2013年12月23日月曜日

野口卓『軍鶏侍』(1)

 冷え込みがまた一段と厳しくなったような感があり、夜などは厚手の靴下を履いていても足元から寒気が立ち上ってくるような気さえする。細々した書類の作成に時間を取られることが多くなり、改めて、今の日本の社会の中で人がひとりで生きていくことは面倒なことだと思ったりする。家一つ借りるにしても簡単ではない。静かに暮らしたいという往年の願いはなかなか叶えられそうもないとも思っている。

 それはともかく、野口卓『軍鶏侍』(2011年 祥伝社文庫)を大変面白く、また、ある種の感銘を受けながら読んだ。文庫本のカバーによれば、作者は、1944年に徳島で生まれ、立命館大学を中退後、いくつかの職業を遍歴された後にラジオドラマなどの脚本などを手がけられ、1993年に一人芝居「風の民」で菊池寛ドラマ賞というのを受賞されたらしい。本作が作家としてのデビュー作らしいが、古典落語に造詣が深く、『あらすじで読む古典落語の名作』(2004年 楽書館)という書物を出されたりしている。

 従って、本作がデビュー作とは言え、表現力は抜群で、描写、構成、人物設定などが優れており、悲喜交々の人間模様が生き生きと描かれている秀作だと思う。本書の解説をしている歴史時代小説評論家の縄田一男氏が、解説の中で藤沢周平に触れられて、作者が藤沢周平から大きな影響を受けていることを指摘されているが、藤沢周平とはまた異なった独自の面白みと展開がある。デビュー作にして作者は既に自分お文体を持った優れた作家だと思う。

 本書は、江戸から150里(600キロ)も離れた南の小さな二万六千石の園瀬藩という架空の藩を舞台にして、若い頃の江戸勤番の修行時代に闘鶏の軍鶏を飼う秋山勢右衛門という旗本の隠居と出会い、軍鶏の美しさと強さに魅了されて、ついにはその軍鶏の闘鶏からひらめきを得て、「蹴殺し」という秘剣を編み出した剣の使い手である岩倉源太夫という下級武士が主人公である。作者は、この創作上の園瀬藩というのを、おそらく絵図を自分で描いているのだろうと察するが、丹念な情景描写を匠に入れて描き出す。そのあたりが藤沢周平の「海坂藩」の設定と似ているといえば似ていると言えるかもしれないが、山間の小藩の景色や城下は実に味わい深く描かれている。

 源太夫は、しかし、宮仕えや人間関係がとにかく煩わしくて、孫ができたことをきっかけに39歳で早々に家督を息子に譲って隠居した。しかし、藩は彼の隠居は認めたが、隠居後の生計のために開こうとした剣術道場を開くことは許可せずに、彼は、隠居して一年経っても、好きな趣味としての美しい軍鶏を飼うことと釣りに明け暮れる毎日で、煩わしさからは解放されても、いわばすることが認められない不本意な生活を強いられているのである。彼は剣の腕よりもむしろ軍鶏好きの「軍鶏侍」と陰口を叩かれることが多い人物である。

 だが、その彼が、その剣の腕によって藩の政争に巻き込まれていくところから物語が始まる。「なにゆえに呼び出しを受けたのであろうか。大橋を渡りながら、岩倉源太夫は首を傾げずにはいられなかった」(5ページ)という本書の書き出しが、なかなか味のある書き出しで、これから風雲を告げていく物語の展開が見事に予測されたものとなっている。こういう書き出しができる作家の作品が面白くないわけがないのである。

 隠居した岩倉源太夫を呼び出したのは、藩の筆頭家老で、中老と側用人が商人と結託して藩を私物化しようとしているので、その密書を運ぶ者を暗殺して欲しいと源太夫に依頼するのである。しかし、源太夫は、その家老の話に胡散臭さを感じるし、そうした藩政をめぐるごたごたには巻き込まれたくないという思いを強くし、その暗殺が藩主直々の命でもなく、自分は隠居した身であり、しかも秘剣などというものもないと、その依頼をきっぱりと断る。

 ところが数日後、江戸から密書を運んできていたと思われる武士が何者かに殺されたという報に接するのである。源太夫は筆頭家老がほかの刺客を用いたことを察するのである。そして、筆頭家老の方こそが商人との結託をおこなっていたことが分かっていくのである。

 筆頭家老には筆頭家老の事情があった。地方の小藩である園瀬藩は、ほかの諸藩と同様に財政が逼迫した状態に置かれ続け、農村は枯渇し続け、農民の生活の窮乏はひどいものがあった。収穫を上げて石高を増やすためには新田の開発しかないが、藩にはそれを行う財力がない。そこで、筆頭家老は、開発した土地の所有を与えることを条件に新田の開発を民間の商人に委託したのである。それは、藩財政の増収となるが、商人は大土地所有者となりますます肥太り、新田開発にかり出された農民は益々ただ疲弊していくだけの結果となった。筆頭家老と商人の癒着がそこで生まれ、彼に反対する勢力もその点を問題視したのである。若い藩主もなんとかその状態を改革しようと側用人と中老にその意を伝え、かくして政争が起こっていたのである。

 商人との癒着の問題は別にして、実は、こうした政策上の問題の是非の判断は難しい。作者がそうした視点をもって、短くではあるがそれに触れていることは大変素晴らしいと思う。この筆頭家老の問題は、彼がとった政策の問題ではなく、彼が反対勢力の暗殺という卑劣な手段を取ったところにあるのである。そして、作者の物語力の優れたところは、この筆頭家老が刺客として雇ったのが、主人公の岩倉源太夫に軍鶏の美しさと強さを教え、彼の秘剣の元となり、彼が師と仰ぐ秋山勢右衛門の三男で、彼が秘剣を編出すのに共に尽力してくれた秋山精十郎としているところである。

 秋山精十郎は秋山勢右衛門の妾腹の子であったが、勢右衛門から可愛がられて心根のまっすぐした爽やかな青年として育った。だが、その勢右衛門が亡くなった後、本妻の子である兄から邪険に扱われ、それに伴って家の者たちからも除け者にされて、家を飛び出し、用心棒などで糊口をしのぎながら生きていくようになっていた。園瀬藩の筆頭家老が、皮肉にも、その彼を刺客として雇ったのである。生きることの悲哀がそこににじみ出ていく。

 そして、江戸からの密書をもった前途有望な青年が殺される。岩倉源太夫は、かつて剣術道場の相弟子で、今は藩の目付をしている友人からその事情を聞かされ、さらに、実は今回の政争が藩の派閥を解消したいという藩主の意向を受けたものであり、筆頭家老に反対している中老にも暗殺の手が伸びる恐れがあり、その中老を護るようにとの依頼を受け、また江戸への密書を届けてもらいたいという依頼を受けるのである。藩主が源太夫の道場開きを許可しなかったのは、藩主がいざという時の切り札として源太夫に期待していたからだとも告げられる。

 こうして岩倉源太夫は密書を持って江戸へ向かうが、その途中で、筆頭家老が放った刺客である旧友の秋山精十郎と闘わなければならなくなる。秋山精十郎は、源太夫が秘剣「蹴殺し」を編み出した時に手助けしてくれた友人である。だから、彼は精十郎との闘いは秘剣を用いずに闘い、秋山精十郎はその闘いに敗れる。こうして藩の政争も収まり、源太夫は彼の遺体を懇ろに弔う。そして、ようやくにして彼の剣術道場開の認可がおり、藩士の子弟たちへ剣を教える道が開かれていくのである。

 岩倉源太夫は、旧友の秋山精十郎が自分の死に場所を求めていたのではないか。そして、侍というだけで友を斬らなければならなかった自分のあり方を考えていく。だが、念願の剣術道場を開き、後進の指導の新しい道が始まるのである。

 これが第一話「軍鶏侍」の展開であるが、本書の全体を通して特筆すべき人物が登場する。それは岩倉家に父の代から仕えている「権助」という下僕で、「権助」は、「いきているうちに自然に身についた知恵でございます」と言いつつも、軍鶏のことをはじめとして何なら何まで専門家以上の知識と技術をもち、今で言えば優れたコンシェルジュ(執事)のような働きをするのであり、その「権助」と主人公の岩倉源太夫との軽妙でありつつも源太夫を助けていくものになっている。この作品は、この人物がいるからこそ味わい深いものになっているとも言える。

 第二話以降は次回に書く事にするが、ともあれ、この作品は、権力争い、剣の闘い、夫婦の問題、青少年の成長、子どもの成長といった事柄を極めて丁寧に、そして味わい深く描く作品である。主人公が道場主としてそれぞれの成長を見守っていく姿は、どこか池波正太郎の『剣客商売』を思わせる雰囲気が漂うが、それについては、また次回触れることにしたい。力作で、いい作品だと思う。

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