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2013年9月18日水曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 天狗殺し』

 台風一過で、昨日から爽やかな秋空が広がっている。一日の寒暖の差が激しくなって、日中は暑いほどの日差しであるが、夜は肌寒くなった。こうして秋が深まっていくのだと、つくづく感じる。

 昨夕、買い物がてらに図書館に行ったら休館日で振られてしまった。調べていけばなんてこともないのだろうが、時折、こうしたことをして、トホホの人生になる。会いたい人には会えず、行きたくないところに行かなければならず、したくないことをしなければならないで、まさに、四苦八苦の八苦がこうして訪れる。

 だが、高橋克彦『完四郎広目手控 天狗殺し』(2000年 集英社 2003年 集英社文庫)を気楽に読んだ。これは、旗本の次男であり、剣の腕もお玉が池の千葉道場の免許皆伝という凄腕で頭脳明晰でありながらも、なぜか竹光を腰に差し、古本屋の「藤由」に居候して、「藤由」の主である藤岡屋由蔵が出す瓦版や広目(広告)などを手がける香治完四郎を名探偵役にして、安政から明治にかけての時代と社会背景を描きながら物語を展開していく、いわば時代推理小説のような作品であるシリーズの第二作目の作品である。

 先に、このシリーズの三作目と四作目である『いじん幽霊』(2003年)『文明怪化』(2007年)を読んでいた。この二作はいずれも明治維新後の時代と社会を背景としていたが、一作目の『完四郎広目手控』と本作は、安政という激動した時代を背景としている。本作では、井伊直弼が老中となり、日米修好通商条約(安政5年 1858年)などが結ばれて、尊王攘夷運動が激しくなっていく辺りが背景とされている。

 このシリーズでは、主人公の他に、先に記した広目屋(広告代理業)を行った藤岡屋由蔵、広目の文章を書く仮名垣魯文(かながき ろぶん)、絵を描く一恵斎芳幾(後の歌川芳幾)が登場するが、これらの人たちは実在の人物で、後に、明治になってから現在の毎日新聞の前身である東京日日新聞を発行した人たちである。その他にも、もちろん作者の手による創作上の人物であるが、特殊な能力を持つ「お映」や完四郎に惚れているしゃきしゃきの柳川芸者の「お新」も登場して、作品に色を添えている。「お映」は、文字通り、断片的であるが未来を映すことができ、「お新」は新しい女性像の代表でもある。本作では、この二人の女性はあまり登場しないが、坂本龍馬と新しい女性として蘭医を目指す「お杳(よう)」が登場する。

 物語は、老中になった井伊直弼が日米修好通商条約を締結した安政5年から始まる。この年は、第13代将軍徳川家定が病弱であったために以前から起こっていた将軍継承問題に対して、井伊直弼が、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推挙していた水戸の徳川斉昭や薩摩の島津斉彬を押し切って、徳川家茂を第14代将軍と定めた。そして、水戸の徳川斉昭への処罰を断行し、初期の頃の尊王攘夷志士たちを弾圧する安政の大獄を始めた年である。世情は騒然とし始め、こういう時代の流れを見極めて、江戸の人々に知らせようと、主人公の香治完四郎は、時代の中心となっている京都へ行くことを藤由に提案し、仮名垣魯文を連れて京都に向かうのである。この京都までの道中を共にするのが土佐に帰る坂本龍馬であり、京都での医者の勉学を目指す「お杳(よう)」である。

 そして、物語は江戸から京都までの東海道五十三次と京都から江戸までの中山道に従って、各地で起こる殺人事件や古い伝説にまつわって引き起こされた事件を香治完四郎が持ち前の頭脳の明晰さと観察眼によって解決していくのである。もっとも物語の多くは、京都での話で、特に尊王攘夷の急先鋒であった長州藩の動きが注目されていく。

 それぞれの事件の謎解きには、伝承や言い伝えを隠れ蓑にして隠蔽されようとする犯罪を、香治完四郎の徹底した合理性と科学的実証を探っていく頭脳が光っていく形で解決されていくが、面白いと思っているのは、武士という身分を捨てて広目屋を目指す完四郎が、武士も町人もないんだという姿勢を一貫させているところで、そういう姿に坂本龍馬が目を見張らされていくという展開になっているところである。

 そして、仮名垣魯文が、『東海道中膝栗毛』を著した十返舎一九を思わせるような人物として描き出されていくところである。物語の最後には、幕末から明治にかけての浮世絵師として知られる河鍋狂斎(河鍋暁斎)が江戸に帰る完四郎と仮名垣魯文の同行者として登場する。

 また、最後の第十一話「白雪火事」では、井伊直弼の側近で国学者あった長野主馬(長野主膳)による急進的な尊王攘夷派であった水戸や長州への弾圧の策略に対して完四郎が立ち向かうという展開になっている。江戸市中に二度の大火を起し、これを水戸や長州のせいにする噂を立てて、彼らを追い込もうとしたのである。

 ちなみに、長野主膳(18151862年)は安政の大獄で捕縛された者たちへの厳罰を主張し、また、水戸藩主であった徳川斉昭らへの厳罰も主張し、水戸藩に「悪謀あり」と過度の進言をしたことで、井伊直弼暗殺の桜田門外の変の引き金を引いたとも言われている。後に彼は井伊直弼暗殺後の彦根藩の跡を継いだ井伊直憲によって、斬首。打ち捨ての刑に処されている。

 物語はこの後、激動した幕末から明治にかけての鳥羽伏見の戦いや上野戦争、戊辰戦争などでの状況下での江戸が舞台となって描かれるつもりではなかったかとも思われるが、これに続く第三作では、時代は既に明治初期になる。だが、名探偵香治完四郎という設定はなかなか面白い。

 本書には、安藤広重の『東海道五十三次』や『京都名所』の浮世絵が絶妙に挿絵として使われ、作者の趣味も生きていて、それも面白い。作者は書画骨董には造詣が深い。粋な趣味人のような気がする。

2013年2月7日木曜日

高橋克彦『鬼』


 昨日、気象予報士が大雪の予報を出していたが、ここでは、今朝は薄らとした雪化粧で、やがて雨に変わっていった。冬の入口では雨が雪に変わるが、春の入口では雪が雨に変わる。今日は一転して少し寒さが和らいだ日になっている。熊本のSさんから庭のチューリップが芽を出したとの便りを頂いたし、湯島天神の早梅も咲いたという。あと数回寒い日が訪れて、やがて春になるだろう。

 昨夜、平安期の陰陽師たちを描いた高橋克彦『鬼』(1996年 角川春樹事務所)を読んでいた。陰陽師の中では、何といっても阿部晴明(あべのせいめい 9211005年)が著名であるが、本書では彼の師であった賀茂忠行(生没不詳)やその子の賀茂保憲(やすのり 917977年)についても記してあり、これらの陰陽師については主として「今昔物語集」に記されているものである。

 陰陽師とは、古代中国で生まれた自然哲学や陰陽五行説に起源をもつ陰陽道に携わる者で、万物は陰と陽の二気から生じるとする「陰陽思想」と、万物は木・火・土・金・水の五行からなるという「五行思想」が組み合わされて、自然界におけるその変化をよく観察して災厄などを判断し、人間の吉凶を占う実用的なものとして日本で発達したものである。それに、占星術や天文学の知識、道教や仏教、また神道などからも様々な事柄が取り入れられている。

 陰陽五行説は古代中国の夏の時代(紀元前2000年頃)ぐらいから始まって、周の時代(紀元前1000年頃から紀元前256年)にほぼ完成していたと言われ、天文学や暦学、易、時間の概念などと合わせて飛鳥時代(592710年)に日本に伝えられ、それらが自然の災厄や吉凶判断の技術として用いられてきたのが陰陽道で、当初は渡来人の僧侶によって行われていたが、やがて朝廷への奉仕を目的として(つまり政治を占うものとして)、7世紀頃から陰陽師という者が現れてきたのである。

 平安時代の律令制が敷かれた7世紀後半から8世紀前半では、朝廷の政治組織として陰陽寮というものが組織化されて、天文の観察や暦の作成、吉凶の判断などが行われた。その頃には、道教の呪術や密教の呪法、占星術なども取り入れられ、やがて10世紀にはこれらを極めた賀茂忠行・保憲親子が登場してほぼ完成し、その弟子であった阿部晴明が卓越した才能を示し、宮廷社会から絶大な信頼を得ていた。

 こうした陰陽道の思想や技術は、今日では、一見すれば非実用的で非科学的な古臭いものに見えるが、当時の自然科学であり、観察眼の鋭さは相当のものがあったのである。陰陽師は、いわば、自然科学者であったのである。

 加えて、794年(延暦13年)に桓武天皇が都を平安京(京都)に移してから始まる平安時代は、日本史の中では古代から中世に至る過渡期のようなもので、奈良時代に制定された律令制度がほころびを見せると同時に、世襲による家職化が進んで、特定の摂関家による摂関政治が行われ、権門による独占や軍事帰属の台頭などで比較的どろどろした政争が展開した時代でもあった。こういう時代の中で、呪詛を行い、未来の吉凶を行う陰陽師は大きな力と影響力をもっていたのである。

 一般の社会風習としても魑魅魍魎が信じられ、これらの魑魅魍魎の力を呪術によって封じるとされた陰陽師は神秘的な存在として認められていたのである。特に、賀茂忠行や賀茂保憲、そして阿部晴明が活躍した10世紀は、右大臣まで務めた学識豊かな菅原道真が左大臣であった藤原時平に讒訴されて太宰府に流され、903年に悲憤のうちに死に、その後で天変地異が多発し、災厄が多く発生したことから、朝廷はこれを菅原道真の怨霊による祟りと恐れていた時代であった。

 まず、政敵の藤原時平が39歳の若さで病死し(909年)、時平の甥で醍醐天皇の皇子の保明親王、その息子の慶頼王が次々と病死し、930年には清涼殿が落雷を受けて多数の死傷者が出て、それを目撃した醍醐天皇も体調を壊して、まもなく崩御した。それらはすべて菅原道真の怨霊と結びつけられ、火雷天神と結びつけられ、朝廷は京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを沈めようとしたのである。道真を神と祭り上げることによって慰霊を図ったのである。道真を天神様とする天神信仰は全国に広まった。

 こうした時代背景の中で、賀茂忠行は、道教の呪術に加え、密教などの呪術信仰を巧みに取り入れて、陰陽道を天文観測や暦の技術中心であったものから宗教的・呪術的なものに変えることに成功して、朝廷や貴族の中で影響力を獲得していったのである。その子の保憲も視鬼(見鬼・・鬼を見る能力)に長けていたと言われ、特に暦の制定には大きな力を発揮したと言われる。その弟子であった阿部清明はさらに卓越した能力を持ち、その事跡は神秘化されていった。

 本書は、こうした陰陽師の姿を、「髑髏鬼」、「絞鬼」、「夜光鬼」、「魅鬼」、「視鬼」といったそれぞれの「鬼」との対決として、賀茂忠行の師にあたる陰陽寮の滋丘川人(しげおかかわひと)や弓削是雄(ゆげこれお)が活躍した866年から初めて、賀茂忠行、賀茂保憲、そして、阿部晴明で終わるように編まれた短編連作集である。しかも、単なる「鬼」との対決のファンタジーではなく、その裏に潜んだ出世欲や政争の出来事としてこれを取り扱っている。「鬼」は、もちろん魑魅魍魎的な存在ではあるが、人の力を越えるほどの力を持つ「恐ろしいもの」の代名詞でもある。「鬼」の解釈には種々あるが、「鬼」の存在が長く信じられ、また語られてきたことは事実である。

 そして、作者は、「恐ろしいもの」として信じられてきた「鬼」というものや怨念、祟りといったことがらを利用して、敵対する者を排除しようとしたり、自分の地位を向上させようとしたりすることに対して、陰陽師としての闘いを繰り広げる姿として、これらの人を描きだしていくのである。「鬼」は人の心の中に住むものである。

 「人を呪う」という精神は、極めて下劣な精神である。その下劣さに陰陽師たちがはるかに高い精神をもって立ち向かうというのが本書の主眼だろうと思う。内容そのものやいくつかのエピソードは「今昔物語集」から取られており、作者がそれを駆使して作品を書いたことがよくわかる作品だった。

2011年12月5日月曜日

高橋克彦『蘭陽きらら舞』

昨日からよく晴れた冬空が広がるようになった。今日もよく晴れて気持ちがよいのだが、どことなく疲れが抜けきれないままで目覚めてしまい、あれこれとしなければならないことはあってもんなかなか気乗りがしない。手帳に書き出してあることをただ眺めるばかりである。「これではいかんよ」と思いつつ朝から仕事に手をつけていた。

 昨夜、高橋克彦『蘭陽きらら舞』(2009年 文藝春秋社)を読み終えた。これは以前に読んだ『だましゑ歌麿』(1999年 文藝春秋社)や『おこう紅絵暦』(2003年 文藝春秋社)、あるいはまだ読んではいないが、『春朗合わせ鏡』(2006年 文藝春秋社)の続編のような作品で、『おこう紅絵暦』を読んだ時にも思ったのだが、前作を読まないと登場する人物たちやその繋がり、背景などがさっぱいわからないという不親切な作品である。

 だが、「春朗」というのは葛飾北斎のことで、『だましゑ歌麿』で人気絵師であった喜多川歌麿の起こした事件に関連して南町奉行所同心であった仙波一之進と出会い、彼の手助けをしていくようになり、また公儀お庭番の家系であったことが記されていくのだが、その仙波一之進の妻となったのが柳橋の美貌の売れっ子芸者であった「おこう」で、一之進の父親で隠居した左門と共に、いわばロッキングチェアー・デティクティブ(揺り椅子探偵)のような名推理を発揮するのである。仙波一之進は南町奉行所筆頭与力に出世している。本書でも取り扱われる事件の重要な鍵は「おこう」が解いていく構成が取られている。その「おこう」を中心にしたのが『おこう紅絵暦』であった。

 本書は、「春朗(葛飾北斎)」の友人で、売れない女形役者であり、トンボ(空中回転)を得意とする「蘭陽」を中心に物語が展開していく。「蘭陽」は、役者として売れないことの悲哀や「おとこおんな」として生きていることの辛さ、そして多くの秘密を抱えながら生きているが、底抜けに楽天的で、絵師として生きていこうとする「春朗(北斎)」と名コンビを組んでいくのである。「きらら舞」というのは、この「蘭陽」がトンボ(宙返り)をするときにきらきら光る雲母などの粉をまくところから名づけられた「蘭陽」の得意芸である。

 本書で取り扱われるのは、芝居小屋の金が盗まれた事件でとばっちりを受けて役者稼業を廃業させられていた「蘭陽」に戯作者である勝表俵(のちの鶴屋南北)から芝居の話が持ち込まれ、その事件には無関係だったことを証する必要があって、「春朗」と共に芝居小屋の金が盗まれた事件の真相を突きとめていく第一話「きらら舞」や、芝居で使われた古着を切って売り出し一儲けをたくらんだところが、欲をだした古着商に古着売買証を取られたのを取り返していく第二話「はぎ格子」、一家心中した商家に化物が出るという噂を芝居の前評判を高めるために使おうとした表俵の意向を受けて、「蘭陽」と「春朗」が化物屋敷に出かけていくことになり、一家心中の話を聞いた「おこう」が、それが心中に見せかけた殺人であることを見抜いて、「蘭陽」が一芝居打って犯人をあぶり出していく第三話「化物屋敷」など、十二話に渡って物語が展開されている。

 各物語の詳細を書くまでもなく、題材は極めて面白いのだが、残念に思うのは、複雑な人間模様が予測される事件でも、「おこう」があっさりと謎を解き、「蘭陽」と「春朗」が名コンビを組みながら真相を実証していくという構造がいずれも取られていて、北斎や鶴屋南北が登場している割には展開があっさりしすぎている気がすることである。当時の絵師や戯作者たちは松平定信の贅沢禁止令もあってかなり苦労したのだが、そうした生活の苦労や泥臭さ、苦闘などは少ししか触れられずに、深みは感じられない。

 この作品群の中では、やはり、第一作の『だましゑ歌麿』が一番面白く、まあ、こういう作風もあるのかも知れないが、少なくともわたしのような者にとっては、あっさり読み飛ばしてしまったという印象しか残らない作品だった。

 北斎のあの絵のすごさは並の人間にはない凄さで、やはり天才としか言いようがないのだが、天才は生きることに人一倍の苦労をするのだから、そうしたものがにじみ出てくればよいのだが、本書で描かれる北斎(春朗)は、ことさら北斎でなくてもよい気がしたからかも知れない。もう少し北斎の人間性が描かれればよいと思うのは、もちろん、わたしの勝手な望みではあるだろうが。少なくとも、これは娯楽小説で、読んで心が震えるようなものではなかった。

 個人的に、この季節には心が震えるような作品を読みたいと思ったりする。そういうわたしの読者としての心情があって、あまり面白く読めなかったのかも知れないと思ったりもする。今年は特に東北大震災が起こり、何もかも奪い去った津波が去った後のがれきの中で、ひとり花束を抱えて涙を流しながら海に向かって佇んでいた少女の報道写真を見て、涙がぽろぽろこぼれてならなかったから、楽天的であればもっと楽天的に、悲観的であれば深く心をえぐるような、そういうことを求めるからだろう。

2011年4月5日火曜日

高橋克彦『だましゑ歌麿』

 先週の土曜と日曜日は寒の戻りで気温が下がり、被災地でも雪が舞ったりする光景が報道されていたが、今日は少し気温が上がって春めいてきた。桜も一気に開花するだろう。溜まっていた掃除や洗濯をしながら、日常の生活に追われ行く日々を感じていたら、仙台のF氏から電話をもらい、水と電気は回復したが、まだガスが復旧されないという話だった。無事であることは連絡を受けていたが、とにかく元気そうで何よりだった。


 今日はあまり仕事をする気にもなれずに、とにかく土曜と日曜にかけて高橋克彦『だましゑ歌麿』((1999年 文藝春秋社 2002年 文春文庫)を読んでいたので、それだけでも記しておくことにした。これは、松平定信の寛政の改革(1787-1793年)とそれによって辛苦を舐めなければならなかった人間の姿を真正面から小説の形で取り上げたなかなかの力作で、ある意味でミステリー仕立ての時代小説としての構成も展開も、面白さも備えた秀作だと思った。


 これは、松平定信が寛政の改革で風紀を厳しく取り締まり、あらゆる事柄に贅沢を禁止した禁令を断行し、火附盗賊改の長が有名な長谷川平蔵であった時代に、南町奉行の同心で30代半ばの仙波一之進が、人気絵師であった喜多川歌麿の妻が惨殺された事件を調べ、権力による圧力を受けながらも、喜多川歌麿の反骨精神、歌麿や山東京伝の出版元であり、自らも改革の犠牲となって処罰を受けた蔦屋重三郎などの当時の文化人たちの姿を絡ませながら、知恵と剛胆さ、もちまえの剣さばきなどを発揮させて真相を明らかにし、改革の主であった松平定信に反省を促していくというものである。


 事の発端は、深川一帯が大嵐の水害によって壊滅的になった後始末に駆り出された南町奉行所同心が、半壊した「おりよ」という女性が住んでいた家の不審に気づき、やがて「おりよ」の死体が無惨に陵辱された姿で見つかるというものであった。「おりよ」は絵師の喜多川歌麿が愛して止まない妻であった。


 仙波一之進はこの事件を探索しようとするが、上からの探索の中止の命令が下される。また、南町奉行所から火盗改めに移されたりする。しかし、彼は圧力がかかる中で密かにこの事件の真相を探り続け、そこに長谷川平蔵率いる火盗改めと老中松平定信の画策の匂いをかいでいくのである。当時の一番人気絵師であり文化の花形であった喜多川歌麿の妻を殺すことで、歌麿の活動を停止させ、言論の統制を図ろうとした意図が見え隠れする。


 一方、愛する妻を殺された喜多川歌麿は、そのことを感知して、ほんの僅かな金だけを盗むが、政道批判を展開する押し込み強盗団を作って、松平定信を窮地に追いやって復讐しようとする。作者は美術館学芸員の経歴を持ち、江戸時代の絵師についての専門的な知識もあるが、こういう発想が面白いし、また実際の歴史知識に裏打ちされた発想であるから、詳細に渡ってこの発想が生きている。


 権力の圧力に耐えながらの仙波一之進による地道な探索が続いていく。何度も危機的な場面に出くわす。だが、彼の武骨なまでの同心魂と剛胆さで、ついに真相が明らかになる。彼は、唯一信頼できると思われた北町奉行初鹿野信興(実在の人物)を引っ張り出し、ついに老中松平定信に反省を促していくのである。


 この作品には、喜多川歌麿をはじめとして、長谷川平蔵や松平定信、初鹿野信興は言うまでもなく、蔦屋重三郎、朋誠堂喜三郎(秋田藩江戸留守居役でもあった平沢常富)などの多くの実在の人物が登場するし、後に著名になる葛飾北斎も「春朗」として登場し、その鑑定眼を活かして仙波一之進を手助けする者として描かれたり、仙波一之進の父親左門らとの日常的な会話に絵の構造や手法について語る場面があったり、それらの会話から、風景画に進んで行く方向なども示されるという虚実を巧みに混ぜた展開がされている。


 また、武骨な主人公である仙波一之進と柳橋の売れっ子芸者である「おこう」との恋も描かれ、最後に二人が結ばれ、その「おこう」の活躍を描いた『おこう紅絵暦』(2003年 文藝春秋社)が記されるほど、生き生きとした人物像となっている。


 寛政の改革という歴史的事柄と真正面から取り組み、そこでの文化統制、言論の弾圧といった問題に、政治によって翻弄され、苦しめられる人間の側からの視点で、しかも、時代小説としての醍醐味やミステリー仕立ての展開の面白さがあって、小説として読み応えのある作品だと思う。長谷川平蔵が設立した「人足寄せ場」(厚生施設)の問題もかなり突っ込んだ形で描き出されている。


 この作品については、もっと多くのことが語られうると思うが、他にももちろんすることやしなければならないことが山積みしているわけだし、今日はここで止めておこう。

2010年11月27日土曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』

 朝からよく晴れ渡った蒼空が広がっている。紅葉見物には絶好の日和だろうと思いつつも、仕事が少し立て込んでいるので、通常と変わらぬ土曜日になった。

 木曜日の夜から金曜日にかけて、高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』(2003年 集英社)を作者の想像力の豊かさと物語作りの妙を感じながら読んだ。これは、このシリーズの3作目で、前に4作目の『文明怪化』を読んでいたので、物語の展開としては遡る形になったのだが、改めて、慧眼というか明察というか、名探偵ぶりを発揮する主人公の香冶完四郎と、主人公の卓越した推理を導く名脇役としての仮名垣魯文との兼ね合いが、幕末の激動する横浜を舞台に展開されるあたりが面白いと思った。

 仮名垣魯文は、もちろん実在の人物(1824-1894年)だが、少しひょうきんで現実主義的で、作家としての意地もあるという本書の人物像は作者の創作だろう。それにしても、挿入してある当時の写実絵(今回はマスプロ美術館所蔵)から全く新しい事件や物語を創作として展開させる作者の手法は驚嘆に値する。本書で取り扱われる時代が、新撰組による池田屋事件(1864年)や佐久間象山暗殺事件(同年)の年であり、1859年に開港されたばかりの横浜は、外国人居留地によって西洋化が進み始め、1862年の生麦事件(現鶴見区生麦・・イギリス人が薩摩藩士によって殺される)をはじめとして、攘夷思想を持つ武士たちの襲撃が繰り返され、特殊な状況下に置かれていた。

 この時に、広目屋(瓦版・新聞広告業)を手伝っていた香冶完四郎と仮名垣魯文が横浜に赴いて、そこで起こっている事件を大事に至らないように解決していく。香冶完四郎は新しい情報手段としての新聞を出すことを考えており、その関連でも、後に新聞記者ともなった岸田吟香(1833-1905年)や福地源一郎(1841-1906)も登場する。岸田吟香は、本書でも登場するジョゼフ・ヒコ(1837-1897年・・本名浜田彦蔵で、13歳の時江戸に向かう途中の船が難破し、漂流して米国商船に助けられ、米国に帰化し、帰国後通訳として活躍、その後横浜で貿易商館を開く)と共に、1864年に英字新聞を翻訳した日本で最初の新聞『海外新聞』を発行している。本書では、仮名垣魯文とどちらが優れた記事を書くか競争する物語として展開され、その記事の裏にある事件を香冶完四郎が見抜いていく物語が展開されてもいる(第十話 筆合戦)。

 こうした歴史的な背景が見事に織り込まれて、当時の横浜の居留地の人々の暮らしや状況を基に、牛肉と阿片の絡む事件(第一話 夜明け横浜)、攘夷派が画策した外国人相手の遊女屋での自殺事件(第二話 ふるあめりかに)、流行始めたヌード写真に関連した事件(第三話 夜の写真師)、幽霊屋敷と噂されることで人が近寄ることを避けた外国人性病患者の施療所の出来事(第四話 娘広目屋・・ここで完四郎に恋をするフランス娘のジェシカ・アルヌールが登場する)、イギリスが清国人(中国人)をつかって画策した阿片の密輸事件(第五話 いこくことば)、天狗党(1864年に水戸藩の尊王攘夷派が筑波山で挙兵した)の名を借りて横浜襲撃を企む事件(第六話 横浜天狗)、気球を使って火の雨を降らせ、人心を惑わしつつも気球を武器として売り込もうとする事件(第七話 火の雨)、フランスの将校が仕組んだ痴情事件(第八話 遠眼鏡)、両国に異人の幽霊が出ることを仕掛けて、生糸の貿易で利を得ようとした商人の事件(第九話 いじん幽霊)、先述した第十話、これまで香冶完四郎の名推理によって事件が公にならずに煮え湯を飲まされてきたイギリスが仕掛けた虎を使っての完四郎暗殺事件(第十一話 虎穴)、そして、横浜どんたく(祭り)を利用してフランス人との娘の結婚に反対する清国人商人が起こす事件(第十二話 横浜どんたく)といった物語が展開されている。

 例によって、複雑に政治や経済、国際情勢が入り組んだものであれ、人間の心情が入り組んだものであれ、事件はあまりにも簡単に解決していくのだが、それによって主人公の香冶完四郎の名推理がさえていくわけだし、状況についての分析も(もちろん、歴史的状況は明白なのだが、明察として展開されている)、何とか事件を国際紛争にまでしないようにすることや罰される者を作らないことも、本作で描かれる主人公の姿として浮かび上がって来るし、ずば抜けた才能を持ちながら、恋にも金儲けにも執着せず、「世に出るつもりはない。・・・こうして生きていられるだけでありがたい。・・・」(164-165ページ)と言い切って、「ただの広目屋」であろうとする人物像は、理想的すぎるとはいっても、味のあるものとなっている。

 本書の末尾で、主人公がアメリカ行きを考えることになっていて、次作が維新後にアメリカからの帰国後の物語になっているのも、なかなか面白い構成だと思う。個人的に、この頃から「新しい社会機構をもつ日本」という国が形作られてきて、多くのいびつな構造を生んでいくことを考えることがあって、どこがどういびつになってしまったのかを探ってきたので、こういう物語の展開は物語としてなかなかのものだと思っている。もちろんわたしの個人的な関心は作者の意図とは無関係であるが。

2010年11月15日月曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』

 朝方は晴れ間も見えていたが、午後から曇り始め、雨が落ちてきそうな気配になっている。昨日、あまり気乗りのしない会議で小田原まで出かけ、途中の渋滞で少々疲れを覚えていたのだが、帰宅してテレビで世界女子バレーを見て、32年ぶりで日本のチームがメダルを取るという試合で、長い試合日程の中でもうほとんどジャンプする力も残っていないのに、気力だけで試合をしているような選手の姿に感動した。勝負の勝敗ではなく、そういう姿が好きで、全試合を観ていた。

 それから夕食を作り、食べながら、行儀が悪いと思いつつも独りの気楽さで、高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』(2007年 集英社)を読んだ。

 これは『完四郎広目手控』(1998年 集英社)から始まるシリーズ物の4作目であるが、前に読んだ『おこう紅絵暦』と同様、前作を読まないと登場人物の相関図がわかりにくいのが難点で、このシリーズの前3作は読んでいないので、突然、ある人物が登場してきたときには、これは誰でどういう関係なのだろうと思ったりもする。だが、巻末にある出版社の広告で、これが幕末の安政年間から続く物語で、頭脳明晰で剣の腕もたつ香冶完四郎(こうや かんしろう)という旗本の次男坊が、持ち前の明晰な頭脳で居候している広目屋(広告代理店)を手伝いながら、戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)らと共に難事件を解決していくという、時代探偵小説とでもいうべき作品であることがわかる。もちろん、幕末から明治維新にかけての激動した時代の推移や、幕末から明治維新にかけて活躍した実在の人物も登場し、ある種の文明批評もきちんと盛り込まれているだろうことは想像がつく。

 シリーズの4作目である本書は、維新前にアメリカに渡った主人公の香冶完四郎が明治になった日本に帰国してくるところから始まっているし、戯作者の仮名垣魯文は著名な作家となり、創刊されたばかりの東京日々新聞にも深く関わっており、本書は、その東京日々新聞の新聞錦絵(事件を絵にしたもの)に描かれた事件の謎を解いていくという趣向で物語が進められている。

 ちなみに、東京日々新聞は、現在の毎日新聞の前身で、1872年(明治5年)に戯作者であった山々亭有人こと粂野伝平(1832-1902年)と貸本屋の番頭であった西田伝助(1839-1910年)、浮世絵師であった歌川芳幾(1833-1904年)が創立したもので、この頃、鉄道が開通したり、東京-大阪間の電信や全国に郵便施設が開設されたりして、通信手段が発展し、現在の読売新聞とスポーツ報知などの前身である郵便報知新聞も同年に創刊されている。本書でも、歌川芳幾と人気を二分した芳年(月岡芳年・・1832-1892年)が郵便報知に挿絵を描く人物として登場する。

 ただ、物語よりも最初に驚いたことであるが、本書で取り扱われている歌川芳幾と芳年の新聞錦絵が著者所蔵となっており、作者に収集癖があるのか、それとも金に飽かせて買い集めたのかはわからないが、これだけの明治初期の新聞錦絵を個人で所蔵し、おそらくはそれをじっくり見ながら本書の主人公よろしく推理を組み立てただろうと思われるその想像力の巧みさに恐れ入った。

 物語は、その新聞錦絵で取り扱われている怪談や幽霊話、残酷な事件などの記事と描かれている絵から想像されることとの違いから、主人公がそれぞれの事件の裏に隠されている真相を明晰な頭脳で暴いていくというもので、それが肉の検査制度の発足や迷信の払拭などといった明治の政策と絡めて展開されている。その着想や発想はとてもおもしろい。罪人を作らないのもいい。

 ただ、主人公の頭脳明晰さを強調するためだろうが、それぞれの事件が主人公によってあっさり謎解かれ、解決されるのに物足りなさがあるような気がするし、以前横浜にいて主人公と知り合い、再び主人公を慕って米国からやってきたジェシカという娘の恋心があまり伝わらない。主人公の朴念仁ぶりが語られているが、恋をする娘の姿はあまり感じられない。彼女の恋心は、アメリカから追ってきたにしては、あまりにあっさりしている気がするのである。

 作者自身が主人公の口を借りて新聞について、「アメリカやイギリスでは、・・・・こんな事件があったというのではなく、なぜこんな事件が生まれたかに主眼を置いている。日本人は目の前のことにしか関心を持たない。せっかち過ぎる。新聞の記事もそうだ。事実はそうに違いないが、それだけ並べて終わりという書き方だ。・・・・」(235ページ)と語っているが、その「なぜ、そんな事件が起こったのか」の掘り下げが、少し物足りない気がするのである。人間の怨恨は深く、またそれを巡る思いを関係も複雑で、金と欲では簡単に片づかないだろうと思うからである。

 たとえば、実際に絵師の芳年は神経症で苦しんだが、本書では、それが前妻の幽霊を見るということで表されたりしている。しかし、実際の神経症はそう単純ではないし、芳年の絵にはどこか狂気のようなものが感じられるので、物語の筋とはあまり関係ないにしても、そのあたりが掘り下げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 とは言え、通常の捕物帳のようなものではなく、ある種の探偵小説というようなものであり、新聞錦絵からの奇抜な発想は、間違いなく読んでいて面白い。あまり物事にこだわらずに自由な発想をする主人公の姿もいい。いずれにしろ前3作を読んでいないので、何とも言えないことではあるが。

 今日は嬉しいメールが一通届いたし、夕方からの予定はあるものの気分的には比較的ゆっくりしている。いくつかの仕事を夕方までに片づけて、夜はまた違う本を読むつもりである。

2010年11月1日月曜日

高橋克彦『おこう紅絵暦』

 土曜日に台風が太平洋沿岸をかすめていったが、台風一過とはいかずに、ぐずついた天気が続いている。今日もようやく西の空に蒼空が見え始めているが、朝は幾重にも重なった灰色の雲が重く垂れ込めていた。急速に秋が深まって、もはや初冬の感さえある。

 昨夕、なんだか少し疲れを覚え眠ってしまい、目覚めたときには、見ようと思っていた世界バレーの中継が終わっていた。それから夕食を作り、ビールを飲みながら高橋克彦『おこう紅絵暦』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。

 1947年生まれの高橋克彦は、歴史・時代小説の他にも推理小説やホラー小説、SF・伝奇小説などでも多作であり、浮世絵などにも造詣の深い作家であるが、作風に何となくなじめないものがあって手を伸ばしかねていたものがあったのだが、読みたいと思っていた本が図書館で見つけることができずに、今回読んで見ることにした次第である。

 『おこう紅絵暦』には前作『だましゑ歌麿』(1999年文藝春秋社)があって、前作では、風紀を厳しく取り締まり、あらゆる事柄に贅沢を禁止した禁令を断行した寛政の改革(1787-1793年)を行った松平定信が老中、火附盗賊改の長が有名な長谷川平蔵であった時代に、南町奉行の同心で30代半ばの仙波一之進という気骨のある同心を主人公にして、人気絵師であった喜多川歌麿の妻が惨殺された事件を調べ、権力による圧力を受けながらも、知恵を働かせて真相を明らかにしていくというものであった。

 『おこう紅絵暦』は、前作の最後で主人公の仙波一之進に惚れていた柳橋の美貌の芸者「おこう」が晴れて妻となっていたが、その「おこう」の活躍を中心とする短編連作である。

 文学手法の一つに、ある日常をスパッと切って、作者による背景や登場人物の説明などあまりせず、あたかもその日常が続いているようにして物語を展開し、徐々に背景や人物像がわかっていくようにしていく手法があり、それが誰によって試みられたのかはわからないが、現代文学の一つの技法として定着している。『おこう紅絵暦』もそうした手法を用いて書かれているのかと最初は思ったが、どうも違うようで、これは前作の『だましゑ歌麿』を読まないと本作の主人公である「おこう」の背景や人間関係などの前後関係がわからない。わかるのは、頭脳明晰で明察力の鋭い「おこう」が南町奉行所筆頭吟味与力(奉行所では奉行に続く最高位の職務で、奉行に代わって最終的な取り調べをし、時には判決も出す)の妻で、元は柳橋の芸者だが、少女時代は「ばくれん」(少女愚連隊のようなもの)でもあったというくらいである。いくら続編のようなものとはいえ、その点では少し手抜きのような気がしないでもない。

 この作品では、「おこう」が、舅で足腰を痛めて隠居している元同心の仙波左門と相談しながら、持ち込まれる事件や関わりのある事件に鋭い洞察力で名推理を働かせて、巧妙に隠されている真相を明らかにしていくという12編の話が収められており、第一話「願い鈴」は、柳橋で芸者や酔客相手に手摘みの花に占いをつけて売りながら自分を捨てた母親を捜していた薄幸の少女である「お鈴」が殺人の疑いをかけられていることを知った「おこう」が、その事件の真相を解いていくというもので、真相解明後に夫の仙波一之進が薄幸の「お鈴」を仙波家の下働きとして引き取るという話である。

 第二話「神懸かり」は、「おこう」の元先輩の芸者が病で死にかけているところに、行くへの知れなかった息子が帰ってきて親孝行をするが、その息子の背後に押込強盗を企む一味がいて、そのことを見破った「おこう」の名推理力で、強盗一味を捕らえることができ、孝行息子も軽罪ですむことになったという話である。第三話「猫清」は、仙波家に出入りする絵師で、時には探索の手助けもする春朗の知人で彫師をしていた男が自死をする。時に、人気の出てきた役者の中村滝太郎の養父が殺され、滝太郎が養父殺しで嫌疑をかけられる。自死した彫師がかわいがっていた猫のことから、「おこう」は、滝太郎の養父殺しが、役者として人気がでてきて当代一の役者であった松本幸四郎の一族の一員となるように養子話が進んでいた滝太郎に強請をかけていた札付きの養父を、滝太郎のために実の父親であった彫師が殺して自死したことをつきとめていくのである。

 第四話「ばくれん」は、「おこう」の昔の「ばくれん(少女愚連隊のようなもの)」仲間で煙草問屋のおかみさんになっている女に義理の母殺しの嫌疑がかけられていることを知った「おこう」が、その事件の背後に、昔の「ばくれん」どうしの喧嘩を装いながら、悪徳子堕ろしの医者が強請の種にしていた「子堕ろしの証文」を盗み出して、強請の手から仲間を守ろうとしていたことがあることをつきとめるという話である。

 第五話「迷い道」は、老いて気力をなくしかけた舅の左門を気遣って昔の仲間がいる八王子まで遊びに出した時、槍の名手とまで言われた左門の友人が、同心株を返上して物乞いをしている姿を見るところから始まる。左門の友人は、仇討ちの立ち会いをしてくれと左門に頼む。友人はあえて討たれて死ぬ。だが、そこには、武士として最後まで矜持を持ち続けた姿があった。左門はその姿を見て、自分が老いてもなお生きることを考え直していくのである。

 第六話「人喰い」は、仙波家の元の女中の住む長屋で「人喰い」と呼ばれるような陰惨な事件が起こり、元の女中の心労を案じた「おこう」が春朗と共に訪ね、血しぶきの中で焼け焦げた首と片腕だけが残った事件の背後に、盗賊による身代わり殺人があることを突きとめていく話である。

 第七話「退屈連」では、寛政の改革によって風紀を厳しく取り締まられた金持ち連中が「退屈連」と称して狂歌の酒席を設け、そこに絵師として招かれた春朗が、ある大きな料理屋が霊力のある怪しげな山伏を招いて家に社を建立するという話を聞き込んで来る。それが芝居による強盗ではないかと推測して奉行所が捕り方を出そうとする。しかし、「おこう」は、それが「退屈連」の者たちが、町方が出てくるかどうかの賭をした二重の芝居であることを見抜き、さらにその奥に、町方を一緒の集めて手薄になったところを強盗に入るさらに強盗たちによる計画であることを見抜き、無事に強盗を未然に防ぐというものである。

 第八話「熊娘」は、「熊娘」として見せ物小屋で見せ物にされていた「おこう」の幼なじみて、故郷の名主の横暴を訴えようとしていた両親を殺され逃げていた少女を助け出していく話で、助け出された娘の「お由利」は、「おこう」の妹分として仙波家に引き取られることになる。この「お由利」は磨けば美貌で、背丈の高い娘であり、やがて、第五話で生きる意欲をなくしていた舅の左門から槍の手ほどきを受けるようになり、左門の生き甲斐の一つともなっていく。

 第九話「片腕」は、両国橋の橋下に投げ捨てられていた顔が潰され片腕のない死体が発見され、見せ物小屋にいた「お由利」の証言から、それが、奉行所が追っていた二人組の強盗のひとりではないかと考えられ始めていた。しかし、そこに仲間同士の諍いによる巧妙なすり替え殺人があることを「おこう」が見抜いていくのである。この話で、左門から武術を習い始めた「お由利」が見事に強盗たちをうち伏せる場面が付け加えられている。

 第十話「耳打ち」は、人気の出てきた役者の中村滝太郎が、芝居の立役(主役)を演じることになり、忠臣蔵の七段目が演じることになったが、その芝居の一風変わった演出をした作者が殺される事件を扱ったものである。その演出は評判を呼んだが、途中で変えられてしまった。そして、その作者は贔屓があって、見習い作者から、二枚目作者(芝居小屋では、いわば副作者に相当する)になり、さらに上方で立作者(作者の第一人者、映画で言えば監督)になるという。ところが、その作者が上方に向かう途中で殺される。

 芝居の筋が途中で代わったことから「おこう」は、そこに脅迫事件と脅迫された者による殺人を見抜いていくのである.作者が芝居で脅した相手は、顔立ちのいいことや役者との繋がりがあることを餌に若い娘などを引っかけ、盲目で十三歳の娘を引っかけ、殺していたが、それを作者に推測されて芝居の中で殺人の手口を暗示し、脅されていたのである。

 第十一話「一人心中」は、第一話で出てきた「お鈴」の母親が見つかるが、強盗の一味から足抜けしようとして殺されてしまうのである。「お鈴」の母親が残した手紙から、強盗の存在をかぎ取った「おこう」の推理によって、強盗たちが企んでいた押し込み強盗が防がれていく。「おこう」は「お鈴」に「あの人は親ではなかった」と言う。

 第十二話「古傷」は、「おこう」の「ばくれん」時代の最初の男であった秋太郎という男が、巧妙に仕組んだ押し込み強盗の言い逃れを、昔の古傷を思いながら「おこう」が明らかにしていくものである。舅の左門はそのおこうを見て、一之進に「お前には過ぎた女房」という。

 これらの話は、人が気づかないようなほんの些細な手がかりから明晰な「おこう」が謎を解いていく話で、推理小説としては、たとえば、アガサ・クリスティーのミス・マーブルやチェスタトンのブラウン神父のようなものを思わせる。しかし、人間や現象というものへの洞察力ということからすれば、どうだろうか。

 文章も読みやすいし、展開にも無理はない。しかし、物語全体を貫く思想が、どこか平易なヒューマニズムで終わっているような感がないわけではない。薄幸の少女や「熊娘」として見せ物小屋で働かされていた少女が簡単に仙波家で引き取られて安泰な生活を行うことができるようになったり、舅の左門ができすぎた男で「おこう」をいつも「過ぎた嫁」として認めていたり、夫の仙波一之進が大きく「おこう」を包みこむような愛情を見せたり、思いやりを見せたり、それはそれで幸いなことだろうが、人間とその人間が生きる姿へのもう一つ深い掘り下げが物足りないように感じるのである。安価なヒューマニズムというものは、現実には結構やっかいなものである。安直なヒューマニズムというものはどこか安っぽいが、この作品には、そうした薄さのようなものを感じてしまった。

 今日は夕方に用事があるので、日のあるうちに少し外に出ようと思っていたが、あれこれと仕事をしているうちに差し始めた陽が陰ってきた。ちょっと中断して、急いで外出しよう。明日はまた一日、ふう、という感じになるだろうから。