳥羽伏見の戦い」の後から始まり、伊庭八郎が暮らしていた江戸の下谷和泉通りにあった「伊庭道場」の向かいに住む貧乏御徒士の娘の姿を描き出すところから始まっていく。彼女と彼女の家族の姿を通して、明治維新の大変動に振り回されていく人々の姿を克明に描き出すのである。

 彼女の兄は御徒士として遊撃隊に加わり、薩長に対して徹底抗戦をしようとし、父は、田舎に土地を借りて移り住もうと考え、家族がばらばらになっていく。このくだりは、政治と社会状況に翻弄されなければならない姿を描くことで、人間の姿を浮かび上がらせる文学の力が見事に見られる。そういう中で、親の決めた許嫁がいる娘は、幼い頃から自分をかわいがってくれていた伊庭八郎に思いを寄せていく姿が描かれるのである。

 彼女は、許嫁との結婚が迫って行く時に、自分が抱いていた伊庭八郎への思いをはっきりと自覚して、一時帰宅した伊庭八郎に会いに行く。その心理描写が次のような光景で描かれている。

 「茶をいれてくれるというつもりか、八郎(伊庭八郎)はもっていた湯呑を差し上げて見せて、千遠(彼を慕う娘)に背を向けた。
 『兄様・・・・』
 声をふりしぼった筈だった。が、唇の外へ出てきたそれは、痰がからんだようにかすれていた。
 『私は、八郎兄様を待っていてもようございますか』
 長火鉢に向かっていた八郎の足がとまった。
 返事が聞こえるまでに、少し間があった。そのわずかの間が、千遠にはきのとおくなるほど長い時間のように思えた」(53-54ページ)

 こういうくだりが、この娘の人柄と思いを切々と伝えるものになっている。情景の描写と、それに伴う句読点の使い方が素晴らしい。句読点一つで、行間の情景がにじみ出る。

 伊庭八郎の生き方を伝える言葉として、作者は次のように記す。

 「俺は、勝さん(勝海舟)ほど人間の出来がよくねえのよ」(52ページ)
 「なにもかも幕府側が正しかったとは言わねえが、俺は、俺達の持っていた刀や鉄砲の前に錦旗をつきつけて、これでお前達は朝嫡だ、科人だというようなやりくちにゃ我慢ならねえ。一寸の虫にも五分の魂だ、勝さんは今のうちだけ頭を下げているというが、どうしても『はい』とは言えねえのよ」(53ページ)
 「あいすみませんでしたと頭を下げれば、奥詰になったことも、道場や講武所で剣を磨いていたことも、すべて間違いであったと認めることになるのじゃねえか。俺は俺の名誉のために戦うとつい言っちまってね。徳川家の恩を忘れたのかと、袋叩きにあったよ」(53ページ)

 伊庭八郎は、自分でも勝てる見込みなどないとわかっていながら、箱根での薩長との戦いに加わって、左腕の肘から下を斬り落とされ、それでも、会津若松の戦いに参戦し、やがて函館の榎本武揚の戦いに加わり、函館で艦砲砲撃を受けて戦死している。

 彼は、いわば、人間としての「筋目」を通した人であり、作者は、そういう姿を上のような言葉で表しているのである。

 伊庭八郎を取り扱った文学作品として優れていると思えるのは、池波正太郎の『その男』や『幕末遊撃隊』があり、わたしは、以前、池波正太郎のそれらの作品を深い感動をもって読んだことがある。伊庭八郎は、幕末の人間たちの中でも、わたしが好きな人間のひとりなのだ。伊庭八郎は、報われることの少ない人生を歩んだ人だが、飄々として、「いい男」なのである。

 だから、北原亞以子が『風よ聞け』で彼を三人の女性の姿を通して描き出すことに、大きな喜びを感じながら、これを読んでいる。

 二人目の女性は吉原の妓楼の娼婦である。彼女は、伊庭八郎の「さわやかさ」と「思いやり」にとことんまいって、娼婦として生きなければならない中で、伊庭八郎を思い続ける人である。

 このことについては、また、明日書くことにする。それにしても、こういう人間を大勢殺して成立した近代日本とは、一体何だったのかと、改めて思ったりする。大久保利通などの功利的な人間が創った近代日本とは何だったのかと思ってしまう。日本を含む世界の19世紀からの歩みは、どこか間違って来ているのではないかと思えてならない。ひとりの小さな人間の幸せや生きることの喜びを踏みにじってはならないのだから。

2009年11月21日土曜日

北原亞以子『花冷え』

 昨日から晴れ間が見えだし、今朝はよく晴れているが、気温が低く、寒さというより冷たさを感じる朝になった。寒がりの私としては、ことのほか指先の冷えを感じたりする。それでも、今日は朝から仕事があって、六時前から起き出した。

 このところ「大江健三郎論」に集中していて、そのほかに書かなければならないものも多く、読書量が落ちているが、昨夜、北原亞以子『花冷え』(1991年 勁文社 2002年 講談社文庫)を読んだ。

 これは、1970年から1991年までに各雑誌で発表された七編(「花冷え」、「虹」、「片葉の葦」、「女子豹変す」、「胸突坂」、「古橋村の秋」、「待てば日和も」)の作品を収めたものであるが、北原亞以子は1969年に作家としてデビューして1989年に『深川澪通り木戸番小屋』で泉鏡花文学賞を受賞し、1993年に『恋忘れ草』で第109回直木賞を受賞するまでは、なかなか世に認められなかった作家としての苦労を重ねた人で、『花冷え』は、その間に書かれていた、いわば初期の作品群を集めたものである。

 したがって、これらの作品を読むと、彼女が、世に認められるとか認められないとかとは全く関係なく、営々と自己の研鑽を積み、作品を書き続けていたことがよくわかるし、最初の作品「花冷え」から七編目の「待てば日和も」に至る過程では、文章表現や構成が段々と変化してこなれたものになっていくこともわかる。そしてまた、この作家の視座というものの基本もよくわかる作品群である。

 第一話「花冷え」は、2年前にいい仲になって結婚の寸前までいった紺屋の娘と型染め職人が、水野忠邦の天保の改革(1830-1843年)による「綱紀粛正・倹約令」によって技術のいる高度な型染めが禁止されたために、職人気質の男が反発して仲を裂かれ、2年後に再会して分かれるという話である。紺屋の娘は男とよりを戻すことを期待するが、男は、他に縁談があるという。

 結末の「ふいに風の向きが変わって、雨が廊下に降りかかった。お花見はもうだめかもしれないという女中のことばが、なぜか急に思い出された」(文庫版 33ページ)という情景が心情を表わすものとして優れている。

 心情を情景で表わして優れているのは藤沢周平であるが、これは、北原亞以子の作品の中に一貫していくものとなっている。この初期の作品群の中では、特にそのことにこだわりがあるようで、どの作品も、結末が美しい。そして、この作品では、政治という上からの強権で引き裂かれ、翻弄されて生きなければならない人間の姿も描かれ、作者の視座も伺わせるものとなっている。ただ、文体が以後の北原亞以子の作品に比べると、やはり、少し硬い。

 第二話「虹」は、老いて病身な母親と料理屋で働きながら暮らしている女が、姑の意地の悪さのため二度も離婚した油問屋の主人に惚れて嫁ごうとするが、娘の行く末を案じる母親との間に挟まれ、迷い、その間に油問屋の主人が浮気をしたりして、さらに迷いつつも、嫁ぐことを決心していく話である。ここには、女が働いている料理屋の夫婦が、困難な過去を乗り越えた後で結ばれていった話が重ねられて、素直に自分の思いを遂げていくことの重さが描き出されていく。

 文庫版54ページに、その女の心情が次のように描かれている。
 「おすえ(母親)が許してくれぬのなら、家を飛び出しても一緒になりたかった。連れ戻しにくるに違いない母を門前で追い払っても、伊兵衛(油問屋の主人)の胸にすがりついていたかった。
 だが、怒っている筈の母は、座敷に上がって、寒がりやのおぬい(主人公)の寝床に掻巻をのせていた。
 おぬいは、寝床を母のそれに近づけた。「いやだよ。狭っ苦しい感じがして」と言うおすえの手を押しのけて、横にした掻巻を二人の寝床にかける。狭っ苦しい感じがすると言った筈のおすえは、枕をおぬいの寝床の方へ近づけていた。
 この母を残して嫁けないと思った。
 父に死なれ、薄暗い家へ入れずに木戸の外で泣いていた時、母はおぬいの欲しがていた物を買って、駆け足で帰ってきたのではなかったか。治作(母の二度目の夫)と夫婦になってからも、おぬいの着物を嬉しそうに縫っていたのではなかったか。
 伊兵衛には、口やかましい母親がいた。伊兵衛の許へ嫁いだなら、おすえのようすを見に来るのもままならないだろう。」

 ひとつひとつの言葉の使い方に、ほんのわずかだが「ぎこちなさ」を感じるところも
あるのだが、こういう素直な表現と構成は絶賛に値するだろうと思う。この作品の結末も、「雨の音が、こころなしか小さくなったようだった」(文庫版73ページ)という心象風景で終えられている。

 第三話「片葉の葦」は、本所駒留橋の小溝のたもとで風の吹きだまりのせいで陽の当らない方向にばかり葉を茂らせている葦になぞらえて、春を売る女(売春婦)として生きている主人公が、女たらしで仕事もしない男に惚れて、別れられない「遊女の深情け」の中でもがいていく姿を描いたもので、その男が新しく作った女髪結いの女との確執もあったが、天保の改革で、その女髪結いが捕縛された時に、彼女に示される「情け」を感じていくというものである。

 そう言えば、北原亞以子の作品には、どうしようもない男に惚れていく女の心情を取り扱った作品が多いのだが、「惚れる」というのは、たとえそれがどうであれ、男にとっても女にとっても掛け値なしに貴いことに違いない。

 この作品には、北原亞以子らしい優れた表現がたくさんあって、主人公の「お蝶」が心細さと不安を感じながらも男を探しに行く場面で、「傾きかけた陽が、路地を赤く染めていた。どこから飛ばされてきたのか、枯葉がどぶ板の上を転がっていく。お蝶は、風に巻き込まれたように外へ出た」(文庫版 91ページ)と表わされたりして、「どぶ板の上を吹き飛ばされて転がっていく枯葉」と主人公の生涯が重ねあわされて、何とも言えない情感をつくっている。

 また、「片葉の葦」を眺めながらの主人公の心情が次のように示される。

 「似てるじゃないかと、お蝶は思った。風の当たらぬ方へ葉を茂らせるほかはなかった葦と、陽の当らぬ方へ歩いていくほかはなかったお蝶母子やお藤達とは。
 そういえば、女髪結いのおとくにも、軀を売って暮らしていたことがあるという噂がまとわりついている。おとくもまた、陽の当らぬ方へ葉を茂らせるほかはなかった片葉の葦なのかもしれない」(文庫版 95ページ)。

 こうした表現は直線的である。そして、直線的であるがゆえに心を打つ場面になっているのである。

 第四話「女子豹変す」は、貧乏御家人の「筧(かけい)」家の次男坊として生まれ、麗しい容貌をもちながらも、それが災いして三両一人扶持(三ピン)にもなれなかった男と、亭主を亡くして二人の子どもをなりふり構わず育てている惣菜売りの女との間に生じる愛情の始まりを描いた作品で、第五話「胸突坂」は、老舗ではあるが傾き始めた菓子屋を一人で背負っている女と、その幼友だちで昔は貧乏し苦労したが今は繁盛している料理屋の女将との間の確執と友情を描いた作品である。

 第六話「古橋村の秋」は、豊臣秀吉に敗れた石田光成をかくまい、彼にどこまでも忠誠を尽くそうとする百姓の与次郎太夫、彼の息子とその忠誠を支える許嫁の娘の心情を描いたものであり、第七話「待てば日和も」は、惚れた男に捨てられて死のうとした女がひとりの男に助けられ、その男が、かつては老舗の呉服屋で辣腕をふるっていたが、あまりの冷遇に一切を捨てて落ちぶれていることを知り、自らを顧みていくという話である。

 いずれもいくつかの伏線が交差して、貧しくどうしようもない中で、人間の「温かさ」や「愛情」を求め、それがいかに人間にとって生きる力となっていくかを描いたものである。

 人は、木枯らしが吹く寒い冬に自らを温めるすべをもたない生物であり、それだからこそ「温かさ」を必要とする生物である。北原亞以子は、江戸の庶民の姿や男女の「情愛」を描くことによって、その「温かさ」がどんなものであるかを描き出していくのである。ほんの少しでもいいから、その「温かさ」があれば、人は生きていけるのである。

2009年11月19日木曜日

北原亞以子『白雨 慶次郎縁側日記』

 昨日の午後は少し晴れたのだが、今朝は重い雲の冬空が広がっている。始まっている本格的な寒さが身にしみるようになってきた。風も冷たい。指先に寒さが宿る。空気が冷え冷えとし、霙でも落ちてきそうだ。

 昨夜はなんだか疲れ切って、ビールを飲みながら、だらだらとあまり意味のないテレビ番組を見つつ北原亞以子『白雨 慶次郎縁側日記』(2008年 新潮社)を読んだ。そして、読んでいるうちに段々と嬉しくなっていき、ついに夜中までかかって読了した。

 北原亞以子のシリーズ物で一番気に入っているのは『深川澪通り木戸番小屋』であるが、『慶次郎縁側日記』も、あっさりと書かれているところが良いと思っている。このシリーズは、刊行年順に記せば、『傷』、『再会』、『おひで』、『峠』、『蜩(ひぐらし)』、『隅田川』、『やさしい男』、『赤まんま』、『夢のなか』、『ほたる』、『月明かり』の11作と、『脇役 慶次郎覚書』がこれまで出されており、『白雨』は12作目の作品となる。この内で、まだ読んでいないのは、記憶が怪しいのだが、たぶん、『月明かり』だけのような気がする。

 このシリーズは、前にも少し書いたが、元南町奉行所の同心で「仏の慶次郎」と呼ばれた人情厚い森口慶次郎が、今は隠居して酒屋の寮番をしながら、江戸の市井に生きる様々な人々と、その人たちが起こす様々な事件や出来事に関わっていく話で、どうにもならない状況のなかで生きなければならない人々に示される「情の温かさ」と「暖かさの呼応」がさりげなく、そしてふんだんに描き出されていて、読むだけで何となく嬉しくなる作品である。

 『白雨(はくう)』は、「流れるままに」、「福笑い」、「凧」、「濁りなく」、「春火鉢」、「いっしょけんめい」、「白雨」、「夢と思えど」の2005年から2006年にかけて「小説新潮」に掲載された8つの作品が収録されており、たとえば、第一話「流れるままに」は、自分の意志や決断というものがあまりなくて、すべてを人のせいにして生きている質屋の婿養子がやりきれない思いで生活する中で盗癖のおる女に引っかかって脅される話であり、第二話「福笑い」は、あまり機転が利かずにぼんやりすることが多くて勤め先から暇を出され、口入屋(仕事斡旋所)に身を寄せながら暮らしている女が、惚れた男に、これも仕事を首になり、他の女に世話になっていることを知りながらも金を貸し、富くじに当たったという男の財布から金を返してもらおうとして泥棒と間違えられる話である。

 第三話「凧」は、昔自分を捨てて男と逃げた女房のために岡っ引きの「蝮の吉次」がさりげなく動いて、養女にするつもりだった女にまとわりついている男のことを調べたり、養女になるはずだった母親と暮らしている女が、母親との関係を恢復していったりする話である。

 第四話「濁りなく」は、父親のこと(慶次郎の愛娘を手ごめにして自害に追いやった)で重荷を追ってきた岡っ引きの辰吉と暮らす「おぶん」が親しくしている気のいい後家さんが、大金を騙し取られ、それを慶次郎と辰吉たちが解決していく話である。昨今の社会を賑わせている詐欺というを視野に入れて書かれたものだろう。

 第五話「春火鉢」は、久しぶりで早く家に帰って来て、頂戴物のもちを焼いて食べる家族のありがたみを味わった同心の島中賢吾が、お互いにまだ思いをもちつつも、喧嘩をし、刃傷沙汰を起こして夫婦別れをした男女に関わる話で、第六話「いっしょけんめい」は、あまり丈夫ではない女が可愛がって育てた娘が、仕事もせずに気に入らない男と所帯をもったために独り暮らしをし、意地を張っていたが、その中で娘夫婦と孫のありがたさを知っていく話であり、第七話「白雨」は、慶次郎と一緒に酒屋の寮番をしている変わり者の「佐七」の友人となった男が、実は、昔の大泥棒であったことが分かり、「佐七」が傷つかないように慶次郎がその友人と話をつけに行く話である。

 そして、第八話「夢と思えど」は、昔、駆け落ちの約束までして惚れぬいた男が、約束の場所に現れず、その男への思いを秘めたまま二度の結婚をし、二度とも失敗し、三度目の結婚話が持ち上がってきた時に、偶然、その昔の男に出会い、その男と再び駆け落ちすることになったが、その時も、男が現れないという筋立てである。

 男は、その女への強い思いをもちながらも、自分のような男では相手を幸せにできずに苦労ばかりかけると思って、その独りよがりの気持ちのまま出奔してしまうのである。男は、女に対してとった自分の行為を罪業と感じていく。こういう男の気持ちはわからないではないし、ふと、デンマークの哲学者S.キルケゴールのことを思い起こしたりしながら読んだ。

 北原亞以子『再会』は、相変わらず、物語の展開も文体も練られていて、流れるように読むことができるような工夫がされている。彼女の小説作法の技量は、相当なものである。

 たとえば、第一話「流れるままに」の冒頭のところで、次のような表現が出てくる。

 「確かに、すべてを他人のせいにしてしまえば気持ちは楽になると慶次郎も思う。慶次郎も、その誘惑に負けて他人の言う通りに動き、あとでそのひとのせいにしたことが幾度かある。が、後味は悪かった。」(9ページ)

 こういうことを素朴なことを無理なくさらりと表現しているのがいいし、「何度か」ではなく「幾度か」という言葉の選択も洗練されたものがある。

 そして、相変わらず、独りで貧しく生きなければならない人間の心情の表現もうまい。

 第二話「福笑い」で苦労しながら生きている「おふく」という女性について、

 「自分が気のきかない女であることも、湯が沸く時のあぶくや鑿に削り落された木屑など、人があまり興味をしめさないものを眺めているおかしな女であることはよくわかっている。そのことで叱られたり呆れられたりするのには慣れているが、持って帰った餅で雑煮をつくり、一人で食べた時にはさすがに涙が出た。」(50ページ)

 と記す。侘しい一人暮らしの姿は、その食事の時にもっとも感じられるが、「雑煮を一人で泣きながら食べている姿」を思い浮かべると、それがひしひしと伝わってくる。

 また、書き出しも真に優れていて、たとえば、第三話「凧」の書き出しは次のようなものである。

 「職人風の男と一緒に、風のかたまりが店へ飛び込んできた。室町三丁目の畳表問屋、伊勢屋の店先であった」(73ページ)

 この「風のかたまり」が、登場する岡っ引きの「吉次」や登場人物の心に吹き込んでいくのである。こういう書き出しは、おそらく何度も推敲を重ねたものだろうと思う。

 また、第五話「春火鉢」には、次のような一節がある。

 「春の宵である。とろりとかすんだ薄闇の中へ洩れる明かりは、日々の暮らしに満足している者と胸に屈折した思いを抱えている者とでは、まるで色合いがちがうだろう」(154ページ)

 この一節だけで、この物語に登場する人物がどんなものであり、この物語が伝えることが分かるような気がするし、この物語の最後の言葉は、事情を知った同心の島田圭吾が、「ひえびえとした時には、物置に入れた火鉢を出すにかぎるのだ」(156ページ)と思う言葉である。まことに読後感の後味の良さを感じる表現である。

いずれにしろ、『再会 慶次郎縁側日記』は、それぞれが、それぞれの重荷や苦労をしながら江戸の市井で生きる庶民の姿を取り扱ったものである。こうした作品は多いし、わたしも好んで読んでいる。読んで、ただただ嬉しくなる本である。

2009年11月12日木曜日

北原亞以子『再会 慶次郎縁側日記』

 昨日一日降り続けた雨が上がっているが、重い雲が下がっている。昨夜はずいぶん風も吹いたようで、街路樹の銀杏の葉が道路にべったりと貼りついている。車の騒音は相変で、いくつかの文書をプリントアウトする作業もあるのだが、ぼんやりとその遠景をみながらコーヒー―を入れて眺めたりする。久しぶりにモーツアルトを聞き、朝の時間を過ごした。

 昨夜から北原亞以子『再会 慶次郎縁側日記』(1999年 新潮社 2001年 新潮文庫)を読んでいる。この作品は、このシリーズの2作目で、このシリーズの『傷』、『おひで』、『峠』、『蜩』、『隅田川』などはすでに読んでいたが、シリーズとはいえ、どれから読んでもいいように構成されている。そして、『再会』は、元南町奉行所の同心で「仏の慶次郎」と言われた深い人情をもつ主人公の人と成りがよく描き出された作品でもある。

 それにしても、この作品に出てくるすべての人が何と優しく描き出されていることか。愛娘を自害という出来事で失った慶次郎の養子となった愛娘の元許嫁の晃之助と、出来事のすべてを知りつつ晃之助の妻となった皐月、酒屋の寮番として慶次郎と一緒に暮らす佐七、岡っ引きの辰吉、蝮と言われて悪事を働いた人間をゆする岡っ引きの吉次とその妹夫婦、やがて慶次郎が惚れることになる料理屋の女将お登世、そして、様々な事件を起こす人々も、すべて優しいし、また、人情に人情が呼応する人々である。言い換えれば、「人の情け」がわかる人たちなのである。

 わたしが時代小説の市井物と呼ばれるものをこのところずっと読んでいるのは、そういう「情けがわかる人々」が描かれているからである。これは、哲学の中にも思想の中にもない。「智に働けば角がたつ。情に棹をさせば流される」が、論理的な思考癖もつわたしが、「論理ではなく、情で生きよう」と思ったのは、もうずいぶん前で、情に流され、涙をぽろぽろこぼしながら、「それでもいいではないか」と思いつつ生きて、こういう「情けがわかる人々」に胸打たれるのは、自然の成り行きだろうと自顧したりする。

 物事の美醜を感じるのは、それを感じることができるものがあるからで、愛を感じることができるのは、ただ愛だけである。カント的な言い方をすれば、感情には先験性(ア・プリオリ)が必要なのだ。真、善、美、そして何よりも愛を見出すには、その自己の中の先験性を豊かにする必要がある。人間がそうして生きることができたらなんと素晴らしいだろうかと思う。

 論理を働かせ、功利的に生きる人間は、その論理がどんなに正当で素晴らしく構築されたものであれ、いやらしい。わたしが好きな時代小説の市井物には、それがない。

 たとえば、『再会』に収録されている第一話「恩返し」の冒頭に、重い風邪(今でいうインフルエンザだろう)にかかった慶次郎のもとに養息子の嫁の皐月が、前掛けとたすきを入れた風呂敷包みをかかえて籠を飛ばしてくる場面がさりげなく描かれている。皐月は、半月ほど慶次郎の看病をするために用意して出てきたのである。養息子の晃之助も、息せき切って翌日現れる。慶次郎と晃之助、その妻の皐月との間には血のつながりはない。しかし、義父が重い風邪を患ったと聞きつけ、「籠を飛ばし」、「息せき切って」駆けつける姿に、その心情の温かさがある。

 第一話の「恩返し」は、自分を養ってくれた親の九右衛門が、実は泥棒だったということを知った老舗田島屋の婿養子になっている道三郎が、その養い親への恩を返すために、自分の地位も名誉も捨てて、養い親の泥棒を助けるという話である。

 そのことを知った慶次郎は、泥棒に入ろうとした九右衛門を捕え、言う。

 「道三郎は、自分を捕えてくれと言った」
 九右衛門が慶次郎を見た。
 「自分が捕らえられれば、お前が盗みをやめるだろうというわけさ。田島屋の暖簾とお前の恩とを天秤にかけて、お前の恩をとったんだよ。それが道三郎の恩返しだったんだ」
 倒れるのではないかと思うくらい、九右衛門は深く首を垂れた。「恥ずかしいよ」という声が、少しくぐもって聞こえてきた。
 「旦那、頼むよ。明日、半日でいいから暇をくんな。道三郎に詫びてから自訴をする・・・」
 「だめだ」
 慶次郎はかぶりを振った。
 「自訴して、道三郎や、何も知らねえ田島屋にまで迷惑をかける気か」
 九右衛門は、ふたたび首を垂れた。
 「茂八んとこか江戸の隅っこで、おとなしくしているんだな」
 返事は聞こえなかった。

 翌日、慶次郎が辰吉の家へ出かけた留守のことだった。山口屋の寮に巡礼姿の男がたずねてきて、油紙にくるまれた重い包みを置いて行ったという。
 開けてみると、二十五両ずつたばねられた小判が八つ、きれいにならべられていた。(文庫版 42-43ページ)

 返されたのは、九右衛門が盗んだ二百両である。養い子の道三郎の思いと慶次郎の情けを知った九右衛門が、首を垂れ、巡礼に出るというのもいいし、慶次郎の思いもいい。慶次郎は、まことに「粋」な人間である。こういう「情けの呼応」が素晴らしい。

 そして、また、北原亞以子は、「独りで生きなければならない人間の淋しさと不安」もよく描く。第六話「やがてくる日」に、仕立ての内職をしながら独りで暮らしている「おはま」という女が出てくる。

 「おはま」は、十六歳で一目ぼれした羽根問屋の息子と結婚するが、それから五年後に亭主の浮気が止まず、姑もからもいじめられ、ついに舅から大金をもらって家を出て、実家に戻り、その実家でも弟に嫁が来て、折り合いが悪くて家を出て、しばらくは母親と暮らしたが、その母親も死んで、独り暮らしとなった女である。もらった金も残り少なくなってきた。「三十―か」とおはまは呟く。将来の不安がのしかかってくる。

 「おはまも、やがて老いる。恐ろしいのは、おはまが考えている以上の長生きをすることだった。六十を過ぎても内職ができるとは思えず、その頃は多分、居食いで暮らしていることだろう」(文庫版 200ページ)と考える。

 おはまは、憂さ晴らしに高価な着物を買い、贅沢な寿司を食べようと思う。しかし、何度も逡巡する。三両も出して高価な着物は買った。だが、値の張ることで有名な寿司屋に行く時、「『みんな、一緒に行く人がいるんだ』一人で鮨を食べに行くのは、おはまだけではないか」(文庫版 204ページ)と思う。

 「何だって、わたしだけこんなに淋しいのさ。わたしは何も悪いことをしちゃいない。浮気者の亭主と意地のわるい姑がいやで、羽根問屋を飛び出しただけなのに」
 すぐ目の前を歩いているおはまと同じ年恰好の女は、十歳くらいの女の子を連れていたし、その先にいる女は、わざと不機嫌な顔をしているらしい亭主から少し離れて歩いていた。
 「わたしの方が縹緻(きりょう)はいいのに。あの女達が、あの紬を着たって似合わないのに」
 だが、あの紬を着たおはまを、誰が見てくれるのだろう。(文庫版 204-205ページ)

 と思い、泣き出しそうな顔になって踵を返す。

 こうした「独りで生きなければならない人間」の姿が細やかに描かれる。それは、おはまのような三十路の女だけでなく、第八話「晩秋」に登場する頑固者で誰も寄りつかなくなって独り暮らしをする五兵衛も、親切ごかしをしてその五兵衛の懐をねらう我儘で怠け者の幸助という男もそうである。

 「孫に会いたくなったのだろうとは、わかっていた。身内の者に会うのは癖になる。音沙汰なしで暮らしていれば、淋しいことは淋しいが、会いたさにいても立ってもいられなくなるということはない。が、一度身内の家へ行って、親子やら兄弟やらのにおいを嗅いでしまうと」だめなのだ。食べ物のすえたにおいばかりがこもっているような自分の家へ帰るのがいやになるのである」(文庫版 258ページ)

 北原亞以子は、ここでこう続ける。

 「両親をあいついでなくし、青物町の店も人手に渡って、南小田原町の裏店で一人暮らしをはじめた頃、幸助は叔父の家へ泊まりに行ったことがある。叔父には叱言を百万遍も言われたが、いとこの女房は親切だったし、暖かいめしも焼魚も、縄暖簾のそれとは比べものにならぬほどうまかった。
 二晩泊めてもらい、三日目の夕暮れに「またくればいい」という叔父の言葉に送られて家へ戻ったのだが、明かりのついていない家の暗さがまず、いやになった。「今帰った」と言っても、当然のことながら返事はない。
 叔父の家へ行く前に脱ぎ捨てていった着物は、丸められて部屋の真中に置かれたままだし、急須の中では茶の葉がひからびていた。
 いとこの女房が持たせてくれた菓子を一人で食べるのも気のきかぬ話だと、縄暖簾へ行くつもりで外へ飛び出させば、味噌汁ではなく、築地の川がはこんでくる潮のにおいがする。縄暖簾で顔見知りを見つけ、足許もあやうくなるくらいに飲んで、家へ戻ればまた暗闇だった。明かりの入っていない行燈と、ひからびた茶の葉の入っている急須と、いとこの女房のもたせてくれた菓子が、ぽつねんと幸助を待っていたのである。」(文庫版 258-259ページ)

 こういう侘しさや淋しさは、実際に、幾分かは文学的に誇張されているとはいえ、本当のところである。そういう心情で生きなければならない人間の悲しみが行間にある。人には人の温かさが、それも日常に、必要なのである。何も特別なことはいらない。そういう温かみの必要性を『慶次郎縁側日記』は改めて感じさせてくれるのである。

 表題作になっている「再会」は三話あり、いずれもこのシリーズに登場する人物たちが、それぞれに昔かかわりがあった女性と再会する話であり、第一話は岡っ引きの辰吉のところに彼を「兄さん」と呼び慕っていた「おもん」が助けを求めて訪れ、そのことによって辰吉が人殺しの疑いをかけられるという話である。第二話は、慶次郎がふとしたことで入った蕎麦屋に七年前に関係をもった「おしん」という女性がいて、外見と中身が違うと言われ続けてきた「おしん」が慶次郎を訪ねてくるという話である。第三話は、岡っ引きの吉次が、昔自分を捨てて男と逃げた元の女房で、裏櫓(場末の女郎屋)の女将をしている「おみつ」と事件の探索の過程で再会するという話である。

 いずれも、元の鞘には戻らないが、それぞれの人生の交差点を中心にして、それぞれの人生が語られる。人と人との出会いは真に不思議なものである。縁があって一緒に生きる人もあれば、望んでも、ついに縁のない人もある。まことに「縁」という言葉がふさわしいのかもしれないが、それで人生が大きく変わっていく。「縁は異なもの、味なもの」である。

 わたしにはどんな「縁」があるのだろうかと、自分自身がこれまで関わった人たちのことを思う。そして、おそらく、「縁なきまま」に、人生が終わっていくのかもしれないとも思う。ただ、「縁」は、自分で作り出していくものであり、孤独を囲わなければならないのは、自ら招いたことではあるが。

2009年11月9日月曜日

北原亞以子『夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋』

 朝は少し雲が覆っていたのだが、今はよく晴れている。押し入れから掛け布団を出して来て陽に干したり、洗面所やトイレに敷いているマットを洗ったりした。身体の不調はいつもの通りではあるが、昨日、大岡山に出かけたりしたので、少々疲れも覚える。

 大岡山は理系のメッカである東京工業大学がある町で、大井町線の駅の前がきれいに整備されているが、商店街は古いままに残されており、時間があればぶらぶらするのもよいかもしれない。ただ、残念がら、大岡山に行く時はいつも予定が詰まっていて素通りするだけである。

 昨日中に北原亞以子『夜の明けるまで 深川澪通り木戸番小屋』(2004年 講談社)を読んでしまおうと思い、夕方に読み終わった。これは、このシリーズの4作目だろうと思うが、深川中島町の澪通りにある木戸番の夫婦、古武士の風貌をもちながらも穏やかな笑兵衛と、肥ってはいるが上品な品格をもち、いつもころころとよく笑う女房のお捨ての中年夫婦の人情に触れ、慰めと励ましを受けていく人々の物語である。

 この『夜の明けるまで』は、「第一話 女のしごと」、「第二話 初恋」、「第三話 こぼれた水」、「第四話 いのち」、「第五話 夜の明けるまで」、「第六話 絆」、「第七話 奈落の底」、「第八話 ぐず」の八話から成り立っているが、いずれも、木戸番夫婦の何気ない温かみを頼りにしている人たちの話で、第一話は、下練馬で貧しい雑貨屋の娘として生まれ、江戸に出てきて料理屋で働き、気楽な生活をすることを望んでいた「おもよ」が、友人で身勝手な「お艶」の開店した店で働くことになるが、「お艶」ばかりが大事にされたりして、次第に自分の存在感を失っていく。しかし、木戸番小屋のお捨てとの何気ない会話の中で、日々の暮らしの中で生きていくことこそ意味があることをじんわりと知っていく、という話である。

 「第二話 初恋」は、木戸番小屋に始終顔を出す差配の弥太右衛門の「いろは長屋」に越してきた労咳の亭主「年松」と明らかに武家育ちとわかる妻の「紫野」の話で、「紫野」は、16歳の時、かつて自分の生家の窮状を救うために300両で真綿問屋甲州屋広太郎のもとへ嫁いだが、広太郎の女遊びの激しさと舅、姑の仕打ち、「金で買われた嫁」という店の者の冷たい視線や仕打ちなどに耐えきれず、自分の下駄の鼻緒をすげてくれた職人の「年松」の優しさに触れて、彼のもとへ逃げだした女である。

 年松は、ついに労咳で死ぬが、復縁を迫る甲州屋や兄や周囲の者の反対を押し切って、「紫野」は、そのまま「いろは長屋」に住むことを決意する。

 「第三話 こぼれた水」は、美男とはほど遠い顔つきをした釘鉄問屋近江屋山左衛門が木戸番小屋の近くに越してきた美人でしっかり者の「お京」と浮気をしているのではないかと案じた女房の「お加世」が、さんざん迷った末に、「お前さんの女房はわたしです」といって立ち直る話である。

 「第四話 いのち」は、火事で前途ある若侍から命を助けられた五十四歳で遊女の繕い物をして暮らしていた「おせい」が、自分を助けて死んでしまった前途ある若侍に比べて、年寄りで何のとりえもない自分が助けられたことを悔やみ、また周囲からもそう言われたりして、木戸番小屋に身を寄せて介抱されることになり、お捨ての働きで救われていく、という話である。

 「第五話 夜の明けるまで」は、木戸番小屋の前にある自身番で書き役をしている貧しい太九郎が、五つになる子どもを抱えて仕立物をしている貧しい「おいと」と夫婦になりたいと願うが、「おいと」は、前の亭主をはじめとするこれまでの人々の表裏のある姿をいやというほど見せられて、しかも、前の亭主の女癖の悪い舅が自分の部屋に入って来たりして、離縁してきた女だった。太九一は「おいと」と夫婦約束をするが、太九郎が病気で寝込んだ時に、同じ長屋に住む「おまち」を嫁にと世話をする人が「おまち」を看病にやったりしたのを知って、誰も信じられないと閉じこもってしまう。

 しかし、外に出た時、木戸番の笑兵衛と出会い、太九郎が絶えずうわごとで「おいとさん、佐吉(子ども)」と名前を呼び続けていたことを聞かされ、「自分が一人でねじくれていた」ことに気がつく。笑兵衛は、おいとと佐吉を木戸番小屋へ誘う。

 「第六話 絆」は、木戸番小屋へ時々顔を出す駒右衛門が、昔自分が捨てた子どもが一緒に暮らしてもいいといってくれたことにまつわる話で、駒右衛門は、昔、材木問屋を営んで羽振りが良く、その時茶屋女を囲って「おるい」という子どもを産ませていた。しかし、商売がうまくいかなくなり、その女と子どもを捨てた。借金も増え、女房も母親も死に、残った家作で細々と暮らしをすることになった。そんな時、かつて捨てた「おるい」が亭主と共にやって来て、一緒に暮らすことを提案したのである。
だが、「おるい」の心情は、かつて自分たち親子を捨て、そのために母親を亡くし、体まで売ってきたことに対する復讐だった。駒右衛門は、それを知りつつ、自分の唯一の生計である家作を「おるい」に譲り、これから「おるい」が暮らしていければ、それでいい、と言う。「おるい」は、その父親の心情に打たれて、家作を手に入れて逃げようとする亭主の刃から父親を守る。

 「第七話 奈落の底」は、蕎麦屋の和田屋の女房に恨みを抱く幼友達の「おたつ」が、その仕返しをしようと企むが失敗する話である。「おたつ」は、かつてどうしてもお金が必要になって、昔馴染みの和田屋の女房を訪ねるが、相手にしてもらえなかったことを逆恨みして、まじめな荷揚げ人足をしている三郎助をつかって和田屋でひと騒動起こそうとするが、三郎助は、和田屋にも「おたつ」にも迷惑をかけたくないと思って失敗する。なじる「おたつ」に三郎助は言う。

 「ついこの間まで、女の人の中では、木戸番小屋のお捨てさんが一番好きだったんだけど、今はあの、おたつさんが一番好きだ」
 俺は、一文なしで江戸へ出てきた、と三郎助は言った。眠る場所を探しているうちに道に迷い、空腹に耐えきれなくなって蹲った。目の前に町木戸があったことと、恰幅の良い男がその木戸の前に立っていたことのほかは、霞がかかってしまったように記憶が消えている。
・・・・・・・・
 すでに床についていたお捨が、わざわざ七輪に火を起こして粥をつくり、まだ明かりのついていた炭屋からたまごをもらってきてくれたのだそうだ。
 「見ず知らずの人間のため一所懸命になってくれる人もいるもんだ、そう思いました。ほかにはいねえだろうと思っていたんだけれど、おたつさんがいた」(209ページ)

 「弥太右衛門さんから笑兵衛さんとお捨さんの話を聞いた時、俺あ、ほんとうに嬉しかった。だって、お捨さんは眠っていたのに起きてくれて、七輪で粥をつくってくれたんですよ。はじめて人にかまってもらえたと思ったら、涙が出た」(211ページ)

 この話を聞いて、「おたつ」も思い返す。

 「第八話 ぐず」は、鰹節問屋の大須賀屋林三郎の女房だった「おすず」は、亭主の林三郎の女遊びが激しく、舅も姑もそれを鼓舞するような家で暮らすことが耐えらず、暴力も振るわれていた中で、台所の隅で泣いていた時、出入りの指物師与吉に「御気分でもわるいのですか」と声をかけられたのを機に与吉と深い仲になってしまい、婚家を離縁されてしまい、深川熊井町でひとりで絵草子屋を営んで、時折、木戸番小屋の夫婦を訪ねる生活をしている。

 彼女は、離縁され実家に戻された時、二度と与吉にあってはならないと彼女の面倒をみる兄から釘を刺されていた。しかし、家を飛び出すつもりでいた。与吉は、昼過ぎまで待ち、夕暮れまで待ち、さらに夜更けまで「おすず」を待っていた。だが、「おすず」は迷い、ついに飛び出さずに、兄の世話で絵草子屋を営むことになったのである。

 それから十五年の月日が流れた。元の亭主の林三郎が「おすず」の実家の金を目当てに復縁を迫ってきた。しかし、彼女はそれを受けつけない。彼女は後悔していた。なぜ、与吉の元へ行かなかったのだろうか、と。その心情が、次の文章ににじみ出ている。

 「おすずは爪を噛みながら、はこべや車前草が生えている空き地をみた」(232ページ)

 「爪を噛み、空き地をみる」まことに巧みな描写である。

 元の亭主に復縁を迫られ、今度こそは間違えないと思って、「おすず」は与吉を探すことを決意し、あちらこちらを訪ねて探しだす。

 与吉は、もう、髪に白いものが混じり、昔の面影はない。「おすず」は、羽目板の陰からその様子を見る。そして、そこから思い切って訪ねるのである。

 「おすずが羽目板の陰から出ると、その気配に与吉が顔を上げた。おすずは、障子に手をかけて、蹲ってしまいそうな軀をささえた。与吉の顔が、わずかにゆがんだ。
 「おすずさんか」
 「上がっても、いい?」
 もう立ってはいられない。上がらせてもらえなければ、出入り口で蹲って泣き出しそうだった。
 「待っていたんだ、ずっと」(238-239ページ)

 まったく泣かせる場面である。ただひたむきに、ひたむきに生きようとする人間の姿が描かれる。それが、自分の欲と保身のために策略を練る元の亭主と対比されて描かれるところがいい。

 策略を練り、計略を立てて、野心をもち、人生の設計をし、成功を求めて、うまくごまかしながら生きることよりも、単純で、素朴で、ひたむきであることの方が、はるかに価値がある。この作品は、それをしみじみと覚えさせてくれる。

 ただ、同じシリーズでも、『夜の明けるまで』は、たとえば前に書いた『燈ともし頃』よりも、木戸番夫婦の笑兵衛とお捨との関わりの描き方が少なく、木戸番夫婦の姿を描き出すと言うよりも、その周辺で生きる人々に焦点が当てられているために、せっかくの木戸番夫婦の姿が迫力をもって見えにくいということがあるように思える。そのために、それらの人々が木戸番夫婦によって励まされていくリアリティが「第七話 奈落の底」以外の作品にはあまり感じられなくなっている。その点が、木戸番夫婦のあり方に心を打たれているわたしのような人間には、少し物足りなく感じられるのである。

 とは言え、このシリーズが傑作であることは間違いない。構成も、筆運びも、真に見事であり、心情が込められる情景の描き方も素晴らしい。

 昨日、山内図書館に行くつもりでいたが、今日もついに時間がとれずに、明日、たぶん天気が崩れるかもしれないが、出かけることにする。コーヒーも切れてきたので買ってきたい。明日は、都内で一つ予定があるのだが、どうも気が進まない。都内に出るのはほんとうに億劫になっている。

2009年11月7日土曜日

北原亞以子『その夜の雪』

 目覚めた時は雲が薄く広がって、少し肌寒く感じたが、午後からは秋空が広がるのだろう。予報では、晴天であった。

 今日は立冬で、これからは初冬というのがふさわしいのかもしれない。人間の気持ちが重くなる季節の始まりではある。

 昨夜、「焼きサバを上にのせたお寿司」という珍しいお寿司をいただいた。生の新鮮なサバかシメサバが上に乗っている「サバ寿司」は、何度も食べたことはあるが、これは初めてだったのでとても美味しくいただくことができた。戴き物で、東急の袋に入っていたので、東急青葉台店で売っているものだろう。今度自分で買いに行ってみようと思う。

 昨夜、北原亞以子『その夜の雪』(1994年 新潮社 1997年 新潮文庫)を読んだ。ここには、「うさぎ」、「その夜の雪」、「吹きだまり」、「橋を渡って」、「夜鷹蕎麦十六文」、「侘助」、「束の間の話」と題する短編が七編おさめられている。このうちの表題作ともなっている「その夜の雪」は、『慶次郎縁側日記』としてシリーズ化されるものの最初のくだりで、「仏の慶次郎」と呼ばれた人情同心慶次郎が、その愛娘の三千代を失ってしまう時の話である。三千代はふとしたことで暴漢に襲われ、自ら死を遂げ、親ひとり子ひとりで暮らし、ようやく婚約も整って引退を控えていた慶次郎はその犯人を追い、これを探しだすが、ついに、その振り上げた刀をおとすことができなかった。そんな慶次郎の姿を見事な構成と文体で描き出したものである。このシリーズは、以前、ほとんど読んでいたが、改めて北原亞以子の構成の巧みさと飾らないが、しかしじんわりと人間を感じさせる文章を感じた。『その夜の雪』に収められている作品には無理がない。無理がないくらいに何度も練られたものであるだろう。

 「うさぎ」は、男を作って乳飲み子を捨てた元の女房が江戸へ戻って来て、独りで苦労して育てた愛娘が、その母親と会い、母親の方へ気持ちを傾けていくことを知って、孤独を感じ続ける摺り師の峯吉が、ふとしたことで子どもを産めずに離縁されて孤独を噛みしめている縄暖簾(居酒屋で、時には売春もした)で働いている女「お俊」と出会い(「お俊」は、孤独に耐えきれずに子どもをかどわかそうとした)、その「お俊」がうさぎを飼い始めることを知る、という話である。

 何の変哲もない話であるが、孤独を噛みしめて生きなければならない人間の心情が、「うさぎを飼う」ことに巧みに表わされている。「うさぎ」は、淋しさで死ぬこともあると聞いたことがある。本当かどうかは別にして、わたしにも、それがよくわかる。

 「吹きだまり」は、左官の日傭取り(日雇人足)の貧しい暮らしをしている作蔵が爪に火を灯すようにして貯めた金をもって、温泉宿で有名な「春江亭」という料理屋に古金問屋の若旦那と称して行き、そこで働いている女中の「おみち」の窮状を知って、そのためた金を差し出す、という話である。この話の終わりが次のように結んである。

 「俺も二十五か」
 呟いた言葉が部屋に響いた。
 作蔵は、両手で自分の肩を抱いた。寒くてならなかった。
 「お待たせしました」
 酒を持ってきたらしいおみちの声が、ひっそりと聞こえた。(文庫版 139ページ)

 こういう結末は、本当に泣かせる。そして、再び元の貧乏暮らしに戻らなければならない作蔵の姿が目に浮かぶ。ひっそりと、寒さに肩を震わせながら、人は生きていかなければならない。北原亞以子は、そういう人間を慈しむのだろう。市井ものの時代小説の良さが、ここに凝縮されている。
 
 「橋を渡って」は、深川佐賀町の干鰯問屋の妻「おりき」が、夫の浮気を知り、忍耐して耐えようとするが、「お前のことは有難いと思っているよ。でも、女にかまけていたら、わたしが駄目になっちまう・・・」(文庫版 161-162ページ)という言葉を聞き、自分がとるに足りないものとして扱われていることを実感して、その家を密かに出て、口入れ屋(仕事斡旋所)に向かう、という話である。この作品は構成が巧みで、「おりき」の弟夫婦の浮気事件と「おりき」夫の浮気が対比的に語られることによって、いっそう「おりき」の孤独が浮かび上がる。

 人は、自らの孤独を自ら噛みしめながら生きていかなければならない。それは当り前のことかもしれないが、その当り前のことが「とてつもなく淋しくつらく」感じられる時がある。ここに収められている短編は、その淋しさとつらさを謳ったものである。

 「夜鷹蕎麦十六文」は、噺家で、初代志ん生(もっとも、文末の作者注で、初代志ん生は設定されている時代には他界していたが、あえて、登場させたとある)の前座を務める「かん生」が、自ら真打ちにはなれないことを自覚しながら、一時は、自分の芸も粋を心ざす思いも理解せずに、ねんねこ袢纏を着こんで赤ん坊を背負い、がっしりした大きな軀をした野暮を絵にかいたような女房「おちか」ではなく、粋な深川芸者で彼を贔屓にしている「染八」に魅かれていき、初代志ん生の芸には到底及ばないことを知って、慰めを求めて染八のところにも行ったりするが、「おちか」の思いに打たれていくという話である。

 粋な生活を求めて勝手気ままな暮らしをして留守をしている間に、女房の「おちか」は、生活のために茶飯屋で働かなければならなくなり、大家の喜右衛門に口説かれる。「あの亭主は何だね。まともな噺は喋れやしない。生涯、前座で終わっちまうよ」(文庫版 196ページ)と喜右衛門は「おちか」に言い、「あんな男にひっついていたら苦労するばかりだよ。わたしは、それを心配しているんだ」(文庫版 197ページ)と言う。しかし、「おちか」は、本当に貧乏して水ばかり飲まなければならなかった時に、「亭主は、草履を質に入れて、そのお金でわたしに夜鷹蕎麦を食べさせてくれたんだ」「女房に十六文の夜鷹蕎麦を二杯食べさせて、自分は空き腹を抱えて寄席へ行って、高座に上がったとたん、目をまわすばかがどこにいます。裸足で寄席へ出かけて、足に霜焼けをこしらえてくるとんまが、どこにいます」「これはりくつじゃありませんよ。大家さん、わたしゃ、あのとんまが好きでしょうがないんです」と言う(文庫版 198-199ページ)

 これを聞いて、「かん生」は、「あたしも、色が黒くって、男みたような軀つきの、野暮な女が好きだったんだ。ええ、あたしゃ野暮が大好きだよ。粋が何だってんだ、人情噺がどうしたってんだ」(文庫版 199ページ)と思う。そして、「かん生は、用水桶の陰りからそっと立ち上がった。空き腹のまま家に戻り、おちかの帰りを待つつもりだった」(文庫版 199ページ)で物語がくくられる。

 これは、読めば読むほど優れた短編だと思う。主人公の「かん生」と初代志ん生の対比も見事で、「かん生」という二流で終わらなければならない人間の悲哀がにじみ出ているし、粋だが功利的な深川芸者の染八と生活に追われている野暮な「おちか」の対比も見事で、そして、苦労を共にすることができる男女の思いも見事に描かれている。

 そして、「かん生」のような人間にはたくさん出会うし、自分自身もそうかもしれないと思ったりする。しかし、わたし自身は、残念ながら、本当に残念ながら、「おちか」のような女性には出会ったことはない。「おちか」は、自分の子どものおしめを代えるために平然と大店の店先を借りたりもする。彼女の内情の豊かさが、彼女を一所懸命な素直な女として現わされている。だから、この短編がよけいに身にしみる。以前、「自分が好きな人が世界で一番美しい人ですよ」と言われたことがあるが、本当にそうだと思う。

 こういう男と女の姿を、飾らない、しかしよく練られた文体で、しかも構成の見事さで描き出すこの作品は、真に優れた市井物の小説である、とつくづく思う。

 「侘助」の主人公杢助は、以前は日本橋の呉服問屋の手代としてまじめに一所懸命陰日向なく働いていたが、札付きの遊び人で他の男の子を身ごもっている「おそめ」を、古着屋を出してもらえるという条件でもらい、なんとか頑張ってきたが、その「おそめ」が以前の男と駆け落ちをし、自分の店でも存在感をなくし、すべてを捨てて、死んだようになって「物もらい」として生活をしている。その杢助のところに、以前の自分の店で働いていた「おげん」という女がころがりこんでくる。「おげん」は、自分は娘夫婦に世話になって幸せに暮らしていると言うが、実は親戚や知り合いの家に泊まっては、その家から金銭を盗んで暮らしていた孤独でさびしい境遇だった。杢助は、自分の「物もらい」としての生活もたちゆかなくなることを知りつつも、そして、「おげん」が自分のなけなしで貯めた小金を取ろうとしたことも知りつつ、その「おげん」と共に暮らすことにする。

 「おげんが池のほとりを指さした。見ると、松にかこまれた小さな椿が薄赤い花を咲かせている。
 杢助は、ひっそりと咲く花を眺め、泣いているらしいおげんの肩を眺めた。丸くて、厚みのある肩だった」(文庫版 233ページ)

 と描かれている光景がたまらない。こういう感性が、本当にすごいなぁ、と思う。

 「束の間の話」は、鼈甲細工の職人である息子夫婦と暮らしていた「おしま」が、その息子夫婦が嫁の実家ばかりを大切にするのに嫌気がさして、その家を出て、ひとり暮らしを始め、ついに高熱を出して寝込んだ時、同じように息子から馬鹿にされて一文の金もなくなった源七が盗みに入って、その「おしま」を看病し、人と人とが触れ合って生きることのありがたさと喜びを知っていく、という話である。

 この短編も構成がすばらしく、ひとりぼっちになった「おしま」の後悔や、息子に頼ろうとする母親の心情やわがまま、そして、ひとり暮らしで病んだ時のわびしさが描かれ、同じ貧乏長屋に住む隣の夫婦の喧嘩が挿入され、その姿が見事に描き出されている。

 この『その夜の雪』に収録されている短編は、その構成が見事である。無理のない仕方でそれぞれの人物の生活と生きる姿が描き出されている。「ゲラ刷りが真っ赤になる」と言われたそうだが、真に納得である。

 なんだかんだと気ぜわしい日常が続いているが、寂寞感が大きくなるとともに、怠け心が大きくなってきているのを覚えてしまう。自分を叱咤しなければ動けないのかもしれない。

2009年10月27日火曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(1)

 今朝は4時に起きてしまい、そのまま本を読んだり、新聞を読んだりしていた。昨夜の雨も上がり、今日はよく晴れている。「秋晴れ」という言葉がふさわしい天気になった。

 プロテスタント教会の牧師をしている友人のT師から毎週メールで送られてくる『風のように』と題されたニュースレターをじっくり読んだりした。M.ルターの言葉がいつも触れられている。わたしは、M.ルターの神学の深さと彼の人格が別物であることを感じて、どうもそこまでM.ルターを敬服する気はないのだが、T師が毎週記している「牧師のぐち」はおもしろい。今日、牧師であることは己の身を削るようにしてしか成り立たない。頼りにできるのは、ただ、不確かに思えるような「神の言葉」だけだから。

 昨日の北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』について考えていた。北原亞以子は、この作品の中で、貧しくその日暮らしをしながらも、何のこだわりもなく生きている笑兵衛とお捨ての木戸番夫婦を描くことによって、「こんな人がいてくれたらなあ」と存在するだけで深い慰めとなる人間を描こうとしているのだろう、と思った。「笑兵衛」という名前も、お捨てが少し肥ってよく笑う女であるのも、「存在するだけで深い慰めと励ましになる存在」の姿なのだろう。

 昨夜、北原亞以子『恋忘れ草』(1993年 文藝春秋社 文庫版文春文庫(1995年)を読んだ。文庫版に収められている藤田昌司の解説で、彼女がこの作品で直木賞を取ったことを知り、また、デビュー作の『ママは知らなかったのよ』(1969年)以後20年ほどあまり認められずに、1989年の『深川澪通り木戸番小屋』で泉鏡花賞を受けるまで不遇に耐えたことを知り、『深川澪通り燈ともし頃』で描かれた政吉が、あまり文字を知らない時から一流の狂歌師になっていく過程で、周りに気を使い、その地位を確保しようと焦っていく姿に、彼女自身の苦労が重なっているのかもしれないと思ったりした。「認められてなんぼ」の人生を歩むつらさが、そこにある。

 さて、『恋忘れ草』であるが、この作品は6人の自立する女性を主題にした6編の作品からなる短編集であるが、それぞれが独立した短編でありつつも、それぞれの6人が、同時代に同じように近隣で生活し、それぞれに繋がりをもって登場する連作になっている。

 登場する6人の女性は、いずれも一人で自活して生きていく道を選んだ女性であり、作者の言葉を借りて言えば、「江戸のキャリアウーマン」である。

 最初の「恋風」に登場するのは、父親が開いた手跡指南(学習塾)を受け継いで、子どもたちに読み書き算盤を教えている女性(萩乃)である。父親は、仇討の敵の相手を最後まで看取ったことで評判を取り、手跡指南所を繁盛させた。しかし、それが虚偽であることが発覚し、彼女は質の悪い岡っ引きから強請られる。以前の婚約者も、そのことで彼女から去ってしまった。女一人で生きていかなければならない苦難が襲ってくる。

 その時、大人になって文字を習いたいといってやって来た傘問屋の手代(栄次郎)が、最初は鬱陶しいと思っていたが、すべてを承知して彼女の問題を解決してくれる。

 話はそこで終わるが、一つ一つの展開が、実に巧みで、女性が一人で自立しなければならない時に揺れ動く心情が細やかに描かれている。

 「男の八分」は、地本問屋(江戸時代の出版社)の筆耕で身を立てている香奈江で、長谷川香果という名で柳亭種彦(実在の人物-歌川国貞の画で『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』などを出す-)の作品の浄書なども引き受けている。一度結婚したこともあるが、別れた過去をもつ。その元亭主が、再び言い寄って来たりする。ある時、種彦の弟子と称する御家人崩れの井口東夷の『草枕』の浄書を頼まれる。しかし、それは種彦の『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』と似た部分があるということで出版できなくなりそうになる。井口東夷を憎からず思い、その作品も面白いと思った彼女は、その似通った部分を書き直してしまう。怒った井口東夷は彼女に詰め寄る。しかし、彼女の真実の思いが伝わって、東夷も納得するようになる。前作の萩乃は、ここで主人公香奈江の友人として登場する。

 ここまで書いて、なんだかとてつもない睡魔が襲って来たようで、続きは、また明日にする。

2009年10月26日月曜日

北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』

 低気圧と前線の影響で、昨夜から雨が降り、今も冷たい雨が降っている。あざみ野の山内図書館に先の6冊を返却し、新しい6冊を借りてきた。一人2週間6冊というのが貸し出しの規則になっている。ついでに、神戸珈琲物語でコーヒー豆を購入。セールで少し安くなっていた。

 昨夜、北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』(1994年 講談社 文庫版(1997))を一息に読んだ。文庫版は、「第一話 藁」と「第二話 たそがれ」の二部構成になっているが、いずれも、江戸深川の「澪通り」に住む木戸番笑兵衛と妻お捨ての夫婦を心のよりどころ、人生の要とする話で、「第一話 藁」は、捨子でかっぱらいなどをして暮らし、やがて塩売りとなった政吉が喧嘩をし、木戸番に運び込まれてから、この夫婦に触れ、笑兵衛から文字を習い、狂歌を作るようになって、やがて狂歌師として成功し、そして、妻に裏切られ、労咳を病んでいる場末の娼婦を愛するようになり、すべてを失っていくという話である。「第二話 たそがれ」は、幼い頃に親を失い、ひとりで腕の良い仕立屋となり、妻子ある男の、いわゆる「江戸女」でもあり、何人かのお針子も使っている気丈な「お若」とその長屋に住む人々の人生の変転の姿を織り込みながら、ひとりの心細さと寂しさ、やりきれなさが募る時に、ふとしたことで知り合った笑兵衛夫妻の元へ向かい、そこで生きることを恢復していく話である。第一話の政吉も、第二話で、すべてを失い塩売りに戻って同じ長屋で暮らす人物として登場する。

 いずれも、武家の出だとか由緒ある家の生まれだとか噂されながら、その日暮らしの貧しい暮らしをしている木戸番の笑兵衛とふっくらと肥って笑うと笑窪ができ、よく笑い転げる妻お捨ての夫婦を拠り所とする話で、辛い者や淋しい者、人生を捨てなければならない者に、無条件に、何も問わず、ただお茶を飲ませ、一緒の食事をし、必要なら四畳半の狭い家に泊めもする木戸番夫婦の温かさが、政吉やお若のそれぞれの人生の苦しみの中でにじみ出てくる。

 この作品には前作『深川澪通り木戸番小屋』があるが、まだ読んでいない。北原亞以子には『慶次郎縁側日記』というシリーズ物もあり、娘を失い隠居した元同心の慶次郎も、「仏の慶次郎」と呼ばれ、同じような役割を果たすが、『深川澪通り燈ともし頃』は、江戸市井物小説の中でも珠玉の傑作だろうと思う。構成も展開もまことにすばらしい。

 もう少し内容を詳しく書くと、第一話は、塩売りというその日暮らしの生活をしながら詠んだ狂歌二首が認められ、本に掲載されることになった政吉のことを一緒に心底から喜び祝う笑兵衛とお捨ての姿から始まっているが、そのことを真っ先に木戸番夫婦に知らせようとする政吉とそれを心底喜ぶ木戸番夫婦が、道路と二階の物干し場で会話する場面は、真に心憎いほど心を打つ。

 政吉は、それから結婚し、煙草屋の主となり、狂歌師としても成功していくが、狂歌にのめり込んでいくあまり妻を失う。妻は雇い人と駆け落ちして逃げていくのである。一流の狂歌師として体面を繕おうとするが、うまくいかずに、そのうちに岡場所の労咳を病んでいる女「おうた」にのめり込み、彼女のためにすべてを失う決心を固め、元の塩売りに戻る。

 こうした展開の中で、どうすることもできなくなった時に、政吉は木戸番夫婦のもとへ行き、何気ない二人のまっすぐな温かい振る舞いに慰めと励ましを受けていくのである。

 第二話も、腕の良い仕立屋となったお若が、まだ若い頃に、薬売りをしていた妻子ある男と知りあう場面から始まる。お若は男に妻子があるとは知らなかった。いわば、男に騙されたのだが、男を捨てることもできず、しかし、仕立屋を気丈に切り盛りしていくのである。

 そして、同じ長屋に住む人々やお針子たちのそれぞれの人生の変転にかかわりながら、一人ぼっちの淋しさと心細さにうめきながら、どうすることもできなくなった気持ちを抱えた時に、木戸番夫婦を訪ねていくのである。

 辛く悲しい人生を送らなければならない市井の人々、そして、それを受けとめていく木戸番夫婦、その日常を描く筆は、何とも言えないほど深い味を持つ。

 第一話の中の「燈ともし頃」に描かれている一場面。

 「何もできやしないんですよ、私達には。おきくさんにご飯を食べてもらって、政吉さんを探しただけ。それも、弥太右衛門さんやおくらさんの手をお借りしちまって」
 「それだけで、もう充分」
 と、おきくが言った。
 「それより嬉しいことなんざ、ありゃしません。勝手なことをして飛び出して行ったのに、あそこなら帰れると思えるところがあるだけでも幸せなのに、何しに帰ってきたと言われずにご飯を食べさせてもらえるなんて・・・・」
 おきくの声がくぐもる前に、政吉の目がうるんだ。
 政吉も今日、中島町澪通りへ行こうと思った。澪通りの木戸番小屋なら、なぜ空腹で目がまわるまで裾継の女にいれあげたとなじる前に、黙ってご飯を食べさせてくれると考えたからだった。」(文庫版 241-242ページ)

  「おきく」というのは、雇い人と駆け落ちして逃げた政吉の前の女房で、うらぶれて、政吉に謝罪するだけのために帰ってきた女であり、裾継というのは最下級の岡場所の女(売春婦)。

 もう一か所、最後の場面。うらぶれた政吉が帰って行くのを財布を持って走って追いかけてきた笑兵衛と政吉の会話。笑兵衛は、お捨ての財布を政吉に渡しながら、

 「ま、時々は、うちの婆さんにも顔を見せてやってくな。けたたましい声で笑うんで、少々うるさいかもしれねえが」
 「とんでもねえ」
 政吉はかろうじて涙を抑え、かぶりを振った。
 「俺あ、あの笑い声を聞きたかったんだ」
 「物好きだねえ」
 笑兵衛は、目尻の皺を深くして笑った。
 「あの声で笑われても、昼間は眠っている芸当を身につけるのには、ずいぶんと苦労したんだぜ」
 「そんなことを言っていいのかえ、親爺さん。あの笑い声が聞こえなくなったら、夜も眠れなくなるくせに」
 笑兵衛は、黙って笑顔の皺を深くした。
 「おきくも言っていたが、俺あ、深川へ流れてきてよかったよ」
 「住めば都さ」
 「違う。都にゃ、お捨てさんも親爺さんもいねえ」
 「どこにでもいらあな、こんな親爺と女房は」
 「でも、俺が出会えたのは、お捨てさんと親爺さんだった」
 お捨て夫婦に出会えて文字を習い、狂歌の会へ入ってみる気になった。自分の狂歌がはじめて本にのることになったのを喜んでもらったのもお捨て夫婦なら、おきくの失踪を隠すため力を借りたのも、この木戸番夫婦だった。
 気分が晴れぬ時に思い浮かぶのも澪通りの木戸番小屋であり、空腹で目がまわりそうになった時、すがりつきたくなったのも、二つの川の音が聞こえ、笑いころげるお捨てを笑兵衛が見守っている木戸番小屋であった。(文庫版 246-248ページ)

 第二話から、やるせなくなったお若が、自分の気持ちをもてあまして、木戸番小屋を訪ねる場面。

 木戸番小屋は、きっと、表の木戸を一枚だけ開けて、暗くなった澪通りを家の中の明かりで照らしているだろう。笑兵衛とお捨ては、焼芋の壺や、商売物をのせた台に占領されている土間の奥の狭い部屋にいて、「お帰り」と、お若に言ってくれるかも知れなかった。
 お若の足は、次第に速くなった。(文庫版 327ページ)

 この文章の「暗くなった澪通りを家の中からの明かりで照らしている」というのが、この木戸番夫婦とこれを取り巻く人々の姿を描いた本作の主題だろう。時代小説の良さは、この温かさを、思想や論理をこねまわしたり、饒舌に語ったりするのではなく、人間の姿として正面から描ける所にある。この作品は、その意味で、まことに胸を打つ傑作である。