2013年1月4日金曜日

吉川英治『隠密七生記』


 比較的穏やかだったお正月の日々が過ぎ去って、そろそろ「ネジまき鳥」に動き出してもらわないと、と思いつつ、「まだ幕の内」と暢気に構えている。こういう変わらない日常がたぶん続いていくのだろう。晴れてはいるが気温が低い。週末から日曜日にかけて雪の予報もある。

 吉川英治『隠密七生記』(1969年 吉川英治全集8 講談社)を気楽に読んだ。これも、東映、華やかなりし頃に何度か映画化されているが、ロマンの香りが漂う娯楽時代小説の典型である。

 物語の背景は、徳川6代将軍の家宣が死去する際に、新井白石などを呼び寄せて、「次期将軍は尾張の徳川吉通にせよ。家継の処遇は吉通に任せよ」とか、「家継を次期将軍にして、吉通を家継の世子として政務を代行させよ」とか、「家継が育たなかった場合には、吉通の子の五郎太か吉宗の嫡男の長福丸を養子として、吉通か吉宗を後見にせよ」とか、諸説のある遺言を残した。結局、新井白石の提言によって、家宣の四男である家継(家宣の子たちは早世して家宣だけが残っていた)が第7代将軍となるが、この時、家継はまだ4歳であり、その家継も8歳で病死し、その後を紀州の徳川吉宗が継ぐ。

 この時に将軍位を巡る争いが尾張と紀州の間で起こるのだが、家宣の遺言にもあった尾張の4代藩主徳川吉通も25歳の若さで死去し、後を継いだ子の五郎太も数え年の3歳で死去し、尾張藩6代藩主となったのは、吉通の弟の継友であった。7代将軍家継が危篤状態に陥ったとき、次期将軍候補として、尾張の徳川継友と紀州の徳川吉宗の二人が絞られて将軍位を巡る駆け引きが行われたが、結局、家宣の正室であった天英院(近衛 熈子)の一声で吉宗が将軍となったのである。そして、尾張の徳川継友が後継のないままに39歳で死去したために、尾張藩代7代藩主はその弟の徳川宗春が継いだのである。

 徳川宗春は将軍吉宗に気に入られた一人であったが、江戸幕府と尾張との確執は深く、幕府の倹約政策とは逆に規制を緩和し自由経済政策を取った。宗春の華美な生活を吉宗が叱責するということもあったりして、朝廷との対立も深めていた江戸幕府の重臣たちは、朝廷を支持してきた尾張藩と宗春の失脚を画策するなど、吉宗個人ではなく江戸幕府との対立を深めていったのである。

 こうした歴史を背景として、物語は、6代将軍家宣の「次期将軍は尾張にせよ」との遺言状を宗春が所有し、それを名古屋城の金の鯱の目玉に秘匿して、江戸幕府からの圧力に備えていたところを幕府から送り込まれる隠密が探し出して奪い取るという設定で始まる。

 相楽三平は江戸幕府から尾張に送り込まれていた隠密だが、尾張藩士として潜り込んで苦節の日々を過ごし、ようやくにして、目的の遺言状が名古屋城の金の鯱の目玉に秘匿してあることを突き止める。彼は、城下の野焼きの延焼を見張るために、友人の椿源太郎とともに天守閣からの見張りの役につくのである。椿源太郎は、尾張藩の下級藩士として妹の信乃との二人暮らしをしているが、妹の信乃は相楽三平に想いを寄せ、天守閣での見張りにつきながら相楽三平に妹を嫁としてもらってくれと話したりする。

 そして、三平も信乃を嫁にすることを約束するが、彼の目的は隠密として金の鯱の目玉に隠されている遺言状の取得にあった。そして、まんまとそれを成功させて、一路江戸に向けて出奔するのである。

 事態を知った尾張藩は同役であった椿源太郎を捕らえ、その事態に陥ったことを知った信乃は自害してしまうのである。悲憤に駆られた源太郎は、自害した信乃の首を抱いて、捕縛を逃れ、遺言状を取り返してくると約して、事態を引き起こした相楽三平の後を追う。

 だが、相楽三平も一流の隠密であり、椿源太郎と腕の差は歴然としており、源太郎は三平に斬られてしまう。しかし、止めを刺されようとしたとき、その場に行き合わせた百草売りの女性「お駒」に助けられるのである。「お駒」は、この時、源太郎に一目惚れしてしまうのである。

 また、尾張藩の大番組頭の娘「墨江」も、以前に火事の折に源太郎に助けられたことがあり、源太郎に想いを寄せて、見事に遺言状を取り返してくるようにとの父親の言葉を伝えにその場に駆けつけてきた。

 こうして、一命を取り留めた源太郎は、相良三平を追って江戸へと向かうことになるが、源太郎を巡る「お駒」と「墨江」の女の争いも物語に色を添える形で描かれていく。「お駒」には彼女に惚れている道中師(盗人)の辰蔵という男が旅仲間としており、辰蔵は惚れた弱みで「お駒」の頼みはなんでも引き受けていた。「お駒」は、椿源太郎の傷が癒えるまで相良三平の足止めをするように辰蔵に頼み、そこから辰蔵と相楽三平の駆け引きが展開されていく。

 傷が癒えた椿源太郎は、一度は相楽三平に追いつくが、三平には江戸から迎えに来た隠密仲間があったりして、ついに、相楽三平は江戸に入ってしまう。江戸では彼の成功を祝した宴が繰り広げられる。だが、その隙をついて「お駒」が見事に三平から遺言状を取り返すのである。こうして舞台は再び名古屋へと向かう。

 遺言状を取り返した椿源太郎は尾張藩で歓待を受け、加増されて目付け役となり、大番組頭の娘「墨江」との婚儀の話もでるが、その婚儀を受けようとはしない。「お駒」は源太郎と離されてしまうが、惚れた源太郎の後を追って名古屋で時を過ごしている。「お駒」と「墨江」の恋の鞘当も激しくなる。

 しかし、再び遺言状を追ってきた相楽三平は、遺言状の在処を探し出して、また、これを奪い返す。藩主の徳川宗春は激昂し、椿源太郎がその仲間であると断罪して彼を捕縛させようとする。源太郎は、その時にもはや武家であることが嫌になり、捕縛の手を斬り抜けて、山中へ逃れる。

 他方、再び遺言状を手に入れた相楽三平は、慢心して揚屋で遊んでいる時に、「お駒」に見つけられ、再び「お駒」から遺言状を奪われてしまうのである。この時、「お駒」の手足として働いてきた辰蔵は三平の手によって斬り殺されてしまうが、「お駒」は逃げのびる。

 そして、知多の海の岸壁で、偶然にも捕縛の手を逃れた椿源太郎と相楽三平に追われる「お駒」が合うのである。二組の追っ手が迫る中で、「お駒」は遺言状を源太郎に渡し、源太郎は「お駒」への自分の想いを告げる。だが、二人は追っ手に囲まれてしまい、源太郎は、こんなものがあるから殺し合いが起きるのだ、と言って遺言状を海に投げ捨て、二人も海へと断崖を飛び降りるのである。

 「お駒」は、実は江戸の旗本の娘で、父親を何者かに殺されてその仇を探していたのだが、源太郎との最後の話で、その父を殺したのが源太郎であったこと、源太郎がずっと仇を討たれても良いとお思っていたことを告げられていた。しかし、心底愛する者を殺すことはできない、と二人で海へと飛び込んだのである。

 物語は、二人の命を救うために尾張藩の追っ手と相楽三平が、皮肉にも協力して探すという場面で終わる。適わない悲恋物語でもある。

 この物語は、家を守るためやつまらない秘密のために命が失われていくことの無意味さと恋の一徹さが同時進行的に波乱万丈の展開の中で描かれている作品である。秘密が行ったり来たりするという展開でそうした無益さがよく描かれているのだが、緊迫感をもつ展開のうまさは絶妙である。

 ちなみに、第7代尾張藩主の徳川宗春は、徳川家の中でも卓越した名君でもあったが、本書ではあまり良く描かれていない。彼は、後に、附家老(徳川家からの見張りの家老)の竹腰家の画策などもあって参勤交代中に藩政の実権を奪われて、そのまま蟄居謹慎を受け、67歳(享年69)で没している。尾張の人々が宗春を慕う思いはひとしおではなかったと言われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿