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2014年5月23日金曜日

吉川英治『貝殻一平』

汗ばむほどの初夏の日差しが射している。「涼暮れの季」で寒暖の差があり、夕暮れ時が一番気持ちのいい季節になっている。今夜からまた東京で、土曜日の最終便で帰ってくることになっている。4月以来、時間が細切れになって、まとまったことができないではいるが、これもまたわたしに「与えられた時」だろうと思っている。

さて、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)に続いて、同年に出された講談社版の全集6に収められている『貝殻一平』(吉川英治全集6 1983年 講談社)を、これも面白く読んだ。通常、吉川英治の作品史において、初期の『剣難女難』や『鳴門秘帖』といった冒険活劇譚から作風を転化させたものとして本作があげられたりするが、わたしには、本作もエンターテイメント性の強い活劇譚のように思われた。本作も、江戸から中山道を通って京都へ、そして京都から紀伊、紀伊から大阪・京都という道行の中で登場人物たちの喜怒哀楽と愛憎が展開されているし、江戸城中の機密文書の争奪が最初のころの鍵となっている。

しかし、本書で歴史的事件が取り上げられ、それが大きな背景となっているし、特に幕末史の中でも暴挙のように記されている「天誅組」の事件が物語の山となっている点が、これまでとは異なっていると言えるかもしれない。

ともあれ、物語は、文久2年(1862年)5月25日、江戸城大奥に使える「扇子の方」が赤坂山王神社への代参の折に、城中の機密文書を盗んで疾走するという場面から始まっていく。

この日に年代が設定されているのは、このころ尊王攘夷の機運が高まり、幕藩体制が大きく揺らいで、江戸幕府と京都の朝廷間の関係が緊迫性を増し、薩摩藩の実権を握っていた島津久光が公武合体策を進めるために藩兵を率いて京都へ上洛するという出来事が起こっている。外様大名が藩兵を出兵させるというのはこれまでになかったことであった。

そうした歴史的状態を背景にして、「扇子の方」は、やがては明治天皇の外祖父(娘の中山慶子が明治天皇の母)となる中山忠能(ただやす)の娘で、江戸城中の状況を探るために大奥に送り込まれていたという設定になっている。天誅組を指導した中山忠光は「扇子の兄」となっている。

その「扇子の方」の逃亡の途中で、それを陰ながら護っていく人物として、沢井転(うたた)という青年剣士が登場してくる。この沢井転がこの物語の主人公の一人なのである。そして、「扇子の方」と機密文書の行方を追いかける大目付の与力たち、その中でも執念を持って追いかける青木鉄生や目明しの「すっぽんの定」などが追いつ追われつの逃走劇を中山道の下諏訪や飯田を経て京都へと展開されていく。

また、その道中で貝殻座という旅芸人一座が登場し、その女座主のお千代とその用心棒の青江左次馬が登場して、「扇子の方」の逃亡劇に微妙に絡んできたりする。そして、物語の後半部分で、この貝殻座に「一平」という人物が絡んでくるのである。

そしてさらに、実は、この「一平」と沢井転は、共に名奉行として名高かった矢部駿河守定兼(さだのり)の双子の忘れ形見であったことが明かされていく。矢部定兼は、勘定奉行、江戸町奉行を歴任した俊才であり、また情と正義感に厚い人であったが、老中の水野忠邦と目付の鳥居耀蔵らの策略で失脚させられ、桑名藩預かりとなり、自ら食を絶って憤死した(天保13年 1842年)人で、矢部家はその後、鶴松という養子を立てて再興されたが、本書では、6歳の時に行方不明となった定兼の実子「菊太郎」を探す矢部家の老臣たちも登場する。この老臣たちは、いわば「滅び行く忠義の見本」のような人物として描かれている。

一平と沢井転は、共に矢部定兼の子であったが、双子を嫌う風習で、一平は生まれて間もなく房州の海に流され、かろうじて拾われて育ち、やがて大阪の武家の仲間(下僕)として働くようになっていた。そして、その主人の一人娘の「お加代」と恋仲となり、駆け落ちするのである。この武家が新撰組に加わる山崎蒸の縁戚であったことから、山崎蒸に追われることになり、興行していた貝殻座に逃げ込んで、そこで道化役者に化けて逃げ延びる。彼は根っから陽気で、あまり物事も考えない代わりに邪気もなく、小心で臆病さをもち、女性の母性愛を掻き立てるような人物で、貝殻座の女座主の「お千代」の世話を受けていくようになる。一平は、まさに「庶民」の典型として描かれるのである。だが、物語そのものが彼を中心にして展開されないため、彼についてはどこか焦点がぼやけた感じがしないでもない。

物語は、歴史的事件である「天誅組」の方へと流れている。他方、京に逃げのびた「扇子の方」は、一時は捕縛されて二条城に連れて行かれるが、沢井転によって救出される。だがそれによってますます「扇子の方」と沢井転はお尋ね者としてさらに厳しい詮索の対象になっていく。時、あたかも会津藩主松平容保が京都守護職となり、新撰組が結成され、攘夷を叫んだ熱情的な浪士たちが中山忠光を主として天誅組を結成し、やがては紀伊で幕府軍との戦闘を開始するようになるのである。その戦に「扇子の方」も沢井転も、そして貝殻座のお千代も一平も巻き込まれていくことになる。

そして、天誅組は敗れ、中山忠光は沢井転の働きによって大阪に逃げ延びることができた。ちなみに中山忠光は、その後、長州藩によって保護されるが、第一次長州征伐後に長州藩内で再び保守派が台頭した時に、長州豊浦郡で刺客によって暗殺されている(元治元年 1864年)。

この物語は、社会の上層階級と下層階級を対比させ、幕末という動乱期に起こった出来事を通して、政治がもたらす非情さやつまらなさ、だが庶民を翻弄してしまう社会状況を人物像を通して展開しようとしたものだと言えるかもしれないが、そうした思想的な実験は、まだあまり成功しておらず、むしろ、活劇譚としての物語の展開と面白さが前面に出ている作品だと言えるだろう。

それにしても、吉川英治の構成力や物語の展開のスピード、そして様々な登場人物たちの個性を描く力量、歴史的検証の確かさなど、改めて敬服する。それらを踏まえて、なお、面白さが加わった作品であった。

2014年5月17日土曜日

吉川英治『万花地獄』

 このところ天気と気温が目まぐるしく変わり日々が続き、今日は曇天の少し肌寒い朝を迎えた。熊本での生活にまだ少し身体が慣れないところがあって、日常の業務に追われる日々になっているが、少しずつ気候にも環境にも親しんでいくだろうと楽観的に思っている。ただ、こちらでの市立図書館の蔵書の種類が全く異なって、なるほど、地方によって蔵書の種類が異なるのかと、改めて思った。司書の人たちの好みの違いかもしれない。

 そんなことを思いながら、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)を図書館から借りてきて、古典的な冒険活劇潭として面白く読んだ。この作品は、1927年(昭和2年)1月から1929年(昭和4年)4月まで雑誌『キング』に連載されたもので、90年近くも前に執筆されたものであるが、活劇時代小説として、今なお色褪せないストーリーの展開とテンポをもっていると思う。もちろん、登場人物は、善は善、悪は悪という類型的なものだし、思想的には勧善懲悪という大衆時代小説の典型的なものではあるが、活劇潭としては、埋蔵されている甲府金(武田信玄が密かに埋蔵していたとされる莫大な金の延べ棒)の在処を巡る闘いが甲州御代崎一万石の乗っ取りを企む者との闘いとして展開され、舞台が甲州御代崎と江戸という二つの舞台での交互の展開となって、波瀾万丈の面白さがある。

 物語は、悪と欲の権化であるような御代崎藩(作者の創作であろう)の家老司馬大学によって、藩主の駒木大内記(だいないき)が不治の病者とされて藩政が私物化されている状態から始まる。司馬大学は、藩主の駒木大内記に毒を飲ませて失明させ、ものを言うこともできない廃人同様の状態にされてしまっていたのである。さらに彼は、大内記の娘の光江と、陣屋内に埋蔵されていると言われる莫大な甲府金を我がものにしようと企んでいた。埋蔵金は、「万花多宝塔」にある。それがわかったが、さらに「多宝塔」の中の秘庫を開くのに鍵が必要で、その鍵の在処を知っているのが光江であった。大学は色と欲の権化なのである。

 他方、それを阻もうと、元駒木家の家臣で剣の遣い手である小枝角太郎(さえだ かくたろう)と、かつて光江に仕えていた奥女中の「お妻」が生命を賭して司馬大学との闘いを展開していくのである。小枝角太郎と「お妻」は恋仲であった。それに「お妻」の兄で、将軍家御用達将棋の駒作りのための木材を探す飛車兵衛が助成し、さらに廃人同様になって幽閉されている駒木大内記の病を癒すために医者の幸安と弟子の少年荘八が加わる。作者は少年の描き方が巧みで、荘八は明朗闊達な少年で、吹き矢をよく遣い、すばしっこいところがあって、小枝角太郎やお妻の危機を何度も救ったりもする。

 また、角太郎が使う愛刀の国重を研ぎに出したことから、御代崎の名人研師の研八とその娘の「お吟」が事件に関わり、司馬大学の悪政に業を煮やしていた研八と「お吟」の運命を変えていく。研八は司馬大学に殺され、「お吟」も捕われ人になったりする。さらに、「お吟」も角太郎に惚れ、「お妻」のと微妙な関係を生じたりもする。角太郎にしろ、光江にしろ、あるいは「お妻」や「お吟」にしろ、すべて美男美女である。

 司馬大学の方にも凄腕の浪人の久米段之進とその毒婦の「お兼」などがついたり、縁戚として老中の水野山城守が登場して政治的な駆け引きが行われたりして、欲でつながった人間関係が出来上がっていく。

 それらに加えて、美少年とも思われる美貌の持ち主で柔術の達人で、山窩(山の民)の一党と共に強盗団を率いる花又三日之助という不思議な人物が登場し、あるときは司馬大学に、又ある時は小枝角太郎に加担したりする。彼もまた、埋蔵されている甲府金を狙っているように見えるが、実はそこには深い事情があり、本書の中では重要な役割を果たしていく人物となっている。

 物語は司馬大学の奸計によって主人公たちが陥る危機の連続で、危機一髪のところで思わぬ助けが入ることで展開されていき、最後の「万花多宝塔」の内部での死闘で決着がつく。現代の優れた時代小説のように人間が掘り下げられて描かれることは少ないが、ストーリーの展開の妙があり、エンターテイメント性は抜群である。ここでは詳細は記さないが、あらゆるところで善が忍従を強いられ、悪が勝利を収めそうであるがそうはならないという山場がいくつも作られている。よくもこれだけのことを思いつき、味のある小道具でリアリティを出したと着想の素晴らしさに感嘆する。

 この頃、吉川英治は作家として多いに売れた時代で、物語り手として脂がのった時代であった。だが、家庭的には妻の「やす」との間にひびが入りはじめ、「やす」のヒステリー症状が昂じていった頃であった。それだけにまた、作品の執筆にのめり込む度合いも高かったのかもしれない。筆運びが自由奔放で、思う存分に書いたという印象が随所に見られ、それだけでも愉しめる作品である。

2013年1月9日水曜日

吉川英治『一領具足組』


冬晴れの寒い日が続く。家事をする時に孤独を感じて、「辛抱」という言葉が、ふと頭を過るが、雨風を凌ぐ場所と少しの食べ物、そして着るものがあるのだから、まあ、これほどの贅沢もあるまいと思ったりする。

そして、人の精神の営為というものは、やはり、贅沢な文化かもしれないと思いつつ、吉川英治『一領具足組』(1969年 吉川英治全集8 講談社)を読み終えた。表題で使われている「一領具足」というのは、戦国時代、土佐を中心に四国に勢力を持っていた長宗我部氏が用いた半農半兵の兵士による軍事組織で、平時には農民として田畑を耕して生活しているが、領主の召集に応えて直ちにひとそろい(一領)の具足(武器)をもって馳せ参じるというもので、1708年に長宗我部氏の歴史を描いた吉田孝世の『土佐物語』には、「生死知らずの野武士」と書かれている。

「一領具足」を考えたのは、長宗我部国親(15041560年)と言われているが、これを積極的に用いたのは国親の子の長宗我部元親(15391599年)で、彼はそれによって四国を統一するなどの目覚しい働きをした。しかし、豊臣秀吉の四国征伐で土佐一国まで所領を減らされ、さらに家督を相続していた四男の長宗我部盛親が関ヶ原の合戦で西軍についたために、合戦後、家康は所領を没収し、長宗我部家は改易された。

家康から土佐を与えられたのは山内一豊であったが、長宗我部家の遺臣たちはこれを拒否し、一領具足であった竹内惣右衛門を中心にした者たちが、長宗我部元親が居城としていた浦戸城の引渡しを拒絶し、長宗我部盛親に所領の一部を与えるように要求して篭城し、抵抗した。しかし、内部の裏切りにあって、ついに降伏に追い込まれ、約273人が斬首されたと言われる。山内家に対して一領具足はその後も度々反乱を起こした。山内家は、後にこれを「土佐郷士」として厳密に藩士と区別し、その上下の差に厳しいものを設けたのである。

本書は、関ヶ原合戦後に所領の没収となった長宗我部盛親の姿を描いたもので、なんとか彼を盛り立てて再興を図る一領具足組の家臣団や裏切り者とされていた家老、その娘と息子などを中心にしながら、盛親がやがて大阪冬の陣で大阪城に一領具足組を率いて入っていくまでの姿を描いたものである。特に、国を追われ京都で逼塞していた盛親の深謀遠慮を家老の娘の恋などとともに描き、うつけ者や呆け者として江戸幕府や世間の目を欺きながらも、事あることへと向かっていく姿が描かれている。

物語は、関ヶ原の合戦後、土佐領土没収と居城であった浦戸城の引渡しのために家康から派遣された藤堂家の井出志摩守(歴史上で井出志摩守を名乗ったのは、後に駿河の代官となった井出正次だが、彼を藤堂家の家臣とするのは疑わしく、作者の創作であろう)が浦戸城に向かい、引渡しを要求する場面から始まる。

浦戸城内の評議は二分し、潔く城地を引渡し、領地の半分でも長宗我部家に与えられるように家康に懇願しようとする穏健派と、そんなことを家康が許すはずもなく、命脈尽きるまで城を守って戦おうとする少壮派に分かれていたのである。その穏健派を代表するのが重臣の桑名与次兵衛であり、少壮派は「一領具足組」を結成してこれに対抗しようとした。

「一領具足組」は、城の引取りに来た井出志摩守に夜襲をかけようと画策するが、それを察した桑名与次兵衛は、自分の娘の「科江(しなえ)」を送って襲撃計画を知らせ、それを未然に防ごうとする。しかし、与次兵衛の息子は「一領具足組」に入り、父とは反対の方向へ進んでいくのである。「科江」は、藩主盛親の愛人であり、盛親はそうした城下のことなど気に求めずに「科江」のもとに通っていた。

「一領具足組」の襲撃は、計画が事前にもらた事があって失敗する。多くは捕らえられ、他の者たちは国外に逃げ去る。だが、彼らは藩主盛親の身を徳川側から守り、檳榔島(びんろうじま 日向灘に位置する枇榔島というのがあるが、この島は無人島で、「檳榔島」は作者の創作だろう)に匿う。

ところが、盛親にはまったく気概というものが伺えずに、その島の船元の娘である「玉虫」と恋仲となり、酒と遊びに興じた生活を繰り返すだけであった。そして、ついに藤堂家の家臣に捕縛され、京都所司代板倉勝重(伊賀守 15451624年)の監視下に置かれることになる。

盛親は、武将としては浅ましい限りに一命が助かったことを喜び、剃髪して、名前を祐夢と改め、彼を追ってきた「科江」の世話になりながら扇絵を描いたりしながら町家で暮らすのである。「科江」とは夫婦として生活し、武士の気概は一切失ったような暮らしぶりをして、町人からは腰抜け者、痴呆者と嘲笑われていた。桑名与次兵衛は、浦戸城明け渡しの際の振る舞いの見事さで、井出志摩守の推挙もあり、藤堂家が彼を雇い、藤堂家で重きをなすようになっていた。京都に逃げ延びていた「一領具足組」の残党たちは、奸臣として彼を襲撃する計画をする。

しかし、彼が危険人物であることを知っていた板倉重勝は、彼に監視の目をつけて動静をうかがっていた。そこに檳榔島から「玉虫」が盛親を訪ねてくる。「科江」と「玉虫」の二人の女性に挟まれて痴話喧嘩となり、盛親はオロオロするだけで、「色事師」とまで蔑まれるようになる。盛親は世話になった「科江」を平然と捨て、「玉虫」と暮らすようになる。板倉重勝もそういう盛親を見て、ついに呆れ返っていく。

だが、慶長19年の9月、方広寺大仏社殿鐘銘で豊臣家に難癖をつけた徳川家は、ついに豊臣家との戦端を発し、家康が軍を西に向けたとき、盛親はそれまでの痴呆者の姿を一変させ、「一領具足組」を率いて大阪城へ入っていくのである。これまでの痴呆ぶりは、全てこの日のための敵を欺く謀であったのである。

かくして大阪冬の陣の戦火は切られた。長宗我部盛親の武者ぶりは目を見張るものがあった。そして、難攻不落の大阪城に手を焼いた家康は大阪方に和睦を申し入れ、それが成立する。だが、巧妙な徳川側の計略で大阪城の堀は埋められ、再び大阪夏の陣が始まる。真田幸村らの名だたる優れた武将たちは敗北を覚悟の上で戦い、長宗我部盛親もその覚悟で戦陣に立つ。玉串川の混戦の中で、藤堂家の家臣となった桑名与次兵衛は、崩れる藤堂軍の中でただひとり立ち止まり、長宗我部盛親の軍と対峙して、討ち取られるのである。もとよりそれは与次兵衛が覚悟して望んだことであった。与次兵衛は、娘の「科江」と共に長宗我部家の再興を願って今日あるを画策していたのであった。

大阪城は落城した。長宗我部盛親は捕らえられ、京都の六条河原で斬首となるが、死に臨んでの盛親の態度は実に堂々としていた。江戸方はその盛親の凄まじいまでの姿に怯えたと言われる。そして、与次兵衛の息子は自分の不覚を恥じて自害するが、「科江」と「玉虫」は、盛親ら一党の姿に感服した井伊直孝(掃部守)の手によって引き取られ尼僧院で暮らしたとされる。

本書の末尾に、井伊家の老職であった砂田五左衛門による『武門夜話』の挿話にそれがあると記されて、この物語が終わる。

史実的に見れば、関ヶ原の合戦後(この時は両雄相睨みの形で、長宗我部軍は動かずに実際の戦闘には加わっていない。もともと盛親は、彼の家督相続の問題などから豊臣秀吉には認められていなかったので、家康の東軍に組みしようとしていたのだが、近江の水口で西軍に属する長束正家に進路を阻まれて、やむなく西軍に組みした。しかし、このあたりに盛親の弱さがあったと思われる)、土佐に逃げ帰った長宗我部盛親は、懇意であった井伊直孝を通じて家康に詫びを入れようとしたが、家臣の嘘で兄を殺してしまい、家康の怒りを買って改易されたのである。従って、本書の桑名与次兵衛の態度は盛親の意を受けた態度でもある。

牢人となった盛親は京都で家臣の仕送りや寺子屋の師匠をして身を立てていたと言われるが(本書ではこのあたりが作者の創造力の産物になっている)、京都所司代(当時は京都町奉行)の板倉重勝の厳しい監視下に置かれていた。

やがて彼は豊臣秀頼の召しに応え、京都を脱出して大阪城に入るが、結集した牢人衆の中では最大の手勢を持ち、「五人衆」と言われる主力部隊となったのである。大阪夏の陣では長宗我部盛親軍は八尾で藤堂軍と戦い奮戦するが、藤堂軍の援軍に井伊直孝の軍が駆けつけたことで、やむなく大阪城へ撤退する。そして、大阪城落城の際には「運さえよければ天下は大阪」と言い放って再起を図るために城を抜けるのである。だが、逃亡中に発見され、捕縛されて、斬首される。その際、彼の子女も6名が共に斬首されている。

史実はそうであっても、再起を図って痴呆者と呼ばれるほどの痴態を見せた姿として作者は盛親を描き、人の心にある思いが、決して表面的なあれこれで推し量ることができないことを語る。真実に人を見抜くというのは、その隠された真実の思いを知ることである。人は為したことより考えていることでその値が決まる。

そして、作者もまた、この作品を史実ものとしてではなく娯楽作品として提供する。そのあたりに吉川英治の真骨頂があるような気がする。

2013年1月7日月曜日

吉川英治『春秋編笠ぶし』


 薄ら寒い冬空が広がっている。昨日からNHKの大河ドラマで、幕末から明治にかけての、激動し、激変した社会の中で、敗者となりながらも矜持を高く持って生き抜いた新島八重の生涯を描いた『八重の桜』が始まり、脚本や構成に若干の難点を感じながらも、子役や主演女優の綾瀬はるかさんの滲み出る人柄や演技のうまさに感じ入って見ていた。

 キャスティングが真に最適で、会津魂と個性を強く持ち続けた新島八重を演じることができるのは、彼女が最も適しているとわたしは思う。夫となる新島襄は、八重を尊敬し、「八重は生き方がハンサムなのです。そしてわたしにはそれで十分です」という言葉を残しているが、女優の綾瀬はるかさんは、まさに「ハンサム」である。これからの展開を楽しみにしている。江戸中期は別にして、「幕末の会津」と聞いただけで、わたしは感動する。特に会津の子どもたちには敬意を表したい。

 閑話休題。吉川英治『春秋編笠ぶし』(1969年 吉川英治全集8 講談社)を読み終えたので記しておく。この作品もまた、武士の一分を縦糸にし、悲恋物語を横糸にして編まれた物語である。

 主人公の松山新助は九州宇土に移封されたキリシタン大名の小西行長の下級家臣であった。彼は美貌、美声の持ち主であったが、蒲柳の質で、戦国の世にあっては軟弱者とみられてなかなか初陣にも出られないような有様だった。彼は老いた母と二人で貧しく暮らしていたが、母親は彼が密かに武芸を磨いていることを知っていたので、なんとか初陣に出ることができて、人から認められるようにと奔走し、他の人からははるかに遅れてではあるが、秀吉の朝鮮出兵の軍に加えられることになる。

 秀吉は肥後熊本の加藤清正と宇土の小西行長に出兵の準備をさせていたが、熊本と宇土の間を流れる緑川流域では、その準備の早さを競って、小競り合いが起こっていた。そして、ついに双方が刀を抜いて斬り合うという事態にまでなり、宇土側の劣勢を知った松山新助がそこに駆けつけるのである。病弱で弱々しいと見られていた松山新助だが、手槍を振るい、人々を驚愕させ、ついには加藤家熊本十人衆と呼ばれる猛者のひとりである荻生安太郎さえ討ち取ってしまうのである。この時、新助の恋敵である柘植半之丞も新助に助けられる。

 松山新助には、想いを寄せる「お夏」という浜郷士の娘がいた。彼女の父親は、小西家の納屋や造船、浜の見張り、船大工の棟梁を束ねる勢力者であり、柘植半之丞も「お夏」を狙って婚儀を申し入れていたのである。

 緑川河川敷の争いで人々を瞠目させた松山新助は朝鮮出兵の小西家一番組に編入され、彼がいよいよ朝鮮に向けて出陣するとき、新助の想いを見るに見かねた母親が「お夏」の家に行き、結婚を申し入れる。そして、柘植半之丞と松山新助のどちらか、朝鮮で手柄を立てた方と結婚するという話になるのである。

「お夏」も松山新助に想いを寄せて、新助が必ず手柄を立てると思っていた。そして、新助が出兵している間、新助の妻になるものと決めて、老いた母の世話などを甲斐々々しくしていた。

朝鮮で、新助は目覚しい働きをし、初めは勝利を収めていた小西軍も、やがて激戦を重ねるようになり、ついには平壌を退くことになる。その時、見張りに立っていた松山新助の側に来た柘植半之丞は、新助の背中を押して城壁から敵の中に落とすのである。半之丞は、新助を亡き者にして「お夏」と結婚し、その父親の財力を得ようとしたのである。

他方、緑川の河川敷の争いで松山新助に斬られた加藤家の荻生安太郎の実弟である荻生式之助が親類とともに兄の仇を討つために松山家を見張っていた。彼らは新助の縁者も殺して仇を討とうとしたが、老いた新助の母や彼女を介護する「お夏」の姿を見て思いとどまっていたのである。

そういう中で、朝鮮の小西軍の敗退が伝えられ、新助も討ち死にしたとの報が伝えられる。そして、老いた母は、もはやこれまでと自害してしまうのである。「お夏」も後を追おうとするが、見張っていた荻生式之助に止められる。

やがて、突然、堺から新助の手紙を持った男が「お夏」を訪ねてきて、堺に来るように誘う。「お夏」は新助が生きていたと思って、堺に向かう。新助を仇と狙う荻生式之助らもその後を追う。しかし、それは新助ではなく、柘植半之丞が出した偽手紙で、「お夏」は半之丞のものとなってしまうのである。半之丞は「お夏」と結婚し、「お夏」の実家の財力で成功者になっていく。

そのころ、戦のために活気づいた名古屋で、編笠をかぶり、即興唄で糊口を凌ぐ痩身の武士が現れていた。この武士が朝鮮の平壌で城壁から落とされて死んだはずの松山新助であった。新助は失明していた。新助は裁縫を職とする「お通」という女性の世話を受けながら、美声を生かした即興唄を角々で歌うことで生活しながら、柘植半之丞の行くへを探していたのであった。その新助に荻生式之助らが出会い、新助は、自分にも晴らさなければならない恨みがあるから、仇討ちはしばらく待ってくるように頼む。新助の頼みを聞かなかった式之助の従兄弟は新助に斬られてしまうが、事情を聞いた式之助は待つことにする。荻生式之助はその後もずっと松山新助と「お通」の姿を見張り続ける。

こうして年月が経ったとき、ついに柘植半之丞の行くへが知れ、「お夏」と贅を尽くした生活をしているということを聞く。松山新助はそこに向かう。盲目の彼を引いて「お通」もその近くまで行き、そこで見送る。そして、ついに松山新助は柘植半之丞をしとめ、彼に向かってきた「お夏」も新助の刀で斬られてしまう。「お夏」は半之丞の妻になったが、心はまだ新助を想っていた。だがその想いも知られることなく死んでしまうのである。

そして、松山新助の復讐は終わり、彼は荻生式之助に斬られようとする。だが、新助の人柄に触れて、尊敬さえ始めていた荻生式之助は新助を斬らないばかりか、彼の音曲の弟子にしてくれと行って、戦いで傷ついた彼を背中に負っていくのである。「お通」がどうなったのかは触れられないが、松山新助はかなり長生きをし、彼の弟子となった荻生式之助が、やがて、江戸唄の根源になった「隆立ぶし」の創始者荻生隆達となったことが、末尾に記される。

 この物語も、大筋は特別なことはないのだが、時代に翻弄されながらも生き、自らの武士の一分を立たせるために過ごし、失った愛や与えられる愛を描きつつ、人間の微妙さを巧みに描き出した作品である。これも、物語の展開には絶妙なものがあって、「飽きさせない」という趣向が凝らされている作品である。こういう娯楽作品の物語性という点で優れているのが吉川英治の作品だろうと改めて思った。

今日は、なんだか少し疲れを覚えて、あまり意欲もわかないでいるのだが、「ブルー・マンディー」かもしれないと、自分で言い訳しておこう。

2013年1月4日金曜日

吉川英治『隠密七生記』


 比較的穏やかだったお正月の日々が過ぎ去って、そろそろ「ネジまき鳥」に動き出してもらわないと、と思いつつ、「まだ幕の内」と暢気に構えている。こういう変わらない日常がたぶん続いていくのだろう。晴れてはいるが気温が低い。週末から日曜日にかけて雪の予報もある。

 吉川英治『隠密七生記』(1969年 吉川英治全集8 講談社)を気楽に読んだ。これも、東映、華やかなりし頃に何度か映画化されているが、ロマンの香りが漂う娯楽時代小説の典型である。

 物語の背景は、徳川6代将軍の家宣が死去する際に、新井白石などを呼び寄せて、「次期将軍は尾張の徳川吉通にせよ。家継の処遇は吉通に任せよ」とか、「家継を次期将軍にして、吉通を家継の世子として政務を代行させよ」とか、「家継が育たなかった場合には、吉通の子の五郎太か吉宗の嫡男の長福丸を養子として、吉通か吉宗を後見にせよ」とか、諸説のある遺言を残した。結局、新井白石の提言によって、家宣の四男である家継(家宣の子たちは早世して家宣だけが残っていた)が第7代将軍となるが、この時、家継はまだ4歳であり、その家継も8歳で病死し、その後を紀州の徳川吉宗が継ぐ。

 この時に将軍位を巡る争いが尾張と紀州の間で起こるのだが、家宣の遺言にもあった尾張の4代藩主徳川吉通も25歳の若さで死去し、後を継いだ子の五郎太も数え年の3歳で死去し、尾張藩6代藩主となったのは、吉通の弟の継友であった。7代将軍家継が危篤状態に陥ったとき、次期将軍候補として、尾張の徳川継友と紀州の徳川吉宗の二人が絞られて将軍位を巡る駆け引きが行われたが、結局、家宣の正室であった天英院(近衛 熈子)の一声で吉宗が将軍となったのである。そして、尾張の徳川継友が後継のないままに39歳で死去したために、尾張藩代7代藩主はその弟の徳川宗春が継いだのである。

 徳川宗春は将軍吉宗に気に入られた一人であったが、江戸幕府と尾張との確執は深く、幕府の倹約政策とは逆に規制を緩和し自由経済政策を取った。宗春の華美な生活を吉宗が叱責するということもあったりして、朝廷との対立も深めていた江戸幕府の重臣たちは、朝廷を支持してきた尾張藩と宗春の失脚を画策するなど、吉宗個人ではなく江戸幕府との対立を深めていったのである。

 こうした歴史を背景として、物語は、6代将軍家宣の「次期将軍は尾張にせよ」との遺言状を宗春が所有し、それを名古屋城の金の鯱の目玉に秘匿して、江戸幕府からの圧力に備えていたところを幕府から送り込まれる隠密が探し出して奪い取るという設定で始まる。

 相楽三平は江戸幕府から尾張に送り込まれていた隠密だが、尾張藩士として潜り込んで苦節の日々を過ごし、ようやくにして、目的の遺言状が名古屋城の金の鯱の目玉に秘匿してあることを突き止める。彼は、城下の野焼きの延焼を見張るために、友人の椿源太郎とともに天守閣からの見張りの役につくのである。椿源太郎は、尾張藩の下級藩士として妹の信乃との二人暮らしをしているが、妹の信乃は相楽三平に想いを寄せ、天守閣での見張りにつきながら相楽三平に妹を嫁としてもらってくれと話したりする。

 そして、三平も信乃を嫁にすることを約束するが、彼の目的は隠密として金の鯱の目玉に隠されている遺言状の取得にあった。そして、まんまとそれを成功させて、一路江戸に向けて出奔するのである。

 事態を知った尾張藩は同役であった椿源太郎を捕らえ、その事態に陥ったことを知った信乃は自害してしまうのである。悲憤に駆られた源太郎は、自害した信乃の首を抱いて、捕縛を逃れ、遺言状を取り返してくると約して、事態を引き起こした相楽三平の後を追う。

 だが、相楽三平も一流の隠密であり、椿源太郎と腕の差は歴然としており、源太郎は三平に斬られてしまう。しかし、止めを刺されようとしたとき、その場に行き合わせた百草売りの女性「お駒」に助けられるのである。「お駒」は、この時、源太郎に一目惚れしてしまうのである。

 また、尾張藩の大番組頭の娘「墨江」も、以前に火事の折に源太郎に助けられたことがあり、源太郎に想いを寄せて、見事に遺言状を取り返してくるようにとの父親の言葉を伝えにその場に駆けつけてきた。

 こうして、一命を取り留めた源太郎は、相良三平を追って江戸へと向かうことになるが、源太郎を巡る「お駒」と「墨江」の女の争いも物語に色を添える形で描かれていく。「お駒」には彼女に惚れている道中師(盗人)の辰蔵という男が旅仲間としており、辰蔵は惚れた弱みで「お駒」の頼みはなんでも引き受けていた。「お駒」は、椿源太郎の傷が癒えるまで相良三平の足止めをするように辰蔵に頼み、そこから辰蔵と相楽三平の駆け引きが展開されていく。

 傷が癒えた椿源太郎は、一度は相楽三平に追いつくが、三平には江戸から迎えに来た隠密仲間があったりして、ついに、相楽三平は江戸に入ってしまう。江戸では彼の成功を祝した宴が繰り広げられる。だが、その隙をついて「お駒」が見事に三平から遺言状を取り返すのである。こうして舞台は再び名古屋へと向かう。

 遺言状を取り返した椿源太郎は尾張藩で歓待を受け、加増されて目付け役となり、大番組頭の娘「墨江」との婚儀の話もでるが、その婚儀を受けようとはしない。「お駒」は源太郎と離されてしまうが、惚れた源太郎の後を追って名古屋で時を過ごしている。「お駒」と「墨江」の恋の鞘当も激しくなる。

 しかし、再び遺言状を追ってきた相楽三平は、遺言状の在処を探し出して、また、これを奪い返す。藩主の徳川宗春は激昂し、椿源太郎がその仲間であると断罪して彼を捕縛させようとする。源太郎は、その時にもはや武家であることが嫌になり、捕縛の手を斬り抜けて、山中へ逃れる。

 他方、再び遺言状を手に入れた相楽三平は、慢心して揚屋で遊んでいる時に、「お駒」に見つけられ、再び「お駒」から遺言状を奪われてしまうのである。この時、「お駒」の手足として働いてきた辰蔵は三平の手によって斬り殺されてしまうが、「お駒」は逃げのびる。

 そして、知多の海の岸壁で、偶然にも捕縛の手を逃れた椿源太郎と相楽三平に追われる「お駒」が合うのである。二組の追っ手が迫る中で、「お駒」は遺言状を源太郎に渡し、源太郎は「お駒」への自分の想いを告げる。だが、二人は追っ手に囲まれてしまい、源太郎は、こんなものがあるから殺し合いが起きるのだ、と言って遺言状を海に投げ捨て、二人も海へと断崖を飛び降りるのである。

 「お駒」は、実は江戸の旗本の娘で、父親を何者かに殺されてその仇を探していたのだが、源太郎との最後の話で、その父を殺したのが源太郎であったこと、源太郎がずっと仇を討たれても良いとお思っていたことを告げられていた。しかし、心底愛する者を殺すことはできない、と二人で海へと飛び込んだのである。

 物語は、二人の命を救うために尾張藩の追っ手と相楽三平が、皮肉にも協力して探すという場面で終わる。適わない悲恋物語でもある。

 この物語は、家を守るためやつまらない秘密のために命が失われていくことの無意味さと恋の一徹さが同時進行的に波乱万丈の展開の中で描かれている作品である。秘密が行ったり来たりするという展開でそうした無益さがよく描かれているのだが、緊迫感をもつ展開のうまさは絶妙である。

 ちなみに、第7代尾張藩主の徳川宗春は、徳川家の中でも卓越した名君でもあったが、本書ではあまり良く描かれていない。彼は、後に、附家老(徳川家からの見張りの家老)の竹腰家の画策などもあって参勤交代中に藩政の実権を奪われて、そのまま蟄居謹慎を受け、67歳(享年69)で没している。尾張の人々が宗春を慕う思いはひとしおではなかったと言われる。

2013年1月2日水曜日

吉川英治『牢獄の花嫁』


 日本海側は大荒れの天気だそうだが、太平洋沿岸に当たるここは穏やかな冬晴れで2013年が始まった。個人的に、今年は大学での講義を引き受けてしまったので、普段に倍する世話しなさに追い込まれそうで、なんとも先が思いやられるが、お正月は予定をキャンセルしたので何もせずにゆったりした。

 昨年から吉川英治を読み返していることもあり、改めてこの作者の構成力や物語展開のうまさに脱帽しているが、このお正月の間に、吉川英治『牢獄の花嫁』(吉川英治全集8 1969年 講談社)を面白く読んだ。この作品もこれまでに何度か映画化された作品だが、物語を面白くするための工夫が随所に溢れている。

 物語は、江戸の捕物名人として尊敬を集めた塙隼人(はなわ はやと)が、号を「江漢」と称して隠居し、長崎に医術の修行に行っている愛息の郁次郎と許嫁の花世のために療養所を建てたところから始まる。彼は郁次郎が長崎から帰ってくるのを日一日と待っているのである。花世は高潔な旗本富武五百之進のひとり娘で清楚な香りが漂う美貌の女性であった。

 ところが、殺された笛の師匠の近辺で花世とよく似た女性が出没し、しかも長崎から帰路にあるはずの郁次郎によく似た侍も出没して、謎が深まっていくのである。殺された笛の師匠の左手の人差し指も切り取られており、それもまた謎であった。

 探索に当たった奉行所の与力は、先輩である塙江漢を尊敬しつつも、事件に郁次郎と花世が関係していると狙いをつけ、上方一の捕物上手と言われた大阪の町方与力をしていた羅門塔十郎の助力を得て、郁次郎と花世を捕らえようとする。郁次郎と笛の師匠が交わしていた恋文が発見されたのである。そして、郁次郎は既に内密に江戸に帰ってきていた。

 上方随一の名与力と言われた羅門塔十郎は、その腕を亀山八万石の城主松平竜山公に認められて、その後継の行くへを探すために江戸に出てきていたという。松平竜山公は、世継ぎがないままに齢七十歳を数えるようになり、一応は家老の大村郷左衛門の息子を仮の養子として幕府に届けていたが、密かに愛妾に産ませた子があり、その子は間違いを犯して切腹したが、その子に四人の遺子があることが分かって、その遺子を探させていたのである。つまり、松平竜山公の四人の孫の行くへを探していたが、その期限の年月が過ぎ去ろうとしていた。

 実は、それが事件の大きな鍵となるのだが、それは伏せられたままで、事件は郁次郎と花世の顛末へと続いていく。奉行所与力と羅門塔十郎は、郁次郎が花世の住む屋敷に密かに匿われていることを突き止め、二人を襲って郁次郎を捕縛するが、まんまと逃げられてしまう。そこで花世の捕縛に向かい、花世の父である富武五百之進が謎めいた言葉を残して切腹したことによって花世にも逃げられてしまうのである。二人の行くへは洋として知れなかった。

 しかし、江ノ島で巫女の娘が殺され、その左手の中指が切り落とされていたこともあり、そこに郁次郎がいた証言もあって、郁次郎はついに捕縛される。他方、花世によく似た女の後を追っていた奉行所の同心は、京の郊外にあった松平竜山公の隠居所の近くで、その女を追い詰めるが、反対に隠居所の侍たちに捕らえられてしまう。花世に似た女は、実は「玉枝」といい、先に殺された笛の師匠の家で下働きをしていた女であったが、松平竜山公の家老大村郷左衛門から竜山公の四人の孫を探し出して、これを亡き者として、証拠の左指の黒染めの指を切り落とすように金で依頼をされていたのであった。

 江戸の笛の師匠殺しと江ノ島の巫女殺しの犯人として捕らえられた塙郁次郎は重罪人としての裁きを待つ身となっていた。だが、奉行所与力の下で働いていた塙江漢を慕う同心がついに事柄を江漢に告げ、塙江漢は息子の冤罪を晴らすために立ち上がることになるのである。

 老いた塙江漢の活躍と危機、また、彼の意を受けて動く同心たちの冒険譚、そして、犯行に重要な役割を果たしていると思われる「玉枝」の動きへと展開していき、次の犠牲者が、また、左手の小指を切り取られて出るなどの事件が持ち上がり、ついに、彼と真相究明を争っていた上方の捕物名人であった羅門塔十郎がすべての事件の黒幕であったという「どんでん返し」へと進んでいくのである。

 事件の真相そのものは単純で、亀山八万石の城主松平竜山公の孫娘たちには、なぜかその印として左手の指がそれぞれに黒くなっているのがわかり、城主の座を狙う家老の大村郷左衛門が羅門を使って密かに孫娘たちを見つけ出して処分し、代わりに「玉枝」を孫娘として息子と婚儀を結ばせようとしたものであった。羅門も玉枝も金と欲で動いていたのである。

 塙江漢は、この事件の真相を突き止めて、息子の郁次郎を救い出し、花世を助けて、事件が収まる。だが、江漢は羅門との戦いで傷つき、死のまぎわで二人の夫婦になる姿を見て息を引き取るのである。

 読んでいて、いくつか歴史考証が必要なところもあるような気がするのだが、物語の展開や構成、そして何より作者の創造力に感服する。江戸川乱歩的なミステリー性と怪奇性などが盛り込まれつつ、冒険譚やロマン小説の趣がたっぷりとある。娯楽時代小説の一つの形がこれで形成されたと言えるかもしれない。

 この全集の8巻に収められているのは、歴史小説ではなく、作者が創作した謂わば冒険ロマン小説で、次に『隠密七記』を読もうと思っている。