2009年12月22日火曜日

佐藤雅美『白い息 物書同心居眠り紋蔵』(1)

 よく晴れてはいるが、底冷えのする日になった。

 先日テレビで見た『のだめカンタービレ』があまりに面白かったので、以前フジテレビで放映された全部のドラマを見たいと思ってネットで検索したら見つかり、全11話を抱腹絶倒しつつ感動しつつ、夜半まで見ていた。若い音楽家たちの歩みを記した物語の展開も、描かれている人物も、出演者の演技も、演出もいい。上野樹里の「のだめ」も素敵だ。一話一話で使われている音楽も素晴らしい。完結編の前編が映画になり公開されたので話題になっているが、ドラマとして本当にいい作品だと思う。

 そういうわけで、昨夜はほんの少しだけ、佐藤雅美『白い息 物書同心居眠り紋蔵』(2005年 講談社)を読んだだけだった。

 この作品は、このシリーズの七作目で、主人公の「居眠り紋蔵」は、奉行所の例繰方(判例調査官・記録係)から定廻り同心(現場の刑事といったところか)になっており、江戸市中で起こる蘭の花の売買にからむ民事事件(第一話)や隣家との日照をめぐる争いに絡んだ盗み(第二話)、死罪になることが分かっているのでなかなか盗みを自白しない事件(第三話)などに関わっていく。

 そういう中で、主人公の「居眠り紋蔵」は、「根気と人情で吐かせる(自白させる)定廻り同心」(115ページ)として徹しようとする。彼は、根気強く事件を調べていく。そういうところは、おそらく作者の佐藤雅美の一つの姿勢でもあるだろう。佐藤雅美は、おそらくこうした事件を当時の『御定書』や『御定書例書』、あるいは『仕置例書』などの犯罪例を伝える関係資料に丹念にあたりながら物語を構成しているのだろうと思われる。

 ただ、このあたりになると取り扱われている事件と主人公には客観的な関係しかなく、ただ事件の解決にあたって主人公の、できる限り罪人を作らないようにするという「情け」が描き出されるだけで、このシリーズの第一作目の作品に比べるとやや作品としての深みにかけるような気もする。

 だが、第三話目の「それでも親か」は、なかなか自白しない盗人に手を焼いているころに、主人公の娘が重い病になり、その娘のもとにかけつけたくてもかけつけられない状態に悶々とし、そのことを知った犯人が、ついに「それでも親か」といって涙をこぼして自白する話で、そうして自白した犯人に「死罪」だけは免れさせるという話になっている。昨夜は、この第三話までしか読んでいないので、続きは今夜にでも、と思っている。

 今朝は、福岡からK氏が訪ねて来られた。K氏は、銀行を定年退職された後、法人の財務などをボランティアでされていたりしておられる。以前、九州で催していたセミナーでわたしの講義を受講され、それ以来、わたしの著作などを集めておられる方で、10年来の親交がある。コーヒーを入れて飲みながら、午前中いっぱい、いろいろな話をしてくださった。夕方は中学生のSちゃんが来ることになっている。こういう人たちと会うのは楽しい。

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