年の瀬を迎えて、師走の風が冷たい。今年のすべての仕事をやり終えたと思ったら、もう来年の仕事が始まっているという状態で今年を終えようとしている。無聊を囲うのも辛いものがあるが仕事に追われるのも「しんどい」ものがある。「働けど、働けど」の状態が続くからだろう。書かなければならない原稿の締め切りも迫ってきたなあ。
それはともかく、少し長くなっているが、野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)の第四話「ちと、つらい」は、大筋からすれば少し脇道にそれたような作品ではあるが、少なくともわたしにとっては感動的な男女の話であった。本書の中では一番わたしの琴線に触れた。
物語の発端は、園瀬藩の中でも仲人口で自他共に認める大納戸奉行の須走兵馬が、「妻煙たし 女房おそろし組」(いわゆる女房が怖いが、酒を飲むことが好きで、女房に内緒でこっそり酒席を設けたりする藩士たち)の酒の席で、藩内きっての小男と大女をくっつけるという賭けをし、その二人の仲を取りもとうとするところから始まる。
四尺六寸(1.4メートル未満)しかない弓組の戸崎喬之進(きょうのしん)は、背丈が低いことに合わせて痩せて顔色も青く、見栄えがしないところから「侘助」と呼ばれる人物で、貧弱な体と風采のあがらない顔貌をしていた。他方、鉄砲組の大岡弥一郎の長女多恵は、五尺六寸(約1.7メートル)はある立派な体格をし、胸も大きければ腰もどっしりしている女性で、体が大きいことを恥じてかあまり人前にも出ずに、大きな女という印象ばかりが独り歩きしていた女性であった。喬之進は32歳、多恵は27歳で、要するに一方は嫁の来手がなく、他方は売れ残った男女であった。
その二人をくっつける賭けをした須走兵馬は、それと知らさずに二人を自分の屋敷に呼んで合わせる。だが、二人は黙ったままで、顔も見ずに退屈しているようだった。しばらく様子を見ていると、二人は嬉しそうに笑ったりしていたが、なんで笑ったのかと聞かれても、ただなんとなく愉快だったと答えただけであった。
戸崎喬之進は、かつては剣術道場で岩倉源太夫以来の逸材と言われた人物であったが、ある試合に勝ったときに師の教えていない技を使ったということで破門され、それ以来、剣を捨てていたためにもはや誰もそのことを覚えていずに、ただ貧相な体格だけが印象に残っていた。他方、多恵は父親に小太刀を習った小太刀の使い手であった。
だが、この二人が結婚する運びとなったのである。多恵の父親は相手のあまりの貧相さと石高が半分しかない貧しさに反対したが、多恵は、きっぱりと喬之進との縁談を受けたのである。多恵は、一度会った時に、喬之進が見かけとは違い、少々のことには動じない肝が座った人物であり、その発する気を感じていたし、喬之進の物静かな優しさに安らぎを感じていたのである。だれも喬之進の真実の姿を見抜けなかったが、多恵はそれを見抜いたのである。
小柄で貧相な戸崎喬之進と大柄でふくよかな多恵の婚儀は藩内で話題となった。二人の夫婦仲もよく、多恵は自信を取り戻しかかのように顔を上げて歩くようになっていた。その時になって人々は多恵が美貌の持ち主であることに気がついていったのである。
しかし、そのことを面白く思わない連中をもいた。それはかつて多恵に婚儀を申し入れて断られた男たちで、自分ではなく侘助と言われるような貧相な喬之進が選ばれたことに腹を立てていたのである。中でも、負けず嫌いな馬廻り組の酒井洋之介は、多恵との話を断られて組頭の次女を妻女にして小頭になったが、妻はぎすぎすした悋気の強い女性であったし、彼自身が剣の使い手だと自認していたから、喬之進を頭から馬鹿にして、事あるごとに侮辱的な言葉を投げつけていたのである。
喬之進も多恵も、そうした洋之介の暴言を児戯にも等しいことだと受け流していたが、洋之介の侮辱は執拗で、あるとき、夫婦和合のことで侮辱され、喬之進はついに酒井洋之介と果し合いをすることになってしまうのである。
周囲は、小柄で貧相な喬之進が敗れることを心配する。だが、喬之進は「案ずるでない」と多恵に語る。多恵の父親は、心配になり、立会人を藩随一の使い手であると言われる岩倉源太夫に依頼する。源太夫はそれを引き受け、戸崎喬之進と酒井洋之介の剣の腕は天と地ほど違うから、心配には及ばないと断言する。しかし、多恵の父親も仲人をした須走兵馬もそれが信じられなかった。多恵もまた、夫を信じたいと思うが、不安もあった。
そして、対決の場。多恵はそこに駆けつけて、夫の代わりに酒井洋之介と対決しようとする。だが、喬之進は「黙って見ておれ」と言い、二人の対決が始まるのである。初めから喬之進を馬鹿にしていた洋之介は上段に構えて木刀を振り下ろす。だが、腕は格段に違って、喬之進は洋之介の攻撃をすべてかわしていく。洋之介は真剣勝負を望み、そして、一撃で倒されるのである。喬之進は洋之介の髷を見事に切り落としたのである。髷を切り落とされた洋之介は恥じて出奔した。
帰宅して、多恵は「出過ぎた真似をして申し訳もございません」と喬之進に謝る。喬之進は、「それもこれも、わしの身を案じてくれてのことだと思う」と語り、「が、もそっと信じてもらわねば、夫たるもの、・・・ちと、つらい」と言う。多恵は無言のまま夫に抱きついて、わが夫の大きさを感じていくのである。
これは、展開に若干の安易さはあっても、一話の完結として優れた作品だと思う。出来うるなら、酒井洋之介が単なる悋気からの嫌がらせをする人物ではなく、戸崎喬之進の上役であればなおいいかもしれないとも思ったりする。
第五話「蹴殺し」は、表題のとおり、主人公の岩倉源太夫が軍鶏の闘いからヒントを得て編み出したという秘剣「蹴殺し」についてである。源太夫の秘剣「蹴殺し」の噂が広まるに連れて、他の剣客がそれを知ろうとする事態が出現していくことになる。その手始めが、源太夫の道場に食客となった武尾福太郎と名乗る人物であった。
武尾福太郎は、親類の世話にならなくなって旅に出たが、途中で枕探し(泥棒)に有り金全部を盗まれ、何か仕事をさせてもらいたいと言ってきて、道場の食客となったのである。やがて、源太夫の子どもたちもなつき、道場の若い弟子たちも一目を置くようになっていくが、梟のように夜目が利き、源太夫の秘剣の正体を探り出そうとするのである。
そのことを察した源太夫は、秘剣など見せるものではないと断るが、福太郎は武芸者としての血が騒ぎ、ついには源太夫の子である市蔵を人質にとって源太夫との真剣勝負を望むのである。源太夫は、その時、彼の望み通り、「蹴殺し」の一つを用いて、その勝負に勝利する。源太夫は、武尾福太郎の遺体を丁寧に寺に埋葬してもらい、線香を手向けていくのである。武芸者としての悲哀を感じて、本書が閉じられる。
これはシリーズ化されているので、続編を読みたいと思っている。なかなかの秀逸な力作で、構成や展開は驚くほど工夫がなされているし、登場人物たちのあり方が筋が徹されていて、読み応えのある作品になっている。中でも、権助という人物はすこぶる魅力的である。本格派のいい作家と作品に出会ったと思っている。