昨日に続いてよく晴れた空が広がっている。「青」というより「蒼」と呼んだ方がいいような空で、低い気温ながらさわやかな空気が広がっている。ただ、この天気も今日までらしい。昨日は暦の上では「大雪」だったのだが、雪はまだ降らない。大体、江戸時代の頃よりも1~2ヶ月は季節のずれが生じているような気がする。
北原亞以子『誘惑』(2009年 新潮社)を読んでいた。この作品は、2007年から一年間をかけて『週刊新潮』で発表されたらしいので、おそらく、今の時点での作者の最新作だろう。井原西鶴(1642-1693年)の『好色五人女』の中の「中段に見る暦屋物語」から題材を採ったもので、井原西鶴の物語は、近松門左衛門(1653-1725年)によって浄瑠璃『大経師昔暦』として脚色されており、実際に、1683年(天和3年)に京都の大経師(暦の出版元)の妻おさんが手代の茂兵衛と密通し、それを手引きした女中おたまと丹波に潜んでいたところを捕えられ、磔刑に処せられた事件から、井原西鶴が「浮世草子」として物語化したものである。
井原西鶴の『好色五人女』は、閉鎖した武家社会の中で自分の愛情を貫いたために、それぞれ不幸に終わってしまった恋愛を取り上げたもので、そこには武家倫理の閉鎖性に対する自由人としての井原西鶴の鋭い批判があり、北原亞以子は、それをよく汲み取って、物語の中心人物である「おさん」や「茂兵衛」をはじめとする夫の大経師や周辺人物たちの、それぞれが、どうにもならない中でもがいていく姿を描き出している。
「序幕」、「中幕」、「終幕」の3幕構成にしているのも、おそらく、近松門左衛門の浄瑠璃『大経師昔暦』を意識してのことであろうが、それぞれの幕の始まりに、井原西鶴と近松門左衛門を登場させて、この事件を外から眺める視点をもたらせているのは、作者の見事な手法と言えるかもしれない。
ただ、大経師の妻となった「おさん」が手代の茂兵衛に魅かれていくくだりが作品の大部分を占めているが、結局は、「おさん」が美女であり、茂兵衛が美男で優秀な手代であるだけのことであり、それが、読んでいて、どこか腹立たしさを感じさせられる。
作者は読者にそのように感じるように構成しているのかもしれないし、容姿だけで、人がくっついたり離れたりするのが現実なのかもしれないが、しかし、そのような人間には、どこか腹が立つ。人が人を好きになり、その人を愛することは、それがどのような立場であれ、人間として自然なことであり、最も尊いことである。しかし、人間のどこに魅かれるのかということによってその人間の深みもあるとしたら、「おさん」は、あまりにも浅はかな人間の代表ではないかと思えるほどである。
この物語には、「武士」であることに固着し、牢人(浪人)している夫の仕官のために自らつまらない商人の妾になっていく女性や、茂兵衛に恋焦がれていき、ついには「おさんと茂兵衛」の駆け落ちを奉行所に密告する人形屋の娘も登場するが、それらの女性の姿も、少なくとも、わたしには腹立たしく感じられて、途中で、これは北原亞以子にしては駄作ではないかと思ったほどである。
しかし、たとえば、夫の仕官のためにと浅はかに考えてつまらない商人の妾となり、その子を身ごもって、再び、夫のもとに帰ってきた妻を、自ら深く省みて受け入れ直す「牢人(浪人)」や丹波へ逃げた「おさんと茂兵衛」の丹波での短い生活の姿が描かれ、それが、この馬鹿らしくて腹の立つ恋愛の結末として記されていることが、この作品を救っている。
そして、「終幕」で、井原西鶴をして、「いくら大経師の家に嫁いだかて、大経師とうまが合わなんだら、ちいとも幸せにはなれへん。大経師は好きな女子といくらでも浮気ができるからええが、亭主とあわなんだら女子は気の毒や」(409ページ)と語らせ、「ま、何をどう考えても、あかんのは武士や。金もない、知恵もない武士が、えばりたがるとろくなことはない。生きてゆく知恵がないさかい、牢人になっても武士に戻りたがるのや」(410ページ)と思わせているところが、この作品の全体を通しての作者の姿勢を示して、この作品の読後感を、どろどろしたものから爽やかなものに変えている。
しかし、個人的な好みを言えば、地位や名誉や財産もなく(あるいは捨てて)、ただ市井の人間として、愛情深く、たくさんの思いやりをもち、耐え忍ぶことが多くても、花鳥風月を慈しみ、宇宙の大きさを心に宿して、「イツモシズカニワラッテイル」、そういう人間がわたしは最も好きで、この作者には、そういう人間の姿を描いて欲しい、とは思う。
明日は分別ゴミの回収日だから、今日は部屋の掃除もしなければならないし、冷蔵庫も空だから買い物にも行かなければならないが、なかなか気分を奮い立たせることができないでいる。こんな日は、ただぶらぶらと歩くのもいいかもしれない。予定をキャンセルして、少し時間をかけて、冬支度の三種の神器を身に着けて、散策でもしてみよう。
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