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2014年3月10日月曜日

和田竜『小太郎の左腕』

 「名のみ春」が続いて、気温が低くて寒い。ここでの生活も残すところ2週間ほどとなり、いくばくかの感慨がないわけではないが、予定が詰まってきて、手続きや片づけなどの面倒なことをする間もなく日々が過ぎていく。身一つなのでどうにでもなるが、本の整理だけはしておこうと思ったりもする。

 閑話休題。和田竜『小太郎の左腕』(2009年 小学館 2011年 小学館文庫)を大変面白く、また作品としても優れていると思いながら読んだ。『のぼうの城』、『忍びの国』に続く、作者の三作目の作品であるが、一番深みのある作品になっている。

 作品の時代背景は戦国時代、それも1556年(弘治2年)で、この年、美濃の斎藤道三が骨肉を争う長良川の戦いで死に、その戦いで織田信長が台頭してくるようになった時代で、本作では、全くの架空の西国の小豪族戸沢家と児玉家の争いが舞台となっている。地方の小豪族は周辺の武士たちの支持による同盟関係で結ばれたもので、後の戦国大名などとは異なった主従関係で結ばれており、その同盟は盟主が無能であったり、家臣となった武士に対して利を呈さなかったりしたら簡単に破られるもので、主従といっても微妙なバランスの上で成り立っていたものであるから、そうした歴史的考証が踏まえられた上で、当時の質実剛健で明朗闊達な武士の姿を中心に据えて物語が展開されている。

 本書の主人公として描かれるのは、戸沢家の中でも豪傑であり、政治的陰謀などは全く嫌いな質実剛健の武(もののふ)で、直線的で明朗、文字通り「好漢」である林半右衛門という猛将である。彼は、ほかの者たちからは「功名漁りの半右衛門」と揶揄されるほどの手柄を立てることに奔走していくが、軍略にも優れ、六尺(およそ190㎝ほど)を超す巨体を駆使し、胆力も武力もある勇士である。彼を名武将として育て上げた爺(養育係)の藤田三十郎との互いの思いやりの深い関係も描かれる。三十郎が半右衛門を「ほめあげて育てた」というのもユーモアに富んでいる。

 他方、敵対する児玉家にも「好漢」の花房喜兵衛という名将がおり、半右衛門とは好敵手で、互いに認め合い、それだけに戦いの後の事後を託すほどの信頼も深い。そして、深い信頼を持ちながらも好敵手として戦う。二人の軍略と戦いぶり、そして互いに認め合う存在であることが繰り返し描かれている。

 こうした人物が織りなすのは「信」である。それが物語として描かれているところに、本書の明るさと深さもある。

 また、盟主の後継ぎで才能もないのに権力を振るいたがり、半右衛門に対抗意識を燃やしてことごとく失敗していく戸沢図書という人物も描かれる。その対抗意識の現れとして、半右衛門と相愛の仲といわれた「鈴」という娘を図書は奪うようにして妻にしている。だが、半右衛門は「鈴」をいつまでも想っていたし、「鈴」も半右衛門への想いを変えなかった。この辺りに図書の苦悩もあったことが記されたりもする。

 物語は、戸沢家と児玉家の戦闘で、愚かな図書の作戦で半右衛門が負傷し、深手を負った彼を山の猟師が助けるところから展開されていく。彼を助けたのは、要藏という偏屈な老人と十一歳になる小太郎という少年であった。

 小太郎は、同世代の子どもたちから「阿呆」呼ばわりされ、仲間のイジメを受けるような少年だが、小太郎はそれを平然と受け止めるような子どもで、怒ることも憎むこともしないで、ただただ「優しさ」を体いっぱいに詰めたような少年だった。だが、小太郎は、なんとかして「人並み」になりたいという願いをもっていた。

 小太郎を虐めていた筆頭の玄太という子どもは、戸沢家が催す鉄炮試合で優勝するほどの鉄炮の名人であったし、彼の父親は百姓ではなく武士になることを強く望んでいた。そこに玄太という少年の悲哀もあり、彼が抱えている悲哀も、切なくなるくらいに描かれていく。

 そして、鉄炮試合が再び行われ、玄太の腕も見事に披露されるが、自分を助けてくれたお礼に鉄炮試合に出してやるといった半右衛門の言葉を信じて、小太郎も出る。小太郎は、人を疑ったりいぶかしんだりすることを知らない純粋な少年で、土産がいるといわれれば風車を土産に買って半右衛門に差し出すような少年であったが、鉄炮試合に出て、見事に的を外してしまう。しかし、その鉄炮の玉のはずれ方がいつも決まっていることに気づいた半右衛門が左利き用の鉄炮を渡して撃たせてみると、百発百中の天才的能力を発揮したのである。彼は、実は、鉄炮による狙撃に長けた雑賀衆の中でも天才と見なされた雑賀小太郎で、彼を育てていた要藏は、小太郎が無類の優しさを本姓とする少年であり、その鉄炮の腕が権力者によって利用されることを恐れた要藏が、秘かに猟師をしながら暮らしていたことが分かっていくのである。

 やがて、農繁期も終わり(多くの兵は農民であったために農繁期にはあまり戦は行われなかった)、いよいよ戸沢家と児玉家が激突するようになる。戸沢家は、圧倒的多数の児玉家の勢力に押され、ついに籠城作戦に出る。半右衛門は、籠城作戦が愚かな作戦であることを知りつつも、戸沢図書の愚策と図書におもねる家臣たちによって、やむなく籠城する。だが、敵の花房喜兵衛も名将で、籠城戦の決め手となる食糧を焼き払い、籠城した戸沢家の兵は辛苦を舐めていく。

 そして、見るに見かねた半右衛門は、起死回生のために小太郎の鉄炮の腕を用いて、敵将を狙撃する作戦を立てるのである。純粋で優しさに溢れた小太郎をその気にさせるために、要藏を自らの手で殺し、これは敵がやったことだと小太郎を騙して用い、起死回生を図るのである。小太郎の鉄炮の腕は神業で、戸沢家は児玉家との戦に勝利して領土を守ることができた。だが、半右衛門は小太郎を騙したことに良心の呵責を覚えていく。

 そして、小太郎の腕をめぐる争いが展開され、人よりも優れた能力を持つが故に、他者から利用され、また排除されていく小太郎の悲しい運命が小太郎を襲う。その状態をなんとか挽回して、小太郎を自由の身とするために、半右衛門は、ひとり、死地となる戦場に出て行くのである。

 優れた作品というものは、いくつものテーマが重層的に織りなされているが、本書も、先述したような「信」ということ、あるいは戦いの悲哀や無意味さ、あるいはまた男女の愛情や友情、思いやり、「人並み以上の者が「人並み」であろうとすることの悲しい運命、黙って重荷を背負っていくことなどがいくつもテーマとして複合している。豪快な人物を主人公に据えて、繊細に描く。それが本書で、思想の深みもあるいい作品だと思った。

2013年4月1日月曜日

和田竜『忍びの国』


 今年の春は、行きつ戻りつで、気温の変化が激しく、昨日もひどく寒い日で、体調管理の難しい季節になっているが、ようやく春本番の4月になった。今月から時間が少し慌ただしく過ぎていくような気がしないでもない。

 昨夜は、和田竜『忍びの国』(2008年 新潮社)を面白く読んでいた。1590年(天正18年)に現在の埼玉県行田市にある忍(おす)城の攻防を描いた『のぼうの城』(2007年 小学館)に続く作者の2作品目の作品である。

 『忍びの国』は、その表題のとおり、伊賀忍者で知られる伊賀の「丸山合戦」(1578年天正6年)と言われる戦いの攻防を描いたもので、物語は、伊賀に隣接していた伊勢の北畠具教(きたばたけ とものり 15281576年)の暗殺から始まる。

 北畠家は歴代、伊勢の国司であったが、織田信長の伊勢侵攻で敗れ、八代目の具教が暗殺されたことで途絶える。北畠具教は、織田信長と、信長の次男で北畠具教の婿養子となっていた織田信雄(おだ のぶかつ)の命で、旧臣の長野左京亮や加留左京進によって暗殺されたと言われるが、本書では加留左京進は登場せずに、代わりに、武士の誇りを強烈に持つ人物としての日置大膳と、かつては伊賀忍者であったが、伊賀の忍者集団のあまりの非人間性のために伊賀を捨てて織田信雄についた柘植三郎左衛門を登場させる。

 こうした登場人物像の設定は、本書の中心的な流れに関係しており、物語は、非人間性をもつ伊賀の忍びの代表としての一流の技を持つ「無門」(この人物の前では防御門は無きに等しいという意味でこの名が付けられている)という人物と、武士の矜持に生きる日置大膳、そして、その間で揺れる柘植三郎左衛門の姿を中心にして、「戦う集団」であった伊賀忍者の姿を描くことで、「人間とは何か」を問いかけようとするものとなっているのである。

 日置大膳は、かつての主君を暗殺することに躊躇しつつも、暗殺団の一人に加わるが、そうした自分の所業を恥じて、武士であることを純粋に誇りとする武辺一辺倒の無骨な人間になることへと進んでいく。彼は日置流の弓の名手であるとともに、その武功は伊勢で並ぶ者がないと言われるほどの剛直な人物として描かれる。

他方、戦闘集団としての伊賀忍者は、ただ己の利だけで生きる刹那主義的な人間の集団として描き出され、百地三太夫らの伊賀忍者の頭たちは、若くて凡庸な織田信雄を伊賀との戦に引きづり込んで、これを撃つことで名を挙げ、諸国の諸大名たちに自分たちを高く売り込むことを画策していくのである。彼らは肉親の情もなく、それぞれに利用し合うだけで、息子が殺されても平然とし、人の心理の隙をついて物事を画策していくだけである。

 こうした伊賀忍者のあり方に嫌気がさして、かつては伊賀忍者の頭領の一人でもあった柘植三郎左衛門は、伊賀忍者のようなものがあってはならないと考え、織田信長のもとに走り、織田信雄の家臣となって伊賀殲滅を考えていたのである。

 また、愛する弟を殺されても平然としているばかりか、実は弟を殺させて織田信雄を戦に引き込もうと画策するような父親の姿に愕然とした下山平兵衛も伊賀の滅亡を望んで、信雄のもとに走るのである。しかしそれもまた伊賀の頭領たちの心理作戦の一つだったのである。

 こういう中で、伊賀の中でも超一流と言われるほどの腕をもつ「無門」という人物が異彩を放っていく。彼は、百地三太夫によってどこからか連れてこられて、厳しい忍びとしての修行を重ね、驚くべき技を発揮するようになった。彼もまた「銭、銭」の人間であるが、自由人としての闊達さや人間らしさを温存させているところがあるのである。

 彼には「お国」という妻がいる。京都の武家の家からさらってきたのであるが、「お国」は、勝気な女性で、平然と、苦労をかけないと言ったのだから、月に40貫の銭を稼いでくるまでは寝屋を共にしないと豪語し、「無門」は彼女に頭が上がらないのである。誰もが恐るほどの「無門」だが、「お国」の前ではただの腰抜け夫に成り下がるのである。

 だが、「無門」は命懸けで「お国」を守る。「お国」を傷つけようとするものがあれば、的であれ味方であれ、彼は容赦なく敢然と戦うのである。彼にとって「お国」は、自分が人間であることの最後の砦であり、彼女を大切にすることが人間であることの証であるからである。

 伊賀の頭領たちの画策で、織田信雄は次第に伊賀攻めへと駆り立てられていく。信長という偉大すぎる父を持つ信雄は、鬱屈した精神の持ち主で、その隙をつけ込まれるのである。

 こうして、1578年(天正6年)の「丸山合戦」の火蓋が切られていく。戦闘は激烈で、日置大膳らの働きで伊賀は破れそうになるが、「無門」の活躍がめざましく、織田信雄は敗戦の憂き目を見ることになる。この戦で、人間らしさを求めた柘植三郎左衛門は死ぬ。

 戦に勝った伊賀の頭領たちは、彼らの思惑通りにことが運びほくそえむ。しかし、この戦の中で「お国」を失った「無門」は、伊賀の非人間性を思い知り、伊賀にも織田信長にも与しない自由人として生きていく道を選んでいくのである。織田信雄は戦には敗れたが、そのことで人間として、武将として成長する。そして、伊賀は、結局は、1581年(天正9年)、織田信長の大軍によって滅ぼし尽くされるのである。

 なお、この作品には、後に石川五右衛門となる人物も登場し、「利」を求める伊賀忍者の一人として描かれている。そして、伊賀の忍者集団が生来的にもつ非人間性が全国にはびこってきという図式が描かれていく。

 利を求める人間と義理を重んじる人間、そして利からも義理からも自由で、自分の愛を大切にする人間。この作品にはそうした人間模様が、伊賀の国の攻防戦を通して描かれているのである。

 天の下の何ものにも属さない。しかし、属さないで生きていくには力が必要。そうかもしれないが、力がなくても、何ものにも属さないで自由な人間として生きる道もある。そんなことを思いながら、この本を読み終えた。

2012年6月1日金曜日

和田竜『のぼうの城』


 「水無月」と呼ばれる六月に入ってしまった。六月が「水無月」と呼ばれるのは諸説があるが、旧暦の「六月」と異なっているので、現在では、まあ「水の月」というのがいいような気がする。「無」は「の」という意味の連帯副詞でもある。ちなみに英語の「June」は、ローマ神話のジュピター(ユピテル)の妻「ジュノー(ユノ)から取られたもので、彼女が結婚生活の守護神だったことから、この月に結婚をすると幸せになると言われたりもしている。「神頼み」したくなるのだろう。

 その「水の月」の最初に、先に大きな感動を与えられながら読んだ風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』と同じ舞台で、「水の城」とか「浮き城」とか呼ばれた「忍(おす)城」の攻防を描き、その攻防の中心人物であった独特の魅力を持つ成田長親(なりた ながちか)を描いた和田竜『のぼうの城』(2007年 小学館)を再び読んで、また違う感動を与えられた。

 和田竜『のぼうの城』は、2007年に小説としてまとめられているが、2003年に「忍ぶの城」という表題で脚本となっていたもので、風野真知雄『水の城 いまだ落城せず』の初版が2000年だから、おそらく、その辺が踏まえられて書かれたものであろう。

 しかし、成田長親という人の人物像を「でくのぼう」の「のぼう様」と捉えて、より鮮明に浮かび上がらせたり、「忍城」を水攻めにして失敗した石田三成の姿が、知略だけでなく意地や情熱を持つものとして描き出されたりしているし、「忍城」で成田長親と共に戦った武将たちの個性が明瞭に出されたりして、「なるほど映像を意識した優れた脚本」を思わせるもので、非常に読みやすいものになっている。

 それにしても、成田長親という人は、真に胸を打つ人であったと改めて思う。この「忍城」の攻防の詳細は、先の風野真知雄『水の城、いまだ落城せず』で触れたので、ここでは触れないが、豊臣秀吉がいよいよ小田原の北条家を攻めることを決めたことが伝えられ、「忍城」で北条側につくのか、それとも秀吉に降るかという決断が迫られ、そのための軍議が開かれた時、藩主をはじめ主だった重臣たちが秀吉の大軍にはとても勝ち目がないので秀吉に降ることを決する空気の中で、長親がのんびりと「北条家にも関白にもつかず、今と同じように皆暮らすということはできんかな」と言い出す場面が描かれている(54ページ)。

 これが成田長親という人の真髄だろうと思う。吹けば飛ぶような小さな城で、能力も力もない。しかし、自主独立の心根をしっかりもって日々の暮らしを大切にしていく。それが成田長親という人であったと改めて思うのである。不器用で馬にも乗れない、武技も駄目。ただのんきに暮らしている。しかし、心根だけはしっかり持っている。こういう人は他にないかもしれない。

 藩主の成田氏長は、一応は北条家の要請に応えて小田原城の籠城戦に出兵するが、はじめから秀吉の軍門に降ることを決していたし、いよいよ石田三成が率いる2万以上の大軍が「忍城」に押し寄せてきたとき、「忍城」にいたのはその十分の一にも満たない者たちであり、全ての者が降伏を決める中で、降伏を勧めに来た石田三成側の使者の長束正家のあまりの傲慢高飛車な態度や戦略的な脅し、「忍城」の甲斐姫を秀吉に差し出せと言ったことで、ひとり長親だけが「戦う」と言い出すのである。

 「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ」(142ページ)と言い出すのである。このあたりのくだりを作者は次のように記す。

 「強き者が強さを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえ許されない。小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば、無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったままで死ねというのか。
 『それが世の習いと申すなら、このわしは許さん』
 長親は決然といい放った。その瞬間、成田家家臣団は雷に打たれたごとく一斉に武者面をあげ、戦士の目をぎらりと輝かせた。
 ・・・・
 なんの武技もできず聡明さのかけらも感じさせないこの大男が、余人が捨てたただひとつのものを持ち続けていた。
 (・・・この男は、異常なまでに誇り高いのだ)」(142ページ)

 こうして「忍城」側は、成田長親を城代代理として、わずかな手勢で石田三成の大軍と戦うことになるのである。このとき、「忍城」には、百姓や町人、女子どもまで入れて3740人、このうち15歳以下の子どもと女子が1113人で戦力となるのは2627人に過ぎず、このうち百姓がほとんどであり、しかも老齢者が600人以上あり、最も働き盛りの武者たちのほとんどは小田原城へといっていた。これが23000人ほど(後には5万以上)の大軍と戦陣を開いたのである。

 そして、地の利を活かし、知恵を使い、押し寄せる大軍を見事に退け、初戦に勝利するのである。城への八つの出入り口の戦いすべてに深田や森を利用し、少ない兵器を十分に生かし、いわば長親によって高められた士気だけで戦ったようなものである。この攻防戦はよく調べられた上で物語性が高められて描かれている。

 それはともかく、「忍城」側が城に籠っての籠城戦のために近郊の百姓たちを集める際に、百姓たちは、どうせ負け戦になるから籠城は断ると言っていたのだが、戦いを決めたのが「のぼう様」であることを知ると、一気に「忍城」にこもることを承諾したくだりが次のように表されている。

 「ならば何様が戦をしようなどと仰せになられた」
 「長親だ」
 丹波(「忍城」を守る武将で、勇猛さではよく知られていた)がそう怒鳴り返すと、たへえ(村長)は虚をつかれたような顔をした。百姓らも同様である。
 わっ。
 直後、百姓屋敷は爆笑に包まれた。
 こんなうまいシャレはねえや、とでもいうように笑死寸前で身体をけいれんさせながら笑いに笑った。ちよ(たへえの娘)も笑った。子供のちどり(ちよの幼い娘)でさえケラケラと笑っている。
 「しょうがねえなあ、あの仁も」
 たへえは、ひいひい言いながら笑いを飲み込み涙を拭くと、ようやく言葉を発した。
 「のぼう様が戦するってえならよう、我ら百姓が助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ。なあ皆」
 そうたへえが一同に呼びかけると、皆、「ああ」とか「ったくよう」などと、とうてい領主の徴発に応じる百姓とは思えない態度で返している。
 ・・・・
 恐ろしい領主に引きづられて城に行くのでもなければ、領民を慰撫する物分りのいい領主を慕って入場するのでもない。それらはいずれもが下から上を仰ぎみる思考である。彼らを突き動かしたのは、そんな従属から発する思考ではなかった。(163164頁)

 これが「忍城」を一丸とさせた成田長親という人であったのである。「忍城」が石田三成の言語を絶するような水攻めにあった時に、10万人以上が昼夜を問わず労働に駆られて築き上げられた強大な堤防によって「忍城」が水の中に沈みこもうとした時、成田長親は小舟を出させて水上で田楽踊りをするということをしているが、その時、石田三成が命じて鉄砲を撃たれて負傷する。

 城内では、「のぼう様」が撃たれたということで、すべてが死兵となって決することになっていくのである。それほど人々は「のぼう様」が好きだったのである。そして、石田堤は決壊する。その決壊に手を貸した百姓が捕らえられた時、彼はこう言う。「のぼうを撃たれ、田を駄目にされた百姓が、黙っておると思うたか。ざまあみやがれ」(285ページ)。

 結局、関東にあったすべての北条家の支城が滅び、小田原城が滅んでも、「忍城」は落城することはなかった。それは、ひとりひとりの自由な心意気が成田長親という人物を中心に発揮されたからであり、彼自身が、そうした自由なあり方を尊重したからである。「忍城」の開城後の石田三成との交渉においても、成田長親は怯むことなくそれを貫徹し、人々が生きていくことを最上のこととして貫き通す。

 和田竜『のぼうの城』は、こういう成田長親の人物像をくっきり浮かび上がらせて、小手先の力や能力はないが、そんなものがないことすら平然として、しかし、本当に大事なことだけを大事にし、「明るく、暖かく、優しく、そして柔らかく」、しかも誇り高く生きていく人物として描き出しているのである。戦国の世に、こういう人がいたことを改めて思い、泰然と、坦々と生きることを改めて考えさせられる作品だった。